秋季キリスト教強調週間 2015年10月21日(水)~23日(金) 講師のプロフィール 平良 修 先生 日本キリスト教団沖縄教区牧師 「沖縄を知る、日本を知る」 [略歴] 1931 1944 1950 1952 1959 1964 1966 〃 1974 2013 2015 特別講師 平良 修 先生 日本キリスト教団沖縄教区牧師 四国学院大学 宗教センター 沖縄生まれ。 沖縄県立宮古中学のとき台湾に疎開し、翌年敗戦。 琉球大学英文科入学。 東京神学大学に留学。 沖縄キリスト教団上地教会牧師。 東京・アメリカに留学。 沖縄キリスト教学院短期大学学長。 琉球列島米国高等弁務官就任式において「この弁務官が最後であるように」と祈り、 センセーションを巻き起こす。 日本基督教団佐敷教会牧師。 日本基督教団宮古島伝道所牧師代務。 日本基督教団無任所教師。学校法人相愛幼稚園理事長、NPO法人沖縄恨之 碑の会理事、その他。 [ご著書] 『沖縄にこだわりつづけて』(1993・新教出版社) 『小さな島からの大きな問い』(1998・新教出版社) 共著 『27 度線の南から―沖縄キリスト者の証言』(1971・日本基督教団出版局) 沖縄を知る、日本を知る 平良 修 日本キリスト教団沖縄教区牧師 ★ プログラム ★ 特別チャペル 秋季キリスト教強調週間(10:45~11:25 a.m.) 沖縄県の元知事が“知事にとって沖縄の心とは?”と尋ねられ、〝日本人に成りたくてなり切れない心“と答えた。日本人に なり切れないと言うのである。沖縄の人には自分のアイデンティティーに迷いがある。その原因の一つは、ヤマト日本国とは異な る沖縄の独自性にある。歴史(天皇制支配に全くなじみのない琉球王国 500 年の歴史)。文化(アジア諸国との交易の拠点 10月21日(水) として築き上げた、特異な高度の独自の文化)。言語(原日本語から別れ、日本語と肩を並べる一つの原語)。自然(日本 題 目 沖縄の心とは、日本人になりたくてなり切れない心(元沖縄県知事) 聖 書 詩編85:1-14 沖縄人が日本人になり切れない強烈なもう一つの理由は、日本国による国内植民地扱いに対する反発と不信。 21-419 琉球処分(1879)。琉球王国を亡ぼし、沖縄県として強引に日本に併合。琉球国は日本国によって塵やごみのように“処 讃 美 歌 国唯一の亜熱帯地域が生み出した沖縄の特殊性)。 分”されたり、処罰としての“処分”を受ける理由は全く無いにもかかわらず、この「琉球処分」の結果、それ以後の沖縄県史は 10月22日(木) 日本国による処分史そのものとなって現在に至る。 題 目 剣を鋤に、槍を鎌に-We 聖 書 イザヤ書2:4-5 を負わされ、そのための捨て石とされた沖縄地上戦。20 万人の死者(半数以上は民間人)を出した鉄の暴風。 21-419 第 2 次琉球処分(1952)。アジア太平洋戦争敗戦後、7 年に及ぶ連合軍による占領が終了し、日本国が独立を回復し 讃 美 歌 Shall Overcome!- 第 1 次琉球処分(1945)。日本本土と皇室防衛のための時間かせぎとして、一時間でも長く米軍をくぎ付けにする役目 たとき、日本国は沖縄を継続的米軍統治に人質として差し出した。「昭和天皇メッセージ」(1947)。 10月23日(金) 題 聖 目 書 讃 美 歌 第 3 次琉球処分(1972)。米軍の軍事圧政からのがれるため、平和憲法の日本国への復帰を圧倒的住民意志によって 沖縄を“太平洋の軍事的要石”から“万国津梁”へ 求めた結果、沖縄県へと回復された。しかしそれは沖縄が求めた米軍基地の完全撤去による不戦復帰ではなく、日米 -正義と愛とを洪水のように流れさせよ- 安保体制の拠点としての復帰だった。沖縄の意志に真っ向うから反する形の日本国への再併合。 アモス書5:24 第 4 次琉球処分(現在~~~)。世界一危険な飛行場と呼ばれた普天間基地の閉鎖に伴う辺野古の新米軍基地建 21-419 設。住民の 80%におよぶ反対抵抗を無視して辺野古建設を強行し続ける日本政府。民主党政権時の森本敏防衛大 臣の発言の意味するものは何か。“軍事的抑止力という意味では米軍基地は沖縄でなくてもいい。しかし政治的には沖 縄がいい。”日米安保体制を日本国防衛のために必要と考えている 80%のヤマト日本人が、にもかかわらず、そのための 公平負担を拒絶し、沖縄の不当過重な負担を良しとする政治と民意の現状。故に政治的には沖縄が一番いいとなる。 このしたたかな沖縄差別をどう克服できるか。“日本人とは何か。このような日本人ではないところの日本人へと自分を変 えることは出来ないか!”と繰り返し訴える大江健三郎氏に、ヤマトの同胞はどう応えることが出来るか。 “ヤマトの日本人が変わらないならば、沖縄が変わるしかない”との沖縄の思潮。 ――琉球民族独立総合研究学会の設立――をどう受け止めるか。詩編85:11が強調する正義と平和が融合する人間 講師を囲む学生のティー・タイム 社会を沖縄は切望している。人間にはイエス・キリストの十字架の贖罪死によって神による尊厳が付与され、打ち込まれている。 日時:10月21日(水)15:10~ それは人間の状況如何によって変わることのない不動のものである。そういうものとして、人が尊重される世界を沖縄を、われわ 場所:清泉礼拝堂 れは渇望する。預言者イザヤの“剣を鋤に、槍を鎌に”――人間破壊の道具である剣を人間共生の道具に切りかえるという神 どなたでもお気軽にどうぞ!! からの約束を我々は信じ求め、その実現のため共働する。人間解放の反戦歌“We Shall Overcome”は、その予言はすで に実現しているも同然、という神からの約束の確かさにおいて歌われる信仰告白の歌である。 沖縄は「太平洋の軍事的要石」を拒否して琉球国本来の姿である「万国津梁」を志している。それはまさに預言者アモスが 言うところの“正義と愛とが洪水のように流れる”人間の社会である。 日本国の構造的差別と圧力という不遇の中で望みつつ苦闘している沖縄を、自分のこととして正しく知ることによって、すべ ての日本人が沖縄を含む日本国のあるべき将来に目覚めることを期待して止まない。
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