Frontiers of Japanese The Journal of Japanese Philosophy

日本学術会議哲学委員会
公開シンポジウム「グローバル人文学の可能性と課題」
平成 26 年 12 月 6 日(土)
アカデミック・ディシプリンとしての日本哲学:その可能性と問題性
林 永強
本発表はアカデミック・ディシプリンとしての日本哲学、その可能性と問題性を考察し
ておきたい。日本哲学は西洋哲学、インド哲学、中国哲学などのように、一つのアカデミ
ック・ディシプリンとして未だ広く認識されていないように思われる。
周知の通り、国内においては、1995 年に世界初かつ唯一の「日本哲学」に関する「日本
哲学史」という「専修」が京都大学の文学部に開設された。また、日本学術振興会の科学
研究費助成金において、人文学の分科として哲学・倫理学の中に「日本哲学」という「細
目」をも加えている。さらに、国外の場合、世界中の大学には「日本哲学」に関する科目
も増えつつある。そのようなアカデミック・インフラストラクチャーはこの二十年間にわ
たって相当強化されてきた。
それと同時に、研究活動においても、20 世紀、とりわけ 90 年から、数え切れないほど
増加している。学会、研究計画、出版物などは多言語によって盛んに発信されている。ま
た、それらは量的にのみならず、質的にも向上している。そのような傾向がありながら、
「日
本哲学」の正当性は依然疑問視とされ、国内外でも一つのアカデミック・ディシプリンと
して確立されていないようである。
一方、そのような先導的な基盤を踏まえ、21 世紀に入ってから、様々な革命的かつ建設
的な動きがあった。国内の場合、まずは 2000 年及び 2003 年に『日本の哲学』
(昭和堂)と
紀要『日本哲学史研究』(京都大学日本哲学史研究室)を創刊された。そして、2003 年に
「西田哲学会」を設立され、それによって『西田哲学会年報』も 2004 年に刊行された。ま
た、2006 年から 2010 年にわたって、南山大学宗教文化研究所にて Frontiers of Japanese
philosophy というシリーズ(共 8 冊)も出版された。国外の場合は、2011 年に 1360 頁に
至る膨大な Japanese philosophy: a sourcebook(University of Hawai’i Press)を刊行さ
れ、2013 年に世界初かつ唯一再読付きの専門誌、The Journal of Japanese Philosophy
(State University of New York Press)を創刊された。さらに、2014 年に International
Association for Japanese Philosophy という国際的な学会も立ち上げた。そのような出版
物や学会からみると、
「日本哲学」や「Japanese Philosophy」という言葉はより鮮明的に
打ち出し、アカデミック・ディシプリンとして推進されていると言ってもよい。
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問題はなぜ「日本哲学」をアカデミック・ディシプリンとして取り上げたいのか。そも
そもアカデミック・ディシプリンとは何か。そこには「専門化」と「国際化」という二つ
の角度から、グローバル化を加速する今日において、アカデミック・ディシプリンとして
の「日本哲学」を考えてみたい。結論から言うと、
「専門化」は他の哲学の分野と同様に、
「日本哲学」も一つの「専門」として扱っていくことである。それは本質主義、民族主義、
さらに自文化中心主義により、一つの概念として「日本」を強調するのではない。
「日本」
は、とりわけ「日本哲学」において、いうまでもなく様々な文化、言語、また伝統を交錯
して形成されたのである。そのような多様性からみると、より哲学的ポテンシャルが含ま
れている一方、
「日本哲学」の「独自性」とも言えるだろう。
「国際化」に関しては、日本
語、また内向きにとどまらず、
「世界」に向かって他言語的な研究を推進することである。
よって、
「日本哲学」はより認識されるだけではなく、国際的な研究を通じてさらなる開放
的かつ革新的な視野、問題意識、また哲学的ポテンシャルを一層開拓するという趣旨であ
る。グローバル化時代においては、閉鎖的な研究は不可能であると過言ではない。
ただし、課題としてはどのように「専門化」と「国際化」が推進できるのか。
「専門化」
においては、
「日本哲学」の「正当性」の問題を継続的に釈明する一方、研究方法も再考す
べきである。
「日本哲学」の「特殊性」を強調しながら、哲学的「普遍性」も無視できない。
そのようなジレンマにおいて、文化差異を本位とする間文化主義はまだ有効なのかと検討
すべきであろう。
「国際化」においては、言語の壁のみならず、教育や研究体制なども改善
する余地があると考えられる。その問題性として、在外研究、海外学会発表、翻訳、国際
共同研究、国際研究組織の推進など、アカデミック・ディシプリンとしての日本哲学にお
いては真剣に取り組んでいかなければならない。
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