こんにちは、ワタナベ薫です。 この度は、拙著「探すのをやめた瞬間、“運命の人”はやってくる!」をご購入下さいまして、誠にありが とうございます。 この特典 PDF では、「幻書」としまして、都合により本には掲載されなかったコンテンツの一部を公開し ています。 ・主張しない美しさは最も美しい(第一章より) ・出会いは必然である(第二章より) ・ものわかりのいい女にならなくていい(第四章より) ・愛する人の夢を応援すると必ず戻ってくる(第四章より) お楽しみ頂ければ幸いです。 【 主張しない美しさは最も美しい 】 女性には、本来誰にでも美意識というのがあります。しかし、本当の美しさは、外見に表れるもの以上に、 主張しなくても人としての元来の美しさがにじみ出るとき、というのがあります。 それは、本能的に生きているとき、素の自分、自然体の自分の時です。そしてそれはどういう時に表れ るかというと、何かに一生懸命打ち込んでいるときなのです。道端に咲いている何気ない花。車の排気ガ スにも負けず、雨風にも負けず、もしかしたら、誰からも注目されることなく、主張することもなく、アピール することもなく、ただそこに静かに咲いている。 でもそれに気づいた人には、癒しや、喜びを感じさせるものがあるのです。これを人に当てはめて言うと、 「素」の状態であり、自然体であること。そして、その力の入っていないリラックスした物腰からは、凜とした オーラや、人としてのオーラが感じられるものということになります。作られた美しさではない分、透明感や 自然体の美しさ、もしくは形容しがたい、人のオーラが現れているような、そんな美しさを感じるものです。 たとえば、もしかしたら、あなたは会社で誰にも頼まれることなく、事務所の中のそうじやごみを拾ったり、 または頼まれてはいないけど、時々花を買ってきて飾っていたとします。それは誰かに認められたいから、 とか感謝されたいからとかではなく、きれいなほうが気持ちがいいから、という自然な気持ちでやっていた とします。 しかし、そうした自然なことをやっているあなたを見たときに、その姿に美しさを感じる人がいるのです。 それと同じく、公園のゴミ箱の近くに落ちている缶を、通りすがりの人が頼まれもしていないのに、ゴミ箱に 入れる姿を見たときに、それだけでさわやかさを感じるのではないでしょうか? そういう自然の姿の事で す。 随分前になりますが、他県でのセミナーの時、宿泊先が温泉宿でした。朝夕の食事は、大広間。そこで いろんな人が否が応でも目に入ってくるのですが、夫がポツリと言いました。「すっごい主張している女性 がいる」と。 なんのこと? と思いながらも、人間ウォッチングが趣味の私は心で騒ぎながら、顔は平静を装い、巧み にその女性を観察しました。「私ってキレイでしょう?」と体全体からまぶしいくらいに発していた女性でし た。 言葉では何も発していないのに、体のどこか一部から発している美しさではなく、すべてから、そう、そ の人の態度、姿勢、目線、振る舞い、すべてから美しさを主張しているのです。無意識レベルでの主張で はなく、ご自身でも意識しているように見えました。 携帯と自分の髪の毛をいじりながらの食事。バックはブランド物。そして、バックの中から次から次へと 出てくる小物たち、財布、シガレットケース、システム手帳…… それらは、統一感のないブランド物の嵐。 これは好みの問題でしょうが、美しさをただ存在させている、本物の美しさとは違って、どうしても威圧的な 感じと、品性が感じられないように見えたのでした。 しかし、私はその瞬間、その横にいた女性に目が釘付けになりました。その隣りには「美しさを主張させ ていないのに美しい」女性がいたのです。どこのブランドかは一目ではわからないですが、上質な皮を使 った作りのしっかりしたベージュのバック。化粧はしているのかいないのかよくわからないほどの薄化粧。 そして、透明感のあるお肌と、品のいいピンクベージュの艶感のある唇。 おでこも上げ、髪を一つにキュッ! と結び、黒いタートルというシンプルな服装でしたが、キラリと光る一 つ粒のピアスとダイヤのネックレスが輝いていて上品! 特別目鼻立ちは整っていたわけではありません が、ほどよく微笑んでいるその口角が、その人の美しさをもっともっと底上げしているかのようでした。 この主張しない美しさといのは、人としての品格が感じられ、やはりそこには、魅力を感じるものです。 「私!私!」とあまりにも自己主張が強すぎると、下品なイメージさえ漂わせてしまいますが、主張させない 美しさには美学があり、人はそこに言葉では言い表せない魅力を感じるものなのです。 外側をゴテゴテと飾るだけが美しさではありません。あなた本来の美しさに気付き、そこを引き出してあ げることが、一番あなたらしい美しさを発揮することができるのです。 【 出会いは必然である 】 私が採用している考えの一つは、人間関係で出会う人は、すべて必然である、というもの。自分にとって その時の学びにおいて必要な人に出会うようになっている、ということ。 潜在意識下(集合意識体)でつながっている私たちは、自分にとって必要な情報をわかっていて、タイミ ングよく会うことができて、情報を与え合っているのです。偶然に出会ったかのように見える誰かであって も、自分に何かを教えてくれるために、出会った貴重な教師のようです。 それが例え、自分にとって嫌な人であっても、いい人であっても、二度と会うことのない人であっても、 何か教えてくれた人、と考えることによって、出会いが貴重なものであることを認識できるのです。 さて、あなたは今どんな人と出会い、その人は、何をあなたに教えてくれているでしょうか? 愛です か? 忍耐ですか? 喜びですか? 自制ですか? 謙虚さですか? 感謝することですか? がんばる ことですか? あなたにとっての結婚のパートナーもこのように必然的に出会うようになっているのです。そのことを信 じていると、必ずやあなたの一番ふさわしい時期に出会うようになっています。そう、自分にとってのふさわ しい時期が人によっては違うのです。一般の常識と言われている、結婚適齢期じゃない場合もある、という こと。 中には、50 代、60 代、もっと驚くことに 70 代で出会って幸せな結婚生活を送っている人もいるのです。 この年齢になりますと、もう、ドキドキだのキューンだのを最初から超えて、深い魂レベルでの繋がりを味わ っているものです。一つのそんな経験をご紹介いたしましょう。 「台所のおばあちゃん」という愛称で親しまれている、永島トヨさん。彼女は77歳で21歳年下の琴講師と テレビを通して、二年以上にわたる文通を経て結婚しました。トヨさんが料理家として初めてテレビ出演し た以来、出版、その後のテレビ出演で、たくさんのファンレターをもらうようになり、トヨさんは一通一通全員 にお返事を返していたそうです。これがトヨさんの人生を変える第一歩となったのですね。 そのファンレターの中に、将来の夫となる人がいたのです。文通はとても楽しかったものの、お互いが惹 かれているのにも気づきながら、トヨさんは潜在意識の声を無視する行動もしてしまうんですよね。 つまり、理性的な部分が働き、親子ほどの年も離れている男性の人生を狂わせてはいけない、と思い、 「よき伴侶を見つけてください」と手紙を送りましたが、男性は耳を傾けませんでした。結局、流れに乗って 結婚ということに至りました。 私の友人にもいます。50 代での初婚、40 代バツ一子持ち二人……一見不利に見えるような立場の女性 であっても、まったく問題ありません。出会う時にはあなたの一番ふさわしい時期に出会えるようになって いるのです。 【 ものわかりのいい女にならなくていい 】 好きな人に嫌われないために、ものわかりのいい人にならなきゃ。なんて思っていませんか? 「ものわかりのいい女性」 これは男性から見たときに言われる言葉です。「ものわかりのいい」とは、文字通り物事を理解する能力 などを指します。でも本当はそれだけではなく、人格面では、気が利いて、やさしくて、おおらかで、思い やりがあって、おしとやかで……など、魅力的に見える要素がたくさん含まれています。 ですが、これは男性目線では都合のいい女性なのかもしれませんが、女性的には微妙なときもあります ね。男性と距離を縮めるには素直に自分を見せるのは大事ですが、ものわかりの良い女性になろうとする あまり、自分の気持ちを抑えてしまうのは本末転倒であると言えます。 たとえば、かなりしんどいときは、誰か心許す人に、「私、今しんどいの……」って言えることがとても大切 なのです。カタルシス効果(心のつらさの浄化)になっていくからです。 「私、今、すごくしんどいの……」って言って、相手が「そう……しんどかったんだね……」ってそれを受 け止めてくれただけで、そのしんどさが、一気に半減したりするのです。それはあたかも、重い荷物を持っ ていて、「これ、めっちゃ重くて……」って言ったときに、それを聞いてくれた相手が半分持ってくれるような もの。 自分のつらさを相手に言えない人は、たいていの場合、優しすぎる、または、先回りして考え過ぎる傾向 があります。こんなことを言ったら、相手にまで重い気持ちにさせてしまう、とか愚痴を言っているみたいで、 何となくいや……と勝手に自分で判断してしまっています。 しかし、自分のしんどさを吐き出すのは、愚痴とはまったく違います。天と地ほども違いますし、大抵の場 合、打ち明けられた人は、重く感じるどころか、自分が頼られていることさえ感じて、助けになりたい! と 思ったりもするのです。それによって相手は自己の重要感を満たしたり、承認されたような気にもなるので す。 ですから、ものわかりのいい女性を目指す必要はありません。愚痴も言わない、悪口も言わない、汚い 言葉も使わない……など、完璧を目指す必要もありません。どんなあなたであっても、それがあなたのす べてなのですから、それを包み隠さず自己開示してみるほうが得策です。 「あばたもえくぼ」ということわざがありますが、好きになると、欠点も長所に見えるという意味です。 これは、美しいものを目にしたときに、人は、批判的なものは目に入らなくなるということです。評価、選 択、批判を停止するように脳に信号が送られるためです。 つまり、好きになってくれば、あなたの短所も、相手からすれば短所に見えなくなってきて、それを上回 る愛情で覆うことができるのです。一つくらい、いや二つくらい、いや三つも四つも嫌なことがあっても、そ れを上回るいいところがあれば、その人を好きになることだってできるのです。 また、あなたが相手を見定めるときも、生理的に受け付けないとか、ここだけは譲れない、ということ以外 は、一つ二つ嫌いなところがあっても、まずは付き合ってみるというのも手です。 ほら、よく女性でもいるでしょう? 一つ嫌いになると全部嫌いになる、と言う人。若いうちなどはそういう ことが多いかもしれません。たこ焼き一緒に食べていて、彼が笑った途端、歯に青のりがついていただけ で、一気に冷める、とか(笑)。 それをお相手に当てはめていますと、あなたも自分のたった一つの欠点で嫌いになられる可能性がある、 ということですので、自分の器も大きくしておくことをお勧めいたします。自分を繕うことなく、素を見せたと きに、本当の心のつながりと、それによる安心感を感じることができるでしょう。 【 愛する人の夢を応援すると必ず戻ってくる 】 あなたは、身近な誰かを応援していますか? 応援というのは、もちろん何もしなくても、「応援しているね」と、その人の夢や目標を承認するだけのこと から、本当にその人の夢が叶うように、何か手を差し伸べる、協力する、そういうことまで幅広く応援、と言 います。 他者を応援することで、まわりにまわって今度は誰かから自分が応援されるようになるというのは、自分 が投げ放ったものが戻ってくる、というブーメランの法則です。きっと多くの人々も経験していると思いま す。 たとえば、自分の心が寒くて凍えそうなとき、誰かに「寒いから温めて、温めて……」とか、もしくは、誰か から温められるのを待っているばかりでは、いつまで経っても自分の体は温まりません。 寒くて凍えそうなときほど、自分から誰かを温める行為は、ものすごく自分が温まるのを感じることができ る。 そして、人を温めることで自分も温かくなる。自分が毛布の役目をすることで、冷たい誰かを温めている うちにその毛布も温かくなっていくものです。そういう意味では、自分以外の誰かを心から応援するその姿 勢は、自分もその人ではない誰かから、応援されることになります。つまりこういうことです。 ・自分が応援されたければ誰かを応援してみる ・誰かに認めて欲しければ、誰かを認めてみる ・誰かに愛されたいなら、周りの人々を自分から愛する ・他者からの賞賛が欲しければ、他者を賞賛する ・敬意を払って欲しければ、自分が周りの人々に敬意を払う このように、見返りを期待せずに、応援に徹していますと、すごいことが起きたりします。もしあなたの好き な人が何かにチャレンジしていたとしたら、それを応援することでどんどん距離は縮まっていきます。応援 は人へのパワーのおすそ分けになるからです。もちろん、「応援しているよ! 」の言葉もうれしいかもしれ ませんが、「私に実際にできることってある? 」と聞いてみることもできるでしょう。と言っても、おしつけが ましくなく、ふさわしいちょうど良い距離感を保ちつつ相手の応援をしていくことで、心の距離感は縮まっ ていくことでしょう。
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