国並国会図書館所蔵小杉文庫について 大沼宜規 [解説編]小杉橿L邨と国立国会図書館所蔵小杉文庫 一 はじめに 国立国会図書館は、多くの特徴ある名家旧邸コ1レクションを所蔵している。 これらは・国立国会図書館やその前身の帝国図書館、東京図書館などが寄贈 をうけたり、購入したりして、長い歴史の中で収集されたものである。.. その一端は、昭和57年から59年にかけて、「西欧学術の探求」「古典籍探求 リ コ の軌跡」「日中の暦」にテ「マをしぼって開催された「個人文庫展」などを通 じて、紹介されてきた1。さらに1白井sll庫・伊藤文庫の二部の資料は、当館 ホームページ貴重書画像デーダベースに搭載され、現在では容易に目にする ことができる2。・ それらのコレクションは、所蔵図書目録に表示が付されたり、コレクショ ン目録が作成されたりしているものも多い。たとえば、江戸時代後期から明「 治時代にかけて活躍した国学者榊原芳野(1832−81)三蔵の榊原文庫は、『東京 図書館和漢書分類目録』(明治18年)に’「榊」と表示が附され区別できる3’・ また、同時期の国学者根岸武香(1839−1902)三蔵の三山文庫は、独自の『帝 国図書:館所蔵三山文庫和漢図書書名目録』(昭和10年)が作成され、その全貌 を知ることができる。 今回紹介する小杉文庫は、榊原や根岸と同時期の国学者で国史・国文学者 でもあった小杉三三(1834−1910)の三蔵資料で、「前述の個人文庫展「古典籍1 探求の軌跡」でもとりあげられた特徴あるコレクショ必である。七だが、小杉 文庫は榊原文庫や三山文庫に比較して小規模であり、また散逸した小杉三三 旧蔵資料(以下、「小杉本」と称す)の一部にすぎないこどもあってか、コレ 一46一 クション目録が作成されたことはなかった4。.そこで・今回は国立国会図書館 所蔵小杉文庫の目録・細目を提示するが、それに先立ち、本稿では小杉櫨邨 と当館の小杉文庫について解説していきたい。r 二 小杉橿邨小伝 文庫の旧蔵者小杉浮州の生涯を簡単に述べよう5。小杉橿邨は、阿波蜂須賀 家の陪臣小杉明真の男6天保5年(1834)徳島生れ。幼名発。舞舞、橿邨と称 し、三園、春蘭と号した。若年のころから阿波の古事に関心を持った小杉は、 早くから古記録・古文書を筆写収集した。安政元年(1854)には、主君西尾 志摩(蜂須賀家家老)に従い江戸に出府、紀伊藩邸内古学館の本居内遠に入 門する。古学館では、江戸派国学者の重鎮黒川春村(1799−1866)、村田春野 (1801−71)や、その後長く交友関係の続く小中村清矩(1821−95)、久米三文 (1828−94)’、本居豊頴(1834−1913)等の知遇を得た。 その後、藩内の尊皇・佐幕の争いに関与して幽閉された小杉は、その間 「万葉集」「古事記伝」などを精読する機会を得るとともた6、「遺存古文書考 証」「本国風土記名跡考」を構想する。謹慎をとかれた慶応3年(1867)以後 は『阿波国地誌』の編纂にあたり、「土御門院天皇御遷幸旧跡考」を著すなど、 阿波の歴史に関する文献調査・研究をすすめていった。 明治2年(1869)に徳島藩士に列してからは、徳島藩校長久館国典助教、宣 教使、翌3年には徳島藩権肝属となり、知事の文案起草などに関わった。同7 年には教部省考証課に出仕し、中央で の活躍の;場を得る・そ:の後・内務省社 寺局(明治10年)、修史館(同ll年)、 参謀本部総務局詰(同12年)、「古事類 苑」編纂専務(同14年)を経て、明治 15年、国学の再興を企図して設置され た東京大学古典講習科准講師となり同 19年号で勤務した。これらの諸官署で は、全国的な古文書・古記録の調査の 機会を得くまた古典講習科では「栄花 物語」「令義解」の講義を担当した。 出仕した職場では小中村清矩、飯田武 郷(1827−1900)、栗田寛(1835−99)、 一47一 小杉橿邨肖像(『大八州雑誌』127号 明治30年1月)<雑55−4>. 、. 木村正辞(1827−1913)などとどもに仕事をしている。 明治19年東京大学を非職になつ・た小杉は、同22年に帝国博物館に出仕、翌 年には臨時全国宝物取調局書記兼鑑査掛に任命きれ、宝物調査に従事した。 その記録は、『鑑定筆記』(天理大学附犀天理図書館所蔵)7・・『関西地方古書 画古器物縦覧調査記録』(早稲田大学附属図書館荻野文庫所蔵),などに残され ているが、精力的な調査を進めていることが分かる・こうしたなかで・美術 史6工芸卑の研究にも活躍の場を広げ、『大日本美術史』(明.治28年T書法の 部」のみ刊行、30年全編脱稿)をはじめ、美術・工芸関係の多くの論文を寵 した。 晶方で、晩年も古文書・古記録の調査や、古典の校勘などの活動も続けて いた。明治34年には東大寺文書の調査研究の功績により文学博士号を与えら れ、妓する直前まで『阿波国徴古雑抄』(三雲刊行)の編集にあたっている。 また、歌人としても活躍し、御歌所参候ともなったσ明治43年(1910)77歳 で破。国学者らしぐ、歴史・文学・美術研究等、日本の文物に関する幅広い 調査研究活動を行なった生涯であった。 ) 三 小杉血温旧蔵資料9)散逸と現在の所蔵機関 小杉橿邨は、「書物に対しては殆ど寝食を忘れる位」8であったと語られる 轄家で、その灘は畿度も修史館や帝国大学史料編纂掛の採訪綬ける など、存生中から高名なもめであった9。だが小杉三三三三、、その蔵書は、親 交の深かった歴史学者萩野由之・喜田貞吉’・和田英松などの心配にも拘わち ず10、売却され入札にかけられるに至った11。その分量は「馬力の四輪車に二 台位玉会場となった「青柳の土竃は一杯、下も一杯」で、小杉自筆の写本が 多かったほか、古版本・版画・古紗本、「名家の自筆本に小杉さんが書き入れ たもの」等もあったという12。これら売却された蔵書め一端を、具体的に三村 清三郎(竹清)が次のように記しているi§。 小中に梁塵秘抄の原本ある筈なりとて二三博:士行方を捜られたりしを知 れり。芸香堂買物の中に狩谷植斎標記の懐風藻あり、主分一は水くされ なりしが+五金にて博:士求めぬ、小山田与清1日蔵の字解集、+数本にて・ 比校したる古事記、西田直養の金石志、保井春海φ長暦二冊阿波国文 庫の印ある観古雑帖、松崎二二の尺準考、小山田与清書入の歌詞三絃考 二冊、屋代輪池の紀行日記類を合生したるもの数冊其他小杉博:士自ら 一48一 写し置かれしもの多かりし。これ等旧いつくの架上にか存せる。 この売立時にば「二1三寸」の厚さを持つ目録が作られたようであるが14、 それを含め小杉本を網羅した目録は確認できない。そのため、三村が記した とおり、小杉本の行方、そしてその全貌は現在のところ知るよしもない。だ が、現在の主な所蔵機関について、松野陽一氏は、当館めほか静岡県立美術 館小杉文庫、紅海学園大学附属棒縞文庫、東京都立中央図書館、国文学研究 資料館史料館を15、『国立国会図書館百科』は、そのほか東京国立博物館、東 京大学史料編纂所を挙げている。一方、川瀬一馬氏によれば、和田維四郎 (雲村)が小杉本を収集したとのことであり16、雲邨文庫は、現在東洋文庫内 の岩崎文庫ど大東急記念文庫内の久原文庫に分蔵されている。そこで、当館 については後に詳述することとし、残る8機関にbいて所蔵状況をみてみよう。 ’①静岡県立美術館 藤江家に伝わった古卑籍・書画・拓本類347件。美術品・ 的なものが多い。『藤江家旧蹟小杉文庫目録』『小杉文庫名品抄』参照17。 ② 北海学園大学附属北駕文庫 『行啓紀念北駕文庫蔵書略目録第一巻』「小 杉博:士の部」によれば\古典無類、神祇関連資料を中心に130件がみられる18g ③・東京都立中央図書館 『加賀文庫分類目録』中に、・庭園関係、和歌関係 の書籍など8件がみられる19。蔵書印の情報は掲載されていないため、・小杉櫨 邨の編綴本や書写本以外については未詳20。・ ④国文学研究資料館史料館℃『史料館収蔵史料総覧』により「小杉橿邨収 集文書』およびr徴古雑抄』2件331点が確認できる21。前者にはr東大寺正倉 院文書』の写本なども含まれている。『 t.⑤ 東京国立博物館 『東京国立博物館蔵書目録』和書1−2によれば、神祇、 歴史、考古関係資料中心に133件がみえる22。小杉橿邨の書写本及び蔵書印が ある資料を抽出した23。 ⑥東京大学史料編纂所『小杉美二郎氏ヨリ購入書庫目録』及び「所蔵史, 料データベース」によって、20数件の資料が所蔵されていることが分かる24。 古経典などの善本が多い。.また、小杉榴邨および養嗣子美二郎への史料採訪 の結果収集された、小杉本の写本や写真も数多く収蔵されている。 ⑦ 東洋文庫・大東急記念文庫 岩崎文庫を悉皆調査したところ10件、『大東 急記念文庫書目』から9件の小杉本が確認できた。25 各地の図書館に四散した小杉本の全体像を復元ずるごとは困難であるとは 、いえ、主要な機関に残されている小杉本と小杉楓邨の生涯・.著作を併せ考え ると、古典籍・古文書の網羅的収集に加え、神祇関係、美術・工芸関係、三 一49一 史・考古関係ゐ資料を多く所蔵していたと推定できるみ ト それでは、こ.うした資料群のなかで当館の小杉文庫の特徴は、、どのよっに 把えられるであろうか。次回においてみていぎだい。 四 国立国会図書館所蔵少杉文庫の収集と特徴 現在、当館に所蔵している小杉文庫は、いかに収集され・いかなる特徴が あるのだろうか.価の書物については騰及び必要に応じて記した糊を ご敵いただくとして、まずは全体像を確認していこう。 ’ 当館の小杉文庫は『国立国会函書館蔵書印譜』の「小杉橿邨」によれば 「94点」、『国立国会図書館百科』の「小杉文庫」によれば「100余点」.と記さ れている。』 _数に差異力斗あるが、おそらくこれは、小杉文庫の範囲の認識ρ 差によって生じたものであろう。小杉文庫は大正2年から3年にかけて数回に 分けて収集された資料群とされるが26、管見の範囲では小杉本の購入自体は大 正2年から昭和9年に及ぶ。両者とも明確には記していをいが・小杉文庫をど の範囲まで含めるかたよって、自ずから点数は異なってくるのである。そこ でまずは、当館所蔵の小杉文庫の範囲を検討していきたい。 それでは、当館所蔵の小杉本の購1入日と購入件数を確認してみよう・’ 件数 請求記号 44件tt 830−1∼39、亥二一78∼82 ②大正2年7月21日 27件 830−40t−66 . ③大正2年12月12日 20件, 830−67一一86’ ④大正3年5月27日 11件 「⑤大正3年10月2日 1件 1件 購入日 ①大正2年・7月9日 x 層⑥大正3年11月5日 1件x, ⑦大正4年2月16日 ⑧大正4年4月20日 ⑨大正5年4月21日 830:87 di ・ t ・ 830−88(WAケー126に分類変更) 830−91 830−103 . 、.1件 830−106 ’ 1件 830−134 一 ⑩大正5年7月8日 8件一 830−135一一142 ⑪大正5年9月22日 1件、 ひ一84《三三3−3−3−3に分類変更) 1件 830−159 ’ 1件’ 830−178 ・1件 831−110 .i 1件 830−182 、⑫大正8年12月9日 ⑬大正11年12月9日 ⑭大正12年7月16日 ⑮大正12年12月25日 o 一50一 ⑯昭和8年12月20日 1件 ね一43(わ216−1に分類変更) ⑰昭和8年12月20日 1件 1’830,205 以上l12件の資料が確認できる27。そこで、核となる大正2年から3年までの 購入分(上記①∼⑥)をみそみよう。総計94件となり、当館所蔵の小杉本の’ 8割を越す件数がこの時期の購入であるこ,とが分かる6これらの資料は、折 本という形態によって分類されたと推定される「三二函」の5件を除いて、そ の全てが「830函」に収められている。この8うにみていく’と、,原則的’に小杉 文庫は830函に収められたと考える事ができるであろう。 そこで、次に大正4年以降受け入れられた18点をみてみよう。大正5年購求 の『諸織物縞本集帳』(⑪)、大正:12年購求の・『神楽大前帳』〈⑭)及び昭々8 年購求の『紀伊国古文書纂』(⑯)を除く15点の資料が830函に収められてい る。これらの資料は、大正2年から3年にかけて購求された小杉文庫を補充す る意味を持っていた、と位置付けることができるであろう。 それでは、・830函に収められなかった3件の資料はいかなる特徴があるのだ ろうか。『神楽大前帳』は『帝国図書館和漢書書名目録』第4編によれば、「屋 代弘賢自筆」と註記されている6ここから、屋代弘賢め自筆本であったこと ’が主な収集理由であったと考えられる。r諸織物写本集帳』は貴重書に準じる 「いろは函」に収められていた。これは小杉本で、かつ榊原芳野旧蔵書でもあ. り、布の貼込帳であるため、収集理由を特定することはできない。『紀伊国古 文書纂』については、「いろは函」に収められていたが、『帝国図書館和漢書 書名目録』第5編には、収集理由を推定できる要素は記されていない。いずれ も小杉本であることが収集理由とは考え難いのであるσ このように、「小杉文庫」は830函に収められた1104件(うち1件は現在貴重 書に分類変更)及び亥二野中の5件と捉えられる。したがってぐ.「小杉文庫」 の点数は109件と考・えることができるのである28。前述の「94点」と「100点余」 の違いの理由は、こ0ような捉え方の差異であると考えられる。.本目録では 小杉文庫109件と、現在小杉本と確認している3件を紹介したい29。 つづいて、当館所蔵小杉文庫の特徴について、他端にも共通するものと、 他事とは異なるものとに分けて見ていきたい』まず、他館の小杉本にも共通 する特徴について、つぎの3点を挙げておきたい。 ①「木暗文庫」「阿波国文庫」本が多いこと。 「不忍文庫」は江戸時代の和学者屋代弘賢の文庫。、「阿波国文庫」は蜂須賀 家の文庫である。「不忍文庫」・は屋代弘賢没後蜂須賀家に譲られ「阿波国文庫」 中のコレクシ白ンとなる。これらの本を小杉橿邨が入手した経緯については、 一 51 一一一 次りように記している30。 く ラ 維新に際して、いまの正二位侯爵より、旧藩士の中に隔て、篤学のもの、 その望にまかせて、凡そ十部を限り不忍文庫本にても万巻楼本にても、 わかちあたへんと,の仁慈を施ざれし事ありて、温邨も不忍文庫本及び阿 波国文三三印のもの、数三三与をうけ(後略) こうした例は当館所蔵の『法曹至要抄』<830−14>に、「維新二三シデ藩主 公ヨリ申請ヒテ所蔵セシ(後略〉」という識語があることからも裏付けられる。 だが、それにとどまらず、小杉は屋代弘賢自筆資料を収集していたようであ る31。・それは、屋代弘賢を「尊信」していた32ことによるだろう・『古文書・吉 記録の調査研究の先学ということに加え、「屋代弘賢の二道」を学んだ三三真 に書の手ほどきを受け、蔵書にも触れる機会が多かったことを考えれば・「尊 信」も納得できることである。 ②小杉町写資料が多いこと。 小杉橿邨自身「古文・古記と》・ふものを、ふかく尊ぶ精神おこりて1其く さぐさ後の参拝にもとおもふものは、見るに随ひ写しとりぬ」33と記し、親戚 の梅津連も、「珍らしい書物があれば写して残し置かμました」と述べている34。 当館の小杉文庫中にも『延喜染鑑』<83b.37>、『二中位』<830−35>など、 特徴のある筆跡で記された、』小杉橿邨自写資料が多く残されている。また、 『野花物語』<WA−126>、『政事要略』<830−12>のように、反町の聞書にも みられる小杉自ら校訂註を施したもの J が多く残されていることも、特徴の一「∼ つといえる。 小杉三三筆跡(『延喜四三』.<830−37> 一52r 暖 ・ ③手書ラベルが附されているこど。 小杉本には蔵書印以外に、片仮名と場合によって二種類の漢数字が付され た自筆ラベルが残されているものが多い。片仮名は分類、漢;数字のうちの一 種類が冊数を示しているものと推測できる35。だが、当館所蔵本の場合、元ラ ベルの上に帝国図書館のラベルを添付しているため、判読できない場合も多・ い。分類については他館め資料をもとに検討していく必要がある。 つづいて、当館所蔵の小杉文庫の特徴をみてみたい。 ① 小杉自ら編綴したと考えられる雑記・論集類が多く含まれていること。 小杉は、伯らの調査記録や論説等を分野毎にまとめ合綴し標題を付していた36。 、当館には、土地制度に関する『農政必携』<830−3>、神葬祭制度に関する r葬祭儀草』<830.27>『葬祭儀』<830.36>、歴史関係のr読史翼』<830. 182>、美術工芸関係の『書画一班』<830−74>『工芸一班』・<830−43>など1 が残されている。 ’ . こうして編綴された資料g)なかには、小杉自ら写した三三当時の学者の 自筆資料も多い。.また、論説を雑誌掲載する際に作成された校正も含まれで いる37。これらは識語や使用されている罫紙から書写時期を推定できるものも一 少なくない。また、当時の国学者の交友が分かる資料も含まれている。小杉 櫨邨の活動を如実に示すものである。当館以外では『和かくさ』(和歌関係) 『臨池抄」(書道関係)『江戸名園記』『もみじのひかり』(庭園関係)『近世名 家紀行』(紀行文)『いけの玉藻』(屋代弘賢自筆書類)など東京都立中央図書 、館に同様の資料が残されている。 ②ウィーン万国博:覧会関係資料が含まれていること。 明治6年に開催されたウィーン万国博覧会の関係資料が含まれている38。こ れらはウィーン万国博覧会の開催にあたり、各地の産物について調査したも のを、産物別に綴ったものである。標題の筆跡が小杉の筆と考えられること’ や、「臨時帝室宝物調査局」罫紙に小杉橿邨自ら写した書類も含まれているご とから、①同様美術・産業・’工芸史研究等の参考文献として、小杉二二が編 綴し、所蔵していたものであろう。各村から県庁への差出文書、それを県庁 で纏めなおして博覧会事務局に提出したもの、博:覧会事務局の役人が現地に 赴いて調査したものなどがある。一印判のある原本、博:覧会事務局で浄写した ものなど、「 テ文書としてのレベルは多様である。また、産物の由来、製造者、 製造工程、付図、生産高、値段等が記されているものも多く、なかには博:覧・ 会事務局からの質問内容が記されているものもある。また、『教草』の草案と みられる調査も含まれている39。小杉二三が帝国博:物館(帝室博物館)に勤務 一53一 していた時期に入手したものであろう。 ③善本は歩ないが、多様な分野の資料が所蔵されていること。 静岡県立美術館には重要文化財に鑑定された資料があ’り、東京大学史料編, 三所にも古経典などいわゆる善本が多ぐみられる。当館所蔵の小杉文庫にはt そういった.「善本」は少ない。名家自筆本の類もr阿弥陀経石本義』など数 点にすぎず、当館の貴重書として指定されたものも古活字版の『栄華物語』 1件にすぎない。しかも、同書を小杉は校訂の底本にし℃おり、署しい書き 込みがあることから、1小杉自ら貴重と捉えていた書:物とは考えられないので ある。[ だが、当館の小杉文庫には、神祇関係・美術工芸関係・史学・文学関係等 の調査書類や古典籍、また古文書・古記録の写本などが数多く残されている。 また、①で示した同時代の学者め論説を集めたようなものや、②で示したウ ィ_ン万博:の調査資料も収蔵している。和歌関係の資料が殆どないことを除 けば1小杉の学問的関心を満遍なく網羅した収集となっているといえる。 このように見ていくと、当館所灘の小杉文庫は、善本を収集したものでは ないが、小杉三三の学問的世界op全体像を徳回するような資料を多数有して .いるこどに特徴があるといえる。ウィこ一ン万国博:覧会関係資料群も倉め小杉 が編綴した資料が多いごと.。ま、その特徴を、より・はっきり示すもρである。 五、おわりに tt @・ ! 「はじめに」でも述べたようにll 1今回紹介した小杉文庫だけではなく、当館 には多様な名家旧蔵コレクションが収蔵されている。逆にやえば・小杉文庫 は当館の名家旧蔵コレクション群の一部にすぎない。それらのコレクション が収集された背景には、帝国図書館の収集方針に「翻心のおそれのある貴重 文庫の収集」が有ったことによるものと孝.えられる。このことについて、帝 国図書館長をつ膨めた岡田温良は以下のように述べている40。’ 古来いずれの国でも愛書察蔵称とv・われる人の数は多く・それ鞭 書家達の集めたコレクションというものは、隅々まで心が配られ注意が 行き届いていてまことに得難いものである。しかもこのような集書は、 その1冊1冊を分離してしまえば、単独にはさしだる内容的価値も市場的 価値も呼ばないものであるが、これを集大成したrつのコレクションと して見乙とき、そこに得難》・価値が生ずるものであるb・しかレこ4)様な 一54一・ セ 貴重なコレクションもひとたびその所有主が世を去ると、多くの場合い・ つとはなしに散逸してしまう1のが世の常である。国立図書館はすべから くこのようなコレクションを収集保存すべしというのが、帝国図書館殻 立案の提案理由の説明の中で述べられた外山正一博士の言葉であったし、 又当時の田中稲城館長の方針でもあったようで、その後この考え方は私 共が下館に職を奉じ、収集業務を担当するようになってからも、館景、 先輩から示された方針でもあった。われわれはこの.ようにせっせと史料 を集める学者、愛書家を蜜蜂にたとえ、その集められたコレクションを 貴重な蜂蜜と称してその収集につとめた。 このように、帝国図書館は名家旧蔵コレクションの収集を積極的に行なう 方針を持っていた。さらに、岡田氏は「徳川時代の名家の稿本及び自筆写本 類」が収集対象となっていたと述べる。具体的には、「古事記伝、本朝編年録、 栗山詩稿、紫禁和歌草、里見八時伝、その他国学者、文人、戯作者の稿本、 写本類」と挙げている。だが、このような収集のためには、選書眼を持つ担 当者が不可欠であったろう。こうした司書の存在、殊に和古書担当司書につ いて岡田氏はつぎのように述べている41。 明治末から大正期を経て昭和初期まで、上野図書館には西村竹間、鹿島 則泰などという、古書に明るいすぐれた図書館員がおったので、乏しい 予算にもかかわらず、明治以前の文献が比較的よく集められている。中 にも鹿島氏は江戸期の文献に造詣が深かったので、江戸時代.の政治、文 学、’演劇、音曲、遊芸関係資料はやや系統的に集められてい1る。 鹿島則泰については、「鹿島翁の詰めている貴重書室の客」となっていた書 誌学者川瀬二三氏も、「鹿島三三さんなどが司書官で目が利いていますから古 写・古版・古文書・古記録・江戸物まで各種の善い物を集めておられます。 色々競争入札で取った話も聞いております。」と述べている42。鹿島則泰は明 治39年から昭和13年まで、一貫して帝国図書館の和漢古書の収集・整理等を 担当していた人物43。父は鹿島神宮宮司で大蔵書家でもあった鹿島則文で、こ のことも野望の帝国図書館採用ρ理由であった・.この鹿島のような目利の存 在が、帝国図書館の和古書コレクショ営の形成を担っていたのである。、 それでは、小杉文庫も鹿島が収集を担当したのであろうか。これについて ド の確証は得られないが、大正3年に鹿島は「野寄古書購入撃墜写調査井取扱⊥ 一55一 「購入和漢古書事務用力」ド調整」「貴重書取扱、乙部統計、細目編纂(謄写’ 本和漢叢書類ジ和漢書書名著者名ノ調査」「乙部和漢書事務用カード調整同書 整頓井其函架目録調整」を担当事務と.していた44。鹿島が、小杉が教鞭を取っ’ ていた東京大学古典講習科の出身で師弟関係があったことからも、関与して いなかったと考える方が不自然であろう。 以上のように、帝国図書館のコレ”ションは、』積極的な収集方針と司書の 力によって形成されたものであった。そして、そうして集められたコレクシ ョンには、独自の請求記号が付された大規模なものや、今回紹介した小杉文 庫のように独自の請求記号こそ付されないものの旧記者の名を冠したものだ けではなく、「文庫」と言うにはごく小規模なものも散見される。小杉文庫も そうであった々ミ、殊に小規模なものは幾度にも渉って収集されている場命が 少なくなく、全体像が把握しにくい場合も多い。そのため、とうした資料は、 個別的たは当館『月報』のコラム「二本あれこれ」などで紹介されても、コ レクショ’ 唐ニして知られる機会は少なかった。しかし、上に述べたような双 集の方針や経緯を考えた時、大規模なコレクションはもとより小規模なコレ クションも、・高い価値があるといえる。こうレたコレクションg)紹介を?つ く課題としておきたい。 注記 . , (1)国立国会図書館編刊『国立国会図書館所蔵個人文庫展』1∼3(1982∼84 年)』〈、当館請求記号:UP72−42、以下当館高話記号は松葉括弧に包む〉なお、 国立国会図書館所蔵の特殊コレクションは『国立国会図書館百科』(出版ニュ ’t一ス社、昭和63年)<UL214−E4>「専門資料」(296−389頁).など参照。 .(2) URL:http://www3.ndl.go.jp/rm/index.htmlo 一 ’ ..’ (3)朝倉治彦「『榊原芳野家蔵目録』のこ≧」(『参考書誌研究』13号、昭和51年< Z21−291>)参照。また、「榊原芳野家蔵目録」(『参考書誌研究』12号、昭和. 51年)も翻刻されている。 (4)当館め小杉文庫に関しては岡田温「上野図書館の収書とその蔵書」(『図書館 研究シリーズ』5号、昭和36年、208頁)、前掲注(1)国立国会図書館二二『国 立国会図書館所蔵個人文庫展』2「古典籍探求の軌跡」(昭和58年),24∼26、 54∼55頁、「小杉文庫」前掲注(1)『国掌国会図書館百科』328頁)、朝倉治彦 「小杉橿邨」(国立国会図書館編『国立国会図書館蔵書印譜』青裳堂書店、平 成7年<UM57−Gl>)183頁壷参照のこξ。 (5)小杉棉邨については「文学博士小杉二二先生の履歴」(竹柏会『こころの華』 一56一 4巻10号∼5巻2号、明治34∼35年<Z13−328>。なおこの伝記の初出は『徳島 学生会雑誌』とのことだが未見。また、小杉没後「明治三年以前の故小杉博: 士の履歴」ユ∼5』(『歴史地理』15巻5号一一・.16巻3号、明治43∼44年<Z8−3275>) 1に再録されている)、「小杉博士記念録」(『歴史地理』15巻5号、明治43年)、 関山(名欠)「小杉博:士逸事拾選」(『歴史地理』15巻6号、明治43年)、「小杉 櫨邨」(昭和女子大学近代文学研究室『近代文学研究叢書』11巻、昭和女子大 学光葉会刊、昭和34年〈910.26−Sy961k>)、原秀三郎「小杉橿邨と小杉‡庫」 (静岡県立美術館編刊『小杉文庫名品抄』’昭和62堅く未所蔵〉)、湯之一望 『日本中世の政治権力と仏教』第10章「小杉橿邨の蒐書と書写活動」(吉川弘 管下、2001年<GB241−G23>)、拙著「小杉橿邨の蔵書形成と学問J(『近代史 料研究』1号、2001年<Z71−F912>)、西洋子『正倉院文書整理過程の研究』 (吉川弘文館、2002年<UL567−Gl>)等を参照のこと。 (6)前掲注(5)「文学博士小杉橿邨先生の履歴」1,2頁。 (7)伊井醐「四丁言e抄(一)一小杉橿邨の古美難聴の世界司(大阪群中 古中世文学研究会編『詞林』20 平成8<Z12−717>)に抄録されている。 (8)梅津連「迫1裏」飾門戸(5)「小杉博:士記念録」所収)594頁。 (9)「引回雑抄編纂の趣旨」(小杉甲州編『阿波特徴古雑抄』日本歴史地理学会、 大正2年<218.1−Ko667a>)には「帝国大学史料編纂掛よりもめさるるものと な」つたと記されている。・具体的には史料編纂所所蔵資料中に明治18年から 19年にかけての修史局によっそ謄写された『徴古西抄』や明治39年謄写され た『招提千歳伝記』などがみられ、さらに、『大仏測定図』(明治44年模写) 『朝鮮薗書翰』(大正5年模写)のように、小杉飛箱轡型養嗣子美二郎へ史料採 訪を行っでいることも分かる。 (10)前掲注(5)関山「小杉博士逸事拾遺」。・ (11)売却の経緯については反町茂雄の深沢良太郎への聞書「明治大正期のセドリ について」(反町茂雄『紙魚の昔がたり 明治・大正篇』八木書店、平成2 年<UE111−84>)226∼230頁、川瀬’馬『日本における書籍蒐蔵の歴史』(ぺ りかん社、平成11年<UM51iG14>)96∼97頁、203∼204頁、三村清三郎「小 皆野:士遺書」(『本の話』2 「日本書誌学大系」23(2)青丹堂書店、昭和57年目 UM57−G・〉)参照・なお・彬本然卒の日pV’て・深沢は・「明治の末」 のこととしているが、三村清三郎は、「大正二年七月一日」としている。 (12)前掲注(11)反町聞書「明治大正期のセドリについて」228頁による。 (13)前掲注(11)三村清三郎「小杉博:士遺書」による。 (14)前掲注(11)反町聞書「明治大正期のセドリについて」226頁による。 一57一 (15)松野陽一「小杉三三」「(『日本古典籍書誌学舌三三』岩波書店、.1999年、221頁〈 UM2−G2 〉) o (16)前掲注(11)川瀬『日本における書籍蒐蔵の歴史』204頁による。和田雲村 (維四郎)は鉱物学者で日本一典籍のコレクター。『訪書余録』の著者。 (17)』小杉文庫調査団編『藤江家門蔵小杉文庫目録』静岡県教育委員会、昭和56. 年<UP171・168>、前掲注(5)静岡県立美術餌閉刊『小杉文庫名品抄』。 v (18)・三浦三編r行啓紀倉北野文庫蔵書略目録第一巻』北駕文庫刊・大正3年ぐ UP171’146>o (19)東京都立日此谷図書館編刊r加賀文庫目録』昭和35〈029.9−H:426k>。 r江戸 名園記』『もみじのひかり』,『輿車図考』『職人由緒ガ『臨池抄』『池の藻屑』 『筆のはやし』『近世名家紀行』が確認できる。 (20)目録上小杉編とは判断できないが和歌関係の雑綴『わかくさ』も所蔵して.V 〉 る。なお、『わかくさ』の内容は松野陽一「小杉棍邨『わかくさ』細目」(『国 文学研究資料館調査研究報告』第14号 平成5年<Z13−2772>)参照。 (21)国文学研究資料館史料館編『史料館収蔵史料総覧』名著出版、平成8年〈GB5− G19 >o ’ ’ (22)東京国立博:物館編刊『東京国立博:物館蔵書目録』和書1(平成10年)〈UPI11− G76>、同編刊『東京国立博物館蔵書目録』和書2(昭和32年)f(029.9−To456 z>。『ゴ中歴』「四天王寺文書』(以上、和書1)『重訂御書籍目録』『和学所 等書籍目録』『粟田日記』『諸神本懐集』『白川三三仮雑三略抄』、『三川家神道 秘書』『可家旧記』『神器考証』『外宮年中行事今式』『伊勢勅使部類記』『伊勢 勅宮神領部類』『日吉社古代造営記』『熊野神社考定』『熊野新宮神宝図』『直 二三補注』『駅戒問答』’f大元実義』『葬祭儀式!『高野山霊宝目録』『法王帝説・ 二丁』『全光明最勝王経音義』丁大衆院本諸寺縁起』『法隆寺宝物献品之内陳列 略図』、『蛙の説』『葉末露:』『伊吹おろし』‘『日本神字考』『神代文字考』『異体 文字』『日本正紀序』『逸号年表』『翁姫夜話』『武林隠見録』『諸陵周垣記』 『山陵考略』.『本朝尊卑分脈図脱漏』『旧考余録』『寧楽正倉院続修成三文書目 録』『高山伸三江芦日記』『和歌山より大坂への道川則『日神地名録』『石見国 地誌ぬき書』『伊予国旧跡考』『門下豊後風土記£.『西大寺領大和添下郡班田図』 『伊勢美濃尾張三国堺略図』『永禄年中江戸略図』『天平宝字三年東大寺領越中 国射水郡開田地面図』『上古備中国五郡図』『淡路国全図』『天平七年弘福寺領、 讃岐国山田郡古図』『関市令』『貞享四年大嘗会調度図』『三種図』『大内裏抄 並内裏抄』『服飾管見巻』『子代考』佃野図解抄』『正徳年間銀座年寄轡型顛 末』『回気三三』『三三考』『三夜拉甘葛考』『三三考』『真弓壬金芳』『製茶詳・ 一58 ’一 説∫『陶器考』『陶器考図』『船三王後首墓誌考証』『三楽正倉院所保存大仏開 三筆全図』『三楽正倉院保存漆紗三井三図』『三楽正倉院三三御三掛様』『阿波 国祖谷山菅三三所蔵旗三紋』『阿波国祖谷山阿佐三所蔵回三紋』『阿波国三浦 三田之浦村発掘破三図』r御鏡図案二種写経生三筆人物』r香道客主心得次第』 『薫物方』『香木考』『供物調進図式』『進退業旧記』『綿甲冑考1『軍配三図』 『内侍所叢説侃刀沿革』『古代刀鉾甲冑図説』『鞍鐙判三紋』『三都三図考』『大 和錦城記』『安芸国厳島神社所蔵蛮絵形』『淡路国之図』1阿波国名東郡;宮神 像』『阿波国鳴門真景』『阿波三図』『阿波野冊図』『出雲大社図』『石上神宮宝 .物六三矛図』『厳島大鳥居』『伊予国三島神社所蔵古鏡銘』『閨月録』・『阿州雲 辺寺門』『天平宝字三年東大寺領越中国射水郡開寺地図』『寛永銭書体一覧』 『紀伊国地図』『倉庄土地帳添上郡図』『宮城図』『享保年間徳島方角図』『皇太 神宮宮域図』『御即位図』『斎宮寮斎宮領図』『天平七年弘福寺領解岐国山田郡 古地図丑『詩仙堂六物図』『十輪院校倉精細図』『上古備中国査郡図』『内外神【 宮門建物二十分ノー図面!『大乗院家御領若槻庄土帳』『筑甫太宰府神社所蔵 雲版図』『仙台領中尊寺一山図』『月読宮宮城図』『対馬国下県郡黒島所発見銅 鉾影野』『京都東寺旧蔵辛櫃所画少年遊技図』『道風朝臣肖像』『三三大神宮々 城門』『豊野大神宮殿舎旧制之図』『内宮中子図』『日本古銅印写』『野見宿禰 参内図』f百川入海』r宝印木版』r陸奥二本松大照院所蔵曲玉図』r水入全図』 『守屋連肖像』『山城国宇治郡条里図』(以上和書2)。なお、和書1からは小杉 本の写しも9点確認できる。 、(23)lF杉園蔵」捺印資料のみ。このほか、小杉橿邨の蔵書印・識語印としては「杉 園蔵」「一片月」「橿村」「橿邨」「小杉」「小杉園」「発印」「文学博士」「御歌所 参候」「深草静堂」「すきむら⊥「開園」が確認される。印影については、前野 注(5)拙著、「小杉平門め蔵書形成と学問」.5頁参騨。なお、『妙法蓮華経』『大 智度論』(東京大学史料編纂所所蔵)のように書物に直接捺印せず、包紙を付 し捺印している例や、『年貢納帳』一「門守事略』(当館所蔵)など蔵書印の捺印 がないものもある。なお、今回調査する過程で新だに蔵書印・識語印を発見し ノ たので掲載する(図1『百人rt首古説』(当館所蔵)所載、図2『世尊寺法言』, (財団法人東洋文庫所蔵)所載、図3『又楽居蔵自』(財団法人東洋文庫所蔵) 所載)σ 一59一 図1 図2 図3 ・鵡渓 勲 を賦 (24)「臓史料データベー1」(URL『:http・//wwゆi・u−t・k・・・…」pイ・gi− bin/ships/shoz_login.sh)から小杉美二郎『御室相承管巻二首部』『大般若波 羅密多経,巻第五百廿』『歌仙』、『耕雲紀行』『妙法蓮華経巻第四』『六智度肝 巻第八十七』『一切経音義 巻第十五』『大乗阿毘達磨集論 巻第六』、『大般若 経 巻第五百二十』『大乗理趣六波羅蜜多経 巻三山』『大毘盧遮那成仏経回 聖帝二十』『梵字形音義』『刀剣一一記 下之巻』『聖教目録 支配百首当坐歌』 r藤原為兼卿詠歌』r鳥丸家文書』r霊元天皇震翰』r里村玄陳自筆発句』r滝本 坊乗淳自筆書状』『壷井義知自筆書状』『正保五年元日連歌』』『漂然法親王自筆「 御書状』『古写経断片雑』の所蔵が分かる。なお、『小杉美二郎氏ヨリ購入書 類目録』には『御室相承記巻二首部』『大般若波羅密多経 巻舞五百廿』がみ られず、『大般若波羅密多経三百廿奥書』、『大般若波羅密多経第四百一ナ』『大 般若波羅密多経雪避奥書』、がみられる。このほか『諸国文書』も小杉本であ る。 t’ (25)岩崎文庫本としては『丹鶴叢書』『池上の玉藻』『淡路古文書』『学書宝鏡』 「画像須知』『世尊寺法書』『月のゆくへ』『武功雑記』『又楽居蔵目』『日本風 土記』が確認でぎる。大東急記念文庫本として『杉の葉草紙』『古点考』『日 本王子弁』『奉納聖廟一千首』『懐風藻』『陵墓の図』『職三三』『古器発掘品図』 『般若理趣経』が確認できる。’大東急記念文庫旧刊『大東急記念文庫書目』 (昭和30年)<UPUI−283>による。なお、『杉の葉草紙』は小杉の編綴資料。 (26)前掲註1)『国立国会図書館百科』328頁たよる。 (27)『年貢順潮』『安房国忌部家系』『自議事略』には蔵書印がないがぐ後二者は小 四温邨の書入本、自筆本である。『年貢納帳』は収集原簿に「小杉奉」どある ことに従った。r方・前掲注(4)岡田温「上野図書館とその集書」によれば 『古文崇正抄』も、小杉文庫とされているが、小杉三三三蔵の形跡がなく事務 文書類にも小杉本の根拠がみられないため、ここでは省いk6 一 60,一 (28)「830函」は帝国図書館時代の函架番号であり、戦後は凍結されているが、戦 後受入の古典籍のデータが含まれているNDL−OPACの蔵書印検:索(「件名」 に印文入力)では、小杉本は見当たらない(平成15年7月30日確認)。 (29)なお、こ¢)ほかに小杉橿邨に関野する資料として次のような資料も確認でき る。小杉自筆部分を含むものどしては次の4点を確認している。『千代の 光』<834−12>(「南部家蔵」印あり)には明治41年1月の小杉橿邨自筆序文 が付されている。『諸大家草稿』<本別4−5>は『国史大辞典』序文の草稿類 を貼り込んで、巻子仕立にしたものであるが、老のなかに小杉の草稿も含ま れている。1『四名家筆記』ぐ831−20’〉は、黒河真頼「鏡面に仏影を現す」(「洒 竹文庫」「中川氏蔵」印あり)、屋代弘賢「十如筆記」、喜多村信節「後三年合’ 戦絵集説存疑」(「喜多村」、印あり)を合冊したもの(いずれも自筆本とされ の書簡とともに付されている。その内容は次の通り。「昨日御欠毒虫候、御句 束の高山寺箱書付又貼紙晶写共別紙こうつし指上候○春村翁の円鑑の説昨日 うつし被下候由二候丁数枚の内にて小生書ぬきいたし度候間不苦候ハ・“一両 日中一寸御恩借願上候うつしぬき直々返上魔手此段願上候、頓首 加藤先生 親展/寺所蔵冥報記三巻 箱裏二女唐書臨座方便動態慧友護闊梨自書也、別 二一紙ヲ貼ス、其文二円行阿闊梨承和五年入唐幻日以皇朝官紙所令書写也 柳庵識」d’『百人一首古説』<wAIS−S/元請求記号:貴7−49>(賀茂真渕自 筆、弓田東満書入、「青楓館主」「荷田氏珍蔵」印あり)は巻末に以下の小杉 棍邨自筆識語がある1「ζの古人百人一首古説一冊は東丸大人の晩年にか・れ ・し筆意なる、こと疑ふへきにあらす、,世間にとの古説といふもの或ハ在満翁か げりなといへとも急く翁自筆もてかくしるされたるを按へは、いよいよこの 浄め著と決すへし、又頭注に自筆墨書一所南りまた真渕大人の墨も三所ありこ 今一所ハ長いまた詳かにせさるなともありていとめてたき冊子なり、蓋し今 ヒ 一冊となれるはいと惜ピむへきものなるを今ハ萩野博:士も同し心にζを愛惜 し℃秘架に蔵め給へり、一日観ることを得て嘆賞しぬ∼また蔵書印に青楓館 主とあるはかの名高きあをか1りしよりとよミし歌をおもひよせづるにあらし t、 か、妻田氏珍蔵とあるは後の押印ならむなとかりそめにくつし出たるをすへ てすへてこのおもふかま・のことかいつけてよと請はる・ま・にしるし今後 のあかしをまつ 小杉棉邨㊥㊥」。萩野博:士(萩野由之か)に請われて識語を 付したものと分かる。『源氏物語湖月抄』<た一20>’(刊本への賀茂真淵書入 本。「評家蔵書」「芳宜園」印あり)も、、小杉本ではないが、『百人一首古説』 同様、残されている7巻分の巻末に以下の通りの小杉橿邨自筆の識語がある。、 一61一 ノ る)であるが、「鏡面に仏影を現す」に「小杉君手書冥報冷灰函背記」が小杉 「この写本ハ版本湖月抄にもとより補ひそへられたるものならむ、さるは真弓 大人の中年の筆つきの書入あるうへに千蔭翁の筆もミえたる墨朱ともにミな 翁のものせられしなるへし、そこの三種の本とも和田ぬしの蔵書とせらる・ を間て此よしものしそふ 小杉三三㊥㊥」(うつせみ)、「此墨筆かき入ハ真弓 大人の中年のはしめかとの筆意あざやかなり、朱筆かき入はここにミへる識 語あるか如く一柳千古なり、和田ぬし今は蔵書とせられたるをはじめの桐壷 の写本にかけるか如く千蔭翁の蔵書なりしなり、いとめっらしけれパー目零 つ・このよしかきそへ再ひミもてゆくに千陶工の墨かきもましれり 小杉楓 邨㊥㊥」(あかし)、「この訂正かきいれハ真渕翁ミつからの此物語の新釈によ t りてものせられたるか如し、別冊にいふか如く今ハ和田ぬしの蔵書とせら るλを一日よ,く見て一言をそふ 小杉楓邨㊥㊥!(≒こなつ)、「この書入訂正 なとすぺて別冊にいふか如し申に朱筆あるハ例の千古ものしつるなり、千蔭 翁かもてりしをそは和田ぬしの秘架におくものとす一日こひミつ・一言かき ・そふ 小杉橿邨㊥㊥」(かかり火)、「このかき入れ訂正もさきさきの冊子にか けるかこと.く大入の新釈同支なり、なほ千古の朱書もいさ・かましれり千蔭 翁の旧蔵せられたるものなるを和田ぬしの秘架におかる・によりて一日ゆつ らかに間つ・一言をそふ 小杉橿邨㊥㊥」(野分)、「この訂正かきいれも大人 の新釈をそのま・にものせられたるか如し中に就て例の千古の朱かきもミゆ、 和田ぬしの蔵書に帰するを一日閲て一言かきそふ 小杉悲観㊥㊥」(行幸)く 「この訂正付箋はいかなる人のものせしか考ふるへからされと真直大人のこめ ヒ 物語新釈をうつしとれるものなり、は、しめ千心当の蔵書印あれと印の記載ハ 一種ことなり其前後を弁知せされとも加藤家一揃ひのこの湖月抄なるへし、 蓋しこの一冊段別にかきいれなしこれも和田ぬしの一そろへとせられるを閲 へ てか・なむ 小杉櫨邨㊥㊥」(はし姫)』。以上『源氏物語湖月抄』を除きいず 、れも写本である。一方、小杉奉の写本として次の8点を確認できる。、『摂津国 水無瀬古図』<832−279>『阿波国新島庄絵図』〈832−280》『大和国平群真倉・ 寺古地図』<832−281>r讃岐国山田郡古図』<832−282>r大乗院家御領若槻 庄土帳』<832−283>『越中国射水郡開田地図』<832−287>は小杉本から写し を作成したものであることが奥書によって分かる。うち5舗は明治19年2月お よび3月に写されたものである。いずれも今泉雄作の旧蔵資料。また『阿波国 板野郡田上郷延喜二年戸籍』’<102−173>『阿波国徴古豪抄』<102−191>は邨 岡良弼旧蔵の資料である。・ (30)小杉橿邨「源弘賢翁の小伝」(屋代弘賢『古今要覧稿』国書刊行会、明治41 年〈016.ll−Ko5488u>)4頁。なお文中の’「万巻楼本」と鳳柴野栗山旧蔵書でs 一62一 やはり蜂須賀家の所蔵に帰し、江戸別邸にあったという。 (31)国立国会図書館蔵本中にも屋代弘賢自筆本『阿弥陀経石幽幽』<830−8>がみ られるほか、「不忍文庫」本として『栄花物語目録』<830−159>『偽類従三 代々考』<830−20>『政事要略』<830−12>などが挙げられる。また、小杉橿 邨は日記『動乱の玉藻』(東洋文庫所蔵)や自筆本を合喧した『池の藻屑』 (東京都立中央図書館所蔵)なども所蔵していた。 (32)前掲注(36)小杉温邨「源弘賢翁の小伝」による。 (33)前掲注(9)『阿波輪郭古雑訴』による。 ,(34)前掲注(1)「追想録」による。・ .. (35)たとえば、当館所蔵資料で「フ」のラベルが付されたものは、『延喜染鑑』〈 、830−23>『漆器説』<830−81>『飛騨国春慶漆エ系統’』<830−75>『俵装. 式』<830−80>工芸一班く830−43>『諸国陶器集金七宝焼附』<830−40>r『織 画集説』<830−48>『京都陶磁器説』、<830−53>『漆器説』<830−44>『造紙 説』<$30−65>『染物織物製綜略説』<830−49>『銅器序説』<830−42>『陶 器曲説』<830−50>『西陣織物詳説』<830−66>『蒔絵図』<830−60>であり、 一定の傾向がみられる。. (36)このことは東京都立中央図書館所蔵の『池の藻屑』に「翁(屋代弘賢)の志 操の一班をしのふに足るも「のなりとて別にえりわけて筆の林といふかりな録 けてその部類の櫃にをさむといふ」’と小杉橿邨識語があり、また『近世名家 卜紀行』標目に「この四種あやまりて和かくさ一の巻にとち入れたり」と小杉 榴邨識語があることからも明らかである。 (37)たとえば『読史翼』<830−182>5巻、「万葉集を読心得」には「大八州会雑誌 料七月二出八月余出」という朱書がある。また、「万葉集の歌の解」には巻末 に木村正辞自筆の朱書「大八州雑誌料惣面差上申候、宜敷御修正可下候、.扱、 プ メ 巻三論説中(訂正内容略)右;条後巻二正誤御出し奉願候、頓首 九月十四日, 木村正面 小杉先生侍史」とある。そのほか「巨多豆の考・同補正」に「十九 年済」とあり、「馬酔木の考」に怯「三年三月」とあるのも雑誌掲載に拘わる 識語であろっ。実際にこれらはF『大入州雑誌』に掲載されている。 (38)ウィーン方国博覧会については、当館ホームページ「世界り中るニッポジ:. ウィーン万国博:覧会」を参照のこと(含関連資料リスト)。 URL:http://www.ndl.go.jp/site=nippon/venna/index.htm1 (39)たとえば\「藍一覧ゴ〈『藍一覧・沙銘説・姻草類纂』〈830−59>所収)は1教 草』「藍i一覧」説明に、「青花紙説」(『十種略説』<830−63>所収)は『教草』 「青花紙一覧」説明に、「生綜制法略説」(『染物織物葛練略説』〈830−49>所 一63r 収)は『三三』・「生糸製法一覧」説明とよく類似する1図に関しても「渋ヲ取、 ル柿写生」(『殖産略説』<830−45>所収)は『三三』「白柿井三三一覧」にe$ ぼ同一図が含まれでいる。 (40)前掲注(4)岡田温「上野図書館の収書とその蔵書」206T207頁。なお、明らか な誤植と思われる部分を訂正した。文中「外山正一博士あ言葉」とあるのは 「帝国図書館ヲ設立スルノ建議案」中にある「今日は私有の図書と云ふものがぐ 段々と散逸すると云ふ時である、蔵書家と云ふやうなもので、旧い家柄で随 分蓄へて居った者、旧い寺杯で蓄さて居?た所蔵の書物力1、・段々と、今日は、 散逸すると云ふやうな時である(中略)三時に於きましては、斯の旧くに散 逸せんとする所の書物を、帝国図書館と云ふやうなものが有って、始めて能 く注意して、ざうして其大切なる書物であると認めたものは、之を尽く三三 ,一 キると云ふやうな町回たなけれ}ざならぬ三三る」という発言の事をさす のであろう (上野図書館編・刊『上野図書館八十年略史』昭和28年〈016.11− Ko5488u>91頁)。 (41)前掲注(4)’岡田温「旧上野図書館の収書方針とその蔵書」205頁。 (42)前掲洋(ll)川瀬一馬『日本における、書i籍蒐蔵の歴史』 (43)西村正守「鹿島則泰覚書」(『図書館学会年報』25−2、昭和54年〈Z21−133>) による.。明治3b年4月28日に司書を拝命、書目掛とな〆り、以来和漢古書の蒐 集・目録編纂等に従事し、大正12年3月31日に行政整理により退職・同日付で 事務嘱託採用となり、幽昭和13年4月16日に老齢のため帝国三三館を去ったと(!) ことである。また、図書館講習所が帝国図書館に附設されるや、「日本書誌学」 の講義を担当、した。 (44)’ O掲注(43)西村正守「鹿島則泰覚書」による。なお、当時の帝国図書館の職 員は14名であった。 一 ’ U4 一 [目録編]、 周面国会図書館所蔵小杉文庫目録 凡例 1.本目録は国立国会図書館古典籍資料室所蔵小杉文庫(一部関連資料を含む) の目録である。 2.本目録は、以下に部立てし、そのなかで書名の五十音順に配列した。 「古典籍・古文書類」 一般の和古書(明治新写本や明治期著作も r部含む). 「小杉橿邨編綴主題別資料」 小杉橿邨自ら分類・編綴し標題を付した資 料 「博覧会事務局関係資料」 ウィ・一・・一ン万国博覧会の調査記録等 「そのほかの小杉旧記資料」 小杉文庫以外の小杉貸蔵資料 3.目録の記述は書名、編著合名、刊写の別、冊数、大きさ、請求記号、一般 注記、内容注記、特記事項の順に記した。 4.書名は太ゴチック体で示した。原則的には『帝国図書館和漢書書名目録』 を踏襲pたが、一部変更したものもある。複数の書名がある場合は、原則 として巻頭から採録し、採録以外の書名を一般注記に記した。書名の後に 適宜、完本の場合は巻数を、端本の場合は存在する巻数を記した。 5.編著者の役割が「著」のみの場合は役割を省略した。 6.出版事項、書写事項は刊写の別に続けて、括弧内に記した。 7.小杉橿邨書写と推定できるものについては、写本の表示の脇に*印を付し 鐵灘謡の灘鋤能書雌蕊され聯は’略細目 8.冊数は合冊されている;直射は、原冊数の後、括弧内に記し、合冊者が推定 できる場合は、それも記した。丁数は記入していない。 ’ 9.大きさは縦×横で記した。小数点以下一桁まで記した。’ 10.請求記号は右寄せで松葉括弧に包んで自己した。、 ・, 11.一般注記は行を替え、別書名、特殊な装丁情報、旧記、元ラNルく購入日 などに・ついて記した。 12.内容注記(または附属資料)は行を換え、,書名、編著旧名を記し、その後 に括弧に包んで適宜関連事項を記した。書名は巻頭または小杉橿邨自筆標 ’目のいずれかから採録した。巻頭がない場合がある一方、標目も実物との 関係が一対一になっていない場合があるためである。、 一65一 13.「博覧会事務局関係資料」の内容注記は表形式の細目を作成した。 14.必要に応じて二段下げで説明を附した。特に、小杉橿邨による書写や校正、 入手の経緯等に関する識語や、成立状況が分かる奥書がある場合は原則と して翻刻した。ただし、煩項を避けて巻末に註として記述したものもある。 15.一部門文書資料は作成者の居所、肩書、宛所、成立月日を記した。 16.字体はおおむね現在通行の文字を用いた。印形は形に関わらず㊥で示した。 17.推定は[ ]で辛し、参考の為の補記は( ).に囲んだ。 〈古典籍・古文書類〉 阿弥陀経石本考・田島石経記 写本 2冊(小杉合1冊) 27.3×19.8cm <830ヲ8》 べ 書名は書外題による.元ラベルあり.印記:「杉平蔵」.’ 蜷ウ2年7月9日購求 内容:阿弥陀経石本丁/屋代弘賢(寛政2年践.小杉橿邨書入あり.印記: 、「不忍文庫」)。田島石経記/梶原善太夫(明治18年小杉橿坪当,同25年同校合. 紙高242cm.付:附言/[梶原善太夫].与青柳種麻呂/[梶原善太夫].等色 定法師書後/[梶原善太夫](文化14年成立).昭陽文集宗像石経記/亀井呈 (文政5年成立)) 「阿弥陀経石本丁」は屋代弘賢自筆本。内表紙に・朱筆で「屋代先生自 筆草本」と小杉橿邨の識語がある。また、「田島石経記」は江藤正澄 (1835−1991)の所蔵本を小杉橿邨が書写した本。巻末に「就江藤正澄蔵本 写之 明治十入門九月 小杉橿邨」と小杉三川識語がある。また、「明治 十六年七月以長野和平所蔵本托相川錠吉令謄写焉 随神舎人正澄識」と江 藤正山本奥書を移写している。一方、巻頭には「以一本三校 明治廿五年 八月」と校合に関する小杉温邨識語がある。『国立国会図書館所蔵個人文庫 展』2「古典籍探求の軌跡」24頁参照。 淡路草 藤井三民 写本 8冊 27.2×19.2cm <830−87>. 彩色図入.小杉橿邨校訂旧註入り(明治7年).元ラベル:「力二四八」.旧 記:「杉園蔵」「橿邨」(識語印).大正3年3月26日謄写,同年5月27日製本 巻末に「この淡路くさ全編松野真経の蔵書をかりてよみ考ふるをりおの れいとまのひまなけれハ元木氏の筆を傭ひてかくハものしつ、さてまたよ’ みもてゆくに伝聞のあやまりとおほしきことも多く見えその図様のいか・ しきことなきにあらねとさる一歳いとまある時藤井氏の原書就て訂すへく 一66一 おもひとめてしはらくそのま・にざしおきぬ、た・し心づける所々は朱を もて正しつることもあり 明治七年五月はかり 小三園㊥」と、小杉三三・ 識語がある。 安房国忌部家系 写本 1冊 26.7×19.7cm、 . <830−178>『 明治9年4月から8月にかけての小杉橿邨書入あり.絵入.旧記:’「松平家蔵書 印」.大正11年12月9日購求 内容:安房国忌部家系・忌部岡島家系.斎部宿祢本系図・ 「安房国忌部家系」巻頭に「明治九年四月小杉三三今ノ戸主高山義行二 就テ此家系本書下云フモノ・巻子ヲ目撃スルニtt料紙ハ美濃紙ト云モ!ヲ ツギ立テ正楷ニモノセル筆跡ナド今四五十年バカリ過ザルモノト見ユ、、サ レド中中ノス・ケ痛ミナドノヤウ即今少シ古ビタル如クニモノシタリ(後 略)」と、丁忌部岡島家系」巻頭に「明治九年八月橿邨岡島家二依頼シテ此 家系原本を目撃スルニ美濃紙二本行ノ如クモノシテ今三四五年前二執筆セ・ シ如クミユル(後略)」と、「斎部宿下本野帳」巻頭に「明治九年八回忌ノ 戸主小野義久二親シク接シテ此本系帳ト云モノ今ノ原本ヲ見ルニ(後略)」 と、校合した原本の様子を記した小杉三三識語がある。 今様集要 写本 1冊 27.2×17.4cm , ’K 、一<830−26> 書名は書影箋による.巻頭:.「拾玉集巻之第五羅壕云今様」.江刺恒久識語あ り.元ラS.ルあb7印記:「二半蔵」.大正2年7月9日購求 付:体源抄抜書 巻末に「此書ハ早撃園飯盛大人のもたる本を我増勢の田干集亭d)繁二大 人か天保七年江戸の勤番の暇に写取て此盛岡に持下りてひめ置れたり、今 借得て牛歩取てやかて蔵本に加へおきつ’嘉永七年二月二日江刺恒久」と 識語がある。 梅曲 田原宗武 写本*(安永3年序) 1冊 26.4×18.8cm ・ <839−25> 書名は内表紙上書による.書三三:「梅乃曲」.巻頭」:一「梅」.元ラベルあり. 印記:「杉園蔵」.大正2年7月9日購求 付:(謡曲詳解) 小杉三三写本とみられる。『帝国図書館和漢書書名目録』も.「小杉三三 写」とする。 一67一 栄花物語 小杉橿三校 刊本[元和寛永年間]. 20冊 表紙27.2×19.6cm <WA7−126/元請求記号: 830−88> 古活字版.「元ラベル:「コ解糖二十」.旧記:「今出河蔵書」「杉園蔵」.大正2 年12月12日購求 、 ’ 1 小杉三三忙よる朱(数種)、代賭、緑、藍の加筆・書入が多数ある。緑 色は「日本甲子」、藍色は「扶桑略記」の記事の移写が多い。ただし、第5 冊から第15冊にかけて藍色の加筆はない。各巻末には以下のとおり小杉楓ノ 邨の識語がある。第1冊「慶応四年六月十日就三条西殿古本校則」、第2冊’ 「就古写本加校畢」、第3冊「慶応四年七月九日就古本校合畢」、第4冊「慶 応四年七月廿九日就三条西殿古本校畢」、第5冊識語なし、第6冊「慶応四 年九月五日就古本校畢」、第7冊「明治元年九月廿八日三三本校畢」、第8冊 「明治震十二月二日就三条西三三写本校畢」第9.、10冊識語なし、第11冊 「明治元年十二月七日四三条三殿文庫之本校合言華華第廿一巻以下四十巻合 冊七帖者別本小讐惣門標紙華甲云世継」、第12冊「明治元年十二月乖日干 了」、第13冊「明治元年十二月十三日校了」、第14冊「明治元年戊辰十二月 十六日雪窓灯†校畢」、第15冊「明治二年町制九日就三条西殿御本校合畢」、 第16冊「明治二年二月二十四日校了」、第17冊「明治#年二月十七日校畢」、 第18冊「明治二年二月廿日雨導灯下校畢」、第19冊「明治二年二月廿六日 校了」、第20冊「明治二年二月廿七日夜灯下就三条西殿御本一校畢」。なお、 第1冊巻頭には小杉自筆の緑町にて「康保三年 明治:四四マデ九百三十四」 と記され、「:肝四」を「:肝一」に、「三十四」を「四十三」に朱筆で訂正し ている。『国立国会図書館貴重書解題』第2巻29頁及び『国立国会図書館古 活字版図録』38頁及び238頁、『国立国会図書館所蔵個人文庫展』2「古典 、籍探求の軌跡」25頁参照。 栄花物語目録 写本 1冊 27.4×19.7cm <830−159> 金沢文庫本の模写本.巻末に屋代弘賢識語あり.元ラベルあり.印記:「不忍、 文庫」「阿波国文庫」「杉園蔵」.印押影写:「金沢文庫」.大正8年12月9日購1求 越後国内輪弓箭聞書老師物語 加治景治 写本 1冊 24.6×17.1crn 〈830−29> 書題箋:「越後国内輪弓箭老師物語」.元ラベルあり.旧記:「成沢氏収蔵記」 「杉園蔵」.大正2年7月9日購求 明治24年に針重全三所蔵本の校訂註を小杉榴邨が移写した本。巻末に 一68一 「回書上杉家ノ旧藩士針重全平二示シッルニ彼家旧来蔵書数種二三校シタ リトテミツカラ此書ヲ写シ得ツル一本ヲ又四二示ス、タ“二見早耳ケレバ 其針重手写校本ノマ・ヲ此書聞耳キクハペツ 明治廿四年四月 小杉園主 人」と小杉橿邨識語がある。 延喜戦国 写本(小杉三三写) 1冊 27.0×19.Ocm <830−23> 彩色図入.彩色紙貼付.元ラベル:「フ」.印記:「杉薗蔵」.大正2年7月9日 購求 巻末に「弘賢自筆にてものしつる本によりなほ三方かうつさしめたる本 を参照してみつからうつしおく 三園すきむら」と、小杉三三識語がある。 書写及び校正本奥書を「寛政十年四月三日野臥功 屋代弘賢」、「右式内染 鑑者享保大君於吹上御三親監再挙染試給三十吉凶摸其右端令成一声聞解方 請需住吉三囲模写之 文化八年十月 松岡清助野方(花押)」と移写して ・いる。 小野随心院所蔵文書 写本*(影写) 1冊 38.7×28.Ocm 〈 830−37 〉 元ラベルあり.印記:「杉園蔵」.大正2年7月9日購求 杜若考・母子一考・毒蛇はふ図説・詣鮨二考 (小杉橿三編) 写本 3回 目小杉合1冊)、19.4刈3.1cm ..<830−67>、 書名は書外題による.元ラベルあり.旧記:「三園蔵」.‘大正2年12月12日購…求 内容:杜若考母子艸考(紙高18.2cm.旧記:「新見文庫」.付:杜若考/岩崎 常正(一枚物.図入.文化14年成立.大きさ27.8×40.Ocm)).毒蛇奇警図説/ [栗本]丹州(甲高14.5cm.付:彩色図1枚.大きさ28.O x36.8crn).輩鮨二 三/[栗本]c.丹州(付’:窮図(大きさ28.1×38i2cm).鯛図(大きさ2&1×3&Ocm). [魚図](大きさ28.0×37.6cm)) 春日若宮祭式 写本2冊27.0×19.4cm ,<830−135> 作成者全てに印判あり.神祇官付箋あり.元ラベルあり.下記:「豊州蔵」. 大正5年7月8日購求 内容:第1冊:春日若宮祭神濫鵤旧事/春日若宮神主洞一社三代朝倉従五位 [差出].神祇官御役所[宛](彩色図入.明治3年10月作成).第2冊:春日若宮 祭式事件井図面概略.大宿所掛物員数/春日若宮神社洞社惣明朝平帯五位 [作成].神祇官御役所[宛](彩色図入.明治3年10月作成).懸島警衛等起元 一69一 年月由緒旧事/春日若宮神主洞一社三代朝倉従五位[作成]・神祇官御役所 [宛](明治3年10月作成).野太刀長刀等寄附根元旧事.大和士交名之事/春日 一社惣代朝倉従五位[作成].神祇官御役所[宛](明治3年10月作成) 冠辞一言紗1巻附録1巻 賀幾季鷹 写本 1冊 27.1×19.2cm. <830−1 8> 書名は巻頭による,書題箋書名「冠辞一言抄」.安永6年成立,元ラベル:「ク ニ共ヨ.痛感:「不激圃r阿波国文庫」「三三」汰正2年7月9『購求 偽類聚三代格考i2巻丁田舗躰5冊(帝国図書齢2冊)27・・× 〈s30−20> 18.7cm 元ラベルあり.旧記:「不激劇「阿波国文庫」「杉町蔵」・、大正2年7月9日員薄 求 皇国古字徴 松岡御調 写本 1冊 26.3×19.Ocm <830−24> 文久1年成立.元ラベル:「キー」.右記:「杉園蔵」.大正2年7月9日購求 1岡山先生書翰2巻 [淵岡山] 写本 1回忌25.2×17.Oc血 . <830−30> 元表紙角書:「陽明学」。元ラベル:「テ」.印記:・「杉目蔵」.大正2年7月9日 購求 弘仁二年九回忌物漏話 写本(影写)’1帖 32.6×13.7cm <亥解同78> 書名は書題箋による.折本..元ラベル:「サ三共六」.印記:「杉園蔵」「一片 月」「橿村」「三園」。大正2年7月9日購求 興福寺旧記 写本 2冊(合1冊) 12.3×16.5cm(第1冊)14.1×20.7cm(第2冊) 〈830−138> 書名は第1冊元表紙書外題による.第2冊元表紙朱書ゴ「興福寺大乗院一乗院次 第」.第1冊は横丁帳.元ラベルあり。旧記:「興福寺印」「三園蔵」.大正5年7 月8日購求 古経三三2巻附録1巻 [鵜飼]徹定 刊本(出版事項不詳,明治2年序) 2冊 〈830−141 > 22.8 × 16.Ocm 元ラベル:「サ二四」.印記:「杉園蔵」.大正5年7月8日購求 一70一 古言梯の誤またもれたる仮字 [村田]春海’写本 1冊 26.1×18.8cm 〈830−22> 書名は巻頭による.元表緯書外題:「仮字三三」.元ラベルあり.旧記:「堤 氏白書」「上毛石文」「石文」「一打蔵書」「杉園蔵」.大正2年7月9日購求 巻末に「読本嘉永五年壬子六月西区井英順之蔵書謄写 三三主人(花押)」. とある。 故実物図式 花林伊右衛門 写本*1冊 26.8×19.Ocm <830−83> 彩色図入.元ラベルあり.暗記:「杉園蔵」ほか.大正2年12月12日購求 古文類葉2編15巻 清水浜臣 写本 15冊 25.8×18.7cm 〈830−28> 元ラベルあり.自記:「杉生蔵」ほか.大正2年7月9日購求 雑物出入帳 写本(影写) 2帖 32.2×13.4crn <亥二一82> 書名は書題箋による。折本.元ラベル:「サ三共六」.旧記:「三園蔵」「一片 月」「橿村」「楓園」.大正2年7月9日購求 「内容:[璽亜:食立照臨翫昌雑物出入帳.[麺圃:三三三三才望雑物出入軍 扇物出入継嗣 写本(影写) 1帖「32.6×13.6cm <亥ニー81> 書名は書題箋による.折本.元ラベル:「サ三共六」.旧記 「三園蔵」「一片 月」「楓村」「櫛園」.大正2年7月9日購求 付:斎衡三年六月雑嚢帳巻末「紙 讃岐府誌2巻 写本(明治8年佐伯右文写) 11冊 23。8×16.Ocm <830−1> 元ラベル:「二」.捏取:「三園蔵」.大正2年7月9日購求 小杉三三炉徳島の国学者松岡調.(1830−1904)所蔵本を佐伯右文に書写 させたもの。巻末に「明治八年入月以下岡調蔵本課佐伯右文令謄写畢 小 杉橿邨」と小杉橿邨識語がある。この直前に本文と同筆で「干時元文二年・ 藤原政啓写三三」と原本奥書を移写しでいる。 山陵志2巻 蒲生秀実 刊本 1冊 26.4 X 18.Ocm <830−9> 彩色写図綴込.元ラベルあり.印記:「不忍文庫」「阿波国文庫」「杉園蔵」. 大正2年7月9日購求 付:自開化至干四達凡二十三三三南都諸陵図。自用命至干文武三十網図.(陵 一71一 墓所在絵図) 色紙考 川崎千虎’写本 1冊‘27.5×18.9cm <830−82> 図入.「帝国博物館」13行朱色罫紙使用.元ラベル:「ハ」.旧記 「杉三蔵」. 大正2年12月12日購求 自葬事略 小杉橿邨 写本(明治3年小杉三三自筆) 1冊24.7×17.5cm 昭和9年12月20日購1求 <830−205> 漆器説 無川真頼 写本(明治年間下立) 1冊 26.7×18.3cm <830−81> 元表紙書外題:s u漆器説・堆朱家譜」.、絵入.「帝国博:物館」13行朱色罫紙三三. 元ラベル:一「フ」.虚言:「杉園蔵」.大正2年12月12日購求・ 付:堆朱之家譜(巻頭による) 四天王寺諸堂社再建大概積高帳 公文所秋野金利[差出] 寺社御奉行所[宛] 写本(享和2年) 1冊 27.5×19.5cm ・<830−7> 元表紙書外題:「四天王寺門堂四丁嬉大概積高帳」.内表紙書外題:「享和二 畑瀬忌月四天王寺諸堂社再建大概積高帳」.表紙は嘉永7年紀伊国屋忠蔵宛潟嶋 四丁目源二地借 細二六兵衛差出古文書裏紙使用.元ラベル:「テ」.印判: 「南畝文庫」「大田氏蔵書」「福田文庫」「三園蔵」.大正2年7月9日購1求 支那国通温品略4巻附記1巻 写本 ユ冊 26.0×18.5cm <830−11> 「大学」10二黒罫紙使用.元ラベル:「ワ五」.印記:「三園蔵」.大正2年7月9 日購求 信濃国古器集録 写本 1冊 272×19.1cm <830−103> 元表紙書外題;「信濃国古三等」.同訂正前外回:「長野県下古器類」.彩色図 入.元ラベル:「サニ」.旧記:『「杉園蔵」.大正4年2月16日購求 紙譜 木村青竹 写本 1冊 23・8×1(}9cm <830旧72> 書名は元表紙二二箋による.抄録本.元ラベルあり.旧記:「福田文庫⊥「耕 田論蔵書記」「杉園蔵」.大正2年12月12日購求 聖武天皇震翰三三 写本(小杉三三影写) 1帖 32.5×13.7cm <亥ニー80> 一72一 書名は書題箋による.折本.元ラベル:「サ三」.旧記:「杉三蔵」「一片月」 「橿村」「櫛園」.大正2年7月9日購求 小杉橿邨影写本。巻末に「教部省権中録小杉橿邨謹写」と識語がある。 ,神祇雑考 黒河春村L写本*’1冊 23.7×16.6cm 〈830−73> 元ラベルあり.印字:「杉園蔵」.大正2年12月12日購求 神璽考 (小杉橿邨編) 写本*1冊 23.0×16.3cm <830−71> 元ラベルあり.印記:「杉園蔵」.大正2年12月12日購求 内容:神璽考/西田直養(弘化3年成立).神璽考疑傍評私議(弘化4年成立). 神璽考疑弁/前田夏蔭疑.西田直養弁(嘉永1年成立).神璽三三非.三種神符 考/[堀]旧格(万延1年成立).神璽考便蒙/[黒川]春村(三三1年成立) 小杉橿.邨の写本。なかでも「神璽考疑弁」は国学者久米三文(1828−94) 所蔵本の写本。巻末に「ワか友水戸の殿人久米短文かさいつごろ伊吹舎の 蔵本をかり吸てうつしおけるをこと.し辛久二年四月もと文にごひてうつし おきぬ、さ・のや翁の奥書は云々あれとその誤脱といべる誤脱ハもと文の かり得たる時はや・補ひ正して今のうつしの本なりしといへり 源真塩」 と小杉楓邨自筆識語がある。「三種神符考」は国学者飯田武郷(1827−1900) 所蔵本の写本。巻末に「右神符考一冊飯田武郷か手写本をかりてこの問に 補綴しぬ 明治九年三月はかり 橿邨」と小杉趣旨識語がある。「神璽考 便蒙」は国学者黒川春村(1799−1866)所蔵本の写本。巻末に「右心非便 蒙ともに春村翁が本ともてうつしそへっるは文久二年葉月つごもりはかり 三瓶]と小杉橿邨識語が付されている。 神事紗 写本(明治9年小杉橿邨影写) 1冊 32.4×23.1cm <830−39> 元表紙書外題:「古本神付紗」.元ラベルあり.印記:「一片月」「杉園蔵」 「橿.邨」(識語印).大正2年7月9日購求・ 神官御巫清直(1812−94)所蔵本の小杉橿邨影写本。巻末に「以清直秘 蔵本再影写成功了 明治九年九月十日 小杉三三㊥」と小杉橿邨三筆識語 がある。また、「神興国流布本麓妄不審多ル之問累年探索原本モ旧家而不「 得焉輿中川九禰宜国富神主以内宮文殿所蔵之古本三三借閲之・則所渇望 之元本也、三三氷解不堪欣悦、三三影回三三恐失古体一日三一紙、三十日 而成功了子時嘉永六年島陰二月十二日 御巫内人正六堂上石部清直」と御 巫清直所蔵本奥書を移写している。 一73一 政事要略 巻22−30,51−56,58−62,67,69−70,81,84,95三三元亮著 小杉橿邨校 写 本27冊(小杉合9冊)26.7×19.5cm <830−1・2> 三三全てあり.元ラベル:「ク四三九」.印記:「不忍文庫」「阿波国文庫」 「三園蔵」「発印」(識語印)「小杉園」(識語印).大正2年7月9日購i求 佐藤誠実く1840−1908)所蔵本(烏丸文庫旧蔵本)をもとに小杉櫨邨が 校合したもの。各巻末に識語がある。巻22「就佐藤誠実手校本校読了 小 杉橿邨㊥㊥」、巻23「就佐藤誠実手校本一校了 小杉橿邨㊥㊥」、巻24「就 佐藤誠実手校本一校了 小杉温邨㊥㊥」、巻25「就佐藤誠実手校本比年 小杉橿晶晶書㊥㊥」、巻26「就佐藤誠実手校本自叙校了 小杉橿邨㊥㊥」、 巻27「就佐藤氏手校本比旧注書 小杉誌面㊥㊥」、巻28「就佐藤誠実手鼻 本訂正了、小杉寂寂㊥㊥」、巻29「就佐藤博:応手校本訂正了 小杉謡扇㊥㊥」、 巻30「以佐藤氏校本訂正了 田園橿邨㊥㊥」、巻51「就佐藤飯島校本比良1 注書・小杉右心㊥㊥」、巻53上識語なし、巻53下「就佐藤葉手校本比照注 書 小杉心添㊥㊥」、巻54「就佐藤誠実山手校本比照臨書 小杉橿邨㊥㊥Ll、 巻55「就佐藤庇手校本比照日書 小杉橿邨㊥㊥」、巻56「就佐藤氏手校本 比照臨書 小杉論点㊥㊥」、巻58奥書「就佐藤氏秘本比照朱書了 小杉橿 邨㊥㊥」、巻59「就佐藤氏校本比感汁注了 小杉橿邨㊥㊥」、巻60、「就佐藤 文学博:士秘本比照注豊年 文学博士小杉面諭㊥㊥」、巻61「就佐藤後手校 本対照朱補 小杉橿邨㊥㊥」、巻62「就佐藤文学博士自校秘本比汁注写了 文学博士小杉誌面㊥㊥」、巻67「就文学博士佐藤誠実手校本比十三書 文 学博士小杉橿邨㊥㊥」、巻69「就佐藤文学博:詠手校本比照補注 小杉文学 博士橿邨㊥㊥」、巻70「就佐藤文学博士手校秘本自照補訂 小杉文学博士 橿邨㊥㊥」、巻81「就文学博:士佐藤誠実手校秘本tH比滅後主砲 文学博 士論意㊥㊥」、巻82「就佐藤博:虚血校本応需朱書小杉文学博士㊥㊥」、巻 84「就佐藤濡手校秘本一照細書了 小杉橿邨㊥㊥」、巻95「就文学博士佐 藤誠実手校蔵本比照朱註 文学博士小杉諦念功成㊥㊥」。巻55、巻62、巻 84、巻95に1ま本奥書を移写している。それぞれ「若狭守宗直貞(「興」と朱訂) 書痴元文四六廿八一校了」(巻55)、「一本以金沢学校古本掴所伝写之本一校了 文化壬申孟秋初四 章武」及び「安政六年己未春二月十七日就前項一本校合 栗田寛」(巻62)、「一1一‘本奥書云政事要略残生宅霊徳鋲‡娠‡蟹‡誤‡鷲‡突駐 畏服交画幅冊以大訴訟麗卿礒野井之本書写之.宝暦十二年壬午冬十月 章純」 (巻84)、「佐藤本島文 蓋在烏丸文庫押印(識語文章略)天明丙午三冬 従四位上行大判事兼左衛門大尉 明法博士中原章純謹識」(巻95)とある。 一 74一 竹本正興家集 写本 3冊 30.9×21.6cm <830−85> 彩色図入.元ラベル:「コ三共三」.・旧記:「三園蔵」.大正2年12月12日購求 丹後旧史 写本 2冊 24.1×16.8cm <830−142> 元ラベル:「サニ四」.旧記:「今林文庫」「宮津三関文庫」「清謙文庫」「像三 園」「関印刻謙」「杉園蔵」(下冊は「宮津住関文庫」「三三清謙」「清謙文庫」 のみ).大正5年7月8日購求、 内容(原則として標目による):[鉦匝]:丹後旧事記4巻.丹後田辺府志/牛 梁霊重(宝永6年自序.宝永7年出雲寺版め写本).丹後田辺記.延喜式抄.七 種原因(巻頭:「七種若菜」).熊野山之事(巻頭:「熊野」).宮津八回忌和歌 (巻頭:「宮津記」).宮津城松之問三三之問ノ三等.由良三三良家出一件.鶴 賀町(標目にはなし).[璽:垂]:丹後風土記残欠.天橋図説ノ[貝原益軒] (享保10年成立).大和命世記内宮外宮遷行耳蝉/岡田盤斎匹田重滝(巻頭: 「大和姫世紀内宮迂幸」).天橋山和歌集(元禄3年践).舞鶴城旧聞記(貞享5年 成立).鶴城雑記 「丹後風土記残欠」は奥書により写本作成の経過が分かる。「資益王家 之蔵本積年懇望漸今年一覧不日頓臨写之畢 長享帯年九月十日大聖院権大 僧都真言大四囲梨智海在判/右一巻錐嚢丁多錯簡不少一宮本与大内導波氏 本以校合畢 慶長十三戊申年三月八日 沙弥悪筆在判/右一巻者中院前半 中納言通勝卿真筆之写本加茂神社松下氏珍蔵所請懇写之畢 宝永己丑年十 一月吉辰 宮内大輔菅原長近在判」「安政二三三年七三十四日就加賀守旧 原千尋所蔵本写・平心案/同四年丁巳年十丹二日借谷森随所蔵本写之 久 米幹文/同五戊午年二月団七日借久米氏蔵本而野駒篭邸中写之 大津明 融」とある。 x 徴古年表 小杉橿邨 写本(明治後期成立小杉橿邨自筆) 3冊 27.2× 〈830−136> 18.9cm 巻頭:「稿本徴古年表」.「博物館/図書目録」10行黒用箋使用. 兀ラベル: 「サ三」。印記:「杉目蔵」.大E5年7月8日購求 明治38年まで項目あり。記事は弘化4年まで。 蒙法・十二点 写本(明治30年小杉楓三三) 1冊 27.0×18.9cm <830−84> 朱書あり.元ラベル:,「ハ」.旧記:「三園蔵」「三三」(識語印).大正2年12 月12日購求 一75一 内容:三法/秦李斯.十二点三献 新井政i毅(1827−1902)所蔵本の小杉明手写本。巻末に「明治三十年九 月書写了㊥(俳文:「橿村」) この象法十二点の二書西友生川越の志義 町にすめる新井政毅こそのむかしこ・にすめりしを以三好永孝に以て書道 をまなひとりし伝書ともうけつきしうちのものなbとてしめしつれは、参 考にものせむとてせちにごひてもとのま・にうつしおく、た・政毅の本ハ ミな墨かきなるを今は双鉤にしつるなり」と小杉二部識語がある。「十二点」 には「弘化元甲辰孟冬.三好永孝」とある。 唐国行事 写本 2軒置帝国図書館合1冊). 26.3×18.Ocm ’<830−16> 元ラベルあり.印記:「阿波国文庫」「新井庫」「林氏図書」「東園文庫」「三三 文庫」「杉園蔵」.大正2年7月9日購求 東大寺奴戸籍帳及駅戸 写本 小杉合1冊 25.9×18.2cm <830−15> 元ラベルあり.印記:「杉三蔵」.大正2年7月9日購求 内容:東大寺奴野饗帳2巻(明治9年小杉橿邨校.印記:「阿波国文庫」).大宅 朝臣賀是万呂奴嬉見来書.東大寺古牒券(万延1年栗田寛校.明治8年小杉橿邨). 東大寺奴鉾帳略(万延1年栗田母校.明治8年小杉橿邨) 小杉橿邨が浅草文庫判蔵本(現内閣文庫本)及び栗田寛(1835・99)所 蔵本をもとに校合したもの。「東大寺奴碑籍帳」巻1末に「明治九年入月十 八日原本二就テー校了 小杉橿邨」と、巻2末に「以上二巻明治九年入月 、︶r 十八日十九日両日浅草文庫楼上二於テ東大寺ノ原書二三テ三校傍書少少今 回ヲ加フ、一両後暑熱九十一度 三三」と小杉三三識語がある。巻2末に は「安永入年歳次己亥夏日以東大寺原本写之 左京藤貞幹」と原本奥書炉 移写されている。 「東大寺運脚券」巻末には、「就栗田寛蔵本題校補訂了 明治入年十一 月五日 小杉楓三山と小杉三三識語があり、「右東大寺三三三一三三延宝 中所早期町制本比校補訂類従本馬閾謬了 万死元年三五三十日夜半 栗田 寛」との栗田潜勢奥書が移写されている。また、「延宝辛酉夏六月下洗至 南都東大寺仰油倉野帰写之干寺内善性院裏書野臥離了」と、本奥書も移写 されている。 また、「東大寺蝉吟帳略」巻末には、’「就栗田寛蔵本謄写畢 明治八年十 一月八日 小杉橿邨」と小杉橿邨識語があり、「右東大寺無目券一冊依彰 零時本町写本文如此 万延紀元五月十八日 栗田寛」と栗田寛本奥書が移 一76一 写されている。いずれも小杉三三の筆である。『国立国会図書館所蔵個人 文庫農』2「古典籍探求の軌跡」25頁参照。一 三三余永楽大王碑銘解・荒山大捷之碑銘記事 写本 1冊 27.0×19.06孟 〈830−76> 書名ば書題箋による.元ラベルあり.既記:「街園蔵」「楓邨」(識語印).大 正2年12月12日購求 内容:東夫余永楽三王碑銘三三/青江秀[著コ.小杉橿三校(書入:高句麗碑 出土記(抄).横井恵直写高句麗古碑考(抄)/横井忠直).荒山大捷之碑(明 治9年小杉橿堅塁.伴吟友書入移駐) 「東夫余永楽太王碑銘田螺」は小杉橿邨校合本。巻末に「右古碑注解郷 友青江生命ヲ奉シテ試二筆録スル所ナリ、注解ノ述意二三テ柳愚見ヲ示ス 所アリシヲ以テ其原稿ノマ・二写サシメ寄贈セラル・者ナリ 明治十八年 二月十八日 ㊥(三文:「橿村」)」と小杉温邨識語がある。また、別に 「明治廿一・年十月横井忠直力.著ス所ノ釈文ヲ以テ比校加朱ス」と識語があ る。 「荒山大捷之碑」は小杉櫨邨写書本。「以大沢氏蔵本影写 明治九年二, 月 楓邨」と記されている6また、「橿邨云荒山大捷之碑搦本一枚朝鮮 装漢ノ川幅今帝国博物館二所有ス1実二珍奇ト云ベシ、余当時ヲ追想シテ 措カザル余り総長二三ヒテ歴史部典籍室金石文三二陳列シテ衆庶ノ縦覧二 供,xルモノトナス 明治廿四年九月 杉園識」との識語が残されている。 唐房行履録・日新録 写本 1冊 24.6×16.Ocm <830−2> 元ラベル:「ヒ」.印記:「杉園蔵」.大正2年7月9日購求・ 内容:唐単行属録3巻/敬光.』日進録 巻5/駅長智遠 「唐房行履録」には「右唐勤行三三三巻 石座大法主所三三謹影回家蔵 云’天保辛卯仲秋 薄粧刺史(花押)」と原本業革が移写されている。 正大日本史私記 谷川三三 写本 1冊 22.9×15.3cm <830−31> 「恒徳堂」11行黒黒綿使用.元ラベルあり」印記:・r観月楼蔵書」「杉園蔵」,大 正2年7月9日購求、 「恒徳堂」は谷川士清(1709−76)の号。成立に関して「君侯ノ御本ヲ 拝借シ三二随テ筆ス、敢テ水戸侯二対桿スルニ非ス、彰考館ノ旧臣ヲ批評 スル也、謹テ以服部氏ノ梧右二障ス 安永甲午歳三曹三日 谷川三三」と 一77一 ある。また、巻末には「老眼ナルヲモテ代筆セシム、請恕シタマへ」とあ る。なお、「観月楼蔵書」印は谷川三三の主藤堂高猷の蔵書印。 得長寿院考 田中教忠 写本(明治年間) 1冊 23.7×16.4cm <830−33> 元ラベル:「ヒ共三」.印記一:「杉寄蔵」.木正2年7月9日購求 三三明道論 和泉真国村田春海 写本2冊 23.5×16.1cm <830−140> 付:書簡1通.元ラベルあり.甲骨:「杉園蔵回大正5年7月8日購求 第2冊巻末た「片山賢蔵書を以て補ふ翻麓勢輔なり」と注記のある書簡を 移写している。 長門国地誌備考・石見国地誌備考 写本 1冊 25.8×18.3cm <830−77> 「教部省」10行緑色罫紙使用.元ラベルあり.印記:「杉園蔵」、大正2年12月 12日購求 内容:(近藤清石手録抜粋長門国地誌考証)*/近藤清石.長門灯豊浦郡阿弥 陀寺安徳天皇御影堂実検勘註(内表紙による.巻頭:「長門国赤間関阿弥陀四 三由緒」).石見国名跡考[抜粋ユ*/藤井宗雄(最終2丁のみ「教部省」13行茶、 色罫紙使用) 奈良正倉院保存鳥毛立女屏風絵 写本 6帖 123.8×52.4(折畳27.2×17.8)cm ) ’ 〈830−70> 書名は守旧による.内題:「東大寺献物帳三二罐歪鳥毛立三図屏風六」.三物. 元ラベル:「四六」.外記:「杉園蔵」「貯砂」.大正2年12月12日購求 各巻に、i就帝国博物館所蔵影艶本写之六道之一」とある。巻数が記さ れていないが、三三にそれぞれ、「三三原本を拝観するにところところ大 いたみあり、故に入墨補筆にいとおほし」、「明治廿二年八月正倉二三リ原 本ヲ拝観スル回書一本紙中コトニ新シ 橿邨識」、「正倉院所保存聖武天皇 御屏風絵二鋪之一 就大岩某模本又早早 田中尚房者也」と小杉三三識語 がある。また、天平勝宝四年の貼紙を三選した貼紙があり・「右鳥毛立女 屏風 料紙裏ニカケル所ノ‡.三二三十一年 月御修飾ノ時発見」と小杉 橿邨識語があるものもある。さらに、別巻に「正倉院東大寺三保三聖回天 皇御屏風絵引張之一 就大岩氏模本写之㊥(印支:「尚房」)」と故実家田中 尚房(1839−91)の自筆識語があるものもある。 一78一 丹生神社古文書加納諸平,伴三友,小杉橿三校 写本(明治9年小杉三三写) 1冊 27.2×19.lcm ’ ・<830−10> 彩色絵図入.元ラベルあり.印記:「杉園蔵」「橿村」(識語印).大正2年7月9 日購求 内容:丹生大明神告門。丹生氏系.丹生名神御位階塊状事.高野山某院秘蔵所 称丹生明神神像(冷泉為業縮図) 小杉橿回書写本。巻末に「ことし特選神名牒編纂の事につきて丹生都比 売神社考証の料にとて和歌山県令におほせてこの告門氏文といふものの原 本をもとめ給ひしに今は真の原本といふものは得かたしとてそれこれ写し 、伝ふるもの・うち本社祠官丹生一麿三三丹生暫三兄翻徹暫輪ノ署鶴ほか所蔵 各種二部をとり出て進罪す(中略)明治九年八月十五日教三権三三小杉橿 邨㊥」と小杉橿邨識語がある。 また、それぞれ原本奥書を移写している。「丹生大明神告門」巻末本奥書 「丹生家蔵本奥書ナシ本云 永五年二月三三以神主所持之本写魚脳於点者 交合諸本三三之三校引回 左回三権大僧都定秀麟」。「丹生氏系」巻末本 奥書「享保元年丙申九月十七日本中院大乗院宝庫写焉 英仙日光母岩論欝 」。「丹生大明神駆馳」巻末本奥書「蝿墾ず本云戸締五年二月之候以神主所 機甲本直之但於点者交合諸本而模之即校之了 左学研権大僧都定紫野」。 「高野山某院秘蔵所出丹生明神神像」には「信友按(後略) 弘化二年九 月十七日於平安得之」とあり、伴吟友所蔵本の移写本であることが分かる。 西陣織物詳説6編 写本 2冊 27.0×18.8cm <830−66> 元ラベル:「フ共二」.印記:「杉園蔵」.大正2年7月21日購求 内容:第1篇生糸糸撰立雛部.第2篇三糸調之部.第3篇練法之部.第4篇染法之部. 第ら篇機仕掛之部.第6篇織法之部に分篇 二三歴 写本(小杉橿邨影写) 7冊 22.8×15.8c孟 <830−35> 元ラベル:・「キ四新岡」.印記:「鉄琴蔵」「一片月」「楓邨」(識語印).大正2 年7月9日購求 小杉神機影写本。巻1末た「二中歴十三帖 従四位菅原利嗣三鼎三三曽テ 秘蔵シ給フ所ノ古写本ナリ今弦明治十年六七月間タマタマ披閲スル事ヲ得 テ三二筆ヲ起シテ影写神速三三了、蓋シ原書ハ所謂胡蝶装ニシテ料紙一三 斐紙ナリ罫紙両面七行白欄ヲ抹シテ筆ヲ下ス其紙筆ノ古色掬スヘシ、今新 写之ヲツトムトイヘトモ真二似サル三三二三シ三三ムラクハ接縫脱落シ或 一79一 ハ閾三二属スルモノアリ、然ルニ同家ナホ所蔵シ給フ壱部七冊ノ新写本叢 鑑鷺二三テ之ヲ追回スルニ頗補綴スルモノアリテ完備スル所二三キヲ覚 ユ 余先年一友生ノ所齎神代人代皇后女院公卿侍中二至ル残閾二本二本ト 第四本ノ野冊ヲ見シ事アリ、又頃者浅草文庫二三テ神代歴ヨリ公卿歴二至 ルニ本ト第二三四五六ノ七冊盒蘭変借覧ヲ得シ事アレトモ三三如斯数本ア ルヲ見ス、実二希世ノ珍ト云ヘシ、故二四ノ所獲ノ顛末ヲ耳卯附記シ併テ同 志二之ヲ論クト云、九月三又五日 於東京駿河台僑居小杉橿邨識㊥」と小 杉門門識語がある。・ 日本感霊録 写本*2冊(合1冊) 26.7×19.2cm <830−13> 元ラベルあり.印記:「杉園蔵」.大正2年7月9日購求 内容:日本守門録/義昭著 伴三友,栗二三小杉三冠校・!写本).潤背 三半 (写本 明治27年小杉橿邨写) 「日本感霊録」と「潤背」とは紙質が異なる。「日本感霊録」は長沢伴 照門を写した下書友本をもとに写本を作成、彰考館本(久米車引本)を写 した栗田寛本と田中教忠本(旧高山寺本、現竜門文庫蔵)をもとに校合を したもの。巻末に「右日本感三夕院本墨付十四葉長沢伴雄以重量蔵本 所管写野営懇請写帯解書辞損可惜 天保六年乙未八月;十七日 伴県単」 と伴信友本奥書を移写している。また、同じく巻末に代無色筆にて「艶本 府本一校 奥書云 右日本感霊録残篇惜三食難読早撃其古色可愛吟1写一本 以贈之水屋久米君時文久紀元夏五月十入日 栗里迂人」との栗田正本奥書 が移写されている1さらに・「原本今伝京都町畑中堪単離忠之鶴懇 請借覧一一一校以悉復旧実是田中氏之賜也 明治廿六年十二月 小杉三三 識」と小杉晒骨識語がある。 一方、「潤背」巻末には「右早撃上一巻零本以前田侯爵蔵笄本臨写之 明治廿七年二月 小杉橿邨」と小杉橿邨自筆識語ある。 日本語意便覧丁 ェ1,3−6、西野古海 写本 5冊(小杉合3冊,帝国図書館合2冊) 26.9 ,× 18.9cm 〈830−6> 朱書書入あり.元ラベルあり.大正2年7月9日購求 「 仁寿鏡 影写本 1冊 35.0×25.Ocm . <830−38> 元ラベル:「サ三」.印記:「阿波国文庫」「在々復此」「杉町蔵」.大正2年7月9 日購求 一80一 巻末に「右仁寿鏡一巻以智積院三岳僧正本 書写 文化十四年二月廿二, 日 検校保己一 以塙仁所蔵本影写」とある。 年貢離塁 写本 1冊 20.7×12.9cm <830−68> 内表紙回書:「天文三三亥九月吉日」.天文20年成立.東寺.蜷川式胤識語あ り.大正2年12月12日購求 能書方,写本 1冊 29.7×20.5cm <830−86> 書名は元表紙主題箋による.元表紙標目:「百十九 巻状表 百二十 御願文 御調三文 百二十一 臣下願文ふしゅ文勧進帳比叡山三三 三三廿一一」.森 ヲ…F・祥書入あり.元ラベル:「ハ」.雄蘂:「根津文庫」丁杉園蔵」.大正2年12月 12日購求 「根津文庫」は江戸時代の書家森サ祥の蔵書。森は屋代弘賢の書の師。 各巻頭、「奏状可書様旧事」に「三十九」と、「華山院四十九日御願文」に 「百二十」と、「隠亡恩澄明四十九日願文」に「百廿一」と朱書されている。 本文は古文書を収集したものであるが、文中に朱書で字の大きさや行間の 取り方などについてただし書があり、・「何モ三三三三清書品々一’々可三見 源サ祥謹記之」という巻末の識語から森サ祥の手によることが分かる。 x 暴涼帳 写本(影写) 2帖 32.6×13.7c㎡ <身為ー79> 折本.元ラベル:「サ三共六」.印記:「杉園蔵」「一片月」「橿村」「櫛園」. 大正2年7月9日購求 内容(書題箋によ、る):囲:延暦六年六月暴涼帳.[E圏:延暦十二年六月 暴涼帳 『国立国会図書館所蔵個人文庫展』2「古典籍探求の軌跡」25頁参照。 飛騨国春慶漆工系統 福田吉郎兵衛 写本(明治38年差 1冊 23.8×16.4cm 〈830−75> 書名は書外題による.内表紙書名:「明治三十一年調査三三難春慶漆工系統 記」・元ラベル:「フ」・旧記:「三園蔵」「春蘭」(識語印)・大正2年12月12 日購求 付:線春慶塗工系統図(大きさ47.2×33.lcm) 巻末に「この系統記パ今年飛騨国に遊ひてくさくさの風俗を見きくのつ いて名産春慶ぬりの事に及ひしを福田吉郎兵衛さきっとし回しらべつるも 一81一 のありとて見せつるかいとこまかに材料にあっへき良書なりとおほゆるを もてやかて福田に依頼し一本うつさしめてもち帰りぬ 明治三十八年目月 はかり 杉園主閉創と小杉橿邨識語がある。 褄装式 写本 1冊 27.0×19.Ocm <830−80> 書名は書外題による.朱書書入あり.乖ラづル:「フ」.印記:「杉三蔵」.大、 正2年12月12日購求 内容:掛物仕立雛形*(絵).[三階式](絵入)/木村長蔵.三園叢書三五の中 小笠原流表具雛形/蜂屋惟清(絵).石州流表具要法,(絵) ・ 「小笠原流表具雛形1朱書書入は「朱書駒塚本ト校合スJU所」である。, また、巻末に「文政八年乙酉十一月就柳亭蔑本四 三園」とある。’「石州流 表具要法」には「石州流表具要法 駒塚本 三三本ト校合シ補写ス」「石 州流三百ケ条ノ内表具要法ト云写本ヲ駒塚愚一ヨリ借覧シテ校合スルニ大 同小異器空夢暫慢」との識語がある。 ふる寺のしるべ 写本 1冊 24。2×16.3cm <830−1 39> 元ラベル:「サ五」.印記:「開園蔵」「橿邨」.大正5年7月8日購求 内容:薬師寺縁起国史。羅躾塔旧跡備考/田中教忠(明治37年成立).巻尾山 縁起証文等吉事(標目及び内表紙:「槙尾山縁起証文等之事」) 「巻尾山縁起証文等即事」巻末に「本書槙尾山にものして宝物調査のを りかり出て参孜にとてう?さしむ 三園主人㊥」と小杉三三識語がある。 また、「右之本者当寺理趣院善海三法三三賢三三写三三・、三時寛文二年壬 子正月廿八日泉州巻尾山観音院常住也」と原本奥書を移写している。 文房旧記伝 写本 1冊 27.2×18.5cm 『 /・t <830−78> 元ラベルあり.印記:「不忍文庫」「温古堂文庫」「神園蔵」.大正2年12帰12 日購求 内容:文房四心肝/三宅紺明.文房四壁詩 法隆寺所蔵二二厨子図.写本 4帖 折畳26.7×19.3crn(各巻参照) 〈830−69> 書名は題箋による.三物.彩色絵入.元ラベル:・「三三乙三四」.旧記:「三 園蔵」. 大正2年12月12日購求 内容:法隆寺所蔵玉轟厨子蕎蠣所箇霧舎利供養図(大きさ76:3×53・3cm)・法隆 LxLx 一三一、 寺所蔵三三厨子響弥齎所三野金光明王経捨身品三三(大きさ76.6×43.9cm).法隆、 寺所蔵玉弓懸子翻転齎所画野曝繋濃墨四句文之意(大きさ76.0×438cm).、法隆寺 所蔵三三厨子覆三所画響須弥山図(大きさ76.6×53.3cm) 慕三十 太田持資 写本 1冊 22.9×16.4cm <830−32> 代赫の注記あり.元ラベル:「コ三」.印記:「石原蔵書」「杉園蔵」.大正2年、 7月9日購求 附:水戸澹泊先生来書之内抄出n白石先生返事之内抄出.野景集作者考*/前 田夏卵 「慕景集作者考」巻末には、慶応2年7月の前EEI夏繁識語を移写している。 法曹至要抄 石斎鵜信之訓点 山田以文,壷井義知校訂書入 刊本(浪華 加 賀屋善蔵刊− o版年不詳) 3冊(帝国図書館合1冊) 25.6×18.3cm、 <830・・14> 寛文2年(1662)洛陽村上勘兵衛刊本の後弓.’元ラベル:「キニ」.印記:「東 園文庫」「林氏図書」「新居庫」「杉園蔵」「発印」(識語印)「小杉園」(識語印). 大正2年7月9日購求 新井正方所蔵本を小杉櫨邨が入手したもの。巻末に「わか友正方か秘蔵 .せしか死後蔵書をミな売り払ひしをり東京のふミやあかしかたか手におち しときわか友林厚徳これをもとめ得て秘蔵せしかまた厚徳死後その蔵書を ミな吉川半七にうりし□もめしつるよしき・てそれをあかなひ今は蔵書と と 。す 明治廿三年十一月 小杉櫨邨㊥㊥」と小杉三三識語が回る。また、同じ く小杉の筆で「此法曹至要紗三巻付紙蘭書入世吉田津官山田阿波介以文先 生手書所斑勢州御師足代弘訓也資本負態伝干早雲高吉先生 平民転写三脚 玩三者也 天保十三年十月日」との本奥書を移写している。別に「不忍文 庫旧蔵壷井氏校訂ノ本書別ニー部維新国際シテ藩主公ヨリ申請ヒテ所蔵セ シヲ明治三十三年三月二三ヒテ大槻如電旧襲ノ古版本元禄年間以前二三ル モノヲ陳列シテ学友二縦覧ヲ促ス事アリコノ美挙ヲi賛同シテ即チ其不忍文 庫印及び阿波国文庫三三ノ三冊ヲ割愛ス、サレハ其ノ壷井氏ン三頭傍註ヲ コノ本二倉船ウツシトリコノ奥書ヲコ・ニウツスモノトセリ、記念ン為二 .一 セヲ加フ㊥㊥ (壷井奥書文章略)享保三三卯孟春人生壷井義知」との 小杉三三識語があり、三井義知三蔵別本の校訂を移写したことが分かる。 本草和名 深江輔仁等奉勅撰 多紀河田校 刊本(江戸 和泉屋庄次郎 寛政 一83= 8年序) 2冊(帝国図書館合1冊) 26.6×18.4cm <830−17> 小島尚責,尚真書入.元ラベルありL旧記:「温古堂文庫」「小島氏図書記」 「掃葉山樵」「発給投降」「杉園蔵」.大正2年7月9日購求 上巻末には「天保四年三月狩谷栖斎伊呂波字類抄参校本三訂三三根回 校語附記」と、また下巻末には「天保凶年九月三日据伊呂波字類帰参校本 西城直撃灯下朱校往年余地屋代弘賢借字類天与亡友山本弓庭同校未吟句庭 巳為泉下人今再三狩谷望之三校旧卒功併記狩谷三校語三三子孫三三三三者 江戸小島質誌」、「天保十五年七月廿入日三三三三引一校三三三三抄裏書時 雨窓画学質又誌」と、小島尚質(宝素)の識語がある。また、「此書寛政校 刻之際問有誤脱支字曽部依医学原紗訂正以事務倥偲不慈母之友人筆立乱序 原紗校訂尤詳眼華立之校本校勘一過更以降紗本業審卒業柳記其田安政乙卯 夏五初二日尚真識㊥㊥」とある。別に「本文田安殿近習番岡田多門 序奥 御右筆手伝屋代太郎 提要浪人武田源次郎 享和二年壬戌秋八月廿七日初 刷装釘(文略)多紀安長」「右安長法眼手記に別てしるす 三三」ζ、小島 尚真の識語がある。『国立国会図書館所蔵個人文庫展』2「古典籍探求の 軌跡」24頁参照。 ・ ・ 蒔絵集説・髪譜’ 蛹エ芳野 [小杉橿邨編] 写本(榊原芳野自筆) 2冊 (小杉合1冊) 24.9×16.3cm ・ <830−4> 図入.元ラベルあり.旧記:「三園蔵」.大正2年7月9日購求 内容:蒔絵集説/榊原芳野考証輯録(明治8年,榊原芳野自筆.「文部省」.10行 朱色罫紙使用).繰譜/榊原芳野編(榊原芳野自筆) ともに榊原芳野白謡本。内表紙裏に小杉耳翼が入手した経緯について 「こは榊原芳野自筆め稿本なり、一書舗の反故堆の中より見出して蔵書と す」と小杉橿邨識語がある。また、成立に関し巻末に「明治八年九月 紀 元二千五百二十五年 製造諸法蒔絵工五十嵐佐吉 考証輯録榊原芳野」と 奥書がある。『国立国会図書館所蔵個人文庫展』2「古典籍探求の軌跡」 24頁参照。 まsき考・提灯考 写本 2冊(合1冊) 27.9×19.6cm <830−21> 書名は小杉筆書題箋による.元ラベルあり.印記:「杉園蔵」.大正2年7月9日 購求 内容:麻々伎考/[屋代弘賢](書名は原著元表紙による.屋代弘賢自筆.「古 今要覧稿」稿本.旧記:「不忍文庫」).提灯考/[本多忠憲著](紙筆26.6cm. 一84一 旧記:.「阿波国文庫」「在々復此」) 『国立国会図書館所蔵個人文庫展』2 「古典籍探求の軌跡」24頁参照。 湯島紀行 永井精古 写本 1冊 26.7×19.4cm 〈830−79> 元ラベルあり.下記:「杉園蔵」。大正2年12月12日購求 謡曲秘書 写本 1冊1.,24.0×16.7cm 〈830−5> 書名は甲子箋による.元ラベル:「ト」.印記: 「雁清」「杉園蔵」.大正2年7 月9日購求” 令紗 [一条兼良] 写本 3冊(帝国図書館合1冊) 28.1×20.8cm 求 〈830−19> 元ラベルあり.印記:「不忍文庫」「阿波国文庫」「杉園丁」.大正2年7月9日購 上巻末に「文明第十暦小春中旬令全部十巻書写巳後奉受禅三三三三紗 出少々三三申言乞法務前大僧正三宝/後旧恩寺殿御抄也不可外見可 憎々々親衛大将軍藤原朝臣三三」「右以後円明寺殿御自筆写之雇人之手 早筆繕写之再往加校正了 延宝己古年三月吉日」との原本奥書を移写し ている。 』 ) 蓮華王院三十三間御堂考2巻 田中教忠 写本 2冊’23.8×16.4cm 〈 830−34 〉 書名は元表紙書外題による.巻頭:「現存蓮華王院三十三間堂考」.朱書入あ り.元ラベル:「ヒ三三」.旧記:「杉三蔵」.大正2年7月9日購求 元表紙及び下巻本文紙は「得長寿院考」と同一のものとみられる。 渡辺推庵遺像裏書 南部晋編 写本 1冊.27.1×19.3cm <830−137> 書名は内表紙書題箋による.同角書「南部町編纂」.同尾書「臨時全国宝物取 調局篁一毒登録之附属」.巻頭:「渡辺勘兵衛遺像裏書」。印記:「南部家蔵」 「三園蔵」.大正5年7月8日購求 付、:雄山肖像近江国伊香郡七郷村大字横山式内兵甲神社所蔵遊山文書(大き さ39.4×69.4cm。.「明治三十六年二月一日夜回灯火 兵‡神社掌南部晋摸」). .(書画古器物図).(渡辺家系図).渡辺旧庵三一族之墓銘三三’ 一85一 〈小杉面諭編綴主題別資料〉 工芸一班 [小杉温面訴] 写本 1冊 26.6×19.2cm <830−43> 求 書名は書外題による.元ラベル:「フ」.印記:「杉園蔵」.大正2年7月21日購 内容(主に標目による):土工葺瓦工考1(内表紙「木工式之内土工踏面工考」. 明治20年川崎千虎写).くつがた・しゃちほこ“/[屋代]弘賢(「古今要覧稿」 抄録).、松屋外集(抄)*/(小山田与清).個華氏席書ぬき★(内容:東大寺盧 舎那仏雛形.『国華』31号).感喜説2/糞心道人(小杉橿邨写.明治5年成立). 宝鐸/[屋代弘賢](巻頭:「古今要覧稿宝鐸」)。鏡面に仏影を現す★/黒河 春村.又国華かきぬき*(内容:乾漆製仏像(『国華』33号).伎芸天女面(『国 華』36号).三月堂執金剛神(『国華』28号).十一面観自在尊木像(『国華』20 号)。東大寺三月堂梵天像(『国華』26号).運慶作文殊菩薩維摩居士(『国華』 34号))。伎楽の面★/福地復一.能面の説*.仮面の説★(本文「仮面譜」).仮面 譜/喜多古能(寛政9年序).面目利書細工直伝*(標目なし).面十作乙名(享 保12年成立.印面あり).黄葉山の仏師苑道生★(巻頭:「隠元禅師の仏師萢道 生」.『言箪海』巻6書抜) ノ 三園雑集 写本 11冊 25.4×18.Ocm <830−1・06> 印記:「南部家蔵」(第2−4冊にあり)「晋印」(識語三三4冊ほかにあり)「渡辺 氏図書記」(第11冊にあり)「杉論蔵」「楓邨」(識語印).大正4年4月20日購求 内容:[璽頭]:官職方稽古入正式/速水心血(寛保3年成立.木きさ25.5×、 18.2cm).神拝伝.[第2冊]:神祇曲論3(大きさ26.3×18.3cm).匪麺]:神祇 官之記4(内表紙書名による.巻頭=「神祇官御年貢進社事」.大きさ27.6× 19.9cm).[第4冊]:日吉暗々領注進記5(大きさ26.9×19.5crn.).[麺]:雑役 面取納之内近年之作法6(内表紙書名による.巻頭:「雑役庄近年之作法」. 富嶽培:「杉麟虚日大きさ27.6×19.6・m).塵亜]:伊達伯爵家所 蔵芳野花見懐紙★(元表紙「杉園雑集 下」.大きさ27.6×19.7crn.「東京帝室 博物館」13行朱色罫紙使用).[第7冊](大きさ27.7×19.7cm):江州滋賀郡仰木 五社権現縁起(巻頭:「仰木権現縁起」.享保11年成立)7.縁起 医王山毛 越寺金剛王院(附:[明治28年10月20日出張宝物鑑査掛小杉橿邨御尋問要点に つき]参考書)8.三門三三本.[第8冊](大きさ27.6×19.9cm):元和八年正 月亡八日於八条宮様(邸連歌記録)★(小杉自筆奥書あり.原本は高橋健自所 蔵).片野三山所蔵山岡明阿弥自筆上寿院本土佐日記奥書㌔子爵松平定教君記 録守国公御伝記のぬき書★.(写図料領収書).年中御祝次第党.(文明二年庚寅 一86一 大枡)★(f文部省/古事類苑稿」用箋使用.「明治ゴ年五月記」とあり).(古書 画目録).(源直義願文).横川榜厳院営造会議案(「晋印」印あり).平泉碑銘㌔ 朝州卿筆をうつしたりとミゆる願文の原書といふものS序践(「臨時全国宝物 取調局」13行黒色罫紙使用)..[金光明最勝王経理績苧星羅]★(「帝国博物館」 13行朱色罫紙使用).金色堂棟木記文★.金色堂二関ル文書★(「臨時全国宝物取 調局」13行黒色罫紙使用.「中尊寺」三色罫紙による貼込あり).[麺匝](大きさ 26.4×19.Ocm):愛久沢家伝9/中間三三.宮下熱海入浴中之愚詠(内表紙角 書「文政庚寅初秋廿日発」).[麺豆匝](内表紙「小杉温村先生 三園三三上 十一冊合本」とあり.大きさ24.7×17.2cm):淡風.屋代太郎源弘賢諸国風俗 回状目録.今様乃譜★(内表紙に「スー」と書込あり.「杉園蔵」印あり).今 斜壁(貼込1枚.大きさ22.1×29.6cm).[麺](大きさ24.2×16.2cm):冷泉 為紀伯爵返書(高崎大人宛).(恒為書簡)。時代不同歌合*(「東京帝室博物館」 13行朱色罫紙使用).渡辺野山消息’(原本森田包克所蔵).(渡辺皐山号2通)’. (豊臣秀吉書状)’(水野宗兵衛宛.原本子爵水野忠敬所蔵).(書状4通)’ (「好古社」10行桃色罫紙使用).山名義海所蔵横物★(勘修寺中納言宛天海書状. 「東京帝室博物館」13行代稲色罫紙使用).(市川万庵所蔵書状3通)*(「好古社」 10行桃色罫紙使用).(飛鳥井殿宛右府実量公(禅定)消息)(「好古社」10行桃 色罫紙使用.原本松浦伯爵所蔵).越後国三嶋撃手泊村大町菊屋事五十嵐紀一 所有の中(書簡3通)・.福島県岩代国耶麻郡境川仲町赤城涼右衛門所蔵(書簡 26通)★(「東京帝室博物館」13行代賭色罫紙使用).(右大将頼朝速筆消息)*. (「好古社」10行桃色罫紙使用.明治35年1月前田香雪識語移写).正二位権大納 言菅原継長卿日記残欠一葉傍注言、(原本飛騨国吉城郡古川町渡辺章所蔵).(姉 小路基綱卿消息の裏面四書之タル肩記残欠につき)/(飛騨国国府村)岡村利 兵衛(「渡辺町図書記」印あり).(断簡)(貼込).鎌倉裁許書壱巻写!「帝国京 都博:物館」12行黒色罫紙使用.原本京都市上京区聖護院末住心院所蔵) 第10冊の「小杉橿村先生 杉園丁集上 十一冊合本」という識語により、 小杉橿邨自身による編綴資料ではないと考えられるが、資料の性格上「小 杉町邨編綴資料」の項に入れた。 書画一班 [小杉橿邨編] 写本 1冊 23.9×16.5cm <.830−74> .手口記:「杉園蔵」.元ラベルあり.大正2年12月12日購求 内容(主として標目による):帝国博物館所蔵野卑白氏文集約添書付佐藤誠実 所蔵墨拓本★(馬革:「帝国博物館所蔵野跡添書」.「帝国博物館」13行朱色罫 紙及び「帝国博:物学歴史部」20×10朱色原稿用紙使用).渥美蝦軒書伝“(巻 一87一 頭:「渥美三軒王右回書伝五位三法ロ授目録」).建部三内入木道教訓★(「三水 会」12行代緒色罫紙使用.原本江藤正澄所蔵).渡辺章蔵削回円親王書巻子等★ (巻頭:「飛騨国人吉城郡古川町渡辺章蔵晶古今集仮字序異文」.「澄水会」12行 つ 代革色罫紙使用).玉鴫快調蔵教導卿筆甲州文★/向山栄(巻頭:「玉響快応仁 教長卿手写理趣経回」.明治29年成立.「三水会」12行朱色罫紙使用).筆跡鑑定 */前田香雪(「下水会」12行朱色罫紙使用).古筆了佐略系(巻頭:’「古筆家略 系」).・古筆鑑定家印譜/古筆解題(巻頭:「補正馨聯盤和漢書画古筆鑑定家印 譜」.明治26年5月10日古筆了旧刊.一枚物).冬木手鑑目録“(巻頭:「浅草区・ 大谷善八郎所有冬木手鑑目録」.「鍔際会」12行代緒色罫紙使用).和久半左衛門 墓畔早死去年月*(「吃水会」12行朱色罫紙使用).延宝三年刊行手鑑の序文’ (巻頭:「延宝三年刊手鑑といふものの序にいふ」.「澄水会」12行代賭色罫紙使 用).長恨歌絵*(「帝国博物館」13行朱色罫紙使用).伴大納言絵*・(「帝国博物 館」13行朱色罫紙使用).定家卿真影*/信実(巻頭:「京極黄門真影」.「帝国 博物館」13行朱色罫紙使用).師宣画吉原と芝居との図に題す*(巻頭:’「もと 松坂屋所蔵なりし菱川師宣ゑかきし吉原と芝居との図」.「帝国博物館」13行朱 色罫紙使用).柳玲琴肖像早百会目録(巻頭:「栗原柳玉筆肖像目録」).扶桑名 画伝解題ソ松尾四郎(「帝国博物館」13行朱色罫紙使用).前田侯爵所蔵素早 筆新札★(巻頭による).山本基庸君忠度百首奥書★(巻頭:「同(前田侯爵) 蔵山本基庸筆忠度百首」).郷里小伝欝両氏㌔素眼筆新札上下二巻奥書★(巻頭: 「古筆了仲所蔵素甲羅新札上下二巻」).一文字早年“(巻頭1「中井敬所所蔵一文 字飛降」.彩色図入.「帝国博:物館」13行朱色罫紙使用.附:一文字刊記.山崎 新次郎手簡.輪池翁箱のうらがき.箱のおしいた裏にしるしていはく/中根淑). 尾州家西行物謂奥書*(巻頭:「尾張徳川侯爵所蔵西行物語零本一巻奥書」. 「帝国博物館歴史部」20×10朱色原稿用紙使用).画人小伝(小杉楓邨書入あり). 吉絵巻目録★(巻頭:「古画巻目録」.「杉園蔵」30×12朱色原稿用紙使用).絵 難坊画を論ず(巻頭:「絵刑罪画を論ずる事」.「河合庫太郎」).名家真蹟守門 式/安西雲煙(刊本抜粋.『近世名家書画談』1−2編附録.2編は天保15年刊) 諸国陶器集説七宝焼附 [小杉橿邨編コ 写本 1冊 24.2又16.2cm<830−40> 書名は書外題による.元ラベル:「フ」.左記:「第四蔵」.大正2年7月21日購 求 勾 一・ 内容:本邦破局七宝ノ説/黒川真頼(「黒)II書斎」20×16黒色原稿用紙使用). 英国人ボース氏の七宝窯略説“10(「杉園蔵」30×12朱色原稿用紙使用).嬉遊笑 覧虫下(抄).装弾奇賞(抄)。蔭凍軒日録(抄)(貼込1枚目.七宝師平田家系★ 一88一 ぐ/げ (「帝国博物館」13行朱色罫紙使用).三三譜略/栗原信充(天保15年刊本の写.’ 「高等商業学校」10行朱色罫紙使用).名古屋七宝’(「帝国博物館」13行朱色罫 紙使用).七宝焼起源碑文之写/横田太一郎(明治20年9月成立.刊本切抜.著 者は愛知県東海西郡長).塚本貝助幼少ヨリノ履歴概略(明治21年9月迄の内容. 「杉密蔵」30×12朱色原稿用紙使用).七宝焼愛知県取調書(小杉甲声識語あり. 「高等商業学校」10行朱色罫紙使用).小堀道具入日記(貼込み1枚).陶器の沿 革.青磁目録IP(小杉橿邨写.天保9年仲冬成立.「帝国博物館」13行朱色罫紙). [鬼足千鳥].・浄清所解“(「帝国博:物幹回史部」20×10朱色原稿用紙使用).松平 頼聡三品千鳥香炉記“(「帝国博物館」13行朱色罫紙使用).遠江国榛原郡シドロ 三瓶焼古文書五葉*(「帝国博物館歴史部」20×10朱色原稿用紙使用).加藤唐 四郎伝記12(明治23写).藤四郎小伝★/刑部陶痴(「史学協会雑誌」30×13桃色 原稿用紙及び「杉園蔵」30×12朱色原稿用紙使用).陶祖春慶翁之碑/阿部伯孝 (明治21年愛知県春日井郡瀬戸村陶器館刊,慶応2年成立).瀬戸陶器考/横井 四道(20×10青色原稿用紙使用)陶玉園加藤五時陶磁器禦造伝記/第四世加 藤五部(書名は表紙による.明治22年12月刊行.冊子.18.4×12.3cm).不二 見焼愛知県取調書(「高等商業学校」10行朱色罫紙使用).夜寒焼愛知県取調書 (「高等商業学校」10行朱色罫紙使用).大橋秋二(墓誌銘)/小塚章彦.(大橋 秋二略伝).加賀国陶器史料’/加藤恒(明治21年4月成立 「杉園蔵」30×12朱 色原稿用紙使用).越中瀬戸(陶器由来).前田家取調越中新川郡古文書.八代 陶器伝記★/上野次郎吉(明治22年2月成立.附:入代陶器製作ノ解説).肥後国 天草郡深江村陶器工夫書ソ平賀源内(彩色図入.明和8年成立.「帝国博物館」 13行朱色罫紙使用).高麗焼陀羅尼焼★(「帝国博:物館」13行朱色罫紙使用).薩 摩焼陶器.明治十八年四月ヨリ六月二至ル共進会陶磁器出品解説ノ中抜書 ソ樺田善次郎(「帝国博物館」13行朱色罫紙使用.著者は淡路国三原郡稲田村 住) 『国立国会図書館所蔵個人文庫展』2「古典籍探求の軌跡」25頁参照。 諸国名所古寺略縁起・[小杉楓邨編] 刊本’(張込帖) 2冊 24.9×16.7cm 〈830−91 〉 元ラベル:「ヒ四二」.附記:「杉園蔵」。大正3年11月5日購求.標目あり 内容(原本内表紙又は巻頭による.著者及び刊行者は原則として山号は略すが、 一部肩書等を付す.写本に「写」と示す):[E圏:野卑嬌洛州昭覚寺什迦牟 尼仏金銅瑞像讃之句*(写.紙高16.9cm).南都唐招提寺略縁起i竜差響略縁起. (什物書上)(大きさ17.0×14.5cm).(唐招提寺諸堂由来)(写..紙高17.3cm). 一89一 (法輪寺由緒什物等書上)/法輪寺住職吉本宝恵信徒総代田中亀太郎,中野辰次・ 郎[ほか](写.明治24年成立.紙高23.9cm).大和国三井法輪寺仮字縁起’/ 前権大納言総長(写.元文3年成立.「帝国博物館歴史部」朱20×10行原稿用紙 使用).大和国平群郡富郷村大字三井村法輪寺仏像五等以上抜録★/吉本宝恵 (「臨時全国宝物取調局」朱色13行罫紙使用).’橘寺霊宝概界(一枚物.紙高 24.6cm.「杉園蔵」印あり).和州秋篠寺略縁起/秋篠寺(一枚物.紙高28.5cm. 元禄4年成立).和州壷坂山南法華寺略縁起(一枚物.紙高25.8cm).和州添上 郡菩提山正暦寺竜花樹院★/多聞輝輝盛中蔵院海旭感身院舜仏[ほか](写. 紙高24.2cm.元文5年成立).慧南都名所記(宝暦4年刊万延2年修南都絵図屋 値入版.絵入。紙高22.2crn).大和国長谷寺縁起/四阿(巻頭:「豊山長谷寺 略縁起」.文化14年).小楠公梓弓詠/如意輪寺主慶誉(文久3年吉野如意輪寺 蔵置.絵入).和州矢田山手縁起/念仏院(巻頭:「和州矢田山金剛山寺略縁 起」.安政4年念仏院刊).月輪寺略縁起/月輪寺(月輪寺刊.一高23.Ocm). (来迎寺縁起)(写).鱗東山銀閣寺略縁起/銀閣慈照寺(慈照寺刊).銀閣寺縁 起略“(写).洛陽般若三昧院言ぴ(写).灘王福茶笙由来記/一瓢主人(一枚物. 絵入.空也堂刊.紙高24.7cm).山城三舞野部北山鹿苑禅寺乏略記(一枚物). 京都大仏殿巴鴨平年(弘化5年大仏殿勧化所刊.一枚物).(西本願寺宝物庁 堂・書院)(活版.一枚物.懸章19.Ocm).(西本願寺宝物滴水園)(活版.一枚 物.紙高19.Ocm).天野山金剛寺略縁起(書名は小杉橿.邨書外題による.安永8’ 年天野山金剛寺大衆刊.紙高24.1cm).箕面山略縁起(巻頭:「摂州豊嶋郡箕 面山滝安寺略縁起」。紙高23.6cm).(捕鳥部之:墳墓図)(写.大きさ27.6× 40.4cm).(和泉国南郡神須屋村犀鳥部墓地図)(写.大きさ27.3×39.lcm).捕 鳥部万碑/相馬肇(写。大きさ17.0×46.6crn).(性理部万墓)(写.大きさ 27.8×39.lcm).守屋大臣古墳墓地取調書/渋川郡亀井村外ニケ村戸長森田富 三郎[差出コ.胴長深瀬和直[宛](写.差出者に印判あり.明治21年7月12日 作成.「渋川郡里塑欝戸長役場」青色10行罫紙使用).摂州西成郡長柄村雲松山 鶴溝寺鐘早来由(一枚物.母高27.Ocm.「杉一華」印あり).明細帳早大阪府管 下囁津国東成郡東高津村字餌差町撮津国東成郡大今里村妙法寺末真言宗円珠庵 (縁起)★/上田照遍(写.‘明治21年12丹作成).甚目寺略縁起/鳳風山知事 (鳳風山知事刊).尾州中嶋郡長島山妙興報恩禅寺略縁起.勧財緒言/曼茶羅寺 住職鮮少教正恒川理学(活版.明治15年8月).由緒略記/愛知県尾張国葉栗郡 大田島村大字大毛番外河野栄泉寺住職栗木徳順(写.差出者に印判あり.明治 23年10月16日作成).笠寺略縁起/笠覆寺(一枚物.藤高28.2cm).金湯山早雲、 寺記録★/蒲岸(写。寛文12年成立).(早雲寺縁起)*/明解(写.元禄14年成 一90一 立).早雲寺所蔵古物品目三略(活版.一枚物.大きさ19.6×27.lcm).鎌倉名 所記(鎌倉常陸屋伊三郎刊(嘉永改正新岡)。絵入.声高21.8cm).鎌倉長谷観 世音略縁起(巻頭:「相州鎌倉長谷寺観世音略縁起」)。讐円覚寺仏一列利之記 (巻頭:「鎌倉円覚寺三三正続四仏三舎刹旧記」.活版).(海蔵寺縁起)(一枚 物3枚.絵入.紙高27.5cm).金沢金石録(寛政6年成立).金沢名所杖’(文政6 年旭松堂刊).枢i寺縁起虹辟火回符来由★/正覚寺(文化11年成立.写..「文部 省」青色10行罫紙使用).播磨三石宝殿略記(紙高29.Ocm.「三園蔵」印あり). 石山寺由来略縁起(一枚物.紙高28.7cm).国上山寺縁起由緒★/普賢院万元 (写.享保3年成立).[圃=京真如堂如来略縁起(撃高23.7cm).安居天満宮「 芝原御祭礼略縁起/橘恭之進(紙高23.5cm).勢州津国府阿弥陀回縁起/大宝 院知事(撃高23.2cm).勢州石薬師略縁起/瑠璃光院(巻頭:「伊勢国高富山、 略縁起霊験」.瑠璃光旧刊).慧霧鎌倉松葉谷安国論寺略縁起(巻頭:「鎌倉 名越松葉谷根本御小蕎安国寺由来」.紙高24.Ocm.元禄2年成立.安国論寺蔵板). 盟延齢高祖略縁起/光則寺(門守:「鎌倉土之牢霊地宿谷光則寺」.天保ll年, 光則寺刊).呼子阿弥陀手筆縁起(階高24.2cm).東海道相州足柄下郡酒匂梅沢 之間国府津野山信楽平押楽等等旧跡略由緒(壁高24.Ocm).蓮如上人御作相州 国府津御坊真楽寺(紙冠23.7cm).相州大磯駅馬鴫立沢記《巻頭:・「相中大磯i 町立押元由来記」.明和4年鴫立蕎主早智重刊。紙子23.5cm).善福寺縁起/権 律師乗順(享保5年成立).江之閉門縁起五巻略記宋朝伝来古碑署図/江之島下 之坊(巻頭:「江の手下の宮縁起五巻の略縁起」.元禄6年成立.甲高. 23.lcm).江島三社弁才天来歴(寛延2年成立文化3年再刻).欝立石寺縁起(巻 頭:「羽州立石寺縁起略」.立石寺刊).木曽宣公旧里碑/山邨良工(文化10年 成立.紙高24.4cm).玉津嶋神社略伝記(絵入.附:玉津島頓宮辺趾記/仁井 田好古(天保2年成立).彙三山記(天保2年成立).望海楼遺趾記/仁井田好古 (文化10年成立)).騨鵠光明真言土砂加持修行解発帳/高野山吟声千蔵院’ i巻 頭=「土砂加持縁堅塁」) 間島由美子縮「国立国会図書館所蔵江戸期以前寺社縁起関係目録」(『参 考書誌研究』40号)参照。 葬祭儀諸家秘説 [小杉橿邨編] 写本 1冊 23.6×15.6cm <830−36> 書名は元表紙書外題による.元ラベルあり.附記:「杉三蔵」「小杉」.大正2 年7月9日購求 内容(標目なし.著作巻頭による):伊勢国人名島政方双樹の落葉(抄)(「教 部省」10行朱色罫紙使用).(諸説)“.(棺の制)“.野州弁/伊能頴則.伊能 一91一 氏の祭と忌との弁説に付添へる臆説/岡吉胤.祖祭之弁/渡辺玄包.晶晶の弁 ’につきていさSか記す/久保季叢.権判官殿ヨリ葬記事件御下二二付建白井附 記草案/大崎昌庸.年忌考“/大崎昌庸(売高16.7cm.附;伊能頴則書簡(忌 日年忌ノ同説二付)).年忌考附録祭典考ソ[大崎]昌庸(明治3年成立.付: (葬祭式年定二付)/伊能向学).(多聞院日記天正十五年九月条書抜)’.葬祭 儀解櫛.(神道を以自葬祭仕度旨願出書類)/矢島藩[差出].神祇官・[宛]. 明治4年10月18日.印記:「小杉」).1津和野藩罰条式・葬祭儀式*(印記:「杉 園蔵」「小杉」.黄紙「徳島藩」8行黒色罫紙使用).自閉愚考“/新居正芳(明 治3年11月作成.印幡:「小杉」.10行黒色罫紙使用.著者肩書は学校二等助教). (小杉三三宛新居正道書簡)ソ新居正道(旧記:「小杉」).姫路藩神葬祭達 ★/[姫路藩]藩庁監察掛[作成].[姫路藩]士族[宛](明治4年4月18日作成. 「徳島藩」8行黒色罫紙使用).葬祭儀.園左記後小松明徳四年(書抜).神民葬 式13/御巫清直(明治9年小杉橿邨写).(諸書書抜)..・)二二照彦尊御葬式★(「教 部省」8行憂色罫紙使用.附:稚瑞照彦尊御葬式御門).明治九年六月三品内親 王董子尊御葬式井御辞書*(「教部省」8行緑色罫紙使用).華二院宮三品博経親 王御葬式記’(明治9年成立).発葬祝詞“(「教部省」10行朱色罫紙使用) 葬祭儀草 [小杉橿邨編] 写本’1冊 26.8×19.4cm , <830−27> 元ラベルあり.旧記:「三園蔵」「三三」.大正2年7月9日購求 内容:(四時祭・春秋祭・二月四月十一日祭・天皇御遠忌之事)/木村遜辞 (明治3年成立.「神祇官」8行黒罫紙使用).葬祭儀i巴草14(明治2年成立.紙面 25.9cm).葬祭別記草戸(巻頭:「葬祭別記」).葬祭別記草江(巻頭三「葬祭別 記」).葬祭儀(割高26.3cm).華族葬祭儀略(巻頭:「葬祭儀略華族」).士族 葬祭儀草(撃高26.6cm.図入.朱書書入あり).庶人葬祭儀(図入)。葬祭儀i/ 伊能頴則.葬祭儀 読史翼 [小杉橿邨編] 写本 9冊 26.9×19.3cm . 畠 <830−182> 元ラベル:「イニ」.半端:「杉園蔵」「橿邨」「橿.村」.大正5年12月25日購求 内容:[麺国:天津日高彦火竣々杵尊御子数の考ソ谷森善臣(明治10年成立. 「教部省」10行朱色罫紙使用).武烈天皇御年紀考ソ小中村清矩(巻頭:「動乱 宮御宇天皇御年紀考」.慶応3年成立.附:横山由清意見).天智天皇外記★/藤 原貞幹.大炊省足鼎*/岡部東平(附i山陵考付録火葬説).倭文考ソ松浦道輔 (印記:「十村」).上古暦日考’/飯田武郷(「内務省」13行朱色罫紙使用.嘉永 7年初稿明治6年成立).古史伝異年号考ソ[伴二二](「教部省」8行茶色罫紙使 ︵ 一92一 用).碩鼠漫筆かきぬき★/黒川春村(「内務省」13行朱色罫紙使用.14項目書 抜).[魎]:美加保志即夜/矢野玄道(明治3年成立).はなさく松★15/検校 保己一(小杉橿邨写.附:生駒周蔵書簡1通貼込).花さく松弁★/藤田一正.’ [花さく松弁] ’“/大竹親従.花咲松弁々★16/木村正辞(明治6年成立.栗田寛 の朱書入の移写あり).長野院天皇御事跡考★17/小中廓清矩(明治6年成立.紙 高24.3cm).雪みの花*18/木村正辞(明治6年成立).長駆院天皇継統考証’19/ 栗田寛(明治8年成立.「教部省」10行茶色罫紙使用.「栗田本伝問」に関わる付 箋あり.付:小杉櫨即興栗田寛自筆書簡).[第3冊]:出雲宿祢尊澄の問に答ふ“ (嘉永3年成立).出雲千歳屋松壷千家尊平準状十篇の答ソ三郎篇再問(嘉永5年成 立).十二篇答★(嘉永5年成立).池辺真棒の問古語拾遺の答’.[細田]、:続紀問答 “20/渡辺寿,生駒正直吉田正秋[ほか]問.寺村成相答(「古事類苑/文部省」 匡郭用箋使用 附:寺村主殿成相対馬井田兵助忠友答).さかき*21(「教部省」 10行代赫色罫紙使用).伴部品部★22/小中村清矩(伊能頴則書入移写あり.「教 部省」10行代緒色罫紙使用).中古の世に病人を棄る昏昏有し事井施薬院悲田院、 の事’23/小中邨清矩(「教部省」10手代蒲色罫紙使用).宇合考*/木村正辞 (「教部省」10行代鰭色罫紙使用).古事記訓法の論*/飯田武郷(小杉橿村書入 あり.明治13年成立.「内務省」13行朱色罫紙使用).伊碁誤判★/飯田武郷 (「内務省」13行朱色罫紙使用).論語千字文昇進時代考★/落合直澄(「文部省」 13行朱色罫紙使用).弘文天皇乃御事★(細目:弘文天皇御世代理儀二付近藤芳 樹意見書三条公ヨリ下問有之能問女官意見付箋ヲ以テ舞茸有之候也(諸局編集 館宛.明治12年4月21日成立.「三浦」印影移写.「修史館」10行黒色罫紙使用. 「橿邨」印あり).弘文天皇ヲ御正当ニバカゾへ奉ルマシキ事(「修史館」10行黒 色罫紙使用).第二局乙甲ニテ意見注進ノ草稿/菅政友考按(「修史館」10行黒 色罫紙使用))1有馬皇子の罪せられ給ひし論ソ飯田武郷(「教部省」8行朱色罫 紙使用).詰国之別別王ソ飯田武郷(「教部省」8行朱色罫紙使用.附:栗田寛 意見).国典学ヲ興サントスルニ曜日本紀ヲ講習スヘキ事ソ飯田武郷(巻頭: 「国典学ヲ興サントスルニハ第一二日本紀ヲ講習スヘキ事理日本紀ヲ講習スヘ キ方法ノ事」.附:小中村清矩意見).楠万考’.文言公事蹟’/伊能頴則(慶応 2年成立.印記:「橿村」).日本人種麹並良賎ノ別’/横山由清(印記:「温 邨」.「明治十二年六月印行」とあり).日本貴族沿革論★/横山由清(印記: 「橿邨」).本朝古来戸ロ考*/横山由清(印記:「橿邨」).婚礼通考“/横山由 清(下記:「橿邨」).刑溝志略“/横山由清(明治8年成立.印記:「橿邨」. 朱書訂正あり).釜煎の刑ソ木村繋辞、(印記:「橿邨」).璽着大使主ソ栗田 寛(「教部省」13行朱色罫紙使用.付箋あり).米州掲ソ栗田寛(巻頭:「伴信 一93一 友が姓氏録に米餅掲と回る人名を三度宜都幾と回るハ非なる由の説」.明治10 年成立.「教部省」13行朱色罫紙使用).樫飼/[栗田]寛(栗田寛自筆.「教部 省」10行青緑色罫紙使用).端牛考証ソ稲垣千頴(「教:部省」13行朱色罫紙使用). 三十三所観世音順拝“(「教部省」13行朱色罫紙使用).、古写本日本書記目録井奥 書★(「内務省」13行朱色罫紙使用.「宮内省御本 神由孝平所蔵」とあ り)。[麺]:平安城地震考例/山川正宣(巻頭:「平安城遷都以後数度大地 下之町」.文政13年成立.26.6×18.9cm).子鼠漫録ぬきかき★/[黒川春村] (55項目.「教部省」8行朱色罫紙使用).新撰姓氏録問答/佐野久成(書名は標 目による.小杉橿潤筆書入及び附箋あり.「十九年済」と朱書あり.「元老院」 13行曙色罫紙使用).続日本紀ノ逸事/栗田寛(明治20年成立.1丁血膿.補写 部分は「文部省」13行朱色罫紙を使用し小杉橿邨写).諭庸㌔調庸*.持統紀所 見一富一部“/飯田武郷(巻頭書名省略。「文部省」13行朱色罫紙使用).学海 考/船曳鉄門(明治19年成立。「十九年済」と朱書あり.著者は高良神社宮司). 万葉集を読心得24/木村正辞.万葉集の歌の解25/木村正辞(撃高24.7cm.「十 九年済」と朱書あり)。山多豆の考・同補正/加納諸平[著],木村正辞[補] (紙高24。Ocm.「十九年済」とあり).馬酔木の考/木村一山(紙高24.6cm.「廿 年三月」と南り).銭の説/菊永敏高(明治21年成立).銅鍼追考26/佐藤泰郷 (「十九年」とあり.群聚24.3cm).あらたあたらの論/佐藤泰郷.木綿/増子 永図.猿丸大夫考.浦島子考/永谷重賢問.西野古海答(「太政官」13行朱罫 紙使用).時一丁寵説/西野古海.もちゐ/田中半酔(「廿年二月」とあり. 「神宮司院」13行桃色罫紙使用).マヲスと云辞考(「神宮教院」13行朱色罫紙使 用 「もちゐ」と同筆).[劉:官職通解/千葉芸閣(安永5年版本の写).筆 のすさひ.川岡雑言引書ぬき/瀬下教忠(著者は信州更科群三塚村豪農).狙そ來 くママラ 枕の記文.俳諾五派.内侍処御鏡。堂上方今結式。東山双林寺展観目六.古 くママラ 尺考.諸国の詞つかひ。和学講談所懸札。楽数目六.扶桑樹海/明月.志 実/青木敦(延享3年成立).座右十友引/小林政七三郎.山城国山崎神祠製 油器摸写図序・/城州大山崎岡岬職掌藤原宗郡藤原秀治藤原宗世紀則治藤原 秀興藤原宗武[著](「帝国博物館」13行朱色罫紙使用).春宵茶談/大草公明 (丁亥暮春).[麺]:諸見附尼仏敵余意.太平楽編撰之来由極書号或義.豊嶋 作左衛門来書.細川三斎へ被下御茶之次第/三斎壱人.延宝五年巳+月日旧和 歌山藩御壁書写/岡野平太夫,加納平次右衛門,水野縫殿三浦玄蕃久野丹波守,水 野対馬守,安藤帯刀[著].土井幹夫[編](「農商務省」13行朱色罫紙使用).池 田四温記事27/大嶽(安永5年成立.著者は濃州黒鯛寺和尚).くさぐさ書抜 楠筆記.秋津草尽語.蓋置問答.改元物語28.年号弁*/新井君美.土佐画工板 一94一 2 谷三舟工送三三三舟画三物之絵評論/伊勢弓丈29(安永5年6月2日成立).瓦松. 皆川家記ぬき書“/巌田之常.新田岩松家古文書目録井考案“(「帝国博物館」 13行朱色罫紙).寛政四年内侍所臨時御神楽散状(「新見文庫」印あり.黄紙使 用).蜻魚残編惣目録/大野広城。’酒造役米御免願(享和3年閏1月1日成立. 「大坂之郷大行事年行事」ほか18力村による差出.「御奉行所」宛文書の写 し).[無封:天之御中主神考30/渡辺重石丸・(同盟:「杉園蔵」).歴朝禅位 考大意*/大江春平(「文部省」10行朱色罫紙使用).君臣名義考大旨”(「文部省」 10行朱色罫紙使用).元文舞妙(「帝国博:物館」13行朱色罫紙使用).白の大掛 紅の打衣の事“(巻末朱筆書入:「滋野井入道ノ答書ハ閾失」).関東三文.尊 号廷講/一条関白[ほか];紫震殿賢聖障子画模本屏風記(付:日本大家論集 抜書31)。幡州越部旧跡の記/大鹿開基(宝暦2年成立).訓点言言/三浦清 (文政7年成立)。[麺亜]:岸本由豆流日本紀評註零残/岸本由豆流[註](岸本 由豆流自筆.貼込4葉.印影:「朝田所蔵」).両局訓解*.碩鼠漫筆抜抄★/黒 河春村(3件抜粋.「古事類苑稿/文部省」用箋使用).新三十六歌仙“.四季物 語’.上子の七種菜の事*.三十六歌仙★32.新学考.聖武天皇御名考★(嘉永1年成 立).達智門院皇后宮考’(嘉永3年成立)。あしたの原の根さし“(嘉永2年成立). 帝室系譜に見えたる光仁天皇の皇子等の系譜.中宮職/谷森種案(嘉永3年 成立).景雲遺事ソ山川正宣.八朔薬圃五節句’/豊藤熟察(天保4年成立). 墨字日文伝五十音考案/二宮正胤33..玉前神社祭神考/浜田男麻呂 (自筆.明 治11年成立.付:一宮廟祭神考践/木嶋来).王子神社考/浜田男麻呂(自筆. 明治21年成立.4丁目裏に朱筆にて区切があり「廿七号済」「廿八号」とあり. 小杉筆朱書訂正あり).崇道画敬皇帝の一千百五十年の遠忌に祭を修る奪い さsか所感を陳ふ/栗田寛(自筆.「元老院」13行榿色罫紙使用).平安朝初期 の美術/紀淑雄(「帝国博物館」13行朱色罫紙使用).支那南北ノ区別★/岡倉1 覚三(「帝国博物館」13行朱色罫紙使用) 『国立国会図書館所蔵個人文庫展』2「古典籍探求の軌跡」25頁参照。 農政必携 [小杉橿三編] 写本*3冊 23.6×16.3cm <830−3> 元ラベル:「ク五共三」.印記=「無封蔵」.大正2年7月9日購求 内容(書名は主として標目による):上 戸口・調庸・田租・田制:朝練・ 調庸・田制肉筆35/本居内遠(明治9年写).条里図帳考/本居内遠.度地図 解/御巫清直.公田部類(黄紙使用).公癬備考36/小中邨清矩(嘉永7年成立. 黄紙使用).(諸書抄録)37(「教部省」10行緑色罫紙使用).土佐国段別略 (「教部省」10行緑色罫紙使用).貫高/黒川春村.国学虚貝書ぬき(「草稿用/ 一95一 内務省」10行黒色罫紙使用).田制考/小中邨清矩。祖税考.鶏肋即答38/大 内正敬(天保9年成立).中 国郡・田租・帳簿・宝貨;農政座右4巻39/小宮 山昌秀(文政12年成立1明治9年写).下 度量権衡:度量権衡考40/遠藤元 三.三尺論/朝川鼎.本朝度三略考41/三田三三[著].小中村清矩[補].三々 考.式内升々考.清原業賢日記書ぬき(享禄2年).三升三三.異本古量考42 (明治11年写).紀伊国斗升考.大半斤・大回・儀式解(巻頭:「上古尺度之制」). 度量権衡改正回議(細目:(尺度ノ制沿革)/三度局[作成].権衡之義.新 制斗量旧事.度量権衡ヲ改正スルノ議(黄紙使用).大蔵省三二当局ニテ新制 スル度量衡ノ得失議案」/制度局[作成](明治3年5月成立 黄紙使用).集議 院へ謹答/日比野徳島藩権大参事(明治3年閏10月15日.黄紙10行黒罫紙使用)) 一96一 〈博覧会事務局関係資料〉 藍一覧・沙旧説・三二類纂 写本 1冊 26.5×18,9cm 〈830−59> 元ラベル:「ナ;」.旧記:「三園蔵」.大正2年7月21日購求 標題 作成者 藍一覧 安岡百樹録.狩野良信図 宛先 、L 藍説附録 成立 備考 明治5 頑なし.『教草』 年6月 説明文と同一 安岡百樹 付図(琉球山あ い43) 藍制作の事 局 東京金六町永三又治郎六野 博覧会 明治5 事務御 年4月 配人新井半兵衛 幽[美濃竹葉藍作方御取調阿 藍製作之事 美濃国羽栗郡笠松村山口伝 岐阜御 明治5 四郎 県御役 年7月 所 答書] 8行朱色罫紙使用 美濃国干栗郡笠松村山口伝 岐阜御 明治5 四郎 県御役 年7月 8行朱色罫紙使用 局 東京金六町永丁丁次郎丁丁 博覧会 明治5 配人新井半兵衛 事務御 年4月 [美濃二葉藍作方御取調回 答書] 「博:覧会事務局」 「博覧会事務局」 所 [藍玉価に付]覚 美濃出羽栗郡笠松村山口伝 岐阜御 明治5 「博覧会事務局」 四郎 年7月 8行朱色罫紙使用 明治6 年10月 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 ’県御役 所 尾張国翁草出爪 さ [編] 大草稿 ’ 香川県下瓦三三白糖旧説 愛知県下土西郡前ケ須新田 佐藤七三郎説.丹波修治 彩色図入 一 姻草類纂(巻頭:「寸寸菰 南部陳編輯.狩野良信画図 明治5 類纂」)2編 年9月 図なし.成立事 情識語あり44 8日 飲食物略説 写本 3冊 26.9×19.lcm <830−64> 書名は元表紙書外題による.標目:上巻「豆腐.かんてん.葛粉.蕨粉.か たくり.百合粉.三三.川海苔.海草類.ほし飯.阿め.三品蕩」.中巻’ 秩D真 桑瓜.乾瓢.干大根.白萱.落花生.丁丁.長いも.大葉一重.椎たけ.い はたけ.三三」.下巻「味1琳.靹津保謝罪其他名酒..養老酒.醤油」.元ラベ ル:「ナニ二三」.印記:「杉三蔵」.大正2年7月21日購求 上巻 標題 作成者tr 豆腐集説 第六大物八小三三番場旧作 宛先 ”r 97 一 成立 備考 明治5 彩色図入 1 豆腐皮 三三旧説(巻頭:「凝海 菜」) 三家片桐寅吉口授.一榊原芳 年11月 野土 26日 東京第五区小九区浅草材木 明治6 二二二二関根茂兵衛二二. 年1月 榊原芳野録 14日 第一大区小玉小舟町三町回 脂生産入姓欠宇吉ロ授.榊 原芳野録 年1月 明治6 寒天半半 京都府 彩色図入 彩色図入 図入.「博覧会事 ︶ 務局」8行朱色罫 紙使用 和州吉野葛粉検査長’ 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 筑摩県下下五製造方法 関島退蔵取調 「博:覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 葛粉(欄外朱書:「小倉 企救郡道原村,項吉村,呼野, 「博覧会事務局」 県葛粉」) ・ 村,小森村 8行朱色罫紙使用 蕨粉著説 武田昌義山崎董栓 朱筆書入あり. 、 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 田辺葛粉製法図説(巻頭 「葛粉製法」) 田辺庄司冨八那須常七, 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 佐山伝吉,高田六郎,那須小 八郎竹中久助 蕨粉製方図 木曽 第四号 保田葛粉 筑摩郡木曽奈川 明治5 図入.「博覧会事 年6月 務局」8行朱色罫 紙使用 ・ (筑前国酒須郡中町高木吉 「博覧会事務局」 \ 兵衛) 8行朱色罫紙使用 大和吉野蕨粉詳説 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 越後国小千谷村蕨の粉製 矢島面諭 「博覧会事務局」 同葛粉製(巻頭:「蕨の粉 わらび製造三法」) 8行朱色罫紙使用 北上県群馬郡星般村片栗 製 同片栗 車前葉山回 二三 矢島忠琢 片栗粉等方 魚沼郡小千谷町製造人士 野入要太郎,副戸長野口休 兵衛,戸長西脇清一郎 明治5 「博覧会事務局」 年7月層 8行朱色罫紙使用 柏崎県 明治5 年10月 御三 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 9日’ [差出].第五大区長佐藤 半左衛門[添書] 新川県下植物(カタクリ) 「博覧会事務局」 10行色朱罫紙使用 埼玉県百合 埼玉県 明治5 一98一 「博覧会事務局」1. 年11月 百合粉 企救三道原村,項吉村,呼野 小倉県下雌百合ト称スル , ’ ハ別物二非スシテ全ク花 ヲ開カサルモノ、.ト思ハル 8行朱色罫紙使用 村刀・森村 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 百合粉製造人豊前国企救 郡村道原村四谷三文右衛 門討上作次郎 8行朱色罫紙使用 「博:覧会事務局」 御三 生産品取調書上帳 美濃 国山県郡三原村(巻頭: 山県郡三原村副戸長長屋 孫三郎戸長若井久左衛門 岐阜御 明治5 県御役 年6月 所 山形県三原村戸長若井久 左衛門 岐阜県 明治5 御二二 年7月 役所 「川海苔」) (川海苔代価に付)覚 、r 七尾県下海藻類・ 「博覧会事務局」・ 8行朱色罫紙使用 L 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 、和歌山県下海藻製法図説 和歌山本町四丁目美山弥 兵衛説 福岡県下海草説 ウキュ 一ド及びウキュード海苔 三主 筑前国粕屋郡箱崎 駅山本久五郎 8行朱色罫紙使用 福岡県下海草旧説 三三 苔 製主 筑前国夜須郡秋月 町遠藤喜三右衛門 8行朱色罫紙使用 福岡県下海草旧説 イギ 断岸 筑前国遠賀郡木城 村永沼周太郎 8行朱色罫紙使用 ス ,「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 「博:覧会事務局」 「博覧会事務局」 河内道明寺乾飯之落掌見・ 本 (粟飴三方に・?き回答書) 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 頸城郡第四十区高田春日 町高橋孫左衛門 柏崎県 明治5 御役所 年8丹 三三 京都郡玉江彦右衛 門製造(欄外朱書:「小 三三三三」) 「小倉県」8行黒罫 紙使用 三宮飴 企救郡小倉町回 辺喜助製造 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 武田昌義山崎董三三 粉黄蕩訓説 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 本文朱筆.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 い ’ 中巻 標題『 作成者 宛先 成立 備考 真桑瓜養法書 本巣郡真 本巣郡真桑村戸長稲見小 明治5 彩色図入.「博覧 K村 苑セ N6月 ?末ア局」8行朱 F罫紙使用 一99一 NY 乾瓢製造図会 甲賀郡第 四区水回村(巻頭:「甲 賀郡水口村産出乾瓢」) 甲賀郡第四三水ロ村年寄 大野善平,庄屋沢田周三郎, 第四三三戸長庄屋兼森井『 滋賀県 明治5’ 彩色図入.「博覧 年5月 会事務局」8行三 御庁 色罫紙使用 1 善九郎,同戸長検村清吉 \ 」瓢製器械書上(巻頭: 明治5r 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用’ 掛川鈴木陸平、 「干瓢製造及器械書上」) 年虚日 厚見郡嶋方産美濃干大根 細記 近島村戸長藤井湛一郎 岐阜御 明治5 県御役 年6月 所 (干大根千本代金に付) 厚見郡中島村戸長古田六 三三嶋村戸長田辺銀造 岐阜県 明治5 御役所 年7月 記 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用・ 白茎 「博覧会事務局」’ 落地生 地回 落花生 8行朱色罫紙使用 不破郡宮代村戸長小野市 三右衛門 岐阜県下 沢芋 岐阜県 明治5 御役所 年6月 \ 埼玉県中丸村長芋 明治5 年11月 埼玉県 図入.「博覧会事 務局」8行朱色罫 紙使用 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 「博:覧会事務局」 大葉欺冬 8行朱色罫紙使用 ’ 奈良県下香輩 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 山口県下白白製法 \ 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 紀州香輩産地 武十村小坂安太郎 鍼草之記 八丈嶋中之郷菊池武利 博覧会 明治6 年夏 御三 紙高24.2cm 標題 作成者 宛先 備考 味酪製始書上 御三下流山村− 下巻 x切紋次 印旛県 明治5 莓 N5月 味琳製造道具雛形書上 堀切紋次郎 印旛県 明治5 莓 N5月』 三三造伝説書上(巻頭: 秋元三左衛門 印旛県 明治5 莓 N5月 u印旛県下味酪製造伝説」) 一100一 紙高23.7cm 図 Y㊥ 成立 図入.「博覧会事 ア局」8行朱色罫 ?g用 名酒醸法詳記 大日本備後靹三生玉堂申 村吉兵衛 紙墨2αOcm.「博 覧会事務局」8行 朱色罫紙使用 冠 1舞養老酒製造法書 美濃国多芸郡高田町製造 人土屋八十郎 明治5 「博覧会事務局」 年6月 8行朱色罫紙使用 美濃国多芸郡高田町製造 人土屋八十郎 明治5 「博覧会事務局」、 年6月 8行朱色罫紙使用 美濃国多芸郡根古地三三 養老酒井喜久水製造図説 多芸郡根古地村酒三人高 橋太之助㊥ 岐阜県 明治5 御役所 年6月 養老酒井菊水直段取調 多芸郡根古地村酒造人高・ 橋太之助㊥ 岐阜県 明治5 御役所 年6月 ド 養老酒直段歩割書 童: ’ レ 備後国記津名酒醸法詳記 大日本備後国晶晶生玉堂 中村吉兵衛製 「文部省博物局」8・ 行代賭色罫紙使 用.「名酒製法詳 記」と同内容 r 榊原芳野 1月18 日 醤油集乳稿本 彩色図入 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 醤油造諸道具雛形 総葛 野田町(巻頭:「醤油仕 三道具記」) 醤油醸造細調書 第一大 白竹十二:寸寸総葛野田町 醤油造塔代戸辺与四郎茂 三七左衛門代松崎甚助組 頭石塚藤七 印旛県 明治5 御役所 年5月 下総国葛飾郡野田町醤油 造惣代戸辺与四郎㊥役人 印旛県 明治5 御役人 年5月 ・惣代石塚藤七㊥ 25日 紙高24.7cm 衆中 『国立国会図書館所蔵個人文庫展』2「古典籍探求の軌跡」25頁参照。 織物浮説 写本 1冊 26.4×18.8cm <830−48> 書名は元表紙書外題による.標目ド綴錦.五日市黒八丈.結城紬木綿.下館木 綿子子振.桐生織物.奈良晒.津繧.掛川葛布.都留織物.兵主縞布.晒布. 八幡蚊蠣.近江縮緬絹縮.長浜天鷲絨.高宮晒布.長浜三三.岐阜縮緬.八 反掛八入織.・精好折.紙布織.川股小網木綿物.小千谷縮.玖珂市木綿縮.博「 多織.干反掛精好.奉書紬.七子綾織.紹.紗.煎子.木綿縞.丁丁.紬木綿. 裂織;峰.山縮緬.宮津縮緬.美濃羽二重有為以下.・越前織物.玖珂木綿縮.河 内木綿.草棉.袋真田.段藍紋羽」.元ラベル:「ツ」.印影:「三園蔵」.大 正2年7月21日購求1 標題 作成者 宛先 織物総論 成立 備考 「博覧会事務局」 W行朱色罫紙使用 綴錦考 西村兼文* 神奈川県管下武州多摩郡 ワ日市村黒八丈織原由 「博覧会事務局」 W行朱色罫紙使用. s 一IOI一 、 以下「福岡県管下 筑前国那珂郡博多 津織物原由」まで 8行朱色罫紙使用 茨城県管下常陸国茨城郡 下館木綿晒噛水振原由 8行朱色罫紙使用 栃木県管下上野国桐生織 物之原由 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 「博覧会事務局」 「博:覧会事務局」 奈良県管下大和国乱晶晶 「博覧会事務局」 原由 8行朱色罫紙使用 三重県管下伊勢国安濃郡 清水村津繧織原由 8行朱色罫紙使用 浜松県管下遠江国掛川葛’ 布原由 8行朱色罫紙使用 山梨県管下甲斐国都留郡 織物原由’ 8行朱色罫紙使用 滋賀県管下近江国野洲郡 当主三塁布原由 8行朱色罫紙使用 「博:覧会事務局」 「博覧会事務局」 「博:覧会事務局」 「博覧会事務局」 滋賀県管下近江国野洲郡 野洲村晒布原由 「博覧会事務局」 ♂へ 、、 ノ L〆ノへ 8行朱色罫紙使用 A /「 ’\一ノ 滋賀県管下近江国蒲生郡 八幡町蚊蛎原由 「博覧会事務局」 .,一 .㌔ 8行朱色罫紙使用 犬上県管下近江国坂田郡 縮緬織絹縮織原由 8行朱色罫紙使用 同県管下近江国犬上郡長 浜町早撃絨織原由 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 「博覧会事務局」 「博:覧会事務局」 犬上県管下近江国犬上郡 し愛宕晒布原由 W行朱色罫紙使用 ・ u博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 ’ ひ 犬上県管下近江国犬上郡 長浜八幡町蚊帳原由 岐阜県管下美濃国厚見郡 岐阜紋縮緬織原由 8行朱色罫紙使用圏 宮城県管下陸前八反掛井 八入織ノ原由 「博覧会事務局」 8行朱:色罫紙使用 宮城県管下磐城国刈由郡 白石町紙布織原由 8行朱色罫紙使用 福島県管下岩代国伊達郡 川股三綱木村織物原由井 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 「博覧会事務局」 「博覧会事務局」 織方方法』 〕 福島県管下岩代国信夫郡 福島町産信夫文字摺旧事 「博覧会事務局」 F 8行朱色罫紙使用 一102一 ミ 紙高25.2cm 印旛県管下下総国結城紬 木綿原由 柏崎県管下越後細魚沼郡 小千谷縮ノ原由 8行朱色罫紙使用 山口県管下周防国玖珂郡 玖珂市木綿縮緬原由 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 「博覧会事務局」’ 福岡県管下筑前国那珂郡 「博覧会事務局」 博多津織物原:由 8行朱色罫紙使用 宮城県丁丁士族織物取捌 人伊藤為治,右為治ノ養子 伊藤竜蔵 宮城県白精好織物方法 宮城県々下一等戸長清水 惣三郎 明治5 「文部省博物局」 年5月 8行代血色罫紙使 用 宮城県管下仙台ノ産八反 掛織方法 明治5 「文部省博物局」 年5月 8行代血色罫紙使 p 足羽県管下越前国産物 博覧会 明治5 「文部省博物局」 事務局 年11月 8行代三色罫紙使 用 足羽県権大参事千本久信, 足羽県参事村田氏寿・ 23日 豊岡県管下丹後国中郡峯 山縮緬原由 8行朱色罫紙使用, 丹後国論佐郡宮津近傍産 縮緬 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 「博覧会事務局」 (豊岡県)概説三三 「豊岡県」10行青 色罫紙使用.1 ? 23.4cm.「豊岡県 F 管下丹後国中郡峯 山縮緬原由」「丹 侯国与佐郡宮津近 傍産縮緬」と同一 (縮緬値段につき)記 岐阜県縮緬職片桐文治郎 ㊥十八左衛門㊥ 岐阜県 明治5 御役所 年6月 (羽二重等につき記) 製造三人惣代笠松村玉井 伊兵衛㊥ 岐阜県 明治5 御役所 年6月 (美濃羽二重等につき)記 笠松村玉井忠造㊥玉井伊 兵衛㊥ 岐阜県 明治5 年6月 御庁 (奉書紬等につき記) 足羽県権大参事千本久信㊥, 博覧会 明治5 「足羽県」8行黒 事務局 年11月 色罫紙使用.「足 足羽県参事村田三寿㊥ 羽県管下越前国産 23日 物」と同一 、 木綿縮仕立手続概略 玖 珂郡玖珂市 玖珂郡玖珂市 面高25.6cm 縮布仕立手続概略 玖珂・ 部署 玖珂市 引高25.6cm [山臼県織物](覚書) 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 河内木綿検査表 泉州大鳥上躯産物 「堺県」黒色8行 一103一 甘藷旧説・三三説 写本 1冊 26.8×19.2cm <830−51> 書名は元表紙書外題による.元ラベル:・’ uナニ」.旧記 「杉三蔵」.大正2年 7月21日購求 標題 作成者 甘藷旧説(巻頭:「甘藷」) 江夏干城 成立 宛先 備考 「博覧会事務局」 .8行朱色罫紙使用 神山県下産甘藷旧説 大蔵権三三安岡百樹写生 狩野良信 明治5 彩色図入「博覧 年8月 会事務局」8行朱 色罫紙使用.巻末 .中溝 「心葉ノ説者神山 県下ニテ書画ル」 とあり 、 (旧説) 彩色図入’(後半2 江夏干城 丁は祐尚写).「博 鼠 覧会事務局」8行 朱色罫紙使用 密総説 江夏干城 \ 1ノ ㍗ゴ L 「博覧会事務局」 W行朱色罫紙使用. 第1丁に「杉高蔵」 印あり 密雲蜂蜜三ツ藩 図入.「博覧会事 務局」8行朱色罫 紙使用 蜜蜂蓄養法 若山菊地喜太郎 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙.1 「博覧会事務局」 (蜜・蝋・油・根菜等調査) 8行朱色罫紙 「密 蜂蜂蜜三ツ藩」を 含む 「博覧会事務局」 神叩方法概聞記 8行朱色罫紙使用 京都陶磁器説4巻写本(明治5年11月序) 1冊 26.5×18.9cm <830−53> 元ラベル:「フ」旧記:三園蔵1大正2年7月21日購求.附 陶器図説草稿 (「博覧会事務局」8行朱色罫紙使用) 細工物略説 写本 1冊 26.7×19.Odm <830−46>、 書名は元表紙書外題による.標目:「人形丁丁丁丁.束.奈良人形.一同団扇有 ,一 @104 一 石竹器.尾張ゐむしろ.’大津:鞭.杖.針.永口藤蔓細工.長門籐細工.静岡竹 工.簿笠.あみ笠」.元表紙「フ」.印記:「三園蔵」.大正2年7月21日購求 標題・ 宛先 作成者 成立 備考 人形毛植旧説京都府 「博覧会事務局」 奈良人形 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 奈良団扇 8行朱色罫紙使用 図入.「博覧会事 大阪府下摂津国有馬郡竹 器由縁言 務局」8行朱色罫 紙使用, ︸ 彩色図入 尾張国春日井郡小田井村 藺席図説 近江国物産鞭杖製造取調 栗太郡:草津村喜多村九右’ 書栗太郡草津村(巻頭、: 「近江国栗太郡種津村名 衛門 滋賀県 明治5 年5月 御三 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用、 産鞭」) 博覧会二三奉差上品三三 栗太郡草津村鞭商業三代 書栗太郡草津村 辻重兵衛[作成].1右御用 懸り喜多村九右衛門 滋賀県 明治5 年5月 御三 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 28日 [添書] 国産物品滋賀郡大津大谷 針明細取調書 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用。 / 付:製塩機械及執 業分課之図(彩色 }) 近江国甲賀郡水口村出産 藤細工明細書(巻頭: 「近江国甲賀郡水口扇面 藁細工の起源由来十二十 造記録」) 長門国萩住中山千之進 由来 彩色図入「葛輩 年6月、 三章」作成者:西 村藤七 明治5 例 山口県下長門国籐細工之 藤細工三三三方西村藤七 ㊥,山中喜三郎㊥胎文平 ㊥利田寂寂㊥大野六郎平 ㊥抽木長三郎㊥武河新七 ㊥[作成].甲賀郡水ロ村 年寄大野善平㊥庄屋沢田 周三郎㊥第四区副戸長兼 同森井善九郎㊥[添書] 明治5 彩色図入.「博覧 年6月 会事務局」8行朱 色罫紙使用 図入.「博覧会事 静岡県下竹井製造旧記 し 務局」8行朱色罫 紙使用 簿笠製造図会−甲賀郡下 甲賀郡下田村年寄山中若 滋賀県 明治5 r田村(巻頭:「甲賀郡下 与門㊥洞谷口作型門㊥, 同谷口五平㊥,庄屋山中嘉 水ロ御 年5月 出血 田村製造竹皮笠」γ 一105一 彩色図入 十郎㊥第二区戸長喜多新 助㊥ 編笠ノ件之明弓取調書( 図入 、 内表紙:「湊地利博:覧三二 − 産物品ノ内近江国付子国 生郡八幡町編笠件之取調 覧 書附リ器械井野業ノ絵図」) 砂糖集説 写本 1冊 26.6×19;1cm <830−47> 書名は元表紙書外題による.元ラベル:「ナニ」.印記 「杉園蔵」.大正2年7 月21日購求 標題 作成者 宛先 成立 備考 (砂糖説) 「博:覧会事務局」 B行朱色罫紙使用 彩色図入.「名東 県産物局」12行朱 色罫紙使用.居曲 瓢 (阿波国甘藷説) 、 ﹁ 26.lcm ㌧− @ \ 黒砂糖 江夏干城 江夏干城砂糖旧説 江夏干城 砂糖旧説 江夏干城 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使肘 「江夏干城砂糖之 説」と同一内容 丹州大内郡十村乖居住亡 曽祖父向山周回砂糖製作 一件 白州高松第三十区本町百 二十二番士族向山好哉 明治5 「博覧会事務局」 年7月 8行朱色罫紙使用 附:向山翁沙糖開 翼廊/高尾養撰 ’(弘化3年) 二二糖製法図説 彩色図 甘薦糖製法図説 (駿河国産)甘薦姻培養 井砂糖製法の記 図.前項と同一内容 佐々井半十郎・ 「博覧会事務局」’ 8行朱色罫紙使用 駿河国製糖自説図解 図入 静岡県下駿河国之説 甘 蕨培養井砂糖製法ノ記 」 でヒ 「駿河国産四四燗 培養井砂糖製法」 の記と同一内容 1 タ岡百樹[著].狩野良信[図] 甘薦記45 後藤三春、 「駿河国製糖旧説 図解」と同一内容 ︶ 静岡県下製糖書説図解 明和元 安岡百樹写(明治 つ 厄 丁丁 一106一 6年1月31日).附: 「丁丁記附録」「三 蚕桑集成4巻附録1巻 渋沢栄一閲.南部三三.宮本三平画図・赤松幽静校合 写本明治5年8月序 1冊、写本 26.4×19.Ocm <830≧62> 元ラベル:「ナニ」.印記:「三園蔵」「有住蔵」.大正2年7月21日購求 附:蚕桑集成附録試験表.蚕桑集成附録旧稿図解之部(「博:覧会事務局」8行 朱色罫紙使用).養蚕方御下問答議/石幡橘平(印記:・t有住蔵」) 1漆器舞舞漆樹採収 写本 1冊 26.9×19.1cm , <830−44> 書名は元表紙書外題による.標目:「漆器説。漆器製法図.漆樹及旧著説. 吉野漆詳説.遠江漆製造書.漆三図.採収器具.輪島津製造由来.阿波国漆 採寸略記.漆液掻取骨法.津軽塗取調書.越中国漆器説.紀伊国黒江漆工譜」. 元ラ球ル:「フ」.旧記:「杉園蔵」.大正2年7月21日購求 標題 差出 漆器説京都府 [京都府] 作成年 備考 宛先 ’ 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 鉛筆書図 漆器製法図 図略朱筆混交. 武田昌義山崎董澄 幅面癖画面説 「博:覧会事務局」 、 8行朱色罫紙使用. 東北地方説明 彩色図入.一部図 は鳩峰による 吉野漆詳説 P 漆製造書上 遠江国敷知郡助信村名主・ 内藤三郎四郎㊥ 浜松県 明治5 年4月 御庁 図入 彩色図 駿河国産漆の図,[採収器 具等図] 彩色図 漆工作業図 輪島漆器製造由来並手続書 .能登国鳳至郡輪島鳳至町 橋本忠吉代判副郷長高森 万次郎㊥ 七尾県 明治5 御役所 年7月 9日 書名は標目による. 阿波野漆採収略記* 明治17年8月官報 ﹂ 抜粋.小杉による 後補, 書名は標目による. 漆液掻取概法匁 明治19年11月15日 農商務公報第21号 抜粋.小杉による 一107一 後補 唐塗漆器調書 陸奥国津軽郡第三区弘前 ョ屋町唐塗漆器家業六十 「博覧会事務局」 W行朱罫紙使用 オ番屋敷青海三兵衛 越中国射水郡漆器之説 越中国射水郡第十七大回 明治5 「文部省博物局」 iェ町塗物細工職石井勇助 N6月 W行代緒色罫紙使 p 越中国射水郡第十七大区 明治5 前項と向一内容, u料紙箱出来方手続奉書 iェ町塗物細工職石井勇 N6月 繻 」) 紀州名草郡黒江村漆工図説 芙 P3日 (高岡塗物書上書)(巻頭: P3日 総代坂口利兵衛青木利兵衛 十種略説 1冊 写本 26.5×19.Ocm 彩色図入 ’ 一・ ’ 〈830−63> 書名は書外題による.’標目「青花紙. ’薫物.紺青.岩紺青岩緑青.,雲母.赤 滝三島他石類数回砥石・黒鉛・興野・ 虫白蝋.樟脳」.f印記:「三園蔵」.木 正2年7月21日購求. 標題 作成者 青花紙説ゴ 山本章夫 ∼ 宛先 成立 ’(明治6 年1月) 江州栗田郡山田青花検査表 山本章夫,宮野昭,田中宣之 備考 事務局」「博覧会 8行朱色罫紙使用. 『教草』と同一 (明治5 年頃) 近江山田青花製造之図 丁丁[画] 薫物旧説京都府 熊谷久兵衛 彩色図 図入.「博覧僻事 務局」8行朱色罫 紙使用 美濃国土岐郡下石村生産 紺青書上帳 (下石村)副戸長安東東三 郎㊥,三戸長林甚助㊥.戸 長加藤周助㊥ 岩蟹録青荒石産地井製法 略書 (巻頭:「岩紺青 長門国美祢郡長登村’ 岩録青荒石産地銘書」) 「雲母製方ノ略説井図」) 明治5 年7月 明治5 「田芳」朱円舞あ 年5月 ・り.各丁に鉛筆 書(三十九∼四十 四)あり 一 ﹄ 周防吉敷郡小字村雲竿石 半方略説三図(巻頭: 岐阜県 製造人吉敷郡上小十村畔 頭鰐石上左衛門組伊藤小 市郎 内表紙右肩に「丁 芳」朱円印.表紙 に「写済」とあり. 各丁に鉛筆書(四 十五∼七) 福島県石之部 「博覧会事務局」 、 8行朱色罫紙使用 梅ケ畑本山越砥旧説 京 都府 一) 図入.「博:覧心事 務局」8行朱色罫 紙使用.. 一108一 ズ’ 彩色図入.「博覧 (黒鉛・白蝋二二) ?末ア局」8行朱 F罫紙使用 (石三等につき)記 博:覧会 八代県 明治5 末ア局 N7月 「八代県」8行青色 r紙使用 「博覧会事務局」 薩摩鉱山 W行朱色罫紙使用 樟脳井硫黄硝石二二説 「博覧会事務局」 江夏干城 W行朱色罫紙使用 殖三略税 写本 3冊 27・3×20・Ocm <830−45> 書名は元表紙書外題による.標目:上「菰米.稲穂図.紫草.紅藍.嚥脂.二 種人参.漢種防風.朝鮮種黄苓.漢種註記.木香.台州烏薬.朝鮮種山茱萸. 漢種呉茱萸1同百部根.同庁茂一s丁丁.丁丁.地黄.牛縢.六喩.桔梗.独活. 牡丹皮.薄荷.黄連■t旧記子.大喪.三種藁本;当帰.三種貝母.同延胡索. 首回母.同下心.同白尤.同士乖.同母喪仁.荊芥.欝金.紫蘇.香藷紅花. 山楯子.胡妻子.惹藪仁.前壷.竜胆.天南星.商陸.瓜連仁.’白桃花.烏梅. 五味子.木天蓼.桑白皮.混和,神麹.土佐人参.津軽阿片.小倉桔梗.沙参. 青森植物.1 寥ヤ.四方竹.実竹」.中「筑羽子.吉野櫃i.栗.ナラ槙実.紀伊 ミかん培養図.旧いとか橘当直.柿.信濃白柿.美濃柿油.柿渋.大和渋」.・ 下「なんじゃもんじゃ.木曽凄味.名取川埋木.杉板.巨竹.雲文竹.竹島竹. むささび.讐頭亀.ながら川の鵜飼.同毒ゆ.名取川鱒,金魚真珠介。桔梗 唄.毛だに」.元ラベル:「ナニ共三」一一印記:「杉山蔵」大正2年7月21日購求 上巻 作成 備考 標踵 差出1 宛先 菰米取調書美濃国詞芸 S有尾村 美濃国多芸郡有尾村戸長 c中藤左衛門 岐阜県 明治5、 図入 莓 N7月 下種ヨリ一切培養之方 美濃国不破郡赤坂村戸長 明治5 「博覧会事務局」 誾エ宗太郎,同副矢橋孫一, N8月 W行朱色罫紙使用 ッ矢橋勝三郎 書名は標目による. 稲穂図 ハ色図 彩色図添付.「博 小倉巴里草説 莱?末ア局」8行 髏F罫紙使用, 紅藍旧説 武田昌義山崎董栓 朱筆混交.「博覧 ?末ア局」8行朱 F罫紙使用 韓種人参旧説 武田昌義山崎三三 一109一 朱筆混交.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 大和宇陀二丁テ製シ丁丁 品ノ目録井精巧品若干井 森野藤太,[森野]繁通[述] 標目「漢種防風」 から「三三」まで 46 右二関係致:候詳説 土佐国高岡郡仁井田郷人 参培養記 高知県土佐国高岡郡第五 ・十二区仁井田郷寄留士族 堀内六蔵安国 明治5 年5月 13日 [青森県]津軽阿片調書 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 「青森県」8行青色 罫紙使用、 小倉県下桔梗 彩色図添付.「博 覧会事務局」8行 ’朱色罫紙使用 小倉県下直参 彩色図添付「博 覧会事務局」8行 朱色罫紙使用 青森県丁丁物部 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 宮城郡利府郷加瀬村十府 菅菰由来 宮城県管下宮城郡戸長本 郷貞吉 明治5 「宮城県」8行黒色 年5月 罫紙使用 宇多郡駒ケ嶺村四方竹ノ 宮城県管下宇多郡戸長寺 島鎮三郎 明治5 「宮城県」8行黒色 年5月 罫紙使用 宮城県管下宮城郡戸長本 郷貞吉 明治5 「宮城県」8行黒色 年5月 罫紙使用 由来 宮城郡福浦島実竹由来 中巻 標題 差出 作成 備考 筑羽子記 新治県管轄第 二大区小四三三常陸国筑 波郡筑波町 新治県管轄常陸国筑波郡 明治5 彩色図添付.紙高 筑波町戸長吉備万寿吉㊥, 副戸長八木下精一㊥,三三 東三郎㊥ 年9月 24.1cm 宛先 ノ 12日 吉野極 「博覧会事務局」 ㌦ 豊岡県概説ノ内丹波丁丁 上郡岩屋村産出 「博:覧会事務局」 10行朱色罫紙使用 筑摩県下木曽ナラ丁丁井1 王滝村名主松原彦右衛門 園山製法書 明治5 年6月 南紀有田川堤上ヨリ宮原 言及山腹瑞橘培養画図 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 彩色図5図 ρつ 、(ほか) 柿之説 8行朱色罫紙使用・ 信濃金田帰逸 r 一110一 明治4 年11月 彩色図2図 渋ヲ取ル柿写生 三三[画] 加茂郡蜂屋村名産枝柿 加茂郡蜂屋村戸長堀部九 ス㊥(文書により副戸長 ヘ合金蔵,副戸長美濃和 カ蔵の名が見られる) 唯識並柿油説 岐阜県 莓 明治5 N6∼ V月 文書5通により構 ャ 「博覧会事務局」 山本章夫 W行朱色罫紙使用 柿ノ木調書 丁丁飯田高坂督三郎 明治5 図入 N11月 大和渋検査帳 下巻 標題 差出 宛先 新治県下下総国神崎神社 神崎本宿戸長寺田敬三郎,・副戸長平野甚左衛門 新治県 明治5 芬O 苣_木明細書 作成 備考 「博覧会事務局」、 N9丹 W行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 筑摩県下木曽山内材木仕 信濃国筑摩三木曽福嶋町 筑摩県 明治5 o手順 コ林半平 芬O N10月 W行朱色罫紙使用 [宮城県埋木]名取郡名 宮城県管下国分町戸長清 明治5 「博覧会事務局」 謳??リノ由来 ?y三郎 N5月 W行朱色罫紙使用 小倉県下杉板 「博:覧会事務局」 W行朱色罫紙使用 浜松県下遠江国城東郡加 鈴木陸平周章良一郎 ホ車幅竹書 明治5 「博覧会事務局」 N6月 W行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 (日吉大神ニツキ) W行朱色罫紙使用 ≠、 「上県下半文竹 坂田郡西上坂村順慶寺 犬上県 明治5 「博覧会事務局」 苒。 N4月 W行朱色罫紙使用’ 「博覧会事務局」 竹島ノ竹 W行朱色罫紙使用 ・紙高24.6cm 三三 双頭隠隠出候添書 名東県参事久清断三㊥ 博覧事 明治6〆 「名東県」8行黒色 ア局 N3月 r紙使用.添書の ン.紙高24.7cm Q8日 彩色図入 美濃国長良川鵜飼の説 (鵜飼二付回答書) 厚見郡岐阜魚屋町杉山半 沽Y加納松右衛門 名取郡名取川鱒ノ説 金魚 岐阜県 莓 明治5 「内務省」13行朱 N6丹 F台紙使用 宮城県管下名取郡戸長小 明治5 「宮城県」8行黒色 q長太郎 N5月 r紙使用 井口直樹 ノ 一111一 明治6 「博覧会事務局」 N1月 W行朱色罫紙使用 5日 ,「長崎県」8行黒色 大村真珠介説 r紙 桔梗貝之記 第一大区三九区常陸国筑 g郡足高村副戸長和泉権 新治県 明治5 莓 N10月 、 ¥郎㊥,戸長谷口弥一郎㊥ 秋田県下毛蜻略説 秋田県 明治5・ 「博覧会事務局」 N6月 P0行朱色罫紙使用 製茶説 写本 1冊 26.5×18.9cm <830−54>・ 書名は元表紙書外題による.元ラベル 「ナニ」.印可 「杉園蔵」.大正2年 7月21日購求 標題 作成者 8 宛先 成立 製茶悉皆執行三図,茶樹之 図鑑之実之三三之木三図, 備考 彩色図入 製茶図説 彩色図 甲賀郡土山村 茶之葉之図 、 製茶一式器械之図 湊地利博覧会二付国産物 品明細取調書上帳 甲賀 郡土山村 彩色図 甲賀郡土山村 甲賀郡第五区北土山村立 岡長兵衛㊥竹嶋万右衛門㊥ 滋賀県 御庁 明治5 年5月 「博覧会事務局」 深津県産亀石茶由来書 8行朱色罫紙使用 [高知県]土佐国安芸郡 小牧伝平直方 煬エ野産出シ茶詳説 赤茶製法 明治5 「 表紙に後筆「高知 N5月∫ ァ」 明治5 嬉野式浪村山ロ卯右衛門 ,年9月 「壬申九月藤津郡・ 不動山村山口健蔵」 − 自然茶之説 「佐賀県」8行黒色 罫紙使用.巻末 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 江夏干城 (鹿児島県・都城県茶説) 「博覧会事務局」 (巻頭:「茶」) 8行朱色罫紙使用 。 石油石炭略説 写本 1冊 26.9×19.2cm <830−61> 書名は元表紙書外題による.元ラベル:「ナニ」.印記 「杉園蔵」.大正2年 7月21日購求 成立1 備考 標題 作成者 宛先 石油御書上(巻頭:「御国 亭亭高畠上村阿部慎一 、 柏崎御 明治5 一112一 「博覧会事務局」 産艸生水之儀御尋二三以 役所 口書亭亭上子」) 年8月 8行朱色罫紙使用 3日 草生水出数書 石弓回書 (ママ) 類柏崎県(巻頭:「頭 右叢々代置雲藤寺新田池 田九平高野新田鈴木信平 柏崎県 明治5 年9月 御尋 城郡達野新田最寄拾ケ村 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 27日 草生水油回数書上」) 石油出所御書上(巻頭: 苅羽郡岩上村阿部慎一 「草生水出所御尋二付乍恐 柏崎県 明治5 御役所 年9月 以口上書奉申些事 三嶋 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 29日一 巨岩田村」) 石油出処御書上(巻頭: 「御国産草生水出所御尋 二十乍恐以口上書奉申上 候 頸城郡松之山郷大荒 苅羽郡岩上村阿部慎一 柏1三三 明治5 御役所 年9月 「博:覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 戸村」) 越後国妙法寺村石脳油越 後国柄目木村石脳油 矢島並幅 石脳旧説 長野県. 明治5 「博覧会事務局」 年7月 8行朱色罫紙使凧 明治5 「博覧会事務局」 年5月 8行朱色罫紙使 用.付あり47 22日 [駿河国益頭郡越後島村 豪農甲賀伊兵衛邸中火井 「博:覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 につき] (石脳産出之地名ケ所掘 出之手続等につき回答書) 第弐拾三区蒲原郡柿目木 新田天ケ沢新田右両三草 生水油稼人柿目木新田庄 屋真柄茂雄塩谷村金沢村 右同断同村農真柄富左衛 新潟県 明治5 御三. 年8月 「博:覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 23日 門,右両人煩二付代柿目木 新田庄屋真柄道三郎 熊鼠略説 新竜吐水略図 (巻頭:「石炭略説」) 山口県炭弓懸(押紙にて 抹消) ‘ 明治5 彩色図入.「博:覧 年6月 会事務局」8行朱 色罫紙使用 (押紙 抹消) 造紙説 写本 2冊 26.5×19.Oc血 i〈830−65> 書名は元表紙書外題による.元ラベル 「フ一二」.注記 「杉園蔵」.大正2 年7月21日購求 上巻 標題 作成者 岐阜県下造紙之説 武儀郡領有二村製造訴人 ウ村平兵衛元享正字木市 宛先 一113一 成立 備考 明治5 彩色図入.「博覧 N6月 ?末ア局」8行朱 色罫紙使用 三右衛門 越前紙漉図説 博覧会 7明治5 事務局 年9月 越前国鶴賀県管轄今立郡 岩本村小林忠蔵 附:奉書壱巻之 上り覚(値段書付. 紙漉堅石老村加藤 助右衛門[差出]. 小林忠蔵[宛].明 治5年9月2日作成) 下巻 宛先 作成者 標題 成立 備考 四国産諸紙憶説 彩色図入 阿波国 第五号 雁皮紙 彩色図入.「博覧 サ造ノ発端 ?末ア局」8行朱 F罫紙使用 岐阜県下根尾紙之事 (美濃国)本巣郡市場村元 g頭小野嶋庄之右衛門48 岐阜県 明治5 莓 N6月 彩色図入.「博覧 ?末ア局」8行朱, F罫紙使用 .「博覧会事務局」 新川県下紙製方 W行朱色罫紙使用 @r 、 「博覧会事務局」 新川県下人造物 P0行朱色罫紙使用 『国立国会図書館所蔵個人文庫展』’2「古典籍探求の軌跡」25頁参照。 染物織物丁丁略説・写本 1冊 26.4×18.7qm”” <830−49> 書名は元表紙書外題による.標目1「かのこ染.友禅染.あかね染.ずみ. 黒八丈染・三三きぬち・“み・うづら織・びらうど☆都留一聯八反掛・白 精好.生綜製方」.元ラベル:「フ」.印記:「杉園蔵」.大正2年ブ月21日購求 標題 宛先 作成者 成立 備考 「博:覧会事務局」 鹿子染之説 京都府 W行朱色罫紙使用 、 図入.「博:覧会事 友染悪説京都府 ア局」8行朱色罫’ ?g用 「博覧会事務局」 , 茜製井染方梗概 W行朱色罫紙使用 煎樵製法 明治5 三三直樹 紙高24.4cm N7月 三三製法 物産黒八丈三種書上 c 武州多摩郡五日市村元名 神奈川 蜩y屋勘兵衛 ァ御庁 N8且 一114一 明治5、 「博覧会事務局」 W行朱色罫紙使用 10日 縮緬丁丁丁丁立方御届書 縮緬仲閲年行司共(巻 縮緬イ中間年行司室村西川 嘉平㊥,長浜大町増田孫七 頭:「縮緬織立方申上」) ㊥掘田村馬場七三㊥ 天鷲丁丁丁丁法之丁丁 長浜町天鷲丁丁丁丁代八 幡町加藤与四太郎㊥ 犬上県 明治5 年5月 御三 甲斐国都留郡織物製造由 来書上 甲斐国都留郡第二区上谷 村邑木与次右衛門㊥ 年8月 内表紙右肩に「品 犬上県 明治5 年5月 .物未載」とあり 御三 24日 明治5 図入.附:「甲斐 国都留郡在来機 具三図」 生糸糸制法略説 御用掛信夫藥 彩色図入.』「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 ’美濃郡上産生糸三位,郡 上一三製出概算.生糸手 挽回造方概説.生糸仕揚 相底概算.同車換製造方 概説 美濃国郡上産生糸価積書 岐阜県管下郡上郡八幡町. 宮川五平治㊥ 一年6月 美濃国郡上郡単二町宮川 五平治㊥ 年6月 明治5 明治5 } 凄 生糸製方図 恵那郡付知村曽我長四郎 [宮城県]仙台ノ産八反 藤織方法 宮城県貫属士族織物取捌 ’ 「宮城県」8行黒色 人伊藤為治,右為治養子伊 藤竜蔵 ’ 罫紙使用.『織物 集説』「宮城県管 、 幅阜県下(繭製造三二付) 岐阜県 明治5 年6月 御庁 彩色図入「博覧 会事務局」8行朱 、 F罫紙使用 下仙台ノ産八反掛 織方法」と同一 白精好織方法 宮城県々下一等戸長清水 惣三郎 明治5 「宮城県」8行黒色 年5月・ 罫紙使用.『織物 旧説』「宮城県自 精好織物方法」 と同噌 三三集説 写本 1冊 26.9×19.2crn <830−56> 書名は元表紙書外題による.元ラベル 「ナニ」.、印記 「杉堅蔵」.大正2年 7月21日購求 標題 作成者 姻草之説 安岡百画狩野良信 宛先 成立 備考 彩色図入.「博:覧 ?末ア局」8行朱 @σ 色罫紙使用.附: ロ薬豊北図解.・千 ∠t隠草.庭山食 一115一 姻草’ 山本姻草之説京都府 彩色図.「博覧会 事務局」8行朱色 罫紙使用 煙草 タバコ 奈良県 一 伊勢国三重郡千草村三三 丹波修治 明治6 年10月 之説(巻末:「姻草之説」) 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用. 煙草生育之説.木:更津県 「博:覧会事務局」 下上総国周回郡小糸川近 傍産 1 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 宇都宮県下 姻草 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 小田県下豊松煙草之説 10行朱色罫紙使用 覧 Y状 山ロ県出張所 山口県管下煙草 山口県 博覧会 明治6 「博覧会事務局」 事務局 年1月 8行朱色罫紙使用 ユ0日 博覧会 明治5 事務局 年11月 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 目録 8行朱色罫紙使用 届 於赤間関葉煙草入出湊御 東細江町福田五左衛門,西 南部町増谷八十右衛門 [差出].第一区副戸長伊 支庁 明治5 「博覧会事務局」 年3月 8行朱色罫紙使用 、 .藤房次郎[添書] (煙草十段二十キ)覚 下ノ関東細江町福田五左 衛門洞西端町上村太次郎 明治5 「博覧会事務局」 年10月 8行朱色罫紙使用 彩色図入,「博:覧・ 名東県管下燗草 会事務局」8行朱 “ 色罫紙使用 都城県下国府煙草ノ説 戸長山内孝左衛門 博覧会 明治5 「博覧会事務局」 事務局 10行朱色罫紙使用 年6月 御掛リ 江夏干 城 、 鹿児島県管下薩摩姻草誌 戸長山内孝左衛門 博覧会 \ セ治5 事務局 年6月 、 御掛リ 江夏干 城 都城県管轄国分郷煙草言鴇 「博:覧会事務局」 8行朱色罫紙使用 c 「博:覧会事務局」・ 8行朱色罫紙使用 図入.「博覧会事 鹿児島県管轄桜島煙草説 務局」8行朱色三 一116一 務局」紙使用 鹿児島県管轄揖宿郷 「博:覧会事務局」 m煙草説] W行朱色罫紙使用 都城県管轄小根占郷 「博覧会事務局」 m煙草説] , W行朱色罫紙使用 三三・宇治茶詳説 写本 1冊 26.7×19.Ocm <830−41> 求 ともに図は省略.元ラベル 「ナニ」.当屋 「三園蔵」.大正2年7月21日購 内容:茶誌3巻/山高信離(「博覧会事務局」8行朱色罫紙、補筆、訂正あり). 宇治茶集解 銅器之説’ ハ本 1冊 26.9×19.3cm <830−42> 書名は元表紙書外題による.元ラベル 「ラ」.旧記 「三園蔵」.大正2年7 月21日購求 標題 作成者 銅器旧説 伊藤平兵衛竜文堂安之助 宛先 成立 備考 図入 説(巻1),中川幽趣説 (巻2),金谷五郎三郎説 (巻3)藤屋九兵衛説 (巻4)金谷五郎三郎,中川 寸志説(補) 図入.「博覧会事 務局」8行朱色罫 紙使用, 栗田郡鋳物師太田猪三郎 高岡金物製造由来並手続 書(巻頭:「銅器製造由 第十七大区高岡町金物屋 惣代水野佐七郎㊥[差出] 第十七大区副戸長杉村義 し 鋳物職器械一式井執業一 切ノ図 近江国栗太郡辻村 来書旧事」). 滋賀県 明治5 御三 年5月 七尾県 明治5 御役所 年7月 彩色図入.「博覧 会事務局」8行朱 色罫紙使用 図入 成㊥[添書] 越中国射水郡銅器旧説 越中射水郡第十七大域高 岡町金物職金森宗七 明治5 「文部省博物局」 年6月 8行代賭色罫紙使 17日 用ヒ 美濃国武儀郡関村打刃物 調書 戸長鹿取彦兵衛 岐阜県 明治5 御役所 年6月 二二あわせて「関 打刃物井小道具調 美濃国武儀郡関村打刃物 井二小道具調書’ 副長広瀬惣右衛門,戸長鹿 取彦兵衛 岐阜御 明治51 県御役 年6月 書美濃国武儀郡・ 一117一 関村」と内表紙あり ︿ 武州足立郡川口町鋳物製 造方戸井開元略記図共 埼玉県 明治5 金山三井金吹器械略図 山口県長門国美祢郡長登村 図入 年5月 陶器集説 写本「、4冊 26.5×18.7∼26.8×19.2cm <830−50≧ 書名は元表紙書外題による.標目:第1冊「京都栗田三五条阪焼.近江信楽 国分.尾張瀬戸赤津.美濃高山多治見.加賀九谷」.第2冊「尾張瀬戸赤津美 濃高山多治見下石.下野足利郡三崎」.第3冊「近江甲賀郡神山同信楽庄長野. 京都栗田焼五条書室」.第4冊「備前伊部.長門萩松本.筑前須恵高取上野.肥前 有田。肥後三千郡高田.肥前三河内赤絵.薩摩高麗丁丁黒朝鮮.より被召渡留帳 同由来記.陶器沿革史.有田沿革史」。元ラベル:「フ共四」.印記:.「杉園丁」. 大正2年7月21日購求 第1巻 標題 宛先・ 作成者 成立 備考 京都葦条阪焼陶器検査表 栗田焼陶器検査表 彩色図入 近江信楽井国分之磁器 彩色図入 瀬戸磁器 赤津村陶工起元 美濃国土岐郡二二陶器来 R出産製法図面書上帳 陶器世話人土岐郡高山村 明治5 [萱惣助㊥多治見村加藤 N6月 美濃国土岐郡製産陶器製 陶器世話人土岐郡高山村 @帳 [萱惣助㊥多治見村加藤 治㊥ 美濃国土岐郡製陶回書上帳 陶器製造起元之事 岐阜県 明治5 莓 N6月 A円治㊥ 土岐郡高山村深萱惣助㊥ ス治見村加藤円治 明治5 N6月 紙高24.1cm 九谷窯元中 彩色図 (茶壷図) 一ケ年造陶三窯之算当表 九谷窯元申 、 「博覧会事務局」 (ホウロクほか覚書) W行朱色罫紙使用, 町2巻 標題 宛先 作成者 成立 備考 「博覧会事務局」 瀬戸磁器 W行朱色罫紙使用. 謔P巻「瀬戸磁器」 ニ向一一 一 一118一 「博覧会事務局」 赤津村陶工三元 8行朱色罫紙使用. 第1巻「赤津村陶 工三元」と同一 瀬戸陶磁器調書覚(巻頭 「瀬戸邑磁器製造紀元」) 尾州春日井郡瀬戸村博覧 彩色図入.「博:覧 会御用懸り加藤峯太郎,同 加藤勘四郎,同加藤周兵衛 会事務局」8行朱 色罫紙使用1 適正加藤吉右衛門 美濃国土岐郡三三 陶器 来由出産製法図面書上帳 陶器世話入土岐郡高山邨 深萱惣助多治見郡加藤円治 明治5 図入.「博覧会事 ,年6月 務局」8行朱色罫 紙使用.巻頭肩に 「第二十号」と・ 朱書 美濃国土1岐即製産陶器製 陶器世話人土岐郡高山村 法帳, 深萱惣助,多治見村加藤円治 美濃国土岐郡製陶器書上帳 土岐郡高山邨深萱惣助,多 治見邨加藤円治 「博覧会事務局」 岐阜県 明治5 御役所 年6月 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 明治5 年6月 8行朱色罫紙使用 、 、 美濃国土岐郡製糸陶器製 翠帳. 陶器世話人土岐郡高山村 明治5 深萱惣助㊥,多治見村加藤 年6月 円治㊥ 陶器製造二二取調書上帳 美濃国土岐郡下石村 美濃国土岐郡下石村三戸 明治5 「博:覧会事務局」 年7月 8行朱色罫紙使用 栃木県 明治5 御役所 年7月 8行朱色罫紙使用 岐阜県 長安上東三郎,副戸長林甚 助,戸長加藤周助 栃木県焼物由来口上書 第五拾壱区足利郡椛崎村 橋本忠平 r 「博覧会事務局」 5日 第3巻 作成者 陶器製造員数取検査詳細 書上帳 近江国甲賀郡神 山村(巻頭:「乍恐奉書 甲賀神山村百姓代川口武 助㊥年寄神山市郎兵衛㊥ 庄屋神山桂蔵㊥同郡江田 村年寄藤田伊三郎㊥庄屋 辻徳右衛門㊥同郡小川村 年寄杉本甚右衛門㊥庄屋 村木長右衛門㊥同郡小川 出村年寄相米万助㊥庄屋 森喜十郎㊥同郡柳原村年 寄植西徳左衛門㊥同郡勅 使村年寄沢久次郎㊥同 宇多治郎兵衛㊥同郡牧村 年寄里見弥助㊥庄屋勝見 勘兵衛㊥同郡黄瀬村年寄 安田与八㊥庄屋田井中伊 蔵㊥ 上陶器製造取調覚」) 宛先 一. P19一 成立 備考 滋賀県 明治5 御庁 年5月 、 標題 陶器製造取検査図面書上 ?@近江国甲賀郡神山村 陶器製造員数取調詳細書 纈?@近江国甲賀郡長野 コ(巻頭:「乍恐奉書上 陶器製造取調書」)・ 1甲賀郡神山村百姓代Jil口 滋賀県 明治5 随芙?N寄神山市郎兵衛 A㊥庄屋神山桂蔵㊥ 芬O N5月 (近江国)甲賀郡長野村年 滋賀県 明治5 石野五兵衛㊥年寄奥田 ッ左衛門㊥庄屋加藤彦太 芬O 彩色図 r N5月 Y㊥ 陶器製造図面取調書上帳 長野村年寄奥田庄左衛門 滋賀県 明治5 ゚江国甲賀郡長野村 ?ッ屋加藤彦太郎 苒。 N5月 彩色図入 彩色筆 図 西京栗田陶器製造井機械図 五条三三製造三具三図 彩色図入 栗田焼製造諸具之図 (図) 一 図入 (久谷細工道具・審道具・ ゥ器竃之図) 彩色図入 第4巻 標題 宛先’ 作成者 成立 備考 図入.「博覧会事 伊部陶器 務局」8行朱色罫 紙使用 長門国阿武郡萩松本磁器 製造品説井器械之図 ド製造人坂高麗左衛門嫡子噛 松本焼楽焼由来製造之説 長門古松下村住陶工十三 輪東蔵 ゾ 、 次郎熊 明治5 年6丹 図入 し (筑前須恵陶器)・(巻頭: 「人造品之部第一号須恵陶 「博覧会事務局」 三主 筑前国早良郡福岡 醤油屋忠平 8行朱色罫紙使用 製火盒」) 第二号高取製陶器 (筑前上野)陶器 \ 「博覧会事務局」 亭主 筑前国早良亭亭原 村高取英一山口三三. 8行朱色罫紙使用 田川郡上野村吉田喜藤太, 渡三四郎,十時三十郎 8行朱色罫紙使用 八代県 く 肥後 漢国博覧会江差出 候物品御首 図入.「博覧会事 務局」8行朱色罫 紙使用 「博:覧会事務局」 「博覧会事務局」 博覧会 明治5 事務局 年ら月・ 8行朱色罫紙使用 29日 「博覧会事務局」 肥後国八代県高田郷陶器 之由来 8行朱色罫紙使用 「臨時全国宝物取 有田陶器製造概略* し T120一 調局」13行朱罫紙 使用.「明治十一 年取調」とあり ’ (陶器図) 長1崎県管下三河内磁器製 造血二起原略説附赤絵法 (巻頭:「長崎県管轄下第 六十四大区内ニノ小亭折 尾瀬帰臥川内ト云フ陶器 山」) 系図申伝覚 朝鮮人ユモ カイ人焼物師 三関 明治5 年10月 今村楚八 赤絵由緒 平戸三川内山 (巻頭:「赤絵由緒之事」) 図入.「博:覧会事 高麗伝陶器起元製造書 (巻頭:「薩摩磁器製造 務局」8行朱色罫 紙使用 起元之事」) 先年朝鮮より被召歩留帳 先年朝鮮より被召渡由来 記 笠野原 役人車金円㊥叫声雪辱益 ㊥与頭沈孟順㊥右同朴寿 悦㊥右回金旧庵㊥ 明治5 年5月 25日 役人車金円㊥右同鄭仙益 ㊥与頭沈孟順㊥右回三寿 悦㊥右七十孟庵㊥ 明治5 古文書5通の写か 年5月「 らなる 25日 陶器沿革史(巻頭:「陶 佐賀県肥前国西松浦官有 [明治 器史」) 田富(「磁」と朱筆訂正)戸 22年] 業会議所 刊行 有田沿革史(巻頭:「沿 佐賀県肥前国西松浦官有 革史」) 直音(「磁」と朱筆訂正) 活版印刷 活版印刷.明治16 年の記事あり 業会議所 陶器弁解 写本(明治5年序) 1帖 26.7×19.4cm 一 ’<830−134> 書名は翌翌箋による.折本.裏表紙は帝国図書館表紙のみ.彩色図入.元ラ ベル:「フ」.品品:「杉三蔵」.大正5年4月21日購求 序の作成者「栗田陶生丹山青海」は博:覧会に関与しているので、ウィー ン万国博:覧会の項に分類した。 、布面説 写本 1冊 26.4×18.8cm 〈830−55> 書名は元衷回書外題による・乖ラベル 「ナニ」・・ 丁丁 「杉園丁」.大正2年 7N21日購求 標題 宛先 作成者 芭蕉布之説 成立 備考 図入 遠州掛川融融苧之記 図入.「博覧会事務 南部陳 一121一 局」8行朱色罫紙 使用 鳥取県相模産地名井 「博覧会事務局」 二製法 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 葛布検査条例 8行朱色罫紙使用 「博覧会事務局」 鳥取県荒苧・・三三 8行朱色罫紙使用 苧麻通説 朱筆混交.「博覧会 武田昌義山崎董詮 事務局」8行朱色 罫紙使用 ’ 大麻著説 朱筆混交.「博覧会 武田昌義山崎董栓 事務局」8行朱色 罫紙使用 (芭蕉布説) 「博覧会事務局」 江夏[干城] 8行朱色罫紙使用 越後国魚沼郡白縮弓造始末 魚沼郡堀之内村副戸長張 田八郎兵衛㊥同宮治兵衛 ㊥戸長宮源左衛門㊥ 柏崎県 明治5 御役所 年8月 柏崎県越後縮織立方法 柏崎県管轄第五大群一型’ 区小千谷町戸長西脇清一 柏崎県 明治5 年9月 御三 7日 郎㊥平戸長野口囲兵衛㊥ 13日 一同断渡辺太左衛門㊥同断 野沢小:左衛門㊥鳳断広川 利兵衛㊥同断小島嘉兵衛 ㊥同断小船井喜右衛門㊥ 同段山本庄左衛門㊥[作 成].第五大区長佐藤半左 衛門㊥[添書] 越後国魚沼郡藍錆色カス リ縮製造普 越後国魚沼郡第二十六区 塩沢村戸副長青木佐吉㊥ 戸長井口六郎治㊥井[周 柏崎県「 明治5 御三 年8月 作㊥幽 縞紬仕立方 古志郡栃尾瀬村戸長品川 岩太㊥ 柏崎県 明治5 御役所 年9月 上 魚沼郡十日町(縮布 ⊆ 寶タ郡十日町副戸長根津 仕法) 五郎次㊥戸長蕪木八郎㊥ 戸長上村藤太㊥戸長三三 伊八郎㊥一 柏崎県 明治5 御役所 年9月 12日 !7日 蒔絵図塗物油絵回附 写本 1冊 26.7×19.2cm <830−60>’ 裏表紙は「博覧会事務局」8行朱色罫紙使用.元ラベル 「フ」6印記:「杉 r 一122一 土蔵」.大正2年7月21日購求「 内容:’ ェ絵記/池田泰斗(図入、鉛筆書)。塗物油絵法 〈830−58> 綿布難事 写本 1冊 26.7×19.2cm 元ラベル:「ナニ」.旧記:「三園蔵」.大正2年7月21日購求 成立 備考 苧麻培養製糸略図説(巻’ 東京織元社中 明治3 馳図入.畠山22.6cm ェ:「苧麻和名からむし」, ナ心:「織元商社」) N12月 標題 宛先 作成者 図 図 正木綿糸製方円織立方法 コ総国結城郡結城町 遠州齢綿轍之図 遠州産草綿旧記 z後国縮布製造唐虫製糸 ァ明治5 贒∫苑 』 N7月 近江国野洲郡兵主産縞布 セ細取調書 近江国野洲郡兵主産三布一々半弓之図 彩色図 近江国野洲郡兵主三三布 彩色図 孖B之函 細上布 @’ 彩色図入.「博覧 [伊地知小十郎述.江夏干 髟メ] ?末ア局」8行朱 F罫紙使用 宮城県管下宮城郡利府郷 宮城県管下宮城郡戸長本, 明治5一 「文部省」8行朱 チ瀬三十三菅菰由来 江州八幡武佐畳表検査表 ス貞吉 ’ N5月 F罫紙使用 山本章夫,宮野昭,田中宣之 ・「博覧会事務局」 深津県産藺草由来書 W行朱色罫紙使用 養蚕集説 写本 2冊 26.7×19.Ocm(第2冊子高1ま26.Oqm) <830−57> 書名は元表紙書外題による.元ラベル :「ナニ十二」.印記 ’』「杉弓蔵」.大 正2年7月21日購求 上巻 標題 養蚕蛆之論倦頭:「養 宛先 作成者 美濃郡上市人宮川孟弼 蚕試験三三布告奉報答之 壱」) 成立 備考 明治3 紙高24.5cm.付: 年8月 添状あり(郡上郡 八幡町宮川五平治 ㊥[作成].岐阜 県御役所[宛]. 一123一 明治5年6月) 加州経験養蚕説 金沢藩 里村隆介 明治3 N7月 紙高23.5cm.「受 t捌「神山」印あり 養蚕病思考(巻頭:「蚕 濃州郡上郡上市人紙屋五 明治3ゴ 彩色図入.紙高 フさなきに蛆の生する論」) ス治 N8月 Q5.2cm 養蚕方御下問御請書 濃州郡上郡上市人紙屋五 明治3 ス治 N9月 上(養蚕について) 京都府勧業掛附属矢嶋金 明治3 O郎 、 N7月 草稿繭種之部 F 図入.紙高26.2cm 明治5 「博覧会事務局」 N頃 W行朱色罫紙使用 成立 備考 下巻 標題 作成者 宛先 養蚕御下二二回申上之覚 夏蚕の説 桑弓の説 図入 春蚕卵紙の説 養蚕場巡行日記 n アスオアタムス 「博覧会事務局」 8行朱色罫紙使用. 巻頭に「千入百七 十年八月十日」と あり.巻末に「民 年 鴇 部省ヨリ丁丁シ第 一号報告書民部卿 伊達氏ヨリ二二シ 第二号報告書」と あり 蝋集説 写本 1冊 26.9×19.2cm[’ <830−52> 書名は元表紙書外題による.元ラベル 「ナニ」.印可:「杉斎蔵」.・大正2年 7月21日購求 「 標題 作成者 成立 備考 神山県下櫨蝋帯説(巻頭’「神山県下伊予国四三 大蔵権中塗安岡百樹,狩野 明治5 彩色図入 ヌ信 N8月 宛先 d連追想」) 虚妄製法図説 @ 彩色図入 @ ト 和歌山新旧町森善右衛門 ぐ 響子桐乃下種より製油迄 「博覧会事務刷 W行朱色罫紙使用 フ略記 差上目録 鴨田清次郎佐々井半十郎1 一124一 明治5 「博覧会事務局」 ’ 馨子桐ノ図 様実油製造願書 年7月 8行朱色罫紙使用 仰山画 彩色図 出石県願人山崎良三[差 o].静岡県差添笹田右十 Y[差添] 明治4 付:木実油製造 木実油 サ造社 N7月 Q日 K則/木実製造 ミ中[作成](明治 S年10月15日). @ し ’(ハゼロウ図) ?bQ4.9cm 彩色図ド 丹波修治溝口月耕 生蝋 豊:前全国 「小倉県」8行黒罫 ?g用 漆蝋著説 武田昌義山崎董栓 「博覧会事務局」 W行朱色罫紙使用 台木実製方書上若松隔 q五十六区九嶋村 若松県第五十六区九嶋村 明治5 リ主斎藤新大郎㊥野村戸 キ斎藤浜大郎㊥ N10月 物産蝋製法之事件長崎県 島原太田弁三郎 図入 明治5 N7月 蝋製法井器械之図「 島原太田弁三郎[述].産 ィ掛[差出] 明治5 図入.紙高260cm’ N7月 〈そのほかの小杉橿邨旧蔵書〉 「神楽大前帳 写本 1冊 20.9×13.4cm <831−110> 書名は内表紙書外題による.角書「屋代弘賢三三写本」.回書「三水白拍子」. 元表紙書二二「けいはり く・・様」.元ラベルあり.高義:「杉園山」.大正12 年7月16日購求 紀伊国古文書 本居内中編 写本 15冊 268×19.lcm 、<わ216−1/元請求記号=ね一43> 元ラベル:「サ五共十五」.印記:・「杉園蔵」「南葵文庫」.昭和8年12月20日購 求 内容:藩中文書.名草郡古文書.伊都郡古文書.那賀郡古文書.海部郡古文書. 在田郡日高郡古文書.牟婁郡古文書.古文書纂凡例W.藩領伊勢国松阪及田丸 文書 ・諸織物縞本三三 附録古代切張 写本(織物貼込帳)2冊 32.6×23.4crn(第1 冊)∼21.2×15.7cm(第2冊) <寄別3−3−3−3/元請求記号=ひ一84>・ .印鑑:「杉園蔵」(第1冊)「榊原家蔵」(第2冊)1大正5年9月22日購求 内容・:[麺:諸織物綿本集帳(御支配所上州山田郡桐生新町絹副次商三代小 一125一 暮久三郎新井長平書上嘉十郎組頭田中要一郎岩下雨冠組頭戸長謡扇金谷九 十郎,名主書上文入郎,戸長佐和安平[作成],栃木県御役所[宛].明治5年5月. 印記:「面心蔵」).[麺]:古代切帳(巻末に太槻配電識語あり.印記:「榊 原家蔵」) 目録編注記 (1)「明治廿年二月借狩谷望之手沢本加藤直種蔵本写 新井回心(朱書)/明治廿 年三月三.日借新井政毅本病之畢 川崎千虎」。と識語がある。 (2)成立は「明治壬申七月廿三日回心道人」により明治5年と分かる。「この青姿 説一冊画廊の蹟ある手沢本今加藤直種所蔵に帰するをかりて加之はしりかき ・に手間しをへぬ 漏出老人 青磁鑑定書ト云モノ別ニアリ、コ・二参着スヘ シ、其著(数字分空欄)日収ム」と小杉三三識語がある。森立之本識語「或 家収蔵節約本巻尾云云青姿説一巻菊庵奈須四所著凡十九張工十張余所自写後 九嫡孫女面所書寛、校正文字即手親糊釘為冊子 明治丙子八月廿五日面面森 立面」を移写している。 (3>巻末に「南部晋か白川家の原本に就てうつしとれるをこひ得て余が秘架にお く 老杉園主人㊥」と小杉橿邨識語がある。 (4)巻末に「右以神祇伯雅喬王真蹟之本謹臨写之畢 明治戊辰冬神祇伯白川家 画学師 南部晋七郎 嘉応㊥」「明治四十年四月以故神祇伯王家珍蔵之原本遂, 校訂了 東京四谷区塩町白川子爵邸二三 南部源旧識㊥㊥」の識語、及び 「南部晋か雅喬王の真臨本に返てかくうつしとれるを余もともに白川家秘蔵本 に比校して後面にごひ得て函架におくものとす 明治四十年四月 小杉橿邨 ㊥」との小杉楓邨識語を付す。 (5)巻末に「右以希烈卿自筆之本所臨書尤可為証本者湘南部晋㊥朋治三十年 三月四日」「明治三+年五月+二日一校了 従六位祝部宿祢 希徳(花押)」 との識語がある。. (6)巻末に「明治二十六年二月 南部晋写」との南部晋識語及び「この;冊南部 晋賜る所なれは雨池に備へむとて秘架におくものとす 老杉園㊥」との小杉 磁心識語ある。 (7)奥書に「享保十一年丙午三月吉旦 日吉正禰宜従三位祝部三三行茂旧記」一と ある。 (8)明治28年の宝物取調の関係資料げ文中に「(前略)明治廿八年十月廿日全国宝 物取当局御漏御出張ノ節差出シタル毛越寺一山宝物目録書中(後略)」とある。’.’ (9)「文化八年夏借阿久沢牛島蔵本課奉野董長書写一二不仏文庫 源弘賢」.ζの屋 一 126 一 代弘賢識語を移写している。 (10)明治10年の記事がみえる6巻頭に「此原稿御用済必御返却有之度事」と小杉 遠隔の識語がある。 (11)青木信二本の写本。「右青磁鑑定書 文化十四年初冬下川賢昌写之.天保九年 戌仲冬 比志島良知写之 以青木信寅蔵書写之 小杉橿邨」とある。また、 「那須玄竹力筆記スル青甕説ト云モノヲ曽テ得テ自ラ写シテ以テ三二工芸一班 西収ム、参着スヘキモノナリ」との小杉幽幽識語もある。 (12)「右徳川家蔵書を下面之 明治廿三年十月愛知県下宝物調として出張のをり名 古屋上園町の丸谷文左衛門か家にかりるする時なり」との識語がある。 (13)栗田島本の写本。巻末に「就栗田氏手写本謄写之 明治九年十二月九日 小 杉届出」と小杉橿邨識語がある。また、「右一敵艦御巫清直自筆本写之 明治 九年七月二日 栗田寛」と栗田本奥書を移写している。 (14)「巳十二月中太政官へ差出写」と記されている。 (15)「この花さく松一冊ハ天明八年戊申塙検:直前己一か撰ふ処なり、就塙氏清書本 一校 明治十年十一月 (杉園花押)」と小杉三三識語がある。また、付属資 料の生駒周蔵書簡末には「右‘則彰考証本花咲松二挿入セリ今窓率謄写候 明治十二年六月 杉園」とある。 (16)「頃日命ヲ奉シテ史略如実ノ挙アリ、時二友人小中村清矩水戸藤田氏ノ長慶院 即位弁ヲ以テ余二示ス、余乃一読シテ油日弁’々ヲ記シテ以テ大方二質ス 明 治六年十月三日木村正辞識」との奥書がある。 (17)「明治六年十一月三十日退省後歯午後八時前至十二時後灯下採筆草卒考録恐多 僻事重可訂正者也 小中村清矩」との奥書がある。 』(18)巻頭に「藤田氏花咲松ノ弁ヲ記シタルヲ襲爵コレラ弁シテ三々ヲ書タル三友「 ’人並中村清矩余力説ヲ駁セリ然ルニ其通二二テ余未可也ヲ甘ンセス因テ又コ レニ答へ且小中村氏ノ説ヲ弁ス」とあり、巻末に「明治六年十二月十五日夜 木村正忌識」との奥書がある。 (19)「明治八年十一月十日早起祝旭台二発テ無漏殊甚シ、即チ筆ヲ把テ忽二稿ヲ起 シテ後第十二時二至テ終フ、時二寒威凛々鉄ヨリ冷ナルヲ覚ユ 茨城県士栗 田壷振稿」と奥書がある。 (2Q)「天保九年十一月差日夜半旧辞 穂井田忠友」とある。本奥書.「右本書者加表 装蔵之一品今伝写以北前論油画巻尾云 天保十一年庚子五月 寺村成相」、奥 ・ 書に「右一冊東京図書館本謄写成 小杉三三」とある。 (21)巻末に「寛政十二年九月泊栢舎」とある6また、頭註に”r友人伴氏云々磁心 田安中納言宗武殿ナリ御著述ノ三三ノ中ニアリトイヘリコノ采雅ハ三二稀ナ 一127一 ルモノナリ伴氏珍蔵サレタリ」とある。 (22)「文久二年七月中元日率ホ令草案了 小中村清矩」と奥書がある。 (23)「文久二年八月三日麻疹流行甚時書記了 小中三三矩」と奥書がある。 (24)「大八州会雑誌料七月二出八月余出」.と小杉橿邨識語がある。 (25)巻末に「大八州雑誌料養君差上打棄、宜敷御修正可下候、扱、三三旧説中 (訂正内容略)右二条後巻二正誤御出し訴願候、頓首 九月十四日、木村雷雨 小杉先生侍史」木村正辞自筆朱書がある。 (26)「十九年」と小杉楓邨識語がある。 (27)「安永五年六月 濃州新福寺現住大嶽和尚 右抄出同年二月朔日しるし置く」 とある。 (28)「延宝元年癸丑九月廿三日 弘文院学士兼礼部尚書林恕之道誌」「右改元格一 拳拠同学所蔵之書写以充叢書弘文館学士姓旧名恕字三道別号鷲三世之所謂春 斎先生是也今臨写是露台書函為左券 元文元年丙辰六月三三 東海平維章子 文賊」 (29)巻末に大久保忠寄識語を移写している。「伊勢貞三面舟力図画ニヨツテ故実ノ 考証ヲ正シ国画ノ図幅二附ス 丙申十月廿二日 藤原忠寄」。 (30)内表紙(裏)の見返し部分に付箋「愚考ヲ上木ナサハ漫二梨束ヲ費ス者ト云 ヘシ、ヨシや梓行シタリトモ見ル者少カルヘシ然レトモ上木ノ許スト許サ・ ルトハ諸君ノ衆論二従フヘシ㊥(印文:捗中村」)」とある・ (31)附録は「日本大家論集の中「第六巻第四号」川崎三郎か述へたる定信朝臣伝」。 (32)識語「こは片山賢の男大路にかたらひうつしおきぬ三園」とある。1 (33)二宮は「徳島県阿波国美馬郡猪尻村中諦義」・ (34)浜田は「玉前神社禰宜心中講義土佐国人」。 (35)’ ャ立の事晴に関する明治九年五月の本居豊頴の識語を移写している。 (36)「嘉永七三寅年三七月念六日四阿三三三三三三一夕急速三筆於灯下僅三三概略 他日待閑暇日干可再考者也 洲居」。小杉橿邨筆。 (37)「和訓栞」「新安手簡」「租税考」「東雅」「一話一言」からの引用。 (38)奥書に「右一書或問之答也、而其事問有三田三者三三蔵書筐底三三出旧観之 轟隠喩殆半置酒失当臨接西口惜取直存囲者身魂我意名鶏肋問答姑挿語此云, 天保戊戌秋七月 玉江大内正敬識」ある。 (39)巻末に「以水戸人功徳隣i蔵本謄写 明治九年三月−小杉園」と小杉温邨自筆 識語あり。 (40)巻末に,「寛文九己旨煮洛陽製薬家遠藤心理編/宝永五戊子春閏正月書写二月 上長校閲恕篭子洞’甫」とある。 一128= x (41)小申村清矩識語のを小杉橿邨が朱筆で移写している。 (42)巻末に「この異本古量考といふもの屋代先生の三三叢書に収載せり、恐らく 屋代翁の説なるへし、また三升の三三翁の道の幸の付録にも古量考とてそへ られたり、照会すべし、またちかきころ刊行する所の尚古図録三編に三升の 揚本ありて横山三三か説を挙たり(中略)なほ別に掲載して後日こまかに考 課せむとす 明治十一年主月 三三」と小杉三三識語がある。 (43)「コノ山藍ノ図ハ粗図ナリ明治六年四月十二日南部陳ヨリ受取町田正五三殿へ 伺出三三想像ノ旧故閉置旧様被命」と識語がある。 (44)序末には「右安岡百樹之談巴菰記中之一章今回録干巻首三三三三三三 明治 壬申秋九月 南部三三」とある。 (45)奥書に「右甘藍三一三三織田賢司蔵本 明治六年第一月三十有一日謄写三三 博覧会事務局御用掛 大蔵中録安岡百樹三三」とある。 (46)「(前略)森野藤太井隠居繁通へ問合薬品製法三井三三法左回通」とある。 ’(47)附録内容:[産出之地名・産出高・代価]/石炭油会社[作成](明治5年10・ 月).精製之方法/石炭油会社柳沢三六[作成]〈図入,明治5年10月)。 (48)美濃国内三;名の漉屋連名によって作成された調査を小野三三三右衛門の名 前で差し出したもの。 (49)「右塗物油絵法r冊駒塚三一より借抄」と識語がある。 一129一 h
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