M-LC構想の取組について(総括) 美 里 町 平成 26 年 6 月 26 日 本年3月に、JR貨物仙台ターミナル駅の移転先候補地が仙台市岩切地区に決定され たことから、本町の「M-LC構想」の今後の取組については断念をすることといたし ました。これまでの取組の概要について次のとおりまとめ、総括とします。 1 経過概要 平成20年9月に調査・研究を開始して以来、構想実現に向けて町長を先頭に関係 機関、関係団体に実現の必要性を積極的にはたらきかけてきました。しかし、平成2 3年3月に発生した東日本大震災の教訓から、 「防災」と「エネルギー対策」が直近 の国家課題とされ、これまでM-LC構想が事業コンセプトとしてきた「環境問題」 への社会的関心は後退することとなりました。 このことから本町のM-LC構想に向けた国・県の動きは止まり、その一方では、 県の仙台市宮城野原地区における広域防災拠点基本構想・計画が一挙に進展が図られ、 それに関連するJR貨物仙台ターミナル駅の移転先の選定が短期間のうちに行われ ました。その結果、日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)は移転先候補地を仙台市岩切 地区に決定し、移転のための測量、地質調査及び環境調査を実施することとなりまし た。 平成 20 年 9 月 平成 21 年 8 月 美里町物流拠点調査・研究を実施する。 (平成 21 年 2 月まで) 「東北圏広域地方計画」に調査・研究の促進について記述される。 平成 21 年 10 月 「東北圏広域地方計画」に基づく「国際物流プロジェクトチーム」 が設置され、美里町も委員として参画する。 平成 23 年 3 月 東日本大震災が発生、その後国、県の動きが止まる。 平成 24 年 3 月 官民連携手法に関する検討業務のケーススタディに取り上げられる。 平成 25 年 6 月 宮城県広域防災拠点整備検討会議が設置され、広域防災拠点の協議 が始まる。 2 平成 26 年 3 月 日本貨物鉄道株式会社と宮城県が基本合意書を締結する。 平成 26 年 3 月 仙台ターミナル駅の移転先候補地が仙台市岩切地区に決定される。 これまでの事業費 これまで町が支出した事業費(人件費除く)は、平成 20 年度に実施した「美里町 物流拠点調査・研究事業」に要した費用が主なものであります。 平成 20 年度 美里町物流拠点調査・研究事業 5,523,863円 (うち宮城県から2,761,000円の補助金を受けております。 ) 1 3 総 括 (1) 構想の方向性について M-LC構想が目指すモーダルシフト、いわゆる鉄道貨物輸送等への切換えは地球 温暖化対策、二酸化炭素の排出規制などの未来社会を先見する地球環境問題の解決に 向けた重要な取組です。鉄道交通の利便性という本町の地域特性(地域ポテンシャル) を地域社会だけのために活かすことに止めず、地球環境問題というグローバルな視座 に立ち地域特性の活用を図ろうとした構想であります。私たちは、いつの時代におい ても私たちが住む地球環境を守らなければなりません。それぞれの地域特性を活かし た取組をそれぞれの地域で実践することが、地球環境を守るための第一歩であり、そ れが私たち地域に暮らす者としての責務でもあります。 今回のM-LC構想については以降の取組を断念いたしますが、今後においてもグ ローバルな視点と将来を見通す先見性の下に、美里町の土地利用とまちづくりを進め ていかなければなりません。地域社会だけではないグローバルな視点と、将来を見通 した先見性に富む美里町のM-LC構想は、その基本的な考え方に誤りはなく、日本 のあるべき方向の下に構築された構想であったものと評価いたします。 (2) これまでの取組みについて しかし、仙台貨物ターミナル駅の移転先候補地を他地区に決定されたことは、本町 のM-LC構想の内容と取組に、反省すべき点があったと考えなければなりません。 M-LC構想では、県北部から岩手県南部にわたる広域エリアの物流の中心となる 広域物流拠点を一つの重要な役割として位置付けてきました。こうしたことから、こ れまでもこれら関係する市町から多大な御支援を頂いてまいりましたが、構想をつく る当初の段階からこれら関係市町と連携・調整を密に図って、本町だけではなく県北 部・岩手県南部の広域エリアの共通課題として、広域的な自治体連携によって取り組 んでいればより効果的な結果を生むことができたのではないかと考えております。 また、東日本大震災が発生して東北圏広域地方計画が中断したことに対して、町は 早期に計画を再始動するよう国に要望する以外に何もできませんでした。想定外の大 災害の発生ではありましたが、たとえ国の計画の中で国家プロジェクトの一つに位置 付けられたものであっても、その推進については何ら実施・実現が約束されるもので はありませんでした。むしろ、私たち美里町が国家プロジェクトの位置づけに過信す ることなく、どのような情勢変化に対しても、微塵たりとも揺るぎない比較優位性を 構想内容に確保しておかなければなりませんでした。それによっては、大震災後の展 開も変わっていたかもしれません。 M-LC構想は、国家プロジェクトの一つに位置づけられ、その実現に向けて今日 まで取り組んできましたが、実現の姿をみることはできませんでした。美里町はこれ からも、M-LC構想の取組の経験を生かし、グローバルな視点と未来を見通す先見 性をもって、将来の地球社会の一翼を担うまちづくりに挑んでまいります。 2
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