1月号

横浜市立峯小学校 学校だより
平 成 26 年 度
1月号
平成 26年 12月 25日発行
学校教育目標
未来に向けて
輝く峯の子
http://www.edu.city.yokohama.jp/svh/es/mine/ (PC 更新中)
峯小学校ホームページ
だれ
たい
わ
へ
だ
・・・
誰に対しても分け隔てなく…
こうちょう
なかざわ
校長
がつ
せんだい
がつ
けんきゅうかい
しごと
ふくい
い
ふくい
みちのり
中澤 道則
せんだい
11月の仙台に続いて、12月は同じく研 究 会 の仕事で福井に行ってきました。福井は仙台と同じくら
だいす
まち
かい
おとず
まち
れき し
じょう か まち
お
つ
たたず
い大好きな町で、これまで4回、訪 れ て います。どちらの町も歴史ある 城 下町で、落ち着いた 佇 まい
なか
なん
こころ
やす
こんかい
わたし
もくてき
ふじのげん くろう きねんかん
たず
の中にいると何とも 心 が安らぎます。今回の 私 の目的は「藤野厳九郎記念館」を訪ねることでした。
ふじのげんくろう
ぶんごうろじん
しゅうせい
おんし
した
じんぶつ
に ち ろ せんそう
にほん
ちゅうごく
ひと
藤野厳九郎は文豪魯迅が 終 生 の恩師として慕った人物です。日露戦争のさなか、日本では 中 国 の人た
たい
はげ
さべつ
おこな
なか
ちゅうごく
りゅうがくせい
しゅじゅじん
のち
ろじん
ちに対して激しい差別が行 わ れ て いました。その中で、 中 国 からの留 学 生 「周樹人(後の魯迅)」に
わ
へ だ
ねっしん
しどう
ふじのげんくろう
ろじん
分け隔てなく、そして熱心に指導したのが藤野厳九郎でした。魯迅はそ
おん
しょうがい わ す
のち
ふ じ の せんせい
しょうせつ
の恩を 生 涯 忘れることなく、後に当時のことを「藤野先生」という 小 説
あら
だれ
たい
わ
へ だ
こころ
たいせつ
に著しました。「誰に対しても分け隔てしない 心 」、大切にしたいです。
へいせい
ねん
ほ ご し ゃ
ちいき
みなさま
たいへん
せ わ
さて、平成26年も保護者、地域の皆様には大変お世話になり、ありが
へいせい
ねん
きょうしょくいんいちどう
こ
ゆた
とうございました。平成27年も 教 職 員 一同、子どもたちがより豊かに
がっこうせいかつ
藤野厳九郎記念館
おく
つと
なにとぞ
学校生活 を送 ることができるよう努めて まいります。何卒 よろしくご
しえん
ね が
支援いただきますよう、お願いいたします。
回答数:125 件
回収率:36.7%
がつ
にち
おこな
じゅぎょうさんかん
11月27日に行われた 授 業 参観のアンケー
け っか
せつもん
せつもん
ト結果がまとまりました。設問1と設問3は
A そう思う
B ややそう思う
C あまりそう思わない
D そう思わない
授業参観アンケート(第1∼5回)
こうていてきひょうか
ひょうか
せつもん
こうていてきひょうか
20%
40%
60%
80%
じょうしょう
た。設問2の肯定的評価も 94.4%と 上 昇 し
ぜんたいてき
0%
ひょうか
肯定的評価(A評価+B評価)が100%でし
100%
りょうこう
け っか
ており、全体的には良 好 なアンケート結果だ
い
おも
じ ゆ う きじゅつ
こんかい
こ
と言えると思います。自由記述では、今回も子
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
た。ただし、回 収 率 が 36.7%と、やや低 調 で
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
えています。来年2月3日には今年度最後の
設問1
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
い
い
たの
がくしゅう
く
い けん
た すう よ
組んでいたというご意見が、多数寄せられまし
設問2
かいしゅうりつ
設問3
設問1
設問2
おお
ていちょう
みな
い けん
した。より多くの皆さんからご意見をいただ
きょういく かつ どう
かいぜん
や くだ
かんが
き、教 育活動の改善に役立てていきたいと 考
らいねん
じゅぎょうさんかん
がつ
か
こんねんどさいご
こんだんかい
なにとぞよろ
授 業 参観、懇談会があります。何卒宜しくお
ね がい
願いいたします。
きょう
じゅぎょう
こ
かだい
わ
じゅぎょう
今日の 授 業 は、子どもにとって、めあてややるべき課題がはっきりし、分かりやすい授 業 でしたか。
じゅぎょう
なか
こ
じぶん
せっきょくてき
はつげん
いよくてき
い
い
がくしゅう
授 業 の中で、お子さまは、自分なりに積 極 的 にノートにまとめたり発言したりするなど、意欲的で生き生きと 学 習
と
く
に取り組んでいましたか。
設問3
と
どもが生き生きと、そして楽しく 学 習 に取り
せんせい
ひとり
たいせつ
じゅぎょう
くふう
先生は一人ひとりを大切にした 授 業 になるよう工夫していましたか。