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渓流魚の生息のための渓畔林保全技術の開発
独立行政法人水産総合研究センター
中央水産研究所
内水面研究部
要旨
渓流魚の生息のため渓畔林の保全技術を開発するため、長野県南部の天竜川に流入する支
流群において、渓畔林の水温上昇抑制能力を調査した。距離が 500m の調査区間を 11 の支流
に 15 区設定した。それらの区間について、区間上流端の水温(調査区間への流入水温)、区
間下流端の水温(500m の調査区間を流下し終えた時の水温)、樹冠率(河川の水面上空にお
ける渓畔林の枝葉の繁茂率)、区間中央の流量、区間中央の標高、区間全体の河床勾配を調
査した。水温と樹冠率については、例年当該地域で気温が最も高くなる 7 月下旬から 8 月上
旬に計測した。区間下流端の水温を応答変数、区間上流端の水温、樹冠率、標高、流量、河
床勾配を固定効果の説明変数、調査年と川の識別番号をランダム効果の説明変数とする一般
化線形混合モデルで分析した。その結果、区間下流端の水温、すなわち 500m 流下した時の
水温は、樹冠率、区間上流端の水温、流量で構成される計算式で推定できると考えられた。
屋内の水槽実験により、摂餌停止高水温(摂餌が止まる高い水温)と致死高水温(死亡す
る高い水温)を求めた。その結果、イワナでは 25℃、ヤマメでは 26℃でそれぞれ摂餌停止
が始まることが明らかになった。また、死亡はイワナでは 26℃、ヤマメでは 27℃で始まる
ことが明らかになった。
水温の予測式については、データ数がまだ少なくて説明力が低いので、今後データ数を増
やす必要がある。摂餌停止と致死の水温については、短期間における水温上昇という条件下
の結果のため、自然状態のように長期間にゆっくり水温が上昇する場合の結果を求める必要
があると考えられた。
目的
一般に、渓流魚の生息環境条件として、水温、水質、水量、水深、流速、底質、淵や瀬、
隠れ場、カバー、餌料生物の存在様式等が考えられる。これらの多くの要因については、国
内外の多くの研究によりその重要性が指摘され、渓流魚の増殖を図る際に保全や復元、造成
が必要とされている。
渓流魚は冷水性の魚類であり、生理的な限界を超えた高水温は摂餌停止や死亡の原因にな
る。渓流に沿って生えている林は渓畔林と呼ばれる(写真 1)。渓畔林には、河川の水面上に
日陰をもたらすことにより水温上昇を抑える機能がある。渓流魚の在来個体群が生息する水
域の距離は一般に短く、そのような場所での渓畔林の縮減は水温の上昇により在来個体群の
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減少や絶滅を引き起こす。しかし、渓畔林をど
のように残せばよいかという具体的な手法は
示されておらず、手法開発の要望が都道府県や
漁業関係者等から多い。
本課題の目的は、水温上昇の抑制を通して渓
流魚の生息を保障するための渓畔林の保全目
標を定量化し提示することである。具体的には
水面上の樹冠率(水面に日陰を作る枝葉の繁茂
率)である。その目的を達成するため、本年度
写真 1
渓畔林に覆われた川
は調査区間の選定を行うとともに、水温と樹冠
率及び水温上昇を規定すると想定される樹冠率以外の要因のデータ収集を行い、水温とそれ
ら要因との関係の解析を試みた。また、イワナ、ヤマメそれぞれについて、水槽実験により、
摂餌が停止する水温(摂餌停止高水温)と死亡する水温(致死高水温)を求めた。
1.樹冠率と水温上昇との関係の解明
方法
調査河川
長野県の上伊那郡及び下伊那郡を流れる天竜
川水系の支流群において調査を行った(図 1)
。支
流群の中でも、木曽山脈(中央アルプス)から流
下する渓流を対象とした。調査河川は、天竜川の
上流から順に、横川、深沢川、小沢川、小黒川、
犬田切川、藤沢川、小田切川、郷沢川、前沢川、
田沢川、大島川の 11 河川であった。
調査区間の設定
前記の 11 河川において、距離が 500m の調査区
間を計 15 区設定した(図 1)
。流入する支流や流
出する用水路等がない 500m 区間を探した。
水温の計測
7 月 20 日から同月 23 日に、各調査区の上流端
と下流端に水温データロガー(ティドビット、オ
ンセット社製。写真 2)をそれぞれ 1 個ずつ設置
し、8 月 13 日にかけて水温を計測した。気象庁の
アメダスのデータでは、調査地である伊那地方で
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図1
調査河川
は例年梅雨明け後から 8 月中旬に最高気温が記録される
ことから、この時期に水温の計測を行った。
渓畔林の樹冠率の計測
調査区間ごとに、距離 25mおきに 20 箇所の定点を設け
た。そして、各定点において、先端に色の付いたテープ
(林業テープ)を結び付けた棒を川の両岸に垂直に立て、
両方の色テープが両端に写り込むようにデジタルカメラ
写真 2 使用した水温データロガー
で天空写真(上空を見上げた状態の写真)を撮影した(写
真 3)。撮影した写真を研究室に持ち帰り、パ
ソコンの画面上に取り込んで、画像解析ソフト
で色テープ間の距離に占める樹冠(木の枝葉)
の距離の割合を求めた。20 箇所の定点における
それらの割合の平均値をその調査区間の樹冠
率(%)とみなした。
樹冠率以外の要因の計測
調査区間ごとに、区の中間における流量(ℓ
/s)及び標高(m)、区全体の河床勾配(%)
写真 3 樹冠率の計測
をそれぞれ計測した。流量については流速と河
川横断面積の実測値から求めた。標高と河床勾配については GPS を使用して計測した。
データの分析
各区間の下流端の水温、すなわち 500m を流下し終えた時の水温(℃)を応答変数、樹冠
率(%)、区の上流端の水温(℃。以後、流入水温と記す)、流量(ℓ/s)、標高(m)、河
床勾配(%)を固定効果の説明変数、調査した年と河川名(ID 番号)をランダム効果の説明
変数とする一般化線形混合モデルにより分析した。分析にはフリーソフトの「R」を使用した。
計算には lmer 関数を使用した。
なお、流量と区間の下流端の水温との間に有意な指数関係が認められたため、流量につい
ては対数変換した値を分析に使用した。
平成 20 年度にいくつかの調査区間について本年度と同様の調査を試行したので、その年
のデータも一部使用した。そのため、ランダム効果の説明変数として年(平成 22 年度、20
年度)を設定した。
本年度と 20 年度の、気温が 34℃、日照時間が約 10 時間の日の水温データを使用した(本
年度は 7 月 26 日、20 年度は 8 月 3 日)。気温と日照時間のデータには、気象庁のアメダス
の観測地点「伊那」のものを使用した。
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結果
水温、樹冠率、流量、標高、河床勾配
調査区間の下流端の水温の範囲は 15.70~29.53℃、樹冠率の範囲は 0~95.0%、流入水温
の範囲は 15.34~25.66℃、流量の範囲は 30~1,750ℓ/s、標高の範囲は 622~1158m、河床勾
配の範囲は 1.0~15.0%であった。
一般化線形混合モデルによる分析
樹冠率、流入水温、流量、標高、河床勾配、年、河川のすべての要因を説明変数として扱
ったモデル(フルモデル)では、AIC は 60.23 であった(図 2)。樹冠率の回帰係数は有意な
負の値であり(-0.0103、p<0.001)
、この変数は下流端の水温に対してマイナスの効果があ
る、すなわち樹冠率が高いほど下流端の水温が低いことが示された。流入水温の回帰係数は
有意な正の値であり(1.1209、p<0.001)、流入水温が高いほど下流端の水温は低いことが
示された。流量の回帰係数は有意な負の値であり(-0.5841、p<0.001)、流量が多いほど下
流端の水温は低いことが示された。標高の回帰係数は正の値であり、有意でなかった(0.0012、
p>0.05)。河床勾配の回帰係数は負の値であり、有意でなかった(-0.0273、p>0.05)。
図 2 諸要因と下流端の水温との関係のフルモデルの諸元
次に、説明変数を減らしながら、AIC が最小の値になるモデル(ベストモデル)を求めた。
その結果、標高と河床勾配が除外され、AIC は 42.20 になった(図 3)。残された変数は樹冠
率、流入水温、流量であった。フルモデルの場合と同様に、樹冠率の回帰係数は有意な負の
値であり(-0.0090、p<0.01)、樹冠率が高いほど下流端の水温は低いことが示された。流
入水温の回帰係数は有意な正の値であり(1.1174、p<0.001)、流入水温が高いほど下流端
の水温は高いことが示された。流量の回帰係数は有意な負の値であり(-0.5285、p<0.001)
、
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流量が多いほど下流端の水温は低いことが示された。
以上のように、ベストモデルではいずれの説明変数も有意であり、これらの変数で下流端
の水温をよく説明できることが明らかになった。
図 3 諸要因と下流端の水温との関係のベストモデルの諸元
切片(intercept)は 0.9882 であり、下流端の水温は次の式によって計算される。
下流端の水温=-0.0090×樹冠率+1.1174×流入水温-0.5258×流量+0.9882
考察
500m を流下した時の水温は、樹冠率、流入水温、流量で構成される式で推定できると考え
られた。その式の上で、左辺の調査区間の下流端の水温、すなわち 500m 流下時の水温にイ
ワナやヤマメの摂餌停止高水温あるいは致死高水温を代入し、右辺の該当箇所に対象とする
河川区間の流入水温と流量を代入して計算すれば、摂餌停止高水温あるいは致死高水温の場
合の樹冠率を求められる。その値を上回るように渓畔林を残したり造成すれば、対象種(イ
ワナ、ヤマメ)の摂餌や生息を保障できる。
ただし、今回求められた式では、データ数が少なくてまだ説明力が低いので、今後データ
数を増やして式の精度を高める必要がある。
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2.イワナ、ヤマメの摂餌停止高水温と致死高水温の推定
方法
中央水産研究所日光庁舎の屋内実験室に水槽(幅 60cm、奥行き 30cm、高さ 36cm。アクリ
ル製)を 10 基設置し、日光庁舎の飼育用水である約 10℃の水を少量注水するとともに、エ
アレーションを行った。それらの水槽に魚を 1 尾ずつ収容した。
魚の収容後、ヒーターを使用して 20℃まで 2 週間かけて徐々に水温を上げ、その間クリル
(観賞魚の餌用の乾燥オキアミ)を給餌した。クリルを食べない個体については他の個体に
入れ替えた。
20℃から実験を開始した。ヒーターとサーモスタットを使用して 24 時間かけて水温を 1℃
上げ、昇温後その水温の状態でクリルを 5 片給餌し、24 時間、摂餌数(食われたクリルの数)
と魚の死亡数を記録した。
観察後、24 時間かけてまた 1℃水温を上げ、前記の作業を魚が死亡する直前まで行った。
最近の実験動物に関する倫理則を遵守するため、魚が横臥あるいは垂直に近い体勢になった
時点を死亡とみなし、すぐに水温を下げて魚を回復させた。
以上の実験をイワナとヤマメそれぞれについて行った。供試魚の体サイズ(平均±標準偏
差)は、イワナでは標準体長 182.5±3.8mm、体重 97.1±7.2g、ヤマメでは標準体長 189.9
±4.3mm、体重 95.4±2.2g であった。体長、体重ともに種間で平均値に有意差は認められな
かった(Mann-Whitney の U 検定。体長、体重ともに p>0.05)
。
イワナでは 6 月 20 日から 7 月 4 日にかけて、ヤマメでは 11 月 30 日から 12 月 9 日にかけ
てそれぞれ実験を行った。
図 4 イワナ、ヤマメの水温上昇時の摂餌率と死亡率の変化
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結果
イワナでは、摂餌率は 20℃から 24℃まで 100%(いずれの個体も完食)であったが、25℃
の時に若干下がり、26℃で著しく低下した(図 4)。死亡率は 24℃まではゼロ(いずれの個
体も生残)であったが、25℃の段階で 1 尾が死亡し、26℃で死亡率は 80%に達し(累積で 8
尾死亡)、27℃で全個体が死亡した。
ヤマメでは、いずれの個体も 25℃まで完食したが、26℃になると摂餌率は著しく低下した
(図 4)。25℃まで死亡する個体はいなかったが、26℃で 2 尾が死亡し、27℃で全個体が死亡
した。
考察
摂餌停止はイワナでは 25℃、ヤマメでは 26℃で始まり、死亡はイワナでは 26℃、ヤマメ
では 27℃で始まることが明らかになった。
今回の実験と同様の方法で求められた摂餌停止開始高水温はイワナでは 24℃から 26℃の
間、ヤマメ(サクラマスの幼魚)では 26℃、死亡開始高水温はイワナ、ヤマメ(サクラマス
の幼魚)ともに 26℃であり(Takami et al.、1997;Takami and Sato、1998)、これらの値は今
回の結果とほぼ一致する。これらの実験で使用された魚は、それぞれの研究機関において本
実験と異なる水温下で飼育されたものである。にもかかわらず、求められた値はほぼ同じで
あることから、イワナ、ヤマメの摂餌停止開始高水温と死亡開始高水温はおよそ本実験で求
められた値である可能性が考えられる。
ただし、本実験、Takami らによる実験ともに、短期間における水温上昇という条件下の結
果のため、自然状態のように長期間にゆっくり水温が上昇する場合の結果を求める必要があ
る。
引用文献
Takami T., Kitano F. and Nakano S. 1997. High water temperature influences on roraging responses
and thermal deaths of dolly varden Salvelinus malma and white-spotted charr S. leucomaenis in a
laboratory. Fisheries Science, 63(1), 6-8.
Takami T. and Sato H. 1998. Influence of high water temperature on feeding responses and thermal
death of juvenile masu salmon under aquarium setting. Scientific Report of Hokkaido Fisheries
Hatchery, 52, 79-82.
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