退化的進化とダークツーリズム

退化的進化とダークツーリズム
追手門学院大学
井出 明
はじめに
従来の旧自治省的発想では、
「地域は発展し続けなければなら無い」と考えら
れており、地域を縮小してその締め方を考えるような類の研究は、全く評価の
対象にならなかった。現在においても、“地域おこし”“まちおこし”には各種
のコンペや助成金が用意されるけれども、地域を縮小させるための方法を競う
という話は、少なくとも直接に受賞の対象となることは無いであろう。
とは言え、現実問題として、日本社会は縮小の方向に向かっており、伝統的
な経済発展の理論に基づけば、これは「退化」ということになるのかもしれな
い(注1)。ただし、この「退化」は、単にマイナスのイメージで捉えるべきでは
ない。地域経済が縮小し、人口や財政規模に比して適正な状況となった際に、
それは縮小均衡が達成されていると考えられるわけだが、このような状況が地
域の価値を却って向上させていると考えられるケースが散見される。また、発
生学における「退化」は、生物の進化の過程で不要となった器官が消失するこ
とを一般的に意味し、これは進化と退化という一見アンビバレントな存在が矛
盾なく説明できることを示しているi。筆者は、観光を視座として、地域の進化
についてこれまで幾つかの論考を発表してきた。その中では、地域がイノベー
ションを繰り返してより高い次元に生まれ変わる状況をオートポイエーシスの
理論などを軸に説明してきたが、近年注目を集めつつあるこの「退化的進化」
についても、地域の問題を説明する上で、大切な概念ではないかと確信してい
るii。本稿では、多くの事例を用い、一見したところ地域の衰退を見せているよ
うな状況が、実は「退化的進化」の途中の状態であることを論証するとともに、
「退化的進化」という概念がダークツーリズムと密接な関係を持っていること
も説明したい。
1.地域の多系的進化
地域の発展形態は、決して一様ではない。しかしながら、現状では地域の価
値もシーケンシャルなモノサシで測られ、県内総生産や有効求人倍率等がひと
り歩きしているというのが実態であろう。
仮に地域の発展がシーケンシャルであるとすれば、各地域には明確な序列が
生まれ、最終的に全地域が目指す形が東京のような経済都市や、もしくは文化
的の価値の高い京都のような都市を目指すことになってしまいかねないのであ
るが、東京と京都だけを考えても、その両者に優劣や序列があるわけではなく、
それぞれが独自の価値を持つことが分かる。
それぞれの地域が価値を持つとして、その成長や成長の方向性を考えた時、
やはりその過程も偶然やモデル化出来る周辺との関係性によって左右されるた
め、成長の結果はまさに複雑系とも言える多系的な進化となる。
そしてその進化の結果生み出された多様性は、社会全体や広く国土全体をあ
まねく支える可能性を持つ。これは、生物学における多様性の議論を応用する
ことで説明をつけることが出来るiii。仮に、都市や地域の発展が段階性を持った
一つのベクトルで表されるのであれば、その発展段階にそぐわない外的環境の
変化が起これば、都市や地域は全滅することとなる。逆に、多様な発展形態が
存在することを認めてしまえば、ある特性を持った都市や地域が、外的環境の
変化で絶滅することになったとしても、全く別の個性を持った都市や地域が発
展を続けていくため、広くマクロ的な視点からは望ましい状況となる。国や国
家共同体のレベルで都市や地域を考えるのであれば、多様性の共存こそがサス
テナビリティに繋がる(注2)。
2.退化的進化からの考察
複数の地域が全体として多系的な進化をとげるのは確かであるが、個々の地
域をミクロ的に見た場合、そこには「消失」やいわゆる「退化」が起こってく
る場合がある。
この内「消失」は、文字通り地域共同体が消えてしまうことを意味している
と言ってよいであろう。この地域の消失は、昭和 30 年代以降の北海道における
離農に増加に伴う廃村や炭鉱や各種鉱山の閉山に伴って居住者がいなくなって
しまった例など枚挙にいとまがない。筆者が、足尾銅山周辺に存在していた集
落やこれまでの論考で幾度と無く言及した紋別の鴻之舞金山などはその最たる
ものであろう。
ただ、この消失が何らの新しい価値も生み出していなかったのかといえば、
いくつか例外を認めることが出来る。例えば、長崎市の端島(軍艦島)は、完
全に居住者がいなくなった場所であるが、昭和 40 年代の状況が手付かずの状態
で見学できるため、非常に価値のある場所となっている。アメリカにおける各
種のゴーストタウンは、合衆国発展の歴史を考える上で重要な史跡となってお
り、こちらについてもその社会的意義は大きい。
もう一方の「退化」については、一段と多様な評価を下すことが出来る。大
分の豊後高田は発展の波に遅れてしまったことが却って幸いし、昭和の街並み
を有することが地域の価値を高めている。また、三井三池炭鉱を中心とする九
州の炭坑町は、エネルギー革命によって産業としては成り立たなくなり、人口
が減ってしまったが、多くの近代化産業遺産が残るとともに、その遺産群を核
に街のあらたなるブランドが形成されつつある。海外にも同種の例は数多くあ
り、エストニアの首都タリンは、ロシア革命後ソ連領になったため、こちらも
発展の波から取り残され、ソ連消滅後に西側に開かれた現在は、その独特の雰
囲気が多くの観光客を集めている。こうしてみると、一見「退化ではないか」
と思われるある地域の社会現象が、新たな価値を生み出していることはままあ
ることがわかってくる。
3.ダークツーリズムとの関係性
人類の悲しみの記憶をたどるいわゆる“ダークツーリズム”と呼ばれる観光
の手法は、ここまで説明した地域の退化的進化と密接な関係を持っている。ダ
ークツーリズムの対象地は、戦争や災害にまつわる地があげられることが多い
が、戦争や災害はその地域にとってその瞬間は間違いなく負のインパクトとな
っているわけで、順調な発展からは一時期はずれることとなるiv。このような状
況は、一見したところ“退化”に感じられるかもしれないが、通常の発展段階
とは異なる独自の価値を創出している例もある。
ダークツーリズムの概説書に必ずと言ってよいほど登場する広島について考
えてみよう。この街は、被爆のインパクトを受けた瞬間は、まさに通常の都市
の発展のルートからはそれてしまっていたはずである。しかし、広島は復興の
過程で平和都市としてのアイデンティティという新しい価値を生み出し、現在
世界的にその地位を確立しているv。
長岡についても、2004 年に中越地震を経験し、ボランティアのみならず外部
からの入込客が来ることによって地域が活性化したことが確認されているvi。
広島にしても長岡にしても、来訪者が訪れることでその地が持つ新しい価値
が伝播するとともに、来訪者が地域の価値を外から認めることで、地域の人々
は誇りを持てるようになる。負のインパクトを受けた地域を訪れるダークツー
リズムは、通常の発展過程からそれてしまった謂わば“退化現象”が見られる
地域に新しい価値を創出し、伝播させる助けとなっていることは疑いがない。
今後重要になってくるのは、このダークツーリズムの方法論をより明確に確
立させ、復興過程との関わりを論理的に解き明かしていくことであろう。特に
福島第一原発の事故後、福島は海外からは「人が入れないところ」というモン
スター的な認識がまかり通るようになってしまっており、この誤解を解くため
にはツーリスト受け入れていくことが大切になってくる。原子力災害がなぜ、
そしてどのように起こり、地域にどのように影響したのかということを、ツー
リストが感じる仕組みと仕掛けが必要となるが、具体的な手法を考える上では、
チェルノブイリをはじめ、水俣や前述の広島等の経験を再検討することが重要
な作業となってくるviiviii。そして、この作業は取りも直さずダークツーリズムの
理論的な体系化に繋がることとなる。ダークツーリズムは、負のインパクトを
受けた地域を扱うため、現実の地域や社会から切り離して検討されるべきでは
なく、理論化の過程においても現実との適合性を意識して考えていくべきであ
ろう。さもないと、ダークツーリズムの概念や方法論が地域から受け入れられ
ないこととなり、この新しい旅の形態は学者・研究者の観念上の遊戯に終わっ
てしまいかねない。
観光の理論は、現実社会から超然として正しいものが存在するというわけで
はなく、それぞれの地域を鳥瞰的に説明しうるものでなければならない。また、
そこには説明しきれない例外が現れてくることも必然として受け入れることが
肝要である。現れた例外をさらに理論的に説明しようと試みることで、理論は
深まりを見せ、その理論は新しい地域開発の現場で応用されていくことなる。
観光の理論と実践は、一般にこの現場と机上のトライアル&エラーの関係にあ
ると考えられるが、地域の悲しみの記憶を扱うダークツーリズムについては、
現場や地域との融和を保つことが一層重要となるため、学術と実務の高次の統
合が必要となってくる。
4.総括
本稿では、一見したところ発展とは考えられない方向への地域の変化が、実
は生物学における「退化」のように新しい価値を作り出す可能性について考え
た。実際の地域においてこの現象が生じていることは誰もが直観的に感じるで
あろうが、理論的には未だ解明されていない。また、この地域における退化的
進化の過程で、ツーリズムや来訪者が重要な役割を果たすことも確かであるが、
この論点についても理論的考察は十分ではない。
今後は、地域における退化的進化の意味内容を明確化していくとともに、ダ
ークツーリズムの方法論が、具体的にどのように適用されていけばよいのかと
いう点に関して、将来を見据えた議論を構築していくべきであろう。
(注1)本稿においては、
“進化”と“退化”という言葉の意味をまずはっきり
と明らかにする必要がある。
“進化”は、生物学における有力説において「突然
変異と自然選択の結果」であると解釈されているが、本稿においては、冒頭で
「地域の発展」という叙述を用いていることから、ほぼ“発展”と同じ意味で
用いるix。また、
“退化”についても生物学の世界では、
「変化のバリエーション」
として捉えているが、本稿では「予想された発展と違う方向への変化」として
考えることで論理的整合性を図る。
(注2)生物多様性の概念の社会科学への応用は、まだあまり研究が積み重な
っていないが、生物多様性が高い生態系であるからといって、必ずしも生産性
の高い生態系になるとは限らない点については、経済学を含めた社会科学に対
して大きなヒントを与えるのではないかと考えている。サステナビリティと生
産性の高さが必ずしも一致しないということは、直観的には把握しているもの
の、理論的に説明することはこれまで難しかった。生物学や生態学におけるこ
の分野の研究の発展を注視したい。
【謝辞】生態系に関する論点については、鳥取環境大学の角野貴信准教授から
有益な示唆を頂いた。篤く謝意を示したい。
本研究の経費の一部は、科学研究費基盤研究(C)「東日本大震災後の観光地
の現状と復興に関する研究 (研究代表 麻生 憲一)」、科学研究費基盤研究(C)
「日本型ダークツーリズムの確立と東北の復興を目指して(研究代表者 井出
明)」および日本私立学校振興・共済事業団学術研究振興資金「悲しみの承継と
ダークツーリズム(研究代表者 井出明)」によって賄われている。
i 犬塚則久『「退化」の進化学 ヒトにのこる進化の足跡』pp.16-19,2006,講談
社
ii 井出明「次世代観光情報システムの目指すべき方向性」
『情報処理学会研究報
告. EIP, [電子化知的財産・社会基盤]』2006(128), pp.99-106, 2006,情報処理学
会
iii 佐藤孝宏「生命圏総合指数とその構成要素」
『生存基盤指数 —人間開発指数
を越えて−』佐藤孝宏他編,pp.87-105,2012,京都大学学術出版会
iv 井出明「ダークツーリズムから考える」
『福島第一原発観光地化計画』東浩紀
編,pp. 146-157,2014,ゲンロン v Lennon,J & Foley,M “Dark tourism— the attraction of death and disaster”
2000, CENGATE Learning
vi 杉崎 康太・田口 太郎「地域復興支援員による集落活動拡大の過程における
継続支援の役割に関する研究 : 集落復興活動における人的支援の可能性 その
3」『学術講演梗概集. E-2, 建築計画 II, 住居・住宅地, 農村計画, 教育』
pp.567-568, 2011,日本建築学会
vii 東浩紀編著
『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』
2013,ゲンロン viii 井出明「日本型ダークツーリズムの可能性 ―−戦争・災害・環境の視点か
ら―−」
『観光・余暇関係諸学会共同大会学術論文集』第 4 号,pp.9-15,2013,観光・
余暇関係諸学会共同大会学術論文集編集委員会
ix ドーキンス,R「デザインされたものと「デザイノイド」
」
『進化とはなにか ド
ーキンス博士の特別講義』吉成真由美編・訳,2015,早川書房