1993年(ダンス1年目)

ダンス日記:初めてのパーティ(1993 年 5 月 9 日:平成 5 年、ダンス歴:7ケ月)
曇(どん)よりとした夕方の天気の中を、小走り気味に二人は駅の方に向かって歩いていった。天
気予報では、夕方一時的に大雨になるということで、気忙しさが彼等を急がせていたのかもしれ
ない。忙しくはあったが、なぜかしら初対面のせいか、少々の時間を喫茶店にでも入ってお互い
を知りたいと願っていたのか、駅に着くと見目麗子(みめうるわし)は喫茶店に入りましょうかと誘っ
てきた。ホスト役に徹している桐々箪笥(きりきりだんす)は、踊り疲れを癒したい気分になってい
たので、一も二もなく了承した。
聞けば見目麗子は、桐々箪笥が現在通っている夕日農業センターの部活で以前ダンスを習っ
ていたとかで、ステップはそれなりに上手であった。彼女の亭主は、昔気質の性格を持った御仁
らしく、「女房が外で見ず知らずの男性と体を寄せあって踊るダンスなるものは断じて許せない」
と堅くなに信じている人らしい。それがため、今日は亭主が居ない時間を見計らって内緒で踊りに
来たらしく、言葉の端端に人目を憚(はばか)る様子が伺われた。
話しを聞きながら、会場での生き生きした彼女の様子を思い返して居た桐々は、ふと、我が女
房の行動を彼女に投影して居た。日常の主婦業務をサボり、地域婦人連盟活動とかで日中家を
空けている女性と、亭主の目を憚ってダンスをする女性のどちらが罪が深いかというよりは、専
業会社主夫を上手くあしらっている、そういう女性のしたたかさをである。
未来への躍動(1993 年 5 月 15 日:平成 5 年、ダンス歴:7ケ月)
場末の体育館の、いかにも安っぽいけばけばした飾付けをした会場から、丁度夏の陽射しがぴ
かぴかに磨かれたフロアーに反射して、真正面に目につき刺さった感じがした時、桐々箪笥は何
か小さなお地蔵さんのような陰影を見付けて、一瞬眩暈(めまい)がするのを感じた。和瑠都捨夫
(わるつすてっぷ)氏だ。彼を誘ったのは一週間前だが必ず来てくれると信じているものの、姿を会
場の隅に見掛けた時は、内心安堵の情を禁じ得なかった。なにせ今日は分不相応に、夕日農業
センターの敬老御婦人連盟の一行を引率して小山区の国民センターに来たものだから、どの様
にして敬老御婦人連中を楽しませていいのか、若い桐々箪笥には分からず、浜縦(はまじゅう)か
らの電車の中で一人「皆を連れてくるんじゃなかった」と後悔して居たからだった。
和瑠都捨夫氏は桐々箪笥より5才位年下だが、髮をパンチパーマにしている性か、いつも仕事
をしている時は多少更けて見えるのだが、パーティ会場南側の大きな窓からの夏陽を受けて
若々しく溌剌(はつらつ)として見えた。好きなものに打ち込む時の人間の姿はみんな同じだと
桐々箪笥は呟いた。
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5カップルを和瑠都捨夫氏に紹介した後、一番の年長でステップを知っている小山優美(こやま
ゆみ)を和瑠都捨夫氏に勧めてルンバを踊ってもらった。さすがに若くて上級者の和瑠都氏は
色々のテクニークを駆使して小山優美を左右に踊らせていた。今を去る云十年前、戦後の復興
期に小山優美は学生時代ダンスを習っていたとの事で、若く華やいだ乙女時代に戻ったような錯
覚に捕らわれたに違いない。和瑠都氏の繰出すテクニークにうまく反応していたが、年の性かメ
モリーへのアクセス性が落ちているらしい。時たまステップが分からなくなったみたいで、和瑠都
氏に聞いていた。
一曲が終わった時の敬老御婦人連中の言葉は、素直に「素敵」という懐かしい耳慣れた日本語
であった。幾分はにかみ屋の和瑠都氏は、「この位は賞賛に値しませんよ」と喉元まで出かかっ
た言葉を飲込み、一呼吸おいて初対面の御婦人連中相手に丁重に目線を交わして、賞賛の言
葉を受入れ、紳士の振る舞いをしていた。これは彼の上司の古巣踊郎(ぶるーすおどろう)氏が
常々人生教訓として彼を紳士教育してきたからだろう。
初めての屈辱そして天使と悪魔との出会い(1993 年 5 月 22 日:平成 5 年、ダンス歴:8ケ月)
夕日農業センターの畜産園芸科(専科ダンスクラブ)の練習を見学できる機会に恵まれたので、
座右の銘としている絵入りのダンス教習本を携えながら、花形孝子(はながたかこ)らが教師のス
テップを真似て踊っているのを、桐々箪笥は静かに眺めて居た。このクラスは、以前に見目麗子
らと地元の農業振興センターでパーティがあった時に、パートナーとなってくれた雰囲気のいい爽
恵美子(さわやかえみこ)がいるクラスなのだ。ふむふむこれは何ページにあったステップだ、これ
は本には無かったが、と彼の記憶に入っているアマルガメーション領域をトレースしながら、自分
にもステップ出来そうな気分になっていた。
花形孝子らのクラスは女性が男性の 1.4 倍くらいで、常に女性が踊れるとは限らず、男性の数
に合せて、女性の一部を休ませて居た。これは、夕日農業センターのダンスクラブだけの事では
なく、ほとんどのダンスクラブでそのようだと和瑠都捨夫氏に聞いたことがあった。
花形孝子らのクラスは、桐々箪笥のクラスより1ランク上級で、確かに高級なステップを踊って
はいたが、勉強熱心な桐々箪笥に踊れないようなステップではなかった。現に、彼は贔屓(ひい
き)にしてもらっている女教師が今にも「男性が足りないので、一緒に踊って下さいな」と声を掛け
てくれるのを今か今かと心待ちにしていたのだった。しかし、悲しい事か喜ぶべき事か、声は一度
も掛からなかった。「もし本物の教師なら、人手が足りないと言う事だけで若造を使う事はないだ
ろう」とイソップの酸っぱい葡萄の物語を持ち出して自らを慰めて居た。
しかし、性(さが)とは恐ろしいものである。人間は必ずや大なり小なりの補償を求めているので
ある。畜産園芸科のダンス練習が終了後、桐々箪笥は外見上上手そうな花形孝子に練習を申し
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込んだのだ。この時、桐々箪笥はダンスを始めてからまだ 8 か月した経っていないということをす
っかり忘れていた。ダンスをやる女性はなにがしかの鼻っぱしの強さを持っているが、花形孝子
は丁度中間的な性格の女性であった。上手な男性には気立てが好く見え、下手な男性には冷た
い感じの女性であった。
「初心者なんですが、踊って頂けますか」。桐々箪笥は丁重に紳士の末席を汚さぬ注意を払っ
た。その丁重さが実は手痛いしっぺ返しの切っ掛けだったとは知ろうはずもなかったが。
花形孝子は桐々箪笥の顔をちらっと見やりながら「多少は踊れるな」と値踏みしたのだろう、「え
え、いいですよ」と気さくな返事に桐々箪笥は有頂天になっていたのだ。・・「何を踊りましょうか」と、
後で気ずいた間抜けな質問を発して居たのだ。以前にも同じ愚問を爽恵美子にして、「男性がリ
ードして下さい」と軽やかに捌(さば)かれたのを、間髪を置かずに桐々箪笥は思い返したからだっ
た。
・・「貴方が決めるのでしょう」と花形孝子の早くも手痛いジャブ気味のパンチを浴びせられて気後
れしながら、「ワルツをお願いします」と彼女の手を取ってステージの中程へ進み、ウィスクからシ
ャッセヘとステップし、ナチュラルターンへと進むと、花形孝子は不満そうな顔をして「どうも駄目
ね」と言わんばかりに、「もう一度踊って」と言ってきた。二度ほど踊っても同じ状態なので、「おか
しいですか」と気の良い桐々箪笥は不安そうに花形孝子の顔を覗き込んだ。
「あなたって硬いのよね。何て言うのか本当に踊っていて硬いのよ」。・・一番言って欲しくない言
葉を浴びせられて、なけ無しの自尊心がずたずたに傷付いたのを隠すように、「そんなに硬いで
すか」と、もう一度花形孝子の手を取って踊っていた。・・結果は盤石(ばんじゃく)な岩のように微
動だにもしなかった。そればかりか、鼻でせせら笑っている花形孝子を目の当たりにした桐々箪
笥は、冷水を頭から浴びせられたのを機に、じっと堪えて居た堪忍袋の緒が切れたように、頭の
中で悪魔と天使が入り乱れて喧嘩をしているのをはっきりと感じとった。次の瞬間、血の気が失
せ、目が回り、掴まりどころを失って気を失い掛けている桐々箪笥がそこに居た。
花形孝子は完全に相手を初心者として見縊(みくび)ったのだ。・・「なんで私がこんな下手な男と
踊んなきゃなんないのよ。十年早いわよ」・・彼女の顔には嘲笑の念がありありと読み取れた。た
まにこの様な生意気な女性がいて、かつて和瑠都捨夫氏も同じような経験をしたと言っていた。
…男はけなされて強くなるのか。女は自惚(うぬぼ)れて美しくなるのか。…土砂降りの雨の中で
行き場のない子犬の様に、桐々箪笥は心からずぶ濡れになっていたのだ。
幾春秋を過ぎたのか、気を取り戻した桐々箪笥は「どうもありがとうございました」とパートナー
となってくれた事への礼を花形孝子へ忘れなかった。「ジェントルマンだね」と天使が祝福し、「弱
虫だな。もっと怒れよ」と悪魔が囁(ささや)いたような気がした五月の一日だった。
教訓その1:鼻高き(花形孝子)が故に貴からず。爽なるを持って宗となす。
教訓その2:初心者であっても決して初心者と言わない事。ダンスをやるには良心を捨てる事。
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ダンスとは所詮、狐と狸の仮面舞踏会なのだと心得るべし。
これからの飛躍のために(1993 年 6 月 9 日:平成 5 年、ダンス歴:9ケ月)
多杜(たもり)ダンスクラブの練習が急遽中止になったので、和瑠都捨夫(わるつすてっぷ)氏に
教えられたダンスパーティー会場へと足を進めていた。本日は皇太子の結婚の儀が執り行なわ
れるため、国民の祝日となったが、あいにくの雨で、都会には人の出入りが少なく、電車内も閑散
としていた。
青羽根会館は地図によると駅より300メートルくらいと目算していたが、駅前のパチンコ店にも
堂々の「青羽根会館」なる看板が掛かって居た。この4階でダンスを踊るには横幅がえらく狭すぎ
る。別の所に本物があるに違いないと思いながら、暫くは周辺を行ったり来たりしていた。
「ここではない」と決心するのに人は何分掛かるのだろう。3分位して交番に引き返えすと、丁度
これから巡回に出向うとしていた巡査に出会った。彼は、今桐々箪笥が引き返えして来た道をう
さんくさそうに指差して、「突き当たったら、右へ行って消防署の裏」。 なんともビジネスライクな
味気の無い日本語が返ってきた。
消防署の裏に、かつての小学校の敷地跡だろうか、区民センターとしての青羽根会館が佇(た
たず)んで居た。この頃の区民センターの作りは、都会のハイセンスなシティボーイ・ガールに合
わせ、何処も綺麗になっていて、しかもダンスが踊れるような設備を備えたものとなっている。こ
の様な小綺麗な施設がある事によって、「ハイセンスな都市生活が堪能できるのだと都民は錯覚
しているのではないだろうか」と、桐々箪笥は老婆心ながら考えていた。
彼が会場に着いた時は、ようやっと受付の椅子を並べ終ったところで、人は疎(まば)らであった。
彼の家から会場までは、電車を乗り継いで1時間50分掛かった。以前テニスに熱中していた頃
でも、試合で年に精々2 回くらい遠征するのみで、殆どはバイクで 30 分の道を往復するだけであ
った。「考えてみれば病気だ」とダンスに打ち込んでいる自分に人知れず苦笑いして居た。
1時一寸(ちょっと)前に、淡い電球の光が会場を照らし、ダンスミュージックが流れると、そこは
区民センターとは思えない程に一大社交場となっていたのだ。これなら都民が「ハイセンスな都
市生活」と錯覚するのも止むを得ない。「ハイセンスと錯覚して、いや、もっと積極的に自らをハイ
センスと盲信して生きて行くのが、文化の恩恵を十分には享受出来ない地方生活者に対する都
市生活者の義務なのかもしれない」などと考えて、桐々箪笥は一人心を落ち着かせようとしてい
た。
ミュージックと共に三々五々カップルが踊り始めた。一番先に会場に着いたのに、ここでも桐々
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箪笥は、ルンバの踊り始めのきっかけがなかなか掴めないため、カップルになって踊ろうとしなか
った。会場のカップルの踊りを勉強になるからと、彼は相変わらず、お咒(まじない)のように眺め
やって居たが、実は、この間の花形孝子の言葉がしこりのように頭の中にこびりついていて、女
性にダンスを申し込むことに怖(おじ)けづいてしまっていたのだ。
和瑠都捨夫氏は30分遅れて会場へ入ってきた。相変わらず華麗なステップを踏んでいる。彼
はまるで廉恥心が無いかの様に、気安くパートナーに声を掛け踊り始めていた。・・「自分もあれ
位踊れたらなあ」、桐々箪笥は呟きともつかない嫉妬の念を感じていたのかもしれない。まるで野
球の補欠の様にじっと椅子に腰を掛けて、彼は会場のカップルを眺めやっていた。みんな踊って
いる人が自分より上手に見えて仕様がない。完全に落ち込んでいるのだ。Oh, poor fellow.
和瑠都捨夫氏について金魚の糞(ふん)のように、あちこちとついて回る自分がこの上なく惨め
に見えてくる。「君には、ダンスについてのセンスが無いようだ。もっと別な趣味を探した方が良い
ようだね」、天使が親切心から囁いた。「いや待て、今にお前に相応しい相手が近付いてくるよ」、
悪魔が勇気づけた。
それから 30 分位して、以前に東江区の上森文化センターで踊ってもらった女性2人がやって来
た。会場の様子を眺めやつて桐々箪笥の存在を確認し、軽く会釈して2人は着替えのため会場
を後にした。やはり悪魔の言った事が正しいようだ。「地獄で仏とはこの事か、桐々箪笥は救われ
たような錯覚に陥った。早速どちらかと言うとそれ程上手ではない女性の方に申し込んだ。・・とこ
ろがどうしたことだ。この間とは違ってまるでやる気が無いようだ。会場の踊り手が皆上手なんで、
「こんな下手なリーダーとは踊りたくないわ」、そんな気持ちが伝わってきそうな踊りでやりきれな
かった。・・何故だ。この間の帰りに、「また宜しくね」と言ってたじゃないか。あれは単なる外交辞
令の挨拶だったのか。・・まったく彼は落ち込んでしまった。
…「人はいさ 心も知らず故郷は 花ぞ昔の 香に匂いける」…
人は傷付き易い動物だが、更に傷付き易いのが初心者と言う種族である。一敗地に塗れると
はこの事か。一人でぽつんとしているのは桐々箪笥だけだ。やり場のない鬱積にいたたまれない
ほど、彼は自分の技術力の低さを責めていたのだ。完全主義者の紙一重が自虐者か。・・古巣
踊郎(ぶるーすおどろう)氏の愛唱歌「美代ちゃん」の一節が頭の中をするすると飛んで行った。
「い~まに見ていろ僕だって すてきなステップ踊るから…」 不思議な事に困った時にふと頭の
中に現れるのが古巣踊郎氏だ。「桐々さん、元気だしなよ」、そう励ましているようだった。
……落ち込んでる桐々箪笥の姿を見兼ねたのか、このダンスパーティを取仕切っている人が親
切にも女性を紹介して、「是非踊ってやってくれ」と頼んできた。
「すいません、踊れないんです」、こう言のが今の桐々箪笥には精一杯の返答であった。
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・・「馬鹿野郎、俺が折角予言してやったのに、なんで踊らないんだ」、悪魔は必死になって怒っ
てきた。続いて取仕切人が「あんたのようなダンディが一人で居るなんて勿体ないねぇ」、‥‥泣
けるようなセリフを吐いて行ってしまった。
「本当に勿体ない。ぐずぐずしているお前が情け無いよ」、桐々箪笥は本当に自分が情けなくな
っていた。
ところが、「蓼(たで)食う虫も好き好き。 捨てる神あれば拾う神あり」。昔の人はいい事を言った
ものだ。ボリュームのあるあっけらかんと見える川口美智子(かわぐちみちこ)が、「踊ってください
ますか」と物好きにもダンスを申し込んできたのだ。
「ええ、喜んで」、先程の落込みはどこへやら、この上ない申込みに単純になってしまった桐々
箪笥は、悪魔の予言をすっかり信じ込むようになった。
…Yesterday
all my
trouble seems far away … あの懐かしいビィートルズのイエスタディだ。
誂(あつら)えのスロー・フォックス・トロットの曲が流れている。早速習いたてのステップを踊ろうと
したが、相手は役者が一枚上だった。
「誰でも最初のうちは習いたてを背伸びして使いたがるわ。でも、生兵法に終わるのよ。それを
分かるには時間が掛かるけれどもね」…ブルースのステップを踏みながら、多少気取り気味に彼
女は耳元で囁いた。 「彼女のどこからこんな天使の囁きが出てくるのだろう」、これも都市生活
者の盲信によるパフォーマンスなのか。桐々箪笥は人間の不可思議に改めて思いを巡らして居
た。
川口美智子は、現在は個人レッスンに切替えたが以前は桐々箪笥と同様、グループレッスンを
受けていた、と言っていた。その性か、ステップの入り方が一寸違う所があって彼がミスっても、
「サークルによって一寸違うのね」とやんわり流してくれた。「にくいねぇ。こんなにさらりとさばかれ
るなんて」と桐々箪笥は、かつての爽恵美子を思い出していた。
早めに会場から出た桐々箪笥は、気を落ち着かせ、汗を引かせるため、受付の脇のソファーに
座って、和瑠都捨夫氏を待っていた。
会場を一歩出ると、雨上がりの空は皇太子の結婚パレードに相応しい水色の絵の具を流して
いた。和瑠都氏と駅前の喫茶店に入り、踊り疲れをケーキで癒した。今日の成果を話していたら、
川口美智子の件になり、彼女が桐々箪笥へダンスを申込んで来たのは、実は彼の落込みを救済
するため、和瑠都氏が彼女に頼んだという事であった。
ゴムまりの様に、元気に弾んだり、パンク寸前になったり、忙しい六月の一日であった。
女性パートナー遍歴の始まり(1993 年 6 月 30 日:平成 5 年、ダンス歴:9ケ月)
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多杜(たもり)先生が横東線島綱駅に持っているダンススクールで、久し振りに第二回目の練習
が開催された。このダンススクールは、多杜先生が講師となっている夕日農業センターの生徒さ
んを対象に、グループレッスン以外に基礎を習いたい向上心のある人を対象に開催されたもの
である。
桐々箪笥は近い将来レッスンプロになることを、定年退職後の生き方にしたいと思っているので、
残業無し日の水曜日を選んで午後7時からのクラスを希望したのだ。そういう事もあって、彼はそ
れなりに涙ぐましい努力をして、和瑠都捨夫氏について金魚の糞のようにあちこちとついて回り、
自己嫌悪に陥りながら技術の向上に勤めていたのだ。そして、これからも暫くは体育館ダンスに
精を出す事だろう。
前置きが長くなったが、以前に花形孝子がこのダンススクールの開催説明会に来ていたので、
嫌な予感はしていたが、それでも第一回目は彼女が来なかったので、諦めたものと思い一安心し
ていたところであった。やはり、物理的距離の隔たりは、精神的隔たりを意味し、それなりに日常
生活を潤す役目を果たしているのだ。
ところがである。レッスンが始まって 30 分した時に、件(くだん)の花形孝子が年には似合わない
けばけばした服装で、そそくさと教室に入ってきたのだ。練習していた桐々箪笥の顔面を一瞬、
緊張とも苦痛ともつかない筋肉の電気的歪(ひず)みが走った。次の瞬間、彼は胃のあたりが痙攣
(けいれん)するのを感じた。
・・「落ち着け、相手はたかがお前より一日早くダンスを覚えただけじゃないか」・・悪魔が優しく
諭した。実際には、10年位彼女は桐々箪笥より、ダンスをやっているのだ。だが不思議だ。悪魔
の諭しに、まるで精神安定剤を飲んだ患者のように血の気を取り戻し、落ち着いたのだ。「そうか、
たったの一日だけなんだ」。
一緒に練習していた白壁塗子(しらかべぬりこ)は、桐々箪笥の一瞬のたじろぎに、何が起こった
のかと彼の顔を覗き込み、自分の方に関心を持って欲しくて、パートナーの右肩に置いている彼
女の左手のホールドを強くした。・・「強者には力で相手を服従させる支配欲があるが、弱者には
常に相手に見詰めていて欲しいという強い受容欲がある」、と中学校の社会の時間に学んだよう
な気がする。桐々箪笥は中指の掌(たなごころ)に多少力をいれて白壁塗子の背中を優しくホール
ドした。まるで「心配しなくていいよ、君を一人ぼっちにさせるものか」、と言いたい様に。
グループレッスンでは、不可避のパートナーチェンジがある。遅れて来た花形孝子は、相手を探
そうとキョロキョロし、偶然一人でいた人物にさっと手を出して来たが、相手を桐々箪笥と見て取
るや、まったく相手を無視した態度で、スッと別なパートナーを探しに体をかわしていた。・・「流石
(さすが)だ。伊達(だて)に一日多くダンスはやっていないな」・・桐々箪笥は彼女の素早い身の処
し方に、むしろ敬意を表していた。
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哀れなるかな、彼女のパートナーは彼と夕日農業センターの畜産科で一緒に練習している岩畑
丸男(いわはたまるお)氏だ。初老の年代に入った、名前の如くお腹が出っ張って丸々太っている
彼は、ダンスをするには体系を直さなければならないと傍目(はため)にも分かるのであった。その
事を常々気にしていて、一度桐々箪笥に、彼のパートナーである小山優美と踊った時に、彼女か
ら「お腹が邪魔でヒールターン出来ないわね」、と嫌味(いやみ)を言われたと零(こぼ)したことがあ
った。そんな傷付きやすい彼が、事もあろうに花形孝子のパートナーにされてしまったのだ。案の
定、岩畑丸男氏のリードに不満を抱いた彼女が、他人にも分かるように「スロー、スロー、クイック、
クイック」と声を上げて彼をリードし始めたのだ。
古巣踊郎(ぶるーすおどろう)氏が言っていたが、「自分で勝手に踊る女がいて、こっちとしては
踊りにくいよ。ダンス人として失礼だよね」。 彼の言葉に代表される通り、社交ダンスは、男性が
リードし、女性がフォローする掟(おきて)になっている。これがあるからこそ、桐々箪笥は肩の痛
みもあって二十年来続けてきたテニスに涙の別れを告げて、社交ダンスを選んだのだ。
……女性を従わせたい。……日頃、彼の妻が花形孝子の様に、勝手に彼をコントロールする事
に辟易(へきえき)していたのだ。だからこそ、彼は社交ダンスを選んだのだ。社交ダンスでなけれ
ばならないのだ。その事が、世の花形孝子族には分からないのだ。
可愛そうなのは、彼女の本性を知らずに鴨(かも)にされてしまった岩畑丸男氏だ。・・「馬鹿野郎。
仕事が終わってまで女にあれこれ指図される筋合いはない。女は黙ってついてこい」・・悪魔が心
温まるエールを贈ってきた。…彼のなんとも情けないと言った丸い小さな目が、眼鏡の中で更に
小さくなっていた。その目は、「頭にくるよな。まったく」と、同調者になってもらいたい桐々箪笥を
見付けて、訴えかけているようであった。
…「分かるよ。岩畑さん。私もえらい迷惑を受けたんだもの」、桐々箪笥の目は静かに、しかし、免
疫を持った先輩として返答して居た。
その日、桐々箪笥は夕日農業センターの農業実習科(初級クラス)で一緒だった瞳美子(ひとみ
よしこ)とずうーと踊っていた。彼女は初級クラスではステップの上手な人だった。それは何より、
敬老御婦人連中の中にあって、彼女は若さがあったからだ。畜産科の別のクラスに上がってから
は、パートナーが居ないと言って寂びしがって居た。
水曜日のクラスは7時~8:30 までで、それ以後は自由練習の時間になっている。前回も瞳美子
は、桐々箪笥と一緒に 9:30 まで熱心に踊っていた。桐々箪笥も彼女とは波長が合うらしく、踊って
いるのが楽しみであった。しかし、彼等のダンスを白壁塗子は、恨めしそうに眺めて居たのだ。
白壁塗子も実は桐々箪笥と一緒に踊る機会を待っていたのだ。…が、彼はそれを察知できなか
った。彼女がしびれを切らして帰ろうとした時、友達の瞳美子が慌てて彼女と桐々箪笥との間を
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取り持って、是非、彼と踊って欲しいと言ってきた。結局、時間がないからと白壁塗子は帰ってし
まった。
ホスト役に徹し切れなかった後味の悪さを感じながら、それでも、彼の頭の中には、早くスロー
を覚えて一人前のプロになりたいという気があって、熱心にステップを踏んで居た。練習後の顔
はほてって、首筋が赤みを帯び色っぽさが瞳美子の体に感じられた。
帰りの道で、瞳美子は「桐々さんと踊れるのが一番楽しいわ」と、本当に心底から楽しそうだっ
た。彼もこの一言が聞きたくて、熱心に練習をやっているのだ。だからこそ、花形孝子の心ない一
言が、彼を地獄の苦しみへと落としてしまったのだ。
聞けば、瞳美子は日中自分で店を切り盛りしているので、踊りに来れるのは夜との事。貴重な
時間を割いてレッスンし、彼女もうまくなりたいと願っているのだ。‥‥「桐々さんと踊れるのが一
番楽しいわ」この一言で、花形孝子に打ちのめされた心の痛手を癒す事ができる。……この一言
を待っていたのだ。……桐々箪笥は瞳美子をこの上なく愛しく思い、抱き締めたいという衝動に
駆られた。
・・嗚乎 不倫の始まりか、はたまた、ダンスへののめり込みか
試練の始まりであることに間違いない
男 桐々箪笥よ どこへ行く ・・
背筋の寒くなるような快感(1993 年 7 月 23 日:平成 5 年、ダンス歴:10 ケ月)
古巣踊郎(ぶるーすおどろう)氏の勤めている高品位芝生開発会社で、仕事が終わった後に暑
気ばらいとかで飲み会があった。主幹を務めて居る氏は、常日頃のストレスから来る苦労の性か、
白髪の多さは変わらないものの、だいぶ薄くなってきている感じだ。これで自分が研究しているバ
イオテクノロジーで、増毛出来れば申し分ないのだが。
古巣踊郎及び和瑠都捨夫氏の仕事は、農業と関係が在り、田舎にある実験農場にて彼等の
研究成果を確かめるため、週に一度古巣踊郎氏はそこへ通っているとの話である。いっそのこと、
本社を田舎に移してしまえば、芝踏みしながらダンスを覚えられて良いと思えるのだが、なかな
か、そうもいかないらしい。
前置きが長くなったが、アルコールが入っている性か、古巣踊郎氏は歩いて 10 分位のところに
ある、関連会社経営の飲んで踊れる農協中央センターなる場所へ踊りに行く事に何の躊躇(ため
らい)もなく OK した。腰痛が一時的に直ったのか、それとも新参者の桐々箪笥にダンスでは格が
違うところを今のうちに見せておきたいと考えたからだろうか。一番期待したのは、実は和瑠都捨
夫氏だった。桐々箪笥の上達と古巣踊郎氏のテクニックと、どう違うかじっくり高見の見物をして、
彼の優位性を確認したいと考えたからだ。
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3人が件(くだん)の場所に着いた時は、開店から 30 分しか経っていない性か、女性客が3人と
男性客2人、それに従業員が4人の小人数であった。 以前に冷やかしで通った角夜姉(かくよし)
の地下よりは広いが、精々100 平方米ぐらいで、いわゆる倉庫を改造して小綺麗にした感じの店
であった。コンクリートのぶち抜き柱と天井の配管がいかにも人目につくのがそれを物語っていた。
左奥に歌える小さなステージがあり、入口右手前が調理場で、壁際にへばりつくように客席があ
り、それを除いたスペースが踊場になっている。
年の頃なら 65 を十分に越えた御仁であろう、女性客を相手にルンバを楽しそうに踊っていた。
腰の使い方が正式にダンスを習ったとは思えない様に、極端に動かしていた。恐らく、その昔キ
ャバレー華やかなりし頃に足しげく通い、ホステスにでも教えてもらったのだろう。ステップだけは
数を知っていた。だから、女性客も不満を言わずに踊っていられるのだ。
背広姿の古巣氏ら3人が席につくや、当世流行(はやり)のパンチパーマをかけたダン池田に似
た従業員がおしぼりを持って愛想良くやって来た。「良くいらっしゃいました」。開口一番、客が少
ないので本当に良く来てくれたと言う気持ちが伝わってきた。彼によれば、この店は女性客が8割
とかで男性客は大歓迎と言っていた。愛想は良いものの眼鏡の奥で相手をギッと見据える目に、
幾分の用心をしつつ、「女性客が8割」という言葉に3人はにこりとした。「これで今夜は十分楽し
めるぞ」。
こういう場のトップバッターは決まって、和瑠都捨夫氏が取り持つ事に暗黙の了解が出来ている
のだ。一番目であるという名誉は、彼が自分で信念の様に持っているものであるが、残りの2人
にとっては偵察の役目をして貰うという、いわば共栄の関係にあるのだ。
和瑠都捨夫氏の踊りは、この様なくだけた場には勿体無いくらいのものであるが、彼の偉い点
は、どんな場でもベストを尽くすという事であった。店のママとのルンバやチャチャチャの美しさは
他人の踊りを寄せ付けないものがある。席に戻った和瑠都捨夫氏に、他の踊手たちが羨望の眼
指しを投掛けていた。
「うーん、当分勝てないな」、桐々箪笥はまたも 3 人の序列の確認を迫られ、古巣踊郎氏は熱い
羨望の眼指しを意識してか、部下の踊りの上手さに満足気であった。
程無く、ママが3人の席に挨拶に見えた。「良くいらっしゃいました」。開店してそれ程年月が経っ
ていないので、客足を心配しているのだろう。順調に客商売が出来るかどうかは、少しでも品の
良い客が来てくれるかどうかに掛かっていることは十分承知しているのだろう。
まず、年長(としおさ)で紳士然とした古巣踊郎氏に来店のお礼を述べ、それからおもむろに右手
で優雅な仕草を作り和瑠都捨夫氏を指し示し、「お上手ですわね。ここは8割りが女性の客です
から、皆様の様な上手な方のご来店は非常に助かりますわ」と外交辞令と本音が混じった挨拶を
した。
こうなると、益々頑張るのが和瑠都捨夫氏である。チャチャチャの曲が掛かるとまた、先頭を切
って踊り始めて居た。偵察の結果に安心したのか、桐々箪笥も年増の女性を誘ってチャチャチャ
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のステップを踏んだ。以前に、彼が落ち込んでいたのは、あまりステップを知らないため、女性を
楽しませる事が出来ないのだと変な迷信に囚われていたためである。しかし、これは初心者の彼
を責められない。よく「少数の単語だけで十分に会話が出来ます」とかの英会話の広告が氾濫し
たことがあるが、あれは、単語を多く知っている人が会話の中身を頭の中で再構築して、ワンクッ
ション置いて、平易な単語で喋っているにすぎないのだ。やはり、多くの単語を知っていればそれ
だけ、多くのバリエーションを表現出来るし、他人も素晴らしいと考えるのだ。ダンスもこれと同じ
事なのだ。
今の桐々箪笥は、少し違っている。まず、ステップを少しづつ覚えた事と、多杜先生の指導で基
礎を確実にしていることと、何と言っても、Revised Technique なる座右の銘を持っているという信
仰心があるためだ。相手の女性が彼よりも初心者なこともあって、安心して大きくステップしてい
るのが、彼自身でも感じられたのだ。まずはOKだ。…「偉いね、桐々君。良くここまで辛抱して来
たものだ」、悪魔が笑みを投げ掛けてくれた。
「桐々さん、上手くなったね。暮れにしょぼんとしてた人とは思えないよ」、古巣踊郎氏の偽らざ
る賛辞の言葉であった。が、氏はまた、冷静に状況を分析する事を忘れなかった。「唯、相手の
事を考えて、ペースを合わせるようにしたほうがもっと良くなるよ。見ていると、型通りに踊ろうとし
て堅さが出てる。それを花形孝子が言ったんだろうと思うよ」…鋭い観察眼に「うっ」と詰まって、
桐々箪笥は冷や汗をかいた。
「そうか、自分だけで踊っていたのか」…古巣踊郎氏の指摘のように、桐々箪笥は自分だけで
踊っていたのだ。桐々箪笥の一番の取柄は、他人の指摘が正しいと思ったら素直に受入れる点
である。「若いんだ。どんどん吸収していけ。これからも益々発展するだろう。」久し振りに、天使
が顔を出した。
女性が多いと聞き付けたか、若い男性だけの客がどやどやと入って来た。ネクタイを締めてい
る人がいないと言うことは、ブルーカラーだろうか、踊りには凡(およ)そほど遠い団体である。2人
の正式な踊りに圧倒されたか、なかなか彼等は踊りには出て来なかった。
カラオケの歌にうなされたか、興が乗ってきたか、2人の踊りにやる気になったか、古巣踊郎氏
がワイシャツをたくしあげてルンバを踊り始めた。氏にとっては、本邦初のアマチュア女性とのカッ
プルダンスなのだ。昔とった杵柄とは、氏の踊りのことを言うための言葉か。桐々箪笥が古巣氏
の踊りを拝見したのは、昨年末の宝西ダンスホールであった。あの時は、気が動転していて十分
に氏の踊りを見ていなかった。今ここに、十分に観賞に耐える踊りが見られるだろうと期待してい
たのだが、如何せん、大きな柱の陰になり、時たま女性をリードする姿は見えるものの、またして
も古巣氏の踊りを見のがしてしまった。 また次の機会にしよう。
幾度かのカラオケの歌の後で、古巣氏が「上海帰りのリル」をリクエストした。この歌は日本では
数少ないタンゴの名曲だ。古巣氏は絶対的な自信を持っているみたいで、そこここに感情表現を
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感じ取れた。和瑠都氏は女性客と、桐々箪笥はママとカップルになり、彼等以外に踊る人のいな
いのを確認し、メリハリのあるダンスを披露した。ナチュラルプロムナードターンからロックターン、
「う~ん なかなかいい調子だ」。ツイストターンからクローズドプロムナード。「呼吸もぴったりだ」。
古巣氏の歌もなかなかのものだ。久し振りに快感を覚えた。オープンリバースターンからオーバ
ースエイ。桐々箪笥の体を寒気にも似た快感が走って、フィニッシュを迎えた。
雨のち曇り時々晴れ(1993 年 8 月 14 日、ダンス歴:10 ケ月)
全国的にお盆休みに入っている今日、桐々箪笥は本年5月に踊ったことのある小山区の国民
センターで、パーティ前の会場片隅で早い食事を取っていた。相変わらず馬鹿真面目に、時間厳
守で会場に来ていた。
会場では、4~5組が早々と踊っていた。会場の隅を見やると男性は 10 人位椅子に腰掛けてい
たが、座っている女性は一人も居ない。全てカップルで来ているのだ。これはなかなか女性と躍
る時間が回って来ないな。夕日農業センターで一緒に習っている堅田(かただ)夫妻は、久し振り
なので躍りに来たいと行っていたが、まだ見えて居ない。昨夜、小山優美に電話したら、時間が
あれば来ると行っていたが、忙しいのだろう、まだ来ていない。
一時間ほどぼんやりとして時間が過ぎていった。その間、母親を探す子供よろしく、会場を出た
り入ったりして、友の来るのを今か今かと待ちあぐねていた。心を決めて会場に入ると、丁度ワル
ツの曲が終わろうとしているところだった。さすがにワルツは皆上手に躍る。曲の終わりに席に座
っていた体格のいい女性が、こちらの方に寄ってきた。隣りの男性のところにダンスを申込に来
たのだろうと気に留めなかったが、どうやら、ぽつんとしている桐々箪笥を踊らさせてやろうとの
親切心からか、それとも、女性版教え魔なのだろうか、強引に踊らされていた。
……桐々箪笥は、女性から申し込まれると、否とは言えない性格をしていた。と言うよりも、挑
戦に対しては、男性らしく毅然として受けて立たなければならないとの信念を持っているのだ。こ
れがため、人当たりが良いとの評判を取るが、たまに毒を食らう事もあるのだ。……その彼がタ
ンゴの曲に合せて、プロムナードターンからロックターンに入ろうとした時、彼女の足が引っ掛か
ってしまった。彼がそんな高級なステップを躍るとは予想していなかったのか。ハッと注意信号が
彼女の顔面を走るのが分かった。女性が大勢の場で精神的に劣勢な立場に立たされた時の、補
償行動は何らかの形で現れる。それを知らない男性は必ずしっぺ返しを受けるものだ。それが次
のジルバで現れた。彼にとってはこの曲は一番の苦手なステップでもある。何故苦手になったか
と言うのははっきりしているのだ。夕日農業センターでのジルバの練習の時、女性が少なくて彼
が一人でステップを踏まなければならなかったため、ついつい勘所が分からなくなってそれで覚
えるのが億劫になってしまったのだ。
そのジルバで、彼は上手く相手をリードすることが出来ないのだ。リードすることが出来ないと言
うよりは、アマルガメーションをあまり知らないため、相手に対して引け目を感じているのだ。クレ
ィドルというステップを踏みたいのだが、彼は決まって同じ所でミスってしまうのだ。何度やっても
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覚えられないほど難しいステップではないのだが、何故かしら、覚えられない。それが彼女に悟ら
れたらしく、「如何にも教えてあげるわよ」と言わんばかりの顔をされてしまった。「ジルバは、あま
り上手くないので」と、弁解がましくごまかしたが、「それじゃ何が得意なの」と挑発的とも高圧的と
も取れる態度に出てきた。それ程上手じゃなく、自分の力量を正確に把握できない女性ほど始末
に負えないものはない。このような女性は付き合わないに越した事はない。
「堅田夫妻も、小山優美ももう来ないだろう」、そう思う事で自分を慰めながら、壁を眺めて居た
ら、ぽつんと一人佇(たたずん)でる桐々箪笥と同じような境遇の女性が居るではないか。誰も彼
女に申込まない事を確認してからおもむろに、常套句である「踊って頂けますか」と誘った。彼女
は彼を見るなり、救いの神でも現れたかの如く、安堵の色が顔に表れ「ああ、良かった」と彼女の
本音が喉を何の差し障りもなく出て来たのだ。次の瞬間、桐々箪笥の頭を言うに言われぬ複雑な
感情が走った。…「ひょつとすると、全くの初心者じゃないのか。自分の練習にもならないぞ」、…
「いや、それでもいいや。折角の時間を無駄に過ごす事はない。貴重なパートナーなのだから」…
実は、桐々箪笥もテニスで同様な経験をしたことがあったのだ。排他的で上級意識の強い同じ仲
間うちのみだけでよそ者とは、練習しないという悪いグループ意識に捕われたのだ。…
確かに彼女は、初心者だった。ステップも上手じゃなかった。だが、彼には何故かしら心の落ち
着きが感じられた。何故なのだろう。恐らくは、社交ダンスの基本である、パートナーとしての気配
りを彼女が持ち合わせているからだろう。桐々箪笥はいつも彼よりかなり年上のパートナーを選
んでいるのだ。これはこの位の年齢になると自己顕示欲も薄くなり、人間が丸くなって、付き合い
易くなるのを動物的感で感じとる特技を彼は持ち合わせているからなのだ。
「もう1曲、踊りましょうか」何気なく口走ったこの言葉に、彼女はまたまた感激の言葉を発したの
だ。「まあ、良かった。1曲でさよならと言われるんじゃないかと心配してたの」、どこか歌謡曲の世
界に入ったような錯覚を覚えながら、彼女の無邪気さに引かれて、タンゴを踊っていた。「年は取
っても、気は若くありたいな。この女性のように」(Boys be ambitious, like this an old man. Ladies
be young, like this an old woman)
サンバの曲をジルバで踊ろうとして2人でもたもたしていたら、小山優美がすうーと現れた。薄
青い透明のサングラスをかけ、ドレスアップした彼女は、いつもと違ってだいぶ若作りに装うって
居た。年には違いないが、本当に若作りなのだ。どうしたことなのだろう。そうこうしていたら、前
のパートナーが気を利かして、行ってしまった。分かれもこうありたいものだ。桐々箪笥にとっては、
正妻と妾がかち合わせて妾が気を利かして去っていったような、なんともバツ悪そうな一瞬では
あったが、女性同志が「桐々箪笥命」と彼をめぐって喧嘩しなかったのは幸いであった。
現金な彼は、早速、ルンバの曲で歓迎の踊りを踊った。会場は混み始めてきて、2人の踊るス
ペースを確保するのがようやっとという状況であった。この様な混雑する状況下では、男性は争
いを恐れ序列に従って目立たず協調しようとするが、一方、他人より少しでも自分の美しさを顕在
化しようと女性は燃えるものらしい。小山優美も他の女性に負けじと、夕日農業センターでは見た
こともないような素早い動きで、彼のリードを感じ取りながら、目を見張るばかりにステップを踏ん
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でいた。更に曲が進んでスエイ(SWAY)が演奏されるや、火に油を注いだように小山優美は、遅い
青春を十分に燃焼し尽くすかのように、チャチャチャのリズムに乗って激しく燃えていた。… hold
me close, sway me more … 荒い息遣いに「女性は愛する者のために、これ程までに燃え上が
るのよ」と、小山優美は訴え掛けているようであった。これが、若い桐々箪笥には異様な体験とし
て映ったのだ。男と女の歴史は、このように激しいものであったのか。
小一時間も踊ったろうか、早々に切り上げたい気分になっていた彼は、小山優美のもっと踊りた
いという気持ちを抑えて、会場を後にした。立秋を過ぎた夏の空は、まだ五時半だというのに何と
なくどんよりとして、雲の切れ間から鈍い光が夕焼を作っていた。
喉が乾いたのか、軽く一杯飲みたいという気分になり、駅前の安い居酒屋へ入った。時間が早
い性か、彼等以外は誰も客が居ない。ビールとエイヒレでお喋りをしていたら、彼女はお孫さんと
ジェラシック展に行くのをキャンセルしてダンスに来たとの事。思わず、「すみません」の言葉。常
日頃は、「敬老婦人ボランティア」を自認している桐々箪笥もこの時だけは、恐縮してしまった。
話をしていると、小山優美がダンスについての悩みごとを打明けて来た。彼女は自分が今、個
人レッスンに切換えるかどうか一番悩んでいるのだという。何の悩みも無いように
和瑠都捨夫氏のデビュー(1993 年 8 月 29 日、ダンス歴:11 ケ月)
不安と緊張で血の気が失せた面持ちの出場者達の練習をかい潜りながら、和瑠都捨夫(わるつ
すてっぷ)氏の踊っているフロアの近くまでするすると寄りながら、桐々箪笥はシャッターをカシャ
と押していた。
台風一過の久し振りに暑い夏の陽射しを覗かせる戸外とは違い、白田農業会館はコスチュー
ムの美しさを際立たせるため、外光をシャットアウトし、リズムが聞き取りやすいようにボーカルを
除いたダンス音楽がラウドスピーカーから流れていた。実は、際立っているのはコスチュームば
かりではなく、凡(およ)そ自分の顔とはいい難い美しく隈取(くまど)りした女性出場者の顔々であ
る。
二三度のフラッシュに桐々箪笥の存在を確認したのか、踊りの途中で和瑠都捨夫氏が軽く余裕
の会釈を交わして来た。相変わらず、プレッシャーの無い人だ。彼は、第4回 NSDA(Nippon
Sports Dancing Association) カップ競技会に隣町の大畑丸美子(おおはたまみこ)と初出場にして
は図々しくも2部に出場しているのだ。この競技会は3部(ラテン、モダン)、2部(ラテン、モダン)、
1部から構成され、数が少なくなるにつれて上級になっていく。3部と2部は、モダンあるいはラテ
ンのどれに出場しても良い選択制になっている。これらのレベルはノービス級と呼ばれ、言わば
初心者クラスなのである。この上に全日本アマチュアD級、同C級…と続く。
桐々箪笥が会場に現れたのは、10 時を一寸過ぎていて、一番下の3部のラテン1次予選が始
まったところだった。きょろきょろと辺りを見渡して小山優美(こやまゆみ)を探したが、見付からな
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かった。一週間前に、夕日農業センターのダンス部で彼女に会った時は、花束を持って行くと言っ
ていたが、まだ会場には見えていない。彼女はデモンストレーションと混同しているのだ。如何に
和瑠都氏と言えども、会場で一人場違いに花束を貰って平然とダンスを踊り続けられるほど、厚
顔ではないのだ。いやまて、ひょっとすると彼には人知れないウィットの精神があり、会場を沸か
せたそのエネルギーをバネにして、優勝するかも知れないぞ。これは新聞の3面コラムを久々に
飾る特種になるなと桐々箪笥は近い将来の出来ごとに期待した。
フロアは出場選手の控えが多く、一般観客はほとんどが敬老団体で全体の 1/4 ぐらいであった。
そのほとんどが元気で現役を続けているのだろう。手提げ袋にダンスシューズの様な形が見える。
これで日本の老人福祉問題は解決するのかな。
進行係りやタイムキーパーの度々のミスで、踊りを2度も踊るという事が散見されたがもう少し
訓練すべきである。桐々箪笥にとってはダンスの競技会を見るのは初めてなのだが、こんなに不
手際なのも珍しい。
一曲の踊りが佳境に入るや、サークル友達や親戚の人間なのだろう、踊りの優雅さとは裏腹な
グロテスクな掛け声が何処からともなく掛かる。…ドスの利いた「百何十~何~番」、女性の甲高
(かんだか)い「何十何番!」。まるで、歌舞伎の観劇に来たかのような錯覚すら受ける。声援を受
けた「百何十何番」氏や「何十何番」嬢は、自分の踊りに必死でとても声援に答えて微笑みがえし
の技を繰り出すところではないらしい。この様な掛け声は、勿論踊り手に対しカンフル剤の役目を
果たすのだろうが、剣道の試合で「めーん」とか「こてー」とかと同じ様に、ポイントを審査員にアピ
ールする効果を狙っての事だろう。しかし、余り上品じゃないので、彼はついぞ掛け声を掛けずじ
まいであった。
出場者のレベルが高く、1次予選を通過するのが大変なのだが、ラテンのみ2次予選へと彼の
ペアは進出した。彼のペアは人目を引くほどの身長の高さを持ち合わせていないため、最外周を
進んでいたのでは審査員の目に触れる機会が少ないのと、女性の服装が穏やかであったため
強烈な印象を与えるのは困難ではないかと、桐々箪笥は一人心配していた技術的印象というも
のは、ほとんど拮抗
(きっこう)しているから差が付かないものの、あとは如何に芸術的印象を審
査員にアピールするかである。彼のペアは、芸術的印象を強烈に訴えるほどの緩急を持った大
きな動きが少なかった様に桐々箪笥には思えた。
2部の2次予選ともなると、流石(さすが)にどのペアも技術的には差がなくなってくる。通過はど
うだろうか。和瑠都氏の脳裏に去来するものは、「駄目で元々」と「何とか準決勝へ残りたい」とい
う諦念と執着の背反心理なのだろうが、恐らく9割は後者なのだろう。
2次予選通過の発表の時、残念にも 70 番の call は無かった。この瞬間、彼の気持ちは素早く
切替わったらしい、顔に安堵の色が戻った。「彼は気持ちの切替えの早い人だから心配しなくて
いいよ」、またまた悪魔が桐々箪笥に囁いた。「ああ、あなたも見に来ていたのですか、私の競技
会の時も同じ様に応援して下さいよ」彼は、幾分弱気で頼み込んだ。
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プログラムが進行し、2部から1部へと競技が移るや、出場者も厳選され、更に女性の衣装は
一段と華やぎ、鹿鳴館(ろくめいかん)も斯(か)くありやと目を見張るものばかりである。聞けば衣
装は二十万円以上すると言う事だから、そのほとんどはレンタルなのだろう。
青羽根会館であった「蚤の夫婦」も綺麗な衣装で出場している。あれ~、森下文化センターで会
った金魚青年も参加している。彼等1部競技者の踊りは衣装の美しさもさることながら、やはりラ
イズ&フォールがより正確で流れるような踊りを見せてくれる。「金魚青年」と言う仇名(あだな)は、
桐々箪笥がかの青年の踊りをみて即興的に付けたものである。踊る前の彼はインテリ然とした好
青年に見えるのだが、一端踊り始めるや苦痛に顔を歪め、酸素を補給したいのか口をぱくぱくさ
せて、まるで金魚のような踊り方をする。あれでは芸術的印象は悪くなる。確かに短期間には無
酸素運動をしなければならないけれども、その後は有酸素運動に切替わるはずだから、口をぱく
ぱくさせるのは、何と言っても練習の不足だ。テニスは、ダンスよりもっと無酸素運動と有酸素運
動を繰り返さなければならないスポーツだけれども、桐々箪笥はそんな馬鹿みたいな格好をした
ことは無かった。「金魚青年。少し修行が足りないぞ」。
「蚤の夫婦」は、その名の通り、奥さんが桐々箪笥と同じくらいの身長で、ハイヒールを履くと優
に彼より高くなる。また、堂々とした顔をしており男の顔なら他人を威圧しそうな面持ちの人だ。一
方、旦那の方は和瑠都氏と同じくらいの背丈なので、審査員への視覚的アピールは逆位相的に
抜群なのだ。「蚤の夫婦」がカップルを組んだ時は、恐らく旦那の方が技術的に上で、奥さんをな
だめすかして競技会へ出たのだろう。そうでなければこの様なカップルが出来る可能性は小さい
からだ。「蚤の夫婦」カップルでも、一端出来てしまうとなかなか解消できないのが、この世界らし
い。パートナーを選ぶ時は、将来を見越した慎重な選択が必要な事を示す良い例でもある。
昼休みの休憩時間に和瑠都氏と大畑丸美子、それに友達の五人で軽い食事をとった。大畑丸
美子から和瑠都氏にペアを組んで欲しいと誘いがあったのは一カ月前だとか言っていた。しかし、
彼女の旦那にとっては、見ず知らずの和瑠都氏と彼女がペアを組んでダンス大会に出るなどとい
うことは、露知らないらしい。ひょっとすると、亭主の目をはばかってダンスをする見目麗子(みめ
うるわし)と状況が同じなのかもしれない。その大畑丸美子は、小柄で人当たりの良さそうな丸顔
の女性である。ダンスをしている女性にありがちな、勝ち気で気の強さは、少なくとも外見には現
れてこない。和瑠都氏にとってはグッドペアと言うところだろうか。あとは、彼女の亭主との間でダ
ンスのことで人情沙汰(にんじょうざた)にならなければと願うのみである。
食事をしながら、和瑠都氏と彼女が今日の反省をし始めた。「ルンバの時、緊張して音楽がず
れてしまった」。………それが敗因の全てであると断定したわけでもないのだろうが、「和瑠都氏
は音楽に対しては絶対の自信がある」と信じ込んでいた桐々箪笥にとっては、普段の和瑠都氏と
は違う彼がそこに居るのではないかと思われる言葉に、自分を疑った。やはり彼もかなりのプレッ
シャーを感じていたのだ。まして言わんや、初心者の桐々箪笥にとっては、競技会に出る事はラ
クダが針を飲み込むのと同じくらい大変なのだと悟った次第である。(注:「ラクダが針の穴を通
る」が正しい用法)
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彼女は別に自分に落ち度がなかったらしく、「みんながうますぎたのね。今度は1ランク下げて
出ましょうよ。私たちなら絶対に賞が貰えるわよ」と、和瑠都氏を急(せ)かせていた。彼は心に無く
相槌(あいづち)を打ったが、実は、同じランクで踊りたいと言う気持ちが強かったに違いない。彼
の何とも言われぬ踏ん切りの悪さがそれを物語っていた。更に続けて「でもね、負けた試合のほ
うが勉強になるって言うから、これでもいいわ」、意外と淡白な言葉が発せられた。
過去のテニスの試合経験からすると、何時までも自分のミスに拘(こだわ)り続けて、「あそこで、
ああすれば事態は少し良くなっていたのではないか。ここで、ストレートのパッシングが決まって
いたらもっと勝機はあったのではないか」と、ずうーと自分を責め続ける桐々箪笥にとっては、彼
等のあっさりした反省にむしろ物足りなさを感じたのだ。
今日の競技会に刺激されたのか、帰りの電車の中で桐々箪笥は綺麗な衣装に身を固めた瞳
美子(ひとみよしこ)とワルツを優雅に踊っている場面を夢想していた。「よし、彼女となら1部でで
も踊れるぞ。それには、彼女の前屈みの癖を直さねば」。早速、猛練習をする2人がそこにいた。
和瑠都氏ペアを追い抜くのは時間の問題だ。
黒いドレスの女(1993 年 9 月 14 日、ダンス歴:12ケ月)
敬老の日を前に、桐々箪笥は午前中都内での会議を終え、彼が勤めている会社の最寄り駅の
公衆電話から深窓令子(しんそうれいこ)に電話していた。本日のダンスパーティーへの勧誘であ
る。以前に会った時、彼女の旦那は数年前に亡くなったと言っていたので、小山優美(こやまゆ
み)よりは比較的電話しやすいと思ったからだ。5~6回の呼び鈴の後に優しい女性の声がした。
もし娘さんや彼女の息子の奥さんなら何と言い訳しようかと考えたが、深窓令子であることを確か
めて安心した。彼女は島綱の篠竹先生のスクールで個人レッスンを受けるので、会場へは
7:30pm 頃になるけれども、行くと言っていた。
電話が終わってから、小山優美へ電話連絡をして欲しいと頼むのを忘れていたことに気付いた。
すぐに胸のポケットから超ミニ電話帳を取りだし、小山優美へ電話したが留守番電話のほうに掛
り、すぐに切ってしまった。別に録音して残して置くほどもない情報だからだ。もう一つある別の番
号を回したが呼び鈴が2回ならないうちに、また切ってしまった。もし彼女の旦那が受話器に出て、
「どんな関係ですか」と色々詮索されたり、サラリーマンが日中仕事に関係ない事で女性に電話し
てくるのは、どんな奴なのかと人間性を疑われるのが耐えられなく嫌だったからだ。
会社に戻ってからも、小山優美へ電話しなかったことが頭にこびりついて彼の仕事を邪魔し続
けた。いっそ、深窓令子へも電話しなければ、すっきりしてダンスパーティーへ行けたのにと邪念
が彼を責めさいなむのを桐々箪笥は悔やんだ。なまじ深窓令子へ電話したばかりに「彼女へは
電話して自分へは電話してくれないの。ずいぶん冷たいのね」と小山優美からの非難を気にし続
けていたのだ。そんな事があって、会社の勤務時間が終わる 5:30pm ちょっと前に、公衆電話から
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小山優美の家に電話した。「はい、小山です。」、聞き慣れた話し声に緊張が解けて救われるよう
に、今日のダンスパーティーへの事をビジネスライクに話した。この時間帯は、若い人達がデート
の約束をするために頻繁にこの公衆電話を利用するので、近くで彼の電話が終わるのを待って
いるからだ。彼女は友達と食事をするので駄目だと言っていた。桐々箪笥は「今日のダンスパー
ティーには、和瑠都捨夫(わるつすてっぷ)氏が来るんですが。」と言うのを忘れてしまった。もし和
瑠都氏が来ると言えば、彼女は友達との食事をキャンセルして、パーティーに来たのかもしれな
い。しかし、全ては後の祭りだ。もうすでに、女の子が2人、彼の電話の終わりを今かと待ってい
たのだ。電話連絡を終え、やるべき事はやったという自己弁護に心を落ち着かせ、机へと戻っ
た。
終業時間のチャイムを聞いて、おもむろに机を離れた。桐々箪笥の部下や同僚は、丁度古巣
踊郎(ぶるーすおどろう)氏の会社で会議をしており彼の部署には彼しか居ないので、誰に気を遣
(つか)うこともなく待ち合わせ時間の 6:20pm に間に合うように、ダンスシューズと今日買ったばか
りのマラカスを持って会社を出た。
浜縦の中心部に「農業振興会館」なるものがあるのは、農業が国の礎(いしづえ)として十分な
扱いを受けており、確かな社会的位置を確保しているためなのだ。桐々箪笥は古巣踊郎氏、和
瑠都捨夫氏と「農業振興会館」の最寄り駅である和管内駅で待ち合わせをした。彼等にとっては、
高品位芝生開発会社に勤めている関係上、「農業振興会館」は関係ありそうに思えるが、兎に角、
農業関係は国の基幹産業だし幅が広いため、分からないのも仕方のない事だ。6:20pm の待ち合
わせ時間を過ぎても、それらしい影は見えない。10 分遅れて古巣踊郎氏らがやって来た。遅れた
にはそれなりの理由が十分あるという余裕の顔である。 聞けば、桐々箪笥の部下や同僚が古
巣踊郎氏の机の前で真剣に仕事をしているので、出るに出られず遅れたとの事。さもありなん。
「農業振興会館」は和管内駅の南口を、野球場とは反対側に歩いて、2~3分の大通り公園に
面した所である。ここへはこれで3回目である。最初は爽恵美子(さわやかえみこ)に連れてきても
らい、見目麗子(みめうるわし)を紹介して貰ったのだ。次は、雑誌で見付けて一人で踊りにきて、
帰りに部下の茶乱保蘭(ちゃらんぽらん)氏と偶然に電車であったのだ。
大通り公園口の玄関から階段を上ると、着飾った女性たちが入口の深々とした椅子に座って衣
装を整えながらエスコートしてくれるパートナーの着替えを待っているのかそわそわしていた。一
昨日主催者にフリーで踊れるか確認して大丈夫との返事を受けていたが、美しく着飾った女性た
ちが多いため、一瞬今日は特別のパーティーかとギクッとした。受付けでは、「前売り券が売り切
れているので一杯になったときは御容赦下さい」と言っていたが時間が早い性か、会場では 10 組
ぐらいしか踊っていない。
特別に服を用意してきたわけではないので、準備にそれほどの時間は要しない。古巣踊郎氏
は昔買っておいたという上物(じょうもの)のダンスシューズを恭(うやうや)しくおろして履き始めた。
が、和瑠都捨夫氏は忘れたのか、普通の通勤快足なのだ。桐々箪笥にとっては、予期していたこ
とと反対の事態に、彼等が何と説明するのか興味を持って待っていた。
「こういう場所では、ダンスシューズを持ってこないと入れてくれないのではと思ってね」と、言葉
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を選びながら、年長で慎み深い古巣踊郎氏が答えた。やはり新しい所への対応は慎重さが必要
なのだ。
今日はどうした事だろう、いつもと違って和瑠都氏がなかなか踊ろうとしない。彼が踊らないと、
残り2人も自分に向かって「さあ、踊ろう」と言い聞かせることが難しいのだ。やはり、靴が通勤快
足だから踊りにくいのだろうか。それでも、ジルバの曲が掛かるやこれはという女性を見付けて勇
んで出ていった。彼を送り出した2人は軽く2曲ぐらいパスして踊りを眺めていた。
和瑠都氏が戻って来て「知った人がいないというのはなかなか良いね」と言った。青羽根会館と
かの常連がいるところでは、自分が相手を選択でき無くて不自由を感じるが、知らないところでは、
自由に相手を選べるから楽しいとの事。良く聞いてみると、彼が踊り出さなかったのは、どの女性
が上手いか選別するためとのことだったのだ。なるほど、目の付け所は鋭いね。
ルンバの曲が掛り、桐々箪笥もこの女性は踊りやすいのではと思う女性に動物的勘で接近しな
がら、恭しく「踊っていただけますか」と誘った。黒いドレスを身に纏って若作りはしているものの、
55 はゆうに過ぎているだろう。目尻のかなりの皺(しわ)と頭髪の薄さが年を感じさせた。この頃、
彼はルンバの曲が好きになってきた。ステップを色々覚えて、左程上級者に対しコンプレックスを
感じなくなったからだ。いやそればかりでは無い、ワルツやタンゴの様なモダンに比べて格段に自
己表現がし易いと分かったからだ。踊りは本来、自己表現の一手段であるはずなのだが、次第に
見栄えを気にしフォームに捕われて表現自体を堅苦しくしてしまったのだ。とは言っても、やはり
ある程度の美しさは必要なので、それなりに各自が努力し、時には花形孝子の様な女性に揉(も)
まれて上達して行くのだろう。
黒いドレスの女性は、桐々箪笥のリードを適格に感じながらうまくフォローしてきた。時たま見詰
め会う時の彼女の目の優しさが、彼の心を和(なご)ませてくれる。そう言えば、彼の好みのタイプ
は、「優しいお姉さん」型なのだ。無理もない、彼の兄弟は、彼の上4人が全て女なので、子供の
頃から優しく育てられたせいなのだろう。それが自然に「優しい女性」を選択させたのだろう、女房
以外は。
時たま、桐々箪笥にも十分消化されていないステップを入れて相手の反応を待って見た。やは
り、サークルが違うと教えられるステップが若干違っているのだろう、彼女はフォローするのが出
来ないらしく頭を下げて「すいません」の動作をした。自分でも出来ない様なステップを他人に踊
らせる桐々箪笥の方が悪いに決まっている。このあたりの何気ないステップから他人の技量を見
抜く訓練に乏しいあたりが、和瑠都氏に水をあけられる原因になっているのだ。…とはいえ、それ
でも新しいステップを入れる事によって自分ばかりか相手も上達することがあるから、彼は時たま
消化不良気味のステップに挑戦しているのだ。…ルンバが終り、次の曲が掛かるまでに、「もう一
曲宜しいですか」と、NO の答えが無いと確信して常套句を自然に発していた。この常套句が自然
に口から発せられるようになったのは、つい最近の事である。以前の彼ならば、知っている音楽
だけを選択して踊っていたので、次にどんな曲が掛かるのか不安で、一曲終るたびに「ありがとう
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ございました」と言って、汗拭きを口実に戻ってきたものだった。
ビートの利いたチャチャチャの曲が流れて来る。テンポが早いだけにある程度アマルガメーショ
ンとしてステップを覚えていないと同じようなステップばかり踏んでしまうことになる。夕日農業セ
ンターのダンス部ではこのところあまり新しいステップを教えてくれないので、ついぞ進歩はなくな
ってしまった。
小山優美や深窓令子を相手に新しいステップを踏もうかなと思っても、彼女らも新しいステップ
はあまり知らないらしく、そのままになっている。新しいステップが無いだけに、黒いドレスの女性
も安心して踊っているみたいであった。やはり、知っているステップを踊るというのは精神的に安
定するのだろう。
…踊り終りお礼を述べて、「私の友達と踊って頂けますか」と、黒いドレスの女性を誘った。椅子
に腰掛けて踊りを見ていた彼女の仕草を十分に観察しておいた桐々箪笥は、彼女は一人で踊り
に来ているのだと確信していたからだ。多少訝(いぶか)る彼女の手を優しく握りながら、古巣踊郎
氏の所へエスコートした。
はにかみ屋で人見知りの氏は、腰痛にかこつけて渋ったが、折角の桐々箪笥の好意を無にし
てはいけないと配慮したのか、誂えのダンスシューズの初踊りの相手としては悪くないと、肘を回
し肩の関節を柔らかくしながら踊り始めた。氏の好きな数学の公式みたいに、やや柔軟性には欠
けるが、一端型に嵌(は)まるや物の見事に最後まで綺麗に踊り続けられる。但し、どの公式を選
択するかによるのだが。
古巣踊郎氏が踊っている間、桐々箪笥は一人でぽつんと腰掛けている緑色のスカートをはいた
女性を見付けた。3、4カ月前の桐々箪笥がそこに居る様であった。彼は敬老御婦人ボランティア
宜しく、優しく手を差し伸べ、「踊りましょう」と彼女をステージへ誘った。初級を卒業しかけのレベ
ルだが、ルンバのファンポジションからの前進の時に左手をグルッと回す癖のある踊り方をする。
サークルに通っているのだろうが自己流にアレンジしてしまったのだろう。何故かタイミングを合
わせにくい女性であった。曲が終って意思決定に迷って居たら、女性の方から「もう一曲いいでし
ょ」と、多少ガラッパチな声で迫られた。彼がパーティーで女性の方から迫られたのはこれが初め
てであった。トイレへ行きたい事もあってその場を中座した。 トイレの後、古巣踊郎氏の座ってい
る席へ戻り、黒いドレスの女性の感想を聞いた。氏は白面(しらふ)で踊るのは初めてと言う事で、
「緊張して上手く踊れなかったよ」と、公式選択のミスを悔やんで居たようだ。そう言えば、多少ア
ルコホールを含み廉恥心を除いて踊るのが氏の常道だったのだ。
中座したガラッパチ女性の所へまた、踊りに行った。会場が混みはじめタンゴのメリハリある音
楽とは裏腹に、空きスペースを見付けて踊るのが精一杯になってきた。それでも東京のダンスに
比べたら、まだまだ浜縦のダンスはおとなしく、仕草がゆったりしている。
曲が終わり、一人で座っている古巣氏を見付け、ガラッパチ女性を紹介した。氏は、また人見知
りをしたが、和瑠都氏にも急(せ)かされて踊り始めた。
93D - 20
浜縦近辺のダンスパーティーでは、あまり上級者が踊りにこない。この点では、桐々箪笥にとっ
ては上級者を意識せずに踊れるし、逆に上級者の顔をして踊れるため都合がいいのかもしれな
い。興が乗って来たのか、足は自然に黒いドレスの女性の方へ吸い込まれるように向かっていっ
た。スローの曲が流れている。だが、彼はブルースを選んだ。しばし彼女とのゴージャスな時間を
全身でゆったりと感じ取りたかったからだ。……スロー・スロー・クイック・クイック…… 彼女の胸
の膨らみが桐々箪笥の小さな乳首にあたり、局所的に快感が走る。このような快感が周期的に
体の中を走るのを覚えて、彼は昨年の十月に夕日農業センターで初めてブルースを踊った時の
興奮を、踊りながら思い返して居た。女性の内股が彼の内股に接触した時の何とも言われぬ快
感に、彼は純情にも男性的に興奮して、しばし踊りを続けられなくなっていたのだ。これがため、
その後3~4回ぐらいはサポーターと称してテニスではいていた短パンを着用していた。…随分
純情だったんだなと苦笑しながら、黒いドレスの女性をしっかりとホールドし、この興奮が覚めや
らぬ事を祈りつつステップを踏んでいた。「このような時間ならいくら費やしても惜しくはない」とま
るで、浦島太郎が竜宮城で費やした楽しい日々を彼は自分の時間にオーバーラップさせていた。
しかし、天使がその様な楽しい時を長続きさせてはくれなかった。……「私は健全な敬老人育成
のため、特定の老人ばかりが楽しんでいるのは良くないと思ってね。」と、深窓令子の背中をそっ
と押して会場の入口へと立たせていた。
夢の世界をさ迷いながらも、ぼんやりと深窓令子の影を確認したのか、桐々箪笥は正気に戻り
つつあった。何故か遠くで興奮したような、しかし自分をジッと冷静に見つめて居る存在を意識し
て、彼は急に気恥ずかしさを感じた。急に変な動き方をした彼に合わせるかのように、黒いドレス
の女性は自分がステップを間違ったと思い、「すみません」と上品に耳元で囁いた。
・・引き潮のように楽しい時は音楽と共に過ぎ去り、余韻を残しつつも現実に完全に押し戻され
た桐々箪笥がそこにいた。丁寧なお礼の挨拶の後、彼はそそくさと深窓令子の所へ駆け寄り、皆
と踊るように勧めた。 来賓を持て成す大事な役目は、和瑠都氏と決めている。彼のラテンに満
足しない女性は先ずいないはずだ。彼も普通のダンスでは飽きたらないのか、深窓令子を相手
にクイックステップを軽快に踊っていた。彼女も個人レッスンを受けているだけあってなかなかの
ステップである。
帰り際に、意外な出来事が古巣氏に起きてしまった。中肉中背の女性が何と物好きにも古巣氏
の所へ気安く踊りを申し込んで来たのだ。親しく話し掛けて来たので近所の知り合いか、行きつ
けの飲屋の女性かとばかり思っていたのだが、どうもそうでないらしい。和瑠都氏が一番初めに
踊った女性らしいのである。彼に言わせれば、本当は彼のところに申し込みに来たのだが、立っ
た場所がたまたま1万分の1メートルずれていたために、古巣氏をパートナーとしたとのこと。そう
だろう。そうだろう。
古巣氏も今日は十分に踊れた事と思う。和瑠都氏の帰りの時間もあり、8:30pm に会場を出て、
軽く食事を取ることとした。浜縦は古巣氏のホームグラウンド。特に和管内駅近辺は詳しいらしい。
93D - 21
氏の頭に入っているマップから、近辺のスペイン料理店が選ばれた。間口が狭くこじんまりした店
である。客は3~4組ぐらい入っていたが、皆静かにハマの夜を楽しんでいた。ダンスの後はビー
ルが喉に一番あっているのか、誰も文句が出ない。後に入ってきた3人組みの無粋な連中に一
時静寂を破られたが、それも程無く止んで4人組の楽しい会話の一時となった。
深窓令子は、かって観光旅行でスペイン南部を訪れたといって、サングリアなる飲物を桐々箪
笥に勧めていた。彼女は夫が生存中にかなり外国を旅行したのだろう、外国の話しをすると興味
深く耳を傾け、時に相槌を打ったりする。話しをしている時に気が付いたのだが、深窓令子の目
は光線の加減か幾分青味がかって、日本人離れした高貴な方の様に見える。そう言えば、この
間桐々箪笥が、小山優美と彼女の3人で庄屋という飲屋に行った時、彼女の口から「このような
所へ来たのは初めてですわ」と言う言葉を聞いて、強烈なカルチャーショックを感じたのを思い出
した。深窓令子の年代であれば、「慎ましく」という形容詞で育て上げられたに違いない。そういう
意味では平均的な女性なのかもしれない。桐々箪笥の母親も、このような場所には一度も足を運
んだ事はなかったろう。そういう点で珍しくはないのだ。が、サラリーマンの妻であった深窓令子
が、大衆飲屋に足を運んだことがないなんて。相当の深窓の令嬢だったのかもしれない。
昔、桐々の実家の隣が農林省の官舎になっていて、そこに東京の省の課長の部署への足掛か
りとして、2~3年の間、小役人達がその官舎で東京風の生活をしていた。地元の人々に比べた
ら生活レベルが高く、品の良い立ち居振る舞いをしていた人々が住んで居た。桐々箪笥と同年代
の子供がいて、しょっちゅう遊びにいっていたが、親戚から送って来る贈物の豪華さに経済的なレ
ベルの違いを見せ付けられ、子供心に貧乏への嫌悪感と上品さへのぼんやりとした憧れが育っ
ていた。この精神的ギャップは埋まらないかもしれないぞと感じつつ、現状を強いて容認しようと
彼はしていた。育ちが良くてどちらかと言うと庶民の匂いを感じさせる「動」の小山優美に比べて、
確かに深窓令子は「静」を感じさせる。
桐々箪笥が、深窓令子へ今日のパーティーへ来てくれたことへの礼を述べ、実は、小山優美へ
も連絡してくれるよう頼むのを忘れた事を付け加えたら、小山優美も実は寡婦だと言っていた。飲
屋での彼女の会話からは、寡婦と言う事を匂わす言葉は感じ取れなかったのだが。
興が乗って来た時の古巣踊郎氏の座の盛り上げ方は、さすがに上手い。年齢構成的なものも
あるのだろう。決して相手を無視せず、なおかつ、事実をオブラートで包み、「おやこんな見方もあ
ったのか」と思わせる話し方をする。これは一方では、和瑠都氏や桐々箪笥がどちらかと言うと、
聞き役として話し相手を盛たてているからなのだろう。Good Listeners make Good Speakers.
こ
ういう場所で教養の滲(にじ)む会話が出来ればいいなと常々思っていた桐々箪笥は、徐々に彼
の周辺がその様に染まってきているのを感じ嬉しくなっていた。
93D - 22
色々の女性(1993 年 10 月 2 日、ダンス歴:1年)
夕日農業センターの土曜日の畜産科に、以前火曜日の畜産科にいた瞳美子(ひとみよしこ)が
移って来た。そう言えば、農業実習科で一緒だった杉野香織(すぎのかおり)もこの 10 月から同じ
クラスになった。それでも、クラスレッスンの時は自由に瞳美子とパートナーとなって踊れない事
がグループレッスンの辛いとこである。この頃、桐々箪笥は贅沢になってきたのか、それとも向上
心旺盛のためか、初心者レベルの女性が彼のところを目指して一目散に駆け寄る光景にうんざ
りし始めていたのだ。「もう少しじょうずなパートナーと踊れたら」、そんな贅沢な願望を持ち始め
たのは明らかに、彼が多杜先生のクラスに通い始めてからだ。人間とは浅ましくも恐ろしいもの
だ。
ワルツの自由時間に片山律子(かたやまりつこ)とたまたまパートナーとなって踊ったのだ。彼女
はレベルは初心者なのだが、一回も休まずレッスンを受け、かつ、律義にも彼が主催している島
綱の練習にも来るため、皆と一緒に今年の4月から畜産科に進めたのだ。女性は一般に自分か
ら勉強しないため、なかなか上達しない。彼女もその口なのだが、兎に角、体が堅く感じられる。
その彼女と踊っている時、女性教師の前を無事通過してこれはうまく怒られ無くて済むかと思った
のだが、気の緩みか、セームフットランジに彼女を導入したら、またまた彼女がミスしてしまった。
このステップは彼女もまだ飲み込めなくて、島綱の練習では彼も大部彼女を鍛えてはやっていた
のだ。
「やっぱり駄目か」と思った瞬間、女性教師の月光綺羅利(つきのひかりきらり)の厳しい眼差し
が彼等を捕らえていたのだ。「桐々さん、初級の人に難しいステップを踏んではいけません」。…
丁度 10 月は、新クラスの編成があり、農業実習科にいた初級の人も何人かこの畜産科へ上がっ
て来たのだ。それらの人のため、女性教師は親切にも「難しいステップを踏まないように」と前もっ
て注意したのだ。…後ろ姿で片山律子と識別できなかったのか、それとも、制度的に中級の畜産
科には居ても下手な人は皆初級と女性教師には見えるのか、彼女は初級と見做されたのだ。
恥ずかしさを感じたのは、「桐々さん」と皆の前で呼ばれた桐々箪笥の方なのか、それとも、「初
級の人」と言われた片山律子の方なのか。早速、女性教師が彼の所にやって来て、ついでに腕
のフォームの悪い点を懇切丁寧に直していってくれた。この懇切丁寧さが実は、クラスの女性連
中には「えこ贔屓(ひいき)」と映るらしく、この間、飲み屋で小山優美(こやまゆみ)と飲んでいた時
に「あなたばかり、月光綺羅利先生に可愛がられているんだから」と嫌味ともなく言われたのを思
い出した。だからといって、彼が女性教師に胡麻を擦っているわけでもない。彼女が勝手に彼を
贔屓にしているだけなのだ。本当に困りものだが生徒である桐々箪笥には為す術がないのだ。
…人生には言い訳したくても出来ない時だってあるんだよ。…
人を悪く言うのは彼の趣味ではないし、そういう事をするのは恥だと考えている人間なのだ。そ
の分、彼は自分を執拗に責め付ける性癖がある。何処と無く寂しさを秘めた彼の顔は、実は、自
分への責めと諦念がそうさせているのだ。だからこそ、女性は母性本能をくすぐられるのかもしれ
ない。かの女性教師の様に。
93D - 23
次の曲が掛かっても、彼は皆に背を向け一人壁に向かいシャドーでフォームを作っていた。…
誰も近寄らないでくれ、俺は勉強したいんだ。……殻に閉じ籠れば、達磨のように瞑想の境地が
得られると錯覚するのか。兎角人は孤独を孤高と勘違いするらしい。……… 気を利かしたのか
牧村三枝子(まきむらみえこ)は、怖い物にさわるように腕を胸に抱えるようにして、じっと桐々箪
笥が彼女に気付くのを待って居た。彼の視覚の端にしっかりと彼女の存在を認識しては居たが、
孤独でいることによって大願が成就するような気がしたのだ。が、彼も人の子、瞳美子と同じ様に
女性の優しい仕草には弱いものだ。「御免、気が付かなくて」と、自分の弱点を隠すように、つい
つい寄っていってしまった。
あっという間に時間は過ぎ、土曜のレッスンは終了した。
土曜のレッスンの後は、島綱の多杜先生のダンス場で練習するのがこの頃の通例になってい
る。実際、1時間半のレッスンだけでは殆どの人が習った事を覚えられないのだ。そのため、この
ダンス場に来て、3時間ほど練習するのだ。考えてみれば、千円で3時間も練習できるなんて安
い物だと思う。この頃は、男性も多く集まるようになって、桐々箪笥も少しは楽になってきた。
水曜の夜のクラスで、瞳美子に「土曜のクラスになったら宜しくね」と言われていたのに、実際に
は自分でもコントロール出来ない程の御婦人方に囲まれて、ついぞ彼女とは一回も踊れなかった。
そのお詫(わ)びもあって、このダンス場では一番最初に彼女にダンスを申し込んだ。彼と彼女の
関係は今のところ、小山優美しか知らないはずだ。水曜の夜のクラスではワルツを気持ち良く踊
ったのに、今日の瞳美子は何故かしら重たく感じられる。疲れているのかな。それともおもいっき
り彼に身を委ねて、私を抱き締めてと訴えたかったのか。二人の関係を知られたくないので、すぐ
に別なパートナーと交替した。
2時間くらい経ってから、本良命子(もとよしめいこ)が彼の所にやって来て、「ようやっと私の番
が来たのね。2曲続けて踊って下さらないこと」と、他人には聞こえないようにさりげなく、彼の耳
元で囁いた。彼女は夕日農業センターの土曜日のクラスでは、一番踊りやすい女性だった。桐々
箪笥がスエィを掛けて踊っても付いて来れるのは彼女だけだった。それがため彼も少し入れ来ん
でいることはあったのだ。肉感美の牧村三枝子に比べれば、ホールドした時の彼女は、背中をそ
っと撫でたら性感帯が縦横に走り、びりびりと来るのではないかと思わせる程の痩せ過ぎの女性
だ。その彼女と瞳美子の前を優雅に踊り始めていた。オーバースエィが綺麗に決まった。勿論、
これは2人の踊りを皆が固唾(かたづ)を飲んで見つめるであろう事を、桐々箪笥は十分に計算し
ての事なのだ。本良命子も意識しているのだろう。桐々箪笥と踊る時は他の男性とは違った深い
踊り方をする。「私はこんなに上手に踊れるのよ、みんな見て」という自己顕示欲が彼女をそうさ
せているのかもしれない。
いつもは遅くまで付き合う小山優美が、家にペンキ屋が来ているのでと早く帰って行った。 本
良命子との踊りが終り、ぽつんとしている瞳美子の所へ行って「踊ろう」と誘った。本良命子の上
手い踊りに引け目を感じたのか、それとも桐々箪笥が自分をあまりかまってくれないので多少拗
93D - 24
(す)ねているのか、いつもの目の輝きは失せ出足が鈍かった。その鈍さは踊りにも現れた。こん
なに鈍くはなかったはずだ。そう言えば「火曜のクラスにいたとき皆が上手でどうしてもついて行
けない」とこぼしていたことがあった。その嘆きが本良命子が彼女の前に現れたことで増幅され、
体が萎縮したのか。「もう少し、どうすれば自分の踊りが上手に見えるかを考えて踊ってくれれば、
上達も早いのだが」と、桐々箪笥は思うのだが、実際そうではないのだから、夕日農業センターで
10 年以上も同じクラスでダンスをしている人がいるのだろう。
そうこうしていたら、瞳美子が帰ってしまった。「彼女は主婦業をしなければならないため早く帰
ったのだ」、と無理に思い込もうとしたが、実際は彼が彼女をあまり構わずに本良命子との時間を
長く持ったため、これでは今日は駄目かもしれないと帰ったに違いない。後味の悪い余韻が続い
たが、これでフリーになれるかもしれないと考え、気を楽にした。今日は総勢で21人が練習したこ
とになる。何時にない盛況だ。お金を払いに行ったら、3階で個人レッスンをしている篠島講師が
驚いて居た。
いつも帰りはコーヒー店で世間話をするのだが、武蔵大松で開かれているダンスパーティに行く
ため、失礼した。ダンスパーティは4時から8時半まで2千円会費で行われていた。桐々箪笥が会
場に着いたのは、6時をちょっと回っていた頃だった。会場入口で水曜のクラスの男にあった。こ
の男は瞳美子にダンスを教えてやると言いながら、彼女を口説いた男なのだ。…「よお」、かの男
が彼を見付けて気軽に声を掛けてきた。気軽に声を掛け会う間柄ではないのだが、無視するわ
けにもいかず簡単な挨拶をして控室へと向かった。着替えようとしていた時、思いも掛けず、小山
優美が声を掛けてきた。驚いたのは桐々箪笥の方である。確か、彼女は「家にペンキ屋が来てい
るので早く帰る」といって帰ったはずなのだ。何故にここに居るのだ。兎に角、詮索は後にして着
替えを済ませ、フロアへ出た。大勢の人が踊っている。何処のパーティも盛況なのだ。
会場の建物は病院として作られたものであるが、その後、公共の施設として買収され改造され
た物である。ダンスステージは 20m×20mの広さで、特にダンス用として作られたわけではない
のだが、フロアは木製で近年のダンスブームで競技会場としても使われているものである。但し、
滑り過ぎる嫌いがする。
小山優美を探し1曲踊ってもらった。その後、何故にここに居るのかよくよく聞いたら、かの男に
誘われてダンスに来たのだと言う。そう言えば、この間の水曜日のレッスンの時に、小山優美が
かの男と親しく話し込んで居たのを思い出した。瞳美子を口説けなかったので、年齢相応に小山
優美を口説いたという訳か。桐々箪笥の勢力範囲がじわじわと浸食される危機を感じながら、猿
山のボス猿と勢力下にある雌猿及びはぐれ猿の戦いを思い出した。ボス猿は自分で全てを統制
するのではなく、雌猿のリーダーをてなづけてその雌猿に雌の統制をさせ、いざという時にボス猿
が凄味を利かして統制するのだそうだ。その雌猿のリーダー的存在だった小山優美が、はぐれ猿
のかの男と親しくなっているとは桐々箪笥も不覚であった。もう一度ふんどしを締め直して、勢力
範囲を維持しなければ彼の若さは一遍に消えてしまう。彼が若さを保っていられるのも、ハーレ
93D - 25
ムの女性が彼を絶えず挑発してくれるからなのだ。しかし、小山優美にとっては、かの男と親しく
なっている方が幸せなのだろうか。もしそうであれば、彼から深追いするのは見苦しい。むしろ、
老い楽の恋が縺(もつ)れて新聞沙汰にならないで欲しいと祈ろう。
このパーティには、時たま踊りに行く農協中央センターのママやダン池田が踊りに来ていた。今
日は店はやっていないのだろうか。彼等が今月の 11 日にパーティを開くので、その時にお客が来
てもらうためにも、このような機会を捕らえて口込み宣伝をやっているのかもしれない。初めて店
にいった時よりもかなりママはステップが上手になっていた。必死になって桐々箪笥の様に練習
しているのだろう。驚いたのはダン池田の踊りである。彼は店ではめったに踊らないので、踊れな
いのかと思っていたのだが、さにあらず。ダンス教師のように上手に女性をリードしていた。
パーティも終りを迎え、早々に着替えを済ませた。小山優美がかの男と食事をするのだが一緒
に来ないかと誘われたのだが、何故かうさんくさくて断った。小山優美が泥沼に嵌(は)まり込まな
ければいいがと心配になってきた。
10 月6日に島綱の多杜先生のレッスンがあった。いつもは早く来る瞳美子なのだが、今日は開
始ぎりぎりに入って来た。何故かいやな予感がする。なるべく桐々箪笥とは離れて居たいという
気持ちの表れなのだろうか。この間の事(桐々箪笥が瞳美子を構わなくなっている事)が彼女に
は深い傷となっているのだろうか。それでも、レッスン中は彼と気軽に踊っていたので、あまり気
にしていないのかと思ったのだが、レッスン終了後の自由時間に彼が牧村三枝子と踊ったのが
いけなかったのか、いつもは彼と最後まで残って踊っていた彼女が、早々に着替えて帰ってしま
ったのだ。桐々箪笥も気を利かせて最後まで瞳美子とだけ踊ってやれば良かったものを、もう遅
い。…そう言えば、青江美奈の歌の文句そのものだ…
2人のパートナーシップは終ったのか。こんなに簡単に? そんな馬鹿な、これじゃ折角努力し
て来た練習は無駄になるじゃないか。……「ハッ、ハッ、ハッ」、悪魔が久し振りに顔を出した。「そ
んなに簡単に男女関係が壊れる物か。見ろよ、小山優美を。彼女は精力的に男女関係を構築し
ようとしているじゃないか。女は、男を焦(じ)らしながら上手く男を引き付ける手管を心得ているも
んさ。ま、瞳美子の手管をじっくり観察するのも、男の成長にとっては必要なもんさ。お前を本良
命子と争おうとしているんだ。しかし、お前も罪作りな男だね。ま、今度の土曜日が見物(みもの)
だな。じゃ、精々頑張りな」……いつも大事な時に顔を出す悪魔には本当に助けられるね。
それはそうと、小山優美がかの男と遅くまでダンスに精を出し始めた。どうなることやら。
93D - 26
瞳美子との別離(1993 年 10 月 9 日、ダンス歴:1年)
悪魔が予言した「そんなに簡単に男女関係が壊れる物か。見ろよ、小山優美を。彼女は精力的
に男女関係を構築しようとしているじゃないか。女は、男を焦(じ)らしながら上手く男を引き付ける
手管を心得ているもんさ。ま、瞳美子の手管をじっくり観察するのも、男の成長にとっては必要な
もんさ。お前を本良命子と争おうとしているんだ。しかし、お前も罪作りな男だね。ま、今度の土曜
日が見物(みもの)だな。じゃ、精々頑張りな」の言葉は、桐々箪笥の胸の中で空しく反響しながら
消えていった。
夕日農業センターの土曜のクラスである畜産科でも、彼女は明らかに彼を避けているのが分か
った。レッスン開始ぎりぎりに教室に入って来て、かつ、自由練習の時も彼とは反対側で踊ってい
る。室生犀星ではないが、やはり大切な物は遠きにありて思うのが正しい人生の在り方なのかも
しれない。なまじ、「土曜のクラスにおいでよ。一緒に練習出来るから」などと言ったばっかりに、
彼女を駄目にしてしまったのかもしれない。
何が駄目だったのだろう。こんなに急激に2人の関係が冷えきるなんて。またしても彼は自分を
責め始めた。彼としては上手になりたいし、特定のパートナーとだけ踊るわけにもいかない。確か
に本良命子は、瞳美子より一寸はダンスがうまいし、それなりに努力をしている。日中仕事をして
いて、僅かばかりの貴重な時間をダンスにあてている瞳美子よりはダンスの環境には恵まれて
いる。しかし、だからと言って、彼は瞳美子より本良命子に極端に入れ込んでいるという訳ではな
いし、以前の瞳美子の努力は大いに買っていたのだ。そういう冷静な目で見れば、桐々箪笥には
これと言った非は見当たらないような気もする。…いずれにせよ、去りにし者を呼び返すのは、至
難な技である。…
瞳美子は、確実に彼から距離を置きはじめた。…6月のキラキラとあんなに輝いていた君の瞳
はどこへ消えていったのだ。…中年の空気よりも軽い、恋ともつかぬ恋は、秋風と共に消えて行く
のか。
Alas, my love, you do me wrong
And
I
have loved
Green Sleeves
Green Sleeves
you so long delighting
was all
was
to cast me off discourteously.
in your
my joy, Green Sleeves was
my
heart
of
gold
and
company.
my delight.
who
but
my
lady
Green
Sleeves.
中学生の時、近所に下宿していた大学生がグリーンスリーブズのレコードを聞いているのを、い
いメロディだなと思って歌詞と原語を教えてもらったことがあった。その時以来この曲は彼の愛唱
歌となっていたものだ。
暑い盛りは人の心をざわめかせても、引き潮のように、土用波と共に人は去って行く。………
93D - 27
「ハッハッハッ、またセンチになってるな。悲しむ事はない。君はどのくらい長く彼女を愛したという
のだ。たったの4カ月じゃないか。それなら、グリーンスリーブズが墓場で笑っているよ。修行が足
りないな。ドンファンになりなよ。彼は美の真の追求者だよ。刹那刹那を真剣に生きて行けば、去
りにし者へあまり拘泥はしないはずだ。ドンファンは、去りにし夢にも敬意を表したというではない
か。」……またまた陽気な悪魔が顔を覗かせた。
土曜クラスのレッスンは、いつもあっという間に過ぎていってしまう。今日はワルツのダブルター
ニングロックからオーバースウェィを新しいステップとして習った。これがなかなかタイミングを取
るのが難しく、オーバースウェィからシャッセに入る時の足の踏み出しが、音楽カウントとずれてし
まう。これはまた、島綱で練習しなければ分からなくなってしまうぞ。
今日も、島綱にて皆と練習をする。珍しい事に、かの男が練習しにやって来た。「小山さんは来
ていないの?」 あいにく彼女は、深窓令子と打合わせがあって、後から来ると言っていたので、
その場には居なかった。小山優美がかの男に「土曜はいつも練習しているので来ないか」と誘っ
たのだろう。この練習には瞳美子も 10 月から参加している。だけれども、以前の水曜夜のレッス
ンのような積極さはもう無い。今日もまた、早くに引き上げて行った。最後まで残っていたのは小
山優美と、かの男と、桐々箪笥だけだった。踊る事への飽く無き追求心が彼等をそこに残してい
ると言う表現の方が正しいのか。見苦しくない踊りをしたい。若い向上心のあるものなら誰しもが
望むものなのだろう。
帰りに3人で近くの居酒屋で親交を深めた。瞳と桐々の2人の関係が冷えきってしまっているこ
とを小山優美は感づいたのだ。かの男がトイレに立った後、言葉の端々に桐々箪笥と瞳美子の
仲を探るような語彙を臭わせていた。
それから4日後の 10 月 13 日、島綱にて多杜先生の水曜夜のレッスンがあった。桐々箪笥は極
力、瞳美子の事は気にせず、1人のクラスメートとして付き合おうと決心した。その方が気が楽に
なると考えたからだ。…踊りに集中しよう…今日は、タンゴのナチュラルツイストターンを正確に踊
る練習があった。以前にも回転時の女性の誘導の方法を教わり、桐々箪笥が一番上手いと多杜
先生からお褒(ほ)めの言葉があったので有頂天になっていたのだが、今日はボディコンタクトが
まずいと指摘されてしまった。ボディコンタクトについては、常々気をつけて居たので、指摘される
のはおかしいと思い、具体的にどこがおかしいのかと尋ねた。飲込みが早い彼は、めったにしつ
こく質問したりはしないのだが、理解に苦しむ時の彼は執拗に粘っこい質問をする。多杜先生の
顔には明らかに困惑の色が見えたが、教師としての誇りからか、権威を持って桐々箪笥の悪い
点を指摘し対策を教えていた。先生に言わせれば、女性を回転させる時には男女が歯車のよう
に噛み合って回転しなければならないのに、桐々箪笥の場合は一人だけ先に進んで女性を待っ
ているため、歯車になっていないと言うのである。言われてみれば、指摘された通りなのだが、夕
日農業センターのレッスンではその様な指導は一度も無かったような気がする。小山優美も追討
ちを掛けるように、「そうなのよ。貴方とツイストターンを踊るとどこへ行ってしまうのか分からない
93D - 28
の。」と、「よくぞ多杜先生、言ってくれました」と言わんばかりに悪気は無いのだが言われてしま
った。この言葉が、花形孝子から出なかった事は幸いとすべきなのか。土曜クラスの連中は、誰
も彼の踊りの悪い点を指摘してくれない。桐々箪笥が一番上手いと信じきっているからだ。だが、
本人にしてみれば、自分が正しいと信じて踊って来たステップを随分後になって訂正されるのは、
自信喪失になるばかりでなく、取り返しのつかない貴重な青春に対し、時間の無駄使いをしてい
た事への自責の念が沸き上がって来るのだ。
教師と生徒のどちらに問題があるのだろうか。グループレッスンだと、一人一人に目が行き渡ら
ず細かい点を注意できないし、生徒のレベルが低い時点から細かい点を教えると生徒がついて
こられないというジレンマを教師自身が感ずいているのかもしれない。ここにグループレッスンの
限界があり、上級になりたければ個人レッスンを教師が薦めるのはここの点なのだろう。しかし、
やはり実力のある人は期間に係わらず随時クラス編成にて進級できるようにし、上級の踊りを見
せて自分の悪い点を矯正させるように教育すべきだと思う。
さて、生徒の方に問題は無いのか。経済的、時間的に余裕があれば個人レッスンに越した事は
無いが、古巣踊郎氏の様に全員が経済的に恵まれているわけではない。ほとんどは桐々箪笥の
様にグループレッスンでダンスなるものをかじっているのが現実だ。そこでは教師のステップを目
を皿のようにして眺めていて、瞬間的に分かったような気分になって練習を続けているが、本当
に分かっているわけではない。
「百聞は一見に如かず」という諺があるが、これは見るという行為により得られる情報量が、聞く
ことにより得られる情報量よりも格段に多いと言う事を表しているだけで、その情報量が脳に固
定する割合をいっているものではない。情報量の固定化で一番良いものは、読むという行為であ
る。即ち読書である。読書により得られた知識を更に確実にするものが、体を使った表現である。
これを、生徒は確実に実行すべきである。それも、人口に膾炙(かいしゃ)している書物でなく、ダ
ンスの基本ステップを記述している Revised Technique が最良だ。
読書という点では、ほとんどの生徒は勉強していないというべきだろう。更に安くて良い方法は、
レッスンが始まる前に、教師にコーチャー役になってもらい、3分間で1ステップを確実に習得する
方法だ。これだと、グループレッスンでもかなりの成果が期待できる。これには教わる側が教師に
対し真摯な態度を見せることが大切であり、かつ、まわりからの「えこ贔屓」との非難に対しうまく
処理する技術が必要ではあるが。
ある程度の正確な基礎を身に付けている生徒は、必ず良い教師に巡り合えるものである。伯楽
が名馬を捜し当てたのは、人間が探さなければならないという必然性があったためだが、人間と
人間の場合は素質のある者が良い教師を捜し出すというのが本当のところだろう。そういう点で、
桐々箪笥は名伯楽を捜したという事も言える。後は、本人の努力次第だ。
それはそうと、また、瞳美子が夜遅くまで練習し始めた。但し、別な人とであるが。恐らく、彼女
は自分のレベルに合わせた人を選んだのだろう。桐々箪笥は、彼女にとっては疲れるのかもしれ
ない。人間、無理をして背伸びばかりしているとどこかに歪みが来るものだ。彼女の選択は正し
いのだろう。また、うまくなったら一緒に踊りましょう。その分、彼はまた、パートナーなしでシャドー
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で練習することになった。寂しくはあるが、これで彼も本良命子と思う存分踊れるかもしれない。
但し、以前の彼等の熱心なカップル練習を見ていた多杜先生は、彼等の間に何が起きたのか詮
索して来るだろうが。
故郷(ふるさと)
ふるさとは とおきにありて おもうもの そして かなしく うたうもの
よしや うらぶれて いどのかたいとなるとても かえるところに あるまじや
出で湯の窓に夜霧きて(1993 年 10 月 16 日、ダンス歴:1年)
夕日農業センター土曜のクラスで有志が集まり、嫌根(いやね)万石原のパレスホテルでダンス
の研修会が開催された。
2時半を一寸過ぎた頃に土曜のクラスレッスンが終り、慌ただしく着替えて東海道線のホームへ
と向かう。浜縦駅からは桐々箪笥を含め 16 名が電車に乗り込んだ。土曜とあって車内は多少空
いていたが、それでも全員が座れたのは平塚を過ぎた辺りだろうか。
幹事の山原(やまはら)氏はこの様な企画をするのが得意で、他でもやっているのだろう。今日
の参加者は、和瑠都捨夫(わるつすてっぷ)氏や、初級のクラスで一緒だった向井田邦江(むかい
だくにえ)さん、杉山守(すぎやままもる)氏の友人の上村さんを入れて 19 名である。女性 10 名、
男性9名、丁度バランス良い人数である。
小田原から嫌根万石原まではバスでの旅であるが、嫌根湯本までは慢性的な交通渋滞で、通
過するのに時間が掛かった。和瑠都氏は、都内で一踊りしてから4時頃に出ると言っていたので、
遅れなければいいがと桐々箪笥は心配になった。
バスでは岩畑丸男(いわはたまるお)氏と隣になり、お喋り好きの彼の話術に引き込まれ、時間
の経つのとバス酔いの不安を忘れていた。岩畑氏は何処でもカラオケが歌えるのが特技で、島
綱にボトルをキープしているところがあるので、是非一度行こうと誘われた。「私もカラオケには目
が無くて」と、喉まで出かかった言葉を飲み込んで、「岩畑さん、それじゃ是非一曲ここでお願いし
ますよ」と桐々箪笥は、彼を煽(おだ)て挙げた。
社内のバス旅行では、勧められれば座興で軽く一曲はこなしたのかもしれないが、あいにくア
ルコホールが入っていないのと、多少のてれがあったのだろう、それは叶わなかった。
昔から「嫌根八里は犬でも越すが、越すに越されぬ…」と歌われた、ここ嫌根は峠七坂八坂を
越えなければならないほどの交通の難所だった。まさに、古巣踊郎(ぶるーすおどろう)氏の愛唱
歌「嫌根の山は天下の険」なのだ。途中、バスは右へ左へと大きく揺れて、しっかりと体を固定し
ないと気分が悪くなりそうな道を頂上へとあえぎあえぎ向って行った。
嫌根湯本から1時間は乗っていただろうか、そろそろ目的地へ着く頃にプリンスホテルなるバス
停があり、和瑠都氏が間違って降りなければ良いがと、またまた桐々箪笥はいらぬ心配をし始め
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た。
バスを降りると直ぐ目の前にパレスホテルが建っていた。6時を一寸過ぎた時間だったが、秋曇
りの性か暗く、夜霧と静寂が辺りを包みこみ、灯りのついている部屋の散乱光で大体の大きさを
知る程度だった。
彼等が着く前に、向井田さん、上村さんと、無原久(むばらく)さん御夫妻が着いていた。と言う事
は、和瑠都氏はまだ時間が掛かると言う事か。
一年振りに見る向井田さんは、一層若作りにしているのか色艶が良く、張りのある特徴的な声
で桐々箪笥と挨拶を交わした。桐々箪笥は彼の上達振りを彼女に見て貰いたくて、このツアーに
参加したのだ。彼にダンスの手解きを初めて教えてくれたのは、他ならぬ彼女だったからだ。ビー
ルの旨さと再会の喜びは始めのうちだけと言われるが、彼の場合はどうなるのでしょうか。
簡単な挨拶の後、銘々が各自のルームに引上げて、6時半から始まる食事の前の寛(くつろ)ぎ
の時間を持った。桐々箪笥は和瑠都氏と同部屋であった。鍵を開けると外国のホテルでは普通
レベルのツインベッドのある割合ゆったりした部屋であった。靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると、
一気に今まで抑制されていた血流が足の細部に行き渡るのが感じられた。白いレースのカーテ
ンを開けて湖畔を見ようとしたが、霧のためか全然視界が利かない。
…霧に抱かれて、静かに眠る 何も見えない 芦ノ湖の夜…
食事に行こうとしていた頃に、和瑠都氏が慌てふためいてやって来た。新宿を2時半に出たと言
っていたから、随分時間が掛かった。
簡単に着替えて3階の食事の場所へと向かう。足柄という部屋なのだが、入口は富士と書いて
ある。それでも、この入口しかないため、入っていくと障子で仕切られた部屋から仲居さんの声が
聞こえて、ようやっと目的の場所に辿り着いた。食事の前に小山優美(こやまゆみ)が、皆の写真
を撮っていた。和瑠都氏は、皆に気を遣ったのか小山優美の隣の一番端の席に座った。
夕食は、普通(並)の懐石料理が出た。ビールで簡単な乾杯の後、山原氏に言わせると大した
事ない懐石料理に舌鼓を打った。食事についてほとんど文句を言った事のない桐々箪笥にとっ
ては、全てが御馳走なのだった。
7時半から、いよいよダンスタイムとなる。簡単な各自の自己紹介が済んで、先ずはワルツの曲
からスタートする。音楽はホテル備え付けのCDを最初使用していたが、リズムがはっきりしない
ため、急遽、桐々箪笥が持っていったCDに切り替えた。そう言えば、こういう裏方は、メカが好き
な彼の役目と何時しかなっていた。
ダンスフロアは、2階の会議室にダンス用の簡易組立フロアをセットしたもので、床と5センチの
段差があり、19 名が踊るには少々狭い感じのするものであった。
向井田さんの踊りがどの位上達しているのか見たくて、和瑠都氏を紹介し踊ってもらった。見た
目にはボディコンタクトも良いし、ステップも良かったので彼に感想を聞いてみると、意外や、重心
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の移動が余り出来ていないと言う。そう言えば、彼女は夕日農業センターのダンス部を止めてか
らは、家の近くのサークルに入ったのだがほとんどが年寄りでつまらなく、この頃はヨガに似た呼
吸法を専らやっているとのことだった。
桐々箪笥が最初に踊ったのは、小山優美だったか。ルンバの音に合わせて大きく踊った。この
頃表現を付けるのが楽しくなってきたからだろう。小山優美は、かの男に新しいステップを教わっ
ていると言うが、ちゃんとマスターしていないのだろうか。桐々箪笥に新しいステップを踊って欲し
いとは言わない。
この頃桐々箪笥の自信のあるのは、ワルツよりルンバになってきた。リズムがはっきりしないで
たまにワルツのカウントを外してしまう時があり、ちょっと自信を無くしているからだ。それに引換
え、ルンバは多杜先生の指導宜しきを得て、カウントを外す事が少なくなってきたからだ。そのル
ンバで、向井田さんと踊って貰った。相変わらず、エナジティックな彼女の踊り方だ。丁寧にリード
することを心掛けたので、彼女は踊りやすかった事と思う。
「随分お上手になったわね」、彼女の偽らない言葉を、一年間精進してきた甲斐があったと彼は
素直に受け入れた。
この場の主役は、何と言っても和瑠都氏を置いて他にいない。その技術力の段突によるもので
ある。彼の踊りはコンパクトながら、実に丁寧に踊っている。基礎ができているから、リードも良い
し女性が踊って欲しいと望むのも無理はない。その点、会場係りをやっていた桐々箪笥に、踊っ
て欲しいと申し込んで来た女性はいたのだろうか。全部彼から声を掛けに行ったものばかりの様
な気がする。まあ、仕様がない。整理切符を作っておこうかと思ったが、社交ダンスは男性から申
し込むと相場が決まっている。
しかし、女性の側からすれば、どんなに踊り疲れていても男性が近付いて来て申し込まれる場
合、本心は「どうか自分の前で足を止めて欲しい」と願っているのではないだろうか。取り澄まして
はいるものの、内心「どうか私の前で足を止めて」と切実に思う気持ちが、彼女等の顔に痛いほ
ど出ているのが分かって、一人しか選べない辛さを味わった事もある。
最初の予定では、11 時までとのことであったが、彼等の他にダンスを踊るものは居なかったの
で、12 時まで OK ということになった。
12 時ちょっと前にダンスタイムが終了し、各自がルームへと引き上げた。向井田さんの部屋は
桐々箪笥の丁度向かいなので、彼女の部屋へ押し掛けた。ところが、彼女の部屋は桐々箪笥の
ものよりかなり狭かったので、急遽、彼等の部屋で飲むこととなった。彼等が話しをしていたら、岩
畑丸男氏が赤ら顔にて入って来た。相当アルコホールが回っているのか、入って来るなり桐々箪
笥のベッドに身を横たえた。身を横たえながら、今日のダンスの反省と共に日頃の夕日農業セン
ターでのパートナーシップの話しをし始めた。
「桐々箪笥さんは若くて、顔も良いし、覚えが早いからずんずんうまくなって羨ましいよ」と、同年
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輩の女性陣を和瑠都氏と桐々箪笥に取られて、本当に残念だという気持ちが込められていた。
日頃彼は家庭でも奥さんや娘にいびられているのか、自分の居場所が無くてこぼすことしきりだ
った。しかし、彼の顔はこぼすわりにはにこやかで屈託ないから、女房の事を酒の肴にしながら
結構日々の暮らしを楽しんでいるのだろう。
だけれども、彼の愚痴についつい引き込まれて自分の家庭の不幸を彼に重ね合わせようとして
いる自分に気付いて思わずハッとした。やはり、他人の不幸は他人の不幸として終わらせるのが
一番良いのだ。なまじ、「実は私の家庭もそうでして…」などと切り出そうものなら、逆に自分が酒
の肴にされてしまい、噂だけの仮想現実を生きて行く事になってしまう。それにしても、やはり女
性は優しいが一番だ。たとえ女房が賢母だとしても、男には常に女性を従えていたいという根源
的な欲求がある。その点、賢母型女性はその様な男の考えをうっとうしいと思うのだろうな。仕切
りに岩畑丸男氏は、夕日農業センターの優しい女性の名前を呼び続けていた。・・・「真丼菜(まど
んな)、真丼菜、かわいこちゃん」・・・
……岩畑氏も引き上げた午前一時半頃、和瑠都氏と桐々箪笥は広いタイルの湯船に漬かりな
がら、ダンスの疲れを癒していた。……
……出で湯の窓に夜霧来て、せせらぎに寝る山宿に、
一夜を憩う山男、星を仰ぎて明日を待つ……
沢山書きたいことがあったのだが、また、別の機会に譲りましょう。じゃ、お休み。
桐々箪笥の自惚れ(1993 年 12 月 6 日、ダンス歴:1年)
久し振りに地元の農業振興センターでダンスパーティに参加する。本日は何時も開催している
会場とは違い、日本舞踊を練習しているこじんまりとした場所であった。何時もそうなのだが、当
日券しか買った事のない桐々箪笥にとっては、会場の華やかさと踊り手達が大勢ドレスアップし
ている姿を目の当たりにすると、ひょっとして場違いな所に来てしまったのではないかと心配にな
り、「フリーでも踊れますか」と聞くようになってしまった。受付けで 500 円のチャリティ代金を支払
うと、ベストを着飾った初老の男性群が今日はどの御婦人と踊ろうかとミュージックがなり出すの
を今や遅しと屈伸運動をしている光景に出会った。
床を傷付けないようにとの配慮であろう、椅子の下にビニール製の下敷きがあり、その椅子の
所々に花束が置いてあった。デモンストレーションでもあるのだろうか。そう言えば、今日の代金
は何時もより 200 円高かったし、やたらドレスアップしている人達が多かった。
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6時になり、屈伸運動をしていた人達が多い割りにはミュージックがなり出しても踊っている人達
が少ない事に気付いて、このダンスパーティに参加している人達がほとんど初心者である事を悟
った。パートナーを探しあて、ワルツの曲に合わせて踊ったがどうもおかしい。フットワークがなっ
ていないのだ。あまり練習していないのか。それとも、年のせいで飲込みが遅いのか。
途中から会社の同僚の凸山(とやま)氏と一緒になり、彼の友達を紹介してもらい、2~3曲踊っ
てもらった。確かに幾分かは練習量が多いだけ、他の女性群よりはましなステップを踏んでいた。
女性が大勢いる割りには、踊れる人が少ない。こんなパーティーも珍しい。しかし、この中山辺
りではこれが普通なのかもしれない。これからの日本は確実に高齢化社会を迎えるが、お年寄り
が一念発起して元気にダンスに打ち込むのは、遅すぎた春を取り戻そうというよりは、医療費の
削減に一役買っているのだと思いたい。 お年寄りへは献身的な奉仕精神に溢れる桐々箪笥だ
が、これほど本当の初心者が大勢いたのでは、誰から手を付けて良いのか迷ってしまう。この様
な場には、古巣踊郎(ぶるーすおどろう)氏の部下で今年からダンスを習い始めた端午学(たんご
まなぶ)君が最適なのだが、あいにく彼の家はここから遠いため誘うのを断念したのだが、また別
の機会に誘おう。
それにしても、この様な場では1年選手の桐々箪笥が、まるで上級者の顔をしてワルツとかタン
ゴを踊り、会場の御婦人方の熱い視線と、初老の男性の嫉(ねた)みを背中に熱いほど浴びてい
ると感じると、人知れず嬉しさを越して優越感に浸るのであった。
デモンストレーションを何故やるのかと問われれば、「皆の視線を浴びて、自分の遺伝子は最
高なのであるという優越感に浸る事」と答えるのが素直であろう。歳ですって?歳は関係ありませ
んよ。自分の遺伝子が私をしてその様に素晴らしく踊らさせているのですから。これは全て遺伝
子のなせる技なのですから。
そうそう、古巣踊郎氏だったら、引く手あまたの上級者として扱われただろう。お得意のジルバ
ステップを駆使して。
参集の方々の半分はワルツを満足に踊れない人達なのだ。それでも、この人ぐらいなら多少は
踊れるのではないかと申し込みに行くのだが、「あまり踊れないんです」という返事が多々帰って
来た。この年齢の御婦人方は、「謙譲の美徳」を仕込まれて育って来た人達だから、「あまり踊れ
ないんです」と言う言葉の本心は、「あなたのような方とならもっと上手に踊れるかも知れません
ね。どうぞ上手にリードして下さいな」という気持ちが隠されているのだろうと思うのだが、実際踊
ってみると、本当に下手でどうしようもない人と巡り合わせになることが少なくない。そんな時は、
「どこにでも片山律子は居る」と自らを慰め、精一杯のボランティア精神を発揮し、ステップはウィ
スク→ナチュラルスピンターン→4,5,6 of リバースターンの3種類と決めて、徹底的に基本が大事
なのだという事をボディランゲージで伝えることにしている。それでも、この頃は「あまり踊れない
んです」を素直に受けとって、別のパートナーを探すようにしている。相手の心を尊重して。
参集の踊り手達の先生をしている人物が、8時頃にデモンストレーションを始めた。かの人物は、
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桐々箪笥より幾分小柄で並以下の顔をした定年間際の男と、近くに居た初老の男性の言を借り
れば「あの先生の年って分かんないんだよね」と言われる大年増の女性である。彼等はそれとな
く分かる燕尾服と白いレースのコスチュームを纏って踊っていたので、デモンストレーションをする
なと感じていたが、桐々箪笥が踊っていた時もそれ程うまいステップを踏んでいたわけではない。
むしろ、「盲蛇に怖じず」で大きな踊りの桐々箪笥の方が傍目(はため)にはうまく見えた。
その彼等は明らかにモダンのデモンストレーションをするだろうと誰の目にも映ったのだが、素
早く着替えて、ラテンのデモンストレーションを演じた。桐々箪笥の演技に尻込みしたのか、彼等
の専門が元々ラテンで、桐々箪笥の演技に差を付けるのはこれしかないと開き直ったか。
一曲目は、ルンバであったが、最初から音がずれて踊っていた。カウント1で踊り始めているの
だ。かの和瑠都氏が競技会で音を外してしまったと言った言葉が頭をよぎり、上級者でもルンバ
の音取りは難しいのだなと改めて感じた次第である。しかし、うっとりして見ている観客にとっては
音がずれて踊っていようが、どうでも良い事なのだ。
ルンバからチャチャチャとパソドブレをこなして一応無事にデモンストレーションを終え、参集の
人々の拍手を浴びて嬉しそうであった。しかし、踊りそのものは、和瑠都氏に毛の生えた程度で
ある。この様なレベルでも教師として暮らして行けるのか。教師の資格を取ろうかどうしようかと迷
っている桐々箪笥にとっては、資格に対してのあまりのエラーファクターの大きさに考え込んでし
まった。
(注)本日のパーティは、一般にはオープンしていなかった。先生と弟子たちの忘年ダンスパーテ
ィだったのだ。桐々箪笥がダンスビューなる雑誌での情報を便りに来たのだが、実は一週間間違
えていたのだ。だから、何時もより 200 円も高かったし、参集者がほとんどドレスアップしていた
のだ。偶然とはいえ、よく入場させてくれました。
本良命子と小山優美(1993 年 12 月 18 日、ダンス歴:1年)
本日で今年の夕日農業センターの畜産科の練習は終了する。レッスンが始まる前に、本良命
子(もとよしめいこ)が「どうも有難う御座いました」と挨拶しに来た。本年の最後のダンスへの御礼
なのだが、彼女からこのような言葉を聞くと、何故かしら彼女が桐々箪笥のもとから去ってしまう
ような錯覚に陥り、この世が終わってでもしまうような寂寥感(せきりょうかん)を覚えてしまう。慌て
て、「今度の土曜日も、島綱の練習場が使えるので来ませんか」と誘いながら、ワルツを一曲踊っ
てもらった。彼女だけだ、まともにスウェイをつけて踊ってくれるのは。
夕日農業センターのレッスンもこの頃少し高級な新しいステップを入れてくれるので、休むと取
り残されてしまう危険性がある。前回休んだ人達が、踊りの上手な彼の所に来て「踊って下さい」
と頼み込まれる。ボランティア精神旺盛の彼でも、この頃は自分で上級のステップを踏みたいた
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め、シャドーレッスンをしている時に申し込まれると、いささか不機嫌さを感じてしまう様子が顔に
現れ始めるようになってきた。これが、本良命子から頼まれた場合は、居酒屋"庄屋"の店員じゃ
ないけれども「よろこんで」となるから、遺伝子のなせる技は恐ろしいと感じる。
今日は、深窓令子(しんそうれいこ)のお誘いで、和関内駅近くのホテルでのダンスパーティに参
加する。小山優美(こやまゆみ)と3人で軽く食事をして、4時ちょっと前に和関内駅に着く。古巣踊
郎(ぶるーすおどろう)氏と待ち合わせるためだ。定刻の時間になっても現れない。昨日家に電話
を入れて時間と場所を再確認しておくべきだったと桐々箪笥は悔やんだが、遅れるのは何時もの
事だから心配ないという気持ちも彼の頭の中で交錯していた。
彼女等が心配しているので、一応格好をつけるため、彼は南口の改札付近を一周して回り、
「ひょつとするとバスが遅れているのかもしれない」と古巣踊郎氏のために言い訳をしておいた。
案の定、5分遅れてやって来た。相変わらずの苦笑いでごまかされてしまった。
4:30 分までに会場に着くようにとの事だったが、まだ時間もあるため、喫茶店を探したが、あい
にく忘年会用に貸し切りで駄目だった。時間を過ごすに無駄な金を費やすこともないと、早々に会
場へ行くことにした。ところが会場に着いてみると、まだ4~6人がソファに座っているだけで、会
場へは入れない。よくよく聞いてみると5時ドアオープンとの事。どうなっているんだ。
会場には26卓のテーブルがあり、1卓 11 人が座れるようになっている。ステージは会場の参集
者が全員踊るには狭すぎるが、半分も踊らないだろうとの主催者の読みなのだろうか。桐々箪笥
のテーブルには、深窓令子、小山優美、古巣踊郎氏の他に、若い女性が7名席についた。その
内、1名はプログラムによると今日のデモンストレーションでパソ・ドブレを踊ることになっている軽
面魔女梨田(かるめんまじょりた)嬢である。2名ほど桐々箪笥好みの女性がおり、この女性と踊っ
て貰おうと密かに心に決めて食事を取った。
食事の最中にダンスミュージックがスタートし、慌てて深窓令子の顔を覗き込みながら、踊りまし
ょうかと声を掛けた。雇われホスト役の哀れなところである。…実は、深窓令子が、桐々箪笥と古
巣踊郎氏をパーティに誘ったのは、彼女がダンスを習っている先生がデモに出るので、パーティ
券を買わされてしまったのだ。そのため、折角だから彼等をダンスのパートナーとして雇ったと言
う訳である。アルコホールがそれ程入ったとは思われないのだが、深窓令子はステップを時たま
間違っていた。「アルコホールが入っているのだわ」、言い訳がましく弁解していた。
ルンバの曲が流れて来たので、軽面魔女梨田さんに申し込んで踊ってもらうことにした。最初の
一曲でバッチリ決めておけば、他のお嬢さん方を攻略するのも簡単だろうと思ったからである。・・
ところがである。彼女の口から「あまり踊れないんです」の返答。・・デモの前なので緊張してまと
もに踊れないのかなと余り気に掛けずに踊り始めたが、どうもそうではなくて、本当にルンバは踊
れないのだ。一瞬桐々箪笥の心の中に気まずいものが走った。「まずい。これからデモをするお
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嬢さんに恥をかかせてしまった」。会場の皆が彼等の踊りを好奇心旺盛な目で見ているのだ。「デ
モに出るのだからどんなに上手に踊るのでしょう」。その様な目に晒(さら)されて上手に踊れない
と皆に知れたら、彼女はどんなに赤恥をかくのだろう。お前がその様な立場に立たされたらどん
な気持ちになるのか。そう考えると彼の背筋が寒くなるのを感じた。音楽が終り、丁重にお辞儀を
して非礼を詫(わ)びた。
そんなに飲んではいないのだが、桐々箪笥はアルコホールには弱いため直ぐに顔が赤くなり、
いよいよ興が乗り出して、小山優美と3曲も踊ってしまった。テーブルに着くと、お嬢さん方は相変
わらず食事に余念がない。これはと目を付けておいたお嬢さんに「いかがですか」と声を掛けた
が、顔の美しさとは裏腹に虚ろな返事が帰って来た「御免なさい踊れないんです」本当に踊れな
いのかもしれない。強引に誘う事はしなかった。また、赤恥をかかせたら、自分の人間性を疑わ
れると彼は心配したからだ。これが和瑠都捨夫(わるつすてっぷ)氏ならどのように捌(さば)くのだ
ろうか。
食事の時間が終り、第一部の発表会が始まった。ワルツやタンゴ、ルンバのデモが続いたが、
これといって観客を魅了するような踊りは見られない。お座なりの発表会という印象を受けた中で、
かのパソ・ドブレの軽面魔女梨田さんは一番若い性か、動きもキビキビしていてその踊りは桐々
箪笥を魅了するに十分であった。教師のリードが良かったからかもしれない。オレンジジュースを
彼女のグラスに注ぎながら、「貴方の踊りが今までの中では一番きびきびしていて、良かったで
すよ」と、元気づけるようなリップサービスを彼は忘れなかった。
早々に会場を引き上げて家路についた。電車の中で、小山優美から思いも掛けない言葉を聞
いてしまった。「桐々さんが、私たちから離れて行くような気がして寂しいわ」。一瞬、彼女は桐々
箪笥がこの頃本良命子と本格的に踊り始めていることへの牽制の意味でそういう事を言ってきた
のだと彼は解釈した。島綱の練習場でも、小山優美は気を利かして「貴方、本良命子さんと踊っ
てらっしゃいよ。彼女、一人で寂しがってるわ」と、彼に進言してくるが、「必ず最後は私と踊ってく
れるのだから」という安心感が彼女にはあるからなのだ。それが、この頃ぐらつき始めたのか。気
を利かせて居ながら、女性には、「でもやっぱり、最後には私と踊ってくれなきゃ駄目よ」という心
遣いが、彼には痛いほど分かるのだ。
がしかし、その考えは彼の取り越し苦労だった。彼が4月から1つ上級のあの爽恵美子(さわや
かえみこ)のいる「畜産・園芸科」のクラスに行ってしまうことへの寂しさの表明である事が分かっ
た。
女性は人数の関係でなかなか「畜産・園芸科」へ進級できないと言われているらしい。「小山さ
んも一応申し込んでみたら」、「うん、そうね。だめで元々ですものね」。短い会話のやり取りで幾
分、彼女の気持ちも落ち着いたみたいだ。
彼女との会話の後の沈黙の中で、桐々箪笥は「また、新しい人達と踊れる楽しみがあるな」と思
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う一方「ひょっとすると、本良命子とも一緒に踊れなくなるのか」と心の張りを失しないかけている
自分を深刻に見詰めていた。
初めてのコンペティション(1993 年 12 月 23 日、ダンス歴:1年)
多杜ダンススクールのファミリーダンスパーティーが都内の一流ホテル・コクラで開催される。夏
にもダンスパーティーが催され、月光綺羅利(つきのひかりきらり)先生から無理に券を買わされ、
高い金を払ったような記憶がある。桐々箪笥にはパーティー券を買わなければならない義理は無
いのだが、女性教師の強引さに嫌とは言えずに今回も買ってしまったのだ。まったくお人好しとし
か言い様がない。
5:30pm 開演だが、彼が会場に着いた 5:20pm には既にほとんどの人がテーブルに着いていた。
受付では、本日のミニコンペへの参加を呼び掛けていたが、適当な相手がいないため彼は気に
も留めなかった。
テーブルに着くと同じ中級の杉町氏や、小山優美(こやまゆみ)、片山律子(かたやまりつこ)ら8
名がテーブルに着いていた。席の場所は予め決まっていて、小山優美は丁度左斜めの位置にい
た。多杜先生の開会の挨拶の後、直ぐに食事の時間になった。桐々箪笥の右隣は夏のパーティ
ーでも一緒だった岩位知吾喜(いわいちあき)だ。彼女は伊豆の伊東市と浜縦の島綱に2つの居
住を定める中流階級の住民で、いかにも淑(しと)やかで上品な女性なのだ。その彼女が、色々と
食事の気配りをあれこれとしてくれた。桐々箪笥には、何故かしら女性に色々と面倒を見てあげ
なければいけないと思わせるような母性本能をくすぐる様な、言葉では上手く説明できないが天
性のものが生まれながらに備わっている。小山優美もあれこれと面倒を見たかったに違いない。
「私こそが桐々箪笥さんの正当なサポーターなのよ」。だが、物理的位置がそれを阻んでいた。
食事の最中に女性教師がテーブルにやって来て、今日のパーティーへの参集について御礼の
挨拶を述べるとともに、ミニコンペへ参加する人がいないので桐々箪笥に出るように勧めていた。
この頃の努力の成果をどこかで試してみたいと思っていた彼は、これを幸いとタンゴに挑戦しよう
と言う気になった。だが、相手が見付からない。こういう時に本良命子(もとよしめいこ)がいてくれ
れば、日頃の息の合った踊りを披露できるのだが適わぬ願いを掛けても仕方無い。小山優美に
打診したが、相変わらずの引っ込み思案で駄目だった。そう言えば深窓令子(しんそうれいこ)が
いた。前々から先生に出てみないかと言われていたみたいで、直ぐに OK の返事が返ってきた。2
人で手続きを済ませ、また、食事を続けた。
ダンスタイムになり、大勢が狭い会場へまさに雪崩れ込んだように押し寄せ、身動きできないよ
うな混雑の中で踊らざるを得なかった。参集者の半分が踊れなければ、そんなに込まないのだが、
ダンススクールの生徒達だから全員が踊れ、かつ、会費が高いため元を回収しようと精一杯の
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パフォーマンスを繰り広げるから始末が悪い。最初に踊ったのは片山律子だったか。ジルバの曲
がかかっていたが彼女はあまり得意じゃないらしい。「私はあまり踊れないの」、しかし桐々箪笥
にとってはどうでも良い事だった。彼女が上手に踊れないのは、今に始まった事ではない。それ
より大事なのは、兎に角、テーブルの女性陣に踊ってあげたという義理を果たす事だけであった。
ワルツの曲が掛かったが、誰と踊ったのだろう。兎に角混雑していて踊りという代物ではなかっ
た。
独特の曲が流れて蜘蛛の子を散らすように踊り手達が自分のテーブルに戻ると、アマチュアの
デモンストレーションが始まった。今回のデモンストレーションはすこしレベルが低いのかあまり見
るべきものがない。どこのダンスパーティーでも同じ様なものなのだろう。
刻一刻とミニコンペの時間が近付いて来る。深窓令子と会場の隅の屏風で仕切られた場所で
彼女とチェイスの練習をする。まだ習っていないステップなのだが、彼が本で見て踊りに変化を付
けようと取り入れたものだ。ところが、なかなか上手く呼吸が合わない。結局、何時も踊っている
簡単なステップにしようということになった。
ミニコンペはワルツ部門から始まった。出場者は全て専科以上のクラスの人達だ。それなりにス
ローアェイ・オーバースウェィへの導き方が上手く、桐々箪笥の及ぶところではなかった。基本を
しっかり踊っているだけではこの様なコンペには勝てない。その事を十分に知っているから、彼は
ワルツを避け、タンゴを選んだのだ。
いよいよ彼のゼッケン番号 60 のグループが呼び出され、深窓令子とステージへ出る。同じテー
ブルの人が写真を撮ってやるといって2人のポーズを取り始めたところでミュージックが鳴り始め、
写真を撮る間も無く慌てて彼女をホールドした。プロムナードリンクからプロムナードターン→ロッ
ク→ナチュラルターン→……→オーバーウェィと習ったステップを無難にこなして予選を終わった。
準決勝へ進出するペアが呼び出され、51,53,……59,61 。無残にも彼のゼッケン番号 60 はコール
がなかった。
「え、あのペアが準決勝に残ったのか」。水曜日の島綱でのレッスンを一緒に受けているペアで、
どう贔屓目(ひいきめ)に見ても桐々箪笥のペアより上手いとは見えない。何とも言い様のない敗
北感と同時に自尊心を傷付けられ、いたたまれない思いだった。「何がいけなかったのか。このま
まレッスンを続けていては、自分のダンスは上手くならないのでは…」。思い付くあらゆる種類の
責任転嫁の口実を桐々箪笥は思い巡らしていた。
再び、準決勝へ進出するペアが呼び出され、彼の番号がしっかりと呼び出されていた。彼にとっ
ては思いも掛けない事だった。何が起こったのか。・・よくよく考えると前組は、奇数番号の組だっ
たのだ。前回と同様のステップで臨んだが、オープンプロムナード→アウトサイドスィブル→ブラッ
シュ・タップへと進んだ時、深窓令子がオーバースウェイと勘違いしてしまった。彼のリードが上手
く通じなかったのだ。
「しまった」、と思うと同時にその場を取り繕うように踊りを続けた。彼のペアを含めステージで踊
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っているのは6組で、殆んどは上級クラスの人達で、中級で参加したのは彼のペアだけである。
十分に空間は確保されている。参集者の目を十分意識して彼は踊っていた。が、踊っている最中
にホールドしている左手がガタガタ震えるのを感じた。練習不足なのか。快い快感なのか。もう少
し別なステップを入れて踊れば良かったと感じながら、即席のペアで全然前準備も無しの彼等に
とっては高度なステップを入れるのはむしろ危険な事であるという気持ちと共に準決勝は終わっ
た
決勝進出のペア番号が呼び出された。51,52,54, … 比較的若い番号ばかりが呼び出され、もう
彼等の番号にはコールされる余裕はなかった。それでも何とかコールされてくれと虫の良い考え
が彼の頭を占めていた。夏に和瑠都(わるつ)氏がコンペに出た時の彼の心の内を思った。
最後の 61 番がコールされて、「駄目だったのね。でも、この様なイベントに出られただけで嬉し
かったわ」と、隣の椅子に腰を掛けていた深窓令子が桐々箪笥を慰めるように言った。その場で
は、「中級の我々が入賞したら十年選手の皆に悪いものね」と取り繕い、やはり駄目だったのかと
彼も諦(あきら)めた。
決勝ラウンドが始まり、彼等の踊りを眺めて居た。上手いと思えるペアもいたがそれは1ペアだ
けで、他は桐々箪笥とそれ程優劣のつけ難い程度のものであった。こうなると、一度は諦めた彼
の心に、「何故我々のペアは駄目だったんだ。それ程違わないじゃないかという埋火(うずみび)の
燻(くすぶ)りが燃え上がって来た。「何故だ、どこが悪かったんだ」。審査員以外誰も答えられない
疑問を自分に発して、また、自分を責め始めていた。
ミニコンペが終わり、パーティダンスタイムとなった。これはフォークダンスと同じで参集者が皆と
接触できるような踊りである。が、桐々箪笥にとってはこの種の踊りが一番苦手なのである。彼が、
米国で仕事をしていた時に会議のアトラクションでクロッギーダンスという一種のフォークダンス
があり、参加したのは良いのだが、彼一人だけ反対方向に回って、米国人のパートナーを迷子に
させ、涙ぐませてしまった苦い経験を持っていたのだ。それ以来、この種の踊りは遠慮するように
なった。その代わり、今度の一月から始まるレッツダンス IV の本をテーブルの下で読んでいた。
パーティダンスタイムが終わると皆がどっと席に着いた。彼が一人で下を向きながら本を読んで
いた光景が、「桐々さんは、がっかりして気落ちしているのね」と岩位知吾喜には映ったらしい、席
に着くなり、「決勝に残れなかったのは残念だけど、でも、貴方の踊りは素晴らしかったのよ。これ
ばかりは相手のパートナーもあることだし、元気だして」と慰めてくれた。まるで小学生を宥(なだ)
めるように。
折角収まりかけた心の安寧が、彼女の慰めの言葉でまた、引っ掻き回されたようにどこかへ飛
んで行ってしまった。何度と無く繰り返される「何故だ、どこが悪かったんだ」の自問が彼を酷(ひ
ど)く責め苛(さいな)んでいた。
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翌々日、島綱の練習場で踊った時、彼の自問に対する解答らしきものが得られた。上級クラス
の園芸科にいる、今回のミニコンペのワルツ部門で入賞した東山峰子(ひがしやまみねこ)嬢から、
「貴方は私より身長があるけれども、一緒に踊っていて高さを感じないの。特に上半身が」と言わ
れた。本人は気付かなかったが、上級者に指摘されると自分はそのような癖を持ちながら踊って
いることに改めて桐々箪笥は気付かされた。彼女は、10 才以上年下なのだが、既にダンス教師
の免許を持っているのだ。多少ずけずけとした話し方に「かちん」と来るものを感じたが、「ターン
をする時、上半身が前のめりになり、女性としては踊りにくいの。もう少し、反(そ)り返った方がい
いわよ」との適格なアドバイスを素直に受け入れた。彼女の指摘はともすれば天狗になりかけて
いた桐々箪笥を正常に戻してくれたのかもしれない。
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