祝い目出た 祝いめでたナ 若松様よ 若松様よ 枝も栄ゆりゃ 葉もしゅげる〜 メモ る」 という言葉は使わない。 (玄関を)閉めるに聞こえて縁起が 悪いとされたからだ。 その代わり、 「入れる」 という言葉を使う。 「お客さんをいつでも招き入れる」 という意味だ。商都の風土 を感じる言葉の使い方である。 博多祝い唄とセットで宴席で行われるのが「手一本」。 「よ〜お、 シャンシャン、 ま一つ、 シャンシャン、祝うて三度、 シャシャンシャン」 という独特のリズムは、転勤族が宴席などで初めて触れる博多文化 と言ってよい。手一本はその他の地域の三本締めにあたるが、 「締め ♪エーイショーエ エーイショーエ ショーエ ショーエ ア ションガネ アレワイサソ エーサソエー ショーンガネー こちの座敷は祝いの座敷 祝いの座敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ〜 (以下、前と同じ) こちのお庭に井戸を掘れば 博 多でうたわれ始めた時期は よくわからないが、大正初期まで くずし」といった唄が同様だ。 には独特のリズムである「博多手 同じ歌詞でありながら、現在のも 博多の祝宴や祭りの最後にうた われる「博多祝い唄」 。唄の最後 一本」が加えられることが通例と 場面に応じて変わる。博多を代表 結婚式、博多川船乗り込みなど、 は「博多の人はさまざまなものを る博多那能津会の岡部定一郎会長 たという。博多の唄を継承してい なっており、歌詞は博多祇園山笠、 のとはまったく異なる節も存在し する唄として知られる。 レンジしている」と話す。 る。江戸時代、庶民は人生に一度 山笠の一番山笠が櫛田神社に入る、 博多祝い唄がうたわれる場面で、 もっとも 有 名 なのが、博 多 祇 園 博多祝い唄も伊勢音頭をうまくア アレンジしてバリエーションを作る。 冒頭の「祝いめでたナ、若松様 よ」 二番の「こちの座敷は 祝 いの座敷」の二つの歌詞は、どち で良いから、お伊勢参りがしたい いわゆる「櫛田入り」の時だ。七 らも「伊勢音頭」が元唄と言われ という願いを持っていた。人々は 何人かで伊勢に向かった。参詣を の場面は大変迫力があり、山笠を 一番を手拍子と共に大合唱するこ 積み立てをして、 「伊勢講」を作り、 つの流れを代表して博多祝い唄の 終えると、その夜、宿では目的達 の歌詞を日記に書いたものの、地 伊勢音頭の素晴らしさを知り、そ われるようになったのは明治に入 を持つ山笠で、博多祝い唄がうた だ、岡部会長によると、長い歴史 成の打ち上げが行われた。そこで、 代表する場面として知られる。た 元に帰ると節が思い出せない。そ だけが異なる唄があるのはそのた 全国に同じ歌詞でありながら、節 つのまにか定番化したという。 としてうたわれるようになり、い こで、その土地土地の節で唄った。 ってからとのこと。神事の事始め めだ。博多祝い唄もその一つ。他に 戦前までは基本的に男性しか唄 わなかったが、戦後には宴席など も仙台の「さんさ時雨」 、 岩手の「金 る。九州でも「九州佐賀漫才」 「諫 岡崎の「五万石」など、数多くあ とも言える。 が好きな博多人気質が表れている た。新しいものを取り入れること 堀唄」 、 東京の「江戸小唄」 「さわぎ」 、 で女性も頻繁にうたうようになっ 早のんのこ」 「柳川祝い唄」 「万才 Zaikai Kyushu / FEB.2015 155 井戸を掘れば 水は若水 金が湧く (以下、前と同じ) 取材協力/博多古謡那能津会 (22)
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