VI. その, VI.北欧――――その 北欧 その,あまりのアメリカ あまりのアメリカとの アメリカとの違 との違い 24. 24.闘争の 闘争の歴史でつづられた 歴史でつづられたヨーロッパ でつづられたヨーロッパ世界 ヨーロッパ世界 ヨーロッパの歴史的遺産,王宮や城,カテドラルや教会堂,それらに付属する装飾の品々 や展示物,博物館や資料館,などを見ていると,権力をめぐる抗争のあとがよく分かる。 権力とは恐ろしい力ということだ。権力とは暴力のことだ。権力とは美しい女を抱え込む (奪う)ことだ。 ヨーロッパ各国をまわっていると,スウェーデンもデンマークもフィンランドも,まし てドイツもポーランドも,領土はすべて武力で奪いあってきたものだということがわかる。 国境は平和的には確定しなかったものだ。同様に,ヨーロッパでは,権利も闘い取るもの だった。冷静な話し合いで権利は勝ち取れなかった。すべて,強力に主張して分からせる ほかなかった。 「まず話し合いありき。だが必ず決裂するからあとは戦いありき。そのため に準備つねにありき」というのが現実だった。「これまでの歴史は階級闘争の歴史だった」 という一句は,ヨーロッパを見ているとよくわかる。 ヨーロッパの宗教は,神への絶対的服従の形をとっている。そして権力者はみずから神 になろうとする。教会の彫刻は神への絶対的服従を描いている。キリストは人のために身 代わり犠牲になった。そのことは格好いいことだ。修道士とは,みずからキリストになる こと。国王や諸侯は,それにならうだけ。だから俗人(のトップ)にすぎないのだ。 25.北ヨーロッパ諸国 ヨーロッパ諸国をあるいて 諸国をあるいて 北ヨーロッパ諸国をあるいて驚いたこと。まず第1に,デンマーク,スウェーデン,フ ィンランド,どの国でも,女性がほぼ全面的に解放されていること。街を歩いている人の 半数は女性。日本で電車にのっている人の 80~85%が男性なのと大違いだ。 第2に,各都市,なかでもストックホルムのすばらしさ。ここは,北ヨーロッパ世界全 体の中心的都市だ。洗練されている。計画的に建設されつづけてきた結果だ。北欧随一の 大都市とはいえ人口 70 万強,人口 900 万(東京 23 区ほど)の国の首都にすぎないという のが信じられない大都会で,あまりに見所が多いし,学ぶべき点が多い。市内いたるとこ ろに広場。道幅は広い。街はきれいだし,自由だし,あたたかいし,治安はいい。いたる ところにベンチとゴミ箱。パリに匹敵する観光客の多い街であることに納得がいく。住宅 は大きな建物に各世帯が入居する形式で,計画的に整備されてきた。社会民主主義の政策 の成果だ。地下鉄駅は芸術の宝庫。それ自体が文化遺産だ。とくにクングストロードゴー デン駅は巨大な洞窟のようで,どこか楽しい。地下鉄の車両は,4人一組のコンパートメ ント方式。基本的に座れる電車,つまり乗客のための電車だ。東京は立って乗るものであ って,電車は電鉄会社が利益を稼ぎだす道具にすぎないから,大変な違いがある。 第3に,三層道路が整備されていること。いちばん高い層が歩行者道路。つぎに高い層 が自転車道路。いちばん低い層が自動車道路。とくに自転車用レーンが整備されているこ とはうらやましい。東京では,さいきん自転車の引きおこす事故が増え,歩行者に死者ま でだす事故が複数おきているのだから。 第4に,買い物には買いもの袋持参が原則,それをもたない人にはレジ袋を有料で販売 している。国民の協力で,資源の浪費や環境破壊にストップをかけることが可能なことを, 事実をもって知る。 第5に,ヨーロッパ人の消費のしかた。いいもの少しだけ買う。アメリカと対極。だか らスーパーマーケットはアメリカのような大型のものは少なく,みな小ぶりだが,それで 十分たりている様子。 第6に,クラシック音楽が生きている。コペンハーゲン,ストックホルム,ヘルシンキ, など,どこの都市でもクラシックFM2局が健在。文化の水準が高いのだ。そもそもワル シャワはショパン,ヘルシンキはシベリウス,ノルウェイはグリーグの祖国。ワルシャワ の国際空港は正式には「フレデリック・ショパン国際空港」という。各都市とも,自国の 生んだ偉大な音楽家を,公園,博物館,音楽堂などの名前に冠している。たとえばヘルシ ンキ最大の公園は,「シベリウス公園」というように。愛されているのだ。 第7に,平和の所産の意義。スウェーデンは 200 年以上戦争していない。それが福祉社 会も,高度な文化も,そしてノーベル賞という権威も,すべてをつくってきた。平和の所 産がいかに大きいものか,驚くばかりだ。王宮とならぶ重厚荘重な建築物であるストック ホルム市庁舎は,1911 年から 1923 年にかけて建設された。じつに近隣のヨーロッパ各国 が第1次世界大戦に入る少し前から大戦後の大混乱期にかけてのことだった。戦争をしな いことが,どれだけ偉大なことか,思い知らされる。 26. 26.王宮と 王宮と歴史遺産を 歴史遺産を見て――歴史 ――歴史と 歴史と文化のあることの 文化のあることの大切 のあることの大切さ 大切さ 王宮を見ていると(たとえばストックホルムで),スウェーデンが国王一家を頂点とする大 家族がスウェーデン民族としてスウェーデン国家を形成しているかのように思えてくる。 ヨーロッパの王室と国民との関係については,そのようなことはつとにいわれてきたこと だが,そのように信じてこなかった私には意外な発見だった。北欧では,王室,民族,国 民,民族文化,福祉社会,国語,国軍・・・すべて一体のように見えるのだ。数々の戦争 のなかで「一族一民族一社会一国家」の体制をつくってきたかのようなのだ。その「一族 社会」の内部の保障として社会福祉が生まれてきたかのようだ。アメリカは,各市民が家 庭ごとに一社会を形成し,家庭ごとに外敵からまもってきたから家庭ごとに武器をもって 武装してきた。北欧各国は,外にたいして国家が武器をもって国民をまもり,内にたいし て福祉社会をつくって国民をまもってきたように見える。 ヨーロッパには,歴史遺産,文化遺産があって,社会と人心を制御している。アメリカ にはそれがない。ゆえにヨーロッパからの借り物=宗教(キリスト教)で制御している。 ポーランドは,カトリックとかたくむすびついた歴史遺産と文化遺産が存在する。そこに はボリシェヴィズムという別の制御装置は不要だった。この国に東ヨーロッパでも早い時 期から反ボリシェヴィズム運動が起こったわけはここにある。ポズナニ暴動の意義を思い おこせ! チェコは,ルター派がその役割をはたした。プラハの春はそれと関係がある。 ハンガリー事件も同様だ。 ワルシャワでは,旧市街そのものが祈りであるとともに,その再建も祈りだった。サグ ラダファミリアやケルン大聖堂の建設もそれ自体が祈りだった。祈りとは,ぐ~っと深く 思い入れること。祈りが人心を純化し,社会を秩序だてるのだ。その祈りが,ポーランド では,カトリックの形をとって,全国民的に,長い歴史として,つづけられてきたのだ。 27. 27.ワルシャワにて ワルシャワにて ワルシャワほど深い感慨にひたらざるを得ない都市は世界に少ないだろう。ここには, 建国と王家の物語,被征服と独立の戦い,カトリックとスターリニズム,ヒトラーとの戦 争と復興への祈り,諸民族の抗争とユダヤ人迫害の歴史,音楽とエスペラント運動, ・・・ など,数々の歴史物語がつまっている。おそらく,これほど多様で濃厚な歴史の流れが一 点に凝集している都市は,世界に例がないだろう。 ポーランドには,敬虔なカトリック教徒が多い。教会だけでなく,街頭でもマリア像に 頭さげる人がいる。それも中高年だけでなく,若い女性も,だ。 ヨハネ・パウロ2世は想像をこえて尊敬されている。それがポーランド自由化運動と一 体のものであることを知って,たんなる信仰をこえたものであったことに驚く。 復興した旧市街は感動的。美しさにくわえて,復興事業そのものが圧倒的にせまってく る。攻められながらも抵抗してきた国,ポーランドの魅力は,攻める国だった周辺各国よ りも遥かに魅力的。ポーランドの歴史は,抵抗の歴史だったので迫力がある。 この国では,ポーランド語,ロシア語,ドイツ語,フランス語,英語・・・と多様な言 語が話される。国際色豊か,といえばそのとおりだが,この国の複雑な歴史を物語ってい るというべきだろう。エスペラントは,ポーランドだったから生まれたのだろう。という のも,ワルシャワをあるいていると,自然に国際共通語の必要を感じるからだ。 現在のワルシャワは,クルマの増大が急激。朝は幅広い道路も大渋滞する。市内いたる ところ建設中。旧市街の外側にむかって戦災からの復興の工事はつづいている。大戦が終 わって,すでに 60 年以上の年月がながれているのに。 ショパンのエチュード「雨だれ」の転調:「長調 - 短調 - 長調」は,曇ったり, 日がさしたり,また曇ってきたり・・・という気象の変化の激しさの反映か? それは, 心の変化でもある。もしかして,ジョルジュ・サンドの・・・。その繊細さを音楽で表現 したものであることに,ふと気がつづく。ワルシャワの天気は変わりやすかった。それは, ベルリンやストックホルムやヘルシンキなどでも同様だったことだが。 28. 28.北欧で 北欧で福祉社会が 福祉社会が可能なのはなぜか 可能なのはなぜか? なのはなぜか? なぜアメリカ なぜアメリカでは アメリカでは不可能 では不可能なのか 不可能なのか? なのか? 北欧で福祉社会が可能なのはなぜか? なぜアメリカではそれが不可能なのか? その 答えは,平等だから,という点にある。逆にアメリカは,はじめから非人間扱いしてきた 奴隷をかかえ,いまもその痕をひく社会だから不可能なのだ。たとえば,被雇用者は,ヨ ーロッパにくらべると圧倒的に地位が低く,いわば使い捨てされる身分だ。そういうアメ リカでは,高率の所得税や累進課税制度は,高額所得者や法人企業から反発を受けやすい。 それにたいして,たとえば 200 年も戦争をしないで,比較的平等な社会をつくってきたス ウェーデンなど北欧諸国では,課税は高かろうが低かろうが多くの国民にとってほぼ均等 にかかることになる。合意さえできれば,高負担ゆえの高福祉は実現可能になる。 そんなことに気がついて,アメリカにもどる。飛行機から見おろすと,ドイツや北欧は 森の国(森さえ人工的につくってきた)。オランダは人工大地の国。そしてイギリスはやせ た畑の国。この土地の悪さがイギリスに工業を生みだしたのだろう。アメリカは畑の国。 ちなみに,日本は山の国だ。 ヨーロッパからアメリカにもどると,この国がいかに歴史もなく,それゆえ文化もなく, それゆえ,かたわの国か,ということを思い知らされる。それが世界を支配することに問 題を感じないわけにはいかない。ヨーロッパを巡回して教えられたことは,歴史とは闘争 の積み上げであり,文化とは人間の苦い経験の蓄積にほかならない,ということだ。だか ら,歴史遺産と文化遺産は,その存在自体が,社会を教化し秩序づけるものなのだ。とこ ろが,それが存在しないアメリカは,人びとを教化し社会に秩序をもたらすために,宗教 をもって代替するほかない。だからアメリカでは,宗教が絶大な意義をもっているし,し たがって宗教をもたないということは,劣等な人間とみなされてしまうのだ。(続く)
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