ニュージーランドの貿易構造改革の 可能性をめぐって

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ニュージーランドの貿易構造改革の
可能性をめぐって
良
田
岡
徳
1.問題の背景と考察の目的
II. NZの対州関係と貿易の軌跡
III.英国のEC加盟とNZ貿易の転換
IV. NZの貿易構造の現状とその方向
V.NZの貿易構造改革の可能性
一むすびにかえて
1.問題の背景と考察の目的
ニュージーランド(以下NZと略す)は,英国を母国として経済発展を達成
した高度な福祉国家として知られている。経済関係も対英貿易を基軸として形
成されたものだけに比較的明確であり,輸出品目も単純であった。対英貿易に
過度に依存する体質への疑問点も,極めて限定された種類の酪農・牧畜産品の
輸出に伴なう経済的脆弱性も指摘されてはいたものの,大多数の国民にとって
は大した危機感はもたれず,貿易相手国の選択も,輸出商品の開拓努力も微々
たるものにとどまり,進行しなかったのである。こうした点からみると経済的
側面からもNZ経済に関してはそれほどの興味をそそるものでもなく,また,
わが国の貿易額も小さいことなどから,従来それほどの興味を持たれたり,意
識されることはほとんどなかったのである。
ところが,1960年代に入ると,英国のEC加盟申請がNZの経済にとって切実
な問題としてクローズ・アップされ,これへの対応を迫まられることになり,
74 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
経済構造の改革と新たな輸出市場の開拓に着手することを余儀なくされる。60
年代の後半から70年代にかけて改革に手間どるうちに,70年代に入るとオイル
・ショックが起こり,エネルギーや資源を持たないこの国に大きな打撃を与え
ることになるのである。その後,多くの人々の失業,インフレ,財政赤字など
の厳しい試練と貴重な体験を通じて,NZは自らの貿易構造を改革させ,また経
済改革に着手することになる。
従来の雑器関係に代わって,NZの対外貿易の軸になり始めるのが,豪州・日
本・合衆国であり,また,近年急成長を続けているのがアジア太平洋沿岸諸国
である。これらの貿易相手国には,それぞれの経済的背景や国民的事情を抱え
ていて,これらへの対応はNZにとって,それまでの対英一辺倒のものとは大
きく異なった新たな苦難が待ちうけているものと考えられる。
本稿では,NZの対英貿易を中心とした経済発展の軸跡を追いつつ,貿易転換
の事情や貿易構造の変化の過程を検討しながら,新たな貿易相手国への対応が,
NZの輸出品をどのように変容させ, NZ経済をどのように変化させたかを考
察したい。更に,この改革を通じてNZ経済の将来についての問題点は何かに
ついても考察を試みたい。
II. NZの対英関係と貿易の軌跡
NZの西欧人による発見は,1642年のオランダの航海士のA・タスマンによる
ものであり,その後,英国のジェームズ・クックの再発見が1769年になされる
が,NZは特別に経済的価値のある地域とはみなされなかったといえる。1840年
にワイタンギ条約が調印され,また移民が到着することになるが,当時の生活
は困難で,初期の入植者たちは,木材やトウモロコシを輸出して生活に必要な
物資を入手していたようである。貿易相手国は隣の豪州で,その後,ジャガイ
モや小麦などの食料が輸出されている。1861年に金が南島の彰彰ゴで発見され
るとこれとの関連で人口増加が起こり,豪州からの移往者が増加することによ
り,南島の経済は活気を呈することになる。1870年になると,羊毛業の発達が
みられ,改良された牧草地の面積は急激に拡大する。この頃になると,自給自
ニュージーランドの貿易構造改革の可能性をめぐって 75
足型のこの国の農業も次第に海外市場に向けて拡大を開始し,羊毛の輸出を目
的とした営利追求型の農業へと転換する。また,小麦農業は,1880年代にはピ
ークに達し,NZの輸出額の1/5近くに達する。南島のカンタベリー平野では,
集約的農業経営によって小麦農業は大きく発展した。この1880年代には,農業
生産で革命的変化が起こる。それまでのNZでは羊毛は輸出できたものの,羊
肉は獣脂として煮つめて利用せざるを得ず,最:も人口の多い時でも羊肉の生産
は過剰の状態にあった。しかし,冷凍船による羊肉の英国への運搬が成功する
のが,1882年のことである。すなわち,2月15日にダニーデンの北東14kmにあ
るポート・チャルマーズを出港した貨物船ダニーデン号は98日後にロンドンに
到着する。初期の運搬船は帆船であり,航海に日数を要していたが,20世紀に
入ると蒸気船が航行するようになる。英国では,食肉とともにバター・チーズ
のような酪農品の需要が増大し,NZの酪農・牧畜部門の拡大を刺激した。 NZ
経済の発展の基礎がここに築かれることになった。その時まで腐敗しやすい食
料品を売る市場を持たなかったこの国にとって一躍して大量消費の市場が誕生
したわけであるから,この国にとって大いなるブームとなった。羊毛用の羊牧
場と同様に食肉用の大牧場も急速に拡大したし,酪農部門の利益獲得の機会も
増大した。たとえば,1896年から1914年の問でみるとバターの生産量は500倍,
チーズでは1,000倍の生産増加が起っている。また,こうしたブームを反映して
1911年までのヨーロッパ系の人口数は,1882年の数と比較して約2倍の100万人
1)
ほどの数に達した。といわれる。こうしたことからみて,19世紀末から20世紀
初頭がNZの経済構造の形成期であったといえる。すなわち,羊毛にひきつづ
いて食肉・酪農品の輸出増加が国内の関連財の生産増加をひき起こし,好景気
は流入人ロの増大を招き,好循環を経済全体にもたらして,国内の生産基盤の
整備拡大に結びつくことによって,この国を世界でも有数の酪農・牧畜国に成
長させることになるのである。
対英輸出の拡大と酪農牧畜産品への特化の大成功は,この国の経済構造を長
期間にわたって固定化することになり,新たな構造改革への努力に対する契機
1) Michael Turnbull, The Land of New Zealand, Longmans, London, 1964, p. 186.
76 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
を失わせたのは皮肉なことである。NZの経済は,ここに完全に英国の経済に従
属することになり,新たな貿易商品への開発意欲は停滞した。NZの繁栄の時代
に形成された英国経済との結びつきは,その一方で一次産品生産国に共通する
脆弱な貿易構造を築き上げた。英国経済の好不況にも影響を受けたが,NZの場
合はGNPに占める貿易の比率が極めて高く,外国市場での価格変動に敏感な
農産物の輸出に依存する小国経済なるがゆえにその後の失業や社会不安の原因
となった。また,隣の豪州などと比較してエネルギーや資源に恵まれないこの
国の弱点も,繁栄期の当時においては意識されることは少なかったのである。
第二次大戦までのNZ経済は,こうした経済的弱点を抱えていたにもかかわ
らず,それまで圧倒的に隆盛であった英国経済と結びつくことによって少なく
とも成功を遂げたのである。英国の経済力が衰退する第二次大戦後は,NZ経済
も次第に不安定になって低迷を続けるようになる。しかし,この国の国民は豊
野貿易によって長い間高い生活水準を享受し,ハイレベルな社会を形成し,世
界でも有数の高度な福祉国家を建設したことは,ここで強調されねばならない。
たとえば,戦前の1938年には,2位の豪州,3位の合衆国,4位のスウェーデ
ンを抜いて世界第一位の国民一人あたり所得を達成した程の実績を有している。
また,戦争直後の1948年でみても,’合衆国,スイスについで第三位の高所保国
2)
であった,こともある。しかしながら,NZの1人あたり所得の順位は,英国の
経済停滞・不振とともに低下を続け,特に1970年以後の低下は急速で,最近で
はOECD諸国のなかでもイタリアとともに下位に低迷し続けている。一方で安
定した社会を築き,今のところ過去の蓄積によって豊かな生活を維持はしてい
るものの,年々のフm一でみると,今や多くの途上国に追い越され続けており,
NZ経済の将来は決して明るいものとはいえなくなって来ているのである。
III.英国のEC加盟とNZ貿易の転換
1960年代に入ると,英国の国際的地位の低下や英国経済の停滞に伴なって,
2)斎藤一夫「ニュージーランド経済を考える」『ニュージーランド・ポリネシア研究会News
No.2』June,1984,1頁。
ニュージーランドの貿易構造改革の可能性をめぐって 77
対英貿易の成長鈍化があらわれるようになり,これとは対照的に対米・対手貿
易の拡大が進行する。また,NZにとってのもう一つの重要な貿易環境の変化は
英国のEC加盟への動向である。 EECは,1958年当時西欧六ヵ国で発足する
が,英国の場合は当初これに対抗して1960年にEFTAを結成するのである。し
かし,その頼りとする自由貿易連合を目指すEFTAが十分な効果をあげえず,
当初の目的も失敗に終ることになる。このため,わずか1年後の1961年に英国
はEEC加盟を申請することになるのである。実際に英国のECへの加盟が成立
するのは,これよりずっと後の1973年のことではあったが,NZとしては英国の
EC加盟によって,従来の割興貿易で享受したような便益を失うことになるの
で,それ以上の英国接近はあり得ないという危機的状況に追い込まれることに
なるのである。したがってNZの英国離れは,60年半に意図され,徐々に進行
し始め,英国に代わるべき市場開拓の努力が試みられることになるのである。
これは,NZにとっては,極めて大きな建国以来の苦難に満ちた過程といえるの
である。
さらに,NZの苦境に追いうちをかけた打撃は,70年代におけるオイル・ショ
ックであった。それまでにもNZは,19世紀末に羊毛価格の暴落や,1930年代
の大恐慌時代の酪農品輸出の伸び悩みにより大きな不況を経験して来たが,オ
イル・ショックは資源やエネルギーに恵まれないこの小国の経済にとって打撃
となった。こうした市場条件の優位性の崩壊に続いて起った世界経済の環境変
化は,この国の経済構造を根本的に再構築することを不可欠のこととするので
ある。
英国との特異的貿易関係の終結が近いことを感知したNZにとってとりう
る最初の手段は,市場条件,歴史・文化・生活習慣などを熟知する豪州への接
近であったろう。この時代までのNZと豪州との貿易は, NZの建国時代からの
起源を持つものではあったが,両国間の貿易を拡大するというほどのものでは
なく,むしろそれぞれの国が別個に英国との貿易関係によって支配されており,
両国それぞれの貿易に占めるウェイトは極めて小さかったのである。それまで
の両国の間には仲間意識は低く,貿易上は英国に対するライバルとしての競争
78 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
的対抗関係にあったのである。両国間の最初の貿易協定は,1922年に交渉され
たものではあったが,それは英国の特恵を基礎にして関税措置の相互交換をし
3)
たものにすぎず,両国間の貿易を繁栄させるようなものとはいえなかった。た
とえば,1928年豪州はNZ産のバターに対し輸入関税を高め,市場から除去し
たのに対し,1932年にNZはこの措置に対する報復手段として豪州産のかんき
4)
つ類,野菜や果物に検疫を強化したという事実がある。現在の両国間の貿易協
定の基確となったのは,1933年の協定であった。これは,英連邦国家間の貿易
交渉の枠を出るものではなかったが,英国特恵関税率の相互交換のほかに一定
のケースにおいて相手国の商品に対して特定の関税率が適用される等の規定が
5)
設けられたことから,両国間の貿易が拡大する一要因となった。しかし,1960
年のNAFTA結成,61年のEC加盟申請などへの動きからみて,60年代には両
国は次第に英国のEC加盟の実現性について確信するに至り,英国とのそれぞ
れの特恵的貿易関係は継続不可能なことを感知するようになり,かつてのライ
バル関係にあった両国は共同歩調をとる必要に追られるようになる。1965年に
なって,NZと豪州との間では,対象商品群が部分的限定的ではあるものの二国
間のみで独自の自由貿易を実施しようという協定の交渉が行なわれるようにな
る。これが,NZ=豪州自由貿易協定(NAFTA;New Zealand−Australia Free
Trade Agreement)と呼ばれるものであった。 NAFTAは,1965年8月31日に
調印され,翌年の1966年1月1日より発効している。NAFTAのもとでの両国
間の貿易自由化の促進と経済規模拡大への試みは,一応当初の意図を達成でき,
英国離れによる両国経済の親密化には成功であったと思われる。しかし,1970
年代の後半になると両国はもはやNAFTAが両国間の貿易を促進するのに有
6)
効なフレームワークではないと感じるようになった。その理由は,その段階に
3) Alan and Robin Burnett, The Aztstralia and New Zealand Nexus, Australian lnsti−
tute of lnternational Affairs and New Zealand lnstitute of lnternational Affairs,
Canberra, 1978, p. 112.
4) lbid., p.112.
5) lbid., pp,112−113.
6) NZ Departrnent of Statistics, New Zealand Official Yearboole 1983, external section /
ニュージーランドの貿易構造改革の可能性をめぐって 79
至り,両国間の貿易が停滞し,更に無関税の品目のリストへの追加がストップ
したからである。そこで,NAFTAを発展的に解消して対象品目を拡大して貿
易制限を解消しようとする交渉が行なわれるようになった。その結果,1982年
の12月14日に経済緊密化(Closer Economic Relations)協定が調印され,1983
年1月1日から発効することになる。正式名は,Australia New Zealand Closer
Economic Relations−Trade Agreementであるが,通常は略称でCERと呼
ばれることが多い。CER協定は,5年後の1月までに関税率を段階的に除去
し,タスマン海上貿易の全ての輸入数量制限を漸次的に自由化し,1995年を目
7)
標としてそうした貿易制限を除去することを目的としている。CER協定は,す
べての商品の自由貿易を事後的に達成しようというものであるが,農業部内で
の問題は,若干の重復する分野で特別規定や部分的例外があることである。そ
の品目としては,豪州へのNZ産の酪農品と加工野菜の輸出についてであり,
NZへの豪州産の小麦,ワイン,果実,トマトの輸出についての措置である。こ
れらの特別措置や例外規定がCERを通ずる両国の貿易自由化の推進にとって
どのような障害となるか,どのような影響があるかは,今までのところ予断を
許さない。CERに関する問題点,疑問点は次のものが考えられる。第一に, CER
に対する両国の関心度,熱意の大小についてである。NZ側からのCERに対す
る関心・期待は相当に高いものがある一方,豪州側では相対的に高くはない。
豪州側はNZに対するよりもむしろ東アジア諸国との貿易を拡大していきた
いという事情がある。第二に,CERの結果としての貿易拡大の利益はNZにと
って大きいが,豪州にとっては小さいという見込がある。豪州にとっては1.2倍
程度の市場拡大なのに対し,NZにとっては約6倍の市場拡大を意味する。豪州
にとっては,これまでの対外関係での儀礼的・援助的な意味も多少とも含まれ
ることになっているので,NZ側でも,豪州側の貿易拡大・経済的利益の魅力を
N (Extract frorn NZOYB) pl 6.
7) Ramesh Thakur and Hyam Gold, “The Politics of a New Economic Relationship :
Negotiating Free Trade between Australia and New Zealand”, Australian Otttlook,
vol. 37, August, 1983, p. 82.
80 下田功教授退官記念論文集(第285・286号)
持たせるように多少の犠牲を払ってでもCER政策を推進する必要があろう。
第三に,豪州側が警戒するのは,NZ製品に名を借りた第三国製品が入り込み,
国内産業に打撃を抱える恐れである。最近NZ政府は外資導入に熱心で,外資
優偶策をとりつつあるが,今までのところ外国企業は,CERを通じて豪州に販
売することに積極的ではない。また,CER目的の投資があるとすれば,産業基
盤や下請け部品生産を必要としない製造業部門であると考えられ,豪州の産業
や企業への損害はそれほど大きなものとは考えにくい。第四に,豪州経済への
打撃とは反対に,NZ経済の側で競争力が弱いため,豪州企業との販売競争で敗
退する部門が出てくる可能性が大きい。NZ産業の多くはこれまで世界的にも
高い保護水準を特徴としており,豪州からの輸入品に対応する分野での保護が
CER推進の結果,切り下げられるわけであるから,これらの産業は,生産効率
の改善を余儀iなくされるであろう。このことが結果的には,NZの消費者価格を
引き下げるとともに他産業への投入コストを抑えるのに役立つ。結果的には,
NZは比較的優位を持っている部門に生産を移すことになる。すなわち, CER
協定は,NZ経済の柔軟性・効率性・競争性を促進させる契機となり,これによ
ってインフレと対抗するのに役立つことが期待されるのである。1991∼92年冬
の豪州からNZへ輸入される主な品目は,概算で次のようになっている。すな
わち,ボイラー・機械・設備(約2億2,120万NZドル),乗物(約2億6,820万
NZドル),非鉄金属(約1億8,250万NZドル),アルミナ(約2億3,950万NZ
ドル),電気機械・設備(約2億990万NZドル),プラスチック製品(約1億4,
870万NZドル),鉄・鉄鋼製品(約1億6,530万NZドル),鉱物性燃料(約2
億2,170万NZドル),薬品(約1億4,420万NZドル)などが主なものである。
同じ年でのNZから豪州への主な輸出は,木材及び木材製品(約2億9,400万
NZドル),ボイラー・機械・設備(約2億5,530万NZドル),紙類(約2億6,
420万NZドル),羊毛(8,950万NZドル),金・貴金属・宝石(約1億8,720万
NZドル),電気機械・設備(約1億6,330万NZドル),鉱物燃料(約3億60万
8)
NZドル),などである。
8) NZ Department of Statistics, IVew Zealand Official Yearbook 1993., pp. 464−465.
ニュージーランドの貿易構造改革の可能性をめぐって 81
1992年6月末年度でみて,NZの第三番目の輸出市場として重要な地位を占
めているのが合衆国である。合衆国はNZにとっては,牛肉とカゼインの最大
の輸出相手国であり,魚類とチーズでは第二位の市場を占めているところがら
みて,英国市場に代わる酪農・牧畜製品の輸出市場として極めて重大な鍵をに
なっているといってよい。その他の輸出品としては,キーウィフルーツやりん
ごなどの果実や野菜,皮革,羊毛,ラム,木材,機械,乗物などがあるが,こ
れらの品目についても今後市場開拓努力が必要とされている。NZと合衆国の
聞にはそれほどの貿易関係もなく,戦後貿易が拡大したために,両者の間には
緊密な相互信頼関係は生まれては来なかったといえる。NZは元来英語圏に属
しながらも合衆国とはそれほどの外交関係もなかったのである。英国の勢力の
衰退して来る1942年に米海兵隊がNZ防衛のために寄港.して以来,両国の同盟
関係が成立することになる。国防を英国のかわりに合衆国に分担してもらうこ
とによって,NZは豪州とともに1944年にキャンベラ条約を合衆国との問で結
び,協力関係を続けることになる。英国に対するものと比較すれば,はるかに
弱かったものの,それでも親密な関係が続き,ANZUSやSEATOを通じて相
互の外交軍事関係は次第に深まっていくようになる。しかし,その後,1984,
NZのロンギ労働党政権は, ANZUSを軸とする合衆国の南太平洋地域の防衛
戦略に対して異議を唱え,米軍の原子力推進艦艇や核兵器積載艦船のNZへの
寄港を拒否する方針を打ち出した。合衆国は,このNZ政府による反核の主張
がANZUS条約を弱体化させるものであるから,これに対する報復手段として
軍事面以外にNZの輸出品に対しても不利な扱いを米国市場で行なうことを
検討したことが明らかになった。こうした不幸な事件はあったものの,NZは合
衆国とは,英語によって意志疎通・情報交換が可能であり,親戚国であったば
かりでなく,距離的にも英国より近く,交通運輸手段の発達の著しい現代にお
いて,対米貿易の拡大への努力は,容易であろう。しかも,両国の貿易構造は
異質的補完的貿易構造を有しているのである。したがってNZの対米貿易は自
然に拡大していくべきであり,安定的に止まっているのは意図的早苗的である
ことがうかがえる。本来実質的に拡大すべき対米貿易が拡大しないのか,その
82 傳田出教授退官記念論文集(第285・286号)
うちの主な理由については,リンカーン大学のレイナー教授によれば次の四つ
が考えられ考。(1)NIESに比較して合衆国が国際競争力を失っている部門が多
く,このためNZが生活用品をNIESから輸入してしまうことが多い (2)合衆
国とNZにおいて,それぞれの相手国商品に対して国内産業保護のための輸入
制限措置がある (3濠州とのCERがあるためにNZが対豪貿易を優先して重
視しているため対米貿易の重要性が低くなる (4)NZの対米輸出商品に対す
る需要の低い所得弾力性のためNZの輸出が伸びない,などである。NZの低い
対米輸出成長率の原因は,NZが酪農牧畜産品,魚類,観光などの土地集約商品
や自然海洋産品に比較優位を持っているからである。これに対し,合衆国は英
国,日本,豪州,NIESらとともにNZに対して製造晶や技術面結的商品に比較
優位を持っていて競合的状態にあるのである。NZにとっての対米輸出拡大の
方策に関する重要な障害は,合衆国の牛肉輸入が輸入割当によって制限されて
いるということである。1979年の食肉輸入法(The Meat Import Act)は,食
肉輸入に対して対サイクル方式(Counter Cycle Formula)によって年間での
数量制限を課している。輸入制限は,1984年,85年,86年置88年には実施され
なかったものの,1982年,83年と87年には実施されている。この制限の下で,
合衆国への輸入がトリガー・レベルを超えるときには,NZは他の輸出国ととも
に当該歴年に食肉の割当額を制限することになっており,実際には合衆国にお
ける牛肉のシェアーが第二位のNZはこの自主規制の交渉にひき込まれるこ
とが多い。この交渉においては合衆国の国内の牛肉生産の水準が低いときには
輸入額の許容量のレベルは高くなるものの,牛肉の合衆国内の生産量が多いと
きには,輸入額が減少することになる。こうした制限がなかったならば,NZの
対米牛肉輸出はもっと拡大したと考えられる。現在の合衆国の牛肉生産高は,
世界の1/4を占めており,その畜産業は,自動車,鉄鋼につぐ巨大産業ではある
9) Tony Raynar, “New Zealand’s Trading Problerns with North America”, Ann
Trotter (ed.), IVew Zealand, Canada and the United States, University Extension,
University of Otago, 1987, p. 92.
10) NZ Department of Statistics, Arew Zealand Official Yearbook 1982, pp. 729−730.
ニュージーランドの貿易構造改革の可能性をめぐって 83
ものの,その一方で輸出量よりも輸入量が圧倒的に大きく,このことは合衆国
の国内消費量がいかに大きいかを物語っているのである。すなわち,一見して
NZにとっては牛肉ということでは競争的であるものの, NZの輸出可能性は
極めて大きいものがある。その理由のもう一つは,この合衆国産の牛肉は,カ
ロリーの高い飼料によって育てられたいわゆるグレーン・フェッド
(grain−fed,穀物肥育)であり,これに対しNZの輸出するのはグラス・フェ
ッド(grass−fed,牧草肥育)なのであり,用途が異なるとともに価格競争力の
点でもNZが優位に立っているのである。このほかの酪農品目についてみる
と,合衆国によるバター,チーズ,粉ミルクの割当の実施によってNZの酪農
品の対米輸出が困難になっている。これらの合衆国における輸入障壁の存在は,
一つには,合衆国内でのNZ産品の価格をつり上げることによって,合衆国産
品の売れ行きを高めることになり,またもう一つには,NZ側での供給を削減す
ることによって,NZ産の酪農品の輸出の伸びを停滞させる原因となっている
のであって,NZ側は, GATTの場でも,これらの措置に対し改善を要求して
いるわけである。
IV. NZの貿易構造の現状とその:方向
この国の経済発展の課題は,開発の初期においては,対英貿易を中心として
酪農・牧畜部門を開発し,経済成長を達成できるかどうかということであった。
そして,これに成功はしたものの,この国の貿易構造は,長い間にわたって特
定国すなわち英国に対し特定商品である酪農牧畜品の輸出に依存し続けること
によって,結果的には硬直的で非競争的な体質が定着して来たのである。この
ような体質を改善しようとしても容易なことでなく,NZ経済の危機が叫ばれ
ながら,30年近く目ざましい効果をあげることなく経過して来たのである。さ
すがに最近では,このような硬直性は少しずつ改善されつつある。伝統的な農
産物部門でも新興の分野が登場し成長を継続することにより,新たな競争性・
柔軟性がNZ経済にも誕生しつつある。こうした経済危機脱出のための貿易政
策として,新たな市場の開拓,すなわち,輸出市場の多角化とこれに適合した
84 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
1980
1985
1990
1991
1992
合衆国
出所:NZ. Dept, of Statistics, IVew Zealand Q撰珈1 Yearboofe,1990 and 1993.
輸出商品の多様化が採用されたのである。
5
12
730
44
65
6
2
46
44
44
1960
1970
入 本
5
3
31
33
1 10
13
16
14
15
11
1950
豪 寒
1
01
315
66
3
1
16
11
1940
5
1
3
7099
2
4
118
∩乙
11
5760
6
∩コ
4U3
5つ6
01 49767
英 国
1920
。/o
表1 NZの主要輸出相手国
他の諸国
表1はNZの主要輸出相手国,表2は, NZの主要輸入相手国を示したもので
ある。これによれば,NZ貿易が1960年代までの対立依存が顕著であった時代か
ら,70年代,80年代の四大貿易相手国の時代を経て,1990年代は三大貿易相手
国の時代に入り,英国離れが一段と鮮明になったということが理解できるであ
ろう。また,三大貿易相手国との貿易拡大以外には,その他の諸国に対する貿
易量が飛躍的に拡大しつつあるのが理解できる。この表2では,いまやNZの
貿易を示すのに十分ではなくなりつつある。そこで作成してみた表3は,NZの
アジア諸国への輸出の割合を示したものである。たとえば,1992年の輸出額で
みると,韓国に対して,7億6,750万NZドルを,マレーシアに対して4億7,050
万NZドル,台湾に対し4億3,150万NZドルを輸出しており,これらはNZの
輸出相手国の第五位,第六位,第七位にあたり,第八位のドイツの4億1,540万
11)
NZドルを超えるに至っている。これ以下の輪出相手国の順位でみると香港,中
国,シンガポールという順になっており,アジア諸国への輸出のウェイトが拡
大しつつあり,NZとしては今後,ますますアジア諸国への貿易拡大の努力に傾
斜しなければならなくなっている。
11) NZ Department of Statistics, oP. cit., 1993, pp. 469−470.
85
ニュージーランドの貿易構造改革の可能性をめぐって
1960
1970
1980
1985
1990
1991
1992
出所:表1に同じ。
合衆国
日 本
台 湾
香 港
インドネシア
韓 国
マレーシア
シンガポール
3.58
1.43
1.56
0.83
2.06
1.12
1.43
P.02
R.20
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P.63
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P.20
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中 国
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1987
他の諸国
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表3 NZのアジア諸国への輸出
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英 国
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表2 NZの主要輸入相手国
0.40
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O.96
P.01
出所:NZ Dept. of Statistics, New Zealand(∼fficial Yearboofe各年版より作成
NZの第二番目の輸出相手国となって来ている日本に対しては更に期待が大
きい。対日輸出の主たる商品は,(1)木材(2)アルミ地金(3)野菜・果実(4)魚
介類などが中心を占めており,NZのかつて依存していた酪農牧畜産品の対日
12)
輸出は重要度がますます低まりつつある。これは,NZの貿易構造を考えると
き,異質的であったし,またそれだけにNZの貿易構造の変化に対して大きな
役割を果たして来たといえるのである。
表4は,NZの主な輸出品を示している。これによれば,1992年でみて比率を
下げているとはいうもののNZ輸出の主力商品は依然として酪農品,牛肉,羊
肉,羊毛なのである。しかし,趨勢としては,新たな輸出商品の拡大が続いて
来ており,NZの輸出商品の多様化は完全に定着したといえよう。輸出商品多様
12)通商産業省編『通商白書』各論,平成5年版,708−710頁。
86 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
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ニュージーーランドの貿易構造改革の可能1生をめぐって 87
化に大きく貢献したと考えられるのが対豪輸出と並んで拡大して来た対日輸出
であり,また近年では対アジア諸国への輸出である。これまでのNZの貿易の
歴史のうえでは,開発の初期に金が主な輸出品であったことはあったが,これ
以外には,その後の主要産業となる酪農・牧畜産品のほかに輸出品を持たなか
ったのであり,NZの経済は極めて単純なものだったのである。すなわち,この
間の事情は,G・ホーク教授によれば,「1860年代,70年代は金が,80年代から
1910年代までは羊毛が,20年代から40年代は酪農品が,50年代から60年代は再
び羊毛が,70年代からは食肉かNZの輸出商品として圧倒的なシェアーをもつ
13)
て首位の座を占めて来た。」また,別の研究によれば,「1950年には,羊毛がNZ
の輸出総額の40.6%を占め,1960年にはそれは33.8%であった。また,バター
の輸出は,1950年にはNZの輸出総額の19.2%であったが,60年のそれは16.6
%と下落した。牛肉と羊肉がその大部分である食肉でみても1960年のそれは,
14)
26.8%であり,1970年で35.5%であった。」こうしたNZの貿易構造の歴史的変
革を概観してみるとき,対豪貿易とならんで対日貿易の果たした役割は極めて
大きかったと考えられる。特に,これまでのNZの輸出については全く未経験
であった水産物,林産物,野菜・果実,アルミ地金などの輸出拡大は,この国
の潜在能力の証明ともいえるものであり,また同時にNZの貿易の新たな方向
を示すものでもある。対日貿易は,まだまだNZにとっては歴史も浅く,相互
理解もそれほど進んでいないといえるので,今後,両国の親密度が高まるにつ
れて,新たな商品の開発が可能になると思われる。このほか,商品輸出以外で
も日本からの観光収入の増大も指摘しておく必要があろう。対日観光収入は,
豪州,合衆国に次ぎ第三位ではあるが,この産業での外貨獲得も相当大きい。
すなわち,この国の最大の輸出品は,牛肉であるが,NZの観光収入はこれより
大きいのである。
13) G.W. Hawke, The Maleing of New Zealand : An Economic Histoiy, Cambridge
University Press, 1985, p. 215.
14) Peter Lane, Economy on the bn’nle : An lntroduction to the New Zealand Economy,
Longman, 1983, p. 27.
88 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
太平洋国家としての自覚を持ちはじめたNZにとって,アジア貿易は,政治
面のみならず経済面からみても実質的に重要度を深め,経済発展の新たな鍵と
なりつつある。たとえば,1992年6月末でみて,NZ政府のNZOYBの表現に
よるところの「北アジア五経済」(Five Northern Asian Economies=B本,
韓国,台湾,中国,香港)は,NZの輸出総額の26%,輸入総額の23%を占めて
15)
おり,英国を含めたECへの輸出総額が16.6%で,輸入総;額が17.5%であること
と比較すると極めて重要であることがわかる。韓:国への主な輸出品としては,
林産物,皮革,アルミ,肉類であり,このほかでは,魚類や有機化学品,キー
ウィフルーツが増加しつつある。中国への輸出品は羊毛,林産物,獣脂などが
主たるものである。香港へは主として牛肉,酪農品,果物・野菜,魚類,羊毛,
紙,レザーを輸出している。台湾への輸出品は,木材,木材製品,酪農品,牛
肉,アルミ,果物,ヘット,羊毛などである。このようにして,北アジア諸国
への輸出の拡大は,NZの輸出品の多様化にますます拍車をかけている。今後は
これに続いてアセアン諸国など南アジア諸国への輸出拡大が期待されよう。ア
セアン諸国への主要輸出品としては,今のところ,酪農品,木材,紙・パルプ,
紙製品,金属および金属製品,羊毛,肉類,魚類などがある。
V.NZの貿易構造改革の可能性一むすびにかえて
本稿では,NZの貿易構造の変化の歴史を概観しつつ,その変動の過程や現在
までの状況について検討をすすめてきた。本節では,むすびにかえて,その方
向と可能性について論述してみたい。
まず第一に検討すべきは,経済的な側面での英国およびEC離れに対する決
断である。人種的文化的結びつきは今後も続くであろうし,これを切り離すこ
とは不可能に近いけれども,NZ農業もEC農業も根源は近く,しかも同質的競
合的な側面が多く,将来的にも伝統的輸出品のままでの輸出の展望はほとんど
ないであろう。英国にもかつてのようなNZ経済に対する影響力は期待できな
い以上,英国向けに作り上げ維持してきた貿易構造は当然改革変更さるべきで
15) NZ Department of Statistics, oP., cit., 1993, p. 465.
ニュージーランドの貿易構造改革の可能性をめぐって 89
あろう。第二は,英語文化圏との経済的関係の段階的解済あるいは維持であろ
う。対英貿易と並んで対米貿易や対カナダ貿易も今後それほど期待できるとは
思われない。この地域に対する牛肉や酪農品の輸出は,NZにとっては便利であ
り,NZ経済の救世主となったが,今後の趨勢としては輸出の伸びは停滞的であ
ろう。NZにとっては,輸出の伸びない原因をこれら諸国の国内農業保護がある
ためとして批判を強め,GATTウルグアイ・ラウンドの場やケアンズ・グルー
プ活動を通じて,世界の農産物貿易の自由化を目指して,農産物輸出国と協力
して努力しているが,これらの交渉は難航している。その根底には,EC農業,
アメリカ農業,カナダ農業,豪州農業との競合関係があるわけだから,NZの輸
出拡大は困難であろう。第三は,対豪貿易拡大の重要性とその限界についてで
ある。門門貿易は隣国のNZにとって本来重要であり,もっと早い時代から拡
大すべきであった。また,英国離れの緊急措置としての対等接近は適切であっ
た。今後は密接な関係を継続する必要がある。しかし,CERによるタスマン海
上貿易拡大は限界に近づきつつあり,このままでは拡大の期待はできない。ま
た,これ以上の対豪接近は,NZ経済の豪州経済への従属に結びつく危険性があ
る。これ以上の関係強化と貿易拡大は回避する方が賢明である。第四は,対日
貿易への期待と意味についてである。日本とNZは,気候・地形など自然環境
が似かよっているが,経済構造からみて極めて異質的補完的であって将来有望
な市場である。ただ,歴史的にも人種的にも異質な側面が強く,文化的生活的
側面で相互の無理解が目立っ。NZ人からみて日本人の自然環境破壊的イメー
ジが強すぎ,日本人からみてNZ人のイージー・ゴーイングな生活態度が目立
つ。相互理解が今後の課題となる。また,NZでの人件費の高さは,日本からの
投資拡大に対するマイナスである。いずれにせよ,未開拓の分野が相当に残っ
ており,観光などのサービス貿易を含めて貿易拡大の可能性は大きい。特に新
たな野菜,果実,魚介類など農水産物の分野では潜在性が感じられる。最後に,
アジア諸国へのNZの輸出拡大の可能性についてである。これらの諸国の文化
に対する理解は,対日関係と同じくこれからの課題である。また,これらの諸
国の社会構造は,日本以上に未成熟・不安定であって,それぞれの国固有の事
90 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
情がある。また,中国などの政治・社会は不安定でありすぎるし,その他の国
々は経済規模がまだまだ小さく,国際環境の変化にもろい国もあるので注意が
必要である。これらの諸国の中にも,シンガポール,香港など英国系の関係を
重視して,輸出拡大を目指す方法はあるものの,これらアジア諸国の新市場が
急激に拡大していることから考えて,対日貿易以上に,新たな商品開発を重視
して輸出戦略を立てるべきである。
このように考察を進めてくると,NZの近隣に新たな市場が急激に拡大し,新
たなビジネス・チァンスが存在している。かつての伝統的な酪農・牧畜分野で
のNZの圧倒的に優位な条件や環境は完全に崩壊しており,対英対米貿易ある
いは対日酪農品貿易にみるように各国の農業保護政策を批判するのは適当では
ない。むしろ,積極的に新たな農産物の輸出開拓に努力すべきである。もしも
NZ人が気づかないなら,外国人による新事業の開拓を進めるために,新たな外
人投資誘致策を採用すべきである。 (1993.9.27)