春日総長、中村院長、ベトナム、ホーチミンを行く 今回は、ベトナムに春日総長と中村院長が揃って訪れた。二人揃っての途上国訪問は、 おそらく初めてだ。目的は、南部ベトナムの大都市ホーチミン市(昔の南ベトナムの首都 サイゴン市)にある大病院、チョーライ病院と NCGM が協力協定を締結するためだ。 車で空港からホテルを目指す。空港はきれいで、空港からの道はずっと町中を走る感じ で、田園風景はほとんどない。 「ここの第一印象は、電線が多いことですねえ」 これが、車中の最初の春日総長の言葉だった。しばらくして 「この町はきれいですねえ。ゴミが落ちてないものねえ」 と、中村院長が答えた。 本格的な市街地に入ると、道路に沿って太めの並木がまっすぐに立ち上がり、その木と 木の間を束ねた電線が渡ってゆく。並木道は、フランス統治の影響だろうか。 夜になってもこの街はどこもかしこも明るい。ブティックに靴屋、お菓子屋、オートバ イの部品屋、金物屋、携帯電話販売店、雑貨屋、歩道にはみ出して簡単な椅子を並べた食 堂、もっとおしゃれなレストラン、何のお店かよくわからないお店。ときにコロニアル風 の白っぽい漆喰を塗った建物やベトナム調の木造の建物もある。そんな至る所から電気の 光が漏れ、その中をオートバイが洪水のように流れてゆく。何か活気があって、何か懐か しい。 翌日、我々が向かったのは、南部ベトナムで第一の病院、チョーライ病院だ。チョーラ イ病院は文字通り大きい病院だ。1800 床の病院とは言え、実質、2400 名ほどが入院してい るという。つまりはたくさんの患者さんたちが、廊下に並んだベッドにも寝ているし、中 には1台のベッドに 2 人や 3 人の患者さんが寝ているところもある。だから、雨が降れば ガラスのないベランダの窓側の青と白の縞模様のビニールシートを降ろして、雨の吹き込 みを防ぐ。一方で、その設備は CT や MRI、透析機材などかなりの医療機材が入っている が、他方では、日本では使い捨ての透析用フィルターを洗って再利用しているそうだ。途 上国では珍しい患者さんたちへの給食も出す一方、このような状況でもあるわけで、何か チグハグ感が拭いきれない。 地方病院の状況はどうだろう。チョーライ病院の好意で、車で 2 時間ほど行ったドンナ イ省病院を訪問することができた。院長先生は昨日まで日本で研修を受けており、NCGM でも受け入れた方だった。ベッド数は 1100 床。外来も入院も、統計上かなりいることが推 測された。我々が訪問したのはすでに午後だったので、チョーライ病院とは違って、外来 患者は誰もいなかった。病棟はというと、やはりチョーライ病院とは大違いで、廊下に患 者さんは溢れかえっていなかった。CT もあり、MRI もあった。透析もベトナム国内で 5 番目くらいの規模を誇る。ここでは、以前見た北部のバクマイ病院の透析センターとは違 い、機材で壊れているものはなかった。奇跡的と言えば奇跡的だ。ここドンナイ省は、経 済特区もできて、日本の企業も進出する中で、外国企業に雇われたベトナム人たちも多く、 適切な医療サービスの提供が望まれているところでもある。 旧、南ベトナムの首都サイゴンの名前をいだくサイゴン川。ベトナム戦争当時、新聞記 者だった開高健や近藤紘一らがここにいた。その川の上に何隻もの大型船が停泊している のが見える。茶色い川を行き交う小舟。その間をいくつもの水草の束が浮かびながら、ゆ ったりとした時の流れのように流れてゆく。川の向こう岸は、緑の生い茂るジャングルの 一部だ。だがその向こうも、左手奥に見える大型船の向こうにも、高層ビルがいくつも立 っている。 きっと、ベトナム戦争当時、こんな高いビルもなく、対岸もジャングルに覆われていたに 違いない。開高や近藤らはここで本当は何を見たのだろう。そしてベトナム戦争当時、大 学医学部生だった春日総長と中村院長は、今ここで何を見ているのだろう。 二人は、朝日の中で目を細め、遠くサイゴン川の向こうを見やった。 文責:国際医療協力局 明石
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