日本語研究と日本語教育の関係について 一橋大学国際教育センター教授 庵 功雄 [email protected] http://www12.plala.or.jp/isaoiori/ はじめに • • • • • • 日本語研究(日本語学)の目的の1つ: 「日本語学の研究は日本語教育の役に立つ」 →本当か? →真に日本語教育の役に立つ研究とは? (本発表の目的) →この命題を証明することは、日本語学が研究 分野として生き残るためにきわめて重要 日本語学の成立 • 1970年代初めには「日本語学」は認知されてい なかった。 • (1) また大学院で勉学を始めた頃、現代語の研 • 究について「分かっていることをやって研 • 究になるの」といった趣旨の質問を何度か • 受けたことがある。まだまだ現代語特に • 現代日本語文法研究に対して、学として • の容認のさほど高くない時代であった。 • (仁田2010:はしがき) 日本語学の成立 • 「「日本語」学」の成立理念(cf. 庵2013) • 1.個別言語としての「日本語」の研究 • (cf. 仁田1988) • 2.日本語教育の役に立つ研究(cf. 寺村1982) • →本発表では、主に2について述べる • →1については「配付資料」参照 日本語学の発展と停滞 • 1970年代から1980年代: • 命題の研究が盛んに行われる • 仁田(1980)、益岡(1987)、森山(1988) • cf. (生成文法)久野(1973)、井上(1976a,b)、 • 柴谷(1978) • (言語学研究会)鈴木(1972)、宮島(1972)、 • 奥田(1985)、高橋(1985) • (その他)林(1960)、南(1974) • 日本語学の発展 • 1980年代後半~1990年代半ば • モダリティの研究が盛んに行われる • 仁田(1991)、益岡(1991) • 日本語文法談話会(日本語文法学会の前身)などの研究 • 成果をまとめた論文集の刊行(全てくろしお出版刊) • 日本語のモダリティ(1989年) • 日本語学の新展開(1989年) • 日本語のヴォイスと他動性(1991年) • 日本語の格をめぐって(1993年) • 日本語の条件表現(1993年) • 日本語の名詞修飾表現(1994年) • 日本語の主題と取り立て(1995年) • 複文の研究(上下)(1995年) 日本語学の発展―日本語教育との関係― • 日本語教育の黎明期(1960年代) • 日本人の手による参照可能な文法が存在しな • かった(cf. 渡辺1971 Alfonso 1966) • →「日本語教育のための文法」の研究 • 寺村秀夫、森田良行、佐治圭三… • →寺村は「日本語学」の中心人物となっていく 日本語学の発展―日本語教育との関連― • 寺村秀夫(1982)『日本語のシンタクスと意味Ⅰ』「まえ がき」(下線発表者) • 松下大三郎は『改撰標準日本文法』(1928)の緒言で、 自分の文法研究の動機について次のように述べている。 私は少年の頃、当時最も世に行はれて居った中等教育日本 文 典とスヰントンの英文典の二書を読んで其の体系の優劣の甚し いのに驚いた。英文典は之を一読すれば和英辞典さへ有れば曲 りなりにも英文が作れる。然らば英米人に日本文典と英和辞典 とを与へれば日本の文が作れるかといふと、そうは行かない。 これ実に日本文典の不備からである。 • 本書の目的するのも全くこれと同じで、その意味で本 書の目標は実用文法の作成で ある。 • →寺村における文法研究の目的は「日本語教育文法のた めの文法」(「実用文法」)を作ることにあった 日本語学の発展―日本語教育との関連― • 寺村の文法研究の目的は「日本語教育のための文 法」を作ることにあった • 寺村文法の三本柱(cf. 庵2013、野田2011) • 1.日本語の記述的研究 • 2.対照研究 • 3.日本語教育のための研究 • しかし、実際には「日本語の記述的研究」だけを遺 して寺村は急逝した(1990年) • →寺村は「日本語記述文法」を代表する人物と見な されるようになる • →寺村の指導・影響を受けた研究者の大部分が1の みを継承した 日本語学の発展―日本語教育との関連― • 日本語教育の黎明期には日本語学の成果がそのまま日 本語教育で使えた • →「日本語学の研究が進めば、それが「結果として」 日本語教育の役に立つ」という考え方が生まれる • →これは「幻想」! • (なぜか?) • 基礎研究の「発展」は一般に、研究の「専門化」をと もなう • →日本語学(基礎研究)で「成果」とされるものが日 本語教育(応用研究)で求められるものと乖離する • →日本語学と日本語教育は「半離婚状態」(庵2011a) になって、現在に至る 日本語学の停滞 • 寺村文法の三本柱(cf. 庵2013、野田2011) • 1.日本語の記述的研究 • 2.対照研究 • 3.日本語教育のための研究 • →寺村の指導・影響を受けた研究者の大部分が 1のみを継承した • →「日本語学」の研究書・論文から、「外国語 との対照」と「学習者のデータ」が消える • →それと軌を一にして、日本語学の研究の「タ コツボ化」が進む(研究の「閉塞感」) 母語話者のための文法と学習者のための文法 • 母語話者は「文法能力(grammatical competence)」 を持っている • 1.母語話者は、任意の母語の文について文法 • 性判断をすることができる • 2.母語話者は、(モニターが可能な環境にお • いては)文法的な文のみを産出する • →母語話者のための文法では、母語話者の内省に 依存した説明ができる(「謎解き」) • ○○とは言いますね。××とは言いませんね。 • それはなぜかというと、~(だ)からです。 母語話者のための文法と学習者のための文法 • 学習者のための文法では、学習者の内省に依存した 説明はできない • →次の2つは異なるものである • 「日本語(母語話者にとってのJapanese language)」 • 「ニホン語(学習者にとってのJapanese language)」 • (白川2002、庵2002, 2013) • →日本語学の説明は基本的に「日本語」としてのも のなので、そのままでは学習者に対する説明として は不十分である(ことが多い) 「日本語教育の役に立つ」とは? • 「日本語教育の役に立つ」文法研究は、「(学 習者の)産出に役立つ」ものである必要がある • →発表者の考える「日本語教育文法」(cf. 森・ 庵編2011) 「理解のための文法」から「産出のための文法」へ • • • • • • • • 「理解レベル」と「産出レベル」 理解レベル:意味がわかればいい 産出レベル:意味がわかった上で使える必要がある ex. 「事由」と「理由」 事由:ほぼ法律関係でのみ使われる。大部分 の日本語母語話者にとって理解レベル 理由:全日本語母語話者にとって産出レベル →一般に、L1でもL2でも、理解レベルの方が産出 レベルよりずっと多い • →非母語話者に対する文法を考える際、理解レベルと 産出レベルの区別を明確にすることが重要(cf. 庵2009, 2014a, 2014b) 「理解のための文法」から「産出のための文法」へ • • • • • • 「理解のための文法」= 「(規則のカバー率)100%を目指す文法」の特徴 1.規則が増える 2.規則が抽象的になる →どちらも「産出のための文法」にとっては不適切 →「(カバー率)100%を目指さない文法」が必要 (庵2011b) 類義表現の新しいとらえ方 • これまでのとらえ方 • 形式Aの意味→X • 形式Bの意味→Y • →XとYの関係が捉えにくく、産出面で不適切 • 新しいとらえ方 • 形式Aのみが使われる環境→X • 形式Bが使える環境 →not X 類義表現の新しいとらえ方 • 環境X • 形式Aのみ • が使える • 有標 • Cf. サ行の子音 • [i]の前:[∫] • 有標 環境 not X 形式Bが使える 無標 <相補分布> [i]以外の前:[s] 無標 類義表現の新しいとらえ方 • 文脈指示のソとア(cf. 久野1973、金水・田窪1990, 1992) 聞き手 話し手 知っている 知らない 知っている ア ソ 知らない ソ ソ • 話し手と聞き手が共に指示対象を知っている:ア • それ以外 :ソ 類義表現の新しいとらえ方 • 文脈指示のソとア • 話し手と聞き手が共に指示対象を知っている:ア(有標) • それ以外 :ソ(無標) • →規則としてはきわめて単純であるにもかかわらず、上級、 超級でも誤用が多い • (なぜか?) • 明示的に教えられていない(cf. 庵2012)ため、現場指示の 規則を過剰一般化(overgeneralization)する • →これまでの日本語学の記述を上記の観点から見直す必要性 一般言語学への貢献 • 「学習者への説明」(「日本語教育文法」)を 突き詰めていくと、一般言語学に結びつくこと がある • テイル形、テイタ形におけるル、タのとらえ方 (→配付資料) • 名詞の二分類(cf. Iori 2014、庵2007) • 「~の」を項としてとる :1項名詞 • 「~の」を項としてとらない:0項名詞 まとめ • 「日本語学」と「日本語教育(のための文法)」 は本来性格が異なる • →日本語学の記述をそのまま日本語教育に持ち込 んでも、役に立たないことが多い • →日本語学の研究が進めば、それが結果として、 日本語教育の役に立つ(これは「幻想」) • →日本語教育にとって何が必要かを踏まえた研究 をしない限り、「日本語教育の役に立つ」研究に はならない まとめ • 「日本語学」の成立要件 • 1.一般言語学としての「日本語」の研究 • 2.「日本語教育の役に立つ」研究 • →現在の日本語学は、このいずれにも貢献して いない(いるとは言いがたい) • →現状を続けていけば、(少なくとも日本国内 では)早晩、「日本語学」は大学でのポストを 失うことになりかねない • →「説明責任(accountability)のある研究」を 目指さなければならない まとめ • より詳しくは下記をご覧ください • 庵 功雄(2013)『日本語教育、日本語学の • 「次の一手」』くろしお出版 参考文献(予稿集以外) • • • • • • • • • • • • • • • • • • 庵 功雄(2009) 「地域日本語教育と日本語教育文法:「やさしい日本語」という観 点から」『人文・自然研究』3、一橋大学 庵 功雄(2014a) 「「やさしい日本語」研究の現状と今後の課題」『一橋日本語教 育研究』2、ココ出版 庵 功雄(2014b)「文法シラバスの作成を科学する」『公開シンポジウム シラバス の作成を科学にする』予稿集 井上和子(1976a,b)『変形文法と日本語(上下)』大修館書店 奥田靖雄(1985)『ことばの研究・序説』むぎ書房 久野 暲(1973)『日本文法研究』大修館書店 柴谷方良(1978)『日本語の分析』大修館書店 鈴木重幸(1972)『日本語文法・形態論』むぎ書房 高橋太郎(1985)『国立国語研究所報告82 現代日本語動詞のアスペクトとテンス』秀 英出版 寺村秀夫(1982)『日本語のシンタクスと意味Ⅰ』くろしお出版 野田尚史(2011)「新日本語研究者列伝 寺村秀夫」『日本語学』30-10 南不二男(1974)『現代日本語の構造』大修館書店 宮島達夫(1972)『国立国語研究所報告43 動詞の意味・用法の記述的研究』秀英出版 渡辺 実(1971)『国語構文論』塙書房 ご清聴ありがとうございました
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