ご略歴

訃
報
中平健吉・北朝鮮難民救援基金の初代代表が逝去されました。
3 月 7 日心不全のため逝去され、89 歳の生涯を終えられたとの訃報に接し、きわめて悲し
く、寂しく、心残りでなりません。誕生間もない北朝鮮難民救援基金の礎たらんとしてお
働きいただいた献身を思い起こし、深く感謝いたします。今日、当基金が認定 NPO 法人の
地位を得ることができたのもまた、先生のこれまでの数々の献身的な働きの上になったこ
とと思います。これまでの労苦に謝意を表するとともに、ご家族の皆様に謹んで哀悼の意
をささげます。
中平健吉先生が記した足跡の全てを網羅することはできませんが、略歴を紹介し先生の
人生をともにたどりたいと思います。
1925 年長野県にクリスチャンの両親の下に生まれる。1945 年海軍経理学校卒。1946 年
8月、郷里の教会竜丘(たつおか)伝道館にてキリスト教受洗。1949 年、東京大学法学部
法律学科卒業。1951 年から 72 年まで裁判官として、岐阜地家裁、最高裁訟廷部付、盛岡
地家裁、大阪地裁、大阪高裁、函館地家裁、東京地裁、東京高裁に勤務。東京地裁時代、
家永教科書裁判担当(1970 年判決)
。1972 年、裁判官を辞し、弁護士となる。
思想、信条、表現、教育の自由、子どもの学習権などに熱心に取り組んだ人権派弁護士
として知られる。種谷牧師牧会権裁判、日立就職差別裁判、青山学院大学神学科訴訟、護
国神社への自衛官合祀拒否訴訟、内申書裁判、名古屋笹島日雇労働者越冬裁判、予防接種
事故集団(東京)訴訟、水戸中学体罰裁判、逗子市長の機関委任事務訴訟(いわゆる池子
弾薬庫跡米軍住宅建設阻止裁判)等々に力を注いだ。
本業以外に、人権 NGO の活動として 1979-1983 年アムネスティ・インターナショナル
日本支部長、1999-2006 年、北朝鮮難民救援基金代表として北朝鮮の人権侵害問題、脱北
者のシベリアルート、雲南省昆明ルートでの安全圏への救援に関わりました。
主な著作に「クリスチャン衛生兵 中平久良雄(なかだいらくらお)追悼集」
(編著・自
費出版)、「世に遣わされて」(新教出版社)、「看護専門職」(日本看護協会出版部)、「予防
接種事故訴訟から何を学ぶか『現代の裁判』
(新日本評論社)所収」、
「死刑制度『現代キリ
スト教倫理叢書』
(日本キリスト教団出版局)所収」などがあります。
学術的な功績は、また熱心なキリスト者としての姿の反映であるようにも思えます。
裁判官時代は転任により、日本各地の教会に所属し、信徒として熱心に奉仕し、弁護士
時代は訴訟事件を通して日本各地の教会、信徒と交わりを持ち、教派を超えて広くキリス
ト教界の交わりに生きました。そして 40 年にわたり「自由が丘キリスト集会」を主催する。
熱心なクリスチャン・兄の久良雄(くらお)の戦死を悲しみ、その信仰の志をついで生
きた生涯でもあった。故人は著書「世に遣わされて」の中で「兄は私の『一粒の麦』だっ
た。兄のことを抜きにして私の人生はない」と書いておられます。
なお告別式は 3 月 20 日午前 11 時、霊南坂教会(東京都港区赤坂 1-14-3)です。
特定非営利活動法人北朝鮮難民救援基金 理事長 加藤 博