Parc Ferme 「美しき停滞」

Parc
Ferme
美しき停滞
Text : Hisashi HARUKI
'88 Hidaka Two Days Enduro
ISDE=インターナショナルシックスデイズエン
こともできるだろう。その後は、市民のトランス
の機会としてマイナーなものになるに従って、反
デューロは、もしかするとみんなが思っているほ
ポーテーションの道具とは乖離した、オフロード
対に、国際的なアマチュアスポーツのとしての価
どの大きなイベントではないかもしれない。モト
モーターサイクル的なスポーツの道具としての競
値、その比重が高まり、むしろそちらのほうが大
クロスやロードレースの世界選手権のように、立
い合いになり、一方で、それまで6日間競技が担っ
切されるようになったのだろう。
派に体裁が整えられた華やかな舞台ではもちろん
てきた、メーカーのプロモーションの機会として
ない。
むしろ草レースのような素朴さがあり、
実際、
の機能は、例えばパリダカのようなイベントがそ
1990年になって、それまでヨーロッパ選手権
運営も、開催国よってきちんとしていたりどこか
れを代って担うようになるのだ。6日間競技にはつ
だった2日間エンデューロのチャンピオンシップ
アバウトだったり…。例えば2010年のメキシコ
いぞ見向きもしなかった日本のメーカーもこぞっ
は、世界選手権に格上げされ、エンデューロのタ
大会などは、こうした競技の運営の実際をほんの
てパリダカに大量の資金を投入し、やがてブーム
イトルはそちらが主役になった。さらに時は流れ
少しでも知っている身には「??」なところが見え
が去ると潔さを感じるほど、あっさりそれもやめ
て2003年になると、フランスの私企業、ABCコ
たり...。逆に、2012年ザクセンの大会などは、
てしまったというのは、余談ながら面白い事実だ。
ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン がFIMと の 契 約 の 下 に エ ン
さすがはドイツ、さすがはヨーロッパ最大の自動
一方で、KTMをはじめとするヨーロッパのメー
デューロ世界選手権のプロモート権を取得し、メ
車クラブ(ADACという)だ、と賞賛されるほどの
カーがISDTにもダカールにも継続して取り組んで
デ ィ ア 戦 略 を メ イ ン に し た 改 革 を 断 行 す る。
ものだったようだが、まあそんなふうに良かった
いるというのは、これらのメーカーがもともとス
WEC(現 在 のEWC)の 誕 生 だ。 各 大 会 に は
りまずかったり…。確かに世界一(ワールドトロ
ポーツとしてモーターサイクルをとらえている
「GRAND-PRIX(重賞)」という名称が冠され、ラ
フィ )を決める大会であるという割には垢抜けな
ユーザー層に根ざしているからで、日本のメーカー
イダーのプロ化も促進した。代表のアラン・ブラ
いところがある、
とは本質的に違うのだから単純にこれを批判する
ンシャールの手腕と功績は、チーム、ライダー、
ことはできない。
またファンの多くも認めるところだが、中には
「ABCのやり方は、長い目で見るとエンデューロと
だが、歴史を少し遡れば、この6日間競技が、モー
タースポーツの花形だったという時代が確かにあ
時代とともに6日間競技そのものが変化し、パリ
いうスポーツにとって有害だ」という人もいる。
る。1970年ぐらいまでだっただろう。スティー
ダカが担ったような役割を持てるように姿を変え、
実は、2003年の当初、ABCコミュニケーション
ブ・マックイーンが、映画の「大脱走」で、彼の
時代のカッティングエッジであり続けるという選
は6日間競技であるISDEのプロモートに関与する
スタントを務めたライダーの一人、イーキンスと
択肢はなかったのだろうか。おそらくそういう議
という計画を発表していた(ISDEからエンデュー
ともにエルフルトで開催された旧東ドイツ大会出
論はあっただろうし、そうしようとする動きもあっ
ロデナシオンへの名称変更という案すらあった)
場したのは1964年。また、当時の少年の心をわ
ただろう。だが、大勢としては変化を好まず、あ
が、実際にはそれは行なわれなかった。プロ化、
しづかみにしていた仮面ライダーの主人公である
る意味での停滞の道を選ぶことになった。モーター
メジャー化というものと6日間競技は、性質的に相
本郷猛もまた、ISDTへの出場が夢という設定だっ
サイクルの性能試験、操縦技術の研究のために始
容れないものだということに、ブランシャールは
たというから、今とは少しばかりポジションが違
まった6日間競技は、そのために練り上げられた競
すぐに気が付いたのかもしれない。そして6日間競
うということが想像できる。しかし、やがて6日
技形態により、結果として、選手やチームの資金
技を愛する多くの人が、そのことに安堵した。世
間競技はモータースポーツの花形を他に譲ること
力や組織力に関わらず公平に試合をすることがで
界選手権はプロスポーツとして発展すればいい、
になる。工業製品としてのモーターサイクルが一
きるアマチュアのモータースポーツとして高い価
でも6日間はアマチュアのものであってほしいと。
定の水準になった時点で、6日間競技はその性能
値を持つようになる。モーターサイクリストのオ
試験としての役割をある意味で「終えた」という
リンピック、アマチュアライダーの祭典、いろい
1913年から続き、今年100周年を迎える6日
ろな言い方があるが、メーカーのプロモーション
間競技は、今、美しき停滞の中にある。