≉ 㞟 ૼˊ↚ⅹↀ↺᠉ෙʩ්ח 「津軽海峡交流圏シリーズ」を振り返って ―新たな「津軽海峡圏」形成に向けて 一般財団法人 青森地域社会研究所 特別顧問 ൨ẅබɟ はじめに ―「しょっぱい川」から「しょっぱい『小川』」へ たが、いずれにしろ、 「小川」となれば、 「ヒョ 平成22年(2010)12月 4 日、青森県民の「悲 野における交流の質的充実と量的拡大の可能 願」でもあった東北新幹線が終着駅である新 性を広げるものであることは間違いない。し 青森駅まで延伸された。一番列車が新青森駅 たがって、こうした「ビッグチャンス」 「千 を出発した後に挙行された記念式典にはたま 歳一遇」の機会を新たな視点から活用するこ たま筆者も出席していたが、その席上、来賓 とで、本州、北東北、北海道、ましてや「小川」 で出席されていた北海道の高橋はるみ知事 を挟んで向かい合う青森県と北海道道南地方 は、本州・青森県と北海道を隔てていた津軽 (渡島地方・桧山地方)(以下、 「津軽海峡圏」 ) 海峡は「もはや海ではなく『しょっぱい川』 の経済、産業、社会、文化など、多方面におけ となった」と語られたことを今も鮮明に覚 る活性化の可能性が大きくなることは確かであ えている。高橋知事の発言は、東京など首都 り、そのことは単に、この圏域の人たちのみな 圏と本州最北端の青森県が新幹線という高速 らず、わが国全体の活性化や振興に直結する 鉄道によって結ばれたことで、さらにその北 課題であることは言を俟たないであろう。 にある北海道との間も、時間的な短縮はもち こうした可能性と期待を背景として、いよ ろん、心理的な意味においても一気に短縮さ いよ北海道新幹線の開業が現実のものとな れ、津軽海峡は本州と北海道を隔てる「海」 り、カウントダウンされるなかで、特に、北 ではなく、短時間のうちに越えることのでき 海道新幹線の駅舎が設置される青森県今別町 る「しょっぱい川」となり、そのことで、こ (奥津軽いまべつ駅)、北海道木古内町(木古 れまで以上に北海道にも多くの「ヒト、モノ、 内駅) 、同北斗市(新函館北斗駅)とその周 カネ」そして「情報」がやってくることを期 辺自治体においては、北海道新幹線開業と駅 待したものである。 舎開業を地域振興の起爆剤とすべく、官民挙 それから 5 年余、平成17年 5 月に着工され げての取り組みが行われてきている。青森県 た新青森駅と新函館北斗駅を結ぶ北海道新幹 や北海道渡島総合振興局などの行政機関、商 線の工事は順調に進捗し、この原稿を書いて 工会議所などの経済団体、銀行などの地域金 いる時(平成27年 2 月)から、およそ400日 融機関も、地域と圏域の活性化や振興に係る 余の平成28年 3 月には新函館北斗駅までの開 計画の策定や、シンポジウム、講演会、イベ 業が予定されている。高橋知事の言葉を借り ントの開催など、各種の取り組みを実施して れば、これにより、津軽海峡は「しょっぱい きており、そうした動きは一層増加してきて 『小川』」になろうとしている。もちろん、私 イと飛び越せる」ものであり、各方面、各分 いる。 たちの祖先は、本州と北海道を隔てる津軽海 こうしたなかで、詳細は後述するが、当研 峡を「交流を妨げる」「隔てる」海と思った 究所は、平成25年度∼ 26年度の 2 カ年計画 ことはなく、古来より様々な交流を行ってき で、 「新時代における津軽海峡交流圏」を統 2 れぢおん青森 2015・3 一テーマとする調査研究を実施してきた。前 述のとおり、青森県と北海道、とりわけ道南 ③高山貢:津軽海峡圏の産業・経済データ (2013年8月、「高山」) 地方においては、古来より各種の交流が盛ん ④座談会: 「北海道新幹線・どうする第三の であったが、北海道新幹線開業による物理的・ 開業―新時代における津軽海峡交流圏」 心理的時間の短縮が両地域の交流を単に量的 に拡大するに止まらず、質的向上の条件・環 境を与えることとなり、そのことを条件とし (2013年9月、「座談会」) ⑤竹内紀人:道南地域直近ヒアリングリポー ト(同上、「竹内(紀)1」) て青森県と北海道道南地方を一体化する「津 ⑥谷口清和:津軽海峡圏の温泉観光―津軽半 軽海峡圏」が形成される可能性があり、この 島・下北半島と渡島半島の温泉観光(2013 圏域内における新しい交流、連携、連帯、さ 年10月、「谷口」) らには同一的「一体性」(アイデンティティ) ⑦竹内紀人:インフォメーションバザール が生じ、青森県と道南地方の産業、経済、文 in Tokyo 2013―地域金融機関の連携に 化、社会の一体的発展の可能性が飛躍的に拡 よる展示商談会(2013年11月、 「竹内(紀) 大すると考えたからである。そうした視点か 2」 ) ら、「津軽海峡圏」をめぐる人的・物的交流 ⑧竹内紀人:町村部の新幹線活用と地域間連 の歴史、 「津軽海峡圏」を地域アイデンティ 携の進化に向けて(2013年12月、 「竹内 ティの中で捉えることの可能性、「津軽海峡 (紀)3」) 圏」における経済や産業活動や観光業の現状 ⑨野里和廣:北海道新幹線開業の影響を探 と今後の見通し、あるいは、この圏域におけ る―県内事業所へのアンケートを通して る金融機関の果たすべき役割などを調査研究 (2014年2月、「野里」) し、その一端を、論考・報告、あるいは、シ ⑩高橋功:新たな北海道・東北交流の時代へ ンポジウムなどで示してきた。これまでの調 ―北海道新幹線「新函館(仮称)開業」に 査研究は必ずしも十分なものではないが、こ よる新たな可能性(2014年4月、 「高橋 の統一テーマにおける調査研究等をひとまず 終了するに当たり、本稿では、これまで当研 究所の機関誌「れぢおん青森」に掲載してき (功)」 ) ⑪竹内慎司:津軽海峡交流圏の経済発展を考 える(2014年4月、「竹内(慎)」 ) た論考・報告、シンポジウム、座談会などを ⑫高橋公也:北海道新幹線開業と「津軽海峡 通じて明らかにされてきた「津軽海峡圏」の ブランド」―新しいブランディング単位と 現在的意義と今後の展望を取りまとめておく しての「津軽海峡」の可能性(2014年5月、 こととしたい。なお、機関誌「れぢおん青森」 に掲載されてきた論考等は以下の通りである。 「高橋(公)」 ) ⑬シンポジウム:津軽海峡圏広域観光シンポ ジウム in 仙台―北海道新幹線開業からの ①末永洋一:津軽海峡交流史と「津軽海峡 圏」論―交流の歴史と先人に学ぶ(2013 年6月、「末永1」と略記、以下同様) ②同上:津軽海峡交流史と「津軽海峡圏」 構想―戦後の交流と新たな可能性を探る (2013年7月、「末永2」) 新たな広域観光の可能性(2014年11月、 (注1) 「シンポジウム」) ⑭ 竹 内 紀 人: 津 軽 海 峡 交 流 圏 と 地 域 金 融 (2014年12月、 「竹内(紀)4」) また、こうした論考等とは別に、当研究所 の作成による『よくわかる道南の産業と経済 (注 1 )本シンポジウムの主催は(公財)東北活性化研究センターであり、当研究所は共催団体の一員である。その内容 が当研究所の機関誌に掲載されている関係上、本稿でも取り上げることとしたい。 3 ―新幹線がむすぶ津軽海峡交流圏』 (青森銀 こうした「津軽海峡圏」における交流の歴 行発行、平成26年12月、以下『道南の産業と 史の大きな転換期となったのが、昭和29年 経済』)が刊行されているが、これについて (1954) 9 月26日に起こった「洞爺丸事件」 も後に触れることとしたい。なお、以下にお である。わが国最大の海難事故であり多くの いては、これらの論考等を順を追って紹介す 犠牲者を出したこの事件を直接的なきっかけ るのではなく、筆者の関心に従って、いくつ として、本州・青森県と北海道道南地方を海 かの課題に分けて紹介していくこととしたい。 底トンネルで結ぶ「青函トンネル」構想が一 気に具体化することとなった。この構想は 1.交流史からみる「津軽海峡圏」の歴史的意義 (1)「津軽海峡圏」の歴史的位置と役割 すでに戦前にもあったし、あるいは、 「津軽 海峡圏」交流を重視する立場から、例えば阿 ―交流の発展と変化 部覚次によっても主張されていたが、ここに 「津軽海峡圏」をステージとする本州と北 至り、いよいよ現実的なものとなったのであ 海道の交流は極めて古い時代から行われてい る。もちろん、津軽海峡を安全、確実に交流 た。周知のとおり、近代以前においては、整 するという視点から「洞爺丸事件」は重要な 備されていない陸路を使うよりも、風や潮流 条件となったのは確かであるが、それ以上に を利用することのできる海や川を使う水上交 「青函トンネル」を必要としたのは、「津軽海 通の方がはるかに利便性も高く、物資も大量 峡圏」交流が、量的にも質的にも極めて重大 に運搬することが可能であった。北海道から な地位を占めていたからである。「洞爺丸事 すれば本州北端の青森県、青森県からすれば 件」の前年である昭和28年には、この海峡を 北海道道南地方は指呼の位置にあり、津軽海 年間200万に上る人と400万トンに上る貨物を 峡は「一衣帯水」の存在でしかなかった。古 輸送しており、さらにこの数字は今後も拡大 代から近代に至る間にあっての両地域の交流 していくことが期待されていた。 史は「末永1」で簡単に触れられているとお こうして始まった「青函トンネル」工事で りであり、それぞれの時代における交通手段 あるが、しかし、皮肉にも、工事の進捗する (丸木船、帆船、蒸気船、しかも次第に大型 なかで、 「津軽海峡圏」交流の在り方は大き 化、高速化)を用いて交流への願望と必要性 な曲がり角に差しかかっていた。すなわち、 に規定された形で展開され、一時期を除き、 この頃までには、北海道と本州を結ぶ交通手 交流は量的にも質的にも拡大してきたと言え 段は多様化し、大型化、ジェット化した航空 よう。 機や、 「モータリゼーション」の進展による こうしたなかで、近代以降における「津軽 フェリー輸送が次第に大きな位置を占めてき 海峡圏」の交流は、わが国の近代化と資本主 ていたのである。この結果、青函航路には 義の発展に伴う著しい発展を見せていくこと 新鋭船が投入されたにも拘わらず、「青函ト となる。明治以降における北海道開拓の進展 ンネル」が開業する頃には、旅客輸送は最盛 =資本主義的市場の発展が、人的、物的、資 期の490万人から240万人に、貨物輸送も853 本、すなわち「ヒト、モノ、カネ」と、さら 万トンから464万トンに、いずれもほぼ半分 には情報の交流を促進したからである。こう にまで減少していたのである。このような、 した交流の拡大と深化は、太平洋戦争時にお 津軽海峡における貨物・旅客の減少は、そ いては若干の後退は見られたものの、終戦 の発地点であり着地点である北海道道南と本 後、交流の重要性はいち早く認識され、再び 州・青森県の役割と位置に変更を迫ることと 活発になっていった。 なり、したがって、 「青函トンネル」開通後 4 れぢおん青森 2015・3 特 集 新時代における 津軽海峡交流圏 においては、従来とは異なる方策、手法の下 を行っていたのである。あるいは、同じ「鎖 に、新たな交流の在り方を模索することが求 国体制」下で幕府公認の唯一の貿易港であっ められることとなったのは当然である。本州 た長崎から中国・清王朝に輸出された「長崎 と北海道の交流のなかで、本州・青森県と北 俵物」の主要貨物(俵物三品)である煎海鼠 海道道南地方の占める地位が相対的に低下し (いりなまこ、いりこ)、干鮑(ほしあわび)、 てきたという現実を見据えながら、「青函ト 鱶鰭(ふかひれ)は、盛岡藩の領地である下 ンネル」開通による両地域=「津軽海峡圏」 北半島などの産物であり、盛岡藩、そして大 の物理的・心理的な距離感の絶対的短縮とい 阪などの上方の商人を通じて長崎に運ばれた う有機的一体感を活かした取り組みが必要と 国際商品であった。 なったのである。北海道新幹線開業という新 欧米列強が近代的資本主義経済を確立させ たな与件をいかに活かしていくのか、そのこ 海外進出を加速するなかで、グローバリゼー とが「津軽海峡圏」に問われている課題であ ションはこれまで以上に急激に進展した。欧 ると言えよう。こうした歴史的背景と現実を 米列強は、アジアそして日本へも進出してく 認識した上で、「津軽海峡圏」形成の在り方 るが、こうしたなかで、わが国の近世幕藩体 を模索することが必要であろう(「末永2」) 。 制と「鎖国体制」は崩壊を余儀なくされ、近 代グローバリゼーションの中に巻きこまれ (2)グローバリゼーションと「津軽海峡圏」 る。安政元年(1854)の「日米和親条約」が ―「津軽海峡圏」への一つの視点 その端緒であるが、箱館(函館)の開港もそ 「津軽海峡圏」は、今日では益々そうであ の一環であり、「津軽海峡圏」は新たな近代 るが、古来よりグローバリゼーションの中に グローバリゼーションの中に位置することと あった事実もある。今後、津軽海峡圏を語る なった。 時にはこの視点を抜きにした議論は不可能で その後の世界資本主義の発展に伴って海外 あろうと筆者は考えている。 通商はますます発展し、わが国を含む東アジ 「津軽海峡圏」がグローバリゼーションの ア社会もグローバリゼーションと国際的貿易 中にあったことを資料的に確認できる最も古 の進展の中でその発展を模索することとな いものとしては、「山丹貿易」が挙げられよ る。そうしたなかで、明治20年代、青森県と う。「山丹貿易」とは、松前藩や蝦夷地(北 北海道函館という津軽海峡に臨む両地域か 海道)に居住する和人(日本民族)と、主と ら、津軽海峡を国際貿易の中に位置づけよう して蝦夷地に居住するアイヌ民族、ユーラシ とする主張が出されることとなるのは当然の ア大陸沿海州やアムール川流域に居住する諸 ことであった。成田鉄四郎による青森港(陸 民族、さらに中国の漢民族などを巻き込んで 奥湾)振興の主張、岩橋謹次郎による函館港 行われた貿易である。この貿易においては、 振興の主張がそれであるが、いずれにも共通 各地の特産品が交易されたものと思われる するのは、明治以降のわが国が東京など「中 が、その中で、中国の絹織物が沿海州などに 央」に偏重した発展を遂げており、東北・青 居住する民族からアイヌ民族に渡り、それが 森県や北海道・道南との格差が拡大している 和人や松前藩に交易されることでわが国にも との認識の下に、アメリカ大陸とユーラシア 広く流布することとなり、「蝦夷錦」として 大陸を結ぶ国際貿易航路が津軽海峡を経過す 重宝された。幕藩体制下の「鎖国体制」にあっ るという事実を前提として、「津軽海峡圏」 ても、松前藩と和人は「津軽海峡圏」を舞台 の振興を図ろうというものである。かかる主 として、極東・蝦夷地・本州を結ぶ国際交易 張は残念ながら、当時のわが国の産業経済状 「津軽海峡交流圏シリーズ」を振り返って 5 況、ましてや「津軽海峡圏」の状況からして する場合、阿部の業績を抜きにして語ること 実効性の乏しいものであったが、グローバリ は不可能だと思っているが、残念ながら、多 ゼーションのなかに津軽海峡を位置づけ、そ くの議論が、今日を歴史的に位置づけるとい の振興・発展の可能性を提言する姿勢は今日 う試みをせず、専ら単なる「可能性」の追求 にも通じるものであろう。現代の「津軽海峡 に終わっていることもあり、阿部が取り上げ 圏」では、海上交通だけではなく、航空機に られることはほとんどなかった。阿部の主張 よっても国内そして海外とも結ばれており、 について、今一度、重要だと思われる点を振 さらにそれらを補完する形でフェリー航路、 り返っておこう。 鉄路を始めとする陸上交通網が整備されてお 阿部の最大の功績は、前述の成田や岩橋 り、そして間もなく、北海道新幹線が登場す が、グローバリゼーションのなかで「津軽海 ることとなる。「津軽海峡圏」をグローバル 峡圏」を把握しているにも拘わらず、それぞ リゼーションの進展の中でいかに位置づけて れが自己の居住する、青森港(陸奥湾)や函 いくかが今後ますます問われることは確かで 館港への一方的な「思い入れ」のなかで議論 ある(「末永1」、「末永2」) 。 しているが、これに対し、阿部は、「函館の 人」という限界を持ちつつも、青森県・青森 2.「津軽海峡圏」の地勢的位置と 地域アイデンティティの可能性 市と北海道道南・函館市を決して対立的には 以上みてきたように、新しい時代における なかで捉えていることである。こうした視点 「津軽海峡圏」への視点は、物理的・心理的 は、 「津軽海峡圏」にある他の都市において な距離感を短縮する北海道新幹線開業を与件 も同様である。だからこそ、 「須らく海峡の とし、これまでの交流の歴史や国際的条件を 都市の人々に津軽海峡の地理的位置を理解せ 振り返ることで得られる事実を前提とした考 しめ、且この理解を基礎に、海峡各都市市民 察のなかで得ることのできるものでなければ の結合を謀り、共通する一大理想の下に、提 ならない。そうした時にあって、筆者は、今 携努力してこそ初めて具体化することを得可 後の「津軽海峡圏」への視点として唯一では きなり」という主張にも説得力が生じてこよ ないだろうが、極めて重要性をもつものとし う。また、こうした一体性の中で、各都市が て、「津軽海峡圏」の一体性・同一性、すな 各々の特性を活かした役割を果たすことの重 わち、地域アイデンティティの形成と確立が 要性も同時に指摘することを忘れてはいな あると考えている。以下においては、かかる い。阿部がこうした視点と認識に立つが故 視点からの議論を紹介し、それを前提とした に、 「津軽海峡圏」を政治的、経済的に一体 「津軽海峡圏」の発展や振興の可能性に関す 性を持って運営する「津軽海峡庁」の設置を る議論を取り上げていくこととしたい。 捉えず、 「津軽海峡圏」という一つの地域の 提唱し、あるいは「津軽海峡圏」の有機的一 体性を進展させる海底トンネル」の必要性を (1)阿部覚次と「津軽海峡圏」 主張するのも納得のいくところだろう。 ― 一体性と役割分担 阿部のこうした主張は今日的にも意義のあ 阿部は函館の人である。大正から昭和にか るものだろう。阿部の時代に比べ、 「津軽海 けて、商人として、また函館市議会議員とし 峡圏」を有機的に結合する社会インフラが整 て活躍し、函館市の商業・貿易の発展を企図 備され、有機的一体性への可能性が高まって した人物で、海運通商に関する各種の論考も きているが、北海道新幹線の開業はこうした 著している。筆者は、 「津軽海峡圏」を考察 状況をさらに高めていくものであろう。そう 6 れぢおん青森 2015・3 特 集 新時代における 津軽海峡交流圏 した可能性をいかに活かしていくか、そのた る「高山」「竹内(慎)」らの報告は、「津軽 めには、 「津軽海峡圏」を一体として捉える 海峡経済圏」「100万人都市」構想、あるいは 視点が重要であることは言うまでもないこと 「180万人都市」構想を土台としてのものであ である(「末永1」)。 るが、その場合、忘れてはならないのは、 「津 軽海峡圏」の経済や産業の相対的低下という (2)地理的条件からの「青函 100 万人都市」構想 厳しい現実と、「津軽海峡圏」という広大な ―理念と現実のギャップ 地域に、100万人あるいは180万の人口が「散 阿部の主張や提唱は、残念ながら直ちに実 居」しているに過ぎないことである。札幌市 行されるものではなかった。しかし、前述の や仙台市のような都市集積、産業集積が進ん とおり、 「洞爺丸事件」を直接のきっかけと だ都市とは決定的な違いがあることをしっか しつつ、大量輸送時代の幕開けに呼応するた りと認識しなければならない。 めに「青函トンネル」の開業が急がれた。こ れを機に、「津軽海峡圏」をいかに捉えるか、 (3)「青函インターブロック」構想 この圏域の活性化がいかにして可能であるか ―地域アイデンティティ形成の課題 が、議論され提唱されることとなるのは当然 昭和62年(1987) 6 月、 「第四次全国総合 であった。 開発計画」 (四全総)が策定された。「四全総」 昭和57年(1982)、北海道東北開発公庫(現 の主たる理念は「多極分散型国土の形成」で 日本政策投資銀行)は『青函地域の交流の現 あり、東京一極集中の是正と国土の均衡ある 状と新たな青函経済圏の形成に向けての検 発展を目指すものであった。この理念を達成 討』と題するリポートを発表した。このリ するために提唱されたのが「交流ネットワー ポートは、前述のとおり、交通手段の変化や ク」の形成であり、それを基軸とする「イン 多様化に伴う「津軽海峡圏」の役割や地位の ターブロック」構想であった。その中で、青 相対的低下を現実的課題として捉え、その上 函地域=「津軽海峡圏」は西瀬戸地域と並ん で、来るべき「青函トンネル」の開業を有効 で、萌芽的ではあるが、「インターブロック」 に活かすことで「津軽海峡圏」を新たな経済 形成が進んでいる圏域とされ、「青函トンネ 圏として構築できる可能性を提唱したもので ル」の活用、函館・青森両地域のテクノポリ ある。その場合、この地域の有機的一体性を スなどのプロジェクト推進と連携、イベント 促進する手段として「青函トンネル」の開業 の共同開催などを通じ、「地域アイデンティ とともに、この地域は、地理的条件を勘案す ティ」の醸成がみられるとされた。 「地域ア れば、「100万人都市」としての札幌市と仙台 イデンティティ」とは、圏域内の住民が共通 市の中間に位置しており、したがって、この かつ統一的な地域認識を有することであり、 地域に「100万人都市」が存在することは、 経済活動、各種のイベント、交流などを通じ わが国の発展上からも重要であるとしたので て醸成されるものであるとしている。 ある(「末永2」)。 ここにみられる「地域アイデンティティ」 このように、物理的・心理的距離感を短縮 の指摘は重要である。各種イベント、交流、 する「青函トンネル」の開業を条件とした「津 さらには経済的、文化的、社会的諸活動が実 軽海峡経済圏」構想が提唱されたのである 践され、その結果として「地域アイデンティ が、同時に、この時期の「津軽海峡圏」は大 ティ」が醸成され、形成され、確立していく きなターニングポイントにあったことは本リ ことにより、「津軽海峡圏」が一体的同質的 ポートの指摘するところである。後に紹介す な存在として認識され、そのことが圏域内の 「津軽海峡交流圏シリーズ」を振り返って 7 諸活動に新たな価値を付加し、新しい価値を は、利便性の向上が故の結果であろうが、い 形成発展させることとなるからである。しか ずれかの地域への観光客の流出や「日帰り客」 し、その後の諸活動、例えば、「青函ツイン の増加を懸念するものが多くみられた。この シティ」構想や「青函インターブロック」構 ように、北海道新幹線開業を観光的交流面か 想に基づく各種の取り組みは、必ずしもそう ら捉える傾向が圧倒的に強いなかで、観光以 した「地域アイデンティティ」醸成を推し進 外の企業活動拡大のチャンスと捉えるものも める方向で推進されてきたとは言えないのは 少数だが存在しており、自社製品の市場拡 残念である(「末永2」)。 大、圏域内の企業交流による企業進出などが 主なものである。いずれにしろ、 「野里」が 3.「津軽海峡圏」アイデンティティと 経済・産業の可能性 (1)青森県内事業所アンケートにみる 指摘するとおり、北海道新幹線開業をこの時 点では未だに現実的には捉えていない事業者 も多いが、経済、文化など多面的な交流と連 「津軽海峡圏」産業経済の可能性 携を目指す事業者もあり、今後、こうした事 当研究所では、平成25年 6 月、「北海道新 業者が増加し、各種の企業活動が活性化する 幹線開業に関するアンケート」を実施し、そ ことにより「津軽海峡圏」が形成されていく の集計、分析を野里が行った(「野里」 ) 。ア ことを期待したいところである。もちろん、 ンケートの狙いは、青森県内の事業者が、北 だからと言って、過大な期待は望み薄で、条 海道新幹線開業に際し、「津軽海峡圏」形成 件をいかに活かすことが「可能性」を現実の に向けた企業活動を展開する意向があるか否 ものとしていくことになるのは言うまでもな かを明らかにすることであった。同時に、こ い。 「高橋(功)」が、北海道の現実として、 うした企業活動に当たっての金融機関への要 「新函館開業による効果は限定的になる」懸 望、さらに北海道新幹線では青森県内で唯一 念があるとし、「両地域の本格的な連携と経 となる奥津軽いまべつ駅への関心も調べてい 済効果最大化のための新幹線札幌延伸の早期 るが、前者については「竹内(紀)2」「竹 実現」を主張するのも故なきことではない。 内(紀)4」、後者に関しては「座談会」で これとは別に、「竹内(紀)1」では、平 も検討されているので、これらを紹介する時 成25年時点での、北海道新幹線の沿線となる に譲ることとしたい。また、本アンケート実 北海道内の 2 市 1 町(新幹線駅舎が設置され 施に併せ、 (株)北海道二十一世紀総合研究 る木古内町及び北斗市、また、道南最大の都 所も、北海道内で同様なアンケートを実施し 市函館市)の取り組みを紹介している。そこ たが、 「野里」はこれらも併せて紹介してい では、新幹線開業を積極的に活用しようとす るし、「高橋(功)」もそれに触れている。 る、特にソフト面における取り組みが紹介さ アンケート結果からみると、北海道新幹線 れるとともに、奥津軽いまべつ駅開業を、青 が「地域社会へ影響を与えるか」との質問に 森県における「新幹線第 3 の開業」と捉え、 対しては、多少なりとも影響を与えると思っ かつての東北新幹線八戸駅開業( 「第 1 の開 ている事業者が、青森県内、北海道(道央、 業」 ) 、新青森駅開業( 「第 2 の開業」 )と同様 道南)の双方ともに圧倒的に多かった。プラ に、青森県全域を挙げての取り組みとするこ スの影響としては、「交通利便性の向上」「交 とで、北海道新幹線開業を「津軽海峡交流圏 流人口の増加」「観光の振興」など、人的往 の形成に向けたきっかけとする」必要性を強 来が活発となるとするものが多く、両地域と 調している。この点は、 「座談会」における もに同様な結果であった。他方、マイナス面 竹内(紀)の主張、さらには、新幹線駅から 8 れぢおん青森 2015・3 特 集 離れた地域にある町の動向を紹介した「竹内 (紀)3」にもみられる視点である。 新時代における 津軽海峡交流圏 検討している。観光業は「競争と連携による 振興」 、すなわち、両地域の観光資源をそれ ぞれがブラッシュアップして競い合うととも (2)「津軽海峡圏」の産業経済の実態 に、広域連携による観光資源の有効活用を提 ―圏域内の産業経済の活性化へ向けて 唱している。製造業では「相互補完関係」の 「青函トンネル」開業は「津軽海峡圏」へ 構築による新製品開発や付加価値生産の向上 大きな可能性を与えるものであった。しか を課題として挙げた。また、流通業では交流 し、繰りかえし述べているように、同トンネ 拡大による商圏拡大を主張している。最後に ルの開業は、同時に、この圏域の相対的低下 「こうした経済効果を十二分に享受するため の時期でもあった。したがって、「青函100万 には津軽海峡交流圏といった連携意識を地域 都市」構想、「青函インターブロック」構想 住民・企業が持てるか否かがポイントであ」 も、「青函トンネル」開業を、圏域内の活性 るとするのは、当然の指摘だろう。なお、 「津 化や「地域アイデンティティ」醸成の条件と 軽海峡圏」を形成する青森県と北海道道南で して提示しているだけである。可能性や条件 は、お互いを「知っているようで知らないこ を活かし具体化することで地域の活性化や発 とが多い」のが現実だろう(「竹内(紀)4」) 。 展へと導くのは圏域内の住民であり、企業で こうした時に、後に紹介する『道南の産業と あり、各種団体であり、行政である。こうし 経済』が出された意味は大きい。こうした視 た各種レベルでの活動が「地域アイデンティ 点からではないが、「津軽海峡圏」の温泉資 ティ」を形成、発展させるのには必要欠くべ 源を紹介したのが「谷口」である。 からざるものである。また、「100万人都市」 「谷口」は、 「津軽海峡圏」の観光振興に限 「180万人都市」 「青函インターブロック」と 定されることではないが、観光資源の中では 言っても、それは、今や190万都市となった 優れて魅力的な温泉を取り上げ、「津軽海峡 札幌市や120万を誇る仙台市に比べれば、都 圏・温泉めぐり」を提唱している。ここにみ 市集積や産業経済集積などの面においてはる られるとおり、この圏域には、泉質は言うに かに低位にあり、広大な地域に180万人の人 及ばず、立地環境、自然条件、文化的歴史的 口が「散居」しているだけにしか過ぎないこ 環境条件などが異なる各種の温泉があり、こ とは前述したとおりである。そうした点から れらを他の観光資源と有機的、立体的に結合 すれば、差し当たっての課題として、この圏 することで、圏域内観光の活性化の一助とな 域内の経済・産業の基礎的データを把握して ることは確かであろう。「シンポジウム」「座 おくことも重要であろう。 談会」もこうした視点から読むことも可能で かかる視点から、「津軽海峡圏」の産業経 あろう。 済上のデータを整理したのが「高山」である。 同時に、この圏域の 4 大都市(青森市、八戸 (3)「津軽海峡圏」ブランド形成の可能性 市、弘前市、函館市)の都市特性にも触れ、 ―地域アイデンティティとの関連で さらに「100万人都市」構想の中で、それぞ 地域の一体性を醸成するためには、共通し れの都市や地域がその地域特性を発揮するこ た地域認識を有し、課題を解決していく方向 との重要性を指摘している。 性が示されなければならない。あるいは、こ 「竹内(慎)」は、 「高山」を一歩進め、 「津 の場合、 「津軽海峡圏」を構成する青森県と 軽海峡圏」=「180万人経済圏」を前提として、 北海道・道南における地域資源を、 「津軽海 観光業、製造業、流通業の 3 業種の可能性を 峡圏」の共有の資源として使用することで、 「津軽海峡交流圏シリーズ」を振り返って 9 新たな「ブランド」形成の可能性を具体的に の役割が重要であることは言を俟たない。市 提案したのが「高橋(公)」である。 場の開拓や新規に商品を開発する時には尚更 「高橋(公)」は、まず、2013年に開催され である。北海道新幹線開業により「津軽海峡 た「津軽海峡ブランド博」などを通じ、 「ブ 圏」が市場として現実味を帯びる時、この新 ランド」は消費者の認知によって成立するも たな市場に参入するか否かは、今後の企業活 のであるとの視点から、同ブランド博実行委 動を左右する一つの条件ともなろう。前述の 員会が「津軽海峡ブランド」を認定していく とおり、「野里」は、こうした視点から、青 ことを期待する。その上で、かかる「ブラン 森県内の企業が、北海道新幹線開業に併せ、 ド」が認定され形成されるに至るまでの経過 金融機関に何を期待しているかを質問してい として、 「津軽海峡圏」に位置する北海道道 る。回答を寄せた企業は、新たな「津軽海峡 南の知内町と青森県・今別町を事例として 圏」の形成に併せて企業活動の進展・拡大を 取り上げ、「ブランド」化という視点から両 企図しているものであると考えられる。した 町の地域資源とその位置づけを考察し、最後 がって、 「販路開拓支援」 「市場調査」 「情報 に、両町の連携による「津軽海峡ブランド」 提供」などを求める回答が多かったのは当然 構築を試論的に提案している。その場合、 であろう。金融機関がかかる役割を積極的に 「津軽海峡」が有する「イメージ」の重要性 講じることを期待するものだが、「竹内(紀) と、さらには、知内町の東に位置し北海道新 4」は、そうした課題を考える意味でヒント 幹線駅舎が設置される北海道木古内町、ある を与えるものとなっている。 いは、今別町に隣接する青森県外ヶ浜町との 「竹内(紀)4」は、 「津軽海峡圏」に拠点 連携の重要性を指摘している。こうした連携 を置く地域金融機関は、青森県と北海道道南 が、地域資源を補完し、情報発信を行うため においては地域金融機関の業態に若干の違い にも重要だとの認識からである。 はあるものの、「津軽海峡交流圏のお金の流 「高橋(公)」による具体的な提案が活かさ れに関しては、圧倒的に地域金融機関の役割 れるか否かは不明である。「ブランド」化は、 が大き」く、今後とも「地域に根を張ったリー 品質、市場性、継続性など、須らく「プレ ジョナルバンクとコミュニティバンク、すな イヤー」にかかっているからである。 「高橋 わち地域金融機関が津軽海峡交流圏の『金融』 (公)」が参考として掲げる大分県の「城下か の軸である」として、その果たすべき役割に れい」がいかなる経緯と尽力によって「ブラ 期待する。そうした認識に立って、青森県を ンド」となったのか、かかる事例を参考にし、 拠点とする「青い森信用金庫」と北海道道南 具体的かつ実践的な活動を通して「津軽海峡 の桧山地方を拠点とする「江差信用金庫」の ブランド」が構築されることを期待するのは 理事長にインタビューを試み、結論として、 「高橋(公) 」だけではない。 「津軽海峡ブラ 「津軽海峡圏」における企業はもともと資本 ンド」の形成がさらには「津軽海峡」のイメー 力が弱いことを前提として、 1 、金融機関が ジを高め、こうした取り組みを継承発展させ 地域情報を提供すること、 2 、融資に際し、 ることが「津軽海峡圏」アイデンティティを 企業の積極性を金融機関から引き出すこと、 形成し発展させていくことになる。 特に、地域資源を生かしたイノベーション、 経済圏の広域化対応、海外市場の取り込み、 (4)「津軽海峡圏」の経済産業と スモールビジネスのネットワーク化などを支 地域金融機関の役割 援することなどを提唱している。「津軽海峡 いかなる産業経済活動においても金融機関 圏」の金融機関が、こうした視点・認識から 10 れぢおん青森 2015・3 特 集 具体的な活動を展開することを期待したい。 新時代における 津軽海峡交流圏 なろう。要は、こうした周辺的な町村に新幹 線駅が設置されることを地域振興の「ビック (5)「周辺町村」における新幹線活用の ―奥津軽いまべつ駅の場合 チャンス」としつつも、その現実は極めて厳 しいからである。 前述のとおり、北海道新幹線開業ととも そうした中で、「竹内(紀)3」の調査に に、奥津軽いまべつ駅、木古内駅、新函館北 基づく提案は、新幹線駅の設置の有無に拘わ 斗駅の 3 駅が設置される。新幹線駅が設置さ らず、新幹線開業を睨んだ「周辺町村」の れる市町はいずれもが地域振興に向けた取り 振興策として意義のあるものである。「竹内 組みを急いでいる。特に、青森県今別町に設 (紀)3」は、北海道新幹線駅からは離れて 置される奥津軽いまべつ駅に関しては、前述 いる江差町、知内町、森町の 3 町と、駅舎が のとおり、青森県における「新幹線第 3 の開 設置されるものの、それほど大きな期待が持 業」と捉え、青森県や地元の今別町では、新 てない(?)木古内町を調査し、この「奥津 幹線開業と駅舎設置を契機とした地域振興策 軽いまべつ駅問題」に通底する課題を取り上 が講じられようとしている。しかし、冷酷な げている。そこでは、地域特性を活かした振 言い方になるが、それがどこまで可能か、青 興策の実行、資源の補完と役割分担、近隣町 森県民も疑問を持っているのが現実ではない 村との連携( 「ご近所付き合い」 )、さらにそ か。 れを前提とした広域連携の必要性が提唱され 「野里」は、こうした課題へのヒントを得 ており、各自治体が「身の丈」の振興と連携 る目的で、奥津軽いまべつ駅開業への関心度 を追及することの重要性を指摘している。 を調査したが、その結果、大なり小なり「関 現在、わが国には、東海道、山陽、九州、 心を持っている」県民は全体でわずかに20% 長野、上越、秋田、山形の各新幹線が開業し 程度であり、駅舎に近い地域を除くと極めて ているが、これらの新幹線の駅のうち、一日 少数でしかなかったことはその一つの現わ の乗降客が最も少ないのが東北新幹線岩手沼 れでしかない。 「座談会」でも、この問題も 宮内駅だとされる。もっとも、北海道新幹線 取り上げられ議論されている。その中で、仙 開業とともに、その「地位」を奥津軽いまべ 台市に住む宮曽根((公財)東北活性化セン つ駅に「献上する」ことになるとまことしや ター)は「今別町が単独でいくら頑張っても」 かに囁かれている。この「不名誉な地位」に ダメだとし、「もっとも大きな視点でまとめ 陥らないためにはいかにすべきか、厳しい現 ていく」必要性を主張し、高坂(青森県観光 実の中で、実践的な解決が求められている。 国際局)は、北東北をステージとする各種観 光資源の組み合わせを主張するが、蓋し当然 (6)基礎的資料としての のことだろう。しかし、これらを前提とし 『よくわかる道南の産業と経済』 た、具体的な形での奥津軽いまべつ駅と周辺 前述のとおり、青森銀行は昨年12月、 『道 町村の振興が提案されていないのが現実だろ 南の産業と経済』を刊行した。この資料はサ う。 「観光カリスマ」角田が「これからいろ ブタイトル「新幹線がむすぶ津軽海峡交流圏」 いろな所を私が行脚するしかないと思ってい が示す通り、 「北海道新幹線の開業により、 る」 「よろしければ皆さんもスポークスマン 青森・道南間の交通利便性が格段に向上し、 になって、 ・・・周りの人たちに還元して〔下 青森県と道南地域を合わせた180万規模の『津 さい〕」と、この「座談会」を締めているが、 軽海峡交流圏』における交流人口の増加や商 ある意味では納得(?)してしまうことにも 圏の拡大による地域産業の活性化が期待され 「津軽海峡交流圏シリーズ」を振り返って 11 る」ことを踏まえ、「津軽海峡圏」における JR北海道はJR東北や他の事業者と連携 企業活動を支援する目的で編集されたもので し、新たな企画を打ち出してきている。こう ある。「野里」「竹内(紀)4」で指摘され した事業展開と行政が策定する計画とは必ず ているように、「津軽海峡圏」を基盤とする しも一致するものではないが、いずれにしろ 事業者の多くは中小事業者であり、したがっ 民間の自主的・主体的な活動は極めて重要で て、新規の市場開拓や製品開発などには及び ある。今後の展開に期待したい。したがって、 腰である場合も多いとされているが、こうし 本来ならば、これらに関しても紹介しなけれ た事業者の声や意向を反映したものとなって ばならないところであるが、紙幅の関係で今 いる。 回は省略したい。最後に、以上の紹介で明ら 同行はまた、『青森県経済要覧』を毎年刊 かになった「津軽海峡圏」活性化のためのい 行しているが、その成果を踏まえ、 『道南の くつかの提案を行うことで結びとしたい。 産業と経済』では、単に北海道道南地域の経 済産業等を紹介するのではなく、青森県との ・ 「津軽海峡圏」における交流は、古来より 比較も行っている。取り上げられているデー 確実に進展してきたものであり、それぞれ タは、人口、経済力の水準(産業構造、産業 の時代における交流手段を駆使して、時代 別就業人口、主要 4 市の経済力)、財政、金 のニーズを充足する形で展開し発展させら 融、第 1 次産業∼第 3 次産業、観光、貿易、 れてきた。今日、「津軽海峡圏」交流を考 運輸、医療、 「道の駅」など、多方面にわたっ える時、北海道新幹線の開業は極めて重要 ている。さらに、末尾には「青函活性化ファ な交流手段を当該地域に与えるものである ンド」が紹介されている。「津軽海峡圏」を ことは確実な事実であるが、敢えて言うな ステージとして事業展開を行っている事業者 らば、あくまでも「手段」でしかないとい が、今後の商圏拡大や新規事業の開拓などに うことも事実である。 「津軽海峡圏」の振 当たって、 『道南の産業と経済』を参考に、 興と活性化に当たっては、この「手段」を 新たな事業活動を実践することを期待したい。 含め、当該圏域に、いわゆる「 2 次交通」 を含め、いかなる交通ネットワークを構築 おわりに できるかがカギとなろう。そうした際に、 以上、当研究所が行ってきた「津軽海峡圏」 航空路、フェリー、さらには各種の陸上交 に関する調査研究等を、筆者の関心に従って 通における利便性をどのような形で提供す テーマ別に紹介してきた。これまでの調査研 るのかが問われよう。また、これに合わせ、 究は不十分な点も多いが、北海道新幹線開業 当該圏域は、古来からグローバリゼーショ により、「津軽海峡(交流)圏」が「新時代」 ンに包摂されており、昨今ではさらにその を迎えるとの認識の下に、交流の拡大、地域 比重が高まってきていることも考慮すべき 振興、産業活性化など、 「津軽海峡圏」に求 であろう。 められている課題を前進させる視点からなさ ・ 「津軽海峡圏」における産業、経済、文化 れてきたものである。 などの諸活動は、昭和40年代から相対的に ところで、これとは別に、「竹内(紀)2」 低下してきたのは確かである。そのこと などにおいても紹介されているが、民間企業 が、当該圏域における交流の必要性を低下 においてはここ数年、「津軽海峡圏」を睨ん させてきたとも言える。そうした中で、北 だ事業展開や各種の支援事業などが行われて 海道新幹線の開業は、圏域内の時間的心理 いる。あるいは、北海道新幹線の運営主体の 的距離感を一気に短縮するものであり、圏 12 れぢおん青森 2015・3 特 集 新時代における 津軽海峡交流圏 域における一体性を醸成する可能性を有す 業エリアとしている鉄道運輸業者による新 るものであろう。しかしながら、これは必 たな活動はすでに実施されているが、さら 要条件を与えられたに過ぎず、十分条件は に、こうした事業者の活動に併せ、各種の 何ら生じてはいない。この十分条件をいか 運輸交通事業者、旅行エージェンシーなど にして創造するのかが問われている。各種 が一体となった活動が期待される。また、 イベントや事業、さらには「統一ブランド」 こうした活動が一般事業者にも何らかの形 の創造などを通じ、しかも、それを継続的・ で波及していくシステムの構築も必要であ 持続的に実施することで、 「津軽海峡圏」 る。ここでも行政の役割は大きい。しかし、 という統一された「イメージ」と、それに その場合、最終的には、民間の個別事業が 依拠する「アイデンティティ」の醸成が求 自己の果たすべき役割を認識し、その能力 められる。 を如何なく発揮できることが肝心であるこ ・ 「津軽海峡圏」は、札幌市、仙台市の中間 とは言うまでもない。 に位置する「180万人圏」であるのは事実 であろう。しかし、両者と明らかに異なる 北海道新幹線のみならず新幹線開業は、当 のは、この圏域は広大であり、しかも、都 該地域に多方面にわたって様々な可能性を与 市集積、産業集積が決定的に弱体であると えてくれるものである。しかし、止むを得な いうことである。この厳粛なる事実を認識 いことであるが、もう一面では、在来線の廃 した上で、当該圏域の振興と活性化の方向 止や「第 3 セクター」化などの負の面も有し 性を探るべきであるのは言うまでもない。 ている。だからこそ、新幹線開業を活用した そのためには、各都市、各地域の特性を如 地域振興が是非とも成功しなければならな 何なく発揮するとともに、交通ネットワー い。そしてまた、本誌が刊行される頃には北 クの構築や地域間交流と連携など各種の連 陸新幹線が開業する。石川、福井、富山の北 携と協力を積み上げることで資源の補完性 陸 3 県(「北陸圏」 )は、 「津軽海峡圏」に比べ、 を確立し、新たな付加価値を有する資源を はるかに優位性を有している。「北陸圏」の 創造していくことが肝要であろう。 巨大なうねりが「津軽海峡圏」形成を阻害す ・ 「津軽海峡圏」における事業者は中小事業 る危険性も指摘されるなかで、「津軽海峡圏」 者が圧倒的に多い。彼らの事業展開を支援 に位置する行政、企業、団体、個人は、これ する体制を官民挙げて構築していくことが と競争し、対抗し、あるいは協調しつつ、 求められる。行政、あるいは金融機関が果 様々なレベルでの連携と協調、相互支援など たす役割は極めて大きいことは確かな事実 を行うことで、創造的な地域活性化を図って である。こうした時にあって、当該圏域の いかなければならないのは周知の事実であろ 各種資源の発掘や「ブラシュアップ」の方 う。 策も具体的に提案することが求められよ 本稿を書き終えた時( 2 月14日) 、折しも う。事業者のニーズを汲み取った事業展開 北陸新幹線の乗車券が発売を開始した。金沢 が求められる。さらには、当該圏域の産業 発と東京発の一番列車の乗車券はわずか25秒 経済の状況や各種の資源調査も行政などに で完売されたと言う。およそ一年後の北海道 求められているのは言うまでもない。ま 新幹線開業に当たっても、まずは、同様な事 た、併せて、当該圏域と各種の資源に関す 象が巻き起こることを期待したい。 る情報発信も行政などに求められている。 ・JR東北、JR北海道など、当該圏域を営 「津軽海峡交流圏シリーズ」を振り返って 13
© Copyright 2024 ExpyDoc