38点 - 佐藤研究室

甲南大学
2014 年 度
指導教員
マネジメント創造学部
卒業研究プロジェクト
佐藤治正
「今求められる幼児教育とは(仮)」
11181134
目次
はじめに
1 章 幼児教育とはなにか
2 章 今求められる幼児教育とは
3 章 ビジネスとしての幼児教育
おわりに
1
水野綾香
目次
はじめに
第 1 章 幼児教育とはなにか(現状)
第 1 節 幼児教育の定義
( 1) 辞 書 か ら 見 る 教 育 の 意 味
( 2) 文 部 科 学 省 に よ る 学 習 指 導 要 領
( 3) 人 間 と い う 種 に お け る 教 育 の 重 要 性
第 2節
日本における幼児教育
( 1) 万 葉 集 時 代 か ら 、 前 近 代 ま で
( 2) 現 代
第 2 章 今 求 め ら れ る 幼 児 教 育 と は ( 理 論 )、 ケ ー ス ス タ デ ィ
第 1 節 人生における幼児教育の重要性(他に入れたほうがよいかも)
( 1)「 エ ミ ー ル 」 か ら 読 む 幼 児 教 育
( 2) マ シ ュ マ ロ テ ス ト で 測 る self-control
( 3) self-control か 、 IQ か
( 4) 生 き る 力 を 養 う と い う こ と
第 2 節 日本の幼児教育の課題
( 1) 現 代 の 幼 児 教 育 に 足 り な い も の
( 2)
第 3 章 ビジネスとしての幼児教育(産業)
おわりに
2
はじめに
第1章 幼児教育とは
第 1節 幼 児 教 育 の 定 義
( 1) 辞 書 か ら 見 る 教 育 の 意 味
教育の意味を辞書に求めると、
「 あ る 人 間 を 望 ま し い 姿 に 変 化 さ せ る た め に 、心 身 両 面 に
わ た っ て 、意 図 的 、計 画 的 に 働 き か け る こ と 」
「 知 識 の 啓 発 、技 能 の 教 授 、人 間 性 の 涵 養 な
ど を 図 り 、そ の 人 の も つ 能 力 を 伸 ば そ う と 試 み る こ と 」 1 と あ る 。ま た 、別 の 辞 書 で は「 社
会 生 活 に 適 応 す る た め の 知 識・教 養・技 能 な ど が 身 に つ く よ う に 、人 を 教 え 育 て る こ と 」 2
と あ る 。言 い 回 し は 違 う が 、こ れ ら に 共 通 す る の は「 人 間 形 成 の 働 き か け 」
「 文 化・技 術 を
伝え、社会の成員として生きていけるようにする営み」である。
ま た 、 教 育 ( education, educate) の 語 源 は ラ テ ン 語 の educere で 、「 引 き 出 す 」「 潜 在
するものを実現化する」ことを意味する。子どもがもつ可能性を教育が引き出し、実現化
す る の で あ る 。そ の た め 、教 育 と は「 発 達 の 可 能 性 を 実 現 化 す る 、発 達 を 促 進 さ せ る も の 」
と い う 側 面 が あ る と 言 え る 。加 え て 、
「 社 会 化 、社 会 的 同 化 作 用 」と い う 側 面 も あ り 、教 育
によって子どもは社会に合う存在、他者や社会と調和的な存在になっていく。自分の欲求
のまま生きるのではなく、集団の規範に従い、集団が共有する行動様式を身につけ、また
社会が必要とする知識や技術を身につけて社会の成員になり、そして次世代に文化を伝達
していくのである。このように教育の意味をたどっていくと、教育とは、人間が自己を形
成し社会で生きていく上で最も重要なものと言えるのではないだろうか。
( 2) 文 部 科 学 省 に よ る 学 習 指 導 要 領
文 部 科 学 省 は 1980 年 代 か ら 、大 人 が 示 す 知 識 を 学 び と る だ け で な く 、
「自ら学び考える
こ と 」や「 生 き る 力 」を 重 視 す る よ う に な り 、1989 年 に 学 習 指 導 要 領 を 改 訂 し 、新 学 力 観
を 打 ち 出 し た 。知 識 中 心 か ら 自 ら 考 え 主 体 的 に 判 断 す る 力 の 重 視 、学 習 指 導 か ら 学 習 支 援 、
知識・理解の重視から関心・意欲・態度の重視へと重点が移行し、子どもの能動性や主体
性を重視する教育観が提唱された。なかでも幼児期における教育の重要性について文部省
は、
「 人 の 一 生 に お い て 、生 涯 に わ た る 人 間 形 成 の 基 礎 が 培 わ れ る 極 め て 重 要 な 時 期 」だ と
述 べ て い る 3 。し た が っ て 大 人 は 、幼 児 期 に お け る 教 育 が そ の 後 の 人 間 と し て の 生 き 方 を 大
きく左右する重要なものであることを認識し、子どもの育ちについて常に関心を払うこと
1小 学 館
デジタル大辞泉より
明鏡国語辞典より
文 部 科 学 省『 第 一 章 子 ど も を 取 り 巻 く 環 境 の 変 化 を 踏 ま え た 今 後 の 幼 児 教 育 の 方 向 性 』
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04102701/002.htm
3
2大 修 館 書 店
3
が必要だという。
( 3) 人 間 と い う 種 に お け る 教 育 の 重 要 性
次に、なぜ人間にとって教育は重要であるのか、他の高等哺乳動物と比較して述べたい
と思う。人間以外の高等哺乳動物たちは、生きていくための基本的な能力をほとんど身に
つけて生まれてくる。それに対し、人間は種としての生存に関わる諸能力を身につけない
ままの状態で生まれてくる。人間の場合だけ、種としての生存に関わる重要な基本的能力
を生まれてから後で獲得するのである。
ア ド ル フ・ポ ル ト マ ン 4 は 、そ の 理 由 を 、人 類 が ほ か の 動 物 と は 比 較 に な ら な い ほ ど の 大
きな脳を手に入れたためだと考えた。そしてそのため人間の新生児は、ほかの高等哺乳類
に比べて大脳が未熟な状態で生まれ、ゆっくり時間をかけて大人になるという生育過程を
持つようになったと考えた。ポルトマンは人間の新生児と他の高等哺乳動物の新生児を誕
生時の状態を比べ、人間の新生児は「生理的早産」であると指摘した。他の高等動物の新
生児が種としての基本的な能力を誕生時にすでにもって生まれてくるのに対して、人間の
場合、直立姿勢、言語能力、洞察力のある行為など、種としての基本的な能力は生後 1 年
近 く た っ て よ う や く 獲 得 さ れ る 。人 間 は 大 き な 学 習 可 能 性 を 持 つ 状 態 で 生 ま れ 「
、ゆっくり」
成長するのである。人間は他の高等哺乳類に比べ、子ども時代(=成長期)が長い。つま
り人間は、環境からの影響を早い時期から長い期間にわたって受け、環境によって変わり
う る 、発 達 の 可 能 性 が 大 き い と い う こ と に な る 。そ の た め 、生 後 に 与 え ら れ る 、
「人間形成
の働きかけ」である教育は非常に重要だと言える。
第 2 節 日本における幼児教育
( 1) 万 葉 集 時 代 か ら 、 前 近 代
ではその人間にとって大切な教育は、日本においてどのように変化してきたのか。そも
そも日本人は本質的には子どもを大切にする民族で、いつの時代でも子どもを産み育てる
ことは社会全体の重要な使命とされ、子どもの日々の成長を楽しみとし、喜んできたと言
わ れ る 。『 万 葉 集 』 に は 、 山 上 憶 良 の 「 瓜 食 め ば 子 ど も 思 ほ ゆ 、 栗 食 め ば ま し て し の は ゆ 、
いずくより来たりしものぞ、眼交にもとな懸りて安眠し寝さぬ、銀も金も玉も何せむにま
さ れ る 宝 、 子 に し か め や も 」 と い う 「 子 等 を 思 ふ 一 首 」 が あ る 。『 竹 取 物 語 』 に も 、「 養 う
程にすくすくと大きくなりまさる」
「 こ の 稚 児 の か た ち 、け う ら な る こ と 、世 に な く 、屋 の
うちは暗きところなく光に満ちたり。翁心地あしく苦しき時もこの子を見れば苦しきこと
もやみぬ。腹立たしきことも慰みにけり」とある。これは、大事に育てられる子はすくす
くと育ち、その成長ぶりが育てるものに喜びを与え、苦しいことも忘れさせることを意味
する。
そして、時代は変わるが、日本に滞在した外国人の記録からも日本人の子どもへの接し
方 が う か が え る 。 1873 年 か ら 85 年 ま で 日 本 に 滞 在 し た ネ ッ ト ー 5 は 、「 日 本 ほ ど 子 供 が 、
下層社会の子供さえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、
小 髷 を つ け た 子 供 た ち が 結 構 家 族 全 体 の 暴 君 に な っ て い る 」6 と 言 っ た 。1872 年 か ら 1876
年 ま で 在 日 し た ブ ス ケ 7 に も「 日 本 の 子 供 た ち は 、他 の ど こ で よ り 甘 や か さ れ 、お も ね ら れ
て い る 」 8 よ う に 見 え た 。 モ ー ス 9 は 、『 日 本 そ の 日 そ の 日 』 に お い て 、「 私 は 日 本 が 子 供 の
4 ス イ ス の 生 物 学 者 。バ ー ゼ ル 大 学 教 授 。著 作『 人 間 は ど こ ま で 動 物 か 』で 教 育 学 な ど に 大
き な 影 響 を 与 え た 。( コ ト バ ン ク よ り )
5 ド イ ツ 人 鉱 山 学 者 。 明 治 6 年 ( 1873 年 ) に お 雇 い 外 国 人 と し て 来 日 。
(コトバンクより)
6『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p390 よ り
7 明 治 初 期 、司 法 省 が 初 め て 雇 用 し た フ ラ ン ス の 法 律 家 。お 雇 い 外 国 人 の 一 人 。
(コトバン
クより)
8『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p390 よ り
9 ア メ リ カ の 動 物 学 者 で 、 お 雇 い 外 国 人 の 一 人 。 1877 年 来 日 。 大 森 貝 塚 を 発 見 、 そ の 調 査
4
天 国 で あ る こ と を く り か え さ ざ る を 得 な い 。世 界 中 で 日 本 ほ ど 、子 供 が 親 切 に 取 り 扱 わ れ 、
そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断する
と 、子 供 達 は 朝 か ら 晩 ま で 幸 福 で あ る ら し い 」1 0 と 繰 り 返 し て い る 。カ ッ テ ン デ ィ ー ケ 1 1 は 、
「一般に親たちはその幼児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高下を問わず、どの家庭生
活 に も み な ぎ っ て い る 」 1 2 と 感 じ た 。ま た 、「 日 本 の 子 ど も は 泣 か な い 」と い う の が 、訪 日
欧米人の定説だったと言われている。モースは「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめった
になく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見て
い な い 」 13と 書 い て い る 。 こ う い っ た 記 録 か ら 、 日 本 の 子 ど も が ほ と ん ど 溺 愛 と い っ て よ
いほどの愛情を受け育っていたことが分かる。しかし、甘やかされてだめになることはな
く、子どもは小さいときから礼儀作法を仕込まれていて、親の最大の関心は子どもの教育
だ っ た と ア ン ベ ー ル 14は 証 言 し て い る 。 以 上 か ら 、 日 本 に お い て 親 が 子 に ど の よ う に 接 し
てきたのか、想像することが出来る。
では、子ども達は実際にどのような生活を送っていたのだろうか。これも、日本に滞在
経 験 の あ る 外 国 人 の 記 録 か ら 読 み 取 り た い 。 イ ザ ベ ラ ・ バ ー ド 15、 ジ ェ フ ソ ン = エ ル マ ー
ス ト 16は 「 子 ど も に 特 別 な 服 装 は な く 、 子 ど も が 大 人 と 全 く 同 じ 衣 装 を し て い る 」 こ と に
奇妙さや滑稽さを感じたという。
し か し 在 日 外 国 人 た ち を 驚 か せ た の は そ れ だ け で は な い 。 フ レ イ ザ ー 夫 人 17や バ ー ド は
「 子 ど も た ち の 威 厳 と 落 着 き 」 を 目 に し た こ と を 記 録 し て い る 。 フ レ イ ザ ー 夫 人 は 1890
年の雛祭りの日に、ある華族の家に招待された。彼女は『英国公使夫人の見た明治日本』
で、その日のヒロインである 5 歳の少女が「お人形をご覧になられますでしょうか。別の
部屋においで下さる労をおかけしますことをどうかお許しください」と口上を述べ、完璧
に落着きをはらって彼女を奥の間に導いたと述べている。バードは、土崎港の祭にて、町
筋 を 練 り 歩 く 車 の 上 の 舞 台 で 、顔 を 真 っ 白 に 塗 り か つ ら を か ぶ っ た 8 つ か 9 つ く ら い の 少
女がまるで「江戸の新富座の俳優」のように巧みに踊るのを見、その完璧な落着きに胸を
痛めたという。日本の子どもは、近代的観念と同様、無邪気で愛らしい、子どもらしいこ
どもだった。しかし必要とあれば、大人顔負けの威厳と落着きを示すことを何ら妨げるこ
とはなかった。それは、不断に大人に立ち交って、大人たちの振舞いから、こういうとき
は こ う す る 、と 学 ん で い た か ら で あ る 。ブ ス ケ や ネ ッ ト ー は 、
「 日 本 の 子 ど も は 、外 で の 娯
楽や寺詣りに花見、長旅の巡礼にと、大人と一緒にどこへでも出掛けた」ことを述べてい
「あらゆる事
る 。エ ド ウ ィ ン ・ ア ー ノ ル ド 1 8 に よ る と 、日 本 の 赤 ん 坊 は お ん ぶ さ れ な が ら 、
柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買物、料理、井戸端会議、洗濯など、まわりで
起るあらゆることに参加する。彼らが四つか五つまで成長するや否や、歓びと混り合った
格 別 の 重 々 し さ と 世 間 智 を 身 に つ け る の は 、 た ぶ ん そ の せ い な の だ 」。 1 9
これらのから、徳川期の日本では、大人と子どもの分割線の配置が異なっていて、幼く
にあたり、東京大学で動物学を講じ進化論を紹介するなど日本の考古学・人類学に道を開
い た 。( コ ト バ ン ク よ り )
10『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p390 よ り
11 オ ラ ン ダ の 海 軍 士 官 、 海 軍 大 臣 。 長 崎 海 軍 伝 習 所 教 官 ペ ル ス ・ ラ イ ケ ン の 後 任 と し て 、
幕 府 注 文 軍 艦 『 ヤ パ ン (咸 臨 丸 ) 』 号 の 回 航 を 兼 ね て 1857 年 11 月 7 日 、 長 崎 に 到 着 。
幕 臣 勝 海 舟 (安 芳 ) , 榎 本 武 揚 を は じ め 諸 藩 の 伝 習 生 を 多 く 教 育 。( コ ト バ ン ク よ り )
12『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p392 よ り
13『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p394 よ り
14幕 末 に 来 日 し た ス イ ス の 教 育 者 、 政 治 家 。
(コトバンクより)
15 イ ギ リ ス の 女 性 旅 行 家 、 紀 行 作 家 。
16
17
ヒ ュ ー・フ レ イ ザ ー( 外 交 官 )の 妻 、メ ア リ ー 。回 想 記『 英 国 公 使 夫 人 の 見 た 明 治 日 本 』
に よ り 有 名 に な る 。( ウ ィ キ ペ デ ィ ア よ り )
18 イ ギ リ ス 出 身 の 新 聞 記 者 、 詩 人 。
(ウィキペディアより)
19 『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p406 よ り
5
し て 大 人 の い で た ち だ っ た こ と が わ か る 。 フ ィ リ ッ プ ・ ア リ エ ス 20は ヨ ー ロ ッ パ で は 近 世
に至るまで子どもは小さな大人として扱われ、子どもという特別な人生のステップは認め
ら れ て い な か っ た と い う 。し か し 彼 が 言 う の は 、18 世 紀 後 半 以 降 に 設 け ら れ た よ う な 、特
殊近代的な子どもと大人の分割線はそれ以前においては存在しなかったということにすぎ
ない。これは日本においても同様のことが言えるのではないだろうか。
カ ッ テ ン デ ィ ー ケ は 、 日 本 人 の 幼 児 へ の 態 度 を 『 エ ミ ー ル 』 21に 例 え て 賞 讃 し た が 、 年
齢がやや長ずると親が子どもを放任するため「
、或る階級の日本人全部の特徴である自惚れ
2
2
と自負は全て教育の罪だ」 というのが彼の結論だった。またチェンバレンも日本の子ど
もを賞讃した後、
「 残 念 な こ と は 、少 し 経 つ と 彼 ら の 質 が 悪 く な り が ち な こ と で あ る 。日 本
の若い男は、彼の八歳か十歳の弟よりも魅力的でなく、自意識が強くなり、いばりだし、
と き に は ず う ず う し く な る 」 23と 書 い て い る 。 盲 愛 に 近 い 子 ど も へ の 愛 情 は 、 子 ど も の 基
本的な情感と自我意識につよい安定を与えると同時に、一方では別種の問題を生じさせる
可能性を持ったようだ。欧米人からすると、日本人の子育てはあまりに非抑圧的で、必要
な 陶 冶 24と 規 律 を 欠 く も の の よ う に 見 え た の だ 。
( 2) 現 代
で は 次 に 、現 代 の 幼 児 教 育 の 現 状 を 述 べ た い と 思 う 。2013 年 に 出 さ れ た 文 部 科 学 省 の『 教
育 指 標 の 国 際 比 較 』に よ る と 、2011 年 の 幼 稚 園 の 在 籍 率 は 、3 歳 児 が 41.4%、4 歳 児 が 53.6%、
5 歳 児 が 54.8%。一 方 保 育 所 の 在 籍 率 は 、3 歳 児 が 37.2%、4 歳 児 が 40.6%、5 歳 児 が 39.8%。
幼 稚 園 と 保 育 園 を 合 わ せ る と 、3 歳 児 が 78.6%、4 歳 児 が 94.2%、5 歳 児 が 94.6%。現 在 の
日 本 に お い て は 3 歳 児 の 半 分 以 上 、4、5 歳 児 の ほ ぼ 全 員 が 幼 稚 園 か 保 育 所 に 在 籍 し て い る
こ と が わ か る 。 幼 稚 園 の 3 歳 児 の 在 籍 率 の 変 化 を た ど る と 、 1965 年 が 2.9%、 1975 年 が
6.5%、1985 年 が 14.0%、1995 年 が 28.3%、2005 年 が 36.3%で 、3 歳 児 の 在 籍 率 の 伸 び が
著 し い こ と が わ か る 。濱 名 陽 子( 2011)は 、満 3 歳 に 達 し た 日 か ら の 幼 児 の 就 園 を 許 可 す
るという幼児教育施策上の措置や、私立幼稚園の経営上の必要性もあいまって、子ども達
を出来るだけ早く正規の教育機関である幼稚園に就園させる傾向を読み取ることが出来る
と述べている。
ま た 濱 名 ( 2011) は 、 現 代 の 日 本 で は 、 都 市 化 や 核 家 族 化 、 ま た 少 子 化 の 進 行 と 家 庭 の
教育力の低下を関連付け、そのことを解決すべく政策や法制上で「幼児教育」を重要視す
る傾向にあり、また社会的にも子どもを早くから意識的な教育の対象としてとらえる動き
が強まっていると言う。幼児期において子どもの育ちに関わる場は、現在大きく次の 4 つ
に分けられる。第一は、子どもの養育者によってしつけ等の働きかけが行われる家庭。第
二は、子どもが近所の子どもと一緒に遊んだり、養育者以外の地域の大人として関わる場
としての地域社会。第三は幼稚園や保育所といった正規の就学前教育(保育)機関。そし
て第四が、お稽古事や通信教育、幼児向けの塾などの幼児教育産業が提供する幼児教育の
場 で あ る 。 濱 名 ( 2011) は 日 本 の 幼 児 教 育 の 特 徴 と し て 、 第 一 に 家 庭 と い う 私 的 領 域 で 行
われる部分が大きく、各家庭の階層や文化、保護者の意識等によって規定され左右される
側面が強いと指摘している。そしてその家庭において、子どもと主に接していると考えら
れ る 母 親 と の 関 係 は 近 年 変 化 し て き て い る 。首 都 圏( 東 京 都 、神 奈 川 県 、千 葉 県 、埼 玉 県 )
の 0 歳 6 ヶ 月 ~ 6 歳 就 学 前 の 乳 幼 児 を も つ 保 護 者 3522 名 を 対 象 に Benesse 次 世 代 育 成 研
究 所 が 2010 年 に 実 施 し た 調 査 で は 、 平 日 、 保 育 園 ・ 幼 稚 園 以 外 で 幼 児 が 一 緒 に 遊 ぶ 相 手
は 、「 母 親 」 が 2010 年 ま で の 15 年 で 55.1%か ら 83.1%へ と 30%近 く 増 加 。 そ の 一 方 「 友
達 」 が 56.1%か ら 39.5%へ と 20%近 く 減 少 し て い る 。 こ の よ う な 数 字 か ら 考 え る と 、 母 親
20
フ ラ ン ス の 中 世 社 会 研 究 を 主 と す る 歴 史 家 。( ウ ィ キ ペ デ ィ ア よ り )
ル ソ ー の 書 い た 小 説 形 式 の 教 育 論 。「 子 ど も の 発 見 の 書 」 と も 言 わ れ る ( コ ト バ ン ク )
22『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p419 よ り
23『 逝 き し 世 の 面 影 』 渡 辺 京 二
p419 よ り
24 人 の 性 質 や 能 力 を 円 満 に 育 て 上 げ る こ と ( コ ト バ ン ク よ り )
6
21
と子どもとの関係は近年濃厚になってきていると考えられる。このことからも、家庭とい
う 私 的 領 域 で 行 わ れ る 幼 児 教 育 の 影 響 は 非 常 に 大 き い と 言 え る の で は な い だ ろ う か 。ま た 、
家庭教育だけでなく、幼稚園選びや第四の教育の場である幼児教育産業でも、そのどれを
購入し子どもを与えるかについては、子ども自身よりも保護者の意向が強く働き、保護者
自身の価値観や意識によって左右される側面が強いという。加えて第二の特徴として、公
的な制度としての幼稚園も、初中等教育の学校と異なり、その 8 割を私学が占めており、
園の設置基準や保育のあり方の面で全国的な基準はあるものの、初中等教育と比較すると
園によって独自性、多様性に富んでいることを挙げている。したがって幼児教育産業ばか
りでなく、公的な制度の中にある幼稚園も市場競争の中に存在する傾向にあり、それを利
用する側の選択の余地が大きいことが特徴といえる。
こ の よ う な 幼 児 教 育 に 関 係 す る 問 題 と し て 、 原 子 純 ( 2011) は 1990 年 代 の 半 ば 頃 か ら
広 ま り 出 し た 「 小 1 問 題 」 を 挙 げ て い る 。 小 1 問 題 と は 、「 子 ど も た ち が 教 室 内 で 勝 手 な
行動をして教師の指導に従わず、授業が成立しないなど、集団教育という学校の機能が成
立しない学級の状態が一定期間継続し、学級担任によるこれまでの慣習化した手法では問
題 解 決 が で き な い 状 態 」だ と 国 立 教 育 研 究 所 は 定 義 し て い る 。こ の 問 題 に 対 し て 原 子( 2011)
は 「 子 ど も 同 士 で 学 び 合 う 経 験 が 不 足 す る 中 で 、 小 学 校 に 入 学 す る と 35 人 近 い 子 ど も た
ちが 1 つの教室で学習するのである。様々な問題が起こっても当然」だと述べている。そ
の上で、
「 就 学 前 に お い て は 、保 育 所 や 幼 稚 園 が 中 核 と な っ て 家 庭 や 地 域 社 会 と と も に 幼 児
教育を総合的に推進していくことが重要であり、また、幼児の生活の連続性及び発達や学
びの連続性の観点から、保育所・幼稚園と小学校双方が円滑に接続されていることが望ま
しく、就学前から小学校への切れ目のない支援が必要」と述べている。
7
参考文献
1. 小 笠 原 道 雄 【 編 】「 教 育 的 思 考 の 作 法 3 進 化 す る 子 ど も 学 」( 福 村 出 版 、 2009 年 )
2. 山 岸 明 子 「 発 達 を う な が す 教 育 心 理 学 大 人 は ど う か か わ っ た ら い い の か 」( 新 曜 社 、
2009 年 )
3. 子 安 増 生 ・ 杉 本 均 【 編 】「 幸 福 感 を 紡 ぐ 人 間 関 係 と 教 育 」( ナ カ ニ シ ヤ 出 版 、 2012 年 )
4. 苅 谷 剛 彦 ・ 濱 名 陽 子 ・ 木 村 涼 子 ・ 酒 井 朗 【 著 】「 教 育 の 社 会 学 〈 常 識 〉 の 問 い 方 、 見
直 し 方 」( 有 斐 閣 、 2010 年 )
5. 田 嶋 一・中 野 新 之 祐・福 田 須 美 子・狩 野 浩 二【 著 】
「やさしい教育原理」
( 有 斐 閣 、2011
年)
6. 文 部 科 学 省 「 第 一 章 子 ど も を 取 り 巻 く 環 境 の 変 化 を 踏 ま え た 今 後 の 幼 児 教 育 の 方 向
性
」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04102701/002.htm
7. 渡 辺 京 二 「 逝 き し 世 の 面 影 」( 平 凡 社 、 2005 年 )
8. 文 部 科 学 省 「 新 学 習 指 導 要 領 ・ 生 き る 力 」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/you/nerai.htm
9. 濱 名 陽 子 「 幼 児 教 育 の 変 化 と 幼 児 教 育 の 社 会 学 」、 2011 年
10. 文 部 科 学 省 「 教 育 指 標 の 国 際 比 較 」、 2013 年
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/kokusai/__icsFiles/afieldfile/2013/04/10
/1332512_04.pdf
11. Benesse 次 世 代 育 成 研 究 所 「 第 4 回 幼 児 の 生 活 ア ン ケ ー ト ・ 国 内 調 査 報 告 書 」、
2010 年
http://berd.benesse.jp/jisedai/research/detail1.php?id=3207
12. 原 子 純 「 子 ど も の 豊 か な 育 ち と 就 学 前 教 育 」、 2011 年
8