学位論文の内容の要旨 学位論文題目 グリコールアルデヒドによる小胞体ストレス誘導性 アポトーシスに関する研究 指 導 教 員 丹 保 好 子 学位申請者 佐 藤 恵 亮 印 ○ 2012 年 の 世 界 に お け る 糖 尿 病 人 口 は 3 億 7,100 万 人 と み ら れ て お り 、 2030 年 に は 5 億 5,200 万 人 に 急 増 す る と 予 測 さ れ て い る 。 2012 年 の わ が 国 に お け る 糖 尿 病 人 口 は 710 万 人 と み ら れ 、 2030 年 に は 1,000 万 人 を超えると予想されている。糖尿病性神経症は合併症の中でも比較的 早期かつ高頻度に認められるが、自覚症状に乏しく軽視されやすい。 し か し 、 痛 み や 異 常 感 覚 な ど の 症 状 が 出 現 す る と 治 療 が 難 し く QOL を 著しく損なう疾患であり、発症早期からの進展阻止は大きな課題とな っている。 1980 年 代 後 半 に タ ン パ ク 質 の 糖 化 反 応 や グ ル コ ー ス の 自 動 酸 化 に 伴 う活性酸素の産生が明らかにされて以来、糖尿病と酸化ストレスの関 連性を示す多数の知見が報告されている。一方、近年になって小胞体 ストレス応答経路の分子機構が次々と明らかになり、糖尿病の病態形 成に小胞体ストレスによるアポトーシスが関与していることが報告さ れ て い る 。小 胞 体 ス ト レ ス が 生 じ る と 、糖 化 反 応 や S H 基 の 酸 化 な ど を 受けた異常立体構造タンパク質が小胞体内腔に蓄積する。これを感知 し た 小 胞 体 ス ト レ ス セ ン サ ー ( P E R K 、 IR E 1 、 AT F 6 ) は 、 オ ー ト フ ァ ジ ー や 転 写 因 子 で あ る CHOP を 介 し た ア ポ ト ー シ ス を 誘 導 す る 一 方 で 、 ストレスを緩和するための応答機構を活性化する。応答機構として抗 酸化酵素群や第Ⅱ相解毒酵素群の発現誘導が起こり、これには Keap1/Nrf2 シ ス テ ム が 関 与 し て い る こ と が 近 年 示 さ れ て い る 。 α-ヒ ド ロ キ シ ア ル デ ヒ ド で あ る グ リ コ ー ル ア ル デ ヒ ド ( GA) は 、 糖 化 反 応 に よ り 生 成 す る a d v a n c e d g l yc a t i o n e n d p r o d u c t s ( A G E s ) の 前 駆 1 体 で あ る 。 AGEs は 、 生 成 経 路 に よ り AGE-1~ 6 に 分 類 さ れ る 。 AGEs の前駆体としてメチルグリオキサールなどのジカルボニル化合物が広 く 知 ら れ て い る が 、 GA 由 来 の AGE-3 は ジ カ ル ボ ニ ル 化 合 物 由 来 の AGEs よ り も 生 物 作 用 が 強 い こ と が 報 告 さ れ て い る 。 ま た 、 GA の 生 体 内 濃 度 は 0.1~ 1 mM と 報 告 さ れ て お り 、 ジ カ ル ボ ニ ル 化 合 物 に 比 べ 高 濃度に存在する。さらに、炎症性組織ではアミノ酸の酸化促進によっ て GA の 生 成 能 が 上 昇 す る こ と が 知 ら れ て い る 。 し か し 、 GA が 生 体 に どのような影響を及ぼしているのか明らかにされていない。 小胞体ストレス ○ 異常構造タンパク質の蓄積 ○ 小胞体ストレスセンサーの活性化 ストレス応答機構 ○ 抗酸化タンパク質 や第Ⅱ相解毒酵素 などの誘導 ・heme oxygenase-1(HO-1) ・PERK ・γ-glutamylcysteine synthetase (γ-GCS) ・IRE1 ・SOD ・ATF6 ・catalase ○ オートファジーによる異常構造タ ンパク質の分解 ・GSH S-transferase ○ アポトーシス誘導因子の活性化 ・CHOP ・NAD(P)H quinone oxidoreductase ・multidrug resistance associated protein 1(MRP1) ○ Keap1/Nrf2 制御システムの活性化 Fig. 1 小 胞 体 ス ト レ ス 及 び 応 答 機 構 の 特 徴 当研究室では、血管内皮細胞においてジカルボニル化合物(メチル グリオキサール)がミトコンドリアの傷害とそれに続く酸化ストレス を介してアポトーシスを引き起こすことを報告してきた。本研究では、 末 梢 神 経 構 成 細 胞 で あ る シ ュ ワ ン 細 胞 を 用 い 、G A の 影 響 に つ い て 検 討 した。細胞傷害性やアポトーシスとの関連性、小胞体ストレス及びそ のストレス応答機構を中心として検討を行った。 2 1. GA に よ る ア ポ ト ー シ ス の 誘 導 細 胞 生 存 率 に 対 す る GA の 影 響 に つ い て 、 MTS 還 元 能 を 指 標 に 評 価 し た 。細 胞 生 存 率 は 、G A に よ り 濃 度 お よ び 時 間 依 存 的 に 低 下 し た( F i g . 2 )。 細 胞 傷 害 の 指 標 で あ る L D H の 漏 出 も 同 様 に 確 認 さ れ た 。 ま た 、 シ ュ ワ ン 細 胞 に お い て GA は ジ カ ル ボ ニ ル 化 合 物 よ り も 強 い 細 胞 傷 害 性 を 示 し た 。 以 後 の 実 験 に は 、 主 に 500 µM GA、 24 時 間 処 理 の 条 件 を 用 いた。 次 に 、 GA が ア ポ ト ー シ ス を誘導する可能性について 検 討 し た 。 ア ネ キ シ ン -V/ヨ ウ化プロピジウム二重染色 を 行 っ た 結 果 、 GA に よ る 細 胞膜構造の変化が認められ、 アポトーシスの特徴を示し た ( F i g . 3 )。 さ ら に 、 D N A の 断 片 化 、お よ び ア ポ ト ー シ ス実行酵素であるカスパー ゼ - 3 の 活 性 化 が 認 め ら れ た 。こ れ ら の 結 果 か ら 、G A に よ る 細 胞 傷 害 に はアポトーシスの関与が示唆される。 3 2. GA に よ る 小 胞 体 ス ト レ ス 誘 導 ジカルボニル化合物により誘導されるアポトーシスには、ミトコン ドリアの傷害とそれに続く酸化ストレスが関与すると報告されている。 し か し 、G A に よ る ミ ト コ ン ド リ ア の 傷 害 お よ び 活 性 酸 素 産 生 量 の 増 大 は 認 め ら れ な か っ た 。 こ の こ と か ら 、GA に よ る ア ポ ト ー シ ス 誘 導 メ カ ニズムはジカルボニル化合物と異なると考えられる。 次 に GA が 小 胞 体 ス ト レ スを惹起する可能性につ い て 、そ の ス ト レ ス セ ン サ ーに対する影響を検討し た ( F i g . 4 )。 P E R K m R N A 発 現 量 に 対 す る GA の 影 響 は認められなかったが、 PERK の 活 性 化 を 示 す リ ン 酸 化 が 認 め ら れ た 。さ ら に 、 IRE1 mRNA 発 現 量 の 増 大 と IRE1 の リ ン 酸 化 が 認 め ら れ た 。な お 、AT F 6 m R N A 発 現 量 に 対 す る GA の 影 響 は 認 め ら れ な か っ た 。こ れ ら の 結 果 か ら 、少 な く と も 2 つの小胞体ストレスセン サ ー が GA に よ り 活 性 化 さ れ て い る と 考 え ら れ る 。ま た、小胞体内腔の異常タンパク質の蓄積を示すオートファジーが観察 さ れ た 。 以 上 よ り 、 GA は 小 胞 体 ス ト レ ス を 惹 起 す る と 示 唆 さ れ る 。 C H O P は 、小 胞 体 ス ト レ ス に よ る ア ポ ト ー シ ス を 決 定 づ け る 転 写 因 子 で あ る 。そ こ で 、C H O P に 対 す る G A の 影 響 に つ い て 検 討 し た( F i g . 5 )。 GA に よ り CHOP の mRNA お よ び タ ン パ ク 質 発 現 量 は い ず れ も 増 大 し 、 4 活 性 化 を 示 す CHOP の 核 へ の 移 行 も 認 め ら れ た 。 こ れ ら の 結 果 か ら 、 GA は 小 胞 体 ス ト レ ス 誘 導 性 ア ポ ト ー シ ス を 引 き 起 こ す こ と が 示 唆 さ れ る 。一 方 で 、GA に よ る Fas 受 容 体 mRNA の 増 大 、そ の 下 流 に 位 置 す る カ ス パ ー ゼ - 8 の 活 性 化 が 認 め ら れ 、G A に よ る ア ポ ト ー シ ス に は 膜 受 容体を介する経路も関与していることが考えられる。 3. GA に よ る 小 胞 体 ス ト レ ス 応 答 機 構 の 誘 導 小胞体は細胞内外からのストレスを感知し、そのストレスを回避す る た め に 小 胞 体 ス ト レ ス 応 答 機 構 を 活 性 化 さ せ る 。G A が 小 胞 体 ス ト レ スを誘導したことから、小胞体ストレス応答機構が働いている可能性 が 考 え ら れ る 。 最 初 に GSH に 着 目 し 、 検 討 を 行 っ た 。 GSH は 小 胞 体 ス トレスの際、小胞体内腔に蓄積した異常タンパク質の修復に関与して い る こ と が 知 ら れ て い る 。 GA 誘 導 細 胞 傷 害 は 、 GSH の 前 駆 体 で あ る NAC の 添 加 に よ り 抑 制 さ れ た 。 NAC の 抑 制 作 用 は 小 胞 体 ス ト レ ス を 示 す CHOP の 誘 導 お よ び ア ポ ト ー シ ス を 示 す 細 胞 膜 構 造 の 変 化 に 対 し て も 認 め ら れ た 。 こ れ ら の 結 果 か ら 、 GSH は 防 御 因 子 と し て 作 用 し て い 5 ることが示唆される。 GA 処 理 細 胞 に お い て 、 細 胞 内 GSH 量 は 顕 著 に 増 加 し 、G S H 合 成 の 律 速 酵 素 で あ る γ-GCS の mRNA 発 現 量 の 上 昇 が 認 め ら れ た ( F i g . 6 )。 ま た 、 G S H お よ び G S H 抱 合 体 の 輸 送 に 関 わ る MRP1 の タ ン パ ク 質 発 現 量 の 増 大 が 観 察 さ れ た ( F i g . 7 )。 さ ら に MRP1 ノ ッ ク ダ ウ ン 細 胞 に お い て 、 GA に よ る 細 胞 傷 害 の 増 強 が 認 め ら れ 、 MRP1 が 防 御 作 用 を 示 し て い る こ と が 明 ら か に な っ た 。以 上 よ り 、GSH は 異 常 タ ン パ ク 質 の 修 復 に 関 わ る と 共 に 、 MRP1 と 連 携 し て GA 誘 導 細 胞 傷 害 を 防 御 し て いると考えられる。 Keap1/Nrf2 シ ス テ ム は 、小 胞 体 ス ト レ ス応答機構の中心的役割を担っている。 γ-GCS や MRP1 の 発 現 誘 導 に 関 与 す る だ けでなく、様々なストレス応答タンパク質の発現を制御していること が 知 ら れ て い る 。な か で も H O - 1 は 、K e a p 1 / N r f 2 シ ス テ ム に よ っ て 制 御 さ れ て い る 代 表 的 タ ン パ ク 質 で あ る 。 HO-1 に 対 す る GA の 影 響 に つ い て検討した結果、タンパク質発現量の増 大 が 認 め ら れ た 。 そ こ で 次 に 、 GA に 対 す る ス ト レ ス 応 答 機 構 に Keap1-Nrf2 シ ステムが関与している可能性について 検 討 し た 。 GA に よ り Nrf2 mRNA 発 現 量 が 上 昇 し 、N r f 2 の 活 性 化 を 示 す 核 内 タ ン パ ク 質 発 現 量 の 増 大 も 認 め ら れ た ( Fig. 8 )。 6 一 方 、N r f 2 ノ ッ ク ダ ウ ン 細 胞 に お い て 、G A に よ り 誘 導 さ れ る 細 胞 内 GSH 量 の 増 大 が 抑 制 さ れ た 。 更 に Nrf2 ノ ッ ク ダ ウ ン 細 胞 で は 、 GA に よ る 細 胞 傷 害 が 亢 進 す る こ と が 明 ら か と な っ た( F i g . 9 )。こ れ ら の 結 果 か ら 、GA は 小 胞 体 ス ト レ ス お よ び ア ポ ト ー シ ス を 誘 導 す る が 、こ の 過 程 に は 小 胞 体 ス ト レ ス 応 答 機 構 で あ る Keap1/Nrf2 シ ス テ ム の 活 性 化 が 関与していることが示唆される。以上のことから、シュワン細胞は Keap1/Nrf2 シ ス テ ム を 活 性 化 し 、 GA に よ る ス ト レ ス の 回 避 を 図 る が 、 そのストレスが過度なためにアポトーシスに至ると推察される。 7 まとめ 本 研 究 で は 、シ ュ ワ ン 細 胞 に お け る G A の 影 響 に つ い て 検 討 を 行 っ た 。 GA は 、小 胞 体 ス ト レ ス 誘 導 性 ア ポ ト ー シ ス を 惹 起 す る こ と 、小 胞 体 ス トレス応答機構を活性化することが明らかになった。以上をまとめ、 Fig. 10 に 示 す 。 シ ュ ワ ン 細 胞 に お い て 、GA は ① ア ポ ト ー シ ス を 引 き 起 こ す 。こ の 過 程 で は ② 小 胞 体 ス ト レ ス が 起 こ り 、 小 胞 体 ス ト レ ス を 感 知 し た PERK、 IRE1 の セ ン サ ー が 活 性 化 さ れ 、 小 胞 体 内 腔 の 異 常 構 造 タ ン パ ク 質 を 除 去するためのオートファジー機構が働く。一方で、③ストレス応答機 構 で あ る Keap1/Nrf2 シ ス テ ム の 活 性 化 に 伴 い γ-GCS、 MRP1、 HO-1 が 誘 導 さ れ 、 GA に よ る ス ト レ ス の 回 避 を 図 る 。 し か し 、 GA に よ る ス ト レ ス が ス ト レ ス 応 答 機 構 を 上 回 る た め に CHOP の 活 性 化 が 起 こ り 、 ア ポトーシスに至ると推察される。 当研究室では、糖尿病性神経症治療薬エパルレスタットのドラッグ リプロファイリングに関する研究を行い、エパルレスタットが 8 K e a p 1 / N r f 2 シ ス テ ム を 活 性 化 す る こ と を 明 ら か に し て い る 。G A に よ り 誘導される細胞傷害はエパルレスタットにより抑制された。このこと は K e a p 1 / N r f 2 シ ス テ ム の 能 力 を 高 め る と 、G A に よ る ス ト レ ス か ら 回 避 されることに一致する。 糖尿病性神経症の発症メカニズムには、シュワン細胞のアポトーシ ス の 関 与 が 示 唆 さ れ て い る 。最 近 で は 、2 型 糖 尿 病 患 者 に お い て 膵 β 細 胞の生細胞数が減少していることが明らかになってきている。この一 因 と し て 、 小 胞 体 ス ト レ ス に よ る ア ポ ト ー シ ス が 注 目 さ れ て い る 。 GA による小胞体ストレス誘導性アポトーシスに関する本研究の成果は、 AGEs や そ の 前 駆 体 な ど の 種 々 の 糖 化 反 応 生 成 物 が 小 胞 体 ス ト レ ス を 介して糖尿病合併症の発症や進展に影響を及ぼしている可能性を示す ものである。 9
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