4ストロークの時代はフサベルから始まった

1997年のカタログより。ジョエル・スメッツらファクトリーライダーたちの活躍
とともに"4stroke force"の文字が誇らしげだ (資料提供 : フサベルジャパン)
Parc
Ferme
4ストロークの時代はフサベルから始まった
Photo & Text : Hisashi HARUKI
1987年。スウェーデンのメーカーであった
う理想的な組み合わせになったのだが、しかし、
は意外な展開だが、ここ数年のフサベルという
ハスクバーナがイタリアのカジバによって買収
フサベルの命である独自の4ストロークエンジ
ブランドが置かれた状況を見ると、ある意味で
される際に、4ストロークのレーシングマシン
ンの設計は、2008年に登場する70度前傾倒立
は自然な流れということができるかもしれない。
を担当していた5人の技術者が独立、新たに立
エンジンが最後になる。以降は、エンジン、メ
ち上げたメーカーがフサベルだ。設立の中心と
インフレームをKTMと共通にする兄弟車とな
なったのは、エンデューロ欧州チャンピオン(世
り、さらにこちらもKTMと同じ主要コンポーネ
モトクロスのレーシングエンジンの歴史は、4
界選手権ができる前なので実質的な世界タイト
ンツを持つ2ストロークモデルが加わって、
「4
ストロークに始まるのだが、1960年代の後半
ルといってもいい)というライダーでありエンジ
ストローク専門」のはずだったフサベルはすっ
からは軽量な2ストロークの時代となり、重量面
ニアでもあったトーマス・グスタブソン。小メー
かり変わってしまった。KTMのEXCとほぼ同じ
でハンデのある4ストロークはほとんど姿を消
カーではあったが、革新的な技術と情熱、そし
とはいえ、樹脂製のリアフレームの採用、サス
してしまった。そこに再び4ストロークの火をつ
てレーシングのノウハウを武器に、モトクロス、
ペンションの違いなど、細部にそれなりの独自
け た の は、 ハ ス ク バ ー ナ だ っ た。1993年 に
エンデューロの世界に4ストロークの時代をも
性は維持していたが、やはり中身はKTM。まあ、
ジャッキー・マーテンスのライディングで世界
たらした立役者であることは今更言うまでもな
「KTMだからいい」というユーザーもいたとは
チャンピオンを獲得するハスクバーナTC610、
い。1995年にKTM傘下の企業となっても、ブ
思うが、フサベルというメーカーは、半ば、行
そのベースを作ったのが、フサベルを設立する
ランドの独自性は維持され、開発はスウェーデ
き場を失った存在であったということも言える。
技術者たちだった。
ンで、生産はKTMと同じマッティグホーフェン
が、ここに来ての、KTMによるハスクバーナ
超薄型ピストン、独立したオイルポンプすら
のラインで、
という形に発展。フサベルのユニー
の買収を契機に、フサベルが再びハスクバーナ
廃した合理的な軽量設計。エンジンの単体重量
クな設計に、KTMの高い品質管理が加わるとい
に統合されるというニュース。ファンにとって
さえ抑えることができれば、ビッグボアの2スト
ロークよりも扱いやすく、トラクションに優れ
サベルが創ったノウハウを多く見ることができ
500ccの3クラスがあった)を飾った。当時の
た4ストロークには有利な点が多かった。エン
る。まさに、現在の4ストローク時代を作った嚆
400ccクラスはHONDAのXR400Rが充分に
デューロの分野においては、フサベルは1989
矢と言えるのがフサベルなのだ。
戦闘力のあるマシンに数えられていたし、KTM
年には早くもヨーロッパチャンピオン、翌年に
今回のブランド再統合によって、フサベルブ
の400、500もまだ大きなLC4エンジンだった
は世界タイトルを獲得。ジミ・エリクソン、ヤ
ランドのマシンは現在発売中の2014年モデル
ことを考えると、フサベルのマシンがいかに革
ロスラフ・カトリナークのライディングにより
が最後となる。以後はその血脈がハスクバーナ
新的で、いかに進歩的だったかがわかる。スメッ
シーンを席巻。またモトクロス世界選手権でも、
の新型車に受け継がれることになるのだろう。
ツは、1993年にハスクバーナTC610とジャッ
ハスクバーナに遅れること2年となるが1995
願わくば、4ストロークモデルはフサベルの持つ
キー・マーテンスがモトクロス世界選手権でタ
年にジョエル・スメッツのライディングで世界
独特のレーシングの思想と情熱が表現されたも
イトルを獲ったシーズン、フサベルMC501で
タイトルを獲得している。
のであってほしい。
共にタイトルを争っていた。スメッツ24歳。惜
とても小メーカーとは思えない活躍だが、そ
しくもランキング3位となったが、設立後わずか
れだけフサベルのマシンの基本的なポテンシャ
数年のメーカーとしてはまさに快挙というべき
ルが高く、それが圧倒的なアドバンテージになっ
写真は1998年のISDEオーストラリア大会に
活躍だった。4ストロークの時代を作ったス
ていたということだろう。イタリアの伝説的な
出場したジョエル・スメッツとHusabergのエ
ウェーデン生まれの革命児、フサベルの栄光の
コンストラクターであるVertimatiにも大きな影
ンデューロモデルFE400(セルフスターター
軌跡は、決して消えることはない。
響を与えているし、ハスクバーナはもちろんだ
付)。ベルギー代表チームの一員として出場した
が、フサベル吸収以後のKTMのレーシング4ス
スメッツは400ccクラスで優勝(ISDEの排気量
トロークエンジン(DOHCとなる以前)にも、フ
クラスは4ストロークだけで250cc、400cc、