遺伝子検査による病原細菌の同定と病原因子の検索 健康科学研究センター感染症部研究主幹 1 秋山由美 はじめに 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)では、感染症を ①罹患した場合の重篤性、②感染力、③感染経路等を総合的に勘案して一類感染症から五 類感染症に分類し、さらに、緊急時等への対応として、指定感染症、新型インフルエンザ 等感染症、新感染症を加えて、それぞれの分類に応じた対応を定めている。感染症の発生 状況と動向を把握するために、疾病ごとに定められた届出基準に基づいて、感染症を診断 した医師から保健所に届出が出され、当所に設置された感染症情報センターでは、その情 報を集計して、週報や月報として公表している。 感染症の診断は臨床診断と検査診断に分けられ、多くの疾病では、臨床的特徴に加えて、 抗体価測定や遺伝子検出等の検査結果に基づいた報告が求められる。当所では、感染症発 生動向調査において、保健所や医療機関からの要請により、医師から提供を受けた検査材 料について病原体検査を実施している。本講演ではその一例として、遺伝子検査による百 日咳菌(Bordetella pertussis)とその類縁菌の鑑別法、および下痢原性大腸菌の病原因子 の検索法について紹介する。 2 百日咳菌およびその類縁菌の鑑別 百日咳は急性呼吸器感染症で、五類定点把握疾患に指定されている。小児の感染症とさ れ、その予防のために乳幼児期にワクチン接種が行われてきた。しかし近年、百日咳菌の 感作機会の減少によりワクチン効果が減弱した青年や成人間での流行が報告され、2010 年 には 15 歳以上の患者数が全患者のほぼ半数を占めるに至った。百日咳の主な症状は長期間 続く咳嗽で、①発作性の咳込み、②吸気性笛声、③咳込み後の嘔吐が特徴的とされる。し かし、パラ百日咳菌(Bordetella parapertussis)や新しい百日咳類縁菌である Bordetella holmesii も軽度ではあるが類似の症状を示すことから、これらの鑑別が必要となっている。 Bordetella 属菌の迅速な検出には核酸増幅法が用いられており、その中で DNA 上に繰 り返し存在する挿入配列は検出感度が高く、標的遺伝子として汎用されている。Bordetella 属の 3 菌種間では 4 種の挿入配列遺伝子(IS481、IS1001、IS1002 および hIS1001)の保 有特性が異なる。この特性を利用して、各挿入配列を特異的に増幅する 4 組のプライマー を混合したマルチプレックス-コンベンショナル PCR 法による 3 種の Bordetella 属菌の鑑 別法を考案した(図1) 。3 菌種の検出限界はいずれも DNA 濃度として 5 fg/µL であり、 国立感染症研究所の病原体検査マニュアルに示された陽性判定のための基準を満たしていた。 感染症発生動向調査の病原体定点医療機関から 2012 年 4 月~2013 年 12 月に百日咳疑い で搬入された 78 検体(咽頭ぬぐい液 41 件、鼻腔ぬぐい液 33 件、髄液 2 件、気管吸引液 1 件、喀痰 1 件)中、19 検体から B. pertussis を、1 検体から B. parapertussis を、さらに 1 検体から微量の B. holmesii を検出した。B. pertussis を検出した 19 検体のうち 8 検体 は、2012 年 7~8 月に一つの保育所を中心として発生した集団感染事例のものであった。 IS1002 IS1001 hIS1001 IS481 図1 Bordetella 属菌の電気泳動像 Lane M, 100 bp ladder Lane 19, negative control Lane 1-6, DNA of B. pertussis (1, 500 pg/µL; 2, 50 pg/µL; 3, 5 pg/µL; 4, 500 fg/µL; 5, 50 fg/µL; 6, 5 fg/µL) Lane 7-12, DNA of B. parapertussis (7, 500 pg/µL; 8,50 pg/µL; 9, 5 pg/µL; 10, 500 fg/µL; 11, 50 fg/µL; 12, 5 fg/µL) Lane 13-18, DNA of B. holmesii (13, 500 pg/µL; 14, 50 pg/µL; 15, 5 pg/µL; 16, 500 fg/µL; 17, 50 fg/µL; 18, 5 fg/µL) 3 下痢原性大腸菌の病原因子の検索 食中毒の原因となる下痢原性大腸菌は、保有する病原因子の違いにより 5 種類に分類さ れている(表1)。このうち、ベロ毒素(VT)を産生する腸管出血性大腸菌(EHEC)の 感染による腸管出血性大腸菌感染症は三類感染症に指定されている。主な症状は、腹痛、 血便等の消化器症状で、さらに溶血性尿毒症症候群(HUS)や脳症など、重篤化する恐れ がある。EHEC の中で検出頻度が高い O157 や O26 は、一般的に腸管への限局的な付着因 子としてインチミン(eae)を保有しているが、2011 年にドイツを中心に欧州で発生した 大規模集団食中毒事例の原因となった EHEC O104 は eae を欠き、代わりに腸管凝集付着 性大腸菌(EAggEC)が持つ付着因子 aggR を保有することが明らかになっている。 表1 下痢原性大腸菌の分類 潜伏期間 症状 病原因子 腸管出血性 腹痛・血便、出血性大腸炎、 3-5 日 ベロ毒素(VT) 大腸菌(EHEC) 溶血性尿毒症症候群(HUS)、脳症 腸管毒素原性 易熱性毒素(LT) 12-72 時間 激しい水溶性下痢 大腸菌(ETEC) 耐熱性毒素(LT) 腸管侵入性 1-5 日 血便、腹痛、 侵入因子(invE) 大腸菌(EIEC) (ほぼ 3 日以内) 発熱(赤痢様) 腸管病原性 局在付着性因子 12-72 時間 下痢、腹痛 大腸菌(EPEC) インチミン(eae) 腸管凝集付着性 1-5 日 凝集性付着繊毛の しつこい水溶性下痢 大腸菌(EAggEC) (ほぼ 3 日以内) 産生促進因子(aggR) 下痢原性大腸菌は、様々な遺伝子群が組み合わさって特徴的な症状を発現させているが、 これらの遺伝子がファージやトランスポゾン等によって菌株間を移動することで新たな形 質を持った病原菌が出現すると考えられる。このため、大腸菌の病原性の解明には、様々 な毒素遺伝子とともに、 その作用を増強する等 表 2 PCR 法の対象とした下痢原性大腸菌の病原遺伝子 プライマーセット の関連遺伝子について も調査対象とすること が必要となっており、 複 数の病原遺伝子を包括 Ⅰ 的に検出して、 新たな下 痢原性大腸菌の出現を 監視することが食中毒 対策上重要である。 Ⅱ そこで、 下痢原性大腸 菌が保有する主要な 12 Ⅲ 種の病原遺伝子を増幅 LT STh STp stx1 stx2 stx2f invE astA afaD aggR eae cdt cnf 病原遺伝子 PCR 産物 易熱性エンテロトキシン 123bp 耐熱性エンテロトキシン(ヒト型) 179bp 耐熱性エンテロトキシン(ブタ型) 179bp ベロ毒素 234bp ベロ毒素 234bp ベロ毒素 296bp 侵入因子 379bp 凝集付着性大腸菌耐熱性毒素 109bp 散在付着性大腸菌侵入因子 207bp 凝集付着性因子 254bp 局在付着性因子 310bp 細胞膨化致死毒素 466bp 細胞壊死因子 633bp するプライマーを 3 グループに分けて混合し(表 2)、マルチプレックス-コンベンショナル PCR 法を実施した。その結果、2012 年1月~2013 年 12 月に兵庫県下で腸管出血性大腸 菌感染症と診断された患者及び健康保菌者の便から分離された EHEC143 株からは、stx1、 stx2、eae の 3 種が検出され、aggR 等のその他の病原遺伝子は検出されなかった。 さらに、食肉衛生検査センターの協力を得て、県内飼育牛に常在する大腸菌について、 病原遺伝子の包括的実態調査を行った結果、stx1、stx2、STp、eae、astA、cdt および cnf の 7 種の病原遺伝子が検出された。 4 まとめ 遺伝子検査は、病原体の分離を必ずしも必要とせず、病原細菌の同定や病原因子の検索 を迅速に行うことができる。今回採用したマルチプレックス-コンベンショナル PCR 法は、 高価な試薬を必要とするリアルタイム PCR 法や LAMP 法に比べて、コストパーフォーマ ンスに優れた手法である。そこで我々は、原因不明の感染症診断に際して、標的とする遺 伝子を選択的に増幅する様々な方法を検討し、病原体サーベイランスに活用している。
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