イネ科植物の鉄輸送に関わるタンパク質の解析

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日本土壌肥料学会奨励賞受賞
イネ科植物の鉄輸送に関わるタンパク質の解析
Khurram BASHIR
1 .はじめに
鉄は全ての生物に必須の元素であるが,人間をはじめと
する動物は植物が土壌から取り込んだ鉄を栄養源としてい
る.鉄は土壌中には豊富に存在している.しかし,酸化的
な条件下では水に溶け難い三価鉄となるために,植物は利
用することができない.特に土壌がアルカリ性である場合
は,土壌溶液中に鉄はほとんど溶けないので,植物は鉄欠
乏となる.鉄が不足するとクロロフィル(葉緑素)の生合
成が阻害されるために,葉が黄白化する「鉄欠乏クロロシ
ス」という症状を呈する.生体内では鉄は多くの酸化還元
反応に関与している.ミトコンドリアの呼吸によるエネル
ギー生産では,電子伝達が重要であり,これを触媒する酵
素の活性中心として鉄は働いている.また,ミトコンドリ
アは,鉄を構成成分とするヘムや鉄・硫黄クラスターの合
成などにも関わっている.
2 .イネ科植物におけるデオキシムギネ酸合成酵素
(DMAS)の同定
土壌中の溶けにくい鉄を吸収するために,イネ,ムギ,
トウモロコシなど主要な穀物が属するイネ科植物は,キ
レート物質の「ムギネ酸類」を根から分泌する.
「ムギネ酸
類」は土壌中の鉄を溶かし,植物は「ムギネ酸類・鉄」と
して吸収する(図 1 )
.研究開始時点では,ムギネ酸類生
合成の最終段階を担うデオキシムギネ酸類合成酵素を除
いて,すべてのムギネ酸類生合成経路上の酵素が同定さ
れていた.本研究でデオキシムギネ酸合成酵素(DMAS)
遺伝子をイネ(OsDMAS1)
,オオムギ(HvDMAS1)
,コ
ムギ(TaDMAS1)
,トウモロコシ(ZmDMAS1)から初
めて同定した.これにより,ムギネ酸類生合成経路上の
すべての酵素の遺伝子を明らかにできたことになる(図
1;Bashir et al., 2006;Bashir and Nishizawa, 2006 ).
DMAS はアルド・ケト還元酵素ファミリーに属する酵素
で,イネ科植物間での DMAS のアミノ酸配列はとても
良く保存されており, 82∼97.5 %の相同性を示した.In
vitro での酵素活性検定では, pH 8∼9 で最も高い活性を
示した.DMAS 遺伝子発現は,鉄欠乏処理で上昇した.
イネの OsDMAS1 のプロモーター領域をレポーター遺伝
──
バシル クーラム;東京大学大学院農学生命科学研究科( 113
− 8657 文京区弥生 1 − 1 − 1 )
,現在,理化学研究所環境資源
科学研究センター( 230 − 0045 横浜市鶴見区末広町 1 − 7 −
22 )
子である GUS と接続し,イネに導入した.OsDMAS1 の
根での発現は,鉄十分条件では長距離輸送に関わる細胞だ
けに見られたが,鉄欠乏条件下では全ての細胞で見られた.
地上部では,特に鉄欠乏クロロシスを呈した葉の維管束で
発現が見られた.DMAS の同定は,イネ科穀物の石灰質
土壌での鉄欠乏耐性の上昇あるいは種子への鉄の高集積に
向けて重要なステップであった.
3 .フェノール性酸放出トランスポーター PEZ の同定
植物は細胞壁などに沈着した鉄を溶解して利用するため
に,フェノール性酸類も利用している.本研究で生物界で
初めてフェノール性酸放出のトランスポーター PEZ2 を
同定し,プロトカテク酸,カフェ酸を輸送することを明ら
かにした.PEZ2 遺伝子を欠損するイネでは,導管液中の
鉄濃度が減少し,細胞外で三価鉄の蓄積が観察された.こ
のことから, PEZ2 によって細胞外に放出されたプロト
カテク酸やカフェ酸が,沈着した三価鉄の可溶化に関わる
ことを明らかにした.可溶化された鉄は二価鉄に還元され,
OsIRT1 によって吸収されていることが強く示唆された
(図 1, Bashir et al., 2011a)
.
4 .ミトコンドリア鉄トランスポーター MIT の同定
細胞内に吸収された鉄が,ミトコンドリア内に取り込ま
れる時に働く鉄トランスポーターについては全くわかっ
ていなかった.このミトコンドリアの鉄トランスポーター
「MIT」
(Mitochondrial Iron Transporter)を,植物で
初めてイネから単離した(Bashir et al., 2011b;Bashir et
.まず, 3,993 系統のイネ変異体を探索し,鉄
al., 2011c)
が十分な条件で育てても,鉄が足りないときのように鉄欠
乏クロロシスの症状を示す系統を見つけ出した.このイ
ネ変異体を解析すると,その原因は一つの遺伝子の欠損で
あることが判明した.GFP 蛍光タンパク質を用いて調べ
ると,この遺伝子がコードするタンパク質は,ミトコンド
リアに局在することがわかった.また,この遺伝子をミト
コンドリアの鉄輸送を欠損する酵母の変異株で発現させる
と,酵母の生育が回復したことから,ミトコンドリアへ
の鉄輸送に働くことが明らかになった.そこで,この遺伝
子のコードするタンパク質を,ミトコンドリア鉄トランス
ポーター「MIT」と名付けた.MIT 遺伝子の発現が抑制
されたイネ(mit ─ 2)は,草丈や乾物重が低く,種子の収
量も約半分となった.さらに,ミトコンドリアおよび細胞
質の Fe─ S 酵素であるアコニターゼの活性が低下したこと
から, mit─ 2 植物体において Fe─ S クラスター合成が影
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日本土壌肥料学雑誌 第 84 巻 第 5 号 ( 2013 )
図 1 イネ科植物のムギネ酸による鉄獲得機構
植物生産性を上げることができれば,食糧の増産ばかりで
なく,緑化による大気中の二酸化炭素の減少,すなわち地
球温暖化防止や,砂漠化の防止などの環境問題への貢献,
バイオマス増産などによるエネルギー問題の解決にも貢献
することが期待される.植物に吸収された鉄の細胞内での
適切な分配を制御することは,農業生産を支える作物の生
育にとって重要であるばかりでなく,これを食糧とする
人間の健康にとっても重要である.MIT 遺伝子の発見は,
DMAS,PEZ や他の遺伝子の発見と共に,鉄分の高い栄
養価の食品を作ることにも大きく貢献できる.
図 2 mit─ 2 変異体での細胞内の鉄の分配異常と遺伝子発現
のモデル
響を受けたことが示された.ミトコンドリアを単離して金
属含量を調べたところ,鉄,マンガン,銅が低下していた.
マイクロアレイのデータも加えて, MIT ノックダウン植
物体におけるモデルを示す(図 2 )
.MIT をノックダウン
するとまず,ミトコンドリアの鉄吸収量が減少する.ミト
コンドリアの活性, Fe─ S 酵素の活性が低下することで植
物体の生育が悪くなる.次に,細胞質の鉄濃度が上昇する.
そして,通常のイネ(WT)では鉄過剰で発現する遺伝子
(液胞への鉄トランスポーターである VIT2 ,鉄貯蔵タン
パク質フェリチン)の発現が mit─ 2 では上昇し, WT で
は鉄欠乏で発現が上昇する遺伝子の発現が mit─ 2 では減
少する.細胞質で増えた鉄はフェリチンまたは液胞に輸送
される可能性が考えられる.これらの結果から鉄に関わる
遺伝子の発現は,細胞質の鉄濃度によって制御されている
と考えられる.MIT 遺伝子が完全に欠損したイネはミト
コンドリアが正常に働かないために,最後まで生育するこ
とができず,致死になるので, MIT 遺伝子はイネの生育
に必須である.
5 .おわりに
世界で最も多いヒトの栄養障害は鉄欠乏で,世界人口の
半分,約 30 億人以上が鉄欠乏性貧血症に悩まされている.
そして世界には,農耕地としては生産性の極めて低い不良
土壌が全陸地の 67 %も存在し,その約半分はアルカリ土
壌である.このアルカリ不良土壌においても画期的に高い
謝 辞:本研究は東京大学大学院農学生命科学研究科農
学国際専攻新機能植物開発学研究室において行われまし
た.博士課程入学から多大なるご指導をいただいた,西澤
直子名誉教授(石川県立大学教授)
,森敏名誉教授,山川
隆教授に深く御礼申し上げます.研究室の皆様には研究以
外にも日本での生活などご協力をいただきました.文部科
学省と日本学術振興会からは奨学金などの援助をいただき
ました.ありがとうございました.
おもな業績
Bashir, K., Inoue, H., Nagasaka, S., Takahashi, M., Nakanishi,
H., Mori, S., and Nishizawa, N.K. 2006 . Cloning and
characterization of deoxymugineic acid synthase genes from
graminaceous plants. J. Biol. Chem., 281, 32395–32402.
Bashir, K., and Nishizawa, N. K. 2006 . Deoxymugineic
acid synthase; A gene important for Fe–acquisition and
homeostasis. Plant Signal Behav., 1, 290–292.
Bashir, K., Ishimaru, Y., Shimo, H., Kakei, Y., Senoura, T.,
Takanashi, R., Sato, Y., Sato, Y., Uozumi, N., Nakanishi, H., and
Nishizawa, N. K. 2011a. Rice phenolics efflux transporter
2(PEZ2) plays an important role in solubilizing apoplasmic
iron. Soil Sci. Plant Nutr., 57, 803–812.
Bashir, K., Ishimaru, Y., Shimo, H., Nagasaka, S., Fujimoto,
M., Takanashi, H., Tsutsumi, N., An, G., Nakanishi, H.,
and Nishizawa, N. K. 2011 b. The rice mitochondrial iron
transporter is essential for plant growth. Nat. Commun., 2, 322.
Bashir, K., Ishimaru, Y., and Nishizawa, N. K. 2011 c.
Identification and characterization of the major
mitochondrial Fe transporter in rice. Plant Signal Behav., 6,
1591–1593.