Teaching Japanese as a Foreign Language Y.T.英語英文学科 2 年次 参加期間: 2014 年 2 月 14 日~ 3 月 16 日(4 週間) 受 入 校: (学校名 Kew High School) (都市名 メルボルン) Ⅰ.教育実習について 私は今回、4 週間の日本語教師のアシスタント及び、教育実習を行ってきました。学校は、公 立の共学、中高一貫校で 7 年生(日本の中学 1 年)から 9 年生(日本の高校 3 年)が学んでいま す。7年生から必修でフランス語か、日本語を選択しなければならず、10 年生からは日本語は必 修でなくなります。そのため、10 年生からは、非常に意欲の高い生徒が集まっていました。学校 は、メルボルン市内に 30 分くらいでいける便利な所に立地していて、ある程度裕福な方が住ん でいる所でした。生徒は、素直で勉強熱心で良い子たちでした。 出国前は、教育実習が初めてなので心臓がドキドキしていました。専攻が日本語ではないので、 TJFL に挑戦していいのか不安でいっぱいでした。しかし、心配は無用でした。日本語が上手な 3 人のオーストラリア人の日本語の先生がいらっしゃったからです。学校には、必ず日本語の先生 がおられるので、TJFL を怖がらずに挑んでください。先生方が、いつでもサポートしてくれます。 私の場合、アンドリュー先生という日本語の先生のもと日本語の授業に参加していました。一 週目は、私の自己紹介が多かったです。学校についてすぐ、授業に参加し、先生に「今日から新 しい日本語の先生が来た。 」と前置きをしてもらって、自己紹介をゆっくりとした日本語で行いま した。生徒は、新しい先生が来たと目を輝かし、静かに聞いてくれました。オーストラリアでは、 日本のマンガ・アニメが好きな生徒が多いようで、自己紹介時にはアニメ・マンガが好きと言う と、生徒は親近感を持ってくれました。図書館でも、日本のマンガがおいてありました。最初の 授業は、外国で日本語がどのように教えられているかすべてが新鮮でした。また、生徒の表情を よく観察して、クラスの運営の仕方を勉強しました。現地の先生に言われた言葉なのですが、 「立 ち方が精神を創る」をポリシーに学校では生徒の見本になるように振る舞いました。例えば、廊 下での挨拶。いつも口角を上げて、猫背でなく堂々と歩くように心がけました。生徒とすれ違う と、 「こんにちは。 」や、 「ゆき先生」と挨拶をされるので本当にやりがいを感じました。50 分の 授業時では、普段は気の弱い私ですが、まるで人が変わったかのように、大きな声で生徒を指導 しました。現地の先生の支えと教えがあり、後半は一人で 50 分のクラスを運営することができ ました。しかし、最初から出来たわけではありませ ん。大きな声での自己紹介、生徒の観察、先生の指 示の観察、20 分の指導の失敗と段階を踏んで行って 進化したのです。このプログラム参加前までは、自 分が教壇に立つのは想像もしませんでした。いわゆ る普通の大学生でした。しかし、いざ学校に登校し、 生徒と交流を深めると、自分に適性があったからか 挑戦をすることができました。 Teaching Japanese as a Foreign Language 次に、何をやっていたのか具体的に書きます。最初は、授業中の見回りです。生徒に誤った日 本語があれば、訂正します。現地の先生の指示があれば、ホワイトボードで漢字の見本や、ひら がな・カタカナを書きます。職員室では、日本語の回答の添削でした。常に自分が何かできるは ずだと模索していました。他にも、リスニング対策に教科書と近い文をつくり、授業で読み上げ ました。日本語試験の対策にスピーチ例もつくりました。また、会話の試験対策に、生徒と個別 に練習することもありました。授業を行う前日は、職員室にこもり準備をしていました。私が職 員室の鍵を閉める日もありました。 しかし、苦痛は全く感じませんでした。来て間もない私には、学ぶものと学ぶべきことで溢れ ていたからです。努力が、何らかの形で帰ってきます。例えば、クラスで理解の遅い生徒が一人 いました。彼女には、日本語の会話の試験はとても難しそうでした。しかし、彼女はわたしと何 十回も一対一で練習を行いました。徐々に彼女のミス は減り、試験では成功をおさめました。帰りの際には、 「ありがとう、ゆき先生」と本当に嬉しそうに挨拶を してくれました。向上を望まない生徒はいません。先 生が、どう引き出してあげるかが大切であり、引き出 せたときの喜びは、何物にも変えがたいものでした。 生徒の向上と、笑顔が原動力でした。 Ⅱ.ホストファミリーについて 私は、2 つの家庭にホームステイさせていただきました。最初の家族は、私の行く学校の中学 3 年生の男の子と、高校 3 年生の女の子がいました。とても家族仲が良く、やさしい人たちでした。 会話についていけない時も、 「ゆき、これを知ってるかい?」と、話しかけてくれました。最初の 土曜日は、弟さんのフェンシングの送迎に同伴したり、お姉さんの課題を眺めたりしました。日 曜日は、メルボルン市にお母さんと洋服を買いに行きました。日本は、真冬だったのでオースト ラリアで夏服を調達しました。午後に、後半のホームステイの家族と合同で、前半のホームステ イの家でウェルカムパーティーをしてくれました。とっても楽しくて、私のホームステイで二つ の家庭が知り合うのはロマンチックでした。第二週目の土日は、動物園や、ワイナリ―を訪れま した。特に、日曜日は弟さんの誕生日でおじいちゃんと、おばあちゃんまで来ました。会話につ いていけないときは、 「グレイビーって食べたことある?」と、聞いてくれてとても思いやりのあ る理想の家族でした。平日は、学校の後に弟さんの フェンシング教室に行ったり、サッカーを見に行っ たりしました。 後半のホームステイの家族は、私の行く学校の中 学 3 年生の男の子と、小学 4 年生の女の子がいまし た。第三週目の土曜日や日曜日は妹さんのジムナス テッィクを見に行ったり、水泳を見に行ったりしま した。彼女は日曜日に日本語学校に通っていました。 Teaching Japanese as a Foreign Language そのため、家で彼女の宿題をみることもありました。お父さんとはメルボルンの海岸やマーッ ケトを散策しました。平日は、兄妹のテニスの習い事を見に行きました。 4 週目の土日は、植民地時代の豪邸コモハウスや庭園リッポンリーをお兄さんとお父さんと訪 れました。スウェーデンの教会や、スロバキアの邸宅も訪れました。月曜日が祝日のため 3 連休 を大いに楽しみました。その月曜日には家族全員でフェリーに乗りました。メルボルン近郊を 8 時間かけて一周しました。オーストラリアの海が一望できるアーサーズシートを家族全員で座り ました。特に、妹さんは私を姉として慕ってくれ帰国時には空港で一緒に泣きました。両ホーム ステイとも、別れが辛かったです。 Ⅲ.参加希望者へのアドバイス このプログラムは、現地の生徒と一緒になって学べるのが最大の特徴です。生徒と混じって遠 足に行くこともあれば、ホームルームで生徒 5 人と新聞紙の上に立つ活動もあり、生徒の保護者 と BBQ や、全校集会で吹奏楽部の演奏を聴くこともありました。生徒と一緒に笑いと困難を 4 週 間も共有でき、家では学校生活についてたくさん話せるのは、このプログラムの最大の魅力です。 このプログラムには、たくさんの学びで溢れています。現地の中学生と、高校生に交じって通 学をし、学校では教師として生徒の勉強をサポートし、時には励まします。クラス運営が失敗し たときも、成功した時の喜びを糧に頑張れます。前述した女子のテストでの成功や、生徒との交 流や信頼が私を突き動かしました。たとえ、教師志望でない方も、英語や日本語も専攻していな い方もこのプログラムに興味をもったなら、挑戦をしてください。そこで、自分の適性と可能性 を見出してください。
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