2章 いすみ市の自然と生物多様性

2 章 いすみ市の自然と生物多様性
1 地形や気候
2 植物や動物
3 人と自然のかかわりの歴史
4 里山里海の現状
5 いすみ市の生物多様性にかかわる課題
いすみ市で発見された白いユビナガコウモリ
コラム いすみんと学ぼう
⑤ 器械根って何ですか?
⑥ イスミスズカケって珍しい植物なのですか?
⑦ 夷隅川河口にある干潟ってそんなに大事なんですか?
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1 地形や気候
1)特徴的ないすみ市の地形
いすみ市は房総丘陵の北東端にあり、その多くは、低い丘陵とその間に低地の広がる地
形になっており、夷隅川流域を中心に谷津田の里山風景が随所に見られます。
夷隅川は千葉県で流域面積最大の川でありその河口は、両岸には旧河川の跡である潟湖
いすみ市
(国土地理院色別標高図に市町村境を強調して使用)
が残り、日本の重要湿地 500 に選定されておりこの貴重な河口干潟は汽水環境を形成して
います。大原地区には塩田川の流域があり、小沢地区の海岸から数mの場所から流れてく
る流路があり、夷隅川の縮小版のようです。また、いすみ市にはため池が 222 か所もあり、
千葉県では最多です。
海岸については南房総から断続的に続く岩礁海岸が太東崎で終わり、その北側には砂浜
の九十九里浜が続きます。このようないすみ市の海岸は南房総国定公園に指定されており、
東方には、
水深 10~20mの器械根と呼ばれる岩礁が沖合 10km以上沖まで広がっています。
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2)いすみ市の気候の特徴
いすみ市の気候は温暖な海洋性気候となっています。これは暖流の黒潮の影響で、いす
み市の沖は黒潮の北限として黒潮のぬくもりに依存するたくさんの生物にとっても北限の
生息・生育域になっています。海岸植物のハマオモト(ハマユウ)の分布は、黒潮の影響
下でのみ生育する分布を示す植物です。この分布の境界線をハマオモト線(本州南岸線)
といい、地球温暖化で生物分布は変化していますが、ちょうどいすみ市が北限域となって
います。
ハマオモト線におおむね分布が一致する生物には、サンカメイガ(蛾の一種)、アカウミ
ガメ(産卵・孵化)
、サンゴ類、チョウチョウオ類、トビハゼ、イシマキガイ、チゴガニ、
ヤマトオサガニ、ハマボウ、ハマナタマメなどがあります。また一方で寒流の親潮の影響
を受けて千葉県が南限となる生物もみられます。サケ、ケガニ、ハマナスなどがあります。
このように、いすみ市は日本列島のほぼ中央の黒潮と親潮の両方の影響を受ける位置に
あり、南北の動植物が出会って共存する多様な生物相の地域になっています。
夷隅川のサケ
ハマオモト線(
『千葉県の自然誌本編6』改変)
年最低気温平均(-3.5℃)
年平均気温(15℃)
ハマオモト分布地
ハマオモト
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いすみんと学ぼう
④ 器械根って何ですか?
いすみ市の東方の海には、水深が 20m前後の浅い岩礁群が
沖合 10 数km先まで広がっています。このいすみ市全体の
面積に相当ほど広大な磯根は、「器械根」あるいは「いすみ
根」とよばれ、イセエビやタコ、アワビ、サザエなどの一大
生息地になっています。また、アジやタイ、ヒラメ、イナダ、スズキなどの好漁場として、
釣り客がたくさん訪れます。
世界でこの夷隅地域でしか見つかっていないオオノアナメなどの稀産の海藻が生育す
いすみ市の沖に広がる磯根(海底地形)
るほか、アカウミガメやスナメリにとってもきわめて重要な生息環境となっています。
太東崎
夷隅川
器械根(いすみ根)
大原漁港
横浦
八幡岬
丹ケ浦
地図中の左端部が陸地、沖合い約20
㎞先まで水深10
~30前後の磯根が広がっている
地図中の左端部が陸地、沖合い約20㎞
先まで水深10~
30前後の磯根が広がっている
千葉県ブラ
ンド水産物
に認定され
ているイセ
エビ(右)と
タコ(下)
オオノアナメ
世界でこの周辺海域
にのみ生育する海藻
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2 植物や動物
1)いすみ大多喜植物調査から
・調査の概要
2009 年度から 2011 年度末まで 3 年間かけて、いすみ市全域の維管束植物調査を実施し
140 科 1150 種の維管束植物が確認されました。調査は千葉県立中央博物館、ふるさと房総
の植物を記録する会、及びいすみ市で公募した植物調査ボランティアにより行われました。
調査方法は、上記調査者による採集標本を基本とし博物館研究員による目視、従来の調査
による記録を加えました。調査では、市内全域を1km メッシュに区切り、ほぼ全てのメッ
シュにおいて標本の採集を行いました。
・いすみ市の植物の特徴
房総半島の海岸をその南端からたどると、いすみ市及び一宮町で丘陵がおわり、そこか
ら北には九十九里と平野が広がり、さらに北には鹿島灘と霞ヶ浦が延びています。こうし
たことから、いすみ市は、照葉樹を構成するいくつかの植物の北限、もしくは東限となっ
ています。また、海岸には太東海浜植物群落のある海岸砂丘や夷隅川河口干潟のラグーン
など、多様な海浜植物を育みうる地形が残されています。
・里山の植物
いすみ市内陸部に広がる平野の周辺には谷津が数多く存在し、谷津とその周囲に位置す
る里山には多くの在来植物が残存しています。
・海岸の植物
開発により砂浜、潟湖、河口の湿地、潟湖等が失われたため、シバナ、ヒメキンポウゲ
などが絶滅し、多くの植物が絶滅の危機に瀕しています。現在残されている自然な湿地、
砂浜海岸、河口の保全が必要です。
・山地の植物
いすみ市の丘陵地は、照葉樹林帯に位置しますが、急傾斜で崩れやすい地形のため、渓
谷には夏緑林の要素であるジャコウソウ、マネキグサなどが生育しています。また、2013
年に発表された新種、イスミスズカケの世界で唯一の生息地でもあります。
・北限・東限の植物
房総半島は照葉樹林帯の北限域あたるため、分布の北限とする種も多くみられます。い
すみ市を分布の北限・東限とする植物としては、次のような種があげられます。ただし、
資料とりまとめ中であり確定ではありません。
北限かつ東限:カタスゲ(カヤツリグサ科)、イズヤブソテツ(オシダ科)、ヌカボシク
リハラン(ウラボシ科)
東限かつ太平洋側での北限:ハマボウ
これらのうち、ハマボウはハイビスカス属の特有の美しい花、半マングローブと言われる
珍しい生態を持ち、静岡県下田市や神奈川県では群落が天然記念物に指定されています。
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・希少種
イスミスズカケ 国 絶滅危惧ⅠB類(EN)
オオツルコウジ 国 絶滅危惧ⅠB類(EN)
ミズキンバイ 国 絶滅危惧Ⅱ類(VU)
ハマカキラン 国 絶滅危惧Ⅱ類(VU)千葉A
イヌノフグリ 国 絶滅危惧Ⅱ類(VU)
環境省カテゴリー
ⅠB 類(EN)
:近い将来における野生での絶
滅の危険性が高いもの
Ⅱ類(VU):絶滅の危険が増大している種
(NT):生息条件の変化によっては「絶滅
ツルカコソウ 国 絶滅危惧Ⅱ類(VU)
危惧」に移行する可能性のある種
ヒメキンポウゲ 国 絶滅危惧Ⅱ類(VU)千葉A 千葉ではおそらく絶滅
クマガイソウ 国 絶滅危惧Ⅱ類(VU)千葉B
ミズアオイ 国 準絶滅危惧NT 千葉C
千葉県カテゴリー
ハイハマボッス 国 準絶滅危惧NT 千葉C
A:最重要保護生物
カタスゲ 千葉A
B:重要保護生物
イズヤブソテツ 千葉A
C:要保護生物
ヌカボシクリハラン 千葉A
・太東海浜植物群落について
当群落は、日本で最初に国の天然記念物に指定された群落です。海岸浸食により、指定
当初に比べ海岸部分の植生がかなり衰退しています。しかし、海岸から山地の常緑広葉樹
林に向けて、徐々に植生が移り変わる様子が分断されることなく良く保存されています。
海岸沿いに道路が作られることが多いため、このような状態が残されているところは少な
くなりました。
いすみんと学ぼう
⑤ イスミスズカケって、珍しい植物なんですか?
イスミスズカケは 2009 年に野口昭造さんに採集され、
2013 年に新種として千葉県立中央博物館の斎木健一さんと
千葉大学の上原浩一さんによって学会に報告されました。
植物調査が進んでいる日本で、維管束植物(シ
ダ植物と種子植物)の新種が発見されるのはとて
も珍しいことです。
千葉県の維管束植物 2800 種の中では、たった
一つの固有種です。いすみ市のごく狭い場所にだ
け生育しています。スズカケソウの仲間は、どれ
も美しく、その多くが絶滅に瀕しています。
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2) いすみ市の動物
いすみ市の動物についてさまざまな調査がされており、両生類については、千葉県で記
録されたほとんどの種類が確認されています。種々の調査報告からいすみ市の生物多様性
の豊かさと貴重さが確認できます。
(県の種類数と種名は『千葉県産動物総目録』より)
分類群
陸生哺
乳類
千葉県
35 種
いすみ市
23 種
いすみ市で確認された生きもの
ジネズミ、ヒミズ、アズマモグラ、
キクガシラコウモリ、コキクガシ
ラコウモリ、モモジロコウモリ、
ユビナガコウモリ、アブラコウモ
リ、ニホンザル、ノウサギ、ニホ
ンリス、カヤネズミ、アカネズミ、
ドブネズミ、アライグマ、タヌキ、
テン、イタチ、アナグマ、ハクビ
シン、イノシシ、ニホンジカ、キ
ョン
ジネズミ
鳥類
413
種
251
種
調査資料・文献等
・いすみ環境と文化のさと自然資源調査
報告書 1998 自然環境研究センター
・鳥獣保護区内野生鳥獣生息環境調査報
告書 2012 千葉県環境部自然保護課
・生物多様性センター研究報告 千葉県
環境部自然保護課生物多様性センター
・千葉県南東部における哺乳類のロード
キルの状況 2008 千葉中央博自然誌研究
報告
スナメリ
キクガシラコウモリ
キジ目 6、カモ目 30、カイツブリ
目 5、ハト目 3、アビ目 4、ミズ
ナギドリ目 5、コウノトリ目 1、
カツオドリ目 4、ペリカン目 13、
ツル目 5、カッコウ目 4、ヨタカ
目1、アマツバメ目 3、チドリ目
65、タカ目 13、フクロウ目 4、ブ
ッポウソウ目 4、キツツキ目 3、
ハヤブサ目 5、スズメ目 57
・いすみ環境と文化のさと自然資源調査報告書
1998 自然環境研究センター
・千葉県夷隅川河口の鳥類 2011 千葉県生物学会
・鳥獣保護区内野生鳥獣生息環境調査報告書
2012 千葉県野鳥の会
・千葉県夷隅川河口周辺の鳥相、自然公園自然
環境調査報告書 1991 千葉県環境部自然保護課
その他
ナベヅル
爬虫類
21 種
16 種
コアジサシ
クサガメ、イシガメ、アカミミガメ、カミ
ツキガメ、アオウミガメ、アカウミガメ、
ニホンヤモリ、ニホントカゲ、ニホンカナ
ヘビ、アオダイショウ、シマヘビ、ジムグ
リ、ヤマカガシ、シロマダラ、ヒバカリ、
ニホンマムシ
・いすみ環境と文化のさと自
然資源調査報告書 1998 自然
環境研究センター
・千葉県の自然誌本編7
ジムグリ
ヤモリ
ヤモリ
13
両生類
14 種
12 種
トウキョウサンショウウオ、アカハライモリ、ア
ズマヒキガエル、ニホンアマガエル、ニホンアカ
ガエル、ヤマアカガエル、トウキョウダルマガエ
ル、ツチガエル、ウシガエル、モリアオガエル、
シュレーゲルアオガエル、カジカガエル
・いすみ環境と文化のさ
と自然資源調査報告書
1998 自然環境研究セン
ター
ニホンアカガエル
シュレーゲルアオガエル
参考
淡水・
汽水魚
利根川
夷隅
川
179 種
100
種
アカハライモリ
・いすみ環境と文化のさと自然資源調査報告書 1998 自然環
境研究センター
淡水魚 32 種、 ・自然と共生する地域づくり環境基礎調査業務報告書 2012
回遊魚 13 種、 日本生態系協会
・平成6年度河川水辺の国政調査年鑑 1994 建設省
汽水・周縁魚
・夷隅川河川水辺の国政調査報告書 2000
55 種
・夷隅川の魚類・甲殻類目録(千葉県内水面水産試験場研究
報告第 6 号)1996
昆虫類
557
種
キンブナ
メダカ
ミヤコタナゴ
6632
種
ニホンアカガエル
トンボ目 34 種、ゴキブリ目 10 種シロアリ目 1
種、バッタ目 58 種、ナナフシ目 2 種、ハサミ
ムシ目 1 種、カメムシ目 60 種、アミメカゲロ
ウ目 4 種、コウチュウ目 264 種、シリアゲムシ
目 1 種、チョウ目 123 種
ナツアカネ
・いすみ環境と文化のさと
自然資源調査報告書 1998 自
然環境研究センター
キタテハ
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3) いすみ市の珍しいキノコ
キノコなどの菌類は、自然界では有機物を分解する分解者としての重要な役割を持って
います。いすみ市では、珍しいキノコが報告されており、キノコからも生物多様性の豊か
さを見ることができます。
コナガエノアカカゴタケ
アカイカタケ
オオシロカラカサタケ
海岸の砂浜に生える変わ
大藪氏により千葉県で初
元来熱帯性のきのこで,
ったキノコで、国内では発
めていすみ市の山林で発
かつては日本の一部の地
見例が非常に少なかった
見されました。主に西日
域にしか知られていませ
のですが、一宮町やいすみ
本で断続的に発生する希
んでした。いすみ市で発
市の海岸で見つかってい
少なキノコです。
生したのは温暖化の影響
ます
と考えられています。
4) いすみ市の貴重な生きものや場所
ミヤコタナゴ(天然記念物、国内希少野生動植物)環境省レッドリスト絶滅危惧 IA 類
いすみ市やその周辺に生息していますが、詳細な
場所は公表していません。以前は関東地方に広く
見られましたが、現在千葉県以外では栃木県にわ
ずかに残るくらいです。豊かな生物多様性の象徴
ともいえる美しい魚です。
アカウミガメ(絶滅危惧種)環境省レッドリスト絶滅危惧Ⅱ類
年間 20 回前後の上陸・産卵があります。孵化・脱
出の北限域として貴重であり、千葉県で最初のウ
ミガメ保護条例がいすみ市で制定されています。5
月から 10 月まで毎朝、海岸全域の漂着ゴミ拾いを
伴うパトロールを行い、官民一体の保護活動が続
けられています。
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2 章 いすみ市の自然と生物多様性
太東海浜植物群落(天然記念物)
夷隅川河口湿地(日本の重要湿地 500)
1920 年 に 日 本
絶滅危惧種の
で最初に天然
ベントスやア
記念物指定を
ヤギヌなどの
受けた一つで
希少な海藻の
す。初夏にスカ
ホウロクシギ
シユリの群落
生息・生育地
としてきわめ
が開花します。
て重要な場所です。シギ・チドリなどの渡
り鳥の中継地やカモ類など冬鳥の越冬地と
山田源氏ぼたるの里(環境省指定「ふるさ
して、また、川の両側の潟湖は稚魚や汽水
といきものの里 100 選
域の生物の生息地としても大切な場所です。
源氏ボタルの里」)
「いすみ市山
田源氏ぼたる
コハクチョウ飛来地(関東で最南端の定期
の里を守る会」
渡来地)
で農薬散布の
千葉県の渡
制限や 4~6
来地はほと
月の幼虫・さなぎ保護のため除草作業の配
んどが利根
慮などをしているほか、毎年「源氏ぼたる
川周辺です。
観賞の夕べ」が開催されています。
コアジサシ営巣地(絶滅危惧種)環境省レ
イスミスズカケ(新種・固有種)環境省レ
ッドリスト絶滅危惧Ⅱ類
ッドリスト
毎年、20~30
絶滅危惧Ⅱ
ペアが営巣を
類。
しますが、巣
維管束植物
立ちは多くあ
では千葉県
りません。
で唯一の固
有種です。
イスミナガゴミムシ(固有種・新種)環境
省レッドリスト絶滅危惧Ⅱ類
トンボ沼(ネイチャーセンタースポット地区)
いすみ市で
1975 年頃には、
発見された
沼やその周辺
新種で、房総
も合わせて 50
半島のごく
種近いトンボ
狭い地域に
が記録されま
生息します。
した。
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