文献紹介:谷岡武雄『聖徳太子の榜示石』

佐嘉藩と←八一村藩の、慶応四年の藩境絵図の詔違い問題を追究して
いるうちに、手書彩色で尺寸まで記入した丁寧在絵図にも、多く D
間 違 い が あ る こ と が 分 っ た 。 絵 図 を 売 る 場 合 K注 意 せ ね ば 念 ら ぬ 点
である。
薩長に喰らず、 百 草 諸 藩 の 指 導 者 や 重 役 。 多 く φ勤 皇 討 幕 に つ い
︹文献紹介︺
谷間武雄著
聖徳太子の携一京石
﹁ ほ う じ 同 し 一 と い う 名 称 を 謁 く コ 江 久 し ho 筆 者 ( 沼 介 者 ) が
それを表切に喝︺ハモσは 、 落 か 一 九 四 七 五
いか紹介者であ
ヴ心。
乏 に 士 る コ そ う 時 D著 者
工不ルギンユ
っ一つふ,壱努を示して下さった。
著 者 。 孜 々 二した立一元町考芝、
筆一者に哲史地理学
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それらに替ぜられ
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笠間河川一て一一六月三
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47Jは 筆 者 だ け で は 乏 か
)めても
一木知。古代世
一つ一心石が三れ程 JZで に 古 代 世 界 を 要 望 す る
て一つの著者に集大成するという著者。慎重な態度にも好意がもて
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製 シ ャ ン ポ リ オ ン で あ る。その石に題、心を抱いてから、 三O 年 に し
レンズの役割を果すとはわれわれは想像もしなかヲた。まざし︿和
とれか本書である。
ノを山古代への苫?を求める c
一木一豆、 同党結引の石氏至る主で、 限 v
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界 へ こ 誘 わ れ る で あ ろうご若苔ペ一調査一 K P A wて常に紙七心笠立患を払
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ろ一う。著者。数多 h著 書 が 、 そ れ ら を 初 語 る が 、 本 書 も ま だ そ 心 一
方去は精綾で手際良い
念行動、それに古代世界へ心室景は深︿、︹ず析は明噺であり、そ。
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鳴をいろいろこ即時同モコそれか-つぶや三、
でちる。条里遺者。汗一陥の畦砕を品、ダきでから、 著者から努一ボ石の説
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、 筆者はま芝山ι理学一を専,攻しようとして h た 学 生
であっえっその 頃
著者一合間宅生。撞
ての本音ば、 エ人ヨ一重親政。実現よりも、論功行賞により境、心を持って
保川・夢前川・市川流域。条里調査に田三及活一回政義氏と両行した際
九巻]年表
一一一八真
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い た 心 で は あ る ま 凶 か 、 と D疑 問 が 私 。 考 え か ら 消 え 乏 凶 。
西日本文化
一九亡二
松浦史料博物館蔵
笹原峠は多久預実にある
古賀敏朗﹁佐嘉大村藩境の神六一潜境塚の謎
一九七六
長崎県立図書館蔵
松浦史料等物館蔵
佐 嘉 護 家 老 大 配 介 二 一 七OC石
多久市立盟書館蔵
ナ)す) 佐 賀 県 立 ヨ 書 館 蔵
長崎県立図書館蔵
平戸領志佐田野宗村と佐賀領筋絵図
為取誉一一札井塚帳
大仏次郊﹃一六皇の世一期﹄朝日新閣社
一九七二
瀬戸臨時一部﹃長崎県の喧史﹄山川出版
城島正洋﹃佐賀県の摩史﹄山川出版
四人O 頁
一六O
良
一
一八五頁
中央公論社一九六六
一九七三
一九巻
一五八頁
著者の携一否。心多は、 主宰刊にも十八雪な刺載を与えた。筆者は卒業
- 19 ー
口
小西四郎﹃日本の歴史﹄
一九六六
中央公論社
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'
下
子
滝口康彦﹃佐賀県歴史散歩﹄創元社
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主
井上清﹃日本の歴史﹄ 二
O巻
七
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主
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E 8 B1
一九五七年)。な台、今は本
たので、条里調査の方法と士宮腹点を川区に問うここにした(藤間謙二
号 一 九 五 四 年 ) 、 きらげ一、当時条岡下一研究が全圏一的に箆んに左ってき
7 乏を調査し(地理学評論二七議]七・八
後 、 著 者 と 共K 東 播 平 野 の 1、
に余り類。ない持激であ二ハもこの点、著者谷間武雄教授は比較方法
になる。 こ 心 ょ う 左 観 点 は 著 者 。 最 も 得 意 と す る と と ろ で あ り 、 他
小・中・大地域へ解釈が及び、遂日にはグローバルな観ー烹からの分析
K 論 及 し て 凶 る c それらのず説明には、地域体系 K 沿うようにして、
朝会主田町明
を 恨 ま に 置 き な が ら 実 残 的 に 恋 史 地 理 学 Dるわ y方 に つ い て 、 静 か 左
人文地理学研究法
書によって傍一ポ石の全貌が明らかになろうとしているが、 か つ て は
警鐘を鳴らし続けているようK筆 者 ( 山 田) Kは本書から感じられる o
件一につ山て追究しようと
旨︺
農地改革前後における土地所有関保の変化
加されて盛会裡た終了凶たしましえ。
例会終了後、付近で懇親会が行をわれ、 米 合 会 長 も 運 々 広 晶 よ り 参
会 と 共 催 で 第 八 四 阿 例 会 が 開 催 さ れ 、 次 の 報 告 が あ り ま し た o なな
一月二七日、 白 本 大 学 文 理 学 部 に な い て 、 日 本 大 学 地 理 学
︹第八四冨用問会む報告︺
( B 6判 ・ 二 三 六 一 気 ・ 学 生 社 ・ 二 一C O円 ) ( 山 田 安 彦 ゾ
境 界 の 標 示 石 と い う こ と で 、 建々の説明を同期いた。ゆ一党界は領域・祈
有を明示する指示物であり、権利や財産を維持するために不動物と
し て 設 置 さ れ 、 宗 教 的 背 景 が 存 在 す る 場 合 が 多 U o ロ!?のテルミ
ロ!?のケントウリア景観。
本書一のシリーズ陀あるが、
む
ヌスの神話も、水︿口!?社会に根強︿影響している。この神話に関
達して、
した拙論(山石王子大学学芸学部研究年間帯二O 各 二 九 六 二 足 )
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に は 傍 一 不 石 の エ ピ ソ ー ド が 刺 哉 の 香 hノを宮町わせてくれ+一ことを忘れ
ももい。
そのようなことは筆者だけではない
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畏友桑原公徳氏が﹁地籍図﹂ K興 味 を 抱 く よ う に 左 ヲ た 。 も 、 実 は
著者谷問先生の播磨研究に端緒を求めることが出来る
一ふ-
地形や古絵図・地籍図・史料一台よび一信号宇などから湖及的 K 遣 及 す る
遺 物 ・ 遺 跡 が 消 滅 し て い る 場 合 が 多 く 、 池 表 面K 残 存 す る 遺 跡 の 徴
摘があるoこのよう左指摘をふまえ、愛付支配機構を解明するには
の農村K な い て 、 依 然 旧 地 主 属 国 の 影 響 力 が 強 く 働 い て い る と い う 指
る 一 連 の 改 革 ァ 仏 よ っ て 大 き な 変 容 を 遂 げ た o しかし、
著者は棟一不石を解釈する円一に、 斑 鳩 等 と 生 活 池 域 の 基 礎 地
生産力視点からの分析も必要でるる
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本報告では、埼玉県越ヶ谷市
るo こ の 場 合 、 従 来 の 土 地 司 有 規 模 K ょっ信分析のみならず、 土 地 の
小作等の久口階菅がどのよう左変動を行左ったかを分析する、必要があ
一方では今日
方法、すよ伝わち、歴史地理学的手中十一日か尊重される心である。そこで
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域から説明し、 さらに、聖徳太子と古代の開拓を論じ、組閣荘の盛衰
な台、
ないて、本書は歴史地理学を志す者にとって必読心書であごつう。
戦後の農村改廿阜の基底と左った農地改革にないて、地主、耕作地主、
日本農村の基本講造は第二次世界大戦後の護地改革をはじめとす
真
つ
地 籍 一 凶 の 利 用 を 上 手 に 熟 し え の が 、 著 者 谷 間 先 生 で あ る 。 この占山に
遠古の世界を探るには、遺物・遺跡によらなければならな凶が、
含
も
L:
要
- 20 -
郎
編