Title カウンテイ・カレン : ジョン・キーツに私淑した黒人詩 - HERMES-IR

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カウンテイ・カレン : ジョン・キーツに私淑した黒人詩
人
斎藤, 忠利
一橋論叢, 93(1): 20-38
1985-01-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/11265
Right
Hitotsubashi University Repository
第1号 (20)
第93巻
一橋論叢
カウンテイ・カレン
斎 藤
論の中で、二人の黒人詩人、カウンテイ・カレン︵OO昌.
の伝統を受けついで、いくつかの名作を残していること
キーツの影響を仔紬に検討することはできないが、現代
人であるので、カウンテイ・カレンの詩作品に見られる
残念ながら私は、ジヨン・キーツに関しては全くの素
とに言及したことがある。この二人が果たして、あるア
のロマン派の掃憎詩人ジヨン・キーツ︵﹄〇一≡六墨ε︵一
かどうかは、いささか凝間であるが、カレンはイギリス
れた﹁二人の大詩人﹂︵、↓老O勺O警09竃房二︶と呼べる
人詩人を紹介しようとする、ささやかな試みである。
ことは、特筆に値いする。以下の小文は、そのような黒
作にあたってキーツの詩に追ろうとした詩人が存在する
アメリカ黒人の中に、ジ目ン・キーツに私淑し、その詩
他方、ヒューズはウォルト・ホイツトマン︵ξ巴け妻巨淳.
七九五−一八二一︶に私淑して、定型詩の伝統を守り、
^2︺
メリカの研究者が言うように、アメリカ黒人の間に生ま
ヒューズ︵■弩oqg昌︸自管g︶︵一九〇二−一九六七︶
^1︶
は誰しも認めるところであろう。
グ︵o胃一㎝害害膏的︶︵一八七八−一九六七︶の自由詩
∋彗︶︵一八一九−一八九二︶や力ール・サンドパー
ージ目ン・キーツに私淑した黒人詩人1
かつて私は、一九二〇年代のアメリカ黒人の芸術運動
利
8①o昌雪︶︵一九〇三−一九四六︶とラングストン.
﹁ハーレム・ルネサンス﹂を担った作家たちを論じた拙
忠
20
(21) カゥンテイ・カレン
水
* 牝
ようになっている。詩人としてのカレンは、全くの
保守派であり、韻律的な詩行と技巧的な押韻を愛好
するが、そのような枠に縛られたいとは恩わない詩
人たちの長所に対して盲目であるわけではない。ま
た、カレンは、かりにも自分が冒険に出ることを望
ことを知っており、そのことを実に有難いと感謝し
むならば、この世界には選ぴとれる遺が数多くある
ている。ひょっとして友人たちの中には何度も聞か
されて、うんざりしている者もあろうが、カレンは、
自分の作品になにか美点といえるものがあるのなら、
すものであって欲しい−人種的考慮からその美点
それはあくまでも詩人の表現として作品から流れ出
ろでは、その問趣が解決可能であるという確信をも
の太陽﹄︵o︷、ミい§︶。
ド﹄︵﹃ぎ宙ミミ県き雨里、o§一3ミ︶およぴ﹃赤銅
^3︶
既刊の著作は、﹃色﹄︵9ミ︶、﹃褐色の娘のバラー
て傭われている。
ミミ亨﹂言ミ§ト県≧売ミト害︶の副編集長とし
カレンは﹃黒人生活雑誌、オポテユニティ﹄︵Qミo、−
たが、今でも、その考えは変わっていない。現在、
が補強されるようであってはならない、圭言ってき
は、自分の受けた学校教育がいずれも黒人挙校のも
こ とには、まぎれも な く 反 対 し て き た の で 、 カ レ ン
授与され、いかなる形であれ人種隔離を強いられる
鮒銚破︺の鍵︹飲勤会︺を、ハーバード大学からは修士号を
学士号とフアイ.べータ.カツパ︹卿り判勧ψ徹鮮釦補鰍徽
高等学校で教育を受け、ニュー・ヨーク大学からは
つには至っていない。ニュー・ヨーク市の小、中、
るという問趨であったが、これまで生きてきたとこ
は、キリスト教的な養育を異教的な傾向と調和させ
育てられたので、カウンテイ・カレンの主要な間題
れ、メソディストの牧師館の保守的な雰囲気の印で
一九〇三年五月三十日にニュー・ヨーク市に生ま
た 短 い自己紹介の一文 が あ る の で 、 引 用 す る と ー
することにしたいが、カレン自身が二十四歳の折に書い
先ず 、 順 序 と し て 、 カ ウ ン テ イ ・ カ レ ン の 略 歴 を 紹 介
牝
のでなかったことを、ますます残念なことだと思う
〃
米
第1号(22)
第93巻
一橘諭叢
な内容をもつものがいくつも見られるのは、上述したカ
う詩人の姿を描く作品など、ペシミスティツクで厭世的
匝ξ、ω9崖二︶や、のちに詳しく論ずるように、死を願
?︺
このようなカレン自身の言葉にも拘わらず、カレンの
5宛oく勺o碁雪︶と言い、幼い頃に父親と死別し、父の
れた時の名をカゥンテイ・リロイ・ポーター︵Oo冒需o
言っている。こうした事態が生じたのは、カレンは生ま
テストで一等賞を獲得して、評判となった。︹因みにこ
連盟﹂︵︸&串き昌艮ミO昌彗,蜆〇一旨眈︶主催の詩のコン
ランデブー﹂︵、=庁、蜆内竃宗ミO嘉、︶は、﹁女性クラブ
に詩を発表、同じくこの文芸誌に発表された詩﹁人生の
らその編集に当たっていた文芸誌﹃マグバイ﹄︵ミ§s
ドウィヅト・クリントン高校では優秀な成綾を修め、自
テイは、その才能を伸ぱし、進学したニュー.ヨークの
しかしながら、カレン牧師夫妻の養子となったカウン
い。
レンの出生の秘密や不幸広生い立ちと無関係ではあるま
出生地とその生い立ちについては不分明な点が少なくな
く、出生地に関しては、ニュー・ヨーク、ボルティモア、
ケンタッキー州ルィーズヴィルの三説があり、最新のカ
ウンテイ・カレン論の著者アラン・R・シャカード︵≧竃
肉・ω巨sa︶は、カレンの未亡人からの手紙で得た情報
によって、ルイーズヴィル説が恐らく正確であろう、と
死後、女手ひとつで育てられたが、母親も死亡して孤児
の詩は、その当時、戦争詩として話題を集めたアラン.
^4︺
レンは父方の祖母に育てられ、その祖母が死亡したため、
となったため1カレンの未亡人の言うところでは、カ
シーガーの﹁ぼくは死とランデブーする﹂︵≧竃ω鶉閑員
、H江凹<o串射①■ρsくo冨ξ津すU塞旨、をもじったもの
一九一八年、カレンが十五歳の時、ハーレムでは最大の
で、その後、カレンはこの詩を書き改め、﹁ぽくは人生
黒人教会、セイレム・メソディスト・監督派教会の牧師
フレデリック・アズベリ・カレン ︵句竃ρ①ユo斥>眈σ目﹃く
とランデブーする﹂︵、H曽竃Oρ肉9宕NくO嘉三;■豪、.︶
に収録している。︺
^6︺
と題して、カレン自身の編集した黒人詩のアンソロジー
○邑9︶夫妻の養子となった、という事情によるところ
が多い。カレンの作品の中に、生まれてくることを喜ぱ
れなかった黒人農夫の子を扱う﹁土曜日の子﹂︵、ω牡胃.
朋
(23) ヵウンテイ・カレン
ニュi.ヨーク大学でのカレンは、白人学生たちと伍
して一歩もひけを取らず、優等賞の栄誉を受けて卒業す
るドゥ.ボイス博士は、今世紀最大のアメリカ黒人解放
運動の指導者であり、その女婿として選ぱれたことは、
よく物語っている。また、多くのお祝い客を集めたカレ
カレンが如何にその将来を嘱望された詩人であったかを
の処女詩集﹃色﹄︵9ミ︶︵一九二五︶が出版されてい
ンとヨウランドの結婚式は、ハーレム界隈ではその比を
るが、この時期のカレンについて特筆すべきことは、そ
ることである。詩集﹃色﹄は、ラングストン・ヒューズ
︵一九二六︶と共に、﹁ハーレム・ルネサン又﹂を代表す
ぱしぱ、その当人にとって精神的な負担となるものであ
一般的に言って、過大な期待を寄せられることは、し
見ない一大イヴェントであった、圭言われる。
る、正に記念碑的な作品であって、この時、カレンは二
るが、カレンほどの人物においても然り、と言うべきか、
の処女 詩 集 ﹃ も の 憂 い ブ ル ー ズ ﹄ ︵ § 雨 ミ § ミ 吏 § ︸ ︶
十二歳の若さであった。
集﹃色﹄の水準を陵駕する作品を生み出すことができな
ヨウランドとの離婚後のカレンは、詩作の上でも処女詩
ニュー.ヨーク大学卒業後、ハーバード大学の大学院に
かった。それは、ひとつには、イマジストや、T・S・
このように華々しく詩人としてデビューしたカレンは、
進み、フランス語専攻の修⊥⊥号を受けたのち、﹃オポテ
エリオヅト︵H、ω。巨一〇叶︶︵一八八八−一九六五︶、エ
ズラ・パウンド︵一八八五−一九七二︶などによって
ニニアィ﹄誌の副編集長となり、同誌のコラム﹁暗い
塔﹂︵.。↓ぎU胃斤↓O婁睾二︶を担当した。
代表される現代詩の革新を尻目に、英詩の伝統を墨守し
市のフレデリソク.ダグ一7ス中学校で教壇に立ち、英語
に滅少し、一九三四年以降、カレンは、ニュー・ヨーク
また、詩の質のみならず、カレンの詩作の量も年と共
のかも知れ⊥ない。
ようとしたカレンの保守的な婆勢が災いした、と言える
その後、一九二八年にカレンは、W・E・B・ドゥ・
ボイス︵奏・貝申∪自缶oげ︶︵一八六八−一九六三︶
の娘、ナイナ・ヨウランド・ドゥ・ボイス︵;量くo−
一竃ま−︶目由oεと結婚する。この結婚は、二年後には破
局を迎えてしまうが、古典的な名著﹃黒人の魂﹄︵﹃ぎ
い§㌻県雲§却きδ︵一九〇三︶の著者として知られ
鯛
一橘論叢 第93巻 第1号 (24)
とフランス語を教えている。そして一九四〇年にカレン
は、アイダ・メイ・回バーソン︵5簑峯器勾oσo易o目︶
と再婚するが、一九四六年に尿毒症で死去する。享年、
﹁黒人詩﹂というジャンルに限定させまいとするところ
にあり、そのような立場を、自ら編んだアンソロジーの
る詩のアンソロジー﹂︵、彗竃葦〇一〇〇肩×O︷く弩器ξ之魂﹃O
一〇〇司︸ohz晶旨く①易耐二︶とする代わりに、﹁黒人詩人によ
サブ・タイトルを﹁黒人詩のアンソロジー﹂︵、冒彗艘o.
﹃色﹄以後のカレンの作品は、詩集としては、﹃赤銅の
ンソロジーの﹁はしがき﹂で言う−
勺ogm、︶とすることによって示した。カレンは、このア
四十三歳であった。
太陽﹄︵一九二七︶、﹃褐色の娘のバラード﹄︹古いバラー
混乱を招くであろうからだ。ソヴィェト詩、フラン
ぷことにした。前者の呼称は、正確であるどころか
は、むしろ、黒人詩人による詩のアンソロジーと呼
私はこの選集を黒人詩のアンソロジーというより
ドの再話︺︵一九二七︶、アンソロジー﹃うたう黄昏−
黒人詩人による詩のアンソロジー﹄︵oミ§轟b§ぎ\ミ
\ミぎざ窒呉、ミ竃∼≧舳雫o,o募︶︵一九二七︶、﹃黒
いキリスト、その他の詩﹄︵﹃ぎ隻§杏9ミ包§包9“ミ
、o§︸︶︵一九二九︶、翻訳詩を含む﹃ミディアと若千の
ス詩または中国詩を話題とするような意味で黒人詩
詩﹄︵−ぎミ辻§§&ぎ§、§妻︶︵一九三五︶、カレ
と言うと、それは我々自身の言葉ではない言葉で書
かれ、わが国以外の国から生み出されたものに違い
ンが生前、自作の中から選びな。がら死後出版となった
ない“と私には恩われるのだ。さらにその上、黒檀
自選詩集﹃これらの詩篇に依って立つ﹄︵oミド膏急−
9§軋︶︵一九四七︶があり、小説作品として﹃天国への
のように黒い詩的霊感の噴出を黒人による詩歌がす
思われる。−−異端的に聞こえるかも知れないが、
ることは、全く無益で、事実をはずれているように
べてそれに倣う、ある明確な型に追い込もうと試み
ひとつの遺﹄︵Q§ミミ§串雨§§︶︵一九三二︶、その
* *
ほか、子供むけの物語 集 が 二 冊 あ る 。
* *
詩人 と し て の カ レ ン の 基 本 的 な 立 場 は 、 自 ら の 詩 作 を
脳
(25) カゥンテイ・カレン
黒人詩人たちは、英語に依存していることから、ア
フリカの遺産に立ち帰ろうとする、なにか空漢とし
ジョ
た憧れからよりも、豊かな英米詩の背景からさらに
^ 7 ︶
多くのものが得られそうな可能性がある。 ・
そこでカレンは、ジ目 ン・キーツに心酔し、
キーツの墓碑名として、
句g﹄o巨目宍竃庁9
>勺o邑oo︷田o豊︷
廿い拝情の喉という、そなたの名は1
冷たい死がキスした、そなたの歌うたう唇は、
^8︶
死の唇を焔で焼きこがしてしまった。
と、書き、また、春の詩人、美の司祭としてのジ目
ン・キーツに深く思い入れたカレンは、春の息吹きの中
にジ目ン・キーツの声を聞き、春の芙しさに酔い痴れな
がら、ジ目ン・キーツと饗宴を楽しんでいるのだ、と言
、つー
>“uo?旨㎝ヨ昌①
↓o旨ヴ5宍$耳勺og
之o“ξ﹃岸ぎ峯呉害一冒o﹃巨昌一閉o
︵句o﹃O凹二<串目<ooすけo自︶
o︷黒豊ぎく昌5き巨二−胃昌o県
−斤昌ミニ目眈官8o﹃邑昌昌㎝串く
雪く一豊一烹胃.眈ω9売胆コ︷篶算<o胃.蜆σ=撃
岸デ串目og9;呉冨勺$け閉
Hま冨篶く智ξ塞芭名ユ目oq一寿o艘涼一
−o竃自o“ヴo巨昌㌣勺go9旨ブ目宍$請一
ωミog気ユo艘﹃gF艘く目凹昌3
↓す<ω巨o貝ぎo貝=混艘箒8−oρg艘ζ窃a
キーツのために
︸嘗くo血o葭﹃oρブポo老目峯岸︸−o雷昌〇一
美の使徒
ジ目ン
水や轟に書かれたのではない、
肋
橋論叢 第93巻 第1号 (26)
﹄o巨宍窒亘老;①黒碧庁<害目昌o易冨∼
>邑<昌竃o−二5目姜一一〇㎝“員
尉巨p雰o﹃二ε冒巨&一一盲o.qぎ蜆F
ωo旨①ぎ考−ぎ一くo胃ωg㎝一葦o薫昌
く§o<竃,毛冒 。 目 量 き サ ① ﹃ 轟 く
ω旦嘉畠く雪毒ω㎝o邑﹃陣邑箒胃
尉宅巨碍︷8ヨ⑭冨昌自一〇易
9婁昌邑o豊旨2。口・oきω巨8︸o胃
ま民o豊ぐ冒箒鶉5﹃器①目“巨閉言弩.
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ミ星く〇一8涼巨旨o貝芭ブ葭︷艘斗。目まく鶉
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︸〇二豪艘津o鴨易o雷艘.ω旨寿旨o﹃.
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オ︸昌智目婁艘︷き寿鶉。q・鶉二昌艘o巨讐
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≦ぎ籏弩くo昌巨二易年竃けo︷
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宍旨妻言ま宍$房閉⋮書一“g勺og︷1
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OHoo−o﹃印目Oo︷〇二︷o﹃︸9窒片①
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害家嚢ぎ。月⋮昌易二巨目斥箒旨彗唱
肋
↓ブ黒昌胃oξ㎝肩ぎoq白o目−o8急量目oq①
峯<邑邑−ヨー︷旨目gぎo老艘津くoξ
−o−旨穴轟亘斤鶉勺﹃睾9三“︸昌p8o.
芙が今隼、よそわせてくれているほどに。
ジョン・キーツよ、わたしは黙してはいられない、
堅い大地がその小さな脚の下から退いていくのを感
泰の網にからめとられて、わたしは、
春時の
じて、
ど吉
詩人、ジ目ン・キーツに
めえめえ鳴く小羊に劣らず、身動きがとれない。春
あなたが美をもっとも感じられたことを。
れているにも拘わらず、
わたしにはわかる、美について世間でいろいろ言わ
わたしの去年の歌と来年の至福をくりかえす。
ひとつの木霊がひぴいて
このような春は、一度としてなかった−
もだ
ジ目ン・キーツよ、わたしは黙してはいられない
色どり美しく匂う花房となる1春のためには、
カをふりしぼって、自らを支え、
その間、白に紫のまじったライラヅクの花は、
春の肩のあたりを舞いながら、春の頗にキスをする。
白い鴎たちは金切り声をあげて飛び来たり、
した、
春の胸元を雪の吹きだまりで包み、つややかな羽を
響鐘をならして、春を愛する人々に呼ぴかける。
は、
︵力ール・ヴァン・ヴェクテン.に︶
しかり、あなたの墓の中にさえ、美の遭は
眠っていたものすべてが、今や、目覚めている。
ジョン・キーツよ、美がわたしたちを呼んでいるの
すると見よ! ハナミズキの花弁は、
敷かれている。あわれな、浮かぱれぬ拝情詩人の亡
霊、
春が、これほど美しく、いとしいことはなかった、
〃
L・
;!1 / 4 ・ ;
( 27 )
一橋論叢 第93巻 第1号 (28)
死の暗い扉を開く生命のために
奔放な声が、その葉のなかに聞かれるから。
あなたの
成長するにつれて、音楽を育てる、と。なぜなら、
と。その葉が、
カエデの木のふるえる樹液の遣を脈打たせている、
意志が、 .
どういうものか、こんな気がする、あなたの敏感な
うか?
あなたとわたしが、じっと横になったままでおれよ
その人々には、ジ目ン・キーツよ、わかっていない
てしまうとは、と。
春が来たというだけで、これほどわたしの頭が狂っ
ない、
人々は、わたしを見て、さぞや奇妙だと思うに相違
うとしていると、
あなたの経椎子から生まれた新しい生命を読み取ろ
また、わたしが地面に向けて頭をかしげ、
る。
ジ目ン・キーツが今なお詩歌を書いているのがわか
あなたのよく聞こえる叫ぴを聞くからには、
蕾や花、木の葉や木の中に、
歎き悲しむ堅琴の音が聞かれるから。
のだ、
に、
お、 1
塵にかえったとはいえ、あなたの指は、それでもな
以上の二篇の詩からも、ジ目ン・キーツに対するカレ
ということが。
あなたも、わたしといっしょに饗宴を楽しんでいる、
す︺
見事なヴィジ冒ンを生み出すことができる。今は、
大地の広く、かぐわしい貫の上で動いているにせよ。
は、たとえぱ、ジ目ン・キーツの詩﹁秋に寄せて﹂︵:、﹁O
その指が夜.のしじまの草のように、
﹁ジョン・キーツは死んだ﹂ と世間では言うが、わ
>鼻⋮自目..︶における秋の擬人化の影響があることは、誰
ンの傾倒ぷりが窺われるし、後者における春の擬人化に
たしには、
鯛
(29) カゥンテイ・カレン
の 目 にも明らかであろ う 。 し か し な が ら 、 こ の よ う な ロ
呂洋o竺巴目艘o篶鶉o目8﹃叶膏&↓ρ旦巴冨
れた作品が高い芸術性に達し得ているところが、なんと
と願ったカレンの作品の申で、逆に人種意識に裏打ちさ
を免がれず、人種意識を超越したところで詩作をしたい
透かし 絵 の よ う に カ レ ン の 詩 作 の 中 に 濠 み 出 て く る こ と
も拘わらず、アメリカ黒人としてのカレンの人種意識は、
ミブ津串≦ε一σ轟ぎ8昌潟−㎝庄庁顯ξ−邑巨曽箏o1
老一;鳴gくo害g8ω=oqプ巨<自目宗易冨自︷
↓o昌需〇三㎝昌σ<嘗目巨o叶ooωけ篶妻目
−冨o;冨巨①声床妻曽壱胃〇一串目ρ一目昌冒箏o
弓o㎜葦。司。冒一〇毛曽畠く睾o箏2轟閉邑﹁
■;睾①︷σ;8量肩一8まo目㎝凹く勺ブ畠
−眈σ巴け&σ㌣艘o穿匡①マ自F宕〇一害o
も皮肉である。次に引用するカレンの詩は、おそらく、
くg旨−昌胃く①;二募ε・一〇畠彗嘉一
マン派のイギリス詩の伝統に対するカレンの傾倒ぷりに
カレンの最高の作品であるにとどまらず、﹁ハーレム・
↓o目箒o嘗、og⊆竃ぎ竃ρσδ巨昌㎝巨o貝一
それでもぼくには不思議でならない
ルネサンス﹂を代表する名作である、生言えるものであ
るが、黒人であることと、詩人であることとの間にある
とカレンが考えているらしい二偉背反が、解き難い神の
摂理の謎として歌われている。
たしかに神は好意的で、善意をもち、親切だ、
また、神が言い逃れをなさる気になれぱ・なぜ
−α畠巨目〇一Ωa尿Oq8♀ミ①=−昌$目一目甲ζ目♀
ねぱならぬのかを話し、
なぜ肉体は、神の姿を映しながら、いつの日か死な
−竃胃く9
>目α2α葭o眈庁oo勺8〇三σσ一ωo昌巨けgξす㌣
タンタラスが気まぐれな木の実を餌にじらされて、
くgUo
↓−旨=巨−①σ目ユoρ昌o−①oo旨二昌]gσ=冒♀
苦しむわけを解き明かし、
小さな、地下のモグヲは盲のままなのか、
≦巨㌣ま讐艘讐冒オ8鶉江一旨昌蕩片ωo昌oqξ29
郷
第1号 (3q)
第93巻
一橋論叢
も、詩人を黒くしておいて歌をうたえ、と命ずるのは、
摂理のかたじけなさを述べているのであろうか。それと
果てしない階段を登るのか、聖言していただけよう。
神の摂理とは言え、無理な註文だ、と神に訴えようとし
単に非遺な運命の気まぐれでシシファスは、
測るべからざるは天意、その天意は、
ているのであろうか。私としては後者の解釈を選び、カ
ンに、もしカレンがアメリカ祉会に白人として生まれて
この世のつまらぬ心労にわざわいされて、間答しよ
手を動かされる の か 、
いたら、詩人としての苦しみはなかったか、また、これ
レンは黒人であることが詩人となることへの制約となる、
少しもわからぬ人の頭で問いただせるものではない。
ほどの詩は黒人詩人にして始めて書き得たのではないか、
うにも、
それでもぽくには、この奇妙なことが不思議でなら
と問うてみたい。もちろんカレンは、神の摂理が無理な
と考えていた、と見るが、そのような立場から逆にカレ
ない1
注文をつきつけていることを承知のうえで、詩人たろう
どういう畏れ多いお考えから神は、畏れ多くもその
詩人を黒くしておいて、歌をうたえ、とお命じにな
とするのであるが、それが神の摂理であるとしても、そ
カの女性の批評家も、この詩に対するコメントとして、
^珊︶
るとは!
カレンは、自然界の謎、人間存在の不条理、ギリシャ
﹁いかなる基準からしても、美しい詩! しかし私のコ
れを不思議がる必要はないのである。現に、あるアメリ
神話に 語 り 伝 え ら れ る 非 業 の 運 命 を も ち 出 し て 、 旧 約 聖
摂理の命ずるところに服する姿勢を示しながら、それで
まり、神意は測り難いとして、人間の理解を超えた神の
うたえるでしょうか、また、ほかの誰がこのような歌を
議も感じない。というのも、ほかに誰がこれほど見事に
神が黒人詩人に歌をうたえ、と命ずることになんの不恩
メントは、こうです−カウンテイ・カレンよ、私は、
、 、
もなお、黒人詩人の誕生の背後に働く神の摂理には驚く
^n︶
もっているでしょうか﹂と書いている。
書のヨブのように神と押し問答をしたいところを思い留
ぱかりだ、と言っている。カレンはここで、そのような
ω
(31) カゥンテイ・カレン
ところで、カレンの全詩作を大局的に見渡して、そこ
にこの詩人の思想的、精神的な遍歴の軌跡を辿ろうとす
るには、三つの長詩、﹁遺産﹂︵.、匡亀ぎO目①、︶、﹁色の経帷
子﹂︵、↓まω∼O邑OhO〇一胃、,︶、﹁黒いキリスト﹂︵..↓思
里碧斤o巨奉、︶をつないで読むのが便利である。まず、
曽雷艘goqo穿賞o屋素軍“o昌①.
向障艘雲一ωop寧目o︸oξΩブo閉F
ooo−冒串斤①葭目巨−oσo竃ご
−窃冨O︷;①一ミー8−言﹃■OαO=鶉打
されずに残るアメリカ黒人の異教性という形で現われ、
同く雪g↓耳。員一婁巨。・巴雪
oo−旦ρくρq昌g①勺胃け.
﹁遺産﹂では、すでに﹁それでもぼくには不恩議でなら
その異教性がアフリカからの遺産として捉え直されて、
雪ε叶目<茅曽けoq﹃o妻公鼻竃o︷巴“g一
婁津庁昌く目昌ま艘冨二目昌㌣巨撃ミ
キリスト教信仰に徹しきれない苦しみが、カレンの詩の
ミ誓ま。目由o−費く&奏冨σ一碧珂
5昌σo︷Ωaら事昌。・巨;勺①算
中に激しい緊張を生み出している。その一部を引用して
↓巨箏巨目oq旨g篶ξ昌5昌〇一一碧斤
ない﹂に濠み出ていた人種意識の苦渋が、キリスト教化
みると−
田斥O庁昌O目︷竃巨O■O鼻O︷;ρ閉一
○量ぎ戸富巨竃2旨︸雷“序目o目o宗
くO目﹃mす智ρσO﹃目09斤ぎq﹃OO奏OΦ■
ω胃o々艘o目片巨ω声Φ讐ミo冒5斤目o峯
■g考︸oξo目5o﹃昌耐巨急﹃邑o丘
巾冨o&彗甘o︷℃牡目8oq巨ρo声
〇−陣さ酉箏ρσユ;o9床o︷眈δ■9
■o﹃g−厨m巨o5︷胃斥o目oρm一89
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旨︸8自く胃巴o箏s昌 〇 三 〇 貝 ブ ー 勺 ユ 8 3
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雲$暮彗〇二⋮昌享さ
31
一橋論叢 第93巻 第1号 (32)
勺き竃8老竃①易﹂冨叶mo曽自昌竃
そのように唱えても、心の中では
Hom昌葦昌oぎ芽嘗コoξ墨﹃く︷鶉.
09艮嘗づ︷ブoFo﹃嘗oq胃一﹃尿o
ぽくの仕えるお方が黒人であれぱよいのに、
ぽくの心はうんざりして、よろめいて、
いつも、あなたの赤々と輝く祭壇の前に出ると
一人二役を演じている、一はく。
■o鼻︷o畦くo目oミ目く冨&
そうすれぱ、たとえ誰がそれをあざ笑おうと、
呂oユ巴oqユg8昌勺色ぎ名三一①8自g鶉
ωo昌g一昌窃白曽og芭ブ目昌里目o冨&‘
謙虚を説く説教者に属するi
ぼくは、イエス・キリスト、
ぼくの改宗は高い代価がついたー
自分たちの姿に似せて作り出す、
粘土や、脆い石の破片から、
黒人たちは、棒切れや、
奇妙で、奇異な異教の神々を
お持たせすることまで、あえてする。
黒い、絶望しきった顔立ちを
主なる神よ、ぼくも黒い神々を作り出し、あなたに
が。
あなたの肉体が似たような苦しみに堪えられたこと
と、
そうすれぱ、きっと、この肉体でも、わかろうもの
導いて貰えるものと考えないわけにはいかない−
苦痛の先例にこと欠くことなく .
異教の神々は、ぽくにとっては無意味。
頗を二度向けたイエスよ、
と、ぼくは空しくも誇らしげに唱えるー
父なる神、子なる神、そして聖霊なる神、
たたかれた類や疲れた目にのぽる。
さっと熱い怒りの色が、
それほどまでに、たじろぎ、その一方
忍耐も人間の悲しみに押しひしがれる
その顔立ちは、頭に手に負えぬ黒髪をいただき、
神の小羊よ、と口の先だけでは
錫
ときに人間的信条を作るとしても、 ぼくを許して下
主なる神よ、もしぽくの必要から
黒い経帷子を着せられるに等しい、とするその認識にお
い庸の人間として生まれることは、生まれながらにして
る、という難点がありはするものの、アメリカ社会に黒
しか し な が ら 、 こ の 引 用 か ら も わ か る よ う に カ レ ン の
所がない。人一倍多感なだけに、黒い皮庸を生まれつい
^螂︶
さい。
言うアメリカ黒人の異教性には、終始、観念臭がつきま
かって﹁死なせてくれ﹂と訴える詩人は、大きな黒い翼
たときから着せられていた経帷子であると考え、神にむ
いて、黒人として生きる苦しみを如実に伝えて間然する
とい、カレンにとってのアフリカは、﹁アフリカ?眠
に運ぱれて、自然界と人間界でくりひろげられている壮
けられ、強く生きることを促がされるが、死を願う気持
りこんでしまうまで、読む気もなく/その頁をめくって
ωξ旨σ雪8昌睾、︶という詩句にはしなくも示されてい
ちは一向に変わらない。しかし最後に見せられた黒人同
絶な生存競争、また天上界での神と悪魔の対決を見せつ
るように、書物による知識としてのアフリカでしかなく、
胞の大きな苦難の前に、詩人は取るに足らぬ自らの悲し
いる本﹂︵、、ξユS∼>σOO斥O冨艘巨昌σω㌔=邑①邑さ;一
^珊︶
体内でさわぐアフリカ人の血を詩人がいかに強調してみ
みを恥じ、生きる決意を新たにする。
9豊隷。巨o司巨婁巨g昌くo冒<o目﹃迂旨瘍“昌雪o目o
≦彗巨5奏o睾雪罵;昌雪︷窒毫
↓まoユgo︷巴一創弩斥需o勺一⑭篶胃畠−弩
せたところで、そのようなアフリカの遺産がカレンのア
イデンティティを支え得るものとなったとは考えられず、
結局、アメリカ黒人の異教性がカレンの詩の中にひき起
こしている激しい緊張は、かなりのところまで芸術的な
意匠として利用されているふしがある、生言うほかはな
勾o﹃og艘二目田5昌o−轟一器o昌くqε叶−的ユ冒&すg♀
>自〇一〇器豪Φ5−臣ρ昌片;艘彗o巨昌8昌oqo
これにひきかえ、もうひとつの長詩﹁色の経帷子﹂は、
>a;昌等冒二官昌oく&8戸oaぎ婁−邑♀
い。
そこに語られている詩人の体験があまりにも神秘的であ
拐
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( 33 )
第1号 (34)
第93巻
一橋論叢
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旨<咀旦H津5㎝8冒oぎ昌9“ぎ♂邑&亭o︷畠g巨
器島.、
いたるところの黒人たちすぺての叫ぴが
大波のようにぼくの上に押し寄せた、それは
ぽくの取るに足らぬ悲しみなど溶けこんで
消えてなくなる苦 難 の 大 波 だ っ た ー ぽ く に は 、 も
主なる神よ、ぽくは、ぼくの同胞にうながされて、
生きて参ります。
ぽくには、この人々を裏切る役はつとめられません
疑惑の海を航海してきた、ぼくの心は、帰るべきと
^ど
ころに帰ったのですLと。
この詩には、﹁遺産﹂においてカレンが強調したアメ
リカ黒人の異教性は影をひそめ、一応は聖書の神とのか
かわりの中で、詩人は黒人種との連帯を志向している。
﹁遺産﹂と﹁色の経帷子﹂が共に第一詩集﹃色﹄に納め
揺れていた、と見ることもできるが、第三の長詩﹁黒い
られているところから、カレンはこの二つの作品の間で
キリスト﹂はその後、四年経ってから発表されており、
はやこれ以上
死への衝動を訴える権利はなかった1ぼくは恥じ
逆説的なキリスト教信仰に救いを求めるようになったの
間世界の不条理にも拘わらず神を信ずることをやめない
得ず、それだけに﹁黒いキリスト﹂の中でカレンは、人
たはずで、カレンとしては暗濾たる気持ちにならざるを
寄せられた大きな期待を襲切ったという自責の念もあっ
その間にカレンの最初の結婚生活の破綻があり、自分に
入って
挨りに汚れた頭をあげた、
そして唇こそ動か な か っ た が 、 ぽ く が こ う 言 っ た こ
とを神は.こ存 知 −
肉や骨に見たもののためではなくー
﹁主なる神よ、色の白い人々の
信仰だけによって立たせられたのセもなく、−
盟
かも知れない。
>目與庄o器ミざ喀留津σく邑p︸ω8
^正︶
オO目岬巨Oq﹃〇三目Oq艘①冨婁8冨顯98一
一本の木のほかに、そこに生えているものが見えな
して、そのそぱを通りすぎる人々の目には、
木造りの小屋の前に立つー
それは、キリストその方が、かつてお立ちになった
多くの木がほかにあるやも知れぬ︶
そこにも同じく高価な果実︹川”肪榊眺け錫が実った、
︵また、それとは知られず、それに似て、
どこか、南都の土地では木が育つ
−“ポ叶︸oO﹃o畠一岸涼“巨①宛ooP
岸蜆;o房奏害o︷&至艘o﹃︷8−窃蜆巨ooq‘
峯巨oす目目oqo目子−婁①墨峯崖−冒2①.
由暮書雪①胃o芹老o8け留饒々
﹁黒いキリスト﹂は、ジョン・ミルトンの﹃失楽園﹄
︵旨三旨5p、ミミぎトos︵ニハ六七︶の冒頭の詩
^ 並 ︶
行を思わせる、とされる書き出しで始まる、四歩格カプ
レヅトの、九百六十八行もの長詩で、アメリカ南部の土
地に住む黒人青年が、春の化身ともおぽしき白人の娘を
恋人として選んだために、リンチに会い、縛り首になる
という物語を、その黒人青年の姿を十字架につけられ、
復活したイエス・キリストの姿と二重写しにして語って
いる。黒人脊年は、語り手の兄と母親の前でリンチに会
い、木に吊るされるのであるが、最終的に到達した信仰
の証として、その木に懸けられて死んでいったのは、キ
リストその人であったのだ、と語り手娃言う。
ωo目①ξげ亀o旨oωo阜巨凹目o冨四易酉9①9
かろうが、
だれがその木に懸けられたかを .
︵>邑量ξgま易艘彗星くσ①
■寿o冒鼻o芦旨黒胃o目目汗■oξp
証する者が二人⋮⋮わたしたちは、あの方が死なれ
その根は、尊い血で養われた。
るのを見た。
ミまぷ昌竃8ω己㌣守目岸す鶉唱o婁目︶.
■g陣目o閉σ①−o﹃o串す冒叶o片妻ooら
−自ミケ︷oプ“︸oO﹃ユω叶葭−旨蜆oζO目o①ω庁ooOユ
鋤
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yT4 ・ ;!1
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( 35 )
第1号 (36)
第93巻
一橋論叢
それは、
^〃︶
十宇架−十字架のキリスト像。
カレンが﹁黒いキリスト﹂の中で求めようとしたもの
は、上述したように逆説的なキリスト教信仰であるが、
を負うているアラン・R・シャカードの﹃カウンテイ.
カレン論﹄は、﹁第二章人種的詩人﹂でカレンの人種
意識を論じ、﹁第三章 普遍の詩人−宗教、死、愛﹂
で、カレンの詩の主要なテーマを宗教、死、愛の三つに
宗教をテーマとしたものを挙げれぱ、キリスト教からも
しぼっている。この分類に従って、三つの長詩のほかに、
^19︺
見棄てられている黒人娼婦を扱って、権カと癒着したキ
結局、それは個人の魂の救いの間題に終始し、カレンは
キリストに黒い皮膚を与えながら、のちのジェイムズ.
若くして死んだ娘の死を悼む﹁褐色の娘のための哀歌﹂
^24︶
者たちである、とする﹁賢い人々﹂︵、ヨ嵩峯一詔、︶や、
死をテーマにした幾つかの作品では、最も賢いのは死
勺8豆①、︶などが強い印象を残す。
^鴉︶
とする﹁黒い民族の連薩﹂︵、↓ぎ⊆冨ξo申旨oo串、斤
ることによって黒人たちは抑圧者を許し得る者となった、
^〃︺
祈る﹁異教徒の祈り﹂︵、勺品彗宇ξ害二︶、キリストを知
きない黒人詩人が、黒人同胞のために執り成しの祈りを
○羊①己竃uo勺g一畠、︶、キリスト教信仰に徹することので
伝承をふまえた﹁クレネ人シモンは語る﹂︵..uO−昌O目艘O
^肌︺
字架を背負ったクレネ人シモンが黒人であった、とする
峯晶夢一彗閉、︶、ゴルゴタヘの途上、イエスに代わって十
^20︺
リスト教を批判している﹁黒いマグダラたち﹂︵、.里竃斤
ボールドウィン︵盲冒g︸葭巨三旨︶︵一九二四−︶に
見られるような、聖書の神は白い神ではないのか、とい
^㎎︺
う深刻な疑問を発するまでに至らず、また、白人の宗教
になり果てたキリスト教に対する根底的な批判も見られ
ない。また、詩作晶として﹁黒いキリスト﹂は、素朴な
アメリカ黒人の悲劇を語るには技巧が勝ちすぎ、不必要
なまでに長く、とりわけ、会話の都分が不自然きわまる、
という難点を持っている。
以上に見たように、カレンの詩は、抑えようとすれば
するほど反って濠み出てくる人種意識を底流に、その意
識をキリスト教信仰によって克服しようとする方向性を
もつものであることが、はっきりしてきたが、三つの長
詩も含めて、カレンの全詩作を、いくつかのテーマによ
って分類することが可能である。この小論が多くのもの
36
︵、Hヶ、昌oφ<ぎ﹃閏︸昌名目Ω三、︶などに、死ないしは
^”︺
。死者に対するカレン独特の親近感、また、死ぬことによ
って人生の謎を知る者となった、とされる死者へのカレ
ンの羨望の念が読み取れるが、このような死、もしくは、
その代用となる眠りに対するカレンの関心は、白いアメ
リカに黒人として生まれたことによる苦しみからの解脱
ンが傾倒したジ目ン・キーツと共有するものであること
を願うカレンの自殺願望の現われであると同時に、カレ
は間違いない。
最後に、カレンの愛︵しぱしぱ、失恋︶の歌は、恋す
る者たちを皮肉る﹁恋に溺れた者たちを憐れめ﹂︵、。曳︷
︸①Uo︷ぎ■oさ、︶、失恋を廃屋に讐える﹁あるテー
^%︶
マの変奏曲︵愛の喪失︶﹂︵、<雪ユきo易昌印↓ま昌o︵↓すo
^η︺
■o窒o ︷ ■ o く o ︶ 、 ︶ 、 そ の 愛 を 得 ら れ ぬ 女 性 へ の 恨 み つ ら
みを綴った﹁酸いブドウの歌﹂︵、> ωO奏O−ωO昌
^鯛︺
Ω、︷。、、︶、愛する女性を失なった苦しみが愛の木を育て
^”︶
る、と言う﹁愛の木﹂︵、↓ま■OくO箏霊、︶など、皮肉や
逆説に満ちたものが多く、その詩風はエミリ・ディキン
スン︵■昌−く−︶邑、一易g一︶︵一八三〇−一八八六︶やス
ティーヴン.クレイン︵ω8豆嵩目o量■o︶︵一八七一1
一九〇〇︶の詩を連想させるが、紙数も尽きたので、残
された問題の検討は他日を期することにしたい。
︵1︶ ﹁発見されたアメリカ黒人1﹃ハーレム・ルネサン
ス﹄の作家たち−﹂︵﹃一橘論叢﹄第八十六巻 第二号︶
︵2︶95、。・§;彗き寒§§一ぎbミ§二吻ミミ
参照。
県き雨ζ膏§ミ、雨県き雨ミミ雪ミ昂§ミ向竃ミ§︵宕ま︶勺勺−
︵3︶O。一、。藪O昌雪頁︶一〇§一一泰b§ぎききぎξ
阜㎞1α〇一
︵4︶9≧彗射﹄巨8具§ミ軸雨bミ§︵一嚢︶ラひ−
呉、ミ竃︸︸≧売§、§旨︵6NN︶勺.ミol
︵5︶90⋮葱2頁S﹃¥§二一§二H書︶三〇−
なお、以下の記述は同書に負うところが多い。
︵7︶ きミ’やマー
︵6︶90§、鳶§茎事曇上。。−.
︵8︶ Oミ﹃ざ黒H吻§S軋や旨‘
︵10︶ 峯︸、;勺.ω.
︵9︶き§電.含1§
︵11︶ 向目oqo昌ぎ奏・Oo昌〇一 、−−︺o2o叶寓顯﹃く〇一〇〇冒目一①o〇三−
〇二ω.︺
一g..︹bo量5申g艮昌︵g・︶一ミo§§望§晶、o募︵sご︶
︵13︶ −︸這︷やN㎞.
︵12︶ OミHざ寒−臼畠曽∼七?ミー爵.
扮
L・y
l 11T4 ・ ;
( 37 )
一橘論叢第93巻第1号(38)
︵14︶ −ざ軋=O・NN・
︵∬︶ なお、アメリカ黒人の文学に反映されている神の観念
について論じた先駆的な著作、ω害]芭冒ぎ丙、峯顯㌣眈一H“雨
∼晶§“9乱1﹄吻完亀ミミ︸s串注卜§、ミミ、雨︵s畠︶
は、﹁黒いキリスト﹂に関して、﹁−⋮カレンは﹃社会的な
︵18︶ q.盲目o叩因巴身書一﹃ぎミミ≧軸時、H§雨︵59︶oo・
︵19︶ 9≧害甲旨9胃戸9§、ミO星ミ雨s毛・ごーご・
宝−藏−
︵21︶ −ミ軋:やoo・
︵20︶ OミHざ寒−9§這o・①・
︵23︶ −ミ軋二や蜆ω・
︵22︶ −ミ、.﹄o・二・
︵24︶ Hミ、︷り・杜o・
闘争において神が有用な要繋である﹄という観念を捨てて
疑念があり、神は遠くに離れすぎていて、役に立たない、
︵26︶ −ミ軋二や㎞戸
︵25︶ −ミ∼’勺o・阜oo1㎞o・
いる。神が何か与えてくれるものを持っているかについて
ない 、 と い う こ と で あ る よ う だ ﹂ と 述 べ 、 カ レ ン は キ リ ス
︵一橋大挙教授︶
︵29︶ −︸ミ︷や伽o・
︵28︶ Hミ、︷o・︸N・
︵〃︶ −︸這’Oや㎞伽−蟹・
とされる。だが、主に強調されていることは、神は存在し
ト教僧仰を失なった、としている。 .
同薔、二二九頁参照。
︵17︶ ◎s﹃ざ黒−ω§宮軋O・ごN・
︵16︶ 9≧竃射.ω︸ 冒 弩 ♀ O § ミ “ ミ O ミ “ § 勺 ・ H 8 ・
鎚