Title Author(s) Citation Issue Date Type 「法の支配」と教育 : 社会科教育との関係を中心に 坂東, 行和 一橋研究, 5(3): 108-124 1980-12-31 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/10086/6342 Right Hitotsubashi University Repository 108 一橋研究 第5巻第3号 「法の支配」と教育 一社会科教育との関係を中心に一 坂 東 行 和 1 はじめに 社会科学習の内容や方法は本来,教育の研究・実践そのものの成果によって 発展させられるべきものである。 ところが戦後社会科は,行政的干渉とそれに対する抵抗の歴史として展開さ れて来た。 現在なお社会科教育課程の「基準」を定める文部省「学習指導要領」は法的 拘束力をもち,他の法令と同じく「裁判規範となり得るもの」であるとの行政 解釈が行われている{1〕。そしてそのような解釈の根底には・次のようなイデ オローギッシュな見解が認められる。即ち1わが教育体制が戦前の勅令主義か ら戦後の「法律主義」へ変化したことからω,形式的に法令の要件を整えさ えすれば行政干渉はけっして不当なものとはならず,法令遵守の意味において それは受容されるべきである,という形式的法治国家論的な立場である㈹。こ のことはもちろんどの教科についても言えるのだが,とりわけ真の社会科教育 はどうあるべきかという問題は,そのような行政介入との緊張関係の中で問い 続けられて来たω。 小稿ではその問題を特に法学的視座から検討し,以て科学的な「社会科」概 念の明確化に幾分でも役立たせたいと願った。 なお,ここで用いる「社会科」という語は教科としての社会科の意で,地 理,歴史,「公民」(高校では倫社,政経)などの各分野を含めての意味に用い られる。 「法の支鷹」と教育 109 2 勅令主義から法律主義へ (1)戦前の教育における勅令主義 戦前,帝国憲法下での地歴公民教育の淵源は,他の教科と同様に「克ク忠二 党ク孝二億兆心ヲーニシテ世々厭ノ美ヲ済セル」こと㈹,即ち「国体ノ精華」 の内に,求められていた。 天皇は,欽定憲法により自ら主権者として国家意志の最終的決定権力をもつ と同時に,教育勅語により自ら道徳的価値の淵源として倫理的最高権威たるこ とを宣言した。ここに教育は,教育勅語の価値基準に従いつ帝国憲法下の中央 集権的行政体系における強力な国家権力による統制に服することになる㈹。 (イ)そこでは教育は,帝国議会の意思(協賛)からさえ超然とし,帝国憲法 第9条の規定による独立命令 (法律の委任に基づく命令叉は法律の規定を執行 する為の命令以外に,法律から独立して命令できる天皇大権)に基づく諸学校令 とその運用に服していた。 (口)また,教育に関する事務は国の事務として内務・文部両大臣に属すると しω,内務行政の一環としては警察行政と結合せしめられつつω,行政 法上の特別権力関係における命令・懲戒権を媒介とする行政上のヒェラル ビーを形成していた。 (う教科書は勿論,授業内容の詳細に至るまで教育勅語の方針に沿った画一 的・硬直的教育が強制され・階統的に統制されていた(例・小学校令一→ 同施行規則一→教則(省令)・教授要目(訓令)一一〉教授細目(校長作成) 一→教案(教員作成・校長検閲)一→注入授業)ω〕。 ⇔ 更に注目すべきは,帝国大学を頂点とする学校体系そのものの,行政的 階統秩序であった。その最も見易い例こそ師範学校体制であった。「忠君 愛国ノ志気二宮ムハ教員タル者二社リテハ特二重要トス」という師範学校 規程(1907年)第1条1号の規定は,国体観念教化の,上から下への流れ の一断面を示している。1928年4月17日の文部省訓令では1教育の基本は 「国体ノ精華ヲ発揚」するにあるので,その教化中枢に在る教育者は「国 体観念ヲ翠固ナラシムルカ為二…深ク思ヲ港メ武力国体ノ本義建国ノ精神 二関シ確乎不抜ノ根抵アル信念ヲ有シ身ヲ以テ範ヲ示」さねばならない, 11O 一橋研究 第5巻第3号 と期待されていた㈹。学校体系の格差序列の意図もこの点にあり・それ は「…国民ノ養成ハー二師表タルモノノ徳化二侯ツ」という「聖旨」とし て{u〕,師範学校体制のすみずみにまで及んでいたのであった。 このような教育体系下では,教育は行政の一’環であると同時に「天壊無窮ノ 皇運ヲ扶翼ス」べき道徳の問題であり,教師と子どもにとっての創造教育や科 学的認識,更にまた権利としての教育観も,問題とされる余地はなかった。そ れは超法規的な神話的道徳規範を強制するindOctrinatiOnの体系であり,兵 役・納税と並ぶ「臣民の義務」の体系であり,「議会ヲシテ容唆セシムルノ途 ヲ開カサルu2〕」勅令主義の権力支配に他ならなかった。 こうした状況下で教師の地位は,職務については文部大臣の,そして身分に ついては内務大臣の各管轄指揮下にあり,国の行政機関たる府県知事一→市町 村長→校長という機構の末端で事務上の監督に服し,他方文部省及び府県知 事それぞれの下での視学(官)による学事の視察を受けた。現行法制と異り当 時は,教育の外的事項(eXtema)が地方事務であり,内的事務(intema) が国家事務であったわけで㈹,国家事務を行う限りで市町村畏は国の機関と され,同様に市町村立学校教員は「待遇官吏」(判任官待遇)とされたu4〕。以 上を要するに,戦前の教師の教育権は,教育権力(Erziehmgsgewa1t)に ほかならなかった{15〕。 (2)法律主義への転回 戦後の教育体系は,上述の勅語支配の全面否定の上に,新憲法と教育基本法 に則って形成された。社会科もまた黙りである。 等1に,戦後教育は従来の納税・兵役と並、ミ;学校義務(Schulph1ichtig− keit)観念から,国民の社会権観念へ,その把握において決定的な転回をと げたのである(憲法26条第1項参照)。㈹ ここで,憲法26条2項の教育義務は,その対極に国家の権利をもつ絶対主 義的な就学強制観念から解放された。即ち同項は,1項との関連で学習の権利 主体たる子どもの請求権を認めたものと解すべきであろう。「子どもの権利が 「法の支配」と教育 工II 親権の内容を規定している。これは人権思想の帰結である{m。」ここに一,義 務を受ける相手は国家ではなくて,子ども自身である。従って,2項規定の反 面として国家が教育権をもつという主張㈹は適当でない。2項規定は1項規 定をあらしめる為の最少限の要求でであり,私見によればそれは量例えば児童 福祉法における保護者の義務(30条3項)と異るところない。このような視点 においてこそ,・」憲法26条1,2項が統一的に把握され,同時にこの条項を憲 法23条に結びつける「国民の学習権」’概念め成立契機が生じるu9〕。 第2に,戦後教育は,戦前め”勅語の支配”から”憲法の支配”へ転回し た。これは教育行政上の戦前の勅令主義(勅令のほか下位の省令や府県令を含むか ら「命令主義」ともよぷ)から戦後の法律主義への転回に対応する。後述のよう に,戦後の法律主義という原則の捉え方にも幾つかの問題点があるが,戦前は その法律主義さえ排斥されていたのである。「本来の性質ヨ・リ講ヘバ,就学強 制,学校負担,私立学校ノ監督ノ如キバ,憲法上法律ヲ以テ定ムルヲ1当然ト為 ス」べきなのに(1850年プロシャ憲法の薮珪の自由などに対する法律留保て26条)さ え形式上は法律主義である),教育法規だけが命令主義を採るのは「正当ノ理由 アルモノト認メ難ク,我国法上ノー大変例」と,当時既に批判があった1ω。 さて,レッセ・フェールの下での典型的教育観を別として,国家権力は教育 へ介入しがちであり,そ・の正当化の態様には近代に入って次の3類型があった と考えられる。 (イ)”上から(vOn oben)立憲主義化した国家”の形式的法治主義の下で の介入。 (口)代議制民主主義下での国民代表理論ないしは国民主権イデオロギーに基 づく議会制定法を通しての行政的介入。 い 社会主義法的擁利保障としての介入。 ところが,戦前の帝国憲法下の命令主義は上記σ)(口)oの何れにもよらず,・ま さにそれ以前の非立憲的な絶対主義下の悠意的権力介入.に他ならず,戦後それ が法律主義へ転回したのであった。ここに,法律主義の名において上言己ω㊤職 が個々に,叉は一方の意図を以て他方を口実としつつ,主張さ一れることになっ たのである。その紛らわしさを避けるために,そしてまた教育法を「教育と教 1工2 一橋研究 第5巻第3号 育制度に固有な法」と解する立場を支持するために,私は法律主義に代えて 「憲法の支配上という表現を採りたいと思っている。 3法治国家論の下での法律主義 (1)法律主義の問題点 法律主義のもつ問題点につき,かつて永井憲一氏は次の3つの手段をとるも のとして法治主義イデオロギーの存在を指摘された{21〕。 第1は,国会の立法手続を通し「手続」二合法的であれば内容的にも正当性が 推定される」(安達健二「教育基本法第10条の解釈」『学校経営』1960年11月号)と して「民主主義の法秩序」に名を借りた教育の官僚支配(22〕。 第2は,或る具体的事件が違憲・違法と判断される迄の間,行政行為の公定 力理論に支えられ,行政段階で忠意的に行う諸措置。 第3は,地方公共団体の条例制定など地方権力に頼る憲法・教育基本法体制 の空洞化・崩壊の促進,である。 堀尾輝久氏によれば,法律主義には次のような5つの問題点が生じる(23〕。 第1に,下位法による上位法の空洞化,即ち法改正(例えば教育委員会法{24〕) ないし新たな立法(例えば中立性二法工25〕)による違憲性・違法性(教基法違 反)の問題である。第2に,法文上の字句の部分的抽取と便宜的解釈,更には 職務命令の乱発による法の精神の歪曲と法律主義の空洞化の問題である。第3 に,これらのことから当然引き起こされる下位法による上位法の歪曲した解 釈,例えば教育課程の編成権が文部大臣にあるとしての指導要領の国家規準 性,その法的拘束力の主張,或いは学力テストの強行などである(これらは教 基法10条の教育行政の教育内容不介入と教育の自立性の原則の否定的解釈と 結びつく)。第4に,教育基本法の法的性格の問題であり,そこでは教基法は 「準憲法的性格」をもつものとして「他の法規に解釈上優先する」(有倉遼吉 「教育基本法の準憲法的性格」有倉編『教育と法律』1961.11−12頁)か否かが争点 とされる。 そして第5に,以上述べた問題と次元を異にして,憲法と深くかかわる教育 の問題がある(反動的文教政策による憲法的価値の空洞化及び教育を通しての 「法の支配」と教育 113 改憲準備など)。 こうして,「戦後の……法律主義は,一方において支配者イデオロギーとし ての性格を強く持つと同時に他方,命令・規則を通しての上位法の空洞化によ る法律主義の実質的否定という事態が起きており。,このような法体系の矛盾 は,その整合化のために,上位法の歪曲的解釈の強行と併せて,上位法自体の 改正の動きを示すことにもなるのである伽〕。」 (この一節は永井氏も引用してお られる) このような法律主義の歪曲一宗像誠也氏のいわゆる「教育法規の奇妙な性 質」(「私の教育宣言」1958伽〕) の根底には行政権力の側から見た「法治 国家」観がある。「わが国が民主主義国家組織をとり,立法について議会主義 に立っ以上,法律というものは国民が自らこれを制定し,自らこれによって律 するものである…。国民がこぞってこの自覚に立ち,法律に服することが『法 の支配』であり,この体制を整えた国が『法治国』である工2目〕」という側面を 強調する論理は,行政権力の側が好んで採用する見解と,軌を一にする1例で あろう。 (2)法律主義の歪曲 しかし,第1に教育法は,教育行政法規即ち「社会的機能としての教育営為 を規律する法㈱」としてではなく,「教育と教育制度に固有の法」として捉 てられるべきである㈹。けだし「現行法制では教育と教育行政とは法的に分 離され…むしろ教育法の一部として教育行政法があり,教育行政法は一般行政 法に対して教育法的な特色をもつ」のである{31〕。その特殊性は,何よりも教 育の問題が国会における政治的多数決の決定一現実的利害と各種異質な政策 の大まかな判断そして権力的効果をもつ決定一になじまず「子どもの発達の 法則性にそくして教育科学的に…流動的に決めていく」べきである‘32,,とい う点に求められる。 第2に,帝国憲法から新憲法への転換は公教育制度においても,杉原泰雄 氏のいわゆる「外見的立憲主義型から近代市民憲法型へ」の転換をもたらし た㈹,と見るべきであろう。従って公教育は「教育の自由」を留保した上で 114 一橋研究 第5巻第『号 展開すべきであり,国家は人間の内面的な人格形成の問題や科学的真理を決す る問題等に介入すべきではない{34〕。・ 第3に,杉原氏の言われるように一「現代議会制のもとにおいては,法律は 『一般意思』の表明ではなく,多数党意思の表明としての性格をもつ㈹」も のである以上,.「国民意思とはすなわち国民全体の意思である㈹」という,議 会制民主主義ないし国民主権イデオロギーに基づく論理構成の虚偽性は明らか である。 しかしそれにもかかわらず,「教育法規の奇妙な性質」は現実に色濃くなっ てきた(多数覚にとって公教育支配は,自己の意図する政治的・経済的体制の永続化確 保の手段となっている㈹)。法律主義のこのような歪曲につき,多数の批判が展 開されて来たが(38〕,私はそれら優れた諸業積を踏えつつ「憲法の支配」とい う観点からこの問題の検討を試みたい。 4 法治国家観念から「法の支配」観念へ (1)法治国家論の問題点 教育への国家権力介入に関する行政解釈は,本来社会権的規定たる憲法26条 のj一 @律留保」を形式的法治国家論(「外見的立憲主義型」の公教育理論)の立場 から説明しつつ,しかもそれを国民主権イデオロギーで合理化するという二重 の誤りをおかしてきたのではなかろうか。 このような行政解釈は,σ)法の実質的内容を不問にし,(口)法律による自 由権の制限を承認し,o 立法が国民主権主義のもと国民代表たる国会で行わ れるという理由で行政を正当化する(憲法も法律も国民に還元する点で同位の ものと思わせ,且つ立法の正当性によって行政を認証する),という点でF.J. Stah1流の19世紀的な法治国家観の系(O.B童hrやR.Gneist)にとどま っていると言って過言ではなかろう㈹戸。私たちはここで,次のことを想起す べきである。国民主権主義にもとづく議会制定法の高い価値から形式的法治国 家の理論を残存せしめたワイマール憲法の下で(1920年代後半にはH、,He11er等 の反省が見られたものの)ついにはナチスの授権法形成を許す結果を招いたこと を。ポン基本法はそのことへの反省から「法律による行政」原則に加えて国民 「法の支配」と教育 115 の基本権尊重の契機をも重んじる実質的法治国家の原理を採用したのである (ポン基本法1条3項,19条,20条3項㈹)。 (2)「法の支配」の一般的な理解 」上述の実質的法治国家(materie11er Rechtsstaat)理論は,英米法的な 「法の支配」(ru]e of−aw)観念と重なり合いそうであるが,「法の支配」. 一は,その伝統的意味内容において法治国家論に対し次の特色をもつとされてい る㈱。 “)「法の支配」の法とは,」人権を保障する法であり,悠意的権力による法で ■はない。 (口)「法の支配」の対象は国民でなく権力であり,権力も法の下にあるとの意 .が強い。 o「何が法であるか」の最終決定権は,政治権力から独立した司法裁判所に .ある白 以上を要するに,権力から独立した司法裁判所が,権力者の窓意に従わず, .理性に従って,権力から人権を擁護すること,即ち”司法権の優位”(judi一 ■Cial Supremacy)を意味することになる。これは, 「法の支配」に関する A.V.Diceyの理論から原理的な核心を抽出し,現代にも適合できるよう敷術 したものである。Diceyは,周知の通り「法の支配」の一般的適用として, 〈イ)政府の専断的権力の否定,即ちreguIar laWの絶対的優位,(口)総ての 者が等しく通常裁判所の行使する通常の法に服する,o 人権は抽象的宣言 によってでなく,具体的な判例の集積によって保障する,という3点を掲げ .た{43〕。これら3点は,経済的自由主義のイギリス憲法的表現であり,また当 時のイギリスの人権保障の手段を示す「近似しているが異なった少くとも3つ の原則」にすぎなかったω。従って,現代のイギリス及びその他の国でこの 「適用例」をそのまま当てはめて「法の支配」の存否を問うのは妥当でない。 一独占資本主義段階に入ると第1に,一方で国民の生存権保障の為に,従来の市 民的自由に加えて社会的白由一が,福祉国家での行政権力拡大という形で要請さ れる㈹。と同時に,国家と独占資本との癒着が進む過程で,国民代表イデオ 116 一橋研究 第5巻第3号 ロギーによる立法権力の専制化及びその立法に依拠して自らを正当化する行政 権力の拡大が行われ,これに対して国民の諸権利を擁護する必要が生じる。そ して第2に,イギリス的「法の支配」原理が成文憲法典に採用され,その結果 多様な権利保障への道が承認されるに至っている。こうしてPiCey的「法の 文配」は,手段につき修正されつつも,目的につき一層その意義を深めつつ ある。 この意味でそれは, 「容易に表現し難い何か」を実現する努力の表明 (必ずしも司法裁判所による実現に限らない)ではあるが,「個人の自由と公的秩序 の調和を図り」つつも「悠意的政府から個人を保護する」何らかの手段を要請 するものであって,「本質的には価値観であっ一で,制度ではない」ものという 一般的な理解は㈹,今のところ妥当であろう。 (3)教育への「法の支配」観念の適用 わが国は「法の支配」原理を,アメ・リガ的な成文憲法(due processなど) と憲法判例(違憲審査制)を経由して受容した㈹。わが46年憲法の最高法 規性はまさに人権保障を第一義としており(憲法11,97条),司法裁判所の優位 を認め(76,81条),かつ行政機能を抑制する役割を担う(98,99条)点で,一 層「法の支配」伝統に傾くものと解される。 では,「教育の自由」についてはどうか。 第1に,「教育の自由」はわが憲法原理から十分に導かれ得るものと思わ札 るが㈹,憲法自体に明文規定を欠く点で,とりわけ英米法的な判例の集積に よる「法の支配」によって保障されるべきであろうし,また現実に幾つかの判 決がこの自由を支持してきた㈹。 第2に「教育の自由」は,絶対主義的行政権力に服さないのは勿論,精神的 基本権の領域に属する自由として憲法による保障は絶対的であるべく,行政的 干渉はもとより行政法そのものにもなじまない㈹〕点で一層「法の支配」によ る保障を侯つことになる〔51〕。 第3に,憲法の下位法たる教育基本法は,憲法理念の教育に関する局面での 発現であり,同時にその憲法理念を教育に生かすべきことを掲げている(同法 前文1項,3項)。この意味でこの「準憲法的」と言われている法律㈱が媒介 「法の支配」と教育 117 となって,憲法は行政権力だけでなく教育そのものをも支配することになる。 ㈹但し,科学的真理にのみ服すべき教育が支配される「法」とは,憲法に内在 する教育目的,即ち人類の普遍的原理たる理性法を意味することに注意せねば ならぬ。教基法前文3項に「…憲法の精神に則り,教育の目的を明示」すると あるのは,その意味である。この点で,制定手続は通常の法律と異らないが法 の精神において憲法的であるイギリスの憲法的法律(COnStitutiOna11aW) の観念が,わが教基法の性格規定にとってきわめて示唆的であるよ。うに思われ る㈹。 (Diceyも議会(立法)の優越と法の支配とを両立させて説明している㈱) 以上の理由により,教育に関しては「憲法の支配」が特に重要な意味をもつ と言える。 5教育における「憲法の支配」 (1)「憲法の支配」の意義 教育に対する「憲法の支配」の意義は,第1に行政権力を轟束する法的原 理,第2に教育法を媒介として教育を直接支配する教育的原理の2面から開明 されなければならない。これは以上に述べた通りであるが,更に次の異った3 つの視点からも言えることであろう。 第1に,前述〔3の12〕〕の如くi教育法は教育と教育制度に固有の法であり, また第2に, 「法の支配」観念は制度というより価値観を示す〔前出4の12〕〕 という視点である。更に第3に,「法の支配」概念の拡充が挙げられる。即ち その拡充は,法曹よるものとは限らず,かつ市民的・政治的権利に関する問題 を越え,「社会的,経済的,教育的及び文化的諸条件の整備の為にも用いられ る動的観念」として認められるに至ったのである㈹。 上の第3点に関してだが,憲法26条は社会権規定であるから行政介入が認 められ,その限りで「法の支配」観念になじまないかのような印象を受ける。 しかし同条1項,2項は有機的に解釈されるべきであり,その前提には教育の 自由が存在する{5・〕。それ故にこそ教基法は第10条1項で「教育は,不当な 支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負う」べきことを定め, 11条で同法諸条項実施の為に必要に応じて「適当な法令が制定され」ること 斗18 一橋研究 第5巻第3号 を要請レている。これは,両条項相侯って教育が権力の懇意的支配に服するこ となく「日本国憲法の精神に則り」憲法の支配にのみ服すべきことか示してい る。憲法26条の社会権的規定と教育における「憲法の支配」との関係は更に 教基法10条2項によっ」ても現実に有機的なもの一として示されている。教育の 自由が保障される為に,その自覚のもと教育行政は「必要な諸条件の整備確立 を目標として行われ」るべきである,という「外的事項」整備の国の義務に関 する規定も,その視点から見なければならない。 (2)「憲法の支配」のもう1つの意味 戦前の教育が法治主義さえをも逸脱し,行政面で天皇の独立命令を根拠とし たことは既に述べたが,それはまた教育内容についても教育勅語の支配に服し ていた。即ち教育そのものにおいて勅語の理念が生かされると同時に,教育内 容にも勅語そのものが採り入れられていたのである。1945年8月まで,勅語は 次のようなものとして子どもたちに注入された。即ちそれは「臣民のしたがひ 守るべき道徳の大綱をお示しになるため(天皇が)下し賜った」もの,「実に 皇祖皇宗のおのこし」になった御教訓」であって,「我等は至誠を以て日夜此の 勅語の御趣旨を奉体しなければならぬ」と㈹。 これに対して,戦後教育はそれ白ら憲法から生まれたものであると同時に, 憲法の支配に服し,かつ教育内容に憲法の理想を生かさねばならず,またその ようなものとして出発したのであった。憲法の原理は言う迄もなく,国民主権 主義(民主主義原理),平和主義,基本的人権の尊重であるが,教基法はその 前文で憲法の諸原理と教育の関係を明らかにしたのである。・・前文1項で民主主 義及び平和主義の「理想の実現は根本にいて教育の力にまっべき」であると し,2項で「個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成」及び普 遍的で個性豊かな文化の創造を「教育の目標」として掲げているのである。即 ち(イ)憲法の諸原理は,教育の力にまつべき結果として要請されていると同 時に・(p)このような教育自体がそれら諸原理の結果・として可能となる条件 を与えられるのである㈹。この“)(司何れもカ…教育に対する「憲法の支配」の 現われとして考えられるべきであろう。 「法の支配」と教育 119 学習指導要領の法的拘束性は多くの論義を呼んでいるが㈹・少くとも当初 (1947年5,6月)のそれは,「試案」とし.て出され,しかも十分に憲法を踏 まえていたものと言える。その皿(中学・高校)では社会科の任務として「人 1間らしい生活を営もうという気持」の育球は「基本的入権の主張にめざめさす 一こと」だとし,これを受けて『補説』では,幸福追求への熱意と関心として 「人間性及び民主主義を信頼する心」をあげている。民主主義についてそのI (小学校)は「児童は大人が政治を非難したり,政府に注文したりしているこ とがらについてもはや無関心ではいられない」とし,民主主義的関心の芽生え を肯定することを以て出発点としている。中高段階では,新憲法に「主権が国 民にあるということがはっきり明示されていて」,それは重大な規定であり 「わが国の政治的発展にとって欠くことのできない第一歩である」(皿)と述 べている。また平和主義についても「平和を愛好する真情を卒直に表明し,平 一和の破壊者という汚名をすすぎ,進んで世界平和の障碍を除去」することは, わが国の大人,子どもを問わず「重大な使命である」と述べ,具体的学習方法 として「戦争の原因とその災害について知る。なぜ戦争が生まれるか,どうし てなくせるかを話しあう」と指示している(工)。 この新しい社会科は当時・社会の諸現象を調節機能ないし相互依存の関係と して捉え,また生活学習重視のあまり系統的・科学的学習を軽視するなどの弱 点を有していたが・ともかくその発足時において・(学習指導要領を単なる指 導例・教師の手引,即ち「試案」と見る限りで)憲法の理念を自覚させる役割 を担って登場して来たものであったことは・評価されてよい。 6 おわリに(教育アクセス権について) 国民の教育権に関して永井憲一氏はかつて国民が憲法の理念に適合した教育 内容を行政・司法両面で実現すべく要求できるという「教育内容要求権説」を 主張された㈹。その趣旨には見るぺきものがあったが,法律論としては幾つ かの疑問が出され,また国家教育権説と同じ契機を含むのではないのかなどの 批判が出された。しかし,国民が何らかの形で教育内容の決定に直接参加し, 「憲法の支配」.一を擁護すべき要請は最近とみに高まりつつある。更に教育への 120 一橋研究 第5巻第3号 資本介入という・(従来の国家対市民の2極構造では説明しきれない)権力支配 の3極構造的な状況が生じており,永井説の提起した問題を更に多角的に改め て考え直す必要があるように思われる。 そこで私は「憲法の支配」の下で,国民の教育の自由の中に「教育アクセ ス権」を数え入れ,その観念による再構成を図るべきではなかろうか,と考え ている。「教育の自由市場」原理に修正が迫られつつある昨今の状況に鑑み ㈹,この問題についていずれ稿を改めたいと思っている。 註 (1)文部省地方教育行政研究会編著『教師の権利と義務』全訂版,1976,143−4頁。 諸沢正道「学習指導要領の拘束性と弾力性」『季刊教育法』30号,1978,17頁。 (2)神田修「教育における『命令主義』と『法律主義』」 『季刊教育法』1号, 1971,234貢参照。 (3)例えば,文部省初等中等教育局長通知「教科書検定訴訟の第1審判決にっい て」(ユ970年8月7日)。なお,諸沢正道・宮野礼一「判決理由にわける疑問点」 『ジュリスト』461号,1970,50頁。 (4)例えば,五十嵐顕・伊ケ崎晩生『戦後教育の歴史』1971,川合軍「民間教育研 完の高まりと文部省社会科批判一民教・民教協を中心に」『社会科教育大系』1 巻,1961,214−34頁,大槻健「民間教育運動と社会科改訂」同,234−61頁,川合 「現代の社会課題と日生連の社会科」『生活教育』1966年8,9月号(のち『社会 科教育の理論』1979,63−83頁所収),歴史教育者協議会編著『地域に根ざす歴史 教育の創造一歴教協30年の成果と課題』ユ979,高橋鎮一『新訂歴史教育諭』 1970,などの著書・論文に詳しい。 (5)教育勅語,1890,第1段。 (6)本文で以下の1イ〕OOにつき,堀尾輝久『現代教育の思想と構造』1971,272頁、 山崎真秀「教育」『現代の国家権力と法』 (現代法学全集53)1978,11−3頁, 兼子仁『教育法(法律学全集16)』旧版,1963,58−9頁,また同新版,1978,136; 貢以下参照。 (7)地方学事通則2,7,12条。小学校令50,70,80,81,83条等参照。山崎, 前掲書,12頁。 (8)堀尾,前掲書,272頁。 (9)堀尾,同上。 (1O)松上丈夫『近代日本教育史』1949,156−9貢参照Lなお,師範学校教育は軍 隊での士官養成に準じていた。同,108頁。また見よ,堀尾輝久・兼子仁『教育と 「法の支配」と教育 12i 人権』1977,112頁に引用の森有礼の演説内容を。 (11)東京高師創立60年記念式典での勅語(1931年10月30日)。松下,同,155頁。 (12)1890年小学校令改正時の枢密院意見。平原春好『日本教育行政研究序説』19 70,213頁。山崎,前掲書,12頁所引に従う。また見よ,堀尾・兼子,前掲書, 116頁所引の小林歌吉の言葉を。 (13)兼子仁「戦後教育判例の概観」『別冊ジュリスト・教育判例百選』1973,8頁。 (14)山崎,前掲書,13頁。 (15)兼子仁『国民の教育権』1971,41頁。 (16)堀尾,前掲書,154頁。 (17)堀尾,同上,199頁。氏によれば,親権とは「その子を監護教育する義務を第 1次的に(排他的に)履行する権利」即ち義務履行の優先権である。なお,穂積重 遠は]933年の著書(『親族法』岩波書店)で「親が子を育てるのは子に対する義 務と云はんよりは,むしろ国家社会に対する義務と観念すべきである」と述べた が・これは就学義務を公法上の義務とする捉え方に対応するものだった。堀尾・兼 子,前掲書,117頁。 (18)田中耕太郎『教育基本法の理論』1961,150頁。同『新憲法と文化』1948,66 貢。 (19)堀尾・兼子,前掲書,31貢参照。 (20)美濃部達吉『行政法撮要下巻』1924,501頁。織田萬も負担を命ずる場合は 「法律を以て定むるが穏当」と述べている。織田『日本行政法原理』1920,380貫。 (21)永井憲一『憲法と教育基本権』1970,41−43頁。 (22)堀尾,前掲書,279頁参照。 (23)堀尾,同上,279−83頁。 (24)三上昭彦・平原春好「教育政策の反動化と教師のたたかい」五十嵐顕・伊ケ崎 晩生編著『戦後教育の歴史』1970,162−180貢参照。 (25)伊ケ崎晩生「サンフランシスコ体制下の教育反動化と平和教育のたたかい」同 上書,135−39貢参照。 (26)堀尾,前掲書,283頁。 (27)神田,前掲論文,240貫参照。 (28) 「法の支配と国民の自律精神」『法の支配』3号,1960,2頁。 (29)相良惟一,林部一二他『教育法規の基機知識』,12頁。天城勲『教育法規解 説』(教育学叢書別巻)1971,13頁。 (30)兼子仁『教育法』(法律学全集16)1963,2頁。同新版,7−20頁。 (31)教基法10条参照。兼子『教育法』4頁。また,同新版11−18頁参照。同「特 殊法学としての教育法学」兼子編『法と教育』 (法学文献選集8)1972,35頁。 (32)兼子仁『国民の教育権』1971,150頁。 (33)杉原泰雄「公教育と『現代議会制』」『法律時報増刊・憲法と教育』1972,所収, ユ22 一橋研究 第5巻第3号 のち永井憲一編『教育権』(文献選集・日本国憲法8)1977,286−87頁。 一(34)杉原,同上,288,293貢。 (35)杉原,同上,293頁。 (36)教科書検定訴訟(昭和45年7月17日東京地裁判決)『控訴人第1準備書面』 第三,一・1・一,参照。杉原,同上,283頁所引。 (37)杉原,同上,292頁。また,同,所引の鈴木英一『教育行政』1970,463頁以 下に,教育立法過程が論じられている。 (38)例えば,永井編,前掲『教育権』2,4,5各章所収の諸論文。 (39)F,J,Stahl,Die Phi1osophie des Rechts,Bd.・2,Abt.2,Auf1.5. 1878,SS.136−7. ;O.B盆hr,Der Rechtsst舶t,1864,S.1f.;R.Gneist, Der Rechtsstaat und die Verwaltungsgerichte in Deutschland,Aufl.2. 1879,S,33、高田敏「ドイツにおける法治国の思想」 『法律時報』33巻4号, 1961,36貢以下参照,所引に従う。 (40)高田,同上,37頁。学説(C.F.Menger,SchIochauer,O.Bachof,etc.) も実質的法治国家を主張したものは多い。高田,同,41頁註㈱,130〕に文献紹介が ある。 (41)高田敏「近代における『法の支配』理論と『法治国』理論」『公法研究』20号, ユ959,62頁。 〈42)田中和夫『英米法概説』1971,49−52頁。 (43)A.V.Dioey,Intmductio皿to the St1]dyoftbeLawofthe Constitution, 10th ed., 1967,pp.202−3. (44)高田,前掲『公法研究』,61−63頁。Dicey,ψ.”.,pp.187−8. 〈45)Dicey理論の司法優位主義を行政権拡大に譲歩せしめた判例の第1は,The Board of Education v.Rice,〔1911〕A.C.179.であった。私立校教員の給与 が公立校より低いのはEducation Act,1902の平等取扱条項に違反するか否か, 地方教育部と私立校経営者それぞれに対して教育省は公正に聴聞の機会を与え且っ 決定を下すことができる,という判旨であった。 (46)1957年ユネスコ活動の一環として開かれた「西欧諸国で理解されている法の 支配」と題する会議での見解の要約による。Gooahart,The Rule of Law and AbsoIute So附eignty,106ル、Z.府刎、943L63.但し私は,久保田きぬ子「現 代における『法の支配』」 『法の支配』32号,1977,23−4頁,の紹介を参照・ 重引。 (47)力もその評価につき積極的・消極的の両論がある。辻清明「法治行政と法の支 配」『思想』337号,1952.及びそれに対する柳瀬良幹教授の批判『法律時報』24 巻9号,1952.がその代表的な例。 (48)憲法26条「教育を受ける権利」は「教育の自由」なしには成立し得ないとす る見解(山崎看秀「憲法26条」 『別冊法学セミナー・基本法コンメシタール』 r法の支配」と教育 123 1970,104−6頁),教育の自由は国民の憲法的、自由一の一環であるとの見解(高柳信一 ]「憲法的自由と教科書検定」『法律時報・増刊(増補版)・教科書裁判』1969, 147頁)ほか憲法に依拠する見解は多い。 (49)例えば学習指導要領の法的拘束力を査定した福岡地裁小倉支部(64年3月16一 日),福岡高裁(67年4月28日),大阪地裁(66年4月13日),札幌高裁(68年 6月26日),及び前出教科書検定訴訟の東京地裁「杉本判決」 (70年7月17日) 等。 (50)このような法による行政の覇束はR.Pound的な法の絶対優位主義を思わせ一 るが,彼の場合はNew De日1の行政法制からの森嘉南自由の擁護という保守的観 念に基づいていた。鵜飼信成「法の支配」 『公法研究』20号,1959,12貢参照。 (51)憲法26条のもつ自由権的側面につき,浦田賢治「教科書裁判の憲法論」 『法= 学セミナー』167号,1969,22頁。また教育の自由の史的展開の概観は,金子照基 「教師の教育の自由論」『季刊教育法』1号,1971,33−41頁。また教育の自由に 「思想の自由競争」原理を援用した例として,前出教科書検定訴訟・被控訴人第1 準備書面がある。 (52)前出3ω,堀尾氏の見解の第4を見よ。 (53)科学的真理にのみ仕えるべき教育が「法」の支配を受けることにつき,兼子, 前出『教育法』,102貢参照。憲法の予定する教育目的はr人類普遍の原理」として 価値の多元性を認めた上での秩序づけであり,教基法はその具体化である。 (54)B1ackstoneさえも一般的理性(common reason)が議会制定法に先行して一 いる趣旨を述べている。 Bl.Comm.vo正、1,pp.91,160.Cf・R・F・V. Heusto]コ,Essays in Constitu†iona1Law,2nエ1ed.,1964,p.2. (55) Dicey,ψ.c〃.,PP.80−2,Heuston,必妃. (56)1959年1月,ニューデリーでの国際法律家委員会主催「法の支配についての国1 際会議」(53か国,ユ85名)の宣言。国際法律委員会(高柳賢三訳)「法の支配と 人権一原理及び定義・付録C『デリー宣言』」『法と人権』1号,1969,83−4 貢。 (57)山崎,前掲『コンメシタール』104頁以下参照。 (58)尋常小学修身書6年生用目頭及び第24−27。 (59)例えば,教基法2条の「学問の自由」3条「教育の機会均等」,4条「男女共・ 学」,8条1項「政治的教養の尊重」,9条「宗教教育」などの規定が(口)の例。 (60)さしあたって見よ,平原春好「教育課程の編成権」『季刊教育法』ユ号,68頁 以下。 (61)新しい社会科教育の民間の取り組みについては,前田註ωの諸業続参照口 (62)永井,前掲『憲法と教育基本権』273頁。 (63)例えば,有倉,前掲『季刊教育法』13−14頁の批判。 (64)私学の企業化,産学協同,教育企業の介入(学力テストによる画一化が一層そ 124 一橋研究 第5巻第3号 れを促す),放送大学構想などをその例として挙げたい。 (筆者の住所:八王子市下柚木南陽台4の5)
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