近年、自閉症など神経疾患のモデルマウスにおいて、臨界期に異常が見られることが報告され始 めています。臨界期に、体験・経験に見合った神経回路を作ることが、脳の発達に大きな影響を与える ことが分かります。臨界期のメカニズムを明らかにするために、主に視覚系をモデルに研究を行ってい ます。 ① 子どもの脳に臨界期が現れ、大人の脳に現れない仕組み マウスを暗所で飼育し視覚経験を妨げると、視覚の臨界期が遅れることが知られています。臨 界期は、脳が適度な経験を受け取ったのちに開始され、そのために、個々の異なった経験量をは かる「秤」が脳内に存在することが推測されます。これまでに、Otx2 ホメオ蛋白質が、経験量を はかる「秤」として働くことが分かってきました。Otx2 は、経験に依存して大脳視覚野の Palvarbumin 細胞(PV-cell)に蓄積され、機能分子(PV, Kv3.1, GABAARα1, GAD65)を誘導して PV-cell を成熟させます(図 A)。Otx2 の発現を外部から操作すると、臨界期の開始時期を人為的 に制御できることから、経験に依存して蓄積された「分子秤」Otx2 が、PV-cell を成熟させ、臨 界期を開始させると考えられます(図 B)。 さらに、Otx2 ホメオ蛋白質の働きを調べるうちに、Otx2 は臨界期の開始だけでなく、臨界期 の終息にも関与することが推測されはじめました。Otx2 は、臨界期から大人まで、PV-cell に蓄 積され続けます。大人になるにつれ、成熟した PV-cell の周辺に細胞外基質(PNN)が形成され ることが知られており、豊富な細胞外基質が、臨界期を妨げることが示唆されています。Otx2 は 細胞外基質の構築を促進することが示されてきています。すなわち、Otx2 は臨界期を開始させる と同時に、臨界期を終わらせるためのタイマーの役割をしている可能性があります。 ② ホメオ蛋白質が個々の体験・経験に応じて脳を移動する仕組み 面白いことに、Otx2 蛋白質は視覚野の PV-cell に検出されますが、Otx2 mRNA は視覚野には なく、主に視覚経路(網膜、外側膝状体)に観察されます(図 A) 。両眼を除いたマウスや、暗所 飼育されたマウスでは、PV-cell の Otx2 蛋白質が著しく減少します。さらに、標識した Otx2 蛋 白質を網膜に注入すると、標識 Otx2 は視覚経路を通り視覚野の PV-cell に運ばれます。 すなわち、 Otx2 ホメオ蛋白質は、経験に依存して細胞間を移動し、視覚野の PV-cell に運ばれると考えられま す。胎生期の研究から、ホメオ蛋白質は DNA 結合部位(homeodomain)を持ち、転写因子として働 く こ と が 良 く 知 ら れ て い ま す 。 一 方 で 、 homeodomain は 細 胞 間 を 移 動 す る た め の 配 列 (penetratin)を含んでいること、また、ホメオ蛋白質は転写だけでなく翻訳を調節する可能性があ ることが示唆されています(図 C) 。ホメオ蛋白質が移動するメカニズム、特に、ホメオ蛋白質の移動 がシナプス結合を介するのか、シナプスの形成や形態にどのような影響を与えるのか、を明らかにし ていきます。 Otx2 のみならず、生後の脳に発現するホメオ蛋白質は多々あり、細胞の分化・発達を制御する ことで脳の様々な部位の臨界期に関わることが期待されます。ホメオ蛋白質の新しい働きを手が かりに、臨界期の仕組みを解明することを目指します。
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