本文 - 連合総研

も く じ
記念講演卜再考察 ・日本の教育 システム と人的資源問発
ロナル ド ・ド-ア
2
芦 田甚之助 9
開会の挨拶卜社会経済の変革を めざす挑戦
基調報告卜生涯仕事/学習社会の実現 をめざして・
-・
-・
----市川 昭午 IO
嶺井 \
′正也 Ⅰ
6
日本の学校教育の到達点 と課題
黒沢 惟昭 Ⅰ9
高校改革 を考 える
米滞 彰純 22
高等教育改革の現状 と問題点
高木
剛 25
今次中教審の審議 をめ ぐって
第1
5
期中央教育審議会答 申を読んで ・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
-・
・
・
・
・
ウ イ1
)アム・K・
カ ミングス 28
パ ネルデ ィスカ ッシ ョン
学校教育の現状 と課題
パネラー 西阪
昇
黒沢 惟昭
山中 正和
嶺井 正也
ウ イリアム・K・
カ ミングス
生涯学習社会 をめざして
学校教育/職業能力開発の接点 と公共政策
国際経済の転換 と教育 システムの構築
職業能力開発 に応 える教育政策 を
---・
・
-・
・
吉本 圭一 37
秋永 雄一 39
増田 祐司 42
高梨
昌 44
桝本
補論卜学校教育 と職業教育
閉会の挨拶卜勤労者のための福祉経済社会の建設 を --・
--栗林
純 6ぅ
パ ネルデ ィスカ ッシ ョン
学校教育 と職業能力問発 .
・職業教育 を考 える
コーディネーター 矢野 異和
パネラー
杉浦 信平
コメンテーター
吉本 圭一
総合コメンテーター 高梨
昌
総括パ ネルデ ィスカ ッシ ョン
田中 宣秀
秋永 雄一
桝本
純
増 田 祐司
生涯仕事/学習社会の構築 をめざして
モデレーター 井上 定彦
パネラー
天野 郁夫
矢野 異和
ウ イリアム ・K ・カ ミングス
ロナル ド ・ド-ア
市川 昭午
連合総研国際シンポジウム
生涯学習/「
しこと」社会の
構築をめざして
- 2
1
世紀への 日本の教育改革-
世 7Ⅰ
9
9
6
年1
0
月1
6日(
木)1
0:0
0
A
M
∼1
7日
と き 1
(
木)5:0
0
Ⅰ
Ⅷ/ ところ 東京グランドホテル
3F桜の間/主 催 (
財)
連合総合生活開発
研究所、 日本 労 働 組 合 総 連 合 会 / 協 賛
(
社)
教育文化協会/後 援 文部省、
労働省、
日経連、経団連、 日教組、毎 日新聞社
改 革
の
発
再 考
開
と
記念 講演
特集 二十 一
世紀へ
の
日
本
の
教
育
察・・
目茶
システム
源
教 育
資
いは政治意 識 の植 え つけ方 の問題 であ った。
教育 を中心 とす る学校 におけ る倫 理観'あ る
な学生 が出 てき てほし いと大学教授 が嘆 いて
であ った。 し かし現在 は、紛争 を起 こす よう
の 「
四十年戟争」 は つづ いており' そ の最中
わ った頃 に来 日し た。 ま だ' 日教組 と文部省
的
私も参 加し たOECD教育視察団 の報告書
この報告書 を読 み返し て見 ると' フラ ンス
いる時代 になり'大学 紛争 は少な- とも表面
人
(
翻訳 ﹃
日本 の教育 政策﹄ 一九 七二年) が出
のことわざ にあ るが、「
変 われば変 わるほど同
・ド - ア
てからち ょう ど二十五年 がた った。 この報告
じも のであ る」。つまり、二十五年間 に変 わ っ
化 し て いな い。 ま た' 日教組 と文部省も 「
和
ロ ナ ル ド
書 のな か で私 たち は三 つの大きな課題を取り
たも のもありますけ れ ども'大体 にお いて変
ロンド ン大学教授
信 のピラ ミ ッド的構成' 二 つは'教育 におけ
上げ た。 一つは、 入学 試験及 び大学 の社会威
解」 し てしま った。
し かし、私 たち がOECDめ 報告書 で取り
わ って いな い。
私 たちOECD の視察団 は'大学 紛争 が終
る権威 と協力 の問題'三 つは、教育 におけ る
価値 の問題t と- に政治的価値' つま-歴史
2
い越 せ の掛け声 のも と で' 「
学校」によ る 一斉
あ った。明治 以来、日本 は先 進国 に追 い つけ追
の全部 の病 理的 現象 の根 源 であ る」 と書 いて
価 を読 んだら'「
昔 も今も 入試制度 が教育制度
と今も変 わらな いだろう と思え 最 近'中央
教育審議 会 の報 告書 に ついて の毎 日新 聞 の評
上げ た入試 や大学制度 の問題 は' 二十五年前
入試制度 に起因す る病 理現象 の 一つと数 え る
が'急 に マス コミは少年 の自殺 と いう 現象 を
件 数 は、 ここ三十年変 わ って いな い。 と ころ
人 口動態統計 を見 ると' 十五歳以 下 の自殺 の
本 では青 少年 の自殺 が問題 にな って いるが'
たと い、
つこと が問題 にされ て いた.最近' 日
問題 とか' シ ンナIを かぐ高校生 が多 -な っ
だ が、 それを どれ だけ生活力'す な わち生計
週 五 日制 にな れば' な おさら限度 は狭 ま る の
え る ことは できな い。時 間 には限り があ って'
美 術史を教 え て いる時間 にお いて、数学 を教
のバラ ンスの問題を取 り上 げ て いる。つまり '
私 たち の報告書 でも、 ゆとり及 び生活力 と
があ る のではな いかと思う 。
い- 問題 は'通 り抜け て避 け よう と いう 動き
き るよ- な能 力 を与 え る のに使う のか'依然
ジ ャー で' ほんとう の人間 味 のあ る生 活 が で
技能 を植 え つけ る のに使う のか。 どれ だけ レ
を立 てるため の道 具 となり得 るよう な知識 や
よう にな った。
珍 問題は変わ っていない
授業 と いう 効率的 な シ ステ ムで'暗記 中心 の
教 育 を進 め てき た。そ の結 果'詰 め込 み教 育 '
受 験 競争 の過熱 を 招 き'そ の表 裏 一体 の現象
とし て'いじ めや不 登校'登校 拒否 が深刻化 し
と にか-' 問題 の所在を規定す る言葉 は変
要 に ついて痛感 し、 画 一的 な教育 は変 えなけ
年前 も、 独創 性'創造 的 な 人材 を養成す る必
名分 は二十 五年前 と変 わ って いな い。 二十五
ならな い」 と いう 掛け声' ス ロー ガ ン'大義
んじ る、多 様 性 のあ る教育 を推進 しなけ れば
「
画 一的 な教育 のかわり に'も っと個性を重
み主義 教育」 と いう 言葉 は使 われ て いたし'
のため の薮 青 と の選択 は' 1時 間 で マスター
る子 ども にと って のゆ とり の教育 と、生活力
でき る のに、 そ の同じ操作 を マスタ-す る一
の
に十時 間 も かかる子 どもも いる。 十時間 かか
は
と いう こと であ る。非常 に頭 の回転 の速 い子
能 力 によ って' そ の選択 の意 味 が大 いに違う
わ って いな い。 か つても 「
暗記 中心 の詰 め込
私 たち の報 告書 の時 '同じ ことが いわ れ て
ればな らな いと いう のが 一般 の常 識 だ った。
でき る子 ども の選択 とは' どう し ても違 わな
いた。
て いる恵 弊 の根源を毎 日新 聞 が こう 判断し て
いた が'ただ'二十五年前 は'いじめは開 かな か
今度 の中教審 の ス ロー ガ ンは 「ゆ とり と生
け ればならな い。 と ころ が' いわゆ る画 一的
な-な ってしまう 場合 が多 い。 それ が結 局'
t
たとえ ば 1時間 で数学 の操作 を マスター
とり と生 活 力 の両 方 が ど れ だけ 両 立す る の
基本的 な 日本 の直 面す る教育 の問題 ではな い
t
そし て' 見逃 され がちな こと は、 子 ども の
ったと思う 。不 登校 の子 ども は いたと思う が、
活 力」 と い- 言葉 にな って いる。中教審 は報
子 と十時 間 の子を 一緒 - た にしなけ ればなら
な 文部省 の学 習指導要領 な ど では' 一時 間 の
とし て重要 な選択 の問題 であ る。
問題視 され て いな か った。 むし ろ不良 少年 の
な いと思 って いるよう だが'依然 とし て' ゆ
か' どれ だけ 二者 択 1的 な選択 を強 いるかと
3
告 ごと に新 し い掛け声 を つ-らなけ ればなら
ロナ ル ド・ドーア氏 1
925年生 まれ ロン
ドン大学教授 ロン ドン大学東洋ア フ リカ
研 究学院卒業 日本 の農村社会 に関心 をも
50年東 京 大 学 に留 学 '
51
-5
5
年 ロン ド
ち'
ン大 学講 師 '
5
5-5
6年山 梨 山形 に移 住
61
年 よ りロン ドン大
し農 地 改革 の研 究 '
助教授 '
82年∼同教授 著書 「
都市 の 日本
21
世紀 は個 人主義
人」 「日本 の農地改革 」 「
の時代か」 な ど多数
い って いる人 たち は、 日本 の教育制 度 及 び入
メな のか。教 育 が悪 い」 と いう よう な ことを
私 は、多 様 性 と い,
十言葉 は非 常 に危 険 だと
試制 度 が現在、 そう いう 面 で機能 し て いる役
か とH
,3
う。
▲
■
思 って いる。 今 の日本 で個 性 を重 視 し、多 様
人 にな る 七 か、 より 独創 的 な 人間 にな る か ど
う かは' 私 は疑 問 に思 って いる。
今' 規制 緩和 の大 食 唱 の日本 で、 競争 がか
ってよ り価値 の高 いも のにな って いる が'教
し かし、天野郁 夫 さ ん は講 演 で、「
文部 省 が
育 だけ は例 外 的 に受 け 止 めら れ て いる。
の文 部 大 臣 や 文 部 官 僚 を 集 め た会 議 があ っ
受 験競争 緩和 のた め にせ った いろ いろな措 置
二十 五年前 のOECD報 告書 の後 で、各 国
割 を 十 分 に評価 し て いな いのではな いか。
た。 そ の会議 で当時 日本 の文部 次官 であ った
テ ク スー はぐ フいう こと かと いう と、主 とし
性 を尊 重 すか と いう ことを主 張 し て いる コン
て、 日本 の技 術 力 がア メリ カ の技 術 力 に対抗
天城 勲 さ んと高 等教 育 局 長 だ った西 田亀 久 夫
って いた が、確 か にそう だと思う 。 たとえ ば
でき るよう に'
∴創造 的 な 人間' 独創 的 な考 え
度 はt
t近代化 に必要 な 人材 をあ ら ゆ る社 会階
で' シ ステ ム自体 は揺 ら ぐ こと はな い」 と い
一つの数学 的 な操作 を 一時
と い- こと でt
.︰・多 様性 が 小わ れ て いる。 し か
かわ- に推 薦 入学 と か、 いろ いろな措 置 を と
高 校 の入学 試験 の制度 、 あ る いは大学 入試 の
は」 た だ シ ステ ムに風 穴 をあ け た だけ で の話
し' そ れ よ - 旦
層 から供 給 でき るよう にな った。 日本 が近代
った。 そし て' 教育 課 程 の再 編成 で教育 課 程
さ ん が出 て いて'天城 さ ん は'「日本 の教育制
子 ども と の間 の多 様 性 の方 が'社 会 問 題 とし
間 で学 習 でき る子 ども と' 十時 間 必要 とす る
競争 さ せ て人材 を選抜す ると い- 役割 を教育
的 な高 度 産業社 会 に発 展 t得 た のは' 互 いに
をす るよう な 人間 を養 成 しなけ れ ばな ら な い
て' そし て教 育 問 題 とし て重要 ではな いかと
を スリ ム化 し、 と- に高 校 では、 そ の選択 項
業 課 程 のほか に捻 合 課 程を設け ると か' あ る
目 を増 やし た。 ま た' 職業高 校 の 一部 で' 職
ま た' 西 田さ ん はも っと強 烈 に∵ 大学 の威
いは大学 の教養 課 程 の改 革 を考 え ると か' い
が果 たし たから であ る」 と い って いた が、 そ
信 のピラ ミ ッド があ る こと に ついて'「
階層 性
れ は間 違 いな いと思う 。
評価されていない教育制度
思 って いる。
砂
ろ いろな変 化 はあ った。
響 を 及 ぼし たか と いう と、 少 な い。 推 薦 入学
し かtt それ がどれ だけ教 育 シ ステ ムに影
を な -す こせ は でき な い.も のだLtそ の結 果、
起 こる競争 は、社 会 の要 請す る エリ1 -を輩
出す る のに必要 だ」 とき っぱ- い い切 った。
しか
..
で 1流大学 に入 る こと は非 常 に難し い。 二・瀧
が' 創造 性 に欠 け る人もも ち ろ ん いる
私も' も し 日本 の技 術 力' 日本 の経済 の発
ムに いろ いろな 選択 項 月 があ っても二 や は-
大学 を めざす 子 ども なら ば、 高 校 カリキ ュラ
日本 の画 一
ー
的 な教育 の産物 であ る'非常 に
優 秀 な 1流 大 学 の卒 業 生 に私 も 会 って いる
し' 日本 の教 育 ' 画 一的 な受 験勉 強中 心 の教
な いのではな いかと考 え て いる。非 常 に優 秀
セ ンター 試験 で非常 に い い点 がとれ るよう な
展 だけ を考 え るなら ば、 今 の制 度 はそう 悪 で' 何 も そ んな にあ - せ- し て受 験勉 強 に時
科 月 し か勉 強す る余 裕 はな い。
そし て' 将来 の日本 の エリ1 -㌧ つま -戟
育 を受 け た人 でも' ほ んとう に優 秀 な 人 だ っ
に入 れ るよう な 人間 であ れ ば'中学 や高 校 で、
間 を かけ な - ても'余 裕 し ゃく L や- で東 大
判官 '官 僚 、 大 企業 の マネ ー ジ ャー にな るよ
て育 って′
い- こと は少 な- な いとノ
思う 。
だから' 財 界 の首 脳 たち で 「どう し て日本
より多 様 性 を導 入す る こと で、 そ の人 が文化
たら' ま だ創 造 性' 独創 性 をも った人間 とし
には ビ ル ・ゲイ ツ のよう な.
男 が出 て こな いの
か。 ベ ンチ ャー ビジネ スはギ ブし て日本 はダ
4
予備校 の利益 及 び' 浪 人す る人 の数 で計 る こ
か の 一つの数量 的 な緒 標を求 める場合 には'
のではな いか。 どれ だけ シ ステ ムが変 わ った
験 は、 今 と二十五年前 とそう 変 わ って いな い
う な 人 たち の' テ ィー ン エイ ジ の時 の教育 経
同 じ学 校 群制度 に入れ た のだが、・
効果 があ っ
を や った。 公 立学校 だけ でなく
小尾 さ ん に習 って' ソウ ルで同 じよう な こと
にな っL
た。、
非常 におも し ろ いこと に、韓国 で
もう 少し金 を払 って私立高校 へと流 れ るよう
ばらし い教育 を受け て いた人 たち が'みんな、
尋 ね た。す ると先 生 は Jいやあ'・
結 果的 には
要 な手 段 だと問 い、セ いる が' 「どう です か」と
し たが、 それ が受 験競争 を和 らげ る 1つの重
中学 校 の先 生 に、 業者 テ ス-を 文部省 が廃 止
も のではな いかと思ケ 。
れ ども' 入試制度 に起因す る社会変 化 によ る
には いろ いろな現象 が混 ぜ合 わ さ って いるけ
の教育 をダ メ にし て いると いう こと で、学校
えをも った教育 長 が、高校 入試 の影響 が中学
とら私 たち が二十 五年前 に来 日し た時 に'小尾
庸雄 さん と いう 非常 に独創 的 です ばらし い考
る こと が多 い。
いろ いろ探 って みれば' 入試制度 に原因 があ
ば、 公 立離 れ、 私立志向 と いう のは、 や はり
選択 によ っても制度 は変 わ って- る。 たとえ
に'
′社会 的 に行 われ た変 化' つま-個 々人 の
文 部 省 のイ ニシ アテ ィブ によ る変 化 以 外
偏差値 が上 が って' 私立大学 が膨張す る 1つ
る ことか できな い.
.だ から、 早稲 田'慶 応 の
の コ- スに乗 れば'早稲 田'慶 応 し か受験す
って' そ こに優 秀 な 子 ども が高 校 一年 から そ
は 一年 から三科 目 だけ を重視す る コー スがあ
慶 応 は三科目 だけ で受 験 でき る。 私立高校 で
れば受 け ら れな い。と ころ が\私立 の早稲 田'
大学 を めざす者 は'五科目を全 部勉 強しなけ
共通第 一次 試験 が でき た時 から であ る。国 立
た のは'私 が聞 いた説 明 がほんとう であ れば'
慶 応 が 一流国 立大学 と肩 を並 べるよう にな っ
もケ 一つは、 大学 レベ ルの話 で' 早稲 田と
忙 しぐな って iると ころ で'業者 テ ス- にか
以外 の業務 が全 然減 らな い。先 生 たち がより
て、先 生 の数む 少な-な ったが'学校 の授業
だ。 そし て'す でに手 ども の数 が少な十な っ
て作 らなけ ればなら な い。 それ だけ の話 な ん
を、我 々教 員 が努 力 し て' 大変 な時間 を かけ
任 せて作 っても ら って、簡単 に買 え たテ 久-
でや って いる了変 わ った のは' か つて業者 に
ま って、高校 への割 り振 りを同 じよう な基 準
全 然変 わらな い。 同 じよう を中学 の先 生 が集
業者 テ ス- があ っても な- ても'結果的 には
制度 は'三年前 に少し変 わ った.
ん だけ れ ども'
同じよう な高校 に入 るんだ。 ただ'高校 入試
実 は昨 日'二 つの日本J
の学校 に行 つてき た.
と が 一番 早 いが' 浪 人 が減 ったと いう ことは
た。 小尾 さ ん の理想 を求 めた改革 はt.
ああ い
全 然変 わらな い。同 じぐら いの偏差値 の人 が
群制度 を つ- った。 と ころ が、 どう いう結 果
の要 因 にな った。 いず れ にし ても、㌧私立志向
私立学校 も
聞 いて いな い。
て' 日本 のよう な民主主義 国 では難 し い。
う 強 い軍事 政府 であ れば こそ でき る のであ っ
にな ったかと いう と' それま で公 のお金 です
5
る。 大企業 の人事 部 にと っノ
て'人 の知的水準
べ- よ い給料' な る べ-安定 性 を与 え て- れ
織 人間 にな る には、 な る べ- よ い組織、 な る
織 に入 るし か現実的 な道 がな い。 そう いう 組
を はかる メ ルク マー ルは、 どう いう 大学 の入
る組 織 に入 ったほう がまし だと考 え る のは当
か-知的水準 が非常 に大 きな比重 をも って い
い。我 々も過労 死 に遭 いそう な 人間 にな って
たり前 であ る。 そ のため には' マンガもあ ま
わ るよう な テ ス-宜 作 成 し な け れ ば な ら な
し ま った」 と嘆 いて いた。
試 に通 れ たか'結 局' 究極的 には偏差 値 です
まあ'嘆 いて いたんだけ ど' 私 は感 心 しま
ね。
熱 心 さ がま だあ って' 業者 テ ス- にかわ るテ
し て四十 人 の生徒 の家庭 訪問 に回 るぐ ら いの
学 から競 って優 秀 な 人材 を採 ろ- とす る人事
は'実際 に高 か ったと いう 。 だから、 一流大
と 日銀 に入 って か ら の仕 事 ぶり の相 関 関 係
委 月 にな って いる人 の話 では、学校 の偏差値
こ の間' 日本銀 行 を 経 て、 今、東京 の教育
は' これま で中学 二年' 三年 でたけ な わ にな
スに早 -乗 るため に
そし て' エリー- コ-/
あ る ことは'非 合 理的 な こと ではな いと思う 。
われ たら、 それ は仕方 がな いと思う 子 ども が
て' 1生懸命 に勉 強しなけ れ ばならな いと い
り見な いで'遊 びもあ まりしな い。 塾 に通 っ
し たね。 日本 の先 生 は四十 人も いる学 級を担
ス-を作 らなけ れ ばならな いと いわれ て' そ
部 が'非合 理的 な行 動を と って いると は決 し
ってき た ことは'社会的 に見 て' それ は遺 憾
って いた勉 強熟 が、今' 小学 五年' 六年 に移
当 し て いる。 イ ギ リ スでは考 え ら れな い。 そ
れを引 き受 け て いる。
て いえ な い。 個 々の学 生も' な る べ-社会 的
⑳ も っている国家としての合理性
名 声 の高 い' そし て給料も高 い'安定 性もあ
い」 と いう のは' 何故 だろ- か。 私 は'社会
て非 合 理的 な行動 ではな い。
し よう とす る のが 一般的 であ り' これも決 し
って、退 職後 の 天下り先 も いいと ころ に就 職
ては' 決 し て非合 理的 な選択 ではな い。
な こと ではあ るが、 そ の子 ども 及 び親 にと っ
こ のよう に 「
変 われ ば変 わ る ほど変化 がな
的弊 害 を起 こす制度 であ るとし ても'国家 と
し て の合 理性 を多 少なり ともも って いると い
強 い会社主義 から離 れ て、 ビ ル ・ゲイ ツのよ
中教審 の報 告書 が批 評す る' 日本社会 に根
いろ いろな選択 を与 え ても'結 局、 自分 の大
そし て' 文部省 が入試制度 を変 え た いと'
⑳ 普及してない平等の三項目
う こと だと思う 。 ま た'国 家 とし て の合 理性
物 であ ると い っても' ビ ル ・ゲイ ツにな れ る
は' 大学 の先 生 であ る。名声 の高 い大学 の先
う な ア ン- レプ レナ- (
起業家) が理想的 人
生 はわ がまま で' 自分 のと ころ にな る べ-倭
以外 にも' 今 の制度 を運 用し て いる人や' 今
本 の社会 では優 秀 な 人 でも'会社 人'官庁 の
秀 な学生 を 入れ た いと考 え る。 1部'推薦制
学 に どう いう 生 徒 を 入れ る のか を 決 め る の
があ って、 そう な って いると考 えざ るを得 な
人'あ る いは裁判官t と にか-何 か の官僚 組
よう な人 は何 百万 人 に 一人 だ。 それ でも' 日
い。 大企業 の社長 が何 を いおう と' 人事部 で
織 に入ろう とす る人 が大部分 であ ると思う 。
の制度 を維持 し て いる人 たち の合 理的 な目的
は' 自分 の企業 に' そ の企業 の社会的威 信 が
度 を 入れ ても' や はり利 己心 の強 い大学 の先
れ るだけ優 秀 な学 生 を採 ろう とす る。
生 たち は'推 薦 され た人 のな かから自分 が採
た いて いの日本 人' た いて いのイ ギ リ ス人'
た いて いのイ タリ ア人 は、「どう いう 将来 が待
いと考 え る。 そ こに究極 的 な競争 があ る。
彼 ら が優 秀 な 人 と定義 す る のは' いろ いろ
って いるか」 と子 ども に聞 け ば'何 か の大組
許す 限り' な る べ-優 秀 な学卒者 を採 用し た
な意 味 で優 秀 だと いう こと が でき る が' と に
6
規 則 を 設け ても'結 局' 企業 間 の競争 に変 化
青 田買 いを し ては いけ な いと か、 いろ いろな
い。 学卒 者 採 用 の競争 が社 会 の弊 害 とな -、
こ のよう に' 大 企業 の人 の評価 は変 わらな
二 つは' そ の社 会 で最 も高 -評価 され る地
の 1つの指 標 にな るdそれ が でき る か どう か.
わ せ て不 平 等 を 少 な -す る こと が' 教育 の質
生 じ る子 ども たち の間 の条 件 の違 いを 埋 め合
な いと いう よう な科 目 では' 一応 の能 力別 編
階 を マスター しな いとB と いう 段階 がわ から
し かし'薮 学 と か外国 語、 つま りAと いう 段
成 を し な いで'
能 力 を ま ぜ たク ラ スであ った。
そし て三 つは、 異 な る人生 を送 る人 々の間
位 を めぐ る獲得 競争 に' 機 会 均等 を実 現す る
こと。
シブ ・スクー ルでも ' 数学 な ど は だ いた い三
致 し た見解 であ った。 だから' コンプ リ へン
イ ギ リ スの先 生 たち' あ る いは教育 学者 の 一
成 を しなけ れば授業 が できな いと いう のが、
来 を 設計す る のに' 今 と は違 った考 え方 をも
に' つま り、 よく でき る手 とよ- できな い子
は起 き な い。 日本 の親' 子 ども にと って、 将
つよう にな る こと はt L ばら -あ - そう にな
これ は七 つの課 題 のな か で' 平 等 に関 す る
と の間 に、文化的'社 会 的 距離 を縮 め る こと。
昨 日'学 校 を訪 問 し て'耳 学 校 の先 生 の話
いよう に思う 。
あ え て、 変 え る可能 性 がど こから出 る かと
三 つの項 目 であ る が' こう し た問題 があ ると
で改 め て強-感 じ た のは' な る べ-落 ち こぼ
段 階 に' でき る人 と できな い人 のク ラ スに分
いえ ば' 教 育 の荒廃 を常 に憂 いて いる 一流大
いう 意 識 は' 現在 の日本 ではあ ま -普 及し て
け て教育 し て いる。
はな -' - じ引 き で学 生 を採 るよう な ことを
学 の先 生 たち から だ。 先 生 たち が入学 試験 で
い限 り' そう し た先 生 の動 き は期待 できな い
し かし 同時 に' 日本 の社 会 が相 当 に変 化 し な
にし な いで' 一律 に 一緒 に教 え ると いう こと
は、 十 五 歳 の中学 三年 ま で能 力 編成 別 クラ ス
し た意 見 とし て' 日本 の教育 のす ぼら し い点
OECD の二十 五年前 の教育 視察 団 の 一致
高 校 では三割 と いわ れ て いた。 これ は大袈 裟
付 いて いけ る のは七割 の子、中学 校 では五割'
いが' 七 五 三 と いう のは' 小学 校 で教 科書 に
一般 的 に いわ れ て いた。最 近 はあ まり聞 かな
二十 五年前 には' 七 五三教育 と いう こと が
れ る子 がな いよう に努 力す ると いう のは大変
ことも 事 実 だと思う 。
であ った。 こ の公 立学 校 の伝 統 は私 たち の目
さ ん は、「
素 朴 な質 問 です が'我 々は教育 の質
臣や 文部 官 僚 を集 め た パリ の会議 で、 天城 勲
はよ-出 て いた。先 に紹介 し た各 国 の文部 大
え て いた。これ に対す る反対 運 動 が起 こ って'
ら いの子 ども を 別 のグ ラ マー ・スク ー ルで教
よう な 選抜 、入学 試 験 によ って、優 秀 な 二割 ぐ
イ ギ リ スでは' 戟前 の日本 の中 学校 と同 じ
実 だ。
な れ ば、非常 には っき り と出 て いる こと は事
な い子 と の違 いが' 十 五歳'中学 三年 の頃 に
な い い方 だと思う が、 や はり でき る子 と でき
な こと であ る。
二十 五年前 の報 告書 で私 たち が取 り上げ た
にす ぼら し く映 った。
いな いのや はな いか.
問題 の 一つに、 教育 の機 会 均 等 と いう こと が
し たら' 日本 の教 育 制度 は根本 的 に変 わ る。
あ る。 当時 の中 教 審 の報 告書 にも' こ の言葉
を上 げ た。 と ころ で皆 さ ん、 教 育 の質 は ど の
七〇年 代 から コンプ リ へンシブ ・スク ー ルに
日本 で'
先 の総 選挙 の各 党 の政策 を みると、
蹟嘩する中 ・
高 三具構想
よう には か る のか」 と いう 、非常 に刺 激的 な
⑳
編成 を避 け ら れ た かと いう と、そう ではな い。
全 部 一緒 にな った が'これ で能 力 別 のク ラ ス
歴 史 と か地 理 の授 業 はだ いた い'能 力別 編
質 問を各 国 の代 表 に投 げ かけ た。 そ の返事 を
一つは' 異 な る社 会 的背 景 をも つこと から
報 告書 が七 つの項 目 にま と め て いる。
7
ても、 そ の人- 口 の段階 で選抜す る こと にな
こと は全 -不 可能 だと思う 。 だから、 ど- し
伝 統 のす ぼら し さを 子 ども に印象 づけ る のが
る人 と、 いや、 桂 離宮 に行 って' 日本 の美 的
い 」 と いう よ- な講 釈 をす る。 これを是 とす
ら な いよう に、皆 さ ん努 力 し なけ れ ばな ら な
歴 史 であ って' そ の圧迫 の歴 史 が二度 と起 こ
税 を 三% から 五% に上げ る場 合 も'低 所得者
る。 将来 の中 流 の職 に付 - 人 と' そう でな い
四十 人 のク ラ スで、 十 八歳 ま で数学 を教 え る
への配慮 が重 要 であ る と いう のが' 政治家 の
人 との距離 が十 二歳 から始 ま るよう な制 度 と
低 所得 者 への配慮 を みんな い って いる。 消費
偽善 であ る かも し れな いがt と にか-主 張 さ
本 当 の教育 であ って' な にも 圧迫 の歴 史 な ん
かそ こに出す 必要 はな いと考 え る人も いる だ
な る。 今 はそう いう 制度 は' 私立 の中学 に限
ろう 。 こう いう 思 想 的 な対 立 がた た かわ れ る
ッパに比 べれ ば顕 著 にな って いる。それ だけ'
及す る こと にな るわけ で、 これ は席捲 し なけ
定 され てい る が、 .これ が社会 的 ' 1般 的 に普
のが日本 の学 校 であ った。 最 近 の歴 史 の教 科
れ て いる。所得 税 の累 進 性 は、日本 では ヨー ロ
日本 には社 会 連帯 意 識 が残 って いると思う 。
れ ばな ら な いのではな いかと思う .
I
が' そ の厳 し い思 想 対 立か 変 わ ってき て いる-
書 が どう な って いる か は 詳 し - は知 ら な い
対 立 が行 わ れ て いた頃 に育 った子 ども たち は
し かし' あ る意 味 では、非 常 に激 し い思 想
よう に思う 。
最 後 に、 教育 におけ る価値 、 政治的 教育 、
幸 せだ った のではな いか。 非常 に両極 端 の立
多 教育における価値の探究を
規制 緩 和 の機 運 によ って' 失業率 がイ ギ リ
ス並 みの 一〇% 程度 ま で上 昇 し た時 に、 同 じ
よう な社会 連帯 意 識 が保 たれ るかど - か は疑
問 があ る かも し れな いがt と にか-社 会 の連
そ の 1つの原因 とし て」 将来 ' 裁 判官 にな
と- に歴 史教育 を中心 にし た問 題 であ る。 二
場 を た いて いの子 ども たち が経験 し た。 それ
帯 意 識 は保 たれ て いると い って い い。
る人 と' 将来 、寿 司屋 の出前 にな る人 が、 十
か い つづけ て いた。 教育 の現場 でも 日 の丸 や
十 五年前 は、教 科書 問題 で家 永 三郎 氏 が たた
に対 し、 自分 で判断 を 下 さなけ れ ばなら な い
て いたと いう こと が大 き い。 と ころ が' 中 流
君 が代 を めぐ って、 いろ いろな学 校 現場 で混
五歳 ま でt と にか- 公 立学 校 で 一緒 に勉 強 し
階 級 の子弟 が'中 学 の始 まり から選抜 され て'
と いう意 識 が'そ の時 に育 てら れ た人 たちも
審議 中 であ る。 中 ・高 一貫校 とな れ ば、 私 立
公 立 でも 中 ・高 二貝校 の構 想 は、 依 然 とし て
中 教 審 の報 告書 では結 論 は出 て いな いが、
行 に子 ども が行 う。先 生 が桂離 宮 に着 いた子
し ろ い逸話 を紹介 し て いる。 桂 離 宮 に修 学 旅
期 の指摘 であ る がtoECD の報 告書 はおも
り でな く' 明ら か に思 想 的 な対 立 であ った時
い。 し かし' こう し た究極 的 な給 論 が出 な い
る べき かと いう こと に ついて結 論 は出 て いな
値 の問題 に ついて' 教育 は ど のよう に行 わ れ
と いう 健験 は' 今 の子 ども たち にはな い。
社会 の見方 を両極 端 な考 え方 でぶち合 わ せる
かなり いため ではない かと思う 。 と ころ が'
乱 が起 き て いた。
学 校 と同 じ よう に、 中 ・高 一貫校 が入学 の生
ども たち に何 を いう かと いう と、「
封建時 代 の
よう な問題 に ついてt
.教育制 度 の責 任者 が常
日教 組 と文部省 の対 立 が行 政的 なも のば か
私 立中学 に行 - よう にな れ ば' そ の社 会 連帯
徒 を 選抜す る か、 あ る いは十 八 歳 ま で能 力別
を売 って、 偉 い人 たち が、 こんな賛 沢 な 立 派
農 民 の搾 取 が ひど-、 農 民 から吸 い上げ た米
に探 究す る と いう 意 欲 がなけ れ ばな ら な い。
意 識 も 弱 ま る のではな いか。
編成 を し な い.
コシプ リ へンシブ ・スクー ルに
なも のを つ- った んだ 。
Y日本 の歴 史 が圧迫 の
そう いう 政治的 態度 を 形成す る基 本 的 な価
す る 香 と いう 大 き な 選択 にな るわけ だ。
後者 を 選択 し た場 合、能 力別 編成 を しな い
♂
代
1
年
九
入
〇
っ
期
れ
わ
て
い
に
あ
る
と構
調
整
造
歴
的
済
史
は
な 不
長
わ
か
に
て
た
る
ら'に
験
経
本
況
を
し
日
、期
会
経済
挑
戦
従来 の教育改革 の枠を も超え た新 たな未来社
者 の立場 に立 ち つつ'勤労者 の枠 を超え た、
会 モデ ルを示し っつ' 可能 性を備 え た社会 経
済 の-1 タ ルな変草を めざす挑戦 ともを って
日本 が直面し て いる教育 課題 の解決 と、持
いると理解 し て いる。
続 の可能 性を備え たゆとり豊 かな 二十 一世紀
共同 の努 力 が必要 とされ て いる。 この考え方
の創造 と い- 大事業 は'各 界、各層 の知恵 を
結集す るととも に'惜 し みな -力を出 し合う
の国際 シ ンポ ジウ ムを
から'教育改革 のた め
開催す る こ守 にし た 。
この会議 には、国際
的 に著名 な ロナ ルド ・
治'雇 用、社会保障 のシ ステ ムな ど の研究を
から ご意見を承 る こと にな って いる。広 い知
教授 が海外 から ご参 加- ださり'国際的視点
ド- ア教授 と、 ウ ィリ
ア ム ・K ・カミ ング ス
行 い' それぞれ の課題 に ついて報告'提言を
芦田 甚之 助
いる。九 四年 のデ- ロイ-雇 用サ ミ ッ- に始
と いう 言葉 は、、
今 や内外や 経済 ・社会改革 の
重 要 な キ ー ワー ド とを っ.
て いる と い って い
ヽ
I
.YO
られ るよう にそ って いる。廠 育'訓練'学 習
経済社会 の活性化 の重要 な柱 とし て位 置 づけ
「
し ごと」と学 習 ビジ ョンJA)
に- 二十 1世紀 のl
をま とめ て いただ .3た。 この報告書 は、.
勤労
本 日配布 し た報告 (
﹃
生涯 かがやき続け るため
町午教授 に主査 を静 めて いただ いた教育改革
研究委日
月会 はt
、
各委員 の熱心な討議 によ って'
シ ンポ ジウ ムで基調報告をし て いただ-市 川
学 習 のシ ステ ムに ついて取-上げ た。本 日 の
今回 は同様 な視 点 から'日本 の教育'訓練'
新聞社 から ご後援を いただ いた こと にも'深
のと確信をし て いる。ま た'文部省'労働省'
的検討 にも耐え得 る水準 に導 いて- ださるも
得 た ことは' このシ ンポ ジウ ムの成果を国 際
ができ るよう ' お願 いす る。
-感 謝申 t上げ る。本 日から 二日間 にわ たる
シ ンポ ジウ ムが'実り多 い成果を上げ る こと
経済団体連合会、 日本 経営者 団体連盟、毎 日
ちな み克日本 でも.:
l凝済同友会' 目盛 連'
経団連な ど が' それぞれ教 育改革 に ついで の
見 と透徹 し た理論家 であ るお二人 のご参 加を
造 的 な諸問題 碇対応す
る には' 人材 の育成 が不 可欠 だと推察 され て
連合会長 ・連合総研理事長
社
考
会
心
す
人
お
間
の
に
て
い
た
中
え
し
と
り
'
合
検
会
連
心
討
進
め
て
は
い
に
中
る
を
ど
も
。
、教
超
題
課
長
面
の
れ
に
当
た
わ
い
え
よ
を
る
う
'教
本
暮
や
連
れ
け
ば
は
い
な
を
ら
し
日
。
'確
年
育
百
家
計
か
の
国
て
は
た
き
し
と
っ
。
、
'教
望
展
据
誤
見
か
の
に
い
な
た
え
を
も
し
り
、期
視
政
合
研
連
総
営
経
者
労
点
勤
済
か
の
ら
も
' 合
種
行
提
場
政
各
育
策
立
か
言
の
で
を
ら'働
潮
疎
場
立
労
護
結
者
成
来
以
の
′
と
'私
行
提
省
部
育
議
文
審
央
言
て
い
中
を
る
も
っ
。
、
行 ってき た。
めざ す
社
芦 田甚 之助 氏
ま る 一連 のサ ミ ット に見ちれ るよう に'先進
国 は、いず れも教育 と訓練'生涯学 習な どを'
る。 日本 が当 面す る構
開会の挨拶
9
実
涯
H.
R
仕
め
事
ざ
/
し
学
て
習
会
の
り に企業 に依存 しす ぎ たと いう 問題 があ る。
社
技術革新 や産業構造変 容 の加速化 に対応す る
し た生活 が企業 によ って保障 され ると いう メ
も ちろ ん、 それ によ って生涯 にわ た って安定
● 市 川 昭午 (
国立学校財務 センター教授)
現在、 わ が国 ではさまざまな観点 から'教
立 し た生 活 が でき る 人 間 の育 成 が肝 要 であ
能 力を重視 し' 自前 で人生 を デザイ ンし、 自
も の報告 (
﹃
生 涯 かがやき続 け るため に- 二十
育 改革 が検討 され て いる。本 日配布 し た私 ど
リ ッ-もあ った。 し かし同時 に、生活全般 に
わ た って企業 に依存す る' いわゆ る会社 人間
る。
第 十五期中教審 は、 「
生 き る力 を育 む」と い
の生活 を強 いら れ ると い ったデ メリ ッ-もあ
1世紀 の 「
し ごと」と学 習 ビジ ョン﹄)は、 そ
のな か にあ って'勤 労者 の立場 に立 った教育
る。 し かも'最 近 では、 経営者 団体 から 「
企
業 に自 ら の生活 を委 ねず '生活 に対す る責任
が' 私 たち はt より自 立し た人生 を送 れ る勤
性 と主 体性を取 り戻す 必要 があ る」 と提 言 さ
う こと を 教 育 改 革 の中 心 課 題 に据 え て いる
労者 の形成 を、教育 改革 の基本的 な課題 と位
れ て いる。 今後 は' たとえ勤労者 が望 んだと
に企業 で雇 用 され て いる立場 から 日本 の教育
のあ り方 を 問 い直 し' 二十 1世紀 に向 け て の
フサイ ク ルの改革 に主 眼を置き' 職業 キ ャリ
置 づけ た。 そう し た観点 から、勤 労者 のライ
改 革 を考 えよう と いう こと で企画し た。 と-
し て いる。 し たが って' これ は'通常 の教育
アと教育 と の関連 を中 心 にしな がら'生涯 に
し ても'従来 のよう に企業依存 の生 き方 は難
しくな って- る。
再構築 の方向 と内 容 を究 明す る ことを課題 に
改革 論 に見ら れ るよう な学 校教育 を中 心 とし
わ た って仕事 と学 習 が継続 でき る社会 の実現
・教育制度 と いう 三 つの点 が'先 決的 な課題
とな る。
業資格 の社会的 認定 ' それを習得 でき る学 習
た生 活基盤 の整備、 企業 の外 でも通 用す る職
れ る が、 これ には社会保障 な ど' 企業 を超 え
送 れ る人間 を育 成 し て い- こと が不 可欠 とさ
いず れ にし ても' 企業 から自 立し た生 涯を
た制度 改革 の範 囲 を超 え て'勤 労者 の生 涯 に
を めざす こと にな る。
こう し た視点 から見 ると' これま で勤 労者
⑳ 自立した職業人の育成を
わ たる学 習 のあ り方 と、 そ のため の条 件 整備
を検討す る こと にな って いる。
勤労者 の視点 に立 つと いう 吸合 に' 私 たち
は' 何 よりも勤 労者 の職業 及 び生活 と教育 、
た立場 から私 たち がめざす のは' 一口で いえ
は'住宅 から職業能 力形成 に至 るま で、あ ま
学 習 にかかわ る関係 を重視 し て いる. そう し
ば、自 立し た勤 労者 の育成 であ る。それ には'
10
自 立し た勤 労者 の形成 を目 標 とす る以上、
私 たち の教 育 改 革 が学 校 教 育 に求 め るも の
は' 勤労者 とし て の生 き方 を教 え る ことが中
ら学 習者 へ立場 が変 わ る だけ で' どちら か 一
方 の立場 に立 つと いう 基本 スタ ンスに変 わり
はな い。 教育者 中 心 から学 習者 中心 に切り換
いう のは' 消費者 の立場 を無 視す る こと では
と ころ で' 私 たち が勤 労者 の立場 に立 つと
者 の共同作業 であ る教育作 用 にはなじまな い
と い って いい。
じ であ る。 そう し た考 え方 は、教育者 と学 習
教育者と学習者の協力
な い。勤 労者 であ る私 たち は'生 活者- つま
最 近 の社会的 風潮 は' 害 の方 が多 -益 は少な
◎
ほと んど職業指導 はし て いな い。勤 労者 のキ
教育 は'小学 校 から大学 ま で普 通教育 課 程 で'
-生 産者 であ る{同時 に消費者 であ る。 私 た
ち自 ら が学 習者 とし て' ま た子 ども の保護者
かえ って教 職員 のモラ ルを低 下 さ せ'教 職月
い。結 果的 に学校教育 を よ-す るど ころ か'
え ただけ では'部 分的 な捉 え方 であ る点 は同
ャリ ア形成 を極 め て等閑視 し てき たと い って
P
P
1
.VL
V0
とし て各 種 の教育 サー ビ スの消費者 であ る。
心 とな る。 し かし'第 二次大戟後 のわ が国 の
こう し た状況 を みると' 一方 では特 化 し た
し かし同時 に' 子 ども の親 とし て' ま た地域
社会 の大 人 とし て'教育者 の立場 にあ る。 こ
方 を満足 さ せるため に他方 を非難攻撃す る の
志望者 を減 少 さ せる だけ の効果 し かな い。 一
1方 的 に学校 を攻撃 Lt教 職月を非難 す る
にt より社会 的通 用性 の高 い普 通教育 的 な要
技能 教育中 心 の企業内 教育 や職業 訓練 のな か
う し た私 たち の立場 は' 消費者 至上主義 を と
ではな-' 両者 が いか に協 力 でき る かと い っ
通教育 に偏 った学 校教育 のな か に' 職業教育
らず '生産者 と消費者 の協 力'教育者 と学 習
た視点 から教育改 革 を考 え て い-必要 があ ろ
素 を拡 大す る こと が要請 され ると同時 に'普
的 な要素 を拡大 し て・
い- こと が必要 であ る。
者 の共同を求 めさ せる。 あ る いは'市 民 とし
業' 職種 に限定 され た知 識 ・技能 の習得 を意
は'企業活 動 と似 て いる。 企業 に対す る従 業
も とも と産 業 社 会 の特 徴 であ る学 校 教 育
私 たち は教育 サー ビ スに ついて、従業 月 と
1フ 0
繰 り返す が' 人生 を いか に生 き るかを考 え る
味 で の社会活 動 への参 加 にも な る。
味し て いるわけ ではな い。 広 - は勤 労者 の人
月 と同じよう に' 児童 ・生徒 は学 校 に対し て
お客 のどちらを優先 す るかと いう 捉 え方 をし
てボラ ンテ ィア活 動 や政治活動 な ど' 広 い意
広 い意 味 で の進路指導 や職業教育 が基本 でな
け ればならな い。 も ちろ ん、 それ は特定 の職
生 設計、狭 - は職業 キ ャリ ア形成 な ど にか か
ども のためを考 え た つもり でも、教 え る側 の
従属 的 ・依存的 な関係 にあ る。主 観的 には子
パートナーシップが基本
わ って' 自 立し た職業 人を育 成す るご と が大
育行政専攻 北海道 大学 国立教
育研 究所 1
995
年 4月国立学 校財
務 セ ンター教授 著書 「臨教審以
後 の教育政策 」 (
教育開発研 究所)
ほか 多数
⑳
切 であ る。
な い。勤 労者 の視点 は、生産者 と消費者 の立
立 つから と い って'学 習 ・教育 の問題 に つい
場 を包 括 しう るはず であ る。勤 労者 の立場 に
て いたず ら に使 用者 側 や行 政当 局 と ことを構
こ のよう な状況 を見 る限 り、 消費者 の要求
え る のではなく' むし ろ パー-ナ- シ ップ を
を重視す る臨時 教育審議会 の発想'あ る いは
つ ″ と いう ス ロー ガ ンは∵ ややもす れば学校
第 十 四期中教審 が掲げ た ″
学 習者 の立場 に立
消滅' 五五年体制 の崩壊 と連 立政権 の誕生 な
.
改 め て申 し上げ るま でも な-、東 西対 立 の
基本 とす る。
る効果 はあ ったと思う 。 し かし、 それ は供 給
教育 が独善的 にな り がち だ った ことを反省す
者 サイ ド から消費者 サイ ド'教育者 の立場 か
ll
独りよ がり に終わ る場合も 少な-な い。
市川 昭午氏 (
い ちかわ ・
しょうご)
1
930
年生 まれ 東京大学大学院教
は'
・し ばし ば パ ンを得 る ため のも のであ った
り、時 には苦役 であ ったりす る が、 そ れ が仕
内 容 が' 最 近 著 し-接近 し てき た。 企業 の競
仕事 と は職場 だけ でな -、家 庭 や 地域 を含
争 力 にと って柔軟 な思 考 と か\ コミ ュ ニケー
め て、 世 のた め、
・人 のため' 自 分 のた め の活
むろ ん'
入 間 にと って余 暇 は不 可欠 であ り'
ろ- に休 暇む とれな いよう な わ が国 の現 状 は
仕 事 を し な いでよ いと ころ にあ る の で は な
基調報告をされる市川氏
ブ な ど が不 可欠 であ ると いう 理解 が産業 界 で
事 の本 質 ではな い。
深 ま ってき た。 そ の結 果、学 校 教育 に対す る
ど の支 払 いを受 け る有 償 の仕事 だけ でな く'
動 を指す 。 これ には職業 とし て賃金 や報 酬 な
シ ョンの能 力、 チ ー ムワー ク' イ ニシアテ ィ
企業 の 期待 がよ り 一般 的'包 括的 な能 力 に変
仕事 も含 ま れ る。 こ のよう に広 い意 味に 解 す
家 事 や ボラ ンテ ィア活 動' 勉学 な ど'無 償 の
化し てき て いる。 ま た、学 校 側 も' これま で
のよう に知 識 を 一方的 に伝達 す るやり方 を反
改 めら れなけ れ ばな ら な いこと は いう ま でも
れ ば' 仕事 に生 き 甲斐 を兄 いだす 人 は 一層 多
く な るとH
,3
、
つ。
■.■■
省 し、 自分 で学 び'考 え る能 力 を身 に つけ さ
せ る と いう こと を 重 視 す る よう に な って き
た。 こ のよう に、学 校 がめざす 教育 と企業 が
のこと が教育施 策 に関 す る パー -ナ- シ ップ
求 め る能 力 が大枠 で 一致す るよう にな り' こ
を可能 にし た現実 的 基 盤 ではな いかと思う 。
く
な い。し かし'真 の余 暇 と は、仕事 から逃 れ、
す べて同 調す る ことを意 味 し て いるわけ では
創 造 があ ると ころ に存 在す る のではな いか。
も ち ろ ん' パー - ナ- シ ップ と は相 手 方 に
どを背 景 に、 近 年 は労使 関 係 も、 階 級 対 立 と
に協 力 し合う こと が大 切 であ る。し た が って、
な い。 双方 が自 分 の立場 をも ちな がら、 相互
こ のよう に考 え ると' 問題 はや はり仕事 の
自由 に仕事 が でき' 仕事 のな か に遊 びや
る。 し かし' パー -ナ - シ ップ は' 必ず しも
相 互敵 視 から脱 却 し、新 し い展 開 を みせ て い
私 たちも教育 改革 に ついて、 独自 の考 え方 を
に対す る努 力 がさ ほど苦痛 ではな - な り'働
れ るよう な こと が少な -な る に つれ て、 仕 事
に い って、他 人 から統制 さ れ、 上 から指 図 さ
質 であ り' 仕事 の内 容 や方法 であ る。 一般 的
政治 的 状況 の変 化 や組 織 防衛 の必要 から では
職業や仕事の価値重視
示 し て いる。
パー - ナ- シ ップ は' そ れ自体 が目的 な の
教育 の現 状を 改革 す る た め の手 段
私 たち はまず 、 勤 労者 とし て の職業 や仕事
は私 たち の日常 生 活 の構造 を形成 し、新 し い
段 にと どま らず ' 人生 の目的 でもあ る。 仕事
⑳
な く 何 よりも 教 育 上 の要 請 に由来 し て いる。
ではなく
であ る。 政府 と教 職員組 合 と の パー - ナ - シ
の価値 を重 視 し た いと思う 。 一般 に、 私 たち
人 々と会う 機 会 を与 え て- れ る。 そ れ は自分
仕事 は生 き る た め の手
諸国 でも 認知 され るよう にな って いる。 そ れ
の生 き 甲斐 と は' 世 のため に尽 -す こと'他
を発 見 し、 自分 が人 々の後 に立 ち'社 会 にと
も苦 役 ではな -、生 き 甲斐 をも たらす 。 仕事
って存 在 価 値 があ る こと を 確 認 さ せ て - れ
.
・
は教 育 を改善 し た いと い- 共通 の希 望 に基 づ
の人 に何 か役 立 つこと であ ろう 。 そ れら は普
とい って い いだろう
き 甲斐 や創造 の喜 びを感 じ る こと が多 - な る
くも のであ る。つま甘、学 校 改革 の必要 性 が'
通 ' 仕草 を通じ て達成 計 れ る㌻ 仕事 は必ず し
ップ の必要 性 は' わ が国 だけ でな-伝 -先 進
め' そ れを作 - だし た のであ る。
行政 当 局 と教 職員組 合 の間 に新 し い関係 を求
ま た同様 に、.
教 育 界 と産 業界 の求 め る教育
1
2
る。l
人間 の労働 は本来'楽 し みや学 習 が揮然
ヽ
1
.V0
これ に対し て欧米 では'成 人勤労者 の職業準
これま でわ が国 の生涯学 習 華 ・
高齢者 や家
庭婦 人な ど の生 き甲斐学 習 が中心 であ った。
一体 とな って いる のが理想 であ る。 今後 は職
され る。 私 たちも可能 な限-' そう し た職業
備教育 に主 眼 が置 かれ てき た。 このよう に力
点 の置き方 に違 いはあ るが、仕事 と生 き甲斐'
業 を楽 し みとす る人 が増 え て い・
- ことが予想
を多 -す るよう に心掛け る べき だと思う 。
学
習
者の
自主性
尊
重
⑳
この転換 は'次 の三 つのねら いをも って い
ると考、
見る。
であ るが' それは同時 に'学 習者 が自分 の学
第 1は'学 習者 の 「
月主 性」の尊重であ る.
習 の管 理 に責任をも つことを意 味す る。 これ
高齢化社会 ではt.
精神的'身 体的'経済的な
を図 る こと に つな がる。これ から の成熟社会、
生涯学 習 は'学 習者主導 で行 われ る のが原則
は' たんに教育方法 とし て学 習者 の自主性を
仕事 と学 習 が別 の存在 であ る ことを前提 とし
これ に対 し、勤労者 の立場 から 「
生 涯仕事
てき た点 は、 いず れ の生涯学 習 にも共通 し て
いる。
尊重す ると いう だけ でな-'基本的 に自立的
事
と学習密
は接不可分
/学 習社会」 の実現を めざす 私 たち の教育改
な個 人 の形成'自律的な生活 スタイ ルの確 立
◎ 仕
ら され るが'学 習も ま た仕事 と不 可欠 であ る
に捉 え て いる。生涯学 習 が必要 とされ る のは'
・
革 は'仕事 と学 習'仕事 と生 き甲斐 を統 1的
を送 るため であ る。 そ の意 味 で'人生 の目的
生涯 にわ た って仕事 を つづけ'充実し た人生
このよう に'生 き甲斐 は仕事 を通 じ ても た
の'仕事 を通じ て.16
-よ-学 べるも のがた-
る。 世 の中 には経験 によ ってし か学 べな いも
さんあ る。 そう し た経験 から得ら れ る知 は、
.
可欠 であ る。 同時 に、自主 性 の尊重 が個人主
学校教育 から得 られ る知 と の隔 たりを教え て
義 的な方向 に偏 ったり'社会性 の形成を損な
自立を心掛け る必要 があ るが' それ には'生
涯 にわ た って学 習を つづけ る意欲 と能 力 が不
私 美ち は、従来 いわれ てき た生涯学 習社会
は広 い意 味 で の仕事 をす る こと であ-'学習
に代 え て' 「
生涯仕事/学 習社会」を実現目標
はむしろそ のため の手段 と考え る。
験 によ って蓄積 され て い-。最近 は学歴 に代
あ る。学 習 は'仕事を通 じ て つづけられ'経
に掲げ た。仕事 こそ私 たち の生活 の中核 であ
第 二は、学習 や教育、訓練 な ど諸 々の学習
ったt
りす る こと がな いよう '社会性 や連帯 の
重要性 が併 せて強調 され る必要 があ る。
んな で協力し合、
うこと の大 切さな どがそれ で
わ って学 習歴 が評価 される べき だと いわれ る
なけ れば'社会 の連帯 も期待 できな い。 し た
-、生活 に秩序 を与 え るも のであ る。仕 事 が
-れ る。 たとえば' 人間 の弱 き への理解 や み
仕事 を通 じ る学習も考慮 に入れられる
が、 この学 習歴 には' リ カ レン-教育 だけ で
なく
八〇年代以降'生産性向上'国 際的 な経済
うな 「
生涯仕事/学 習社会
よう な社会を めざす べき だと考え る。 このよ
が って' 1層多 - の人 々が仕事 に生 き甲斐 を
兄 いだLt仕事 を通 じ て有 益な学 習 が でき る
から の継続教育、 あ る いは青 少年教育 と成 人
出 る前 の教育'イ ニシ ャル教育 と社会 に出 て
過程 の 「
統合」 であ る。従来、学校教育 と職
競争 、技術革新 、雇 用確保 な ど の見 地 から'
革 の到達目標 だとす る以上'学校教育中心 か
教育 の関係 も継続 性 に乏し か った。
人 々が人生 の全体を通じ'社会 のあ らゆる
教育'青 少年 の学校教育 上学校外教育 が十分
に関係 づけられ て いな か った。 ま た'社会 に
業訓練'学校教育 のな か で の普 通教育 と職業
生涯学 習 は仕事 の 一部 と認識され るよう にな
ら生 涯学習的 な考え方 へと発想 の転換'教育
べき だと思う 。
ってき て いる。 これ かち は ルーチ ンワー ク が
観∵学 習観 の転換を必要 とす る。
の実現 が教育改
1層 減少し、創造的 な仕事 が増加す る結 果'
」
学 習 と仕事 はよ-接近Lt学 習 と密 接不 可分、
な 職業 がま すま す 多 - な って い- に違 いな
13
割 は'相互 に補完 し合う も のであ るが、時 に
会的統合 の維持 と いう 教育 の二 つの基本的 役
学校教育 が担 って いる個 人発達 の助長 と社
いて'自 立し た勤労者 とし て生活 し て い- た
の確保 であ る。 これ から の激動す る社会 にお
は相 魁 し合う こともあ る。 そう し た場合'相
まず 第 一は'教育 におけ る シ ビ ルミ ニマム
ため には' そ のよう な分裂 と断 絶 が克 服 され
め には'最低 限 の知 識'技術 及 び社会 性 を身
分野 にお いて効率的 な学 習を つづけ て いけ る
る必要 があ る。 私 たち が自 立し た勤 労者 の形
成 を めざす 以上、 こ の統合も 「
仕事」 が中 核
魁 を解 決す るには'生涯学 習体制 のな か で役
だと いう こと に反対 ではな い。 し かし'学校
だLt学校教育 の個性化'多 様 化 を図 る べき
充 実 し た人生 を送 れ るよう にす る こと は賛成
改革 の基本 方向 の第 二 は' 一人 ひとり の学
ら れ る。
教育 より は'中 等以後 の教育 の役割 だと考 え
校教育 のな か に求 める場合 にも、初等 ・中等
学校 よりも学校外 の教育 の役割 であ るし、学
割 分担を図 るほかな い。 個性 の伸 長 は本来 、
に つけ る ことが不 可欠 であ る。
正」 の達成 であ る。 経済 的 な観点 から見 る限
教育 が 一定 の共通 し た教育内容 を学 ば せる こ
習者 によ る マイ ペー スを可能 にす る こと であ
私 たちも'人 々がそれぞれ の個性を生 かし、
とな る。 ま た、 究極的 には仕事 が同時 に学 習
り'効率 と公 正 の理念 がしばし ば対 立す る こ
とと' これ は矛盾 しな い。教育、 と- に学校
生 き甲斐 であ るよ- な社 会 の実
と は否定 できな い。 し かし'教育機 会 の不 均
教育 は社会 の再生産 を可能 とす る ことを基本
過程 であ 早
衡 は公 正 の理念 にも と るだけ でな-、教育 シ
的任務 とし て いる点 で'社会 にと って不 可欠
なイ ンフラ スー ラクチ ャー だ い って いい。
い って最低 限 の知 識、技能 を習得 できな- て
学 習 の態度 や意 欲 も大 切 であ るが' だから と
現 に つな がるも のでなけ ればならな い。
ステ ムの非 効率 を意 味す る。 そ の意 味 で' 経
であ れ ば こそ'学校教育 に必a な所要 経費 を
らな い。 二十 一世紀 の激 し-変 貌す る社会 に
も進 級'卒 業 さ せる べき だと いう こと にはな
済的効率 性 の増進 と社会的 公 正 の確保 の いず
第 三 に' 教育 シ ステ ムにおけ る 「
効率 と公
れ の見地 から い っても、 そ の是 正を図 る こと
認知 され て いる のだと思- 0
基本的 に公共的 な負 担 とす る こと が社会的 に
とし て捉 え る のは正し-な い。 少な- とも 長
かし、 だから と い って当初 から対 立す るも の
常 に同 じ方向 を向 いて いるわけ ではな い。 し
教、
え'社会的統合 を図 る こと であ る。 と- に
き知識'技能 を伝 え ると同時 に、 共通価値 を
の基本的役割 は、す べて の者 が身 に つけ る べ
イ ンフラ スー ラクチ ャー とし て の学校教育
就 職 や社会参 加も難 し- な る。
準 の教養 '社会 性 な ど が身 に つかなけ れば'
り'極 端 に偏 った-し て、基礎学 力 や 一定 水
とされ る。学 習内 容 が狭 い範 囲 に限定 され た
よりも、稔合的 な知識'全 人的 な発達 が必要
生 き て い-世代 にと って早期 に特化 し た教育
る。いわゆ る新 し い学 力観 が指摘す るよう に'
が必要 であ る。
期的 に見 るなら ば' こ の両者 は相互 に支 え合
国 民的教育機関 とし て の初等 ・中 等教育 の中
むろ ん'教育 や福 祉 が経済 や産業 の発展 と
う 関係 にあ ると考 え る べき だと思う 。
心的 な任務 は、す べて の子 ども に必須 の知識、
め には' 人 々がかなり の程度 ま で共通 の知識
参加 型 の民主 的社会 が円 滑 に機能 し て い- た
方をす る のでは'社会 は維持 できな い。国 民
人 々が全 -異な る価値 観 をも ち、違 った考 え
技能 '態度 な どを身 に つけ さ せる こと であ る。
る。学校 教育 の画 一性を いう のであ れ ば'知
テ の弾 力 化 が軽 視 さ れ て いる のは 問 題 であ
幅 な ど' ヨ コの多 様 化 ば かり が重 視 され' タ
のは賛成 であ る が'教育 内容 の多 様 化 や選択
学 校教育 の画 一性 を緩和 し'多 様 性 を図 る
⑳ 年齢主義からの脱皮を
さ て、 私 たち の教育 改革 は、自 立し た勤 労
に進 級 さ せる ことほど画 一的 なも のはな い。
識、技能 の習得 の程度 に関 係 なく
全 員 一斉
い- こと が前 提 とな る。
と考 え方 をも ち、価値観 や利 害 を同 じ- し て
者 の形成 を めざし' 生涯学 習社会 の実 現を目
標 とす る が、 そ の基本 的 な方向 は、次 の五 つ
とな る。
14
ら追 い出 され る こと があ ってはなら な い。学
十分 に基礎 教育 を マスターしな いまま学校 か
実現を めざす 以上'教育 改革 も より広範 な領
で行 われ るも のではな い。 まし て生 涯学 習 の
学 習 はも ち ろ ん'教育 もけ っし て学校 だけ
誰 でも、学 習し た いとす る者 は学 習 でき るよ
生涯学 習 の理想 は 「い つでも、 ど こでも、
に変 え て い- こと であ る。
校 教育 の硬直性 を打破 す る のは'学 習内容 の
域 に ついて検討 され る べき であ る。 今後 は'
う な社会 を つ- るこ と」 であ る。 も ち ろ ん'
初等 ・
中 等教育 t と- に義 務教育 の段階 では'
多 様 化 と いう ヨ コの関係 よ-も'学 習時 間 の
り'学 校 以外 のと ころ で個別 に教育 を受け る
学 習 の場 が これ ま で以 上 に社 会 全 体 に広 が
ター ン' そ の原 型 であ る年齢主義 的 な学校教
校教育 におけ る学 習 のプ ロセ スが個 人 の ニー
機 会 が拡大 され て い-。 それ だけ でな-、学
から と い って、 私 たち は学校 教育 を軽視 し た
生 涯学 習 の場 は学校 に限らな い。 し かし' だ
⑳ 相互依存による協力学習を
る。 それ には'年齢 にとら われ過ぎ た生 活 パ
弾力化 と いう タ テ の関係 でな され る べき であ
育 を改 める こと が先 決 であ る。
て いる。 つまり'社会 に出 る前 の勉 強 し か評
これ から必要 とされ る のは'教育機能 の分担
るタテ の教育改革論 は重要 性を失 って い-0
新 の加速化 な どと いノった社会変 化 があ る。
構成 の変 容' 知 識基盤社会 への移行、技術革
れ る背 景 には' 長寿化 ・少 子化 によ る労働 力
学校教育 から生 涯学 習体制 への転換 を迫 ら
-'学校廃 止論 に- みす るわけ ではな い。
価 されな いこと が問題 な のであ り'学歴 が評
によ る ヨ コの教育 改革 であ る。それ は同時 に'
いよ いよ競争 を強化す る必要 があ ると いう 考
れ る。 そう な れば'学校制度 の段階区 分 によ
価 され る こと自体 に起因す るも のではな い。
え が強 ま って いる。学校 の外 の社会 はます ま
ズ に応 じ て弾力的 にな って い- こと が期待 さ
学校教育 にお いて同 一の学 習内容 を同じ スピ
地域 の実情 に応 じ て分権的 な教育 改革論 とな
ろ、
つ。
す競争 的 にな る のに'学校 のな かだけ は競争
学歴主義 が病 理 だと いわれ る現象 も' それ
ー ド で学 習 さ せる こと にはも とも と無 理 があ
教育 の分担 は全国 一律 であ る必要 はなく
が年齢主義 と結 び ついて いると ころ から生 じ
-' いわ ゆ る落 ち こぼれ や学校嫌 いが生 まれ
むし ろ地域 によ る違 いが不 可欠 とされ ると い
って いい。
か。 私 たち は' ひたす ら競争 さえす れば経済
を な - そう と いう のは無 理 な 注 文 で はな い
人生全般 にわ た って'年齢 や世代 によ って
のも のは'無 理な こ の 1列行進 シ ステ ムにあ
ると い って いい。
か って い- ことはまず 異論 はな いだろう 。 そ
ま だが' 少な- とも先 進諸国 が知 識社会 に向
る。 将来 の経済 や産業 に関す る予測 はさま ざ
づけ て い- の に必 要 な 学 習 機 会 の保 障 であ
度 の競争 はし ばし ば社会 的 な非 効率 を招-0
化 を促す 強力 な要 因 ではあ る が'他方 で' 過
会的 風潮 には同調 しな い。競争 は経済的 効率
が発達 し'社会 が円 滑 に機能 す ると い った社
今 日'わ が国 では'国 際 経済競争 を根拠 に'
て- る有 力 な原因 とな って いる。 諸 々の教育
第 四 は、勤 労者 が生 涯 にわ た って仕事 を つ
仕 切 る のを や め' ライ フ スタイ ルの画 1性 を
荒廃 に学 校 の責 任 があ るとす れ ば' そ の最 大
な-す 必要 があ る。
長期的 展望 とし ては 「
競争 社会 を超 え て」 と
人主義 的 な競争 を万能 視す る こと は再検討 さ
れなけ れ ばならな い。
によ る協 力学 習 が奨励 され て いい。従来 の個
味 で'学校 でも職場 でも'積極 的 な相互依存
う し た知 識社 会 のも と では、知 識 や技能 の変
に新 し い知 識 や技能 を身 に つけ て い-必要 が
あ る。
人 々が失業 の憂き目を見 な いため には、常
いう 視点 が必要 にな って- ると思う 。 そ の意
社会全体で担う教育機能
化 は いよ いよ ピ ッチ が上 が って い-0
⑳
第 三 は' これま で学校 が独占 に近 い形 で担
ってき た教育機能 を社会全 体 で分担す る方向
15
が学校 でど の程度 自由 に行 え るか ど
う かが問題 だと指摘 し て いる のが特
徴 であ る。 ま た同時 に'市 川先 生 も
指摘 され た規範教育 '価値 教育 が で
では'道徳 教育 が政治 イ デ オ ロギー
きな か っ.
た背 景 にも通 じ る が、 日本
教育 と裏 腹 の関係 にな って、あ る価
り かえら れ てしまう 。 こう いう 問題
値 観 が政治的 な立場 の違 いにす ぐす
にあ ると指摘 され て いる。
を畢 ん で いて' な かな か難 し い状況
さら に全体 とし ては'教育改革 へ
スムーズ に接合 でき る のではな いか
は' 日本語教育 は非常 に難 し-、 こ
次 に小学 校 で指摘 され て いる問題
興味深 いテー マではな いだろう か。
とな ど が いわれ て いる。 ま た世界参
外 活動を大幅 に生徒 の手 に委 ねる こ
嶺 井 正也
と いう 問題提 起 がされ て いる。 し か
れ が落 ち こぼれ の問題 にも かかわ っ
専修大学教授
の教 師 と地域住 民 の参 加、 規律 と競
し、 公立幼 稚 園、 公立 の保育 所へ 私
QECD調査 団 の報告 は、 ほとん
て.
、'調査 団報 告 を下敷 き にしな がら'
今頁 どう いう 課 題 が あ る か に つ い
題を是 正す る 一つの案 とし て、無学
な進 級制度 から生ず るさま ざまな問
小学校 の教育 では、 日本 の画 一的
育 園 の 一元化 問題 に ついても触 れら
れ て いな い。
当時'議 論 にな って いた幼 稚 園 ・保
とし て回答 は出 され て いな い。 ま た
体 の問題 に ついては、今後 の課題 だ
に つな がる指摘 にな って いる。
今度 の十五期中 教審答 申 の英語学 習
う こと が いわ れ ており'これな どは'
いて小学校 から行 ったら どう かと い
ており'外国語教育、外国学 習 に つ
本 はそれなり の地位 を占 める に至 っ
摘 がされ て いる。
行う 方法 を見 つけ る べき だと い- 指
て- る ので' 日本語 教育 を能 率的 に
受け て、 こ の四半 世紀 に生 じ た課題
こう し たOECD の報告 の指摘 を
本 の教育機関 の開放' 世界性をも つ
留学制度 の改善 '外国 人 に対す る日
で、 実際 に役 立 つ外国語教育'外国
加 のた め の教 育 の徹 底 と いう こ と
け でな-創造 を' そ の 一つとし て課
先 ほど' ド- ア先 生も指摘 され た
立幼稚 園' 私立保育 所 と いう 設置主
争 だけ でな-協 力を'受容 と模倣 だ
の学 校教育 にどう いう 問題 が起 き、
畢 o ECD の教育調査 団 の報告書
から二 十五年 た った。 こ の間' 日本
惹 南等 教育 が中 心 で'初 等教育 に つ
けては それ ほど割 かれ て いな い。 た
年制 の提 起 がされ て いる。最近 は、
無
な いが、当 時 は かな -議 論 のあ った
の教育 行 政を批 判し、教育 課程編成
中学 校 に ついては' かなり文部省
第 一は、義 務教育制度 が非常 に揺
▼ 義務教育が揺らいでいる
人材 の養 成 な ど が指摘 さ れ て いる。
だ、
二幼 児教育 に ついて就学 年齢 の引
学 年制 が提起 され る ことは ほと んど
問 題 であ り、今 日改 め て論 議 し ても
三番 目 には、国 際社会 のな か で日
き下げ 問題 が議 論 さ れ て いる。 これ
に ついて、 私 の考 え て 小や 」とを 六
点 にわ た って述 べて見 た い。
私やり の観点 を つけ 加 、
え、論点 を整
理し て みた いと思う 。
虹 ついては政策 判断上、
・非常 に難 し
頼問題 だが'就学 年齢 を引 き下げ る
F
.
)と によ って幼 児教育 と学校教育 を
1J
・
16
そ の相 互 な のかと いう 議 論 A Lな け
れ ばな ら な いがtoECD の調 査 団
は義 務 教 育 な のか'学 校 教育 な のか'
ら いでき て いる のではな いか9 これ
育」 と は何 か、 そ の中 核 であ る 「
就
題 の議 論 も あ る が' 改め て 「
義 務教
かと考 え て いる。
度 見 直す 時 期 にき て いる のではな い
り、義 務 教育 と いう 考 え方 をもう 一
族 ' エス ニシテ ィ問題 がク ロー ズ ア
一方 で'国 際 社会 と同様 に国 内 の民
し' 滞 日' 在 日す るよう にな った。
〇 年 代 に 入 って外 国 人 が多 数 渡 目
こと が いわ れ てき て いる。 と- に八
際社 会 に生 き る 日本 人 の育 成 と いう
こ の警 告 は1 今 でも生 き て いる ので
る のではな かろう か」と述 べて いる。
関 車 から引 き離 す時 期 にか か って い
いる ﹃
教育 ﹄ と いう 車 輪 を' 今 や機
「﹃
経済﹄と いう 機 関 車 に連結 され て
相 のフォー ル氏 は' 日本 にお いても
第 二 に、 1九 七 四年 に ユネ ス コが
のこと がは っきりし てき た のではな
う こと が大事 にな ってき ておりt0
ECD報 告 から 二十 五年 間 で 一層 こ
日本 の教育 にどう 入 れ て い- か と い
こで且 日本 の教 育制度 が問 われ て い
るよう に思う 。グ ロー バ ルな視 点 を
ップ さ れ るよう になり' 改 め て' こ
労働 力 の配 分機 構 であ る ことを や め
かしな がら'学 校 教育 は依 然 とし て、
シ ステ ムはとれな く な ってき た。 し
学 校 教育 にお いて養 成 す る と い った
期中 等教育 の多 様 化 と いう 直 接的 に
が終 わり、 六〇年代 後 半 のよう な後
はな いか。
近年、 公 立義 務 教育 学 校 の選択 問
「
長期欠席 」 の理由 の第 1位 が、 そ
が日本 に来 た八 年後 の 一九 七九 年 は
「
国 際 理解 '国 際 協 力 及 び国 際平 和
「
多 国 民形成 」ぁ る いは
いか。 これ から は 「1国 民 形成 」 だ
れ以降' いわ ゆ る「
不 登校 」 「
登校 拒
ら い」 へと変 わ ▲
つた年 でもあ る。 こ
否」 の子 ども たち が増 加 し、 一九 七
九年 で 小 ・
亘 学 校 の子 ども で五 十
▼
産業構造 の変 化 に見合 った労働 力 を
市 川先 生 が指摘 され るよう に' 自
ジ ョブ ・- レー ニング で養う こと の
会 の 一月 と⊥ て の公民」 育 成 を各 国
でや る べき だと提 起 し て いる。 日本
ら の労働 キ ャリ アを 構 想 し て い- 力
必要な 「
地球市民形成」の
視点
確 か に、 七〇年 代 に高度 経済 成 長
日以上休 ん だ のは 一万 五 千 四百 三 十
け ではな く
な か った。 それ は' 産 業 界 が オ ン ・
学義務 」 と 車、
.つ発 想 で い いのか どかは議 論す る必要 があ ると思う 。
六人 だ った が' 一九 九〇年 には四 万
のた め の教育 並 び に人権 及 び基本 的
「
地球市 民 形成」 と いう 視点 が必 要
とな ろう 。
れま で の 「
病気 」 から 「
学 校 教育 ざ
て いる。
八 千 二百三 十 七 人 と三倍 以上 にな っ
自由 に ついて の教育 に関 す る勧 告」
を出 し て いる が' こ こ では 「
国 際社
こ の背 景 には いろ いろな こと が考
では同 じ年 に'中 央 教育 審議 会 が「
教
第 三 は' 教育 と経済 の関 わり のあ
え ら れ る が' 私 が ここで指摘 し た い
のは' 学 校 を 絶対 視 し な いで' 相 対
育 ・学 術 ・文化 におけ る国 際交 流 に
り方 に ついて であ る。 二十 五年前 に
に' そ の 1員 であ った元 フラ ンス文
OECD の調査 団 が日本 に来 たとき
ャリ ア形成 におけ る労働 や仕事 の意
を育 成す る と か' あ る いは自 ら のキ
き たから であ る。
を学 校 に求 め'学 校 も それ に応 え て
でき る基礎 的能 力 や職場 で の適 応 力
化す る傾 向 が強 ま る ととも に、保 護
ついて」 と題す る答 申 を 行 った。 こ
の スター -」 と いわ れ て いる が∵ そ
▼
者 によ る 「
就 学義 務」 と いう 観 念 が
の年 をも って 「日本 の国 際 理解 教育
の後、臨時 教育 審議 会 な ど でも、国
教育 の観点 で経済 の
見直 しを
こと であ る。市 民社 会 の成 熟 と とも
弱 ま り つ つあ る のではな いかと いう
の参 加 と い った 動 き も 出 て き て お
嶺 井 正也 (
みね い ・ま さや) l九 四七年 生 ま れ 東 京 教育 大学 大 学院 教育 研究 科博 士 課 程単
位 取得 ・中 退 一九 九 二年 ミラ ノ大学 留学 著書 「現代教育科 学論 の フ ロンテ ィア」(
共著 ・エ
イ デ ル研究 所) 「子ど も の権 利条約 と障害 児L(
共著 ・現代書 館 ) 「共生時 代 の学校 像 」(
共著 ・自
由書 房) 「共生 ・共青 を求 め て」(
共著 ・明 石書 店 ) 「分権 社会 の創 造 し(
共著 ・東 洋経 済 新 報 社 )
17
に' 選択 の拡 大 、 フリー スクー ル へ
嶺井 正也
専修大学教授
てはならな い。 こ の問題 は、 ハンデ
ィキセ ップ 、 デ ィ スア ビリテ ィー の
子 ども の問題 だけ でな-' 1人 ひと
意 識 変 化 に と も な う 女 性 労 働 の増
り の子 ども の スペシ ャ ル ・エデ ュケ
一方 で のグ ロー バリ ゼー シ ョンの問
題 と同時 に' それぞれ の地域 に見合
加' そ の反面' 整備 が遅 れ て いる子
育 て支援策、保 護者 が支出す る教育
味を考 え るも のはほとん ど.
な され る
こと はな-' いや 9.
・
いい会 社に入 る
った教育 を どう つ- って い- かと い
ー シ ョナ ル ・ニーズ にどう 対応 しな
かと いう 観点 で、学校 と経済 界 が結
がら'一緒 の教育 を実 現し て い- か。
費 の増大、 子育 て の困難 な どから 日
分け な いで連帯 しな がら' そ の子 に
て いると思う 。
な ど国 レベ ルで の子育 て支援策 がと
いう 非常 に難 し い課題 だが' こ の間
合 った教育 を どう 保障 し て い- かと
う こと で、非常 に大 きな課題 にな っ
そ の際 に' 私 は権 限 の地方委 譲 だ
ら れ るよう にな ってき て いるが' 子
び つ1
3_
てき た,
o教育 段階歴 や学校歴
け ではな-' 地域 住 民'保護者 'あ
育 て家庭 の経済的 ・精神 的負 担 は 一
によ る分 配' 選別 が行 わ れ、 いわ ゆ
にどう かかわ って いく かと いう ' そ
る いは子 ども たち が学校教育 の運営
向 に軽 くな っては いな い。 これ に高
本 の少 子化傾向 は ます ます 強-な っ
て いる。 こ の間' 「エンゼ ルプ ラ ン」
し かし' 「
大競争 時 代」を迎え'高
う し た参 加 の問題を合 わ せ て議論す
ひとり が人間 とし て'市 民 とし て'
経済 を教育 の観点 から見直 し、 1人
が強 い問題提起 をし て いる今 こそ'
て' 子 ども たち の学 校 拒否 や無気 力
徒 たち の意 見 を求 めるよ- にし たら
編成す ると い った事 項 に ついて'生
告も 「
教科書 を選 んだり'時 間割 を
べき だと思 って いる。OECD の報
の問題 から'有 機的 な つな がりをも
稚 園 は'依然 とし て設置主 体 や管 轄
育 を社会的 に担 って いる保育 所'幼
今'家庭 となら ん で幼 児教育 ・保
担 は倍加す る。
齢者 の介護 問題 が重 な ると' そ の負
と いう こと が現在' ユネ ス コな ど で
え ば二 九 七四年 のサ ラ マンカ宣 言)
レー シ ョン'イ ンク ルー ジ ョン(
たと
スア ビリ テ ィー の子 ども たち の問題
であ ろう と思▲
う。
■
題を基本 的 に提起 し て いる のはデ ィ
った。
る学 歴社会 が 一層 進行す る こと にな
度 人材養 成 が求 めら れ るな か にあ っ
国 民 とし て' し かも 地球市 民 とし て
こ の問題を指摘 し て いる。 私 はイ タ
どう だろう 」 と若干 柔ら か い表 現 で
て い-必要 があ る。 そ のため にも'
て、 や はり学 校 の基本的 な問題 に'
リ ア の学校協議 会 シ ステ ムな どを見
年齢 の引き下げ 問題を考 え たら どう
見直す べき だと思う 。 そし て、就学
も含 め て'幼 児期 の教育 をもう 一度
つに至 って いな い。 私 は'学童保育
思 って いる。
け で いく必要 があ る のではな いかと
し た発想 と規範教育 の強化 と結 び つ
も議 論 され て いる が' 日本 でも こう
ノー や ライ ゼI シ ョン、 イ ンテグ
社会 」 をより 一層 人間的 なも のにし
育 つこと のでき るよう な 「
生 涯学 習
教育 と経済 ・産 業 の望 まし い関係 に
保 護者 '生徒 が参 加す る必要 があ る
ついて、論議 を深 める べき であ ろう 。
▼
スリ ム化 のな か で'改 め て部活'学
校 と いう 発想 を提起 され た。学校 の
市 川先 生 は報告 のな か で'生活学
と考 え て.
Lる。 そ れ が、 ほんと- の
かと思 って いる。
な いか。
習' それ から 子 ども たち の友達関係
こと が大きな課題 にな って いる。生
を どう つ-りあげ て い- のかと いう
▼ 競争から共生 へ
意 味 で地方 分権 にな って い- のでは
学校 運営 に保護者 の
参加を
第 四 に' ご存 じ のよう にOECD
最後 の第 六 は、市 川先 生 も競争 か
活学 校 と いう 発想 に ついて' 私も同
就学年齢 の引き下げも
が' ノー マライ ゼー シ ョンの観点 か
ら共生 へと いう ことを強調 し て いた
じよう な問題意 識をも って いる こと
▼
第 五 に、 日本 は高齢化 ・少 子化社
を最後 に つけ加 え ておき た い。
調査 団 は' 日本 の教育行 政を非常 に
会 に入 って いるが' そう いわれな が
子 ども たちを ど のよう に受 け 入 れ て
らt
.学校教育 のな か に'障 害 をも つ
中 央集 権 的 だと指摘 し た。 そ の後'
って いる。 た だ' 一九九 五年 に地方
そ の性格 は弱 ま る ことな-現在 に至
シ ステ ムを どう す るかと いう 議論 は
い- かと いう ことを真剣 に考 えな-
ら幼 児教育 に ついて'基本 的 に この
少な い。急 速 な高齢化 な どや女性 の
分権 推 進法 が制定 され'教育 行 政 の
こと が議論 され て いる。この問題 は、
地方 分権 ' あ る いは地方主 権 と いう
18
あ る.
〇 年代 の半 ば.
であ ったと い- 事実 で
たまえ ば経済学者 の岩井克 人さん
は'大略次 のよう に述 べて いる。
「1九 七三年 にダ ニエル ・ベ ルが脱
工業化社会 の到来 を宣 言し て以来'′
守- やち私 たち は新 し い世界,i
i
:
巻き
さ に' ボ ス下産業資本主義 ' ボ ス-
意 味す るとと.
ろは皆 同じ です。 今ま
る
ら
われな がら' 現実 にはボ ス-高校教
・イ ンダ ス-リ ア ル ・キ ャピタリズ
え
⋮か
始 め てい るよ- な のです .。それを F
q
第
三 の波﹄
tや'ネ ク ス- エ コノミー、
あ る いは コンビ ユー- ピアと呼 ぼう
土 のよう な学校 の現状を ど- 見 る
育 の通過過華 にな って いる。 さら に
黒沢 惟昭
かは人 によ って違 いがあ るが、私 は'
高校生 は'年齢的 にもかなり不安定な
ムの時代 に入り つつあ ると い って い
凍京賢 芙 学教 授
これ は教育 の 「
病 理」 形態であ ると
る のです」
とも∵ 濁 度情報社 会﹄や ﹃
知 識社会 ﹄
や ﹃
サー ビ ス社会﹄ と呼 ぼう とも'
の不登校 児 が過去最高 の八万 二千人
思春期 に当 たり'そr
の点 でもとりわけ
文部省 が発表 し た 一九九 六年度 の
学校基本調査 によ ると'小 ・中学校
近- にな った。 この場合 の不登校 の
問題が多 い。
点 - これ はかなりあ いまい な言葉 だ
な いかせH
・3
う。
■
一
これ はかなり納得 でき る説 明じ ゃ
のが教育改革 の主 眼 だと思う 。今回
認識し\
て いる。 このよう な事態 をな
んとか少し でも解決し て い- と いは高校教育 に限 って' この問題を考
私 は' 「
ボス- ・モダ ン」 と いう 視
五十 日以上 の欠席 を見 ても、 八五年
基準 は、年間 三十 日以上 の欠席 だが'
度 に比 べ小学校 は約三倍'中学校 は
がI から問題を考、
ろて見 た い.
。とこ
そ の他、 私 の読 んだ鹿 稿 では、佐
え てみた い。
華 の社会 で大きな構造的 な変化 が起
いた いこの時代 に注目し て いる。 日
造的 に大き-変化 し てき た のではな
こ って いる こと は間 違 いな い。さ ら
伯啓思 さんは か いろ いろ な方 が'
・だ
いか。 それ はボ ス- ・モダシ ま たは
近 出 さ れ た本 のな か で か な り 詳 し
ろ で'
・戦後教育 と 三 日で いう が' 七
ご承 知 のよう に'高校 は義 務教育
ボ ス-産業賓本主義 と いう 言葉 で表
わす ことが でき ると思う 。土 のため
〇年代半 ばを境 に' 日本 の社会 が構
約 二倍 に増 え て いる。 これを割倉 に
直す と、小学校 では五百人 に 一入 '
ではな い。し かし'九七% 程度 の進
中学校 では七十 人 に 1人 が不登校 と
退者 が約十万人出 ており' ここ数年
学率 であ るから'実質的 にはほぼ義
-、
.
平 成 四年度 の生活 白書 を分析 し
▼ ポ スト・モダンへの時期
は減少し て いるが、 五十 人 に 一人 の
の最も わ かりやす い指標は'第 三次
て、そ の時 期 の変容を表 にし て いる。
な る。 ま た別 の調査 では'高校 の中
中退率 であ る。 千人規模 の高校 が毎
務教育 に近 い数 字 にな って いる ま
産業 の就業者 が半数を超え た のが七
に'教育 評論家 の小浜逸郎 さんも、最
年 百校近-消え て い- と いう勘定 に
た'高 校 は中等教育 の完成形態 と い
?P
,
な る。
19
う ことを指摘 し た い。
ポ ック メー キ ング にな って いると い
べる余 裕 はな い。た だ'そ の時 期 が エ
であ る。そ の詳 し い指 標を'ここで述
それを読 ん で、改 め て実感 し た次第
ま では いかな いけ れ ども' 「
分衆」化
はと ても説 明し きれな い' 「
個 人」化
で' 「
大衆」と いう 一括し た考 え方 で
書 を出 し て話 題 を呼 んだ。 このな か
活稔 研 が 「
分衆 の時 代」 と い-報 告
ではな いか。
問題提起' そう し た要素 があ った の
- ・モダ ン的 な状況 に対す る 一つの
が'もう 一面を見 れば' や はりボ ス
う 点や は、 私 は批 判的 に捉 え て いた
青 にな る べ- お金 を かけ な いでと い
問題 が直 接 の契機 にな って いる。 し
いろな要素 があ る が'当時 の いじ め
臨教審 が つ-ら れ た背 景 には いろ
守的 であ ったと いわざ るを得 な い。
論 理 の応 用 と いう 点 では、臨 教審 の
改革案 はす こぶるプ レ・モダ ンで、
保
考 え れば、臨 教審 の処方篭 は残 念 な
顕在化 し深 刻化 し てき て いる現状を
かし' そ の後' いじ め問題 がむし ろ
と いう べき状況 が出 てき て いる事態
ボ ス- ・モダ ンの内 実 に ついても
方 があ ったが'市 川先 生 も言 及され
がら失敗 に終 わ ったと いわざ るを得
臨教審 のな か には いろ いろな考 え
私 は'高 校 の改革 を考 え て い-場
たよう に'基 本 的 な考 え は、外部 か
な いだろう 。 にも かかわらず '臨 教
を かな り詳 し-例証 し て いる。
合 に' こ のよう な社会的 な背 景をイ
ら 固定的 な価値 観 を導 入す る のでは
審 が対応 し たボ ス- ・モダ ン的 な状
いろ いろ な 説 明 があ る。そ の説 明 は
け る前 述 の変 化 がだ いた い十年ぐ ら
ンプ ッ-し て いかなけ ればならな い
せておけ ば'す べてう ま- い- と い
なく'自由 に任 せよう '市場 経済 に任
ここでは省 略す るが' 経済構造 にお
いの スパ ンを 経 て' いわゆ る上部 構
と思 って いる 。
も いろ いろ論 じなけ ればならな い点
l部会 の問題意 識 は' そう い- も の
う 。香 山健 一さ んな どが主 導 し た第
う か な り 楽 観 的 な 考 え だ った と 思
ダ メだと いう イ ンバクーを私 たち に
前 期戦後的 な画 一主義 な考 え方 では
況 に対 し ては' モダ ンの、 つまり、
戦後 の教育 改革 に ついてはほ かに
造 にも表 れ てき たと いえ よう 。 教育
をボ ス- ・モダ ンと呼 ぶわけ で'私も
があ るが'端的 に いえ ば、学校教 育
であ った。
を含 め て こう し た上部 構造的 な現象
基本的 にはそ のよう に考 え て いる。
がも って いる画 二王義 と いう も のが
改 め て'考 え て見 ればま さ にそ の
▼ 無理がある多様な選抜
鮮 烈 に与 え た のであ る。
崩 れ て い-社会 的 な基盤 が現在無視
▼ ポ スト ・モダ ン的改革が
できな いのであ る。 つまり' 七〇年
が起 こ って' それ に連動 し て教育 的
十年前 頃 に'社会 経済的 な構造変 化
必要
より前 の前 期戦後 と は違 った状況'
A
rJ
う し た問題 を'あ る程度 ア レン
私 の言葉 で いえ ば、 ボ ス- ・モダ ン
ジしな がら受 け止 めた のが、第 十 四
よく いわ れ る こと であ るが、 こ の
にも いろ いろな問題 が発生 し てき て
期中教審 であ る。 基本的 には臨教審
的 な 状況 にお いては' モダ ン的 な高
いたな か で、 それなり の対応 を示し
き た。 いわ ゆ る 「
イ ンス- ルメ ンタ
校改革' 教育改革 ではダ メだと いう
を受 け継 いで いると思う が、教育 を
時 期 に青 年 の性向 も かな り変 わ って
ル」 な青 年 から 「コンサ マー リー」
た点 は評価 し た い。し かし'既 にボ ス
市場 経済 に任 せる のではな-' 三 日
- ・モダ ン の状 況 にな って いる とき
に'教 育 に対 し て極 め て古 典 的 な 自
い学 校 へ」 と いう ス ロー ガ ンが改革
の眼目 をよ-表 わし て いると思う 。
で いえ ば 「
行け る学 校 から' 行 き た
であ ろう 。 自由 経済 と いう 点 では自
つまり'偏差値 によ って規定 され た
ナ ク ロ ニズ ムと いわれ ても仕方 な い
認識 が必要 にな って いる のだ。
▼
臨教審 の脱画 「主義 の
捷起
こ のこと に いち早-気 づ いた のが
由主義 的 であ ったが'古典 経済学 の
由 経済 の論 理をも ち出す のでは、 ア
な青 年、つまり'あ る日的 をも って'
現在 を 「
道 具的」 に捉 る青 年 から'
そ のときそ のときを 頂点 と考 え る'
か' そう いう 性向 の青 年 がかな り多
つま り即日 ・自 己充 足的 と でも いう
く な って いる こと が指 摘 さ れ て い
臨教審 の改革 であ った。Å ち ろ ん'
教育臨 調 の 一環 とし て' つまり'教
る。 ま た' 一
・
九 八五年 に博報堂 の生
甜
た い学 校 に 行.
- ん だ と いう 謂 であ
学 校 に行 - のではな-、 自 分 の行 き
かぎ り では、 理念 と現実 の間 には か
物 だ が' 現場 の先 生 の意 見 を聞 いた
く る こと であ る。
第 三 は'市 川先 生 の報 告 にもあ っ
け る学 校 から' 行 き た い学 校 へ」 と
いく と いう も のであ った。 し かし'
● ●●●●●●●●
そう ではな-' そ の人 に応 じ た実質
●●●
的 平 等 を 図 って い- と いう のが 「
行
自由 の制 限 を行 って平 等 化 を 図 って
る いは学区 を制 限す るな ど' 1定 の
とえ ば 「
稔合 選抜 」 を行う と か' あ
前 期 戦 後 的 な考 え で の平 等 は' た
ると'学 力 以外 と い いな がら' 基本
が得 ら れ て いな い。 「
客 観 性」を考 え
し ま ってな かな か当 人 や 父母 の納得
は難 し -' 個 人的 な主 観 性 が入 って
し かし 1推 薦」 と いう のは現実 に
あ る。
な平 等化 を 図 ろう とし て いるも ので
途 の 一つで多 様 化、 あ る いは実質 的
な- '多 面的 な評価 を行う と いう 方
れ は従 来 のよう に学 力 試験 一本 では
たとえ ば' 推 薦 入学 であ る が' こ
は学校 以外 のも の' つまり'従来 で
幅 を広 げ る こと であ る。 こ のため に
第 二 は'多 様 化 のな か で、 選択 の
って い- こと が肝要 であ る。
指摘 し た学 校 の 「
格差 の是 正」 を 図
そ のなか で' 十 四期中教 審 が正し -
択 へ」 と基本 を改 め る必要 があ る。
の コンセプ - であ る が、「
選抜 から選
これ は以前 から主 張 され て いる改 革
に﹄)に詳 し-書 いてあ る が、第 一は'
報 告普 (
﹃
生 涯 か がやき続 け る た め
私 の考え はお手 元 にあ る連合 稔研 の
では'ど のよう にし たら い いのか。
し て い-必要 があ ると考 え て いる。
う 1つの」 学 校 のあ り方 とし て拡 大
私 は、 これを ボ ス- ・モダ ン的 な 「
も
に十県 が開 設 の準備 を進 め て いる。
道 府 県 四十 五校 ' 九 七年度 にはさら
が進 めら れ て いる。 九 四年度 は七校
言 によ って 「
絵合学 科高 校 」 の開 設
最 後 に' 現在 ' 十 四期中 教審 の提
いう 改革 構 想 であ る。
進度 の多 様 性 も 同時 に認 め て い- と
よう に考 え方 を改 め て い-。つまり'
単 位 を 取得 し た時 点 を卒 業 時 とす る
極 端 に いえ ば'生 涯 か か って必要 な
う に三年 間 に限定 す る のではな -、
▼ 進度の多様性を認める
いう ス ロー ガ ンであ る。
は学 力 にな ってし まう 。学 力 以外 の
いえ ば社 会 教育 的 な学 習 ・活 動 ・体
も ち ろ ん、 現行 のまま では いろ いろ
たよう に'高 等学 校 を これま で のよ
幾 つか の多 様 化 し た学 校 を積極 的
験も含 め て科 目 の拡 大 、 コー スの選
な り ギ ャ ップ があ る のではな いかと
に つ- って い-。 あ る いは特 色 のあ
も のを 判定 し'多 面 的 に評価 し て高
択 の幅 の拡 大 を 図 って い- と いう こ
問題 があ ると は思う が、 稔合学 科高
る。 こ こには' 形式 的 な平 等 から'
る高 校 を た- さ ん つ- って' そ の器
校 を実質 的 に多 様 化 し て い- と いう
と であ る。 もう 一つは' そう し た学
感ず る。
の多 様 性 に、多 様 化 し た青 年 たちを
こと は、 私 の見聞 し た限り ではそ れ
校 を 今 後 の高 校 改 革 の基本 的 な モデ
も 含 ま れ て いる。
当 てはめ て いく。 そう す れ ば、 画 一
ほど成 功 し て いると は思 え な い。 以
校 を た- さ ん つ- って、 そし て生徒
実 質 的 な平 等 への転換 と いう 考 え方
化 によ る従 来 の受 験戟争 は緩和 さ れ
上 が、 十 四期中 教 審 の改革 に対す る
ルにす べき だと思う 。
であ った が' 九 六年度 には二十 九 都
る のではな いかと考 え た のであ る。
が自主 的 に選択 でき る シ ステ ムを つ
黒 沢稚 昭 (
く ろ さわ ・め ぶあ き) 一九 三 八年 生 ま れ 著 書 「
疎 外 と教育 し (
新 評論 ) 「社会 教育
論序 説L (
八千代 出 版) 「国家 と道徳 ・
教 育し (
青 弓社) 「
グ ラ ム シと現代 日本 の教育 し (
社会 評論
社)共編 著 「
グ ラ ム シと現代L (
御 茶 の水書 房) 「
教 育科 学論 の フ ロンテ ィア」 (エイ デ ル研究 所)
r現 代的 人権 と社会 教育 」 (
東 洋舘 出 版 社) 「
グ ラ ム シと現代 世界LU
_
(
社会 評論 社)共著 「現代 日
本 の教育 イ デオ ロギ ーL (
青 弓社) r生 き て いるグラ ム シL・(
社会 評論 社) など
t
M
川Ⅳ
21
私 の考 え方 だ。
黒沢 惟昭
し かし始 ま ったば かり で' 即断 は禁
東京学芸大学教授
嘉
育
蛮
T
1
フ0
場 合 に、 こ のよう に機能 分化す べき
だと考 え る のが自然 ではな いかと思
成 人学 習者 の受 け 入 れ に対 し て、
用意 周 到 な準備 を行 って いる。 たと
国 の政策 は どう かと いえ ば' かな り
え ば大学 自身 の弾力化 の推 進 と か'
高度 化 の推 進 、 生 涯学 習時 代 の対 応
れ て いるよ、
γに' 大学 がど のよ.う な
立場 に立 って いて' ど のよす な機能
塵
u
欄HU
向n
へ
学 にた- さ ん入 ってき てほし いと い
学 習 社 会
地方 公 共団体 ' あ る いは企業 ・
産業 '
る か' ど のような 改 革 が必要 であ る
な さ い。 考 え た上 で' 何 が必要 でみ
/
た だ' 今後 の高 等教育 シ ステ ム全
など が政府 によつ て示 され て いる。
体 のあ る べき姿 に ついて、 明確 な ど
あ み いは家 庭 でも いいが'多 様 なプ
一つは、 大学 院 に成 人学 習者 を取
う こと だ が' そ のやり方 には二通 り
あ るとB
,3
、
つ.
1
■
米揮 彰純
ジ ョンを 示し て いる かと い- とt
..そ
う ではな い。 大学 審答 申 は、 基本 的
私 が連合 総 研 の報 告書 (
﹃
生涯 かが
レイ ヤー が直 接 に大学 の財 政配 分'
には 「弾力化」 と いう 言葉 にあ ら わ
やき続 け る た め に﹄)で主 に書 いた の
経営 活 動' あ る いは教育 改 革 と いう
あ って' どう いう 問題 点 があ る のか
入 って いる こと にど のよう な意 味 が
も って いる が' そ こに成 人学 習者 が
ミ ックな閉 鎖 さ れ た社 会 と いう 面 を
学 習 のとり - みを考 え て みた。 大学
という コ、
)
,ユ ニテ ィは' あ る ア カデ
第 1は' 大学 コミ ュ
.t
Iテ ィ の成 人
生市 場 が減 って い-分 を非 伝 統的 な
と であ る。 そ の場 合 に' 伝 統的 な学
る のは' 十 八歳 人 口 の減 少 と いう こ
高 等教 育 改 革 のとき に必ず 出 て い
かと いう 提 言 であ る。
ゲー ムに加 わ って い- べき ではな い
成 人学 習者 を取 り込 み' そ れ以外 の
かせ 、 研究大学 では前 者 の大学 院 で
では' 伝統的 な学 生市 場 の縮 小 のな
取 り込 むと いう 形 であ る。 ア メリ カ
つは学 習 段階 に応 じ て成 人学 習者 を
り 込 ん で い- やり方 であ -' もう 1
触れ な いと いう 姿 勢 を貫 いて いる。
る かと いう こと に関 し ては い っさ い
タイ ルを と.
って いる。 し かし、 大学
にと ってど のよう な改 革 が必要 であ
応 し て' その改 革 を 認 め ると いう ス
は' でき る限 り におい て弾力的 に対
かを考 え な さ い。 それ に対 し て政府
ら な いと いう のが' 大学 にと って の
▼ とりあえず大学慌重点化
大 鹿 的 な 大 学 に お い て は学 部 段 階
で' たとえ ばキー - タイ ム ・スチ ユ
.
第 二 は'プ レイ ヤ」 の多 様 化 と い
リ デ シ寸 と いう 形 で取 り 込 む と い形 で機能 分化 し て いる。 日本 でも'
学生 の市 場 で埋 め て いかなけ れ ばな
- こと で︰ これ は中 央 政府 と大学 と
成 人学 習者 を大学 が受 け 入 れ て い-
では、 こ のよう な政府 の政策 に対
共通 の認 識 だと い って.い い。
そ こで、 いま白 本 で注 目 され' 期
い- 二 つの関 係 せ ゲー ムで考 え た場
合 に' そ れ にか かわ ってt も- 少 し
待 さ れ て いる のは'成 人学 習者 が大
と いう こと であ る。
を果 たし て いるかを自 分 たち で考 え
は' 次 の二点 であ る。
東 京 大学 助手
lヽ
I
J
R
j
し て'大学 はど のよう に対応 しよう
の学生数 が増加す るに つれ て'後者
て のあ り方 の二 つが考えられ る。大
でただ' とりあ えず 大学院重点化を
条件 がま だ欠如し ており' そ のな か
フ ェシ ョナ ル ・スクー ルが存 立す る
受け るとか'他 の大学を受け る こと
は限ちな いわけ で、 ほか の研究室 を
いな い。 し かも自 分 の学部 に い- と
ため の準備教育 に対す る学生 の ニー
も当然あ る。 むしろ'大学院進学 の
学院をも つ大学 の数 が増え、 そ こで
国 立大学 の場合 は'大学 院重点化
ム内容を求 める声 が'学生 からも'
の専門的 な職業 に役 立 つカリキ ュラ
推進 し て いる に過ぎな いと いう 状況
であ る。
とし て いる のか。
って いる。 私自身'東京大学 に所属
と いう も のが 1つの大 きな動き にな
ズ が高 -'も っと 1般的な理科系 の
知育'あ る いは文科系 の知識を求 め
いう 形 で進 められ て いる。これま で'
考え が非常 に強 い。 ま た、先生方 は
者 の養成を本分 とす るも のだと いう
では、大学院 はアカデ ミ ックな研究
承知 のよう に 二 二年 ま では教養 部
門教育 へのシ 7- が起き て いる。 ご
教育 と 一般教育 と の区分を廃 し、専
第 二 に'学部段階 では従来 の専門
う より'教具組織 の ニーズ が優先 さ
これ は学生 の ニーズ によ る改革 と い
りも専門教育化 が進行 し て いるが'
いま'多 - の大学 で普 通教育化 よ
こと が予想 され る。 し かし' わ が国
ご存じ のよう に学部 段階 に教員 が所
必ず しも職業 人を養 成す るため に大
れ た 一つの例 ではな いか。
ま た社会 の側 からも強-な って い-
属 し、学部中 心 に組織運営 し てき た
学 に雇 われ て いる人 ではな いし'教
で教え ると いう ことが多 か ったわけ
し て いるが、
・東京大学 の場合 の大学
が' これを変 え て'す べて の教月を
月 の側 の準備も でき て いるとは限ら
般教育 をあ る程度 弱 めて、専門教育
院重点化構想 は'大学院 の部局化 と
大学 院 に配置換 えし て、大学 院を運
な い。 だから、専門的 な職業 に役立
つと いう よう な ニーズ に対応 でき る
る動きもあ る。
だ。 これ は' 一つの形式的 な組織移
営 組 織 の中 心 に据 え る と いう も の
教育内容をすぐ に提供 でき る大学院
▼ 教員組織のニーズ優先
動 でし かな いと いう 見方もあ ると思
▼ 残るは組織改
多 く の大学 院生 が入 るよう にな って
き た。
を出 た学生を∵学士号 をも って いる
課程を出 た学生、あ る いは博士課程
l方'企業 の俳もt.たとえば修士
割 は大学院 に進 ん で いる。 ほとんど
学 では理学部、 工学部 の七割 から八
生 の ニーズを考え た場合 に、東京大
き ではな いかと いう議論もあ る。学
をす る上 で、学部を 1般教育化す べ
入 によ って入試 の多様化 が図られ て
い入試、あ る いは 1芸 1能 な ど の導
化 が進 ん で いる。極端 に科目 が少な
れ て いた入試問題 だが、 入試 の多様
ド- ア先生も お話 のな か で触 れら
次 に' 私立大学 を中心 とし た動き
大学院 の教育 目的 の 一つは、 研究
から と い って賃金 に差 を付 け ると い
の人 は完成教育 と学部教育 を捉 え て
いるが' このよ い点 は、学生 の質 が
を見 てみよう 。
者養成を目的 とし たアカデ ミ ック ・
う 場合 は非常 に少な い。
東京大学助手
し かし' 一方 では、大学 院重点化
スクー ルとし て のあり方 と、高度 な
へと学部 段階を シ フ寸す るよう に動
いて いる。
だが' そう ではな- て、す べて の 一
う が' これ に伴 って' 研究所を含 め
は'現在 のと ころ数 少な いと い って
'
P
1
.Y1
.V0
革
と人事
て大学関係 の組織 のな かに'極 めて
専門的 職業従事者 の養 成 を目的 とし
このよう にわ が国 では'実 はプ ロ
米薄 彰 純 (
よねざ わ ・あきよし) 一九六 五年生まれ 一九九 三年東京 大学大学院教育学 研究科
博 士課程中 退 (
単位取得)教育学修士 九 三年 から東京大学助手 (
東京大学大学総合教育 研究
セ ンター勤務 ・高等教育 ) 著書 (
執筆分担)r
私学財政 と高等教育財政L (
小川 正人編著 r
教
育財政 の政策 と法制度」 エイ デル研究所) 主 要論文 に 「
高等教育政策 と私立 大学 の行動 - 供
給側 から みた拡大 ・停滞 - 」 (
教育社会学 研究第 50集)など
23
たプ ロフ ェシ ョナ ル ・スクー ルとし
米濯 彰純
行 わ れ て いると い って い い。 ただ'
で いると思う が' 大学 改革 は かな り
いま調査 す れ ば改 革 はさら に進 ん
け れ ばな らな い。 そ の意 味 で、 真 に
と ころ で' 政府 が示す意 向 に行 かな
に向 か って レ ッセ ・フ ェー ルされ た
ば、 最 大 の顧客 は政府 であ る。 そ こ
常 に大 き い。
いが' 大学 への影響 力 と いう のは非
学 ん で いる。 そ の数 は決 し て多 - な
ぐ ら いが社 会 人学 習者 とし て大学 で
こ のよ う な 改 革 を 進 め て い- 上
で、社 会 人 と い- も のを考 え て みた
い。 文部 省 の統計 では' いま九 千 人
一行 為主 体 あ たり の購 買 額 で考 え れ
う こと であ る。多 様 な学 力 の学 生 が
何 のため に改 革 を行 って いる のか は
と は限 ら な いのではな いか。 高 等教
学 生 の ニーズ に対応 し た競争 にな る
く い項目 だけ であ る。
入学 し て- る こと にな る が' そ の 一
よ- 分 からな い。 ま た' ど のよう な
偏差 値 によ る輪 切り によ って画 一化
方 で' そ の学 校 が自 分 の大学 の卒 業
必要 に応 じ て改革 が行 わ れ て いる か
な いか。 ど こ の私 立大学 も や- やす
も ' 実際 のと ころ分 から な いのでは
客 であ る限 - にお いて' いわ ゆ る表
育 シ ステ ムにと って政府 が最 大 の顧
語 を し て いて先 生 の話 を聞 かな いと
一つの例 とし て'生徒 が勝手 に私
し てし ま った条 件 が是 正 され ると い
かと いう こと と は関係 な い。 ど のよ
生 とし てど のよう な学 生 を出 し た い
も関 係 がな い。 つまり' 一つの大学
いう こと は、 成 人学 習者 の場 合 には
う に学 生 を教 育 し たかと いう ことと
な い。身 銭 を 切 って大学 に来 て いる
と いう ことも あ ると思う が' そ れ だ
面的 な レ ッセ ・フ ェー ルは有 効 では
け でな -大学 に対 し て ニー ズを感 じ
な いと思∫
う。
私 は' 中 央 政府 は' むし ろ積極 的
いも のからす べて の改 革 に手 を つけ
なグ ラ ンド ・デザ イ ンをもう 一度 提
って いる こと によ って' 大学 全 体 が
ており、 そ のよう な成 人学 習者 が入
て いる と いう のが実態 だと思う 。
示す る必要 があ る のではな いかと考
で の学 生 の多 様 化 であ って' そ れぞ
プラス
▼ 成人者の参加は改革に
こ のよう な 状況 のな か で' 私 は二
の多 様 化 」 と書 いた が' 私 は' レ ッ
報 告書 では 「
鍵 を握 るプ レイ ヤー
等教育 にか かわ るプ レイ ヤー (
行為
競争 状態 をも ち込 む のであ れ ば' 高
そ の上 で、 も し学 校 間 に市 場的 な
職能 的 な知 識 を求 め て大学 に入学 す
場 合 は、 職業 的 な ニー ズ'す な わ ち
私 たち の調査 では' 成 人学 習者 の
○
ヽ「
ノ
変 わ って い- と いう 部 分 がある と思
え て いる。 これ だけ の公的 な資金 を
れ の大学 が独自 の スクー ル ・カラー
をも つと いう 大学 の多 様 化 にはな っ
て いな い。
今 日 の大学 改 革 の波 のな か で'多
- の私 立大学 ・短 大 が非 伝 統的 な教
高 等教育 に導 入し て いる以上' そ の
セ ・フ ェー ルとし て の高 等 教育 は幻
つのことを提案 し た い。
の方 向 性 があ って進 めら れ て いるわ
れ は' そ れ ぞ れ の大学 に明確 な改 革
想 ではな いか と いう 結 論 を も たざ る
育 の試 みを始 め て いる。 し かし、 そ
け ではな い。 あ ら ゆ る改 革 を' とり
責 任 は政府 にあ る と思う 。
あ えず や って みて いると いう のが実
中 央 政府 の役割 を 小 さ- し、他 のプ
主 体) そ のも の の多 様 化 、す な わ ち
し て、だれ に向 か って競争 す る のか。
わ る余 地 を広げ て い- し かな いので
レイ ヤー が高 等 教育 に直 接的 にか か
かと いえ ば、 そう ではな い。 むし ろ
ムと いう も のに ついて否定 的 であ る
し かし' 彼 ら が大学 のア カデ ミズ
る傾向 が強 い。
と いう も のが市 場 的 な競争 をす ると
を得 な い。 そ の最 大 の理由 は'大学
現在 の状 況 で いえ ば'国 に向 か って
リ ク ルー -社 が二年前 に行 った調
態 ではな いか。
生募集 、 入試方 法 の改善 な ど' 基本
査 を見 ると、 カリ キ ュラ ム改 革 や学
め て来 て いる場 合 も 少 な- な -' そ
大学 のも って いる ア カデ ミズ ムを求
う し た部 分 を含 め て考 え ると' 成 人
はな いか。プ レイ ヤー は政府 だけ で
団体 ' あ る いは産 業 ・企業 な ど がよ
学 習者 の大学 コミ ュ ニテ ィ への参 加
はな い。 それ以外 の団体、 地方 公 共
株 式 会 社 を例 にす れ ば分 か- やす
り直 接的 に大学 にかかわ って い- 仕
は大学 改 革 にプ ラ スに働 - と思 っで
いる。
が強 い。
と ん ど の私 立大学 で二年前 に終 わ っ
いが、多 分' 会社 にと っては大株主
組 みを つ- って い- こと が必要 では
競争 し て いる のではな いかと いう 面
て いる。 比較 的 実施 率 が低 いのは人
の意 向 が 一番 大事 にな る。 私 立大学
な いか。
的 には伝 統的 な学 生市 場 を対象 にし
事 ・財務 に関 す る諸 項 目 で' 残 る は
にし ても国 立大学 にし ても、 単 純 に
た手 を つけ やす い改 革 は、す でにほ
組 織改 革 ・人事 政策 と い ったや- に
朗
今 次 中 教 血
審
議
を
で中間報告 と い った ニュア ンスの報
が、第 一次答申を出 し た。す でにお
告 であ る と いう 印 象 を も って いる
読 みにな って いる ことと思う 。
▼ 極めて多い残 ったままの
宿題
ほど の三 つのサブ テー マのう ち' 一
会 を 二 つつ- る こと にな った。 さき
論 を洗 い盾し てみると い- こと でも
㌃ 思う 。
あ ったよ、
め ぐ つ
昨年 は戦後五十年 と いう こと で'
社 会 的 にも さ ま ざ ま な 議 論 が あ っ
た。 そし て' 六 ・三 ・三 ・四制 を ベ
ー スにし た現在 の教育体系 が スター
じ た教育 と学校間 の接続 の改善 」で'
論議 を進 める過程 で、過去十 四期
剛
三 つ目 が 「
国際化'情報化、科学技
の中教審 のそれぞれ の報告、答申等'
高木
昨年 四月 から第 十五期中教審 の議
番 目 と 二番 目 は第 一小 委 月 会 で扱
あ る いは先 ほども話 に出 て いたが'
中教審委員 ・ゼンセン同盟会長
の年 であ った ことから'あ る意 味 で
-し てか首 も戦後五十年 と いう 節目
は五十年 の反省 と社会 の大きな変化
論 が始 ま って いるが'論議 を開始す
術 の発展等社会 の変化 に対応す る教
い' 三番目 の国 際化 な ど社会変化 に
のな か で の新 たな課題 の両面 から議
るに際 し て' 文部大 臣 から諮問 があ
とし て付 され て いる。
育 の在り方」 の三点 がサブ タイ- ル
教育臨調 の関係( さら には いろ いろ
った。 諮問 のタイ- ルは 「二十 一世
で議論す る ことにな った。
と、 と て つもな-広 い範囲 で議論 し
連し合う こと であ るから、あ る程度'
もちろ ん'三 つの課題 は相互 に関
読 ま せて いただ いた。
あ るが、 そう し たな か の主 なも のを
な関係審議会、大学春な ど いろ いろ
これ ら の課 題 に応 え よう とす る
対す る教育 の在-方 は第 二小委員会
に ついて」 と いう も のであ り、 それ
紀を展望 し た我 が国 の教育 の在 り方
なけ ればならな い。 し たが って審議
日
月会 で の議論を進 めて い った。
論議 のテ ンポを合 わ せな がら'小委
に三 つの課題 が列挙 され て いる。
一つは 「
今後 におけ る教育 の在り
の進 め方 に ついて'最初数回 は絵論
過去 の答申 にも書 かれ て いる. 経済
率直 に い って、す ぼらし いことが
的 な フリー デ ィ スカ ッシ ョ ンを し
今年 の七月 に、私 はかなり の部分
と連携 の在り方」と いう テー マ' 二
て' とも か-議論を整理し、小委貞
方 及 び学校 ・家庭 ・地域社会 の役割
つ目 が 「一人 一人 の能 力'適性 に応
お
めぐ る学 校 の先 生 方 の議 論 は大分違
いた先 生 方 と' 最 近 のクラブ 活 動 を
が' 当時 の自 分 たちを ご指 導 いた だ
いて いる が、 親 と いう 立場 にお いて
お父 さ ん は会 社 ' あ る いは役所 で働
こ こで議 論 の詳 細 を ご紹介 す る こ
う のだと いう 印 象 をも った。
貝 は両方 の小委 員会 に出 て いる。
と は でき な いが、 ときあ た かも オウ
な か で'学 校 教 育 にど のよう にか か
さら に' 教育 内 容 をも っと整 理厳
家庭 ' 地域社 会 と のかかわり合 いの
わ って いく のかと いう こと に ついて
った。 いま、 あ ま り にも たく さ ん の
選す べき ではな いかと いう 議 論 もあ
ム真 理教 の事 件 等 があ った ことも あ
り' いじ め、 不 登校 の問題' 受 験 の
はな いか。
も のを 教 え 過 ぎ て いる の で は な い
企業 な り個 人 はも っと考 え る べき で
一般 的 に家庭 の教育 力 が落 ち た と
か。 も ち ろ ん、 学 校 週 五 日制 の問題
問題 な どを含 め て、 子 ども論 '青 年
状 と絡 め た議 論 が かなり のボリ ュー
か'そう し た指摘 は た- さ んあ った。
論 みた いな こと に ついて' 社会 の現
ムでた た かわ さ れ た のを記 憶 し て い
とも関 連す る が、 教 育 内 容 を大 き-
る 。
・中 ・高 の次 元 かも し れな いが' い
う な か で、学 校 も 大変 だ。 と- に小
と いう ことも多 く いわ れ た。 そう い
な いか。 では、 ど のよう に教 育 内 容
減 らす こと が求 めら れ て いる のでは
見直 し て、 -1 タ ルの授業時 間 数 を
ま た' 子 ども たち の「ゆ とり のな さ
」
▼ 学校機能の共同責任
分担論も
こ の問 題 は大変 な議 論 が待 って い
があ った。
ると いう 印象 だ が' こ の間 題 は中 教
を 整 理し て い- のか と いう 点 で激論
か か っており、 そ れ は子 ども たち へ
審 ではな-、 他 の舞 台 に移す と いう
る。 運 営 と いう 面 でも負 担 が学 校 に
合 員 も そ れ ぞ れ 家 庭 の構 成 月 であ
る 。
の負 担 と いす 面 と 裏 腹 の関 係 にあ
ろ いろな機能 を学 校 がも たされ て い
の高 度 成 長 や成 熟 化 な ど客 観 的 な背
-' 父親 、 母親 と いう 立場 で家庭 と
家庭 と いう こと では' 私 ども の組
景 が変 化 し た ことも あ る が' 過 去 の
な い。ご承知 のよう に日本 の企業 は、
教育 の問 題 にか かわらなけ れ ばなら
会 社 人間 と いう 人種 を た- さ ん つ-
ド ンシ ェアリ ング (
共 同 の責 任 分 担)
機能 は家庭 にな ど の' いわ ゆ る バー
つか の機能 は地域社会 に、 幾 つか の
学 校 をもう 少 し スリ ム化 し て'幾
は' そ こで向 こう 二年 ぐ ら いの時 間
き出 し たか ' 教育 内 容 の厳 選 の問題
こ の九月 から教育 課 程審議 会 が動
こと にな る だろう と思.∫
う。
った。た だし、議 論 のし っぱなし で'
論議 にも 見 る べきも のが た- さ んあ
具体化 され たも のを拾 い出 し て みる
これ は社 員教育 と い
を かけ て議 論 をす る と いう こと でゲ
ってき た と いう 指摘 があ る。 では、
を しなけ れ ばなら な いと いう 意 見 も
タを 預け たと いう 形 にな った。 も ち
企業 と教育-
う 次 元 ではな く、 企業 が子 ども たち
多 くあ った。
と'宿 題 とし て残 ったま ま と い- 部
先 ほ ど い ったよう に三 つの課題 が
の教育 にどう か かわ る のか。 お父 さ
分 が極 め て多 い。
んや お母 さ ん が働 いて いる企業 と地
時 代 は ク ラ ブ 活 動 ば か り し て いた
ても議 論 があ った。 私自身 ' 子 ども
わ ってく ると思う 。
ろ ん、 中 教 審 でも 今後 の議 論 にか か
あ った が、 私 は第 一小委 具合 に参 加
域社会 ' 企業 と教育 と いう 問 題 でも
いろ いろな議 論 があ った.。 つまり'
ま た、 ク ラブ 活 動 のあ -方 に つい
にも出 来 る かぎ り出 み のが好 ま し い
し た。 も ち ろ ん' 第 二小 委 員会 の方
と いう こと であ った ので'多 く の委
26
▼ 新たな問題は総合学習に
整 理 され て- ると思う が' とりあ え
め て いるよう な ニュア ンスに'第 一
ず 稔合学 習 と いう と ころ に臨 路 を求
いると思う が' それな どを含 め て今
チ ング だと か の方法論も 工夫 され て
次答 申 はな って いる。 チー ムテ ィー
このよう に教育内 容 の厳 選 と いう
際 化 と いう 議 論も出 て いる。
ただ、 学校週 五 日制 は土曜 日と 日
会 長 の コメ ン-と し て いわ れ て い
曜 日が休 みと いう よう に決 め つけ ら
る .
.
▼ 週五日制は二十 一世紀
初 頭 に
る人 たち の比率 がどんど ん高 ま っ七
れ て いる が' 土 ・日 に親 が働 いて い
いる。 これ は議 論 のあ る ことだ が'
問題か あ る 一方 で、新 た に こう いう
つの焦 点 にな って いる。 大 きな方向
土曜 日 ・日曜 日と日曜 日 ・月曜 日 に
それ から学校週 五 日制 の問題 が 一
とし ては'学校週 五 日制 を でき るだ
分け て議 論 し て いた だ- よう な こと
後 の議 論 にな って いると思う 。
さら に' 教育 と行 政 の問題' たと
もあ って いいのではな いかと' 私自
ことを やらなけ ればならな いと いう
議 論 も た- さ んあ る。 たとえ ば第 二
が、 反対 の意 見もあ る。第 1次答 申
身 は感 じ て いる。
け早 -実施 しよう と いう こと であ る
では'学校週 五 日制 を めざす と いう
は学 校 の先 生 の採 用 ・配置 の問題'
研修 の問題' ま た、学校 に学校外 の
こと で整理され た。
え ば教育 委 局舎 の活性化等、 あ る い
の問題、科学技 術 の進 展 に合 わ せた
社会 人をも っと活 用す る仕組 みを拡
小委 員会 では、国 際化 の関 係、情 報
理科教育 にかかわ る問題' さら に体
ある。
充す べき だな ど、-いろ いろな議 論 が
化'
・環境 問題、社会福 祉 ・社会保障
験学 習、 さら に語学 の勉 強 でt、
小学
先 ほども話 に出 て いたが'総合学 科
題'中 ・高 一貫教育 の問題' ま た'
ならな い課題 がた- さ んあ ると いわ
かかわ る問題等' いろ いろ難 し い問
高校 の問題'あ わ せ て入試'評価 に
委 員会 でも学 校間 接続'飛 び級 の問
れ て いる。 公 ・
私立 の同時並 行実施 '
学校週 五 日制 を実施 す る に当 た っ
第 二小委 局舎 でも、先 ほど い った
あ る いは学校 の スリ ム化 の作業 がど
ては、事前 に地ならしをしなけ れ ば
今後 の中教審 の議 論 では、第 一小
校 でも英語を や る べき だな ど' いろ
いろな議 論 が出 され て いる。 そ のよ
題、 環 境 問題等、 どう いう 内容 を ど
国 際化、情 報化'科学技術教育 の問
題 が出 て- る の で は な いか と 思 う
習」 と いう 四 つの単 語 に封 じ込 めら
の.
よう に進 む のか。教育 課程 の見直
が 私も微 力 ではあ るが' 1生懸 命
う なす べて の新 たな問題 が 「
総合学
の レベ ルで' どう いう グ レー ド で行
し問題等も整 理しな がら、答 申 の文
にタ ック ルし て いき た い。
れ て いる のが現状 であ る。
う かと いう ことを含 め て' 文字通 り
の初 頭 には実施 し た いと いう こと が
言 にはな って いな いが' 二十 一世紀
.
も ち ろ ん、 これも 今後 の議論 でブ
か では' /
一部 に エリー- コー スの国
多義 な議 論 が行 われ て いる。 こ のな
t
レー クダ ウ ンされ て、 いろ いろな と
高木 剛 (
たかぎ ・つよ し) 一九 四三年 生ま れ 東京 大学法学部卒 一九七 三年 全旭 化成労働
年在 タ イ 日本 国大使館 l等書 記官 -九 八八年ゼ ンセ ン同盟書 記
組合連 合会書 記 長 J九 <.
1J
長現職 ︰ゼ ンセ ン同盟会 長 ・
日本労働 組合連合会副会 長 ・国際 繊 維被服皮革労組 同盟 アジ ア太
平洋地 域組織 (
下血 A臥o)会 長 公職 - 一九九 五年 七月-文 部省 ・中央教育審 議会 委員 一
九九 六年 八見∼文 部省 ・教育 課程審 議会 委員 著書 ﹃タイ見 たまま感 じたままL
27
.
ころ でタラリ フィ ケ- シ ョンされt
中教審委員 ・
ゼ ンセ\
ン同盟会長
期
読
中
ん
央
で
教
育
審
議
会
ほとんど認 め て いな い。最近、西洋、 題
と- にアメリ カ で'大学時代 にもど
んどん外 へ出 て働 いた方 が いいと い
ま で四十年残 って いる。勉強 しなが
う傾向 が出 て いる。学校 を出 て死 ぬ
ら いろんな職場 の状況 を見 た方 が い
い。 そう しな いと、う ま-自 分 の職
業観 を見 つけら れな い恐 れがあ る。
そ の点 に関 し て日本 の場合 は、学校
と職場を きれ いに壁 で分 け て いる。
三番目 の分 け方 は、学校 と テクノ
ロジ ー'学校 と コンピ ュータ'学校
と メデ ィアであ る。少 しず つ日本 の
/
れ から壁、制限、ボ ーダ ーを少 な-
ウ イリア ム・K・カミ ング ス
︻
つの違 いだ ろう と思 って いる。
ニュー ヨ・ク州立大学教授
わたし の論文 (
後掲 )は第十 五期中
行 ってきたが、小学校 の生徒数 が 四
学校 でも開 いてきたようだ。来 日す
そ の第 一は、学校 と家庭 、学校 と
百人 に対 し て コンピ ュータ数 は百 五
す ることが必要 ではな いか、 と いう
コミ ュニティの間 の壁 を低 -す る こ
だ日本 で見 た ことがな い。
十台 だ った。 そ のような学校 はへ ま
中教審 が強調 し て いる のは、学校
とだ と思う。学校 は子ども のため の
央教育審議会 の第 一次答申 に関 す る
の問題 に ついては、 さほど関 心を示
組織、両親 のため、 コミ ュニティ'
る前 、 わたし は地域 の普 通 の学校 に
さな か った と いう気 がす る。 また'
もう 一つは男女 の分 け方。男女 の
こと であ る。
後 で読 ん でもらえれば あ りがた い。
わたし個 人 とし て平等主義 教育 の面
地域 のためだ と思うが、 二十 一世紀
壁 であ る。日本 の職業構造 を見 たら'
と コミ ュニテ ィの関係 、国際間題 だ
連合総研 の報告 と中教審 の報告 の
にな るとそうな る べき かと いう点 に
って' こ のことは非常 に重要 な こと
今後女性 の働 -率 はどんどん高 -な
が'男女別 の問題 と若者 とお年寄 り
二 つを読 ん で'少 し比較 し てみた い。
から考 え れば、連 合総研グ ループ と
ついてわたし は非常 に大 きな疑問 を
ントを カ バー す る時 間 が な いの で、
この両報告 は、 これ から の経済'政
ョンの方 を強 調 し て いると いう気 が
比 べたら中教審 は スペシ ャリゼ- シ
も って いる。
わ た し個 人 の解 釈 だ が'
全 部 のポ イ
治 の傾向 分析 をし て いるが' わたし
す る。
この両方 の報告を比較 しながら'
日本 の学校 を見 たとき'生徒 たち に
職場 と学校 の壁 であ る。 たとえば、
もう 一つの壁 は'家 と職場 の壁、
わたし の根本的 な疑問 に定年制 があ
五番 目 の壁 は'
年寄 り と若者 の壁。
だ と思う。
の分析 と似 て いると思う。中教審 の
見通 し は' ほん の二十 1世紀 の初頭
と いう か、 ほん のち ょ っとな のに対
そ の両方 に共通 し て いるテー マに関
し て、
連合総研グ ループ の見通 しは'
し て問題提起 すれば ' それは現代社
それよりも っと長 いスパ ンで' それ
る。 わたし の国 でも定年 がな-な っ
会 と これ から の社会 を考 えたら、 こ
高校 を卒業 す るま で外 で働 - ことを
は 二十年先 かも しれな い。 それが 一
えば ' 日本人 が外 に行 - ような概念
た。国際化 と いう概念 は、簡単 に い
総研 の方 は'同 じ ほど出 てこな か っ
概念 が良 -出 て- る。 し かし、連合
報 告書 を読 んだ場合' 国際化 と いう
日本 と世界 の壁 もあ る。中教審 の
けな いのではな いか。
根本的 な問題 を考 え直 さなければ い
ば定年制 をやめさせるような' そ の
学歴 より学力 か実力 があ る。
.できれ
た。連 合総研 の 一つの概念 とし て'
と いう希 望 を わたしはも って いる。
ミ ュニテ ィの生活 は良 -な るだ ろう
係 を つ- れば ' これから の政治' コ
壁 をな- し て、学校 と社会 の いい関
体的 な提案 はな い。学校 と社会 と の
る。 わたし の論文 にそれ に対 す る具
の責 任 感 が だ ん だ ん 弱 - な って い
だ んだ ん下が って いる。我 々社会 人
挙 の投 票率 は日本 でも アメリ カ でも
か政治制度 の問題だ。 たとえば '選
の動 き でな- て コミ ュニテ ィの動 き
現代社会 の 一番大 きな問題 は'経済
提案 は、高 -評価 され て いるOEC
D レポ ート に焦点 を合 わせたも ので
性 など の弊害 を指摘 した。審議会 の
営及び財政 に ついての不十分 な自律
獄 や教育 ・研究 の質 の低 さ、管 理運
と- に強調したも のであ り、試験地
案 は' 日本 の高等教育 の不適切 さを
三次教育改革案 であ った。 この改革
辰男 の下 での)中央教育審議会 の第
ような状況 への 1つの反応 が、(
森戸
府 が倒 されるよう に思 われた。 こ の
し て国有鉄道 が閉鎖 され'今 にも政
ギ ー により'多 - の大学 や会社、 そ
受 け て いた。 そ の大学紛争 の エネ ル
つ印象的 な エネ ルギ ー によ る挑戦 を
て強力 なも のとし て信頼 し、 そ の教
に'伝統的 な教育的 システムを極 め
にな った のであ る。
ポ ート の大半 を無視 す る ことが可能
ECDと による こ の二 つの著名 な レ
た。 そし てそれ故 に'森戸辰男 とO
絶 対 的 な 信 頼 感 を も っこ と が で き
国 の経済 及び政治 の諸機関 に対 し て
れた. こ の成長 によ って日本 は'
.自
の奇跡的 な成長 によ って特徴付 けら
を とげ た. この期間 の前半 は、 日本
二十 五年間 に' 日本 は驚 - べき変化
これら の レポ ートが出 された後 の
ため に備 えさせる必要性 であ った。
若者 を'自 らが になう将来 の役割 の
-使 えば いいのではな いかと思 って
日本 国内 の外 国人を、 もう少 しう ま
でも外国人 は かなり多 い。 それ で、
の異文化 が大切 だ と思う。 日本国内
かと思う。 それより逆 の概念 とし て
あ った。OECD レポ ートも また、
育 シ ステム の、よ-教育 を受 けた「
第
いる。大学制度 も開放的 にな る べき
公望甲を読んで
一九七〇年 '最初 にわたしが日本
の労働力 を育 てる力 を頼
る こ と が で き た こ と は 明 ら か であ
」
日本 はそ の急速 な経済成長 の時代
過度 のヒ エラ ルキーや学歴主義 、 不
二の半分
で'国際化 から異文化 に行 かなけれ
ニュー ヨーク州立
大学教授
ば ならな い。
文
十分 な柔軟性 と自律性、 そし て価値
る。 この 「
第 二 の半 分」の労働力 は'
カ
観 の探索 に焦点 を お いて いた。OE
CD レポ ー ト の重 要 な サブ テー マ
ブ ルーカラーやグ レーカラー のセク
ウ ィリ アム ・・
K
ミ ング ス論
教 育 審議会
の教育 に関 心を抱 いたとき' こ の国
は、 国際化 す る世界 におけ る日本 の
第 十 五期 中 央
最後 は、 これ から の日本 の教育制
のさまざ まな機関 は、大学紛争 のも
ウ ィリ アム ・K ・カミ ング ス (
Wi
≡a
m K.
Cur
nmi
ngs) I九 四三年生まれ
九七 二年 ハーバー
ド大学 でph ・D (
社会学)を取得 シカゴ 大学助教授 ハーバード大学国際 開発研究 所プ ロ
ジ 工クト ・コー ディネ ーターなどを経 て 現在 二ユ- ヨーク州立 大学バ ッフ ァロI校 で比較 国
際教育 研究 セ ンター長を務 める 翻訳された主著 r日本 の大学教授し (
至誠堂)「二ツボ ンの学
校﹄ (
サイ マル出版) rアメリカ大学 日本校ヒ (
アルク)など
29
度 と経済制度 に関 す る ことだ。
実 は'
ウイリアム・K
・
力享ングス
の貢
であ る。 そ の 一方 で、東 1.
の半 分- 管 理職 や専 門職的登 止場 で働 いて
性 の改善 を導 - ことを可 能 にした の
し' そ のこと によ弓 て鷲 { べき生産
実 に即し たも のとな って いる。 こ の
こ の答申 は' あ る種 より具体的 で事
で の い- つか の答申 とは対照的 に'
く もう とし て いる.。審議会 のそれま
申 は、 こ の現在 の困難 な現実 にとり
いる。 現代 の生活 は非常 に労力 を要
国 におけ る似 たよう な状 況 を描 いて
た。 そ の本 で、彼 闇、 ア メリ カ合衆
リ ング ﹄ と いう タイ ト ルの本 を書 い
バード大学 の教授 が、﹃ひとり でボ ウ
の時 間 はほとんどな い。最近' ハー
いては いう ま でも なく、家族 の共通
た活動 に分 かれへ コミ ュニテ ィに つ
ことと、 これら の若者 が生産的 な生
って の職業 的見通 しを明 ら か にす る
主 な努 力 は' 日本 の第 二 の半 分 にと
決 め込 ん で いる。政策 に要 求 され㌃
- 仕事 を す る ことが でき るも のだ と
了 し て肉体 労働 を始 め ると い った1
とんど同 じ よう にl
は、 まだ自 分 た ちが彼 ら の両親 とほ
がら、労働者 階級 の家庭 出身 の若者
少 な いも のとな るだ ろう。 し かしな
働 に対 す る報酬 は、知的労働 より は
いる高 等教育 を受 甘た人 々I
し て、 こ の審議 会 で の議論 を見 ると
答申 は多 - のテー マを カ バーし、 そ
しtIわたした ち の人生 を大変複 雑 な
の スケジ ュー ルは多 - の専 門分化 し
献 は、t
そ れほど印象的 なも のではな
わ かるよう に、多 - の重要 な問題点
も のにす る ので、 わたし た ちは、老
中央教育審議会 によ る第十 五次答
か った 。大 量 の贋 本 が蓄積 され' そ
し て失 われた。科 学的 な生産性 は増
に光 を当 てた。・
・
タ I に お い て ハー ドウ リ ク を こ な
大 した。し かし、創造性 に ついては
.以下、 わ美し に割 り当 てら れた短
し かし'最近 の十年 間 は、 と- に
1,
時間 の範 囲内 で、 わたしがより注
め った にも たな いのであ る。
お いて人 と協 同 で何 かを す る時 間 を
いも若 きも、家族 や コミ ュニテ ィに
イ ンタ ー ンシ ップ や'短期大学 や大
であ る。高校時代 におけ る ワーク ・
活 を楽 し むた め の手段 を与 え る こと
南校 教育 を修
そ れほど顕著 ではな か った。
意 を必要 とす ると信 じ る い- つか の
学 におけ る継続 教育 の拡 大 のよう な
領域 に焦点を当 てて いきた いと思う。
た め の場所 であ るだ け でな-' コミ
孤独 を減 少 させ.
るため の 一つのア
いじ めを含 めた さまざ まな若者 の
ユl
Tアィの健全性 や、 コミ ュニテ ィ
.審議会 の答申 は、中 等段階 の課程
る。
へも 売 り さ ば か れ ね ば な ら な か っ
病 理 に ついて の議論 で、答申 は、 コ
の親 睦 のた め のイ ベント、 スポ ー ツ
の大規模 な多様化 と'高儀 間 のこれ
新 し い政策 は、 そ の答 え の 一部 であ
た。 日本 の人 口は急速 に高 齢化 し、
ミ ュニテ■ ・ライ フの質 の衰 退 を正
ミ ュニテ ィ間 の競争 のため の場所 に
や音楽 そ の他 の同好活動 におけ る コ
ま で以上 の専 門化を 認 める こと によ
プ ローチ は、学校 の役割 濠拡 大 させ
バブ ル経済 の崩 壊 以来 、経済成 長 が
奇跡 的 な拡 大 から安 定的 な いし は低
い成 長率 へと シ フトし た困難な 時 代
であ った。 日本 の商 品 や製 品 は利 益
仕事 やそ の他 の負担 を'女性 や外 国
確 に指摘 し て いるとわたしは考 え て
もなりう るの であ る,?
る こと であ る。学校 は、基礎教育 の
人労働者 に以前 よりもず っと大 き-
いる。 はり多 - の家 族 が共働 き の親
をも つよう にな り、 より多 - の秦 の
▼ コf
t
(
ユニティを強化する .
ために何が できるのか?
頼 るよう にな .った。 そし て、 日本 の
政治 は多党 制 へと シフトし て方向 性
周 り に高 い壁 が張 り巡 ら されt より
を搾 り出 すた め に、 世界 のど の方 面
を失 い、左 翼 と右 賞 の両方 が勢 力 を
こと によ って、隣 人 と出会 う時 間 が
多 - の人 々が車 碇乗 って仕事 碇行 -
ら いの間 にす で にかなり の多様 化 が
す る こと に、しば しば言 及 し て いる。
って'個別的 な学 習 スタイ ルを奨 励
実 際、
"日本 の教育 は、過去十 五年 ぐ
将来 の日本経済 にお いてヽ 肉 体 労
▼ 労働者はどのようにして
将来の仕事に備えるの
か?
ために何が できるのか?
▼ 社会的 ・経済的平等を保 つ
まざ まな政策 領域 にお いて優勢 とな
減少 し て いる。若 い人 々とそ の両親
弱 めた。他方 では'地方自 治体 が さ
った。
30
進 ん で いる。 い- つか の高校 は生徒
の大学 の大多数 の教授 たちは'自 分
では め った に教 え ら れ る こ と が な
発展 させることよりもそれを使 用す
これら学外 の機関 の目標 は'知識 を
いえな いかもしれな い。なぜ ならば、
ること に焦点づ けられ て いるから で
-、大学 レベルでもわず かな機会 が
なければ ならな い。 また、 より多 -
あ る。高等教育機関 は、知識 膚発展
あ るだ け であ る。 こ の状態 は変 わら
うな コー スや教授 法を 工夫 す ること
の日本 の若者 が アジ ア の国 でときを
はも し かす ると最 も有利 な環境 を用
と信 じ て いる。学生 を引 き つけ るよ
りを得意 とし、 また、他 の高硬 は文
に費 やされる努 力 はあ まり にも少 な
過'/T
JLt友達 を作 り'習慣 を学 ぶ必
要 があ る。 これら の問題 はす べての
意 す ることが できる。大学 の知識 発
たちが教員 であ る前 に研究者 であ る
の背後 には'機会 の階層化 もまた現
化 研究 を専門 にし て いる。専門分化
すぎ る。 これは部分的 には、他 のO
ECD諸 国 と比較 し て大学 の予算 が
レ ベ ル の日 本 の教 育 に当 て は ま る
で'他 の高校 は スポ ー ツチ ームづ-
れ て いる のであ る。 たとえば 、東京
る から であ る。
少 な-、教室 があ まり に大 人数 であ
を エリ ート大学 へ送 り込 む こと に秀
大学 や京都大学 のよう な大学 に入 る
が、主要大学 の エリ ート ・コー スで
し かし、多 分、最も根本的 な問題
に、日本 の現在 の多 - の教育問題 は、
答申 のとき、 すなわち' 二十 五年前
.展 のため の使命 を強化 す ること に、
る高収 入 の家庭出身 であ る割合 が拡
は、大学教 員 たちが、新 し い教授方
できるのか?
す でにかなり明ら かにな って いた こ
考慮 を払ケ必要 があ る.
大 し て いる。最近、 米国 では ﹃
勝利
はI
法 に通 じ て いな いこと であ る。彼 ら
二十 一世紀 におけ る日本 の卓越性
と であ る。 し かしながら∵ それ に つ
最 も極端 であ る。
させるため の、あ る有利 な、あ る い
若者 が'両親 が管 理職 や専 門職 であ
者 は全 てを取 る﹄ と いう タイト ルの
を保障 す る長期的 な鍵 は、産業 や社
づ-経済的奇跡 のため に、 それら の
し て いる のであ る。
であ る。他 の多 - のOECD諸 国 と
注意 を払う こ七 によ る戦後 の強 さを
れ な か った。 日本 は'第 二の半 分 に
教育問題 に ついてほとんど何 も行 わ
以上'審議会答申 の検討 でわか っ
本 が出 た。 これー
は'最近 の教育的 ・
日本 の外 で教育実 践を公開 す る必要
会'政治、文化 に役 に立 つ新 し い知
た ことは、森戸辰男 が座長 を務 めた
社会 的競争 が'平均的 な人よりもず
があ る。 そし て'教員 たちは」彼 ら
識 を創造 し'発達 させる自生的能力
▼ 大学により高い質の研究を
集中させるために何が
っとよく でき てしまう少数 のグ ルー
え る のを助 け るため の資 源を必要 と
がよりダ イナミ ックな教育経験 を与
両国 で不平等 が増大 し て いる のは明
比較 し て'日本 はそ の創造的 なガ を、
維持 す る必要 があ り、 また、 日本 は
と- に学部段階 にお いて-
よう としたも のであ る。実 際' 日米
プ を いか に許容 し て いるかを説 明し
ら か であ る。事態 は深刻 であ る にも
や地方 公共団体 そ の他 の機関 の研究
教育 セクタ ー の外' すなわち、会 社
答申 の 一
三.
.
の主要 な テー マは、国
施設 に配置 す る傾向 があ った。他 の
の諸文化 の人 々をも っと理解 し尊重
日本 は (
と- にアジ ア に発 す る)他
行 う大学 をも つ必要 があ り、さら に、
教育 と研究 の画 面 でより良 い仕事 を
できるのか?
▼ エリート・
コースを適切に
国際化するために何が
かかわらず 、審議会 の答申 には、 こ
のこと に ついて の議論 はほとんどな
ヽ
」0
ト
V
際化 の必要性 であ る。 し かし日本 で
クター のも のであ る のに対 し' 日本
OE℃D諸 国 では、研究開 発支出 の
少 むく とも 四〇 パー セ ントが教育 セ
分 は、 アジ アと のも のであ る 。
.それ
軍 1
・ パー.
〇
セ ット未 満.であ る。 E
P本 : す る必要 があ P.遅
I.ーき 妃失 す ると 守
のア ブ亘 -チは、効果附 で.あ るij
は・
- は決 し てな いのであ る。
は国際化 が未 だ に欧米 への旅行 を意
な のに' アジ ア の言語 は高校 レベル
味 す る傾向 があ る。 日本 の貿易 の半
月本 が大衆高等教育 の.
時代 にな っ
▼ 高等教育の質を改善する
ために何が できるのかh・
たと いう事実 にも かかわらず t
.日本
31
教
育
八ネ ル デ ィ ス カ ッ
校
シ
ョ ン
の
現
状
と
課
」
山 中 正 和
西 阪
(
専修大学教授)
(
日教組副委員長)
(
文部省 初等中等教育 局企 画官)
パ ネ ラー
嶺 井 正 也
(
東京学 芸大学教授)
昇
黒 沢 惟 昭
ウ イリ アム・
K・
カミ ング ス
(ニ ュー ヨーク州立大学教授)
今 回 のシ ンポ ジウ ム のテー マは' 「
生 涯 学 習/
られるか。
﹃
し ごと﹄社会 の構築を めざし て」 と いう 言葉 で
と いう も のであ る。 そ の箇所 から、 子 ども たち の
満足し て いる」'小学生 は「
楽 し い」 「やや楽 し い
あ るが、 ロシア の劇作家 のゴー リキー が 「
仕事 が
学ぶことの楽しさを
いる子 ども は'小学生 で九 一・二%'中学生 では
学 校生活を めぐ る状況 を見 ると'学校 に満足し て
楽 しけ れば人生 は極楽 だ」 と い って いる。私 たち
文部 省 西阪 昇 企 画官
七〇 ・六%、高校生 では六四 ・三% とな っており、
ー
㌧
全体 とし ては学校生活 に満足し て いる子 ども たち
教育行
政 に携 わ って いる 一人 とし て'学校 のこと' 子 ど
文部省 の公式 見解 と いう こと ではなく
も のことな ど' 日頃、個 人的 に考え て いる ことに
わう 、仕事 を楽 し-感 じ る こと が、生 き て いく上
大 人 の人生'生活を考え ても'仕事 で充実感 を味
は文部省 が平成 六年 に'小 ・中 ・高校生 に行 った
し かし'小学生 で 1割'中学生 で三割'高校生 で
上 の子 ども が学校 に満 足しへ楽 し いと感 じ て いる。
この調査結果 から'確 かに全体 とし ては六割以
に対 し て'私 たち教育行政 に携 わ る者 を はじ め、
いる子 ども が三割前 後 いると いう こと。 この現状
-な い、あ る いは味気な い気持 ち で学校 に通 って
ち が生活 の大部分を過 ごす学校' この学校 が楽 し
で大変重要 な ことだと思う 。 まし てや' 子 ども た
が多 いも のの、中学校、高等学校 に進 むに つれ て
ついてお話 しし た いと思う。
学校 のこと' 子 ども のことを考え るとき に、 い
調査 で'「
あな たたち は学校 を楽 し-思 って います
三 ・五割 の子 ども たち が、学校 は楽 し-な い'学
満足度 が減少し て いる傾向 が窺 え る。
か」 「
学校 に満 足し て います か」と いう ア ンケ1-
つも私 の頭 にひ っかか って いる数字 があ る。 それ
調査 の結果 であ る。 これ に ついては、先 日出 され
教育 に携 わ る者 は重 -受け とめて考えなけ ればな
らな いのではな いか。
て違 いがあ ると思う が'皆 さんはど のよう に感 じ
校 に不満せも って いる。 少な- とも満足し て いな
いと いう 状況 があ る。 この受け とめ方 は人 によ っ
調査 は' 「
学校 の生活 に満足し て いる」 「
まあ'
た中教審 の答申 のな か でも触 れら れ て いる。
32
のは子 ども たち にと って楽 し い場 であ ってほし い
私 は、 ど んな学 校 にな ってむ ら いた いかと いことを聞 かれ た像 合 には' 何 よりも学 校 と いう も
え ても ら いた いと思う 。
な い。 そ のよう な学 ぶ場 の改 定 も学 校 のな か で考
徒 の選択学 習 をも つと増 やし ても いいのかも知 れ
ら いた いと思う 。 と- に中学 校 '高 等学 校 では生
掛 け と いう か工夫' そう いう ことをも っとし ても
が自 分 で自発 的 に学 ん で いる のだと いう よう な仕
ると いう シチ エエーシ ョシ ではな く、 子 ども たち
っても ら いた いと思 って いる。
緒 に育 て て い- と いう 視 点 を これ から の学校 はも
そう いJ
ワと ころ とさま ざまな形 で子 ども たちを 1
う が、 当該学 校 以外 の教 育 的 な 財産 と いう も の'
自発的に学べる工夫を -
と いう ことを第 一.
i
i考 え た いと思う 。楽 し いと い
日教 組山中 正和副委員 長
学校が子どもに合わない
う のは' 子 ども たlち に何 でも好 き勝 手 にさ せ て楽
私 ども 日教 組 の運 動方 針 で' 今年 は冒 頭 に 「い
妻も教 員 を し て いる から'「
今度 の運 動方 針 で'学
ま'
・
・
学 校 が問 わ れ・
て いる j
J
と書 いた。
・家 に帰 って'
そ れ と並 ん で大 きな こと は' 教育 の評価 の問題
校 が問 わ れ て いると書 いたん だ」 と い ったらT L
学校は肝かれた存在.u
う こと かO これ に つi・
て私 は'学 校 では' まず 楽
ではな いかと思う 。 これ は' 日 々の学 習 の評 価'
いう 場 で子 ども たち が楽 し みを感 じ る のは どう い
し いと いう こと ではも ち ろ んな い。 では'学 校 と
し みな がら学 ん で、 そう いう ことを通 じ て学 ぶ こ
あ る いは学 年 の学 習 の評価' そ れも も ち ろ ん大事
て いな い。 そ れ から' 限 ら れ た人間 で' 教 月 が減
と いう シ ステ ム.
のな か で、学 校全 体 の仕事 は減 っ
と の楽 し さを実感 し てほし い' 子 ども たち にと っ
た とえ ば大学 入試 があ る。 大学 が自 分 のと ころ
って いく な か で教 え て いる こと が増 え て いる。
.し
って- る。 教 月 の数 がそ れ に伴 って減 少 し て いる
の大 学 に入学 し て- る学 生 を セ レタ ー す る 手 段
かも'指 導 要領 を はじ め いろ いろな規則 があ る。
ばらY 「ふ」 ん」と か .S って .Sて、 「いま'学 校 は
疲 れ て いる のよ」'こう 話 し た。確 か に子 ども は減
ム のテー マであ る生 涯 学 習 と いう こ と に つ いて
は' も ち ろ ん大学 の性格 はみ る が'高 等学 校 で の
いケ こと が評価 の問題 とし てあ る。
も、 これ から の社 会 で大 人 にな っても' 必要 に応
学 習 の最 終段階 の評価 が入試 の場 面 で行 わ れ る と
な こと であ る。 そ の延長線 上 には' 入試 の問 題 と
じ て いろ いろな ことを 自 分 で学 ん で い- だろう と
やり た いこと が でき な い。 受 験' 入試を控 え て'
てそう いう 学 校 であ ってほし いと願 って iる. 学
思う 。 まず 、学 ぶ こと の楽 し さを 子 ども たち に学
いう こと だと思う 。 し かし、 日 々 の子 ども たち の
のが' かな り ス- レ スの原 因 にも な って いる ので
教 職月 は、 自 分 がやり た いこと がや れな いと い、
丁
ぶ こと の楽 し さを実感 でき れ ば' こ のシ ンポ ジウ
では' ど のよう にし たら' 子 ども たち が学 ぶ楽
校 で感 じ ても ら いたい 。
のあ り方 も、 これ から考 え て い.
かなけ れ ばなら な
評価 のあ り方 を含 め て' そ の延 長線 上 とし て入試
る のではな いかと思う 。
何 よ りも学 校 が子 ども に合 わな- な ってき て い
はな いか。 学 校 も変 わら な- てはなら な い。
う も のが'学 校外 に対 し てさま ざま な形 でも つと.
いま' カ ミ ング ス先 生 も いわれ た が、学 校 と い
いのではな いかと思 って いる。
し さを感 じ る のか。 これも 決 ま った回答 は多 分 な
いだろう と思う 。 た だ' 私自身 のことを考 え て'
開 かれ 虎膏 在 にな って厄 し い。尊 校 が開 かれ 尭膏
いかと指摘 され た。 私も そ の意 見 に同意 す る。 し
辛- ア先 生 が, 二十 五年前 から本 質 的 な部 分 は
入試を はじ め、 あ ま り変 わ った点 がな いのではな
や はり楽 し いと感 じ る場 合 は' 他 人 から押 し つけ
ら れ てと いう か' 決 めら れ てや る のではなし に'
在 にな かと いう の重
た ん七 学 校め 施 設 を住居 に
自 分 から進 ん でや って いる場 合 に'多 -楽 し rJ
を
感 じ るよう な気 がす る。
√
I
.教 育 と い弓 層 動自 身 を学 校 のな か だけ と、
いが 殻 に
閉 じ込 めず !
i
.
I
:各ま ざま な学 校 外 のこほ'
:
.
凍れ は
家 庭 でみ ?たり 、他 の学 校 と いう こともあ かと思
⑯ ると思- ので' そ れを 問 題提 起 し た いと思- .
ケ の′
三 は,人間関 係 と いう か,とり わけ 子 ども
かし 同時 に'幾 つか の点 で変 わ ってき て いる面も
開放 す るせ い.
す ・j
...と だけ では な い。 つ吏 井、学 校
学 校 で の勉 強 は、 あ る程度 決 めら れ た こ藩 逐 強
制 的 に学 ん で いく こと が多 い。 し かし, でき・-i
d;
だ
いう か、 そう いう 場 合 に' 決 めら れ たも のを与 え
け、 学 校 で子 ども たち が学 ぶ シチ ュエー シ ョンと
㍊
何名 か呼 ん だが、そ の理由 は、子 ども 同士 で いじ め
ど前 に、日教組 が主 催 し て'いじ め の国 際教育会議
と いう も のを開 いた。 イギ リ スから子 ども たちを
同士 の関係 が非常 に希 薄 にな って いる。 一カ月 ほ
た点 で、 よ-も悪 -も教育 と いう 課題 が'誰 でも
育 裁判 や訴 訟 のほとん どを占 め て いる。 そう い っ
親 が学校 と か、 親 が教 員 と いう よう な裁 判 が'教
った。し かし今 は、情 報 公開 の問題 な どを含 め て、
膏 と国 民 の教育 とか' つまり'供給側 の対 立 であ
メリ カ のこと は詳 し-知 って いると いう よう に、
報 によ って'隣 の家 のことはよ-知 らな いが' ア
今 や子 ども たち は' テ レビな ど マスメデ ィア の情
いて'それ で私 たちも よ いと思 って いた。し かし'
で世界 のこと' こう いう カリキ ュラ ムが組 ま れ て
て いると いう か'小 さ- な って いる のではな いか。
が、 子 ども たち にと って相対的 な地位 が低 - な っ
もう 一つは'情 報 の問題 であ る。学 校教育 自身
だろう かと いう ことを考 え たか ったから であ る。
は幾 つか自分 の研究 や教材 のな か で重点的 な と こ
つか の世界 の地理を教 え れ ばよ いと いう 。教 職員
多 い。 たとえ ば'中学 校 の地 理 で'重点的 か つ幾
な ったとし てもt L かLt 現場 では教 え る こと が
は指導要領 があ る程度 弾力化 され'教 科書 が薄 -
教員 が ス- レスを感 じ るよう な状況 があ る。 それ
け れば学校 ではな い。日教 組 の立場 から い っても'
楽 し-な- ては学校 ではな いし'教 員 が元気 でな
いま、西阪 さ んが い ったよう に' 子 ども たち が
題も出 て いるよう に思う 。
いう が'根本的 に合 って いる のかどう かと いJ
T問
ま で の教材 や何 かを ほんとう に精 選 と か厳 選 と か
教 師像 も そう だと思 う。 二十年前 にはや った 一連
ろを教 えよう とす る。 でも ' 同時 に受験 があ るか
っと失敗す る。行 政 だけ で教育改革 は できな いt へ
や はり教 員 が元気 でな いと教育 改革 と い- のはき
随分違 ってき て いる。 そう し た状況 のな か で' 今
の'金 八先 生 とか熱中先 生 とか のド ラ マの時 代 に
ら、す べてを教 えなけ ればならな い。 そ こだけ で
そう し た流 れ のな か で' 最初 に申 し上げ た が'
比 べて、.いま'先 生 を テー マにす るド ラ マは、 た
も 文部省 の いう とおり にや ろう とす ると' や る こ
語 れ る、誰 でも 二1
1
1
Eいえ る時 代 にな ったと思う .
とえ ば ﹃
高校教 師﹄ と か' イ メー ジが全 -違う 。
子 ども自身 がどう 問題提起 し て考 え て い- の加O
少な- とも'頼 れ る存 在 とか' 理想、 あ こがれ と
と が増 え てしまう と いう 構造 にな って いる。
教育 裁 判 と いう と'教育 の供 給者 と いう か'教育
- ア先生 が家 永裁 判 のこと に触 れら れ た。 か つて
さら に'教育 を めぐ る問題 があ る。先 ほど' ド
のこと' 四年生 で東京 都' 五年生 で日本 、 六年生
年生 で地域 のこと' 三年生 で、 ここだ ったら港区
う か' 小学 校 一年生 で親 や学校 のな か のこと' 二
学校 な ど でも、 同心円的 認識 と い って いいのか ど
これ はやや古 い例 かも知 れな いが' たとえ ば小
と いう ことを い っており' 私 たちも このこと は大
い。中教審 も教科内容 の厳選 や指導要領 の弾力化
自発的、 自主 的 に研究す る体制 がな- てはならな
そし て同時 に、教 月 たち が教 え る こと に ついて、
教 職異 が七 っ
ー
と 耐え た教育 改革 と い- のは、 今 ま
でも成功 し た こと がな いと 思う 。
一
が非常 に強くな って いる のではな いか。
を与 え る文部 省 なり 日教組 とか の裁判、国 家 の教
教科の統合 ・再編が必要
かと いう 教師像 ではな- な って いる。 そ- し た面
子 ども のも って いる力をも っと引き出 せな いも の
と か'自分 の生 活を取 りま いて いる問題 に対 し て'
ウイリアム ・K ・カ ミングス氏
34
変歓 迎す る。 し かし' 今 ま で見 て いて、 画 1化 批
の場 合 には、
・全 科 と いう こと で音楽 から体育 から
る が'教 職員も大 き圭
ム ・テ ィーチ ング と いう 方向 で 1部導 入 され て い
全 部教 え ると い与 のが今 のシ ステ ムだが' それを
一学 期' 1教 科、小学 校
-す ため の 「
新 し い画 一的 な方法」 でや って いる
判 と いう のはず っと いわれ て いる が、 画 1化 をな
徐 々にボデ ィ
と い- 印象 が強 い。 だから' 現場 の教 員 は何 か変
わ った みた いだ が' ただ何 となく
き る のではな いかと思う 。
教職員の元気なくして改革できぬ
連合絵 研 の・
報 告書 のな か に、 天野先 生 の特 別講
の例 だが' ヒ ュー マ ニティと かサイ エンス、 テク
は著 し-少な い。 子 ども が減 るな か で'学校 が高
ども の数 が減 少し て いるから' 教 職員 の新 規採 用
に同感 す る。学校 が年 を と ってき て いる。いま、子
演 の論 文 が載 って いるが' そ の指摘 にはほ んとう
ノ ロジーな ど、ア1 - が入 るかどう かは別 にし て'
たとえ ば 一つの考 え方 とし て' これ はア メリ カ
もう 少しグ ループ 化す る ことを考え て いい。
い。 本当 に思 い切 って精 選' 厳 選 し て' 教 職員を
齢 化 し て い-。少な- とも教月 は高 齢 化 し て いる。
ブ ロー 的 に仕 事 が増 え て いる と いう 実 感 し か な
も っと信 用し て' 研究体制 が保障 さ れ た授業 が展
ム化 し て い-。 小学校 の低学 年 では無 理 があ るか
大 き-領 域を分け て、 そし て先 生を全体的 にチー
と いう こと が今 後 求 め ら れ る の で は な いか と思
年齢 を含 め て'あ る程度 ' 選択窓 口が相互 に つけ
も知 れな いが' そ のな か で子 ども たちも若干 の異
市 川先 生 が いわれ た が' 現場 にも タ テ の弾力化
開 され る必要 があ る だろう 。
そう す ると'中数億 でも指摘 され た部活 動 の過
熱北 { い- 問題も'教 職員 が高齢化す るな か で現
在 のよ、
γな部活動 そ のも のが有線 しなくな ると い
う 。 小学 二年生 で教 え る漢字 がどんどん増 え て'
公立学 校 に対す る批 判 があ り、学校 が非常 に つ
う こと も想定 され る。 こ の辺 で'生 涯学 習 のズ パ
と高木 さ ん が いわれ た が'教 科 の大幅 な統合'再
ら いと いう か、 暗 いイ メー ジが多 - て、学校 の教
か。これ は いま、教 課審 で大変 な議論 にな って いる
とき に、何 と か みんな に満点 を や ろう と思 ったが、
同時 に.'指導要領 に ついても文部省 から 1回 切
編 と いう こと に いかざ るを得 な い問題 だと思う 。
とか競争主義 に い-前 に' もう 一度 、学 校 を地域
員 に元気 がな い。学校 を活 性化す る には学校 選択
ら れ るよう な シ ステ ムと いう のは いか がな も の
そ れ が できな い。 そう す ると、 今 回 はだ いた い何
り離 し て' カリキ ュラ ムセ ンター と いう 形 で'国
に取り戻 し て い-。 日教組 は学校 評議会 とか協議
かなり発達 段階 の違う 子 ども に対 し て' 1ペん に
パー セ ン-ぐ ら いかな と いう ことを心 の底 で思 い
立教育 研究所 な ど いろ いろな と ころ の協力を得 な
会 と かと いう 名前 で学 校参 加を提 唱し て いるが'
教 え て点数 を とら せる。 私も低学 年 を受けも った
つつ、 次 の単 元なり教材 に移 って いかざ るを得 な
がら第 三者 的 な セ ンターを つ- って' そ このガイ
ンのな か で'生 涯 スポー ツと かと いケ 観点 が必要
であ ると思■
う.
一
い。 あ る程度 の基礎 も重要 だが' これ に ついては
ド ライ ンをも と に各 地方'学 校 で研究 し て いく。
地域 と結 び ついた新 し い意 味 で の コミ ュニテ ィと
あ って いいのではな いか。
さら にガイ ド ライ ン自体 の評価も現場 から集 め た
若干、 子 ども たち が弾ガ的 に勉 強 でき る スパ ンが
そし て、 子 ども たち に合 わ せるよう な学 校 の体
35
し て の学校 の再生 と いう も のを考 え て い-必要 が
山中正和氏
り'教 職員 の研修作 業 をし て い- と いう ことも で
黒沢稚昭氏
制 ' 教 職月 の体制 も必要 ではな いかと思う 。 チ-
嶺井正也氏
あ る のではな いか。
これ はも ろ ち ん' 文部 省 だけ では呆 変 だが → 厚
生 省 ' 通 産 省 、 建 設 省 な ど戊 教 育 に関 す る施 策 を
出 し て いる. 東 京 な ど でも 過疎 化 が進 んや 由 階
十 学校 も
以 上 は特 養 老 人 ホー ム、 下味 軒 学 校と い、
階 で 一つの区 切 り を.
つけ て'高 校 に行 き た い人 は
全 部 入 れ てi 十∵ そjr
で酪 差 があ って' 行 き た い
い烏 ても ' そ- いう シ ステ ムがな いとい う 問題 は
大 き い。 そ の意 味 で、 行 政 も ' 学 校 教 育 も 、 両者
にあ る壁 も∵ シ 冬 丁ムとし てとら え直す 時 期 にき
講義 へ 授 業 を 行う な どの 方 法 を 工夫 し て行 - 。 や
と ころ が集 中 し たら'垂 いた と ころ に同 じ よ- な
て いる のではな iか と いう のか 私 の感 想 であ る。
黒沢稚 昭教授
ま、 稔 合学 科 高 校 な ど で自 己 決定 に基 づ- 自 己 選
め て欲 し い. そ れか 々 西 阪 さ んも いわ れ た が'自
分 から進 ん でや る Aj
I
いう ことも 必 要 であ ろう 。 い
れ ば でMf
.
る筈 だ∵ 何 と か そ、
ヱ
l - 方 向 で改 革 を進
先 ほ ど、 い い忘 れ た ことを 補 足 とし て申 し上 げ
と改 革 は可能 性 を も って いる のではな いか。ま た'
択 が かな り重 視 さ れ て いる1。 そう いう 点 を考 え る
⊥ロ
同校 へ の 希 望 者 全 入 を
た い。 一つは入 試 の問 題 だ が'⊥尚校 の入 試 は九 七
出 てき て いる。 そう し た面 も 含 打 て' 財政 的 碇も
た だ き た い。 最 後 に、 教 職 員 が元気 をな - し ては
% ぐ ら いが進 学 し て いる現 在 の段 階 では 三% を 除
ったら 何 点 と か' 「
客 観 性 」を も た せ た いと い- 志
かな り努 力 はし て いる が' ボラ ンテ ィア に何 回行
述 べた が' 現 場 で ヒアリ ング 等 を や って みる と'
評価 のた め の 「
推 薦」 と いう 制 度 に ついて は先 に
書 いた ことが あ る。 学 力中 心 ではな -'多 面的 な
外 す る意 味 はな い。 廃 止 す べき だと いう 改 革 案 を
あ る。 以 上 の点 を 具 体 的 に少 しず つ実 現 し 、 工夫
ら'進 度 の多 様 性 も 実 際 に行う こと が でき る の で
ころ も あ るよう だ が、原 則 とし て は な いわ け だ か
学 校 によ っては六年 ぐ ら いの年 限 を 設 け て いる と
し て単 位 制 であ る。 単 位 制 高 校 には年 限 はな い。
- ことも 行 わ れ て いる。 さら に稔 合 学 科 は原 則 と
地 域 社 会 の いろ いろな要 素 を単 位 に組 み込 ん で い
エンジ ンの面 を 大 き - し て い- ことも 検 討し て い
り 返 し 強 調 し て おき た い。
教 育 改 革 は進 ま な いのではな いか と い- ことを 繰
向 が現場 には根 強 - あ り、 本 来 意 図 さ れ たよう に
欠けていた男の論理を変える発想
一つは、生 涯 仕 事 ・
学 習 社 会 の実 現 には' 男 の論
し て いけ ば、改 革 は効 果 的 に進 む のではな いか。
いと思う 。
討 論 を聞 き な がら考 え た ことを 二 つお話 し し た
嶺井 正也 教 授
理 を変 え な - て は いけ な いと いう 、 そ の発 想 が ど
はう ま く い って いな いよう であ る。
教育制度の根本的改善を
う も 欠 け て いた のではな いか。 私も こ のシ ンポ の
私 は'入 試 と いう のは ど んな に工夫 し ても '「
選
失 業 率 や 仕 事 の移 転 率 が高 - な って いる な か
レポ ー ター を 引 き受 け て' 女 性 と代 わ る べき だと
で' 教 育 制 度 は こ のま ま で い いのか。 私 は かな り
中 小リ アム ・K ・カミ ング ス教振
根 本 的 な改 善 を し な け れ ばな ら な いと思う 。 情 報
し まう 。こ の際 '入 試 は廃 止 し て'「
希 望す る者 は
な 労 力 も 省 け て か え って い い の で は な いか と 思
全 員 入 れ る」 と いう 考 え方 へ転 換 し た ほう が余 計
化 時 代 に入 って' 全 世 界的 に経済 競争 が激 し - な
抜 」 であ る限 り' 結 局 はプ ラ ス ・マイ ナ スが出 て
ころ であ り、最 近 では全 国 の中 学 校 の校 長会 でも'
う 。 これ は 日教 組 でも か ね て から主 張 し てき た と
って いる。 ア メリ カ では私 の周 囲 でも ' これ ま で
思 って いる が'や はり 子育 て の問 題'女 性 が働 - こ
う ことも あ る だろう Lt お話 があ ったよう に' 親
と は違 った仕 事 を探 さな け れ ばな ら な いと いう 人
と の問 題 を どう す る か と いう こと を 抜 き に し て、
の ニー ズ に合 った教 育 を し始 め てき て いる と いう
そう し た案 を出 し て いる。 私 ども が行 った中 学 三
が増 え て いる。 時 代 は変 化 し てお り、.
教育制 度 も
生 涯 仕事 ・
学 習 社 会 はあ り得 な いのではな いか。
ことも あ る と思う が' し かし 私 は、 そう いう 個 別
が入 試 はや め てほし いと いう 結 果 が出 て いる。
年 生 を対象 にし た調 査 でも ' 七 六% ぐ ら いの生徒
に は相 当 な お金 も か か る。 だ から 一応 '・中 学 の段
中 ・高 一貫制 と いう 考 え方 も あ る が、 全 部 や る
二 つは、 今 の学 校 教 育 は確 か に変 わ ら な いと い
いる のではな いか と感 じ て いる。 親 の ニー ズ と い
っても ' 親 にも 入 試 に対 す る ニー ズ も あ る が' 今
ことを 強 -感 じ て いる。
変 わ.ら な け れ ばな ら な い時 代 にな って いる と いう
的 対 応 ではな く ' 現 在 のシ ステ ム自 体 が問 わ れ て
の学 校 教 育 に対 し て基 本 的 な 問 題 を 提 起 し た いと
36
改
革
生 と私 の立場 は多 分 、 逆 だと思う 。
であ る」 と いう こと から 問 題 を スタ
黒 沢先 生 は'「
高 校 中 退 十 万 人 は病 理
ことも でき る と思う が' 私 は健 全 な
I - さ れ た。 な る ほ ど病 理 と考 え る
数 字 ではな いか。 むし ろ十 万 人 と い
う 中 退者 の数 字 を病 理 だ とす る メ ン
か で、高 校 中 退 の十 万 人 と いう のは 、
育
ア先 生 流 に いう と'内 部 の対 立 を 意
あ る種、 健 全 な数 字 ではな いか。 健
教
識 し っ つ、そ れ と対 話 す る と いう 形
業
タ リ テ ィ ー が 病 理 で は な いか と 思
う 。ボ ス- ・モダ ンか モダ ンか知 ら な
いが'高 校 進 学 率 が九 六% にな った。
は' 職業 と か' あ る いは人材養 成 の
理 とし てし ま った。 つま り、 中 退者
全 な 数 字 にも か かわ らず ' これ を病
吉本 圭 一
前 日 の議 論 を 引 き 継 いだ形 で本 日
観 点 から教育 を 問 い直 す こと が等 閑
で内 部 にも パー - ナ - シ ップ を 形成
九 州 大学 助 教 授
し かし' 七 五 三教 育 が改 善 さ れ たと
の討 論 を スター - し た いと思う 。 論
し て い-。こう いう 立 場 が生 か さ れ
いう 話 は特 別 には聞 かな い。 そ のな
点 は三 つあ る。
いか。 学 者 も そう だLt 日教 組 は経
済 界 と いう よう な 形 で' 実業 家 の意
る こと が い いのではな いか と思う 。
の立場 ではな いか。.
に アプ ロー チす る のが 日教 組 、連 合
会 の大 き な 問 題 があ るわけ で、 そ こ
を受 け 入 れ る素 地 がな いと ころ に社
視 さ れ、 見 過 ごさ れ てき た のではな
向 を 拒 否 す る と同時 に、 経済 社 会 か
第 一に' ド- ア先 生 の 「
文部 省 と
て機能 し て いた。 対 立 し て いた こと
日教 組 の政 治 的 対 立 が価 値 教 育 とし
ら求 めら れ て いる必 要 性 と いう こと
要 だ と思う 。 つま り' 労 働 者 と教 員
ロシ ュー マー と いう 視 点 が極 め て重
第 二 に' 市 川先 生 が指 摘 さ れ たプ
わけ ではな い。 これ から 私 がお話 し
かし'各 論 は必ず しも 1致 し て いる
にう いては' 大変 興 味 があ った。 し
部 の パネ ル討 論 で提 起 さ れ た考 え 方
次 に第 三 点 であ る が' 昨 日 の第 二
る のか どう か。
度 の中 退者 が出 る。 そ のよう に いえ
理 も や ってき た。 そ の結 果 ' 二% 程
を し てき た。 であ る から こそ出 口管
私 たち は これ ま で、 き ち ん と教 育
と いう 両方 の要 素 を 内 部 にも って い
が でき な か った のではな いか。
を全 - 考 え て こな か った と思う 。 一
があ る機能 を 果 たし て いた」 と いう
方 、 文 部 省 も ' 必ず し も 適 切 な 対 応
る こと の意 味 をもう 1度 考 え てお-
す る ことも ∵ 全 体 の.
.T
lンセ ンサ スが
得 ら れ て い.
るわけ ではな いし、 ま た
私 は、 高 校 中 退者 を 問 題 にす る と
多 目に見えやすい進路の
構造へ
得 ら れ る か どう かも 怪 し い。
と- に高 校 段階 を 扱 わ れ た黒 沢先
かし' そ れ はそ れ で い いんじ ゃな い
か。内 部 に対 立 があ る から こそ'ド -
必要 があ る。 内 部 に対 立 があ る。 し
㊨ 中退者を受け入れる
社会的素地を
指 線 は非 常 におも し ろ いと思 った。
・
さ ム に「
今、歴 史 的 な 和 解 が'逆 に価
値 観 を教 え る こと への関 心 が薄 ま る
ことば つな が れ ば'そ れ は 問 題 であ
る」とし た指 摘 も な る ほ ど と思 った.
多 層過ごされてきた
人材養成の視点
し 香し、 私 が これ から指 摘 し た い
第 一の点 は、 これ ま で政 治 の季 節 に
37
いと いう 問題 だ って扱う 必要 があ る
題、す な わち職業 に適 切 に接続 しな
いう のであ れば'高卒 後 の無業 の問
か卓 越性 を兼 ね備 え たも のだ ったと
それ はそれなり に効率性 とか平 等 と
規学卒 市 場 の基本的 な性格 であ る。
す べき だと思う 。
多 職業教育 ・訓練の体系化を
そう し た場合 に問題 にな る のが'
れな り に合 理性 をも って いる。 そ の
縦割 -行 政 であ る。 産業教育 振 興法
思う 。 ド- ア先生 の いう よう に' そ
で いろ いろ考 え て い- べき問題 があ
合 理性 をも ち つつt L かLt 別 の面
と思う 。今 日 の経済情 勢 下 で 「
就職
これま でも就 職浪 人 が いな か ったわ
は'学校 におけ る産業教育へ つまり
浪 人」が大 きな問題 とな って いる が、
け ではな い。 むし ろ、見過 ごし にさ
る ことも事 実 であ る。
評価す るととも に、「
第 -期中 等後教
育 ・訓練」 の枠組 み のな か で' し か
る べ-対等 な評価 を確 立す る こと が
求 めら れ て いる。
の中 退者 が大体十 万 人規模 で推 移 し
必要 であ り' 文部省 と労働 省、 日教
体系化 し て い- か。 それ には対話 が
教育' こう いう も のの制度 を いか に
結論 だけ いう と、普 通教育 と職業
であ る。
高 等教育 の大衆化 の過程 で'
職業 に つ- と いう 課題 が中等教育 以
のは初 等 ・中 等教育 局 の職業教育 課
法律 であ る が' それを所管 し て いる
仕事 に つ-前 の教育 を全部包 括す る
いが' 私 は四 つの 「パ 」 を提起 し た
育改革 と い っても、あ と四年 し かな
いず れ にし ても 二十 一世紀 への教
㊨ パートナーシップの確立を
て いる。 それ が多 いのか、 少な いの
組 な どが対話 をう ま-進 め て いって
ほし い。
職業能 力開発 に ついては'今 日「ス
等教育 段階 だけ で職業教育 を カ バー
し て いる。
降 に移 って いる にも かかわらず '中
それぞれ に評価 し て い-。学校教育
し て い-。
、そ こそ こ学 んだ ことを、
習経路 ' さら に パリテ ィー ・オブ ・
それ から パ スウ ェーブ'要す る に学
パー テ ィー ・オブ ・エステ ィ- ム'
よう に ヨ コに移動 でき るかどう か議
せ て つ- ってお いて' そ の間 を ど の
道 とプ ロ職業 人 の道 の二 つを両 立さ
り、 それを いか に体系 づけ るかが焦
業教育 ・訓練 の制度 化 が展開 し てお
と- に中 等教育 以後 のさま ざま の職
育 の活性化方策 が注目 され て いる。
価 し て い- と いう こと が必要 だと思
エフィ シ ェンシIを相互 に適 切 に評
で学 んだ ことも、 そ の量 と コス- と
で学 んだ ことも' 職業能 力開発 訓練
エステ ィ- ム' つま-評価 を対等 に
ペシ ャリ ス- への道 」 と いう 職業教
す でに いわ れ て いるよう に、高 校
か。 諸外国 と比較す れば、 日本 の高
たとえ ばイ ギ リ スでは、職業資格'
れ てき たと い って いい。
同時 に'高卒 で進路不 明' つま-
等学 校 の中 退者 は多 -な い。
学歴 資格'す な わち学歴取得 の道 と
み上げ て い-道 があ る。学歴 取得 の
職業 訓練 を経験し て、職業資格 を積
い。それ は パー-ナ- シ ップ であ り、
し て いな い数 は'高校中 退者 と同 じ
高卒 後'高 等 教育 に最 終的 にも進学
し た現 状 を き ち ん と 見 て こな か っ
規模 の十万 人を上 回 って いる。 こた。容 易 に見 え るも のだけ を見 て い
た のではな いか。
論 し て いる。 それ が実際 にう ま- い
う 。 そ のため には パー-ナ- シ ップ
報 告書 で私 が指摘 し た のは 「
目に
眉 の課題 とな って いる。 それぞれ の
って いる のかどう か知 らな いが、 私
を確 立しなけ ればならな い。
であ る。高卒 者 が卒 業時 点 で就 職先
制度 に関 し て、 固有 な尺度 を 用 いて
見え やす い進 路 の構造」 と いう こと
は日本 でも' そう し たアプ ローチを
吉本 圭 一 (
よ しも と ・け いいち) 一九 五 四年生 ま れ 一九 八五年東京 大学大学院教育学 研究科
博 士 課程単位 修得満 期 退学 一九 八五年 雇 用職業総合 研究 所 研究 員 一九九〇年 日本労働 研究
機構 研究 員 一九 九 二年大学共 同利 用機 関放送教育 開溌 セ ンタ ー助教授 一九九 六年 九州 大学
教育 学部 助教 授 著書 ・
論文 「
学 習社会 におけ る マス高等教育 の構 造 と機 能 に関す る研究し (
放
送教育 開発 セ ンタ ー 天野郁夫 、吉本圭 一編 、 共著 )な ど
を見 つけ ると いう のは、 日本的 な新
吉本 圭一
九州大学助教授
詔
学
接
校
点
教
と
育
公
/
共
本 研究委員会 は'勤労者 の自発的
な学 習 が'実際 にそ の職業 の遂行 の
場 面 で'ど の程度機能 し て いる のか'
私も加 わ った連合稔研 の研究会 で
し て いる。今年 の ﹃
労働 自書 ﹄を読
た職業能 力 の形成 と いう ことを強調
産性 の向上 に有意義 な寄与をし て い
習 は個 人 の職業能 力 の形成、労働生
べてみた。 それ によ ると、自己的学
此
は 一つの基本方向 とし て'自立し た
むと' これま では企業 のな か で のO
oFFIJT
ITが中心 であ ったがt
職
いの位 置を占 めて いる のかと いう こ
あ る いは職業能 力 の形成 にど の-ら
と に ついて調査 し た。
短 い時間 であ るから結論 だけ申し
上げ た い。 これま で'主 とし てOI
Tを中心 とし た経験を積 ん で い- こ
とがど の-ら い能 力形成 に寄与 し た
勤労者 の形成 と いう テー ゼがだされ
及 び自発的な学習 であ る自己啓発 が
秋永 雄 一
て いる。 私 の報告 では、第 一に'職
次第 に重要性を増 し て いると指摘 さ
東 北大学 助教授
いた。 そ こで'自分 で自発的 に学 習
のか に ついては'比較的測定 され て
業能 力形成 におけ る自立性 はどれ-
れ て いる。
を行う度合 いを変数 に組 み込 ん で調
ら い成 -立ち得 る のか。第 二に、今
場を どう いう 形 で提供し得 る のか'
業能 力形成 に対し て'就学 の機会 や
う な位 置を占 めて いる のかと いう こ
た い職業能 力 の形成 にと ってど のよ
勤労者 の自発的 に行う学 習 が' い っ
し かしtOFF1Tは別 とし て'
の対象 を三十代 ま で の年齢層 に引き
前 から と って いる。来年度 から' そ
金 を個人 に直接支給す る方式 を数年
力開発行 政 で自己啓発 に対し て補 助
いか。 たとえば、労働省 は、 職業能
このことを ど のよ- に考え たら い
の関与が課題
㊨ 自己学習 への企業 ・行政
ると いう 結果 が得 られ た。
後学校教育 は'勤労者 の自主的な職
この二点 に ついて述 べた い。
と・
に ついては' これま で議論も少な
く、 明ら かにされ て こな か ったよう
下げ て奨励金 を出す と いう 方向 のよ
多 目r
L
]
学習の能力形成 への
寄与
に思う 。
第 一の'労働省 は'最近、自 立し
g3
う だ が、 つまり本 来 の業務 のな か で
はな く 自 発的 に行う 学 習 に対 し て、
企業 あ る いは行 政 がど のよう な形 で
要 であ ろう 。
し た定義 をす る こと は'制 度 を 動 か
し に--す る可能 性 があ る から かも
知 れな い。
社 会 人を対象 にし て特 別 の選抜枠 を
た問題 であ る。現在、高 等教育 では、
第 二 は'学 校 教育 のサイ ド から見
定 す ると' 仕事 をも って いな い主 婦
と は非 常 に難 し い。 現 職者 だけ に限
を ど のよう に定義 す る のかと いう こ
項 のとき に、 応募 資 格 とし て社 会 人
し かし' 現実 問題 とし て' 募集 要
自発的 な学 習 だ から純 粋 に個 人 の
の方 から 「
私 には応 募 資 格 がな いの
㊨ あいまいな社会人の定義
私的 な活 動 だと は い い切れな い。 実
設け たり' あ る いは履 修 コー スを 設
か」 と い った問 い合 わ せが釆 たりす
かかわり得 る のかと いう こと が 1つ
際 に労働 生 産 性 の向 上 に寄与 し て い
が試 みら れ て いる。 し かし、社 会 人
け たり と いう 形 で'・さま ざま な施 策
のボイ ン- にな る。
る から だ。 あ る程度 ' 公的 な性格 を
る。 これを ど のよう に整 理す る か。
高 等教 育 だけ に限 る問 題 ではな いと
を 対象 とす る方向 で学 校 教育 を開 -
昨 日' カ ミ ング ス先 生 が指摘 され
と いう 試 みを見 て いても 、 や やま だ
も ち得 る のではな いか。
て いた が'生 涯学 習' つま り再 び学
思う が、学 校 教育 を これま で の学 生
以外 に開 いて い- とき の開 き方 とし
少 し分 かり にく いと ころ があ る。
日本 の場 合 には' 企業 も し - は公的
の社 会 人 と いう 対象 がど のよ- に定
学 習 に ついて書 かれ て いる が' 肝心
特集 し て'社会 人を対象 にし た生 涯
今年 の ﹃
教育 白書 ﹄ は高 等教育 を
校 で学 び た いと いう 人 に' ど のよう
な機 関 があ る程度 そう し た制 度 を考
義 さ れ てい る のか が非常 にあ いま い
て'重 要 な ボイ ン寸 にな って いる。
え つ つあ る が' そ れを拡充 し て い-
そ の こと を 考 え る 場 合 に' 「
社会
に学 習 の機 会 を保 障 し て い- のか。
根拠 とし て位 置 づけ る こと が できな
であ る。 つまり、 現 職者 を対象 とす
どう かと思 って いる。
人」 を就 業 形態 別 に分 け て考 え たら
就 業 形態 に関 し ては フ ルタイ ムの
件の整
備
を
いかどう か。
いる人' 現在 は仕事 をも って いる か
る のか' あ る いは職業 経験 をも って
条
そ の 一方 で' 自発 的 な学 習 は'働
も って いな いか は不 問 にす る のか ど
の仕事 を し て いる人' あ る いは現 在
仕事 をも って いる人、 パー - タイ ム
㊨社会人の就学
いて いる人 が自 立 し.
て い- 一つの契
機 とし て'経済 朗 な側 面 だけ でな-、
な い。
仕事 をも って いな い無 職 の人' そ-
う か' そ の へん がどう もす っきり し
いう 三 つのタイプ に分 け て考 え て み
学 校 教育 が これま で の学 生 ではな
く、 す でに社 会 に甘 た人も受 け 入 れ
る。学 ぶ形態 も 三 つに分類 し て' フ
るも のではな いか。 し た が って、
、自
発 性 を保 証 し た学 習 の機 会 を馴鹿 と
よう す る場 合 には' あ まり き ち んと
心 理的 な 面 でー
も
t企業 へ'
の依 存関 係 か
ら脱却す る 1つのボイ ン- にな り得
し て定着 さ せ て い- こと が非常 に重
40
秋永 雄一
東北大学助教授
ルタイ ムで学 ぶ、 パー - タイ ムで勉
とらず に勉 強す る条 件 が比 較 的 整 っ
傘 年齢主義の打破がポイント
た だ' 個 人 のサイ ド から見 る と、
最 後 に'結 論 だけ いう と'研究 会 の
てき て いる。
比 較 的 短 期間 の学 習 をす る、 アド ホ
昼間 は仕 事 で' 夜 学 校 に通 って」 大
企 業 依 存 から の脱 却 を 課 題 にし て い
報 告 の基 調 は'会 社主 義 '会 社 依 存 、
強す る。 そ れ と、 随 時 必 要 な とき に
ックな就 学 と いう よう に' 三 つに分
け て勉 強す る の牲非 常 にき つい. 肉
学 院 の場 合 で いう 七、学 位 取得 に向
体 的 にも ' あ る いは仕 事 と の兼 ね合
る。学 校 教 育 に関 し ては'年 齢主 義 を
す る と' 全 部 で九 つのタイ プ が で
け て考 え る。
き る。 そ れ ぞ れ のタイプ ご と に見 る
が生 涯学 習社 会 を展 望 す る上 でボ イ
た とえ ば学 費 は ど のよう に調 達 で
第 1の企 業 依 存 から の脱 却 は' よ
ど のよう に打 破 し て い- のか。これ
き る のか。 自 分 で調達 す る以外 に、
いう 状況 と の関 連 で考 え て いかざ る
かれあしか れ脱 却せ ざ るを得 な いと
いでも ' 「
忙 し い」と いう 人 が多 いと
す る場 合 に' 利 用 の仕 方 が大 分違 っ
公的 な 形 で奨 励金 な どを受 け る道 が
いう 結 果 も あ る。
て- る。 たとえ ば' 実 際 に フ ルタ イ
あ る のか どう かと いう ' さ ま ざま な
と' 同 じ社 会 人 と いう カテ ゴ リー で
ム の仕事 を も って いて' パー - タイ
条 件 e.
・違 い が 見 え て く る よ う に な
を得 な - な る だろう 。 ま た、
.学 校 教
ン- にな る考 え方 であ る。
ム の形 で就 学 ' 勉 強す る のは具 体 的
分 け た とし ても 、 実 際 に学 校 を利 用
にどう いう 人 たち な のか。 大 学 では
が増 え た。 社 会 人 を 対象 にし た夜 間
会 人 に打 け て学 校 教 育 を開 - と い っ
教育 サイ ド ' 文部 省 サイ ド から ' 社
こ の へん の議 論 が現 在 ま で' 学 校
齢 主 義 から脱 却 せざ るを得 な い状況
・
取 り上 げ る だけ でな -、 現 実 的 に年
題 も ' た ん にめざす べき方 向 とし て
育 におけ る年 齢主 義 から の脱 脚 の問
の大学 院 も 出 来 て いる。 これ な ど は
とし て動 いてき て いる のではな いか
る 。
非 常 に充 実 し てき ており、 夜 間 の大
た とき に、 議 論 とし て十 分 に詰 めら
と いう 観 測 を も って いる。
最 近 ' 昼夜 開 講制 にし て いる と ころ
学 院 の場 合 は昼 間 の仕 事 を 断 絶 せず
れ て いな いのではな いか。
有 信 堂 ) 「大卒 者 の初 期 キ ャリ
I九 七 六年 東 京 大 学 教 育 学 部 卒 同大 学
九 八九年 東 北 大 学 教 育 学 部 専 任 講 師
J
に' つま り休 職 や 派遣 と いう 形態 を
秋永 雄 一 (
あ き な が ・ゆ う いち) 九 五 一年 生 ま れ
大 学 院 教 育 学 研究 科博 士 課 程 (
教 育 社会 学 )を 経 て、
共著
九 九〇年 東 北 大 学 教 育 学 部 助 教 授 主 著 妄 化 と社会 ﹄ (
ア形成 ﹄ (
共著 日本 労 働 研究 機 構 ) な ど
41
済の転 換 と
ステ ム の 構 築
産業化 の展開 によ る情報化 と世界化
日本 の教 育 は戟 後 ' 国 内 に おけ る 彪
産 業 化 のな か で発 展 し てき た と い っ
て い い。 日本 経 済 の高 度 成 長 に対 し
て、 産 業 社 会 に人材 を供 給す る と い
た。 ド - ア先 生 も指 摘 し た が、 日本
う こと で、 教 育 は大 き -寄 与 し てき
の入 試制 度 は' ラ ンク づけ な り 選 別
に非 常 に大 き な役 割 を 果 たし てき た
をす る と いう こと で' 経 済 の効 率 化
と田か
、
つ。
▲
■
し かし' そう し た状 況 も いま変 わ
り つ つあ る。 今 回 のシ ンポ ジウ ムで
も 紹介 さ れ て いるOECD の教 育 調
査 団 の報 告 が 日本 で潮 訳 さ れ た のが
る ほう が安 - でき るLt これを国 内
内 で モノを つ- るよ り も 海 外 で つ-
も変 わ ら な い。 私 は若 干 心 配 し て い
め て頑 固 な と ころ があ って' そ れ で
る。 た だ、 日本 の教 育 シ ステ ムは極
教 育 や外 国 留 学 、 外 国 人 に対 す る 日
書 いてあ る。 そ のた め に は、 外 国 語
が 日本 経済 にと って は必 須 であ る と
国 際 参 加 、国 際 的 な 貢献 をす る こと
界参 加 のた め の教 育 」と いう 章 では'
増 田 祐司
に逆 輸 入 し て- る と いう こと が頻繁
ても 、そ れを受 け付 け な い面 があ る。
る が'情 報 化 と いう も の が入 ってき
東 長 大学 教 授
国 際化 と情 報 化 は' 実 は非 常 に関
に行 わ れ て いる。 これ は、新 し い産
一九 七 四年 であ る。 こ の報 告 の 「
世
係 し て いる。 つま り、 産 業 化 の二 つ
業 化 の 一つ の発 展 段 階 であ る と 思
現 在 の産 業 化 の 二 つ の側 面 と し
紀 を 展 望 し た我 が国 の教 育 の在 り方
今 年 出 さ れ た中 教 審 の 「二十 一世
の側 面 だと い って い い。
いま' 日本 経 済 は非 常 に厳 し い局
う 。 産 業 の面 から いう と、 ボ ス- ・
本 の教 育 機 関 の開 放 が必要 であ る と
わ ち 日本 の企 業 が海 外 に出 て い って
面 にあ る。 ま た、 産 業 空 洞 化 ' す な
モダ ンと い って い いかも 知 れな い。
て、 世 界化 と情 報 化 ' す な わ ちグ ロ
指 摘 さ れ て いる。
情 報 化 が急 速 に進 ん で いる。 現 在
多 問われるアイデンティティー
し まう と いう こと が問 題 にな って い
の産 業 化 は、情 報 化 ' あ る いは情 報
を つ- って' そ れか 海 外 に輸 出 し て
日本 経済 は' 国 内 で いろ いろ モノ
こ のな か で 大 き な 影 響 を 受 け て い
を かな り変 え つ つあ る。 実 は教 育 も
技 術 を ベー スにし て' 私 たち の社 会
ンと いう こと があ る。
ン' あ る いはイ ンフォ マイ ゼ- シ ョ
ー バ ル化 とイ ンフォ マテ ィ ゼ- シ ョ
れ' 外 国 語 教 育 、 と- に英語 を 重 視
国 際 化 や情 報 化 と いう こと が記 述 さ
に ついて」 と いう 報告 も 、 いわ ゆ る
バ ル経済 化 と いう こと にな る。
る。 これ は別 な 面 で いえ ば、 グ ロー
発 展 し てき た。 し かし、 いま は' 国
い った い私 は何者 であ る かと いう こ
市 川先 生 が提 起 され た 「
自 立し た
情報 化と いう のは コンピ ュータとか
い。 世 界を どう 理解 す る かと いう こ
す べき だと書 かれ て いる。 同時 に'
ックな手 段 とし て パソ コンな り コン
パ ソ コ ンを 使 う と いう こ と で は な
ピ ュー タ があ ると理解す べき だ と思
勤 労者 の形成」 と いう 点 も'グ ロー
け る問 題 とし て考 え て い-必要 があ
る と田a
,
つ。
.∫
とを常 に問 わ れ るよう な 状況 が生 ま
何 かと いう ことも'国 民 経済 がグ ロ
世 界市 民 と いう い い方 も あ る が'
れ てき て いる。 日本 人 と は い った い
ー バ ル化 し て'非 常 には っき り しな
繰 り返す が'国 際 化 '情 報 化 ' そ
日本 人 の子 ども たち の教 育 な ど に つ
- な って いる面 があ る。 これを どう
ヨー ロッパでは ヨー ロピア シテ ィズ
のな か で教育 の課題 が問 われ て いる
中 教 審 報 告 は' 海 外 に在留 し て いる
現在 の日本 社 会 におけ るグ ロー バ
す るかと いう こと が教 育 でも 問 われ
ンと いう いい方 もあ る。 ヨー ロッパ
が' そ こで出 てく る のはアイ デ ンテ
る。 そ れを情 報 ネ ッ- ワー ク が促 進
ます ます 増 え て いると いう 状況 があ
う し た傾 向 がグ ロー バ ル化 によ って
海 外 に出 た人 々も 拡 大 し て いる。 そ
が' そう し た形 で' アイ デ ンテ ィテ
日 の丸 ' 君 が代 と いう 問 題も あ る
ー マとし て浮 上 し てき て いるよう に
B
,3
、
つ。
▲
′
によ ってアイ デ ンテ ィテ ィー が問 わ
け ではな い。 むし ろ'グ ロー バ ル化
時 代 だ から と い って無国 籍 にな るわ
決 し て' 日本 でもグ ロー バ ル化 の
シー と いう も のがあ る と思う 。 そう
立す る た め の前 提 とし て情 報 リ テラ
要 な問 題 であ り、 こう し たも のを確
のか。 それ は教育 にと って非 常 に重
アイ デ ンテ ィテ ィー を確 立し て い-
∼
フ0
と であ り' そ のため の 一つのベー シ
ル化 と いう のは' 内 な るグ ロー バ ル
て いる のではな いか。 日本 人 のアイ
そ れ は各 国 の文化 と いう も のを前 提
市 民'欧 州市 民 と いう こと にな る が、
ィテ ィー の問 題 だと い って い い。 い
バ ル化 ' あ る いは情 報化 の時 代 にお
化 、 つまり 日本国 内 にも外国 人 が増
デ ンテ ィテ ィー と いう 問題 が'グ ロ
にし て ヨー ロピア シテ ィズ ンと いう
か にし て' これ から の日本 が自 ら の
し、 コミ ュ ニケー シ ョンを 可能 にし
ィー を 問う のではな-' も っと新 し
れ る時 代 が来 て いる のではな いか。
いても 問 題 を指摘 し て いる。
え てき て いる。 そ れ から、 日本 から
ー バ ル化 、情 報 化 によ って重 要 な テ
も のが形成 され て いる。
国 際 化 、情 報 化 ' それ から教 育 の
い時 代 におけ る 日本' あ る いは 日本
て いる。
問 題 を考 え て みると' 一つの焦 点 は
いう こと があ って初 め て' 自 立し た
人 と いう のは何 であ る かと いう こと
同時 に'情 報化時 代 にお いて個 々
を決 め て い-必要 があ る だろう 。
勤 労者 の形成 と いう こと が可能 にな
テ ィー の問題 にな る。
人 の自 立性 を いか に確 保 す る かと い
る のではな いか。
著書 「
技 術 先 端産 業 L (
東 洋経 済 新 報 社) 「
技術革新
理論 経済 専 攻)
一九 六七年東 京 大学 経済 学 部 (
う ことも重 要 にな って- る。
価値 の問 題、 あ る いは アイ デ ンテ ィ
㊨ 情報リテラシーの確立を
現在 東 京 大学 社会 情 報 研究 所教授
増 田祐 司 (
ま すだ ・
ゆう じ) 一九 三八年 生 ま れ
卒業
有 斐 閣)﹃
情 報 化時 代 の産 業体 制L (
共著
東 京 大学 出版会 )「社
の新 海 流 J (
東 洋経済 新 報 社)「
情 報 通 信 の新 時 代J (
有 斐 閣)r
知 識 化 社会 への構 図L (
東 洋経済
東 京 大 学 出 版会 )
新報 社)「
情 報 経済 論 」 (
共著
会 情 報 と情 報 環境 L (
共著
4
3
グ ルー パ ル化 し て日本 人 が海外 に
東京大学教授
出 て い-。あ る いは情 報 化 し た結 果 '
増 田祐 司
え
る
こと は、 ど- も大乗 教 と いう か、 一
る のではな いかと いう こと であ る。
種 の哲学 論争 に終始 し てしま って い
も とも とど のよう な教育 ニー ズ があ
って、 こ、れ に対 し てど のよう な教育
政策'学 校教育 を対応 さ せて い った
ら有 効 にそれぞれ の各 人 の能 力'生
活 の能 力、仕事 の能 力 が高 ま って い
- のか。 こう いう 議 論 が必要 な はず
であ る が, どう も建前 論 の議 論 に終
始 し て' な かな か具体的 な教育 政策
業能 力開発 に専ら こだわ って研究 し
人 のみんな が教育論 をも って いるよ
が、教育 問題 の議 論 にな ると、 日本
臨 教 審 の メ ンバー も そう だ った
高梨 昌
と今 日 の議 論 を聞 いて いると、臨 教
てき た。 ここでは、 そ のよう な視点
う に、教育 の経験 があ る。 し たが っ
日本労働 研究 機構会 長
の課題 に入 って こな い。 そ の原因 は
ど こにあ る のかと私 は考 え て'臨教
審 のな か で絶 えず 強調 し た のは' ま
ず 教育 ニー ズ が客観的 にど のよう に
変 化 し て いる のかを' 実態調査 の方
た い へん多 論 的 な論 点 が提 示 され
審 に対す る評価 が逆転 し てき て いる
から みな さ ん の論点 を私な- に整 理
こと であ った。
法 を 駆使 し て正確 に認識す ると いう
たが、教育 改革 の問題 と いう のは難
し て'給括 コメ ン- とし た いと思う 。
最近も' 異例 な こと だが' 日教組
のではな いか。
の二十 1世紀教育 ビジ m
rンの作成 に
れ で教育 問題を議 論 し て いる嫌 いが
とき に' 私 が絶えず 気 にな って いた
まず 第 1は、教育 問題を議 論す る
ーズ は こう だと いう 人 が いるがt も
オ ピ ニオ ンサー ベ イを使 って教育 ニ
た い へん強 いのではな いか。時 々、
㊨ 教育 ニーズ の変化を
認識せよ
て個別的 経験を 一般 化 しやす -' そ
し いと い- 印象 を強-受 け た。
二部会 で、 「
生 瀧学 習社会 の建 設」と
若 干 のお手 伝 いを さ せ て いた だ い
じ っは私も'臨時 教育 審議会 の第
いう 第 二次答 申 の作成 に参 加 し た。
が専門 ではなく
た。 し かし、 私 は、 も とも と教育学
関係論 が専門 であ って'労働者 の職
労働 経済学、 労使
文部省 からも かな り論議 の進 め方 に
当時 、臨教審 は日教組 にも嫌 われ、
ついて注 文 があ った。 し かし'昨 日
4
4
のは'時代 によ って変化す るも ので
とも とオ ピ ニオ ンサー ベイ と いう も
仕事 の能 力 と いう のは経験 の積 み重
によ って違う 。ご- 一般的に いえば'
のではな-' それぞれ の仕事 の性質
能 力 と い っても、 これ は 一般的 なも
し た流れ作業 の工程 のな か で'′
それ
る
これ は、大量生産技術を基礎 に
き た のは、 いわゆる半熟練労働 であ
それ から'今世紀 の初 頭 で増 え て
いう も のとし てまず 整理し て いかな
育 ニーズも異な るわけ だから' こう
仕方も当然変 わ って いる。 ま た'教
う 。 そし て' それ に応 じて'教育 の
れ によ って正確 に いま の ニーズ がど
ため の作業仮説を整備す る こと。 そ
仮説' それ から理論仮説 を実証す る
常 に注意 し た ことは'・そ こで の理論
原因 にな って いるよう に思う。
に ついての議論 の混乱を呼 び起 こす
ー であ る。 このスキ ルレー バー は'
れ る のは'熟練労働、 スキ ルレー バ
アーチザ ンとかタラ 7- マンと いわ
働 には三 つのタイプ があ る。1つは'
いう概念を優 って整理す るが、
熟練労
私 ども はそ こで職種、 - レ-下 と
み重 ね だけ で は 足 り な い仕 事 も あ
る。
とは共通 し て いるが' そ の経験 の積
ね によ って、能 力 が高 ま ると いう こ
練労働 のタイプ であ るが'高度 な高
る専門職 であ る。 タイプ とし ては熟
次 に' いま、新 し い技術進歩 によ
わけ だ。
年功賃金 とされ る労働者集 団 であ る
る。 これ が俗 に いう ' 終身雇 用 とか
モー シ ョンし て いく と いう も のであ
職し て'徐 々に難 し いジ ョブ にプ ロ
み重 ね で、最初 は易し いジ ョブ に入
の労働 は、も とも と仕事 の経験 の積
ぞれ部分 の仕事 を分担し て い-。 こ
し たが って、 現実 に教育 ニーズ がど
議論す る場合 の仮説 であ る。 それ に
は' 私なり に描 いて いる教育 問題を
たら いいのかと いう 建設的な整理 が
ど のよう に教育 サー ビ スをし て い っ
け れば'教育 1般論 で議論 し ても、.
一。
わけ ではな い。 そ のことも教育 問題
あ って'客観師 を事実を示し て いる
う な って いるかと いう ことを捕捉す
専ら経験 によ って仕事 の能 力を高 め
等教育 を受け て'初 めて入職 でき る。
心 だが' こう いう 熟練労働 があ る。
このよう に熟練労働 は、 だ いた い
な資格要件 が課 される場合 が多 い。
そし て' 入職 に際し ては、 さまざま
と、 私 は思 って いる。
対応 さ せたら いいのかと いう 問題 だ
う であ って' ど のよう な教育 政策 を
みなさ ん方 にお話申 し上げ た いの
㊨ 変革期を迎えた
社会システム
できな いのではな いか。
る こと が重要 だと思 って いる。
て い-。制度的 には'徒弟制度 が中
今 日 でも '日本 では造作大 工とか左
私 は、 あ る実態調査を行う 場合 に
㊨ 職種によ って異なる
教育サーゼス
それ からもう 一つ、 い・
ま' いろ い
官'宮大 工な ど、 そう し た建 設関係
いま、 た い へん増え てき て いる の
が'教育 の ニーズ と いう のは'仕事
信州大学
は新 し い専門職 であ る。増 田先生 が
一九 五三年東京 大学経済 学部卒
三 つの仕事 に整理 でき るだろう と思
ろ な 教 育 改 革 の議 論 が さ れ て いる
の職人さ んに残 っ、
て いる。
日本労働研 究
機 構会長
だけ に限らな いが' たとえば仕事 の
昌 (
たかな し ・あきら) 一九 二七年生ま れ
東京大学出版会)
エイ デル研究 所)「
臨
著書 「日本 の労使 関係」 (
東 洋経済新報社 )﹃日本労働市場分析」(
共著
人文学部 長、 同経済学部 長を経 て現在 日本労働 研究機構会 長 (
専 門 ・専 攻) 社会政策 ・労使 関
高梨
係論
﹃
転換期 の雇 用政策L (
東 洋経済新報 社) 「
春 闘- 変 わる のかL (
共編著
教審 と生涯学 習ヒ (エイ デル研究 所)他多数
45
昌
高 梨
説 明 され た技 術革新 ' これ はた んな
てあ る のは'いま'モノづ- り の人'
専 ら 私 は職業能 力開 発 にか かわ る
大 き な 変 革 期 に釆セ いる の だ と 思
ムを変 え て いかなけ れ ばな ら な い'
は十 歳前 から始 めなけ れ ば痩 士 には
そ んな に強- はな れな い。 プ ロ棋 士
が碁 を始 め た年齢 が十 八歳 だ から'
も素 人 だ が' 碁 は打 つ。 そ れ でも 私
教育 と いう のは' 教 え授 け る だ から
育」と いう 言葉 を使 って いた のだ が、
非常 に こだわ った。 従来 は 「
生 涯教
は ここで' 「
生 涯学 習」と いう 言葉 に
建 設」 と いう ことを打 ち出 し た。 私
審 の第 二次答 申 で 「
生 涯学 習 社 会 の
思う のは' 最 初 に い ったよう に臨 教
もう 1つ、 論 点 とし て加 え た いと
イ ー カラー に ついてど のよう な 公共
は全 - ウイ ー ク であ る。 私 は、 ホワ
と ころ が、 ホワイ ー カラー に ついて
に、 職業能 力再 開 発 も や って いる。
と か建 設 生 産 業 務 な ど か な り 熱 心
労働 省 が能 力開 発 等 で製造 工程業務
労働者 のブ ルー カラー に ついては'
のは ホワイ ー カラー であ る。 現場 の
職業能 力開 発 がた い へん遅 れ て いる
がり に ついて言 及 し てき た。 いま'
と ころと'そ の周辺 と学校教育 の つな
う 。 そ の中 心 は いう ま でも な-' コ
な れな い。碁 でも将棋 でも そう だ が、
受 け身 であ るわけ だ。 増 田先 生 が い
る のかと いう こと がボイ ン- にな る
的 な職業能 力開 発 のサー ビ スが でき
㊨ 遅れているホワイトカラー
の職業能力開発
ンピ ュー タ と通 信 技 術 の結 合 で' 情
まず 姿 形 で覚 え て い- わけ だ。 理屈
われ た自 己啓 発 ' つまり学 習 と いう
そ れら に従 事す る人 たち の養 成 がた
報 革 命 、 通 信革 命 と いわ れ て いるも
の職 人 と いう のは' みんな そう だと
は後 から追 っかけ て- る。 手 づ- り
のは自 ら学 ぶと いう こと で、 そう し
る技 術進 歩 ではな - て' 私 は' 技 術
のであ る。
思う 。
たも のとし て私 は 「
生 涯学 習社会 の
い へんウイ ー ク にな って いる。典 型
私 は' 日本 の産業 の復 権 と い- こ
だから' モノづ- りを育 てる ため
建 設」 と いう こと にた い へん こだわ
的 にはプ ロ棋 士 を みても 分 か る。 私
と が最 近論 じら れ て いる が、 そう し
には' それな り の教 育 シ ステ ムを つ
った。
と思う 。 だから '社 会全 体 のシ ステ
が活 用 さ れ る こと によ って日本 の産
-'全 産 業 に普 及' 波 及し て' そ れ
く ら なけ れ ばな ら な い。先 ほど の吉
そ の際 に、臨 教 審 の第 二次答 申 を
革新 と呼 ぶに ふさわし い社 会 革 命 だ
業 は活 性化 す る に違 いな いと思 って
本 先 生 の意 見 に賛成 だ が'高 校 に九
読 ん で いた だけ れ ば分 か る が' 生 涯
こ のこと に付 随 し て強調 し た いの
よ って違う だろう と思う 。 大 き-分
学 習 と い っても' 教育 ニー ズ は人 に
仕事 を向 上 さ せよう と いう ニー ズ が
し て いる こと は間違 いな い。 ま た'
は入ら な い。 こう いう 人 たちも労働
方 は' 純 粋 な 経営者 のカテゴ リー に
がどん ど ん増 え て いる。 こ の 一人親
て いる人 ば かり ではな い。 一人親 方
は' 専 門 職 と いう と、全 部 が雇 わ れ
け れ ば、 一つは教養 的 、 文化 的素養
あ る ことも間違 い′
な いわけ だ。 こう
た新 し い技 術 が、特 定 の業 種 ではな
いる。 そう いう も のとし て の基礎 的
理的 現象 」 だと思う 。高 校 全 入運 動
五% が進学 す る ことそ のも のが 「
病
と田か
、
つ。
▲
■
る。
なも のは' ソシア ル スキ ル化 し て い
は疑 問 をも つ。
を身 に つけ る と いう こと があ る。 こ
いう 人 たち の要 請 にど のよう に応 え
多 手づくり職人を育てる
たy ,
えば義 務 教 育 を ど のよ- に考 え
そう いう な か で' 子 ども の教育 '
し ても' そ れなり に手 づ- り 職 人 に
う し た カ ルチ ャー セ ンター の系 統 な
て い- のかも た い へん重要 な教育 政
高 校 に入学
な るよう な シ ステ ムを高 校 教育 の段
も のと' もう 一つは職業能力 開 発 が
むし ろ そう ではなく
こと だと思▲′
う.
て いく のか。 これ は た い へん重 要 な
階 で つ- ら なけ れ ばなら な いが' そ
あ る。 こ の二 つの領 域 は区 別 し てか
策 の課題 にな って いると思う 。
は大 き い。
から なけ れ ばなら な い。
れ が でき て いな い方 がはる か に問題
システムを
もう 一つ教育 の基本 的 な論 点 とし
46
私 は' 職業能 力開 発 と いう こと で'行 政 の
変化に対応 できる人材の育成
杉浦
立場 から' 今後' 二十 一世紀 に向 け てと いう か'
将来的 に職業能 力開発 の力点を どう いう と ころ に
置 いてや って い- べき かと いう こと に ついてお話
しし た いと思..∫
う。
ま た'学校教育 と の関係 に ついても若干触 れ た
いと思う が' いま'皆 さ んから お話 があ ったとお
り'人 材育成 とか職業能 力開発 が世 の中 の脚光 を
のは' そ の前 は職業 訓練 と い っており、名前 も 職
浴 び てき て いる。 も とも と' 職業能 力開発 と いう
業 訓練法 と いう 法律 であ った。も っと前 は'戟前 、
戟中 も含 め て'国 家施 策 とし て産業振 興 のため の
ころ から'官主 導 でや ってき たも のであ る。 一方
訓練 と か' 戦後 の失業対策 とし て の訓練 と いう と
では' 公共 職業 訓練 と いう 形 で' 失業者 の再就 職
の手 助け をす ると いう こと でや ってき た。
ま た' 企業内 の職業訓練 を体系的 に位 置 づけ て
い- と いう や-方 でき たが' 現在 は、 民間 が行う
職業能 力開発 と いう のを第 一に、 そ こでは十分 に
い- と いう スタ ンスに立 って いる。 な お、今後 の
できな い対象者 を中 心 に、 公共 の部 門 で応援 し て
動き とし ては、す でにお話 があ ったが、自己啓発
に、行 政 とし ても でき るだけ手 助け し て い-よう
と いう エリ ア が広 が って- る のではな いか。 そ こ
な観点 が必要 にな って いる のではな いかと思 って
い る。
今年 の ﹃
労働 自書 ﹄ でも、先 ほど紹介 があ った
47
代 の流 れ によ って変 化 し て- る であ ろ- と思う 。
降 の新 し い施 策 せ考 、
享 いる と ころ であ 泉 、 廿
- に高 付 加価 値 と か'新 分 野展 開 を 担- 人材 を育
いま、能 力 開 発 基本 計 画 に基 づ いて( 来 年度 以
を でき る だけ拡充す る方向 で考 え て みた い。
実 だと思う 。 そ のた め に、 今後 のとり- み のな か
る行 政 のウ エ1- の置き方 が高 ま って- る のは事
いる 。
成す る.
と い、
さ しと で' 吉 本先 生 も触 れら れ た が職
す でに指 摘 があ った が' 自 己啓 発 を や る た め の
が' 人材育 成 に ついて特集 し た。 ま た今年 の二月
に、 これ は定 期 的 なも のだ が、 第 六次 の職業能 力
業能 力開 発短 期大学 校 と い、
つも のが、全国 に二十
六 カ所 み る。 短 期大学 校 と いう こと で文部 省 の短
ネ ック とな って いる のは、時 間 がな い' あ る いは
題 が ついてい る が、 個 性 を生 かし っ つと い- 部 分
非 常 に厳 し い経済 構造 や社会 構造 の
1.
′
幾 つか簡 単 にボイ ンー だけ お話 t L た いと思う
が、 一つ華
ホ ワイトカラーの能力開発に重点
た こと に対 し て行 政 とし ても応 援 し た い。
ど の援 助策 を考 え て い ってほし いと思- 。 そ- し
は長 期 の教育 訓練 休 暇 を制度 とし て認 め て い-な
て いる場 合 には時 間 労働 で配慮 す る と か、 あ る い
え ば数量 労働制 を拡 大す る と か'夜 間 自 分 で通 っ
費 用 がか かる と いう こと であ る。 であ る から'事
では' 企業 と か個 人 に対す るそう い った助成制 度
し いが、 や はり以前 にも 増 し て' 自 己啓 発 に対す
開 発計 画 と iJ
フも のを策定 し た。 こ の計 画 に甘、
大 と は違う が、 こ こは 二年間 の課 程 であ る が、 そ
全 体 のな か でど の- ら いかと いう 判断 は非 常 に難
と'変 化 への的確 な対応 と いう こと にウ エ1- が
れ によ り高度 なも のを勉 強す る 二年間 の新 し い課
業主 に対 し ては'時 間 面 で の配慮 に ついて、 たと
「
各 人 の個 健 を生 かし つ つ'変 化 への的確 な対応
を 図 る職菓 能 力開 発 の実 現 を目指 し て」 と いう 副
置 かれ て いる。
1
程を加 、
芸 こと で、 公共訓 練 のサイ 下一甘 ら体制 の
整備 を 図 って いき た いと考 え て いる。
変 化 、 あ る いは就 業 状況 ' あ る いは個 々人 から の
就 業 ニー ズも非常 に変 化 し て い- な か で、 人材育
高まる自 己啓発 への支援
杉浦 も- 一つは、 個 人主 導 型 の能 力開発 と い、
つ
こと であ る。 企業 が産業 構造 の転換 とか 技 術革新
成 ' そ れ から個 々人 の スタ ンスから の職業能 力開
発 と いう こ寸 に重 きを 置 かれ てき て いる。 た だ'
失業 と いう のは職業 生 活 のな か で不 幸 な こと であ
る から' 労働 省 とし ては何 よ-雇 用 の安定 を重視
に対 応 し て新 分野を展 開す る に伴 って、
'非 常 に大きな スピー ド で内 容 を変 え て いる。 雇 用 の安定 が
杉浦
から も 職業能 力 の開 発 と いう こと が重 要 にな って
いう こと が起 こら ざ る を 得 な いと サ† 部 分 があ
る。 これま では企業 が、 雇 用す る労働者 に対 して
し て い-。・
そ のた め に.' 失業 を 予防す ると いう 観
点 からむ、 本 人 の社 会 的 地位 を高 め る と いう こと
いる。 時 代 の変 化 に柔 軟 に対 応 でき る人材 の育 成
ウ エ1 - とし ては、 ホワイ ー カラー の能 力開 発 と
職業能 力開 発 を考 え て いかなけ ればな ら な いが、
も ち ろ ん、 わ が国 の労働 者 全 体 に ついて'
と いう ことを考 え て いかな け れ ばな らな い。 企業
働 移 動が 起 こるな か では企業 のな か の対策 だけ で
能 力 開 発 を体系 的 にや ってき た が、 さま ざまな労
大事 であ る が、 これ に伴 って必然 的 克労働 移動 _
サイ ド' 個 人 サイ ド の両方 から'産 業 構造 の変 化
は' 十分 ではな い・
。 や はり' 個 人 が主 体 とな って
え て いる。 これま で公共 の職業 訓練 は、 や はり'
いう こと に力 を 入 れ て いかなけ れ ばな ら な いと考
ま た' これ から 職業 に つこう とし て いる人 たち の
に対 応 で㌢'雇 用 の安定 拡 大 に寄 与 でき る人材 を
行う 自 己啓 発'能 力開 発 と いう こと に対 し て' 行
養 成 し て いかなけ ればな ら な いと思う 。
・
そ のボイ ン- とし ては' や はり付 加価値 の高 い
ったと思う 。 最 近 では情 報 化 と いう こと で' コン
ブ ルー カラー と いう か' 技能 系 の職 種 が主 体 であ
ピ ュー タ関係 の情 報 関 係 の学 科 が増 え てき て いる
き て いる のではな いかと思う 。
が、生 産関 係 の機 械、電 気な .A
Jの関 係 の職 種 が多
政 とし ても応 援 し て いかなけ ればな ら な- な って
先 ほ ど' 秋永先 生 から' そ の体系 を ど のよう に
いこと は事 実 であ る。
新 分 野 の展 開 と いう 、 企業 ' 産業 の動 き に人材 の
在 職者 ' これ から就 職 し ょう とす る新 規学卒 者 に
の置 き方 をど のく ら いにす る かと いう こと は'時
位 置 づけ る のかと いう お話 があ った が' ウ エー下
面 からち対 応 し て いかなけ ればな ら な いわけ で'
いう こ:
A
J
を 図 っせ いか.
なけ ればなら な いと思 っ七
対 し ても'で き る だけ高度 な能 力 を身 に つけ ると
4
8
な いが' そ の大 きな柱 は二 つあ る.
そ の 1つは'す でに建 設中 であ る が、来 年 の七
対す る能 力開 発 に重 点 を 置 いて いかなけ れ ばな ら
し た が って今後 は、 ホ ワイ ー カラー の労働 者 に
力開 発 と とも に社 会 的 評 価 が認 めら れ て- れば、
た いと考 え て いる。 こう し た ホワイ 下 カラー の能
う 。 いま開 発中 であ る が' こ の制 度 をも っと広 め
十 ほどあ り'完 成 にはあ と二年 - ら いか かると思
で試験を受 け る制度 にな って いる が' 職務 分 野 は
職業意 識 と いう も のをも つと いう こと が非常 に大
訪 問す ると いう のではなく
自分 のや- た いこと が仝 - わ から な い状況 で会社
って能 力開 発 にとり - 切 るよう にt て いき た い。
そし て高 梨先 生 も いわ れ たよう に'就 職 に際 し て、
時 代 が変 化 し て い- な か で' 個 々人 が自覚 をも
を し て いる。
月 ま でに'ーR の錦 糸 町 (
東 京 ) に生 涯 職業能 力
評価 に結 び ついて い- のではな いかと思- 0
資 格 と いう と ころま ではな かな か難 し いが'能 力
私 が今 日' お話 しし よう と思 って いる こと
人材 が求 めら れ て いる のか と いう こと。そ の前 に'
貞会 と いう のを 私 ども はや って いる が' ど- い-
ニー ズ、 グ ロー バ ル社 会 におけ る人 づ- り検討委
げ る のかと いう 位 置 づけ の問題。 それ から企業 の
は三点あ る。 一つは' 日経連 がな ぜ教育 を取 り上
田中
欧米型 でな い第三 の道を
事 な こと ではな いかと私 は思- 0
も っと早 い段階 から
ワイ ー カラー に対す る総合 的 な能 力 開 発 のと- -
開 発 セ ンター を つ- る計 画 であ る。 ここではt、
ホ
二」の二 つは、高 梨 昌先 生 がす でに十年 ほど前 に'
労働 省 の研究会 で座 長 とし て提 言 され てき た内 容
であ る が' 行 政 とし ても 実 現 に こぎ つけ つつあ る
みを進 め て いき .た い。 ホワイ ー カラー に対す る職
業 訓練 を モデ ル的 に実施 し た-' 民間 で のホワイ
段階 のも のであ る。・
い-。 こう し た ことも 含 め て' ホワイ - カラー の
- カラー の能 力周 発 の情 報 を 収集 し て、 そ れを デ
ー ター ベー スにし、 企業 や国 民 の方 々に提 供 し て
早い段階からの職業意識を に ついて若 干 触 れ た いと思う 。 確 か に縦割 り行 政
杉浦
わ が国 の現 状 及 び教育 に求 めら れ て いる こと に つ
う ことを考 え て いる。
能 力開 発 に対す る総 合 的 な セ ンター を つ- ると い
と は否 定 でき な いと思う 。し かし 私 た ち と 文 部 省
と いう か'文部 省 七労 働 省 の垣 根 の問 題 があ る こ
いて述 べた い。
時 間 の関 係 もあ る ので、学 校 教育 と の関 係
ワイ - カラー の職務 を、 た とえ ば 人事 労務 であ る
の生 涯学 習 局 と は定 期的 に意 見交 換 を し て いる。
そ れ からもう 一つは' ビジネ スキ ャリ ア制度 で
と か' 経 理' 財務 な ど の職務 分 野 に分 け て' それ
そ こでは ' 文部 省 からも いろ いろな要 望 が出 て い
ミナ ーを開 いた。 私 ども の基本 的 認識 は' 世 界全
エクープ ラ ン、青 い鳥 を求 め て」 と いう - ツプ セ
あ る。 これ は 一九 九 三年 から実施 し て いる が、 ホ
を段 階的 にラ ンク づけ を し て い-。 そ れを 人事 な
る が' 私 たちも 社 会 人 の大学 への受 け 入 れ の拡 大
体 が、 いま大 きな変 革 期 にあ る。 と- に'先 進国
去 る八月 初旬 ' 日経連 は 「
ブ ルー バー ドプ ロジ
に細 分化 し て ユ ニッ- を つ- って民 間 の教育 訓練
ら 人事 と いう エリ ア におけ る職務 に ついて' さら
であ る と か'職 業能 力蘭 発 短 期 大 学 校 に つ いて准
4
9
学 士 の扱 いにす るよう な こと に ついても話 し合 い
矢野長和氏
のだ。 最 終的 には本 人 の自覚 を高 め ると いう こと
田中重秀氏
機 関 で勉 強 し て、能 力 を身 に つけ て い- と いう も
杉浦信 平氏
が経済 や社会 にお いて構造 的 な変 革 を し なけ れ ば
高 七 ス-体質 の是 正 では、 行 財 政改革 で いろ い
ろ指摘 され て いる。 雇 用 の安定 では、 既存 産業 の
桝本
弱か った学校教育と職業教育の結合
活 性化 ' そ れ から新 産業 の育 成 '中小 企業 の育 成
業 委 員会 を設 け て検 討 し てき た。議 論 金 剛提 では'
上 さ せ て いY のか議 論 し なけ れ ばな らな い。
し かも 、 日本 経済 は九 二年 から 三年 つづ いて ゼ
れ に次ぐ第 三 の開国 の時 期に あ る のではな いか。
支援 が大事 だ が' 労働 市 場 を 柔軟化 す る こと。 そ
な ら な い。 日本 も ' 明治 維新 '∴
第 二次大 戦 後 、 そ
ロ成 長' 現在 の経済 も 回復 過 程 にあ ると は いう も
のため には'千 で.
に指 摘 さ れ て いるよ十 に人材育
学 校 教育 を中 心 にし て議 論 し た が、学 校 教育 だけ
を自 己完結 的 に議 論 す る のではな -、 労働 市 場 と
減 を取 り上げ た。 事務 局 では教 育 費 の減税 な どを
ス ロー ガ ンは棚 上 げす る こと にし た。 どう も生 涯
上げ ら れ て いる が' 私 たち は生 涯学 習社会 と いう
それ から' 生 涯学 習社 会 と いす こと が大変 取 り
の関 連 で検討 し てき た。
連合 は こ の 一年 近 -、 教 育 問 題 に ついて作
の の' 昨 年 の ﹃
経済 白書 ﹄ で述 べら れ たよう に'
成 が必要 であ る。
問題 にし た が' セミナ ー では寄 付金 であ ると か奨
実質生 活水 準 の向 上 では' 私 たち は教育 費 の軽
従前 と は違 ったも のであ る。
に入 って いる。 欧 米社 会 と同様 に'雇 用不 安 、 経
学金 制度 の改善 のほう にも って い った ほう が いい
そ れ から、 わ が国 はす でに' 成 熟 型 の経済 社会
なけ れ ばな ら な い。
済成 長 の停 滞 に直 面 し ており' 構 造 的 な改 革 を し
学 習社 会 と いう と' 一生 ' 仕事 を しな がら勉 強も
対応 が遅 れ れ ば' 日本 は低 成 長 で高 失業の 国 にな
いか に バラ ンスを とりな がら や って い- か。 こ の
題 とし て雇 用、経済 成 長、物 価 '国 際 収支' これを
が増 え る だろう 。 ま た' 年金 支 給年齢 引 き上げ に
と思う 。 若 年者 の自発的 な離 職' 転 職傾 向、 これ
によ る失業 な ど いろ いろあ るが、 いま認識 し なけ
れ ばな ら な いのは'社 会 意 識 の変 化 によ る失業 だ
たちも失業 の要 因 分析 を し た が' リ スー ラや行革
業 率 が上 昇 しな いよう にし なけ れ ばな ら な い。 私
社会 の打破 が必要 だ。 それ から'雇 用 の安定 、失
て いく ため には' や はり偏差 値 教育 の是 正、学歴
月 収 の約 二〇% を占 める教 育 費 の負 担を 軽 減 し
り企業 別 と いう のが主 たる組織 形態 であ って' 職
至 っセ いな い。 わ が・
国 の労働組 合 は' ご案内 の通
と の結 合 に ついて、 私 たち は十 分 な検討 をす る に
は否定 でき な い。 学校 教 育 と職業 訓 練' 職業 教育
よく な いのではな いか。
いと お いてけ ぼり にされ るよう な 世 の中 はあ まり
勉 強 でき る のはも ち ろ ん いいこと だ が'勉 強 し な
メー ジがあ って印象 がよ -な い。勉 強 し た い人 が
つづけ な いと'す ぐ に落 ち こぼれ て い- よ- なイ
のではな いかと いう 意 見 があ った。
ってし まう 。 こう し た問題意 識 のも と に' 当 面三
伴う 高 齢者 の失業 も増 え る。 そ れ から、 女 性 の経
業 訓練 と いう も のを労働 組 合 活 動 自 体 のな か に取
私 たち のブ ルー バー ドプ ラ ンでは'国 の重 要 課
カ年 で、 メー テ ルリ ンク の青 い鳥 ではな いが'青
済的 自 立 に伴う 女 性失業者 の増 加 と いう こともあ
り込 む契 機 は歴 史的 に弱 -' ほと ん どな いと い っ
も な い第 三 の道 を見 つけ よう と いう こと であ る。
企業と教育機 関の連携強化を
の安定 であ る。実質 賃金 の向 上 では'た とえ ば 四十
競 争 力 の維持 '回復 'さ ら に実 質 賃 金 の向 上、雇 用
な ら な い。それ から国 の高 コス-体 質 の是 正'国 際
化す る こと' そ れ から創造 性豊 かな 人材 を育 てる
ー バー ドプ ラ ンでは' 企業 と教育 機関 の連携 を強
ると か'企業 の人事制 度 の改善 が重 要 にな る。ブ ル
こ のよう な ことを考 え ると' 教育 のあ り方 であ
私 たち は四 つの目 標 を掲げ て いる が' まず
五 から 五十歳 で月 収 に占 め る教育 費 の割 合 は二〇
教育 シ ステ ム の再 構 築
'・
桝本
第 一に、戟 後 のわ が国 の職業 訓練 'あ る いは
変化した労働市場 への移行 の構造
お話 を し て見 た いと思う 。
て いい。 そう し た ことを 踏 まえ な がら' 幾 つか の
し かし' こ の二 つの前 提 は相 互 に矛盾す る こと
田中
り得 る だろう 。
い鳥 を 見 つけ よう 。 す な わ ち欧 州 型 でも 米国 型 で
企業 の道義 であ る と か倫 理 の確 立を 図 ら なけ れば
% ぐら い、 住 宅 ロー ン等 が二〇% ぐ ら いだ が' そ
差別 のな い個人評価 の徹底な どを打ち出し て いる。
さら に年齢 や性 別 によ る
う し たな か で、 実 質的 にど のよう に生 活水 準 を向
50
ら見 ても'相対的 に大企業 が企業内 で行 って いる
失業者 の再就 職 の支援機関 であ り' これは内 容 か
し て いる。そ れ に対 し て、公 共 職 業 訓 練 は'まず は
た。大企業 では'企業内 の職業 訓練 シ ステ ムが確 立
職 業 能 力 開 発 は'通 常 '以 下 のよう に語 ら れ て き
ったが' それぞれ のグ ループ のな か に、能 力 の高
し て就 職す る階層 ' 大学 に進学 でき る階層 と があ
業 し て就 職しなけ れ ばならな い階層 '高校 を卒 業
家庭 の経済力 の差、 所得格差 にあ った。中学 を卒
いう のは'
-王とし て頭 のよしあ し と いう よりも、
ぐら いま でだと思う が' わ が国 の場合 の学歴差 と
水 準 は必然的 に落 ち てい-。 現在 の大学 の学部卒
学 に行 - よ与 にな みわけ であ るから、 大学教育 の
に変 わ って い- 。勉 強す る気持 ちも な い者 ま で大
るよ、
γにな った。 そ の結 果'学歴格差 は能 力格差
昇 し て i-.行 こう と思 え ば誰 でも大学 に行 かれ
し かし'社会 の構造 が変化 し て'所得 水準 が上
おそら-学 力水 準 は マスター卒 へ変 わ って いる の
〇% 程度 の時 期 と比較す ると'
を' 大学 進学 率 一
訓練 よ-も低 いも のであ る。し かし'こ のこと は歴
い者 と低 い者 が いた。 中学時代 の成績 を見 れば'
ではな いだろう か。
史的事 実 とは いえな い。 一九 七〇年前 後 ま でに つ
も ほとんど同 程度 の成績 の者 が いて、 それぞれ の
東 大 に行 った者 も' 中学卒 業 で養 成校 に入 った者
戟後 の過 程 のな か で、 公共職業 訓練機 関 がも っ
いては'こ のよう な認識 は間違 いだ ったと思う 。
か つて高 校卒 で十分 に間 に合 った同 じ職種 が'
職業内容 に変 化 がな- ても大学卒 を充 てなけ れば
方向 に進 ん で い ったわけ だ。
大企業 の企業内教育 は'家庭 の所得 水準 が低 上
て いた実際 の機能 は'・
け っし て大企業 の企業内教
と か学校 教育 を ゆ がめ、 水準 を低 卑 て いる ことは
ならな い' こ のよう に変 化 して いる。 こう し た こ
育 と比較 し ても水準 の低 いも のではな か った。中
の者 たちを企業 のな か で訓練 し て' 企業内 の ステ
か つ個 人 の能 力 が非常 に高 い人 たちを吸 収 し' そ
者 が'熟練 工 にな って労働組合運 動 の主 たる担 い
輪 切り にされ た学 歴 をも って現場 に就 職し た労働
問題 が大 き い。 か つて、
・家庭 の所得 水準 によ って
ま た' このこと は労働 組合 .e立場 から い サても
否定 できな い。
小企業 では' 公共 職業 訓練 で行 った時 期を 経験年
ら 工業高校卒 にシ フ-し て い- が' こ の事情 はほ
イ タ スを付与 し て い ったわけ だ。 や がて中学卒 か
数 とし て評価 し て いたLt自社 の従 業 月 が 一時会
まな吸 収手 段を 用意 し て いた。 と- に独 立系 の中
進学率の上昇で学歴格差が能力格差 へ
とんど変 わらな い。
社 を辞 め ても'もう 1度 戻 って- るよう な さま ざ
小 企業 は'地域 の職業 訓練所 と密 接 な連携 をも ち'
職業 訓練所 自身 が' 職業 紹介機能 をも ってき たよ
桝本
よ-も中 小企業 にあ った。 し かし'中 小企業 の技
てき た機 械金 属 の分 野 では'技 術 の集 積 は大企業
それ から'中 小企業 が主 とし て技術基盤 を支 え
手 にな って いたが、 この担 い手 の基盤 が' ややも
いえ ば 一九 七〇年前 後 であ った。 1つは石油危機
ロー ガ ンは' 少な- ても高 校 ぐ ら いま で進 ま せた
呈 し て いる意 味 はわ かる が' 当時 の高校全 入 の ス
術 の空 洞化 と いう のが大 きな問題 になり つつあ る
す れば危う -なり始 め て いる。
の発生 があ ったが' もう 一つは' こ の時 期 に高 校
いと いう 親' な いし は子 ども たち の切実 な気持 ち
高 校全 員 入学 に ついて'高梨先 生 が疑 問を
進学 率 が九〇% を超 え ると ころま で上 昇 し' 大学
を表 現し て いたと思う 。 中学卒 と いう のは十 五歳
産業 の海外 シ 7- と いう のは'あ る程度 避け ら れ
- に思う .し かし'こ、
つし た関係 が崩 壊 し て いる.
崩壊 の過程 の要 因 は いろ いろあ るが'時 期的 に
〇% 台 であ ったも の が急 適 に 二〇%
進学 率 が 一
台' 三〇% 台 と' 異常 とも いう べき上 昇を記 録 し
で大 人 の社会 に放 り込ま れ をと いう こと であ る
いう こと が、産業 の将来 にどう 影響 し て い- のか。
な いが'技能 集 積 が日本 の国 内 でできな-な ると
こ のことを私 たち は考 えなけ れ ばならな い。
..
た。 さら に この時 期 に'技 術革新 の新 し い段階t
、
い。 これ は貧 乏 から脱却 し た いと いう こととほと
五 年 間 も 未 成 年 者 と し て苦 労 し な け れ ば な ら な
いて' 私 たち はや っぱ甘歴 史 の事 実 とし てち ゃん
んど同価値 の言葉 とし てあ った。 そ の切実 さ に つ
-
こ のな か で'実 は学校教育 から労働市 場 への移
起 き て いる。
す な わち第 三次産業革 命 と いわ れ るよう な変 化 が
行 の構 造 が大 き-変 化 し てき て いる.. か つて 一九
と記 憶 し てお-必要 があ ると思う 。
学校教育 と職業 訓練 の結 合 と いう ことを' 私 た
ち は新 し い水準 で問題 にす べき だと思う 。
七〇年 ま で'もう 少し 正確 に いう と' 1九 六五年
51
桝本
れ る と思う 。し かし、そ の コス- 負 担 が'自 己 啓 発
の構 造 の解 体 を含 め て' おそら- これ は外 部 化 さ
いわ れ て いる が、 確 か に大 企業 の企業内 職業 訓練
味合い であ る。 自 己啓 発 と いう こと が先 ほ どから
いう こと に ついて、多 面的 な ご指 摘 があ った。 こ
の世 界 と のリ ンケー ジを ど のよ- に考 え る のかと
今 回 は主 とし て' 知 的 資本 の問 題 で学 校 と仕事
ィー と の関 連 のな か で起 き て- 左と思う 。
つのか と いう こと が' 増 田先 生 のアイ デ ンテ ィテ
ぅ いう ' シチ ズ ンシ ップ が重要 なイ シ ュー にな っ
てき た。 そう いう な か で教育 は どう いう 位 置 に立
第 二 は'高 校卒 業者 に対す る公共 職業 訓練 の意
いる。情 報化 だと か通 信 の発達 が いわ れ る が' 実
では たま ったも のではな い 問 題 は、こ の コス-を
と いう 美名 のも と に労働者 個 人 の負 担 とな った の
技術や労働を大事に考える教育を
は伝 統的 な技能 と情 報技 術 と の結 合 が 一番 大 きな
いと いけ な いよう な気 がす る。
の問題 に ついては' 三 つの層 に分 け て議 論 を し な
ライ ド ・レス- を導 入 し たとき に' 初 め て道 具 か
い。 旋 盤 で いう と、十九 世紀初 頭 に'モズ レI が ス
る技 術進 歩 ではな-' あ る種 の転換 だと い って い
稔合 型 の工作 機 械 に変 わ って い-。 これ は た んな
を し て いる が' こんな危 な っかし いこと はな い。
て いぐ社会 を自 分 で経験 し た こと 酢な い者 が教 員
働 を 経験 し て いた だ- こと が必要 だ。教 え 子 が出
練 の教育 に当 たる人 たち が、 一度 は社会 に出 て労
いと いう 単 純 なも のではな い。 学 校 教育 、 職業 訓
ど のよう に考 え たら い いのか。三番 目 は'社 会 人 及
職'プ ロフ ェッシ ョナ ル ・ソサ エテ ィー のな か で
歴 な のか、実質的 な高 学 歴 な のか。そ れ は高度 専 門
高 学 歴 化 の問題 であ る。高学 歴 が'空 洞化 し た高 学
いし教育 と仕事 を ど のよう に考 え る か。二番 目 は'
一つは' 十 五歳 以降 の若 い人 にと って の学 校 な
第 三 次産業 革 命 と いう 言葉 がよ-使 わ れ て
転換 だと思う 。 たとえ ば' 旋 盤 が汎 用旋 盤 から数
だ。 も ち ろ ん' 職業 訓練 所 を た- さ ん つ- れば い
社 会 的 に負 担 す る形 態 を どう す る か と いう こ と
ら機 械 へ完 壁 に分離 し た と いわれ る が' それ に相
公共 職業 訓練 の指導 月 も 同様 で、 生産 現場 と職業
?
グ 旋 盤 ' そし て マシ ニング セ ンター と いう よう な
値 制 御 とな り' さら に数値制 御 からプ ログ ラ ミ ン
当す る転換 が、 汎 用旋 盤 から マシ ニング セ ンター
訓練 と の横 断的 な連携 を や る必要 があ る。
のを学 校 で教 え る必要 があ ると思う 。 別 に技 術屋
一人ず つ コメ ン- を 頂 き た い。
であ る のかtと いう 問 いであ ったと思う 。そ こでお
て、政府 と学 校 な いし産業 界'労働 組 合 の役割 は何
つのフ ェー ズ があ った。 そ のフ ェー ズ ごと にお い
び自 己啓 発 と の絡 み の学 習 と仕事 の関 係 と いう 三
への移 行だ ろう 。情 報 化 と いう も のが' 技能 労働
にな ったり' 技能 労働 者 にな る必要 はな いが、電
吉本
第 三 に強調 し た いのは、生 活関 連技 術 と いう も
気 洗 濯機 がどう し て回 る のか知 ら な いよ- で は囲
層 と成 人層 、それ ぞれ の課題 があ る。私 が い いたか
に対 し ても って いる転換 の意 味 を' 私 たち はもこう し た こと に対 応 し た技術 訓練 ' 職業 訓練 '
る。 家庭 器具 を大事 にし て、、
す ぐ に使 い捨 て にし
行 かな - ても い い。 も ち ろ ん大学 に来 るな と い-
た いのかも わ か るLt 勉 強 し た- なけ れ ば大学 に
て いなけ ればな ら な い。 大学 に行 って何を 勉 強 し
いのかと いう ことを自 分 で判断 でき る能 力 を も っ
人 とし て扱う こと。 こ の年齢 は' 自 分 が何 を し た
あ る いは倫 理' ド- ア先 生 の人的 資 源 の指摘 もあ
育 を どう 語 る か。 もう 一つは価値 とし て の教育 '
変 化 の時 代 のな か で' 一つは知 的 資本 とし て の教
と の難 し さ と いう も のを痛 切 に感 じ た。 そう いう
矢野
る教育 がな さ れなけ れ ばな ら な いと思- 0
と' ま さ に長学 歴 化 が起 き る のではな いか。
ノ
て いるわけ だ から'そ れを評 価 し ょう 。そう しな い
-評 価す る仕組 みを つ- ろう 。 仕事 のな か で使 っ
いる。教育 を身 に つけ た のだから、そ れを し かる べ
体 系 と いう のが' 我 々にだん だん見 え な- な って
つ- ると いう こと であ る。 要す る に仕事 のため の
す る体 系 を' 固有 の体 系 を学 歴 取得 の道 と同時 に
った こと は' ひとま と め にし て の職業能 力 を開 発
少 し 正確 にとら え る必要 があ る だろう 。
そし て学 校 教 育 と いう ことを考 えな く てはな ら か
な いため にも' 労働者 の技 術 や労働 を大事 に考 え
こと ではな- ' 大学 に行 かな - ても' 別 にち ゃん
った。 つまり、 公的 な社 会 で生 き て行 - とき に'
三 つのフ ェー ズ を カ バーす る若 年 と高 学 歴
そ の 一つは' 高 校卒 の十 八歳 で' 一人前 の社 会
いが' こ の点 に ついて' 幾 つか の提案 を し た い。
とし た人生 が送 れ るよう な コー スを 世 の中 が用意
社 会 の権 利 と義 務 の契 約 を ど のよう に結 ぶか。 そ
お話 を伺 って いて' ます ます 教育 を語 る こ
す べき だと いう こと であ る。
∼L
C
でき る 、
ツステ ムを つ- る かと いう ことを議 論す る
とき には' ち ょ っと別 の角度 から取 り扱う 必要 が
会 に出 た後 どう いう 形 の学 校 教 育 でもう 一度 勉 強
側 面 から受 け 止 めら れ てき た。 そ の意 味 では' 社
た学 校 教 育 シ ステ ムにおけ る進学 率 の上 昇 と いう
秋永
る のではな いか。 むし ろ' そう いう な か で社会 の
って い寸 のだろ- 0
.別 に大学 教育 が大衆化 し たか
ら い いと か悪 いと いう 問 題 は' もう 通 り 過 ぎ て い
生 き 甲斐 であ る と いう よう な社会 の実 現 に つな が
る。そ れ が'仕事 をす る こと が学 習 課 程 であ って'
と学 習知 識 共 同体 の前 段階 にあ るよう な感 じ がす
でも 日本 の学 歴 は高 いので' そう いう 意 味 で いう
に締 め て いた だき た いと思う 。
矢野
いう のは、 日本 の資本主義 がどう いう 性格 のも の
き ではな いだろう か。 これを 示す責 任 を 大 人 たち
そう でな い コー スが若 い世代 の未来 に示 され る べ
こと に ついては' 明ら かた 異常 だと考 え て いる。
って いな いが' 大学 の進学 率 が膨 れ上 が って いる
桝本
高 校 の進学 率 が高 ま った こと が悪 いと は思
あ る のではな いか。 桝本 さ ん が提案 され た 「
十八
活 力 を生 かす よ- な シ ステ ムを どう つ守 って いか。 そ れ はプ ロフ ェ
.ッシ ョナ ル化 に つな が って い
高 等教 育 の大 衆 化 は' 年齢主義 を前 提 にし
歳 の時 点 で、 1人前 の社 会 人 とし て扱 ったら どう
- 問 題 だ。
それ では最 後 に コメ ンテー ター の高 梨先 生
であ る かを鋭 - 問う も のにな る だろう 。
は共有 す べき であ って' それ が でき る か どう かと
か」 と いう ご提 案 は' そう い- 形 で扱 え る シ ステ
矢野
そ れ では パネ ラー の方 々に 三 日ず つ、 よ ろ
いう 問 題 とし てとら え る必 要 があ ろう 。
ムを ど のよう にし て つ- って い ったら いい のかと
て いる のかと いう と、 だ いた い高 等学 校 段階 で得
校 を卒 業 し たと ころ で得 ら れ る知 識 が有 効 にな っ
ば'雇 用保 険 と いう 仕 組 みじ ゃな - て考 え て いか
題 と し て今 後 認 め ら れ て い・
Y と いう こと に な れ
杉浦
さ せる べき だと いう こと が、 私,は安 易 に いわ れ過
ぎ て いると思う 。
′構造 的央 業 は' 可能 な限 り発生
制 緩和 撤廃 のブ ー ムで' 労働 市 場 をも っと流動化
と だ が' そ の際' 重 要 な論 点 は、 最 近' 日本 の規
一つが' 専 門 職 の需 要 が増 え てき て いると いう こ
高 梨 さま ざまな激変 時 代 を 迎 え て いる。 日本 の
産業 も 職業構造 も大 き -変 化 し てき て いる。 そ の
ら れ る知 職 で十 分 だと評価す る人 が' 大学卒 、 大
なけ れ ばなら な いと いう ことも 十 分考 え て いる。
自 己啓 発 がも っと世 の中 の非常 に重要 な 課
し- お願 いし ます 。
学 院 の人 でも かな -多 い。高 等学 校 は非 常 にき め
そ のよ- な中 期的 な蔑 題 とt て の問題意 識 はも っ
て いる。 ま た' ビジネ スキ ャリ ア の制度 も発 足し
現在 や って いる仕事 の内 容 で' どれ- ら いの学
細 か-存 在 し て いる。軌 的 ' 人的 資 源も 存 在 し て
てから 四年 た つが' そ の辺 も努 力 し て いき た い。
を抑制 す べき であ T
Q.も- 一つは'日本 の産 業 は'
知 識集 約 型 の産業 構造 に変 わ って い- わけ で∵ 専
いる。 それを どう いう 形 で活 用し て いけ る のか大
不 足 に陥 って い- わけ で」 こ の専 門 職 の人材育 成
門 職 の必要 が発 生す る。 こ の分 野 は大変 な労働 力
の高 等教 育 が十 分 に応 え て いけ る中身 にあ る のか
大学 の果 たす 役 割 は い った い何 か。 教育 そ
田中 グ ロー バ ル社 会 におけ る人材 の要 件 に つ/
い
ては来 年 の二月 に発表す る こと にし て いる。た だ'
議 論 のな か で幅 広 い知 識 の上 に、 さら に深 い専 門
どう か。 こう いう 点 が、 大変 重要 な大 き い論 点 だ
増田
事 な 問題 だと思う 。
な い、 リー ダー シ ップ がとれな い、 こう いう 指摘
性、 これ がな いと仮 に英語 が でき ても 仕事 が でき
を どう し て い- か。 こ の人材養 成 に ついて' 日本
いか。.Oま り、 大 学 ま で行 った から社会 に役 立 つ
人を' 何 か物 づ- り にと かt
.そう いう 人 が供 給 さ
があ った
方 も それ ぞ れ意 見 を述 べた いと いう 気 持 ちもあ っ
矢野
のも のを我 々は功 利 的 に考 え てき て いる のではな
れ る と思う 。 そう ではな - て、 大学 へ行 った人 が
いる と いう こと が' 社会 の豊 かさ に つな がる こと
であ る。そ れ ぞれ の人 には潜 在能 力 があ るわけ で'
付 与 で' 一万.
で正し く評 価 で き る人 の育 成 も 必要
どう も あ り がとう ござ いまし た。 フ ロア の
だと私 は思う 。別 にそ れ で仕事 をす る と か何 と か'
た のではな いかせ思 います 。 そ のよ- な意 見 を も
てた こと が シ ンポ ジウ ムの成 果 ではな いかと いう
ろう と思 って いる。
あ まり関 係 な い。
か' こ- いう こと が企業 サイ ド から は必要 な わけ
要 は 人 の組 み合 わ せを いか に最 大 限 にし て い-
人材育 成 と いう のは モチ ベー シ ョンの
9,
ユ つは、 実 体 とし てや は.り生 涯学 習社 会 に
こと で閉 じ さ せ て いた だき た いと思 います 。
.
。
な ってき てい る のではな いか。学 習知 識 共 同体 と
で、 今後 ます ます 重要 にな って- る。
いう のが' これ から形成 さ れ る はず であ る。.
現在
5
3
されたわけだが、まだ、
学校教育 のなかでも
生 の報告は大変 に広 い視野から議論を展開
井上 ド-ア先生 のお話、ある いは市 川先
に、 この年 に中央教育審議会 の四六答申と
書 が出された。
再 々触れられているが、
同時
年に日本 の教育を分析したOECDの報告
ッチ フレーズは、自由化、個性化、多様化と
がなくな ってしま ったよう に見える。キ ャ
に ついても、ほとんど基本的な意見 の対立
とも いわれていた。日本的経営、日 本的行
であ った三 十 壷 紀は日本 の世紀だ。日本
はGNPでアメリカを超える、そう いう こ
文部省は、これからは自由化、個性化、多
同じよう に、 1億線ざんげ的 に自己反省 の
のす べてが揺ら いでいる。何か敗戟 の時 と
と評価された時代 であ った。しかし いま'そ
様化だと いって いるわけだ。日教組は歴史
な っているような気 がする。
時代 にな ってしま っ七 、それが改革論争 に
政、日本的教育、
す べてこれらはすぼらし い
た違 いがな いことを確認している。1万、財
的な和解をして、改革目標は文部省と大し
組や文部省 のような存在はな-な って、ど
いう臨教審以来 のも のがほとんど抵抗な-
極 めて象徴的 だと思う が'三 つの報告書
あるべきか 」と いう改革構想を出して いる。
界'産業界 の方も'大変自己反省的になり、
こにも悪玉が いな い。しかし'
改革はやらな
受け入れられて いる。
が出されて いる。日教組 の報告書 は、たとえ
学歴主義 の責任 の 1半は我 々にあると いう
ければならな い。国際化 で技術競争 は激し
れなか ったが日教組も、「
日本 の教育 はどう
ば高等学校 に ついて'多様化は非教育的 で
ことを いっている。また、
家庭 に社月を帰さ
-なるばかりであるが、日本はここで勝ち
呼ばれて いる答申も出された。
また、
誰も触
にあるのかと いう ことも、OECD報告 か
な いと家庭教育 が成り立たな いと いう こと
論点が残 っている。また、
学校教育外と学校
ら四半世紀と いう ことから少し考えて見た
課題であると書 かれている。大学 の多様化、
ある。多様化政策 の撤回 こそ今日の歴史的
を いっている団体もある。
残れるのか。日経連 の方が、いまや経済は第
教育とのかかわり方 に ついても、議論 が尽
いと いう ことも申し上げた。第三 セ ッシ ョ
種別化構想も絶対反対 で、 いまとは全-逮
この四半世紀 の間 に、 いった い何が起 こ
三 の開国 が必要 だと いわれたが、まさにそ
同時 に、 いった い日本 の教育 は いまどこ
ンでの議論と、私ども の当初 のシ ンポ ジウ
う事態が展開されている。
ったのか。改めていうまでもな いが、バブ ル
わけ で、それに対応している。また、開国 と
う だ。教育も第三 の教育改革を いって いる
市川 昭 午 (
国立学校財務セ ン ター教授)
くされな い点もある。
ムのお願 いを含めて、冒頭に天野先生 から
と、か つてあ った コンフリクーが消滅して、
が崩壊した.日本 の先行きに対して、私たち
モデレーター
井上 克彦 (連合総研 副 所 長)
パネラー
天 野 郁 夫 (国立学校財務
センター教授)
ウ イ リアム ・K ・カ ミ ン グ ス
(
ニューヨーク州立 大 学教授 )
矢 野 真和 (東京工業大学教 授)
ロナ ル ド・ド⊥ ア
(
ロン ド
ン大学教 授)
に ついての行き詰まり感と いう ことになる
いいかえれば、
近代化'
産業化 の日本 モデ ル
力として働 いて いる。
敗戦 の時とは違う が、外圧がかなり大きな
いう言葉 に象徴されるよう に、明治維新 や
自己反省から改革
論争
天野 問題は、日本的な モデ ルが変革可能
個人 ・
集
団主義の衷
折的選択
へ
天野 振り返 って見ると、 この三 つの改革
てかわるも のはな い。そう いうなかで、日本
かと いう点 にある. 日本的な モデ ルを変え
はモデ ルの転換をしなければならな い。
よう としても、どこにもそ のモデ ルにと っ
ナ ンバーワ ン﹄と いう本を書 いた。これは日
ユズラ ・
ボーゲ ル先生 が ﹃
ジャパン・
アズ ・
本絶賛論 である。 この時期が日本 の絶頂期
案 が出 てから、ほぼ十年後 の 一九七九年 に、
へ
のではな いか。
ここでは悪玉、
善玉と いう、か つての日教
お話を いただきた いと思う。
いまは改革、
改革 の大合唱にな って いる。ま
全員が自信喪失にな ってしま った。 これは
天野 昨日から話 が出 ているが、
て
し
ざ
め
一九九〇年代 の半ば のいまにな って見る
日本モデルの行き詰まり
た改革 の必要性だけ でな-、課題や方向性
揺持パネルデ ィスカッシ ョン●
,
gL
Q
/
事
仕
涯
な-、極めて大胆な提案も含まれている。
案だと思う。 バラ ンスがとれているだけ で
と-に私は'タテの弾力化、年齢主義 の打
破、
排除 の周題と、もう 一つは学校 のスリ ム
日本的強さ への接ぎ木
天野 実際に、規制緩和を含めて改革 が い
思う。と-に最初 の方が重要なボイ ン-だ
かと いう点が重要なボイ ン-ではな いかと
と思う が、市川先生が述 べられたことを具
化よりも エンリ ッチメン-が大事ではな い
な改革 に終わ っている。日本 の伝統的なも
体的な改革課題として、現実 の諸条件と対
われているが、これまでになされた改革は、
のは残してお いて、そ の横に異質なも のを
少な-ともピー スミルナと いうか、部分的
巧みに併存させてい-と いうような選択を
よう に見える改革論議 のなかに、亀裂が生
見、全員が コンセンサ スをも っているかの
ずる、ある いは矛盾が表面化して-るよう
応させながら可能性を検討してい-と、 1
さな いで、うま-個人主義的な部分を接ぎ
しようとしている。
結局'
集団主義的な私た
木できな いかどう かと いうところに私たち
ちがも ってきた日本 モデ ルの基本構造 は崩
強 い個人 の国 になれるかどう かと いう こと
完全な個人主義 モデ ルに移行することは
・アズ ・
ナ ンバーワ ンになる。なぜならば'
タ テの弾力化は
、
つ0
な問題 がた-さん含 まれ て いるよう に思
できな い。そこで、
集団主義的なも のを残し
これに成功すると、日本は再びジャパン
の考えている構想はあるだろうと思う。
が、キ ャッチ フレーズでいう と集団主義 と
日本的な強さの上にアメリカ的な強さを接
可
能か
になると、私たちもあまり自信はな い。
個人主義、 つまり集団重視 の社会から 個人
ぎ木しよう とするわけであるから、下半分
は、本来 コンフリクーをはらんでいるわけ
天野 だ いた い多- の改革 の課題と いう の
ながら個人主義的なも のを入れてい-と い
が強 いだけ でな-、上半分も強 いと いう ス
う、どうしても折衷的な選択にならざるを
ー パーネ ッシ ョンにな ってしまう かも知れ
ノ
するよう にせざるを得な い。つまり、
非常 に
るよう に思う。
ド-ア先生は講演 のなかで、日本 の基本
だ。それを稔合的にとらえて、私たちは解決
断をする強 い個性をも った人間、他人に同
選択 の幅が狭 いなかで、± つのも のをうま
状況に立たされている。市川先生 の提案 の
-両立させていかなければ いけな いような
それはあり得な いと思う が、そう いう こ
ことに ついて、あまり自信がな いままに改
か。私たちがどう いう選択をするかと いう
とが理想像として描かれているのではな い
お話しにな った。なぜ変わらな いのかと い
いう ことを、入試と学歴主義 の問題を例 に
うと、ほんとう は実は変えた-な いのでは
的な構造は二十五年前と変わ っていな いと
ればならな いと いう ことで、大方 の人 々の
とえば教育と学習、仕事と余暇、ある いは生
なかで統合的にとらえられてきたも の、た
人間、 こうした人間像を つ- っていかなけ
意見が 一致している。自由化、個性化、多様
と いう ことを申し上げておきた い。
革論議をせざるを得な い状況にな って いる
ったも のを具体的な レベルに下ろして いく
産者と消費者、公正と効率、自立と連帯と い
ではな-、
極めて合理的にな っていて、だか
市川先生が話された改革 の構想は、非常
な いか。ある いは、いま の状態が別に非合理
にバラ ンスのとれた、説得的で包括的な提
化と いう のも、そうした人間像を前提 にし
指摘されたと思う。
ら変えた-な いのではな いかと いう ことを
しかし、それでは日本が完全 にそうした
た改革構想にな っていると いっていいと思
う0
調しな い、自分 の行為や選択に責任をも つ
な い。
得な い。そう いうところに自信 のなさがあ
た い流れの方向 に入ると思う。
そこでいお れているのは、自立的な個人、
重視 の社会 へと いうよう に考えるとtだ い
行 っているのか。 いろ いろな いい方がある
このモデ ルの転換はど っちからど っちに
生
組織や集団に届きな いで、主体的な選択判
●揺括パネルデ ィスカッシ ョン
∬
と'それぞれ の間に亀裂が表面化して-る
日本 の教育も社会も、
ある いは行政、政治
はず である。
先生が いわれたよう に、教育制度 と経済制
企業内教育が日本 では盛 んだ った。天野
度 の日本的な秘密 の 一つは、学校教育 で 1
していただ いた。 日本 の過去 ・
現在 ・
未来 と
て、日本 の現代社会を考え直してみると い
欧米先進国 の抱 え て いる問題を ク ロスし
を受けると いう ことだ った。企業は企 業内
般教育をして、企業 でも っと専門的な教育
いた、年齢 による平等主義 が崩れるわけだ。
か、個人の能力がむき出しで現れて いると
そこで初めて個人が析出されて-ると いう
だ いたよう に思う。つづ いて、カミ ング ス先
う視角 から非常 に鋭 い問題を整理して いた
的に行われれば、自分 の能力に応じて、さま
主義 にな っているが、タテの弾力化が全面
教育もほとんど指示しな い。ある意味 では
日本 の教育 システ ムは、非常 に年齢平等
いう状態がや って-る可能性が強 い。
基本的 に両立しがた いも のを両立させな が
ざまな学歴や教育を終了した人たちが社会
カミング ス 今回 のシンポジウ ムでは主 と
こうしたわかりに- いも のを前提 にし て、
も'非常 にわかりに- い構造をも って いる。
ら、構造 の転換を図 って い-と いう厳し い
に出 てい-。そ の結果、
自立した個人として
グ ローバル化と いう のは、世界 の間 の、
国
てほならな いのかどう か。しかし教育 は大
企業内教育 が減少して い- ことを考えな-
企業内教育をほとんどしていな い。企業外
アメリカの場合は、企業 がケチにな って、
も企業 にそうした余裕 があるのかどう か。
状況 に、私たちは直面して いる のだと思う。
お互 いに競争的ななかで地位達成をし て い
期待 できな い状態 にな っている。日本 でも
非常 に つら い時代 にな って、企業 には何も
教育 のために予算を使 っている。 これから
改革 の理想、ある いは構想と現実 のギ ャッ
の問題に ついてはまだ論じていな い。
して仕事と教育関係 が中心 で、政治 の制度
生 のご意見を いただきた い。
プをどのよう に埋めて い- のか。表面的 に
が、それは 一億線中流社会 の崩壊を意味す
- と いう社会 が現 れ て い- だろう と思う
と国 の関係と いう のが非常 に重要 にな って
新たなシビル ・カルチャーを
は全員が改革をめざして いて、意見 の対立
つまり、私たち の社会は学歴が平等化し
るだろう。
がな いよう に見えるが'それぞれ の問題 で
る。
改革 が実際 に行われ始 めたら、そ の亀裂
利害集 団 の コンフリ クー が表 面化 し て い
アメリカの場合 には、企業 の平均的な規
と思 っている。
事 であり、生涯学習 の理念は非常 に重要 だ
模はダウ ンサイ ジング でだんだん小さ-な
しかし、
中央政府 の力と いう のは'少しず
くると いう ことだと思iL
う。
l
つ弱-な って いるのではな いか。 日本 でも
いい。企業も、これからは能力に応じた報酬
て、 これが中流意識を孝 之ていると いって
財政赤字が大き-な って いるが、アメリカ
市川先生 の提案 のなかで、と-に重要な
が鮮 明に見えて-る。
のシステ ムを考えて い-と いう ことになる
世界的な傾向として大企業も弱-なり、
のはタテ の弾力化 の問題 ではな いかと思
中央政府 の力も弱ま っている。地方分権 が
ってきている。
また、大企業 の力も少しず つ弱-な って
でも同じだ。
きている。
国際関係 が変動し、経済 の制度も
と、日本 が五十年かか って築 いてきた中流
いかも知れな 小.。
豪 力によむ階級社会が生
社会 が崩壊 の危機 に瀕していると いって い
まれてくると い、
‡︺
とも考えられる。
いわれている が、地方政府 の力はまだ強-
る。 日本 の社会秩序は極 めて年齢主義的 に
ことは'
決して学校教育だけ でな-、たとえ
できている。これを排除す る、やめると いう
な っていな い。地方政府を強化するために
私は、タテ の弾力化と いう のは、これまで
討しなければならな い。
ば年功序列を基軸とする企業 の人事 シ ステ
も、私たちは論じなければならな い。とにか
感、
指導 地方政府 に対す る責任と いう問題
住 んでき た世 界を大き-揺 さ ぶる可瀧 性
る。八割 の人が両親と話す時間は十五分程
親 と話す時間 はだんだん少な-な って い
ムを含めて、大きな社会構造 の変化 が起 こ
化 の社会を捨てられるのかと いう問題 が背
若者、青年たち'
一親たちに ついての責任
何をしたち いいのか。
年齢や教育i
k
j
y受けた年数 ではなく 学力
景 にあるのではな いか。
ればならな い。学校 が社会と結 び ついて い
-新し いシビル ・
カルチ ャーを つ-らなけ
連合総研 の報告書 で「
ゆとり」と いう こと
とか、学習 の到達度で人 々が評価されたり、
働 いているのか。
度しかな い。 これでは私たちは何 のために
が指摘されている。いま の若者、
卓 生たちが
得 た能力に応じて移動す る。 これは極 めて
野先生には問題 の所在をシャープ に描き出
井上 どうもありがとう ござ いました。天
を、教育と労働 の両面でもち得 る矧題 では
メリ ッ-クラティ ックな社会、世界である。
な いかと思 って いる。私たちは 1億線中流
そこでは、日本 の集団主義 の基礎 にな って
ると いJ
つことを意味して いる。
変わ ってきており、 このことに ついても検
う。 つまり年齢主義 の排除と いう ことであ
稔括パネルデ ィスカッシ ョン●
56
井 上 日本 の コミ ュニティー と学校 の関
-ためには、教育改革は必要 である。
っているが、私は、この図式は怪し いとず っ
のごと-吸 い込まれて い-と いう事態 にな
この五十年 でつ-られた日本人の人生と い
を考えてみると、ほとんど変わ っていな い。
か。戦後五十年 のスパンで日本人 の生き方
のがおかしくな ってき て いる のではな い
て大きな問題にな っていた。日本は年齢差
に強 い。
定年は、アメリカでは年齢差別とし
サラリー マンの人生は、年齢規範が非常
いけな い。四十歳になれば課長になりたい。
いシビル・
カルチ ャーを つ-らなければ、こ
とは いえな いと思う。同時 に、学校 の知識
教職月 が疲れ て いると いう指摘 があ った
よう に見える。日本人は疲れている。
学校 の
うも のが、かなり金属疲労を起 こしている
ているところがある。
別に対する意識は低-、当た、且 別だと思 っ
第 一に、学歴社会 の基本的な理念は悪 い
と思 っている。
れから の時代はや っていけな いのではな い
いるが、たとえば受験勉強はす べて無駄だ、
は、社会 で十分 に役立 っていると確信し て
が、サラリー マンも疲れている。
疲れた顔が
任と いう ことに ついてお話があ った。新し
係' コミ ュニティー の社会と いうも のの責
か。そのことに教育改革 の大きな課題があ
真顔にな っセ いる日本人と いう、そんな感
と いう ことだ。私は生活時間調査をや って
矢野 第二は、日本社会が男性主義 である
人生を秩序立てるのは仕事
それはとんでもな い間違 いではな いか。学
受験勉強 の知識は無駄だと いっているが、
じがしてならな い。
つづ いて、先ほどの天野先生 の 一つの議
ると いう指摘だ ったと思う。
たぶん無知による誤解 ではな いか。
校 の専門知識が役に立たな いと いう のも、
日本人 の人生と いうも のには構造的な特
論 のコアとな っている年齢主義 に ついて、
いるが、日本ほど男性主義 の強 い社会は、ま
第三は、合社主義と家族主義 の癒着 と い
ず先進国 には見あたらな い。
その 一つが、 このシンポジウ ムでたびた
三点ほど挙げた。
のかと いう気もしている。学歴社会を打破
徴があると思う。私は報告書 でそ の特徴を
して生涯学習社会 へという にしきの御旗 に
の経済成長を支えてきたのは'家族と会社
成功は家族 の幸せと いう考えだ。私は、
戟後
の連合体だと思う。
:」
れが日本人 の生活 ス
うも ので、
家族 の幸せは会社 の成功、
会社 の
だと思う。学校が年齢主義 にな っているの
び出ている年齢主義 と いうも のであ る。日
はご承知 の通りだ。戦前 の学校も年齢主義
本社会と いう のは、年齢規範が過剰な社会
疲れの要因は年齢主義に
ついては、疑念をも っている。
しているのではな いか。 これ以上何を学 ぶ
第二に、日本人はす でに十分生涯学習を
矢野先生からお話ししていただきた い。
怪しいにしきの御旗
矢野 この二十年ほどの教育改革、教育 に
関する資料を読むと'共通したにしき の御
旗と いうも のがある。それは'
学歴社会を打
破して生涯学習社会を建設しよう と いうも
私は、この三 つの構造が変わらな い限り、
タイ ルであり、幸福感とな っている。
年齢主義が貫徹するのはやはり戟後 の学校
であ ったが、かなりバラ エティーもあ った。
矢野 それでは、いったい何が問題な のか。
のだ。学歴社会が恵 で、生涯学習社会は正義
の味方と いう図式 にな っている。す べての
息苦し-な っているのは、学歴主義 のせ い
心 の秩序をな-してどのような秩序を確立
し い人生を秩序立てる焦点は何か。年齢中
この疲れた日本人の人生を解放して、新
には変わらな いと思う。
日本 の学歴社会も、生涯学習社会も基本的
ではな-、年齢主義 のせいだと思 っている。
子どもたちが疲れている。子どもたちが
それに拍車をかけているのが'企業 の採用
とても できそうもな いし、学習で秩序立て
するのか。余暇で秩序立てると いう ことは
ることも不可能 だろうと思う。人生を秩序
ンは実力主義 だと いう が、ただ、
年齢規範 の
上に乗 っか っている象力主義 である.三十
立てるのは仕事しかな い。
だ。サラリー マンも年齢主義 だ。サラリー マ
歳になれば'係長とか主任にならなければ
57
教育だと思う。
天野郁夫氏
やや大袈裟にいえば、日本人 の人生そ のも
井上克彦氏
改革が、その言葉 のなかにブラ ックホー ル
●揺括パネルデ ィスカッシ ョン
い
く。
と いうも の、人生と いJ
戊 の窟 序立てて
い。そう いう仕事と いうも のを通して、
生活
なかにど っぷり浸か って ハッピーにな って
性 であることは間違 いな 3.
と思う。空想 だ
と思 っているのは、年齢主義 と男性主義 の
存在している。 これを担う のは高学歴 の女
スタイルを選択 できる新し い勢力はす でに
少な-な iと思う。
七かしご)
i
e新し い人生
このような ことは空想だと思われる人も
つづ-かが非常 に問題だと思う。
ただ、
金融 の自由化 で、いつまでそ の状態が
企業 に投資しているから、まだ余裕がある。
回りを提供しても、日本 の生命保険会社 が
の経営者 は、資本家 に五∼六%ぐら いの利
しなければ首 になると いう経営者 だ。日本
は、資本家に利回り 一六%ぐら い毎年提供
いう話をされたが、アメリカ企業 の経営者
た。日本も同じよう になるのではな いかと
どの程度 いるのか、私はよ-わからな い。
労働市場 で生計を立てよう とす る人たちが
のに成功している。
専門職を得て、流動的な
かの組織人間になろうとしているし、なる
各年齢層 の上 の四割ぐら いの人たちは、何
官庁 に入ろう としている。いま の世 の中 で、
かの大学を出 て、どこそこの会社、ある いは
そして、お宅 の享 さんは、どう いう こと
をめざしているのか聞-と、おそら-どこ
う 職業訓練 のでき る余裕 が仝 -な-な っ
新たな人生スタイルを築くのは女性
いる、
しかも疲れた人ではな いか。
男性と女
う○
矢野 私は結論として「
生涯仕事社会」と い
性、そして若 い人と年寄りがどのよう に折
嫌 々働- のではな-、気持ちよ-働きた
う ことを報告書 で書 いた。 このコンセプ-
学校と職場を自由 に動 いた方 が いいと考え
一つは'十五歳から三十歳ぐら いの間は、
そうした上 で、
学校 の問題、
生涯学習 の問
生き方 の問題として大き いだろう と思う。
り合 いを つけて い-かと いう のは、人生 の
由化 の究極的な結果を考えな-てほならな
ヽO
I
V
らゆる規制を緩和しろと いう が、完全な自
そして日本 でも、自由化が重要 であり、
あ
行 って何かの技術資格をとろう として いる
たちも いる。十八歳 で自分 の偏差値 では い
て、希望退職はどう かと勧められて いる人
なければ何も変わらな い。
のは、まずやめるべきだと思う。これをやめ
・ド-ア先生 にお話を伺 いた い。
井上 ありがとう ござ いました。ここで、海
題を考える必要 があるのではな いか。
たが、私は、捨てられるかよりも、ほんとう
は捨てられるのか」と いう問題を提起され
また、天野先生が「一億線中流 の集団主義
のだと思う。中小企業 で手に職を つけ て生
た人たちも、なるべ-安定した職業を探す
人たちも いることは事実だ。しかし、そうし
第二は、三十歳以上 で仕事中心 で働 いて
いる人に、学習 の機会を つ-らなければな
いのかと いう ことに ついて考えて頂きた い
対して、 ほんとう にそ のような日本 にした
そ のよう になるべきだと考えている方 々に
用形態 になると いう時代 が-る のか。私は、
って労働市場を流動化し、非常 に弾力的な
賃金 はもう時代遅れだ、みんな、
専門職をも
と思.∫
う。
計を立てよう とす る人たちか、 一般的な雇
ドーア 矢野先生は'自分たちには考えら
社会 にしなければならな いと いって いる。
に捨てた いのかと いう ことを問わなければ
れな いが'若 い人たちに将来を託した いと
を見たら'会社人間から の脱皮と いう のが、
今回 の中教審報告書 の発表 の新聞 の見出し
ならな いと思う。日本 で終身雇用、
年功序列
忙し-して、
疲れさせて いるだけだ。
平 日に
いう話をされた。そ の若 い人たちは、
吉本先
いことは、日本 の週休二日制 は失敗し て い
らな い。そ のために、一つだけ いっておきた
ゆとりがな いところに土曜、 日曜を休 んで
生が指摘されたよう に、ますます浪人や塾
に通う人が増えて、なるべ- いい大学を卒
しかし、そうした労働市場 の流動化や会
ド-ア 天野先生は、稔中流 の集団主義 が
ることだ。日本 の週休二日制は結局、
平 日を
ゆとりを確保しなければならな い。
識を保つ
第三は、高齢者 に対して仕事 の機会をど
業しょう として いる。これが、現代 の若 い年
な-なると社会 の連帯意識がな-なる ので
終身 雇用は連廿
聖思
う つ-るかである。元気な高齢者 がどんど
みんな終身雇用 の恩恵を こう む って いる人
社人間から の脱皮を いって いる人たちは、
はな いかと いった。 一億線中流 の状態を維
動である。
たちである。
齢層 の最も頭 のいいと いわれる人たち の行
カミング ス先生がアメリカの会社 は、も
ん増えて-るのがこれから の社会 だ. フル
の秩序 が成り立 って い畠 ことが大事だと思
タイ ムでな-て いいが、仕事があ って生活
それこそ大合唱にな って いる。
も何も できな い。ゆとり のためには、
平日の
総中流を本当に捨てたいのか
外からわざわざお越し いただ いた ロナ ルド
い大学 に入れそうもな いから、専修学校 に
る。十八歳、二十二歳 の新卒を 一括採用する
大企業 で四十歳を越え て肩 を たたかれ
の要点は、次 の三 つである。
揺括パネルデ ィスカッシ ョン●
朗
ている。
の時 に受験 のためではなく 教養 のため の
少な-するには、
受験 の方法を変えて'
青年
いかと思 っている。そ の コス-をなるべ-
準備教育 が、す ごい量ある。東京を周 って
もや っている いろ いろな資格試験 のため の
いケな営利事業、ある いは公益法人とし て
教育 にお いては、民活がす でにある。いろ
題 の提起を いただいた。そ の 一つは、どの-
市川
持しているのは、 みんな同じような教育を
のばら つきが非常 に開-と思う。
動的な労働市場 にせれば、必ず所得 の格差
学習時間をなるべ-増やす 工夫をすること
の書店 に行けば、資格受験準備 の美め のテ
も、
資格試験 のための広告が目に つ-。
神田
それではここで、教育改革研究会 の主査
iま の日本 で、大企業 の社長が従業鼻 の
だと思う。
受験競骨自体は、たとえば能力適
益法人だ ったら、かなりた-さんの人が通
平均賃金 の何倍 の給料をもら って いるかと
正検査 とかと いう も のに切り かえなけ れ
ら 小のタイ ムスパンで改革を考えるかと い
う ことである。
信教育を受けているのではな いか。
いう ことを、私は正確 には知らな いが'十倍
キ スーばかりが 1階を占めて小る.確 か旅
の コス-だと見なければならな いのではな
とか十五倍ぐら いではな いかと思う。と こ
ている。
ば、 いままでのような競争は つづ-と考え
中央教育審議会は二十 一世紀を展望して
団主義 と終身雇用的な社会を維持する 1つ
ろが、
社長 の労働市場 があ って、
管理職 の自
と いっているが、二十 一世紀と いっても西
受けた人ばかりではな い.英米 のような流
由な労働市場 があれば、社長と従業員 の平
が五十七種も書店 に並んでいるのを見 て、、
行管理主任と いう資格 がある。.この教科書
暦二〇〇 1年から二 1
00年ま であ る。二
嫌 いな年齢主義 が貫徹していると思うけれ
日本 の集団主義、終身雇用は、
矢野先生 が
ジネ スキ ャリ ア制度 に ついて試験もあ っ
話はほとんで出 ていな い。労働省 の方 がビ
て、
専修学校、
あるいは資格試験に ついての
ドーア それに9,
ユ つ、職業教育 に つい
経営する人ばかりでな-、受ける人も非常
し非常 に複雑な制度 に凍 っていて、講座を
文部省認定'
労働省指定 にな っている、しか
そこで提案だが、中小企業診断士講座は、
中教審が二十 1世紀と いっている のは、五
わりかと いう こと.
で話は全-違 って-る。
い。つまり二十 1世紀 の初めか(為る いは終
十 一世紀初頭と いう と、 いまから五年もな
いろ いろな スピーカー の方 々から問
国際化に対応した社会構造に
の市川先生からお話を伺 いた いと思う。
均賃金 の差は、一対十、ある いは 1対十五 の
た。
すご い、 これは繁栄産業 ではな いかと思 っ
格差 ではな-、アメリカのような 一対百、一
改善されなければならぬ資格試験
ども、やはり 一種 の社会 の連帯意識を保 つ
対二百と いう状態 になるのではな いか。
ぐら いの、わりかた平等な所得を分配す る
もう 一つ、学歴競争 は終身雇用と密接な
が出 ていた。たとえば企業経営通信学園と
私が日本 に着 いた時、新聞 に大きな広告
説明された。しかし、資格はちゃんとある。
て、資格 にはならな いが能力評価 になると
ち の補助と いう、二 つのとり-みをした ら
値を保障す ることと、仕事と受験する人た
新し い庁を つ- って、そ こで、
国 の資格 の価
思う。だから、総理府 のなかに資格庁と いう
にわかりに--な っているのではな いかと
るかと いう問題もあるわけだ。私も、政治家
それから、改革をどの竃度 の深う で考え
が'私たちはもう少し先を展望して考えた
年ぐら い先 の話 ではな いかと いう気 がす る
作用をしているのではな いか。
関係 にあることは二以前 から指摘されて い
いう、これは公益法人である。中小企業診断
の方 々から、 このような学校制度改革案を
つもり である。
る。矢野先生は 一括採用 の廃止を主張され
るが、そ の言葉を受け入れる企業 の人事部
いいのではな いか。そしてあとは民活 にま
な改革はまず できな い、 これまでの世界 に
かせたらよ い。
とにか-、今 の資格試験 の状態、ある いは
士、
ある いは社会保険労務士、販売士講座な
資格試験 の準備教育 の状態は改善されなけ
おける教育改革 の歴史は、庭 折 の歴史 であ
協会が つ- った公益法人で、中小企業診断
どがあり、各 々四万円ぐら い払 ったら通信
ればならな いのではな いか。
の人は少な いだろう と思う。 この 1括採用
教育 が受けられる。
通学もあ って、
受験 のた
井上 あり がとう ござ いました。ほんとう
が つづ-限り、各人が学校を出 てからど こ
に採用されるかと いう ことは、 一生 の運命
めの準備も できる。新聞社 にこの広告は幾
におもしろ い議論をたたかわせて いただ い
塞 -な った. いずれにし ても制度改革が
れた経験もある。そ の際、
学校制度 の抜本的
を決定す るほど非常 に重 い問題となる。 だ
らかかるかと聞 いたら、 一回全国 で千三百
考、
是 がどう かと 3,
フことで意見を求 めら
から学歴が重要 であ って、学歴 のため の競
万円だと いう。 これだけ広告費を払える公
争 が激しくなるのは当然だと いっていい。
私は、
受験競争 に ついて、わりに平等な集
ったと申し上げると、政治家のご機嫌 が大
●揺括パネルデ イスカッシ jン
甜
ロードに ついて 1度も、成功した試しはな
制 の改革 の話は出たが、少な-ともメイ ン
非常に難し い。これまで何度も六三 ・
三・
四
わらず、それに対応した教育政策をとるべ
いう のであれば、好むと好まざるとにかか
ことだ。もし、日本経済 の開放を徹底すると
ながら、それに対する備えをしな いと いう
様化というも のではな いかと思う。
こそが、ほんとう の意味での個性化とか多
学校が国際化する必要もな い。そしてそれ
型になる必要は必ずしもな いし、す べての
これ以上民活する余地はあまりな い。
用がフルに行われていると いって いい.義
務教育段階を別にすれば、費用負担 の面で
ル化しているが、政治がす べてグ ローバル
国際的に見ても、確かに経済はグ ロー バ
国際的に見てどう かは知らな いが、少な-
は、以前より垣根が低-な っていると思う。
そして、民間と役所、あるいは役所 の壁
い。それほど改革は難し いし、その及ぼす影
きではな いだろう か。
とも以前より改善されている0
-がかかる。効果費用を考えると、
往 々にし
をカバーするような政策を併せてと って い
題が起 こって-るだろう。それだけにそれ
市川 もちろん、天野先生が指摘された問
えなくてはいけな い。
それに対応する教育がどうあるべきかも考
そうした過渡期における日本 の経済社会'
方向 でボーダ レス化が進むわけではな い。
ような ことも起きている。そう簡単 に、一方
-国際的にも典型的な国内政策 であ った。
市川 ただ反面、
教育政策は、日本だけ でな
逆にボーダ フル化して、民族 の純化と いう
化しているわけではな いだろう。それとは
て所期 の意図とは逆に、 マイナ スが多-な
く ことが必要だと思う。 ヨコの多様化と い
教
育を民活する
余地はない
響なども考えな-てはならな い。
ド-ア先生は、存在するも の'殊に長- つ
づ いてきたも のには必ず合理性があると い
ると いう ことがな いわけではな い。
う美名 のもとに現実をごまかしていくと い
ド-ア先生は、日本人はほんとう に改革
われた。それを改めよう とすれば、
必ず コス
天野先生は、タテの弾力化を進めれば、現
する気があるのかと いう ことを繰り返しお
国 への依存が強 い教育行政
在 の日本 の社会構造を根底から引 っ繰り返
タテの弾力化と いう のは、やや肌に染みる
うような ことでは いけな いのではな いか。
ョン、国際化がほんとう に徹底してい- の
もし、現在 いわれているグ ローバリゼー シ
わゆるメガ ・コンペティシ ョンに起因する。
の弾力化と いうよりは国際競争 の激化、 い
う ことをお っしゃ った。しかし、それはタテ
と いう ことは国際的だけでな-、国内的 に
た。壁を取り去る、ある いは垣根を低-する
それからP",
ング ス先生はグ ローバリゼ
ー シ ョンと いう ことをしきり に強調 され
してい-必要があると思う。
ようなところもあるけれども、現実を直視
うプラ スの面もあるだろうと思う。
に、公共部門に 1種 の競争原理が働-と い
こともある。確かに重複も生じるが、同時
は、各官庁、省庁、部局が競争し合うと いう
摘されたが、縦割りと いう のはある意味で
っしゃられた。また、縦割り行政 の問題も指
れる。私学 に対しても強要している。
かし、地方 の差を無視して全国 一斉 に行わ
で対応す べき問題だと、私は思 っている。し
の週休二日制とは別 の問題であり、各地方
けな いと いわれた。
確かにそ の通りだが'在
文部省 の方は、学校は楽し-な-ては い
られており、これは必要な ことだと思う。し
とか'社会人 の学校参加と いう ことが進め
も重要だ。
最近は、
大学や学校を社会に開-
省 の両省が後援して-だき ったことは非常
点で'今回のシンポジウ ムを文部省と労働
ただ'
全-没交渉と いう のでは困る。そ の
存がな-ならな いのに国家が弱体化して い
体化と いう指摘もあ ったが、国民 の国家依
いると いう ことの現れでもある。国家 の弱
ながら、教育行政でできることがますます
学中 に楽し-ても、卒業してから地獄にな
少な-な ってきている。やはり我 々国民が
-。教育行政がいろ いろな ことを期待され
民間 のエネ ルギーを活用すると いう こと
自立性をも つことが大切だと思う。
にありがたい。
に ついては、昔から教育 でも盛んに行われ
い。どこまで開-べきかよ-考える必要 が
てきたことである。高等教育 の八割は私学
かし、何 でも開けば いいと いうも のでもな
ても いいのではな いか。
ある。それから開かな いと いう ことがあ っ
井上 ありがとう ござ いました。天野先生
す べての学校、す べての大学が生涯学習
であるから、日本 の教育界は民間活力 の利
の憂き目を見ることな-、他人から援助を
受けな-ても生きていけるif
,
つな人間を つ
一番まず いのは、国際化を進めると称し
-る必要がある。
るよう では困るわけだ。卒業してから失業
育界や地方 の教育行政が文部省 に依存して
しかし、これは、別な角度から見ると、教
であれば、そのよう になると思う。
たとえば学校週五日制 の問題は、教職月
家政策に対する依存度は強 い。
最近は国際化 の波が及んできているが、国
力がむき出しになる社会 にな って-ると い
す ことになる。ドラ スティ ックな、個人の能
揺括パネルデ ィスカッシ ョン●
甜
の問題提起を含めて'各先生から コメ ンう方向に行 っている。豊かさをうま-優 っ
ろな稽古、 スイミングに行-とか時間を奪
の時間をどんどん奪 っている。塾や いろ い
るかも知れな いと思う。
をも っている人たち のなかから未来が開け
約半分 の生徒が満足していな いと いう のは
めずらし いことではな いと思う が'しかし
私は'教育改革は必ずしも中央から提起
考えな-てはならな い。
を いただいた。ここでもう 一度'これまでの
されるも のでなければならな いとは思わな
い。
中央政府 の指導力が弱-なり、地方から
いるゆとりを奪う 方向 に行- かも知 れな
改革 のプ ロセスが起 こ って-ることも考え
い。つまり、も っと勉強しろと いう方向に行
大学改革は、ややもすると若者 のも って
議論を通して、各先生から短-稔括的な コ
ていな い。
日本的 モデ ルという のはゆとりがな いモ
い。アメリカでは、幾 つかの地域で教育改
天野 もう 一つ、ド-ア先生が六年制 1貫
デ ルで、カミング スさんのお話 のよう に、そ
革、企業改革が出 てきている。日本 でも、た
校 の話をされた。六年制 一貫校は、
極めて知
られると思う。
ぐ可能性がある。また、女性も、男女雇用平
天野
的能力 が高 い人 たちを選抜 し て選 ん で い
の時間泥棒 の話 のよう に、日本は世界から
れを世界に輸出している面がある。﹃
モモ﹄
世界からゆとりを奪 っている日本
メン-を いただきた いと思..∫
う.
豊かさをうまく使 っていない
だきた い。
る。この人たちは、
多少 の受験勉強をしても
とえば岡山、福岡、札幌から出てきても い
やはり、大き いのはゆとり の問題ではな
めげな いような強靭な精神力と高 い知的能
どのよう にしてやめられるかと いう問題が
ゆとりを奪 っているのではな いか。それを
等法 でも っと働 いた方がいいと いう方向 に
いかと思う。日本的システムの最大 の問題
力をも っているのだと思う が、 この人たち
動 いているのかも知れな い。
は、ゆとりがな いと いう ことである。ゆとり
をも っと遊ばせれば いいのに遊ばせな い。
1つだけ に絞 ってお話をさせて いた
があれば'それを追 い出そう とする。何かこ
矢野 私は、政策と いうも のと改革を常 に
崩れて来ている人生の標準化
とが起 こると、それは いままでのゆとりを
カリキ ュラムは四年半か五年 で消化してし
までほとんどペー パーを書 いていな い。
区別して考えてきた。改革に ついて私は今
も っているかと いうと、それは若者と女性
いま、日本 の社会 でだれが 一番ゆとりを
がある。
し、少しず つそう ではな-な っている傾向
教育機会 が守られていたよう に思う。しか
前 に私が見たころは、わりと公平な制度 で、
カミング ス 日本 の教育制度は、二十五年
選択があり得るのかと いう ことを議論して
というも のを前提にして、どのような政策
私は いろ いろ議論しているが、それは構造
るも のであると いっていい。政策に ついて
ある。改革は、構造そのも のを変えようとす
ある構造を前提に考えてい- のが政策 で
な いわけだが'そのゆとりを追 い出そう と
である。留年したり浪人することも許され
地方からの改革プ ロセス
ある。
ま って、
あとの 一年半は受験勉強をする。一
番ゆとりがもてる人たちにゆとりを与えな
奪 フ方向にい-わけ で、いま、
企業 で行われ
ても、 ムダがどこにあるかと いう ことで考
い。そこで日本 のエリ1-は貧し いと いう
ているリ スーラも'ある いは行政改革 にし
えられている。
する方向 に努力しているよう に見える。日
る。しかし企業 の方 にゆとりがな いから、
ことになる。
本が豊かにな ったと いわれるが、豊かな社
東京大学 に入 っている学生 の八割 は、管
もともと日本 の社会や組織はゆとりが少
会と いう のはゆとりがある社会だと思う。
1、二年しか許されな いが、しかし、彼らに
そう いう意味で、私が冒頭に申し上げた
と思l
う。
■
造を理解しな い改革は、私はナ ンセンスだ
いるわけだ。
その豊かさ、ゆとりを日本社会は追 い出そ
改革を議論するのであれば、何が構造 か
文部省 の方 の話 では'高等学校 では生徒
うとしているのではな いか。そ のことを痛
の六割は学校に満足しているが、四割は満
と いう ことを理解しなければならな い。構
女性がほんとう にゆとりがあるかどう か
では公平が守られているとはいえな い。
はわからな いが、いずれにしても若者、女性
理職と専門職 の親 の家から来 ている。 これ
たとえば'子どもたちに親がお金を つぎ
足していな い。世界的にいえば、これは別に
は極めてゆとりがある。日本社会 の豊 かさ
込めるよう にな った。
豊かにな って、しかも
がゆとりをも っていると思う。 このゆとり
を 1番享受しているのは若者たちである。
子ども の数は少な い。しかし、それは子ども
感する。
●揺括パネルデ イスカッシ ョr
ン
朗
よう に、
学歴社会 は悪-な い、日本は生涯学
習をよ-や っていると いっているわけ であ
る。それは現在 の日本 の構造を前提 にして
期待 できないと私は思 って いる。
することな-みんなそれを引きず ってきて
も先例がな いままに欧米 にキ ャッチア ップ
できたのは、私たち の先輩 たちが創造性豊
子ども の時 に、親から教養を身 に つけな
いる。 この最初 の前提を疑 ってかかる必要
ければならな いよう に教えられ た人 たち
層別 に分かれるのか。つまり、親から教養を
があるのではな いかと いう ことを 三 口
付け
った認識を臨教審がして、それを何ら批判
し っけられた、学校 でも教養を身 に つけな
かであ ったからではな いのか。そ の辺 の誤
ドーア 天野先生 のゆとり の話 で思 い出し
ければならな いと教えられたと思う。そう
が、大人にな って マンガにしか興味がな い
たが、
イギリ スは過去百五十年 の間に、一人
加えておきた い。
ような人間 になるのかどう か。ある いは階
わけがな いかもしれな い。それは企業 にと
当たり の生産性が非常 に上昇した。 この生
井上 かなり根本的な問題が立てられた。
ゆとりの配分、英 では偏重した形に
って合 理的だからやめな い。しかし、それを
マンガばかり ではな-、やはり活字 の本を
した教育を受けた人たちが大人にな って、
いるから である。企業は 一括採用をやめる
前提 にしてお いて学歴社会打破 だと いう の
のよう に享受したかと いう と、三分 の二は
産性 の上が った分を'イギリ スの国民 がど
えられて いるも のは、戦前 にはなか った。戦
と いう ことだ。 いま の人生 の標準として考
人生 の標準化と いうも のが崩れてきて いる
合、やはりじわじわと動 いている。それは、
二は消費 に、三分 の 一は労働時間 の逓減な
う と、同じよう に生産性 の増加分 の三分 の
そして、過去二十年はどう だ ったかと.
い
消費、三部 の 一は労働時間 の短縮 に向けた。
ている人種 ではな いと思う。
な いと思う。日本人は マンガばかり消費し
刊本 の広告ばかり出るような社会 にはなら
ちが多-なければ、日本 の新聞 の 一面に、
新
読むよう になるのだと思う。そうした人た
ぐら い会社主義 と いう ことを自己認識して
-しがちだが、果たして私たち自身 がど の
つけられている、と いう認識 の仕方をとか
ぐ、
会社主義 とか、終身雇用で会社 にしぼり
しかし、考えて見ると、私たちが通常 たやす
いるのだろう か。また、それを改革すること
どであ ったが、労働時間がどう いう形 で縮
前 にはサラリー マンが最初 に就職した企業
は、どれだけ の コス-を要するのか、日本 の
小されたかと いう と、それは完全失業者 の
市川 臨教審以来 の教育改革 の前提 にな っ
和は、どのような意味をも っているのだろ
増加 にな った。失業して いな い労働人.Eの
九割 が、過去二十年間 で平均労働時間 が短
う か。しばしば構造調整期と いう言葉 が つ
った。いま の人生 の標準は、
戟後 の五十年 で
縮されたかと いう と、
そ りではな い。賃金 の
ているのは' いままで日本 の経済は欧米 に
多分、日本は ハイテク社会 にな って い-。
と町 の配分は、イギリ スでは非常 に偏重す
激化などが挙げられているが、とにか-ゆ
そ の要因 には、技術 の変化や国際競争 の
教育 であ った。 これがダメだと いう のが前
団主義的な教育、個性や創造性を抑制す る
に本質的 に変わると断定するとすればそれ
ア ップ が終われば、果たして別 のシステ ム
かわれているがそ の意味は何か、キ ャッチ
世界 の市場と 一体化すると いう時、規制緩
標準化されたわけ で、 これが いつまでも つ
キ ャッチア ップしてきた。それに画 一的、
集
社会を世界に対して開 いてい-。ある いは
づ-とは思わな い。では、どう いう形 で標準
高 い層 ほど'労働時間は増加している。
経済はか つてのよう に二桁 の成長は考えら
しかし、 この認識が果たして正し いのか
会をどの-ら い正確 に自己認識した上 で改
には いかなる根拠があるのか。やや安易 に
天野先生は、豊かにな った親が塾 での勉
どう かは疑 ってかかる必要があるのではな
革と いう ことが いわれて いるのか、そうし
提 にな っていて それが現在 の教育改革 で
と いっていい。個人主義 と個人化は上手 に
強だけ でな-、 ピアノとかバレエなど教養
いか。個性、創造性がな-な ったのは、明治
た問題提起 であ ったよう に思う。
も尾を引 いている。
分けなければ いけな いと思う が、個人化し
を子どもに強 いてゆとりを奪 って いると い
ここ四半世紀 にな って
る形 にな っている。
て い-社会 で、私たちは未来 の人生を組 み
われた。また矢野先生は、日本 の大人は疲れ
からではな いか。日本がこの短期間に、しか
から百年 ではなく
私たちが立 っている自分自身 の企業'社
この言葉が つかわれすぎる向きもある。
立てて いかなければならな い。
かカラオケ、ゲー ムソ7-と いわれた。
る場合 に、 いま の大企業 の男性 には変革を
もう 一つ、
壷 草 とか改革、
構造変動を考え
切 ってしま って、ゆとりがあれば マンガと
れな い。 ハイテク社会は個人化する社会 だ
を考える必要があるだろう。
化された人生と いうも のが崩れて いる のか
にず っと いると いう ことはほとんど少なか
引きず っている誤 った臨教審の認識
もう 1つは、未来と いう ことを考えた場
はおかし いと思う。
絵描パネルデ ィスカッシ ョン●
だ
一
つの
碧
生
-祉
雲
間 の専修学校 があ る。歴史 の古 いと ころ では 「
簿
記学校」' テ レビの普 及期 には 「
電 子学校」が典 型
だが、 コンピ ュータ化 や近年 の 「
資格」ブー ムで
多様 な拡大を とげ て いる。 この役割に 対す る視野
大企業 の企業内訓練 と中小企業を中心 にし た公
の欠如をド-ア教授 が壇上 で指摘 され た)
0
共職業訓練 の成果を具体化し' 戦後 日本 の機能 水
準を担 ってき た のは、中学卒(後 には職業高校卒
彼ら はも っぱら家庭 の経済条件 のために上級学
の技能 労働者 であ る。
り'中学生時代 の 「
成績」 でみれば同世代 のも っ
校 への進学をあきら めて就職 の道を選 んだ のであ
とも優秀な層 を含 ん で いた。 「
学歴格差」は「
成績」
であり' 「
学校教育」を それ自体 とし て自己完結的
に (いいかえれば 「
労働市場」 と の関連を無視 し
格差 よりも所得格差 の反映 であ った。
後者 はへ 「
学校教育」
,
と「
職業教育 」を経 て労働
い手 とな った のも ま た こう し た労 働 者 層 であ っ
た。
場 の中核をなす。戦後労働組合運動 の基幹的な担
こう し た労働者層 が戦後 の熟練 工を形成 Lt 職
て)議論す る傾き が多 いこと に鑑 みてと- に重要
であ る。
者 とし て生 き る人間 の行動を規定す る社会 経済 の
当 日 の準備 メ モで補 足し たも のであ る。
ま た、連合 の教育 政策作業委 員会 で行 ってき た
「
文化的体膚 」 と でも い ったも のを考え るための
道具 立 て であ る。
戦後 日本 の職業教育 (
職業 訓練) の基軸 が (
大
このプ ロセ スを通じ て' いわゆる 「日本的労使関
高 い知的能 力を動員 でき たから にほかならな い。
大 きな成功を みた のは'生産現場を担う この層 の
五〇年代後半以後 の生産性向上運動 がわが国 で
組織的な検討作業が そ こま で進 ん で いな いため'
議論 の経緯も'必要 に応 じ て要点を紹介 し たが'
㈱戦後 日本 の 「
職業教育 」
企業を中心 とし た)企業内 訓練 にあ った ことは周
係」 が成熟す る。
て いる。 だが, 日本 の労働組合運動 は従来, 職業
労 働者 なら自分 の職業的能 力向上 の意 欲をも っ
㈱労働組合と職業訓練
次節 でそれぞれ概観す る。
地位 が急速 に低 下し た。九〇年代 に入り'企業内
訓練も ま た 「
外部化」 される局面を迎え て いる。
一九七〇年代以後' 公共職業訓練機関 の機能 と
知 だが' これ に対し て公共職業訓練機関 が 「
失業
か つて の (
地方自治体 によ る) 公共職業訓練機
者救 済」 の 「
低機能 ・貧 困」 だ ったと いう のはあ
たらな い。
あ り、 と- に機械 工 の世界 でそ の訓練 ステイ タ ス
の両側面 から考え る ことが必要 であ る。
関 の機能 は'中小企業 の世界 ではす こぶる重要 で
」
え る こと'② 人間 の社会的行動を 「
生産」 と 「
消
費
-前者 は、連合 の教育政策件業委員会 の基本姿勢
は高 か っSJ
. この意義 と役割 を小 さ-見 る のは大
企業 に偏 し た見方 i)いう べき であ る (
この他' 民
チす るには'① 「
教育」 を労働市場 と の関 連で考
「
学校教育 と職業教育」 と いう テー マにアプ ロー
㈹前 提
- 戦後 日本 の職業教育
容を中心 とし て いる。
ここでは、製造業技能 労働者 を念頭 に置 いた内
以下は個人的見解 であ る。
での発言内容 に'時間 の制 約 から割愛 し た部分を
これは、連合総研 の国際 シ ンポ ジウ ム(
第 ≡部)
はじめに
桝茶 純
補 論
尉
訓練 と系統的 に関 わ っては来 な か った。 ヨー ロッ
パの職能 別組合 と のきわ だ った違 いのひと つであ
る。 企業内訓練 がolTを中心 に生産管 理や人事
㈹変貌
2 公共職業訓練機関の地位低下
㈱背 景
る各 訓練校 の努 力 の意義 は小 さ-な いが、 ここで
は技能 系 職種 の訓練機能 の問題 に注目す る。
一九七〇年を前後 し て'何 が変 わ った のか。思
い つ-まま に背景事情 をあげ てみる。
第 一次 石油危機後'製造業常 用雇 用労働者 数 が
六〇年代ま で技能 工 の世界 で公共職業訓練機関
減 ると いう か つてな い事態 が生 じ た。 そ の中心 は
管 理 と結 び ついて行 われ てき た こと' ま た企業別
「
経験年数」 に数えら れ た。就職後 い ったん離 職
訓 練 所 でさら に腕 を磨 いた者 は そ の訓 練 期 間 を
を中心 にし た非技能 的職種 に中心を移す。
技能 労働者 であ る。 そ の後 の求 人増 は 「
営 業」 職
① 「石油危機」 と 「
減量 経営」
Lt失業保 険 の 「
訓練 延長給付」を利 用し て訓練
(
職業訓練所) は'基本 訓練 だけ でな-技能向上
技 術 の導 入 は労 使 協 議 の対 象 にな る こと が多 い
が' それ にJNもなう関係労働者 の再訓練 ・再教育
所 へ入 る者 に'訓練期間を 「
勤続」扱 いとす るな
訓練 にも重要 な役割 を担 って いた。工業高校卒 後'
の内容自体 に労働組合 が組織的 に関与す る ことは
ど' い- つか の理由 があ る。生産 工程 におけ る新
少な か った。 企業間移動 の多 い中 小企業労働者 を
か った。 と- に機械 工 の世界 では 「
高卒 」 が最高
ど企業復帰 を促す措 置を用意す る企業も少な-な
労働組合 は離 職者 を組合員 にも たな か った ことな
主 体 とす る地域合同労組 には' 地域 の職業訓練機
て、離 転職を余儀 な- され る可能 性 が組合員 のな
石油危機 以後 の景気後退 と雇 用不安を背景 とし
び つき'技能 労働者 の再生産 と、場合 によ っては
た。 職業訓練校 はそ の所在地 の中小生産企業 と結
界 で評価を受け、企業 も そ の評価を受け 入れ て い
配 の ″叩き上げ″ 職 工を先輩 とす る彼 ら自身 の世
学歴 でかり, そ の技能 は技能 それ自体 とし て'年
を基盤 にし て 「
偏差値教育」 が学校教育 を席捲す
の「
高等教育 の大衆化」(
- 「受験競争」の大衆化)
「
能力 (
試験 の点数)格差」 の表 れとな った。 こ
を生 み出 し た条件 が変 わり' 「
学歴格差」はむしろ
がそれを追う 。 か つて 「
所得格差」が 「
学歴格差」
ノ
まず高校進学率 が急上昇し、次 いで大学進学率
② 「
高学歴」時代 の到来
関 への組織的 な アク セ スがあ りえ たかと思 われ る
か に広 が ってき たため' 職業訓練 に対す る関心 が
が'具体的 には知見 の範囲を超 え て いる。
労働組合 のな かからも芽生 え てき て いるが'現状
に ついては'後論 で立ち かえ る。
る こと にな る。 この変化 が職業教育 に及 ぼす影響
の限界露呈。例を 切削機 械 にとれば'汎用機 から数
工作機械 の自動化 と公共職業訓練機関 の対応力
③技術革新 の新 展開
値制御機 への移行 ま でがそ の限界 であ った。プ ロ
」
と い-
のツケが労働行政 にまわされ てき て いる
積所 とな る。職業訓練行政 の側 から は'「
教育 行 政
に入 ると高校進学 が できな い 「
落 ち こぼれ」 の集
系 職種 の訓練 コー スには閑古鳥 が鳴 き、 八〇年代
一九 七〇年前 後を境 に、風景 は 一変す る。技能
さら に職業紹介 を担 って いた。
の横断組織 とし て独自 の訓練 セ ンターをも ってき
では 「
離 職準備援助」 の域を出 て いな い。職能 別
八〇年代末 から の急 激な円高 を背 景 とす る日本
た全建総連 が例外的 に目 立 つ存在 であ る。
企業の 海外 移転 の動き は' 「
産業 空洞化」に加え て
「
技能 の空洞化」 の危 険を浮 き彫り にし た。 この
・セ ンター へと変 貌す るメカ- ロ ニク スの進展 に'
公共職業 訓練機関 は対応 できず、新 型自 動 工作機
グ ラ ム.
制御機 から稔合 工作機 とし て の マシ ニング
を導入 し た現場 で の作 業 月 の訓 練 (
再 訓 練)は'工
声も聞 かれ た。 「
暴走族」の若者 に 「
訓練生」が少
技能 系職種 の訓練 コー スに替 わ るも のとし て'
作機 械 メー カー の派遣 訓練月 が担う こと にな る。
間題 に対す る切実な関心 は'技術 の底辺を担 って
働者 が等し-共有 す るも のであ り、連合 は'連合
各 地 の職業訓練所 (
何度 か呼称 が変 わ って いるが)
な から ぬ数 みられ た のも この頃 であ る。
総研 と共同 で実態把握 に踏 み込 んだ。 だが こ の問
は'商 工業 デザイ ン' コンビ ユー
- タ' さら に近年
㈱新技術 への対応 限界 の条件
き た中小企業経営者 とそ こに働 -技術者 ・熟練労
題 への関心を踏ま え て職業 訓練 に対す る具体的 な
では r
介 護」 な ど の新 し い廟 種 の訓練 コー スを開
発して いる。r
これ'
・W時代 の変化 に対応 しよう とす
ここに露呈し た公共訓練機関 の限界 は'設備面
とり- みを進 める ことは、 万 お今後 の課題 とし て
残 され て いる。
朗
はず だ。し かし ここには、公務月 の採用 シ ステ ムと
う な シ ステ ムはさら に自然な か充 ち で実現 でき る
な-な い。ま たそ の変化 が急 激な ため い たとえ可
業内 で の技能 伝 承や対応能 力を超え るケー スが少
千) とを統合 し た訓練 は新 し い分野 であ-、 一企
切削加 工技術 (
機械) とプ ログ ラ ム制御技術 (
電
設備 面 で いえ ば'次 々と現 れ る新 型機械を揃 え
さら に指導員 の処遇問題 があ る。 地方自治体 の
いう より大きな問題 が障害 とtて横 たわ って いる。
と指導月 の両面 にわ たる。
だがそれ は、 リー スに切り かえれば解 決 でき る性
る ケー スもあ る。 こう し た場合'訓練を 「
外 部 化」
能 であ っても訓練 コス- が償却 でき ぬほど高 -な
る ことが予算 面 から むず かし か った ことがあ る。
は'管 理職 への転身 の条件 がほとんどな い。・
ふ-
職業訓練機関 に指導月 とし て採 用され た技術者 に
す るイ ンセ ンテ ィブ が働 - ことは当然 であ る。
指導日
月の問題 はもう 少し深刻 であ る。 工科系大
質 の問題 だ ったはず だ。
し て、 日 々変貌す る生産現場 の技術 と車 変 わ-'
公共職業訓練校 の指導員 たちは' い つま でも そ の
要 な新 し い技 術を自家開発す る能 力を発揮す る場
以上 は'あ-ま でも純制度的 な側面 に限 った議
-商 品化 し て社外 に販売す ると いう 展開 は' 一部
大企業 が中小企業 と異な る のは'当該企業 が必
ま指導 月 の職 に つ-者 には、生産現場 が主導す る
狭 い世界 に閉 じ込 められ てす ごす こととな る。
たち がそ こから来 てそ こ へ帰 る生産現場 の実相を
論 であ る。 公共職業訓練校 の技術系職種 の訓練 コ
㈱産業構造 再編 にともなう職種転換 や産業間移動
例外を除きも っぱら大企業 でみられた現象 であ る。
学 を卒 業 し ただけ で生産現場を直接経験しな いま
変 化 に技術的 に対応 できな いた け でな-' 訓練生
感覚的 に理解す る ことが できな い。 工業高校 の教
のではな い。 そ の背景 には'製造業 の比重 の低 下
ー スが裏返し た原因 は'決し てこれ にとどま るも
って いる。 この間題 は( わ が国 経済 の 「
文化的体
と いう ' わ が国 経済社会 の構造的 な変化 が横 たわ
の移動を強制す る。最近 では こう し た移動を 「
労
産業構造 の変動 は労働者 に職 種転換 や異産業 へ
働力 の 「
流動化」 は この前提を解体 Lt 長期 にわ
拓
合 でt.自家開発し た新技術を社内 で使う だけ でな ∼
-
い- ケー ス、 ま た教員志望 の大学生 に 一度 はメー
員 には' メー カー の就業 経験を経 て教員 にな って
生産現場 の技術革新 に対応し て訓練指導月 の再
カー就 職を勧 める指導も行う ケー スが見られ た。
働力流動化」 とし て積極的 に推進 しよ、
つとす る意
志 が広-働 いて いる。 か つて の 「
養 成 工」を典 型
とす る大企業 の企業内 の熟練形成 シ ステ ムは、対
を必然的 に低 下さ せる。新技術 に対応す る労働 力
象 とな る従業月 の長期勤続 を前 提 にし て いた。労
大企業 で系統的 に行 われ てき た企業内訓練もま
は'長期 にわた る企業内 訓練 (
再訓練) によ るよ
3 企業内訓練 の外部化
質」 と でも いう べき文 脈 のな か であら ためて検討
されなければならな い。
教育 が必要 とな るが'こ の再訓練 シ ステ ム自体 が'
生産 現場 から隔離 され た非効率なも のであ った。
雇 用促進事業団 の 「
職業訓練大学校」 に全国 の指
ス-面 でも対応 の機敏 さ にお いても'多 - の問題
た' 二 つの要 因 から 不 可 避 的 に転 換 期 を 迎 え て
いる. 7つは 、 同 1職種 におけ る技術変 化、もう
りも'外部 から調達す るも のとな る。 そ の場合'
導員 を集 めると いう 「
内部 型」再教育方法 は、
'コ
を学 ん で いる。各 訓練校 がそれぞれ の地元 の技術
1
1
っは産業構造 の変 化 にともなう 労働 力 の流動化
たる系統的 な訓練を従業月 に施すイ ンセ ンティブ
先進企業 と提携 し、 訓練指導員 の相互 派遣 を系統
圧力 であ る。
の側 にブ ラ ンク が出 る こともなく
多 - は世代交代 を とも なう 。
再教育 の設備
的 に進 めれば'遠 距離出張 さ せる ことも、 訓練校
州 同 一職種内 の技術電 化と技能 の陳腐 化 の速度 上
昇
・多様化 が進 ん で いる。勤務先 の魂 職 にかかわ る
以上 に加え て、労働者 の 「
学 習意欲」 の個別化
面を簡素化す る ことも でき たはず だ。 だが 「
官ト
労働者 が引き つづき同 一企業 に勤務 Lt向 1職
と 「
民」 と の虜 いだ の厚木障 壁 が、 こう し た.
合理
的 で柔軟な シ ステ ムの開発を拒 ん でき た。
技能 向上 にとどまらず '新 し い職業 への転換 を自
ら めざす場 合'あ る いは自発的 ではな いがそれを
種 にとどま る ことを前 提 とし た ケー スパ
「
背 景」 の③ にあげ た技術変化 は'中小
前節
余儀なく され て の場合も多 い。 「
自己啓発 」と 「
生
伽
経験者 から採 用し、 ま た訓練校 の指導月 にも民間
企業 のみならず 大企業 の生産現場 にも共通す る。
指導員を大学新卒者 ではな-民間企業 で の就業
企業 への転職 の道を系統的 に用意す れば'
前記 のよ
来像 であ る ことは疑いな い。自ら の職業能 力を向
立」 (
シ ンポ ジウ ム資料)そ のも のはヽ
.望 まし い将
う だと いう 調査結 果 があ る。
よう と努 力す るo中小企業 の話 ではな い。世界 に
そ の名 を知 られた基幹産業 の大企業 のな か でもそ
「
自立し た個人」の形成、 「
勤労者 の企業 から の自
涯学 習」 の用語 が これ に対応す る 々 し々 (
ドア教授 が壇 上 で示し たよう な) 「
資格」獲得 が膨大
。
な広 が-を みせ'各 種専修学校 は、就 職不安 に脅
おらず ' 「
大学」卒 業 ホワイー ・
カラー職 への 「
上
この エピソー ド は'教師、 母親' そし て労働者
昇」.
(
階層 移動)を子ども の幸 せと信じ て いる こと
自身'三者 とも ども 「
技能 労働」 に価値 を認 め て
いる冷厳な現実 であ る。この現実を放 置す るなら'
来 の理想 であ る以 上 に'多 - の労 働者 が直面し て
る労働者 自身 のな かで 「
技能 労働」 の 「
価値 」 が
を語 っ々 いる。 ほかなら ぬ技能 労働 の担 い手 であ
なも のであ る。 だがそれ は、望まし-前 進的 な未
労働者個 人を対象 とす る 「
自己啓発」給付金 の利
不完全を がら雇 用安定装 置 とし て機能 し てき た戟
崩 壊 し て いると いう 事実 は、 日本 の「モノづ-り」
上 さ せよう とす る労働者 の意欲も 正当 か つ前 進的
凧度 も高 い。
の コス寸負 担を労働者 個 々人 が負 わなけ ればなら
後 月本的企業 内雇 用慣行を解体 Lt職業能 力形成
いる。労働省 の雇 用保 険事業 のな か でただひと つ
外部 化 された ∴訓練」 の コスー負 担
だが'企業内 訓練 の 「
外部化」 と い っても、 そ
の将来 を考え るとき、憤然 とす る事態 ではな いか。
え る大学 生 を含 む生徒 を集 めて昼夜盛況 を みせて
の 「
外部」 に有効 な受け 皿が整備 され て いるとは
な いシ ステ ム」企業側 は これま で の訓練 コス-負
㈱
いえな い。 公共職業 訓練機関 の機能 が不十分 であ
担を 1万的 に免 れう る シ ステ ムが生 み出 される こ
と にな るだろう 。
ではな-、高校 ・
大学 の技術系教育 の問題 であ る。
工芸品な ど稀少財生産 のことで はな い。産業 の中
るr
l
Jとはす でに触 れ た. 民間経営 の各 種学校'専
4、「
高学歴」時代の到来とその結果
核 とな る製造業 の問題 であ り'職人技 の徒弟修業
修学校'通信教育 は授業料 が安 -な い上'事葡系
職種 が大半 で' 設備 や指導員養 成 に コス- がかか
があ った 。 それは'義 務教育 を終え たば かり の年
「
高校全 入」 と いう ス ロー ガ ンが活き て いた時代
㈱製造業 の地位低 下
齢 で子 どもを 大 人 の世界 へ送り出 q
u
11
なけ ればなら
州 「
技 能」 の価値崩壊
2の
る技能 系職種 は不十 分 であ る。もう ひと つの問題
「
学歴格差」の意 味を 「
所得格差」から 「
能力 (
読
未来 にかけ た希 望 だ った。高度 経済成長 は捻じ て
の② であげ た 「
高学歴」現象 が、
は' そ のよ- な外部訓練 の結果獲得 され た技能 に
ついて'社会的 な評価 基準 が確 立 され ておらず '
と いう親 や教師 たち の'そし て子 ども たち自身 の'
ない 「
貧困」 から の脱却' 「せめて高校 -ら いは」
を引率 し て行 った教師 が'汗 と油 にま みれ て働 -
この 「
貧困」 を解 消し'高校進学 を経済的 な事情
であきら めなけ ればならな いことはな-な った。
」
各種 「
資格」 も賃金 や処遇 とリ ンクし て いな いこ
エピソードを 一づ 。学校 の 「工場見学」 に生徒
験 の点数)格差」 へ変 え た ことはす でに触 れ た。
価 「背景
と であ る。 これ は' 職能 別横断労働市場 が未形成
連合 は教育 政策 の検討 にあ た って' 流行語 とも
し て大学 に入らな いとあ んな仕事 をす る こと にな
労働者 を前 にし て生徒 たち に い ったと いう 。「
勉強
であ る こと の結果 であ る。
ンを ひとまず 棚上げ にし た。 そ の理由 は、 就 職後
大学進学 も これを追 った。
いう べき 「
生涯学 習社会 の形成」 と い、
丁ス ロー ガ
た ことは当然 であ る。 だが、彼 の家 では母親 が子
ります よ」。これを耳 にし た労働者 が怒 り に駆られ
ども に同じ ことを い って いる。「
勉強し て大学 に行
とも いう べき)上昇 は、
先 の エピソード から検出 さ
一九 七〇年前 後を境 とし た大学進学率 の (
異常
で落 ち こぼれ るかも しれな い 「
生涯 ﹃
学習競争 ﹄
も 「
学習」 を つづけ、資格 を とらなけ れば企業内
社会」像 が容易 に思 い浮 か ぶから であり、中高年
遍的」(
平等 !)に覆 った こと'し たが ってま た「
受
= 「幸 せ」と いう 共通 の価値観 が全社会階層 を 「普
」
層 にはそ の 「
競争 」 が 「
雇 用不安」 にさえ直結 し
を さ せた-な いと思 い、塾 ・予備校 の費 用' さら
かな いとお父ち ゃん みた いになります よJ
..そし て
当 の労働者 自身 、 子 ども に自分 と同 じよう な仕事
験競争」 が同世代 の生徒 たち に共通 のも のにな っ
れ る 「いい大学」1 「いい会社」- 「いい生活
う るから であ る。 し かも そ の 「
学 習」 の費 用負 担
には大学 の費 用を潤沢 七は いえ ぬ収入 から 工面し
が労働者本 人 に課 されるよう な シ ステ ムを、労働
組合 とし ては到底容認す るわけ には いかな い。
甜
た ことを意 味す る。 そ こに二 つの特徴 があ る。 1
つは'同じ 「
高校」 のな か で 「
普 通科」 「
職業科」
う か- それ は 「
大学卒 」
・の肩書 が高 収入 ・安定
る子 ども の将来 の 「
幸 せ」 を約束 し て いる のだろ
論 が直面し た課題 であ った。
アから質問 が出 た この間題 は'連合 の教育政策議
す る方向 をを めざす こと であ る。もう 一つは' こ
「
大学教育 の大衆化」現象 に対し て' 二 つの評価
の「
大衆化」現象 を積極的 に肯定 Ltあ る いは不 可
と選択 があ る。 一つは この事態を異常 と みなし'
避 の過程とし て受け入れ、「
大学」の位置付けを 「
国
雇 用を約束す るか、と いい直し ても いいLt「
大学
民教育」 レベ ルに いわば ″
格 下げ″Lt 「
研究」と
が中 学 の学 力 で振 り 分 け ら れ る よう にな った こ
大学 の入学定 員 が第 二次 ベビーブー ム時 の臨時
結合し た本来 の「
高等教育」は「
大学院」に求 める こ
と。もう 一つは' 同じ 「
大学」のな か で 「
理 工系」
入学年齢 の稔 人 口が着実 に減少し て いるな か'大
拡大を そ のまま維持 され'他方 「
少子化」 で新 規
と であ る。大学数月 の多 - は、後者 の方向 で「
改革」
「
大学」 が大学足 る にふさわし い教育水準を回復
工系離 れLt大学生 の「
製造業離 れ」が話 題を呼 ん で
職'端的 には「
金融 ・
保険」を意 味す る。
受 験生 の「
理
学進学率 が急速 に上昇し ており' このまま推移す
を考え て いるよう であ る。連合 の教育改革議論 で
教育」 がそ の価値 を維持す る/
か' と い っても いい
す でに十年 がす ぎ'「
元気 の出 る製 造 業」と いう 通
同 一世代 のな か で本来 の 「
大学 の学 問」 を志す
れば 「
大学全 入」 と で.
も いう べき事態 が生 まれ か
ねな い勢 いであ る。
問題 であ る。
産省
/筋 のス ロー ガ ンも い つし か色あ せた。
高卒 就職 ではな-大学 へ' そ のため には職業科
は'反対 に前者 の方向を模索 し たが' そ の具体策
の比重 が低 下し た こと であ る。「いい会社」とは'製
ではな-普 通高校 へ'大学 を出 たち製造業 ではな
「
勉 強好 き」 な者 の比率 が時代 によ ってさし て変
力」す ら身 に つけ ぬまま入学 し て- る学生を相手
学」す る ことを意 味す る。事実'高校 程度 の 「
学
職種 への労働力供給 が 「
大卒」 でな- てほならな
担 の検討を必要 とす る。 以前 なら「
高卒」で足り た
と考え るにせよ)
、 そ のため の 「
教育 コス-」の負
.
後者 の方向 を選 ぶことは (
「
選択」以前 の現実 だ
に、補習授業 を行 って いる (
あ る いは行う 必要 に
のよう に「
合理的」に配分す る のか'ま た 「
学部」
昇 であり、 この コス-負担を企業 ・
家計 ・
政府 でど
造業 職よりも賃金 が高 -見 て- れ の いい非製造業
- できれば金 融 ・保険業 へt と いう 画 一的 な 「
将
の学 問」を積極的 には意志しな い集 団 が大量 に「
入
わ るはず もなく 進学率 の上昇 は、本来 「
大学 で
に ついては合意を みるに至 って いな い。
の現実を貫 いて いる。 そ の 「
将来」 に 「
幸 せ」 を
来像」 が(今 や (
事 実上) 実現 し た 「
高校全 入」
と金融 ・保険業 の間 に典 型的 に見られる産業部 門
予感 させる現実的 な条件 があ る。 それは'製造業
み出す はず だが' そう はな って いな い。 そ の結果
迫 られ て いる) 「
大学」も少な-な い。 「
卒業資格 」
認定 の基準 が維持 され て いれば大量 の中退者 を生
段階 の荒廃 を放置し て 「
大学院」 だけ が正常 な機
いと いう のは' 明ら かに教育 コス- の社会的な上
るほど小さ い。結果、企業 経営者 は 「
同じ採 るな
間 の賃金 ・労働条件 の巨大な格差 であ る。他方'
わ が国企業 の学歴間賃金格差 は世界 でも まれ にみ
ら ﹃
大卒﹄を」 と いう 選択をす る ことを ためらわ
「
高卒 」 が占 め て いた職種 が 「
大卒」 に取 って替
な い。大衆消費財 の営業 マンのよう に' か つては
前者 の方向 をとる 1つの方法 は' 「
大学進学」を
一部 の勉学意欲をも つ.
者 だけ に 「
制 限」す る こと
能 を果 たせるも のだろう か、回答 を迫られる。
であ る。 そ の他 の者 を 「
受験競争 」 から解放し、
と いう 事態 が生 まれる。 それは'教育
卒
「
高卒」資格 で就業す る道 を用意す る こと であ る。
と いう ことは いかにし て可能 な のか。もう 一つの
″
の「
質 の低 下」 と いう より 「
荒廃」 と いう べき か
だが、 い ったん上昇し た 「
進学率」を引き下げ る
い った いこの極端な 一
「
高等教育 の大衆化」 現象
方法 は'大学 入学者 の増加をそ のまま に'卒業認
水準
わられ た。 いいかえれば' 同じ職種 でも大学 を出
もしれな い。 それ は 「
大学」教育 の意義 とあ-方
をあ ら ため て問 い直す はず の問題 であ る。
では、技能 や生産労働 の価値崩壊 と製造業 の地
を ど のよう に評価す べき,
か。 シ ンポ ジウ ムで フ ロ
」
て いなけ れば就けな-な った。 それ は労働市場 に
㈱ 二 つの選択肢
は必然的 に大学教育 の質 の低下' 「
大卒」労働者 の
価値低 下をも たらす。 ″
今の 「
大卒 」か つて の 「高
㈱ 「
大学全 入」
-
おけ る 「
高卒」 の価値低 下を意 味す 9. だが 「
大
卒」 の価値 だけ は変 わらな いのだろう か-
位低 下を背 景 にす る大学進学 は'親 たち が期待す
67
とるだろう か。 ま た'中退者 には中退者 に対応し
る私立大学 の 「
経営」 の論 理 は' そ- し た方向を
退者 を生 み出す ことを意 味す る。 だが'授業料 の
他'多 額 の受験料 ・入学金 ・寄付金 に依存 し て い
定を 厳 し-す る こと であ る。 それ は大量 の大学中
てき た中 堅企業も含 めて' この過当競争 メカ ニズ
な地位 を占 める巨大企業も高度 な技術力を集 積し
カ ニズ ムが働 いて いる。製造業 の特徴 は、世界的
の問題 ではな い。運輸業 や印刷業な ど でも似 たメ
件 を低位 に抑 さえ てき た。 これ は実 は製造業 だけ
造業 におけ る賃金 ・労働時間な ど基本的な労働条
よ りも 「
生産」 を優位 に置 いたも のだ った のか。
大量廃棄) と いう シ ステ ムは'果 たし て 「
消費」
済」 の つ-りあげ た大量生産 ・大量消費 (
そし て .
を疑 ってみなけ ればならな い。戟後 「
高度 成 長 経
産業)」が優先 され て 「
消費」側 が軽視 され てき た 紺
と いう 批判 がしばし ば語 られ る。 だが この「
常識 」
不均衡 は、為替 レ1- によ って 「
調整」 され た。
あり、貿易収支 の不均衡 だ った。 この貿易収支 の
代以来 いちじ るし-な った 「
貿易摩 擦」 の拡大 で
を世界市場 へ押 し出 し た。結果生 じ た のが七〇年
ず は国内市場 で全 面的 に発動 さ せ' ついで' それ
わ が国 製造業 は' この過当競争 メカ ニズ ムをま
このシ ステ ムのな か で' 「
生産」は 「
消費 (
実 は浪
七さえ みなし てき た のが 「
高度成 長経済」だ った。
費を 「
消費」と呼 び 「
生活向上」だと考 、
え' 「
美徳
に支えられ て いる ことを示すも のだ。 そう し た浪
この国 の経済 が明ら か に膨大な浪費を産 み' それ
日本 でこう し た現象 が無 限定 に拡大し た ことは、
みよう 。原材料も エネ ルギー資源も乏し いはず の
え る家電製 品 が無造作 に道端 に捨 てられ る風景を
そう ではな か ったt と いう べき だろう 。 ま だ使
た社会的な評価 とそれを受け入れ る社会的条件 を
たえざる コス-ダ ウ ンによ って 「
競争 力」 を回復
わ が国 企業 の 「
競争 力」至上主義 的 な行動様式 は'
費)」 に従属 さ せられ て い った のであ るO 「
生 産」
ムが自己運動化 し てき た こと であ る。
Ltさら に次 の貿易不均衡 と為替 レ1- の調整 (
円
用意 しなけ ればならな い。 それ は いかにし て可能
差」 に ついて の言及 が欠け て い美 ことをド- ア教
授 から指摘 され た。発言時間 の制 約 から省略し た
高) を招き寄 せた。昨今 の 「
産業空洞化」 は'こ・
の
の優位 ではなく 「
消費 (
実 は浪費)」 が優位 に立
ってき た のだと いわなけ ればならな い。
か。連合 の教育 政策 の検討作業 は' これら の難問
のだが'重要 な論点 な ので補足的 に追加し てお-0
㈱ 「
浪費体質」経済 のな か の 「
生産」 と 「
労働」
シ ンポ ジウ ムの席上 で の発言 に対 し て'「
賃金格
伸 過当競争 と賃金格差
5 「生産労働」の地位低下の合意
に直面し た。
事 はわ が国 の産業構造 や' ひ いては経済 文化 の問
て いる。それ は'明治 の「
殖産 興業」から敗戟以来 の
悪無 限的な循環 が ついに限界 に達 し た ことを教 え
後も この傾向 は'変 わらな いど ころ かむしろ強ま
石油危機 を契機 とし て成 長率 が下方屈折し て以
」
題 に関連す る。
「
産業 立国」を貫 いてき た日本 の国 民経済 の将来展
大企業 の製造業生産労働者 と金 融保 険業労働者
と の月例賃金 を三十 五歳あ たり で比較 し てみると
モデ ル ・チ ェンジ の速度 は高 まり'新製 品市場 で
った。電 子機 器や乗 用車 な ど民生 用耐久消費材 の
の競争 が基本性能 とは無 縁な機能多様化 を過熟 さ
㈱戦後 日本 の 「
生産 」 と 「
消費」
「
技能 労働」の価値崩壊、 「
製造業」の社会的 地位
望 そ のも のに'歴史的な転換 を迫 るも のであ る。
の低 下をも たらし た原因'技能 の担 い手 たる労働
およそ二倍 程度 ' 一時金 を含 めた年間総賃金 では
格差 が、過剰 な 「
大学」志向 と 「
製造業離 れ」 を
ニズ ムに組 み込まれ た ことは' それ に至 る中間 製
せて い った。 「川下」の最 終製 品 が 「
浪費 」のメカ
三倍-ら いの差 があ る。 こう し た (
産業間)賃金
導 いて いる要因 であ る ことは いう ま でもな い。親
てしま った原因 の 一つが'前記 のよう な賃金 を含
品、さら にはそ の「川上」の素 材 生 産 ま で 一貫 し て
者 自身 が 「
技能 労働」 に価値 を認 められな-な っ
同じ メカ ニズ ムに組 み込まれ た ことを意 味す る。
の立場 から子 ども の 「
将来」 を考え れば' ホワイ
む処遇 の低 さ にあ る ことは確 かだ。 だがそれ は、
ー カラー ・サ ラリー マンに比 べて明ら かにき つい
原因 であ る以上 に' わ が国社会 の 「
労働」観 がも
ー だけ ではな-' それら製 品を 「
生産
」
す る人間
重要 な のは'浪費 され た のが原材料 や エネ ルギ
労働 と低 い賃金 とを 「
望 まし い」 とは思 いに- い
か つて の高度成長経済 を評し てへ 「
生産 (
経済 ・
たらし た結果 ではな か っただろう か。
に決ま って いる。
こう し た労働条 件 の格差 の背景 には、 わ が国製
造業 の過当競争 体質 があ る。 この過当競争 が、製
であ る。製 品 が次 々と大量 に「
消費」 (
販売 ・
購 入)
活動'す なわち労働 も同時 に浪費 され てき た こと
も、 大 いな る無 駄な のだt と いう 観点 から改革 を
立す る上 でも' さら には 「
学 問」 の発 展 のために
も' 「
労働」に対す る社会的評価 と人間的意 味を確
の人間 の多 様 な能 力 や 可能 性 を 開 花 さ せ る上 で
は'若者 にもま た働 きやす いも ののはず であり'
職場 を考え ても、高齢者 に働 きやす い労働環境
要 とされ る領域 であ る。
よう に語 られ る 「
世代間 の連帯
が'実践的 に必
され るため には' 次 々と大量 に廃棄 されなけ れば
そう し た 「
働 き やす さ」を実現す る ことは' いず
れ歳を重 ね て い-若者 たち に' 壮健 な高齢期を約
」
ならな い。す なわち'あ る程度 以上 の 「
耐久 性」
構想す る こと にな る のではな いだろう か。
難関 を越え る条件 でもあ る。
高齢社会」 の鍵 であり、社会保障 が直面し て いる
束す るだろう 。 「
健康寿命」の延長 こそ 「
活 力あ る
② 環境問題
予定枚数を大幅 に超 え た。最後 に、現代 と いう
6 展望と提案
はも たず '早 - 「
壊 れ に回 る」製 品 が要求 され る
こと にな る。 「
壊 れ」にまわ った製 品 は' 回収 され
修 理され てふたたび使 用 に供 される ことな-、廃
業教育」 に ついて労働組合 が引き受け る べき課題
時代 が季 む新 し い可能 性を考 、
えへ「
学校教育」と「
職
抜本的な転換 に入 った。それ は'工業 だけ でな-'
棄 され' 次な る新 し い製 品 にそ の位 置を譲 る こと
を念 頭 におきな がら、 い- つか提案を出 し て締 め
くくり とし た い。
農林業 や漁業 ・
水産 業な どを含 め'衣食住 「
生活」
が望 まし い。
㈹現代 の率 む 可能性
のあら ゆる分野を革新す る動き とな って広 がらざ
よ いモノよりもな る べ-早目 に壊 れ に回 る モノを
はそれ だけ で 「
生
るをえな い。中国 はじ めアジア諸国 の経済成長 は'
」
つ- る ことを求 められる ことにな る。こう したメカ
人 口構成 の高齢化 に対応し て'労働力構成も消
たテー マにし て いる。省 エネ ルギーや環境 の分野
酸 性 雨 が端的 に示す とおり この問題を国 境を越え
そ の価値 自体 が低 められ て いる。 ほん の少し修 理
られな い動き であ る。
費生活 の構造 も中高年 の比重を高 める ことは避け
「
大量生産 ・大量消費 ・大量廃棄」 のシ ステ ムは、
ニズ ムに組 み込まれ た 「
技術
① 高 齢化 社 会
これを 「
生産」す る労働 に ついてみれば'よ-
産活動」 の人間的意 味を否定 され て いる。 そし て
られ る姿 は' それを設計 し た技術 と生産し た労働
す れば十分 に使 え るはず の家電製 品 が道端 に捨 て
モノ の 「
無 駄遣 い」 や 「
使 い捨 て」 に対す る批
そ むけ さ せる光景 であ る。
う。 それ は、当 のモノ の生産 に携 わ った者 の目を
活 の構 造 も 高 齢 化 に対 応 し な け れ ば な ら な - な
の新 たな技術開発 を不 可避 のも のとす る。 消費生
け でな-'生産 工程や労働環境 の改革 とそ のため
ため の訓練 と再訓練 ・再教育 の分野を拡大す むだ
性を高 めざるをえな い。 これ は、技能 の再生産 の
中高年労働者 の活動分野を拡大す る必要性と 可能
性を兄 い出 せるLtす でに兄 い出 し つつあ る。
企業活動もま た、 この方向 のな か であら たな可能
ルの 「
国 際化
ョン」 の荒波 に対応す るもう 一つの 「
生活」 レベ
巷間 かま びす し-語 られ る 「メガ ・コンペティシ
き るLtLなけ れば 日本 が困 る段階を迎え て いる。
で の日本 の経験 は'功 罪併 せて国際的 に教訓化 で
判 は いろ いろ に語 られ て いるが' それを 「
労働」
そ のも のの浪費、 いいかえれば 「
生産活動」 の人
る。 それ は、 これま で の消費 財 の質 やそ の供給構
労働 力構成 の高年齢化 (
若年労働力 の不足)は'
間的意 味 外否定 とし て捉 え る立場 は、 モノ自体 や
造 を変 え るだけ でな-、医療 ・保健 ・介護 ・住宅
が みじ め に使 い捨 てら れ た姿 でな - て何 であ ろ
環境 への配慮 ほどには語 られ て こな か ったよう に
だと思う。 それを 「
教育」 に引き つけ て いえば、
を組 み替え る方向 を提起す る こと に置 かれる べき
交差 さ せる分野 であ り'社会保障 で決まり文句 の
若者 と高齢者 とがそ の能 力 や経験、感 性 や志向を
これら高齢化 が呼 び寄 せる新 たな活動分野 は'
がう 「
働 き かた」 をもち込 ん でき た. さら に最近
は主 力 であり' わ が国 の労働 世界 にか つてとはち
ム労働 や派遣労働 な ど'非 正規雇 用 の分野 で女 子
いて男子 とは明らか にち が って いる。 パー- タイ
女子 の労働力率 の上昇 は' そ の労働 力構成 にお
③ 女性 の 「
社会 進出 」
を追求す る条件 が生 まれ て いる。
思 われる。労働運動 が示す 独自性 は' この立場 に
な ど の分野 の活動領域を拡大 さ せる。
」
立 って将来 の 「
生 産」 と 「
消費」 のシ ステ ム全体
今 日 のよう な異常 な 「
大学進学」 が' 一人 ひとり
甜
る のかどう か' これ は男女を超え た 「
労働」 の本
価値 ・同 一労働」 の原則 をわ が国社会 は体現 でき
は原則 とし てな いことが実証 され つつあ る。「
同一
る。 男 に出来 て女 に出来 な い庄 事な どと いう も の
建設、製造業 な ど の職場 にも女 子 が登場 し っつあ
職場 と みなされ てき た分野' たとえば交通運輸'
では'事務系 ・サー ビ ス系 分野 だけ でなく
人間 とし て社会生活 を営 ん で い- ために必要 な素
ればならな い性質 のも のだ。 それよりも、 1個 の
よ 「
学 校」 よ りも 「
職場」 で身 に つけ て いかなけ
仕事 は多 い。実務上 の知識 や技能 は、 いず れ にせ
高校卒業 程度 の学力を身 に つけ て いれ ば でき る
①高校卒 で「
社会 人」とし て遇す る社会的 シ ステ ム
ささや かなも のであ る。
う 。実現 には多 - の問題 があ るだろう が、内容 は
-ら べては っきり と後退し てき た分野 であ る。
の報道 や出 版 が求 められ る。これは'戦後 一時 期 に
ラー ・
サイ エンス」と「
産業経済」とを結合し た分野
ジ ャーナ リズ ムには' 「
生活 の知恵」と 「
ポピ ュ
のな か で教科編成 に組 み込 む こと が必要 であ る。
「工場見学」な どは、 「
社会科」と 「
理科」の連携
に自分 が携 わ るかどう か の職業選択 は別 の問題)0
過程 に対す る理解 を獲得 し'製造 にあ たる職業 へ 符
の理解 を助け るはず であ る (
そう し た製造 の仕事
男の
質的 な テー マとし て二十 一世紀 に向け て投げ かけ
③ 熟練 形成 のため の技能教育
高校卒 業後 さら に実践的 な技能 を磨 こ- とす る
とし て世 に出 て い- ため の準備 とし て全 面的 に見
者 のため の訓練 (
再 訓練)機関を、 公共 ・民間を
養 と いう も のが重要 であ る。高校教育 を 「
社会 人」
け て個 々人 の興味や適性 に応 じ た多様 な科目選択
直す。 このな かには当然'卒業後 の職業選択 にむ
める べき だろう 。必要 な のは 一人 ひとり の 「
自分
の視点」であ る。 そ の上 で' 一人 ひとり の 「
個性」
られ て いる。 「
女性 の視点」な どと いう いい方もや
と いう意 味 で の 「
男らしさ」 「
女らし さ」を お互 い
認識 は' 「
社会科 」の教科書的知識 ではなく 生 き
に ついて の基本的な知識を教 え る。労働法 の基本
通産 のほか、医療 ・福 祉分野なら厚生'農林業 な
社会的責任 であ る。 このため には、 文部 ・労働 ・
の拡充 に対 し て応分 の協力をす る ことは、企業 の
含 め て充実す る。 自社 で の訓練 に代 わ る外部訓練
て構想す る こと'逆 に 「
家族」 の観点 から (
男と
て い- ために必要な実践的知識 とし て教 えられな
け ればならな い。
この社会横断的技能 評価 を、資格別横断賃率 の形
会横断的な技能 評価を確 立す る ことが望 まれる。
ま た'雇 用関係 に入 ったとき の権利 ・義 務関係
ができ るよう にす る ことを含 む。
、
に確 認し つ-り上げ て い- ことが可能 とな る。
女 の) の働 き かたを構想す る こと、 それ は労働運
こう し た改革 のため には'現在 の 「
受験競争」
日本 では未成熟 な この分野 の仕事 を引 き受け るた
成 に結 び つけ る ことは'労働組合 の仕事 であ る。
の問題を労働 =働 き かたに即し
動自身 のテー マであ るはず だ。
から高校教育 を解放す る ことが前 提条件 であ る。
」
ば' 「
困難」と見 え るも のも'新 し い可能 性 に転じ
企業 は 「
大卒 」 偏重を改 め'高校卒 の成績優秀者
今後 の 「
家族
る こと ができ る。 二十 一世紀 の社会 に向け た可能
え る ことを求 められる。 二十 一世紀 とはそう し た
も せず に望 まし い未来 がひとり でにや って- るわ
けもな い。
と 「
理科」 とを結合し'使う 立場 から最低 限必要
し いほど貧 困 であ る。学校教育 の 「
技 術家庭 科」
が、 それ ら に対す る ユーザー とし て の知識 は恐ろ
な ど高度技術 の集積 し た製 品 に取-囲まれ て いる
の間 にあ る巨大なギ ャ ップを解消す る ことであ る。
り で大学 に進 む のと就業後自費 で進学す る ことと
立 った社会 人 の進学条件を拡大す る。今 日'親掛 か
高卒 後 の就業 を つう じ て大学 で学 びた いと思 い
④ 「
社会 人教育=生涯学 習」 とし て の大学教育
め には'労働組合組織 が企業別組合 の枠組 みを超
ら農水各 行政 にま たがる系統的 な対応 により'社
性 とし て前向 き に捉 え る ことが でき る。も ちろん'
を積極的 に採用し、適 正 に処遇す る ことを求 めら
れ る。
時代 ではな いだろう か。
これ ま で の常 識 や 固定 観 念 を 振 - 払 って みれ
ス- のかかるも のであ -'摩 擦 や利害対 立を畢 む
これま で の常 識 や固定観念を振-払う 過程 は' コ
② 生活的技術 の教育
㈱ ささやかな提案
な知識を教 え る。 それ はま た、 それら製 品 の製造
現代 の生活 は、家電製 品や合成洗剤 ・各 種薬剤
も のであ り'大げ さ に いえば 「
血を流す」 過程 で
以上 の議論 を踏ま、
え' 「
学校教育」と「
職業教育」
あ る。 そ こに 「
運動」 の課題も ま た存在す る。何
と いう テー マに即し て い- つか提案 を出 し てみよ
う こと ではな いか。 それを引 き起 こし て いる・
のが'グ ロー バリ ゼー シ ョンであ り'情 報化
いかと患▲
う.
■
であ り'技術進歩 の激し さと いう こと ではな
数年前 に読 ん だも のに' ﹃
グ ロー バ ル・エコ
ノ、
、
j
ト ・ア ンド ・プ ロピ ンシ ャル ・ポ リ テ ィ
二 日間 の話 を聞 か せ
マとし て追 い続 け て いる 「
福 祉経済社会」 シ
であ る。す なわち、 われわれ の研究所 がテー
ふ- にバラ ンスさ せて い- のかt と い- こと
考 えよう とし て いる福 祉 経済社会 の建 設 に向
受 け た。連合捻 研 とし ても'今後'我 々が今'
化) と いう 記事 があ り' これ は非常 に感 銘 を
勤労者のための
福祉経済社会の建設を
て頂 いて率直 に感 じ た
ステ ム構築 と の関係 であ る。
ック ス﹄ (
経済 のグ ロー バ ル化 と政 治 の地 域
こと は'教育 問題 はや
で非常 に大変 な 問題 であ る。 し たが って' ボ
問題 は変 わらな い。教育 問題 はそう いう 意 味
社会 を変 えず し て教育
ると いう こと であ る。
き っちり考 え て い-必要 があ る のではな いか
スを つけ た上 で'福 祉経済社会 と いう も のを
的 な価値 をも ち込 ん で'効率 と公 正 のバラ ン
はう ま-働 かな い。 し た が って'市 場 に社会
社会 は外部 性 があ って、 そも そも市場機構
立ち た いと思 って いる次第 であ る。
ことを勉 強し て'勤労者 のため に何 かi
q役 に
ら れな い間 はどう いう 政策 で い- のかと いう
造 は何 な のか' それを どう 変 え る のか'変 え
最後 に'遠方 から ご出席 を 頂 いたド- ア先
野先 生 から ご指摘 を頂 いたよう に' 現在 の構
イ ン- にな って- る のは' 社会 には必ず 選択
と いう こと であ る。
は、 日本 は変 え る つも り があ る のかと いう 問
ま た'・後援を 頂 いた文部省へ 労働 省、 日経
市 川先 生 や天野先 生 及 び守 のほか の研究 に参
加 し て頂 いた先 生 に深 -感 謝す る。
る。 それ から私 ども の研究 のため に二年間'
だと思、
つ。 競争 と選択 を ど の段階 で我 々は導
入し て い- のか。 そ こには'当然格差 と いう
いがあ った。結 局'変 え る つも - にな る のか
連'経団連'日教組 及 び毎 日新 聞社 の皆様 方'
生 と カ ミ ング ス先 生 に厚 - 御 礼 を 申 し 上 げ
も のが出 て- るわけ だから' そ の格差 を どう
は非常 に制度 疲労 と いう か'閉 塞感 に襲 われ
ならな いのかと いう のは' や はり今' 日本 で
協 賛を 頂 いた教育 文化協会 に厚 -御礼 を申 し
ただ' 問題 は、 今 つ-ら れ て いる制度 を ど
いう 社会 的価値 に基 づ いて容 認し て い- ので
て いて'あ る意 味 で日本社会全体 が進 む べき
上げ る。
う いう 形 で変 え て い- のか。 ド- ア先 生 から
あ ろう か' と いう のが我 々に与 えら れ たテー
方向 を見失 って いる こととかかわ って- る。
マではな かろう かt と感 じ て いる。
そ こで我 々が考 え た のは' 経済 と社会' し
将来 に対す る不 安 が非常 に高 ま って いると い
ず 選択す る、 選択 が不 可避 であ ると いう こと
があ ると いう こと であ る。 ど こか の段階 で必
け て' そう し た考えを ま とめると同時 に'矢
はり社会 を反映し て い
連合総研所長
た が って効率 と連帯 とし て の公 正を どう いう
7
1
世
栗林
生涯学習/
「しご と」社会の構 築 をめ ざ して
1
9
9
6
年1
2月2
5日
編集
財 団法人
連合総合生活 開発研究所
所長
栗林
世
〒1
0
2 東京都千代 田区飯 田橋 1- 3- 2
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調査報告]阪神 ・淡路大震災とボランティア
●連合総研編
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略
市民自治の地方政府づくり
●(
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地方自治総合研究所編
地方 分権推進委員会 の分権 作業 を追跡 ・
評価 し て、基本
的 論点 を総ざ ら いLt そ の市 民原則 の徹 底 化を提言
連
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新しい社会セクターの
可能性
NPOと労働
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