自 然 豊 平 和 島 自 衛 隊 ミ サ イ ル 部 隊 い ら な い

奄美民報
自
然
豊
す
平
和
と
民
主
主
義
を
守
り
ま
を
つ
く
し
ま
す
。
大
切
な
命
と
く
ら
し
、
そ
し
て
議
席
を
奪
還
し
、
県
民
の
声
が
届
く
県
電 話 0997-52-1462
日本共産党奄美地区委員会は政策を発表しました
か
な
平
和
の
島
に
こ
う
じ
わたしの決意
政
、
県
議
会
を
実
現
す
る
た
め
に
全
力
2015 年 3 月号
奄 美 民 報 社 〒 894-0026 奄 美 市 名 瀬 港 町 4-7
ぶ
り
の
奄
美
に
お
け
る
日
本
共
産
党
の
私
は
、
中
村
安
太
郎
さ
ん
以
来
60
年
と
か
け
離
れ
た
状
況
に
あ
り
ま
す
。
見
ら
れ
る
よ
う
に
多
く
の
県
民
の
思
い
川
内
原
発
再
稼
働
に
同
意
し
た
こ
と
に
現
在
の
鹿
児
島
県
政
と
県
議
会
は
、
た
い
と
考
え
て
い
ま
す
。
議
会
の
場
で
そ
の
培
っ
た
力
を
発
揮
し
事
に
従
事
し
て
き
ま
し
た
。
今
度
は
県
て
住
み
続
け
ら
れ
る
ま
ち
づ
く
り
の
仕
平
等
の
医
療
の
実
現
や
誰
も
が
安
心
し
奄
美
医
療
生
活
協
同
組
合
で
、
無
差
別
い
」
の
理
念
を
掲
げ
奮
闘
し
て
い
ま
す
人
の
生
命
に
離
島
が
あ
っ
て
は
な
ら
な
自
衛
隊
ミ
サ
イ
私ル
は部
、
「
地隊
理
的
な
離
島
は
あ
っ
て
も
は
い
ら
な
い
あらた幸司プロフィール
○1951(昭和 26)年生
○出身
名瀬小宿
63 歳
○家族:妻
○県立大島高等学校卒業
○日本大学理工学部(2 部)卒業
○鹿児島医療生協・奄美医療生
協など医療機関で働き(32 年間)医療・介護・福祉の充実に奮闘
略歴
○奄美中央病院事務長
○奄美民主団体協議会事務局
○バス料金助成制度を求める会事務局長
○朝仁宮久田自治会長
現在
○日本共産党奄美地区副委員長
和
田
昭
穂
四
本
健
治
弓
削
政
己
山 満 益 東 昇
川
田
和 進 祐 隆 睦
子 吾 子 造 朗
笠
利
町
打
田
原
在
住
友
人
・
芦
花
部
在
住
郷
土
史
研
究
家
助
産
師
・
朝
仁
新
町
在
住
小
宿
在
住
奄
美
医
療
生
協
看
護
介
護
部
長
農
業
・
龍
郷
町
在
住
農
業
委
員
友
野
範
雄
奄
美
中
央
病
笠 院
利 院
在 長
住
杉 坂 川 大
原 本 上 野
雄
真 純
治 渉 理 一
奄
美
医
療
生
協
理
事
長
あ
(五十音順)
ら
江 碇 與
た
崎 山
幸
貞 利 美 期
信 江 和 待 司
獣 奄 友 奄
医 美 人 美
師 地 ・ 民
区 同 商
住 労 窓 会
用 連 生 長
町 事
在 務
住 局
長
名
瀬
生
健
会
会
長
奄
美
中
央
病
院
総
師
長
し さ
ま ん
す に