白工半世紀懐古録 VOL.1 白石工業が創立して早 50 年。当時とは社会や取り巻く環境は大きく変わりましたが、羽ばた いていった卒業生は皆、「誠実」の校訓を基に、蔵王の姿を日々眺めながら研鑽していたことは 変わらないことでしょう。 同窓会も創立 50 周年にあたり、ホームページでは、その中でも屈指の校史を中心に、携わっ た卒業生等へのインタビューを中心に、振り返るコーナーを設けてみることとしました。 改めて、50 年の歴史の重みを感じ、母校愛を深めていただけるきっかけとなれば幸いです。 第 1 回目は、本校の校史では絶対に外すことができない、校舎改築事業について取り上げてみ たいと思います。 Vol.1 校舎改築よもやま話 ◆interview:日本国土開発株式会社東北支店長 毛利賢氏(建築科8回生) ◆Writing:小松大希(同窓会常任幹事・建築科40回生) 本校の改築事業は、設計年度から逆算すれば、平成9年着手、校舎の全面完成は同17年とい う、約8年に渡る長い歳月と大規模な予算が投じられた、当時の宮城県下でも一大事業でした。 私は平成13年の4月に入学。まさに改築工程が正念場で、駐車場スペースが確保できないこ となどから、入学式はホワイトキューブで挙行されたこと、はつりの騒音の中授業に臨んでいた こと、体育の授業や体育祭は第二グラウンドで実施、忍耐と校舎使用にも制限が及びながらの学 校生活でした。 その反面、私は建築の駆け出し、目の前に実物大の「実習施設」があるようなもので、建築科 旧実習棟のバルコニーから工事現場を眺めて、興味津々に学校生活を送っていたのも事実。全国 各地にある工業高校で、こんなオイシイ思いをした建築科の生徒もそうそういないでしょう。 また、現場見学会では、初めてかぶるヘルメットと共に、初めて踏み入れる工事現場に、終始 ドキドキしていたことも、まるで昨日のことのように思い出されます。 校舎の改築には、本校の建築科をはじめとした、各科の卒業生が多数携わりました。まさしく、 巣立った卒業生が「錦を飾る」という改築工事といっても過言ではありません。 在校生は、ドキドキワクワク、あるいは少し劣る環境でも持続する集中力を養った改築工事で したが、作り上げていく施工者側は、どんな思いや信念で改築を遂行していったのでしょう…? 今回は、当時改築工事を担当されたJV(共同企業体)のメインゼネコンで、当時建築部長と して工事に携わっておられていた、本校建築科8回生、日本国土開発㈱東北支店長・毛利賢さん にお話を伺いました。 【卒業生という信頼】 着工を控え、事前の協議で、事業主体である宮城県の土木部へ初回打合せに出向いた際のこと。 淡々と進んでいた打合せでしたが、ひと言でその雰囲気は一変。そのキーワードこそが 「白石工業の卒業生」でした。 宮城県の担当者も、急に表情が柔らかくなり、さらに、 「現場統括所長にも白石工業の卒業生を充てる」 ということを報告すると、大変安堵した様子でした。 卒業生が手がける、ということは、学校サイドとの連携もより緊密に、かつ円滑に出来るとい うことに繋がるので、とても好感を持ったのだと思います。 【現場スタート】 完成した校舎の通り、規模はとてつもないものであったので、2工区別の発注で、建設には多 くの建設会社が携わり、その1工区は、日本国土開発・佐々良・平間組JV、その2工区は、松 浦組・大慎組・西山工務店JVがそれぞれ担当となりました。 日本国土開発㈱JVは、全工区の総括管理を担当することとなり、現場所長は、建築科6回生 の丹野滋所長が担当することになりました。 日本国土開発JVの現場担当者は 5 名、さらに施工図担当で構成され、同担当にも、建築科 の OB に協力を頂きました。 また、当社に限らず、構成 JV 各社に、必ず白石工業の OB がいたので、 「白建会」の縦のつな がりも相乗して、強固な連携により、円滑な現場管理が可能となった面も、重要な要素です。 ↑ 2001 年夏ごろ撮影された、改築事業中の本校(本校会議室パネル写真引用) 【強靭な地盤】 建物を支える基礎工事から、白石工業をとりまく自然環境に、工事は苦労しました。 当初はアースドリル工法(機械で円柱状に掘削し、基礎を構築する工法)予定でしたが、強固 な地盤であったため、ついに施工途中で機械での掘削が出来なくなり、工法を変更したほどです。 【生徒の安全や学校生活を大切に】 コンクリートを始め、大量の資材を使う建設工事。しかし、工事場所は既存校舎(旧校舎)に 隣接している上、搬入ルートは、生徒の登下校のルートと同一という条件となりました。 生徒の安全を最優先とし、大型車による搬入は、生徒登校後の 8 時 30 分以降という制限が設 けられました。 コンクリートの打設は、多くの現場が 8 時ないし 7 時台から開始するものですし、当然、新 校舎の規模からすれば、一分でも早く開始させたいのが本望であったと思われます。 通常の建設現場とは異なった工事における工程管理や、時間の管理は、現場担当の腕が試され る正念場だったに違いありません。 【校舎改築に携わって、そして在校生たちへ】 やはり、自分たちが母校の改築に携われたことは、いつになっても誇りです。 1 万人以上いる白石工業 OB の中の、一握りしか出来ない仕事に携われたことは、今でも幸せ に感じています。 在校生も卒業生も、冬の蔵王おろしが吹き荒れる中での登下校に、大変苦労した思い出がある と思いますが、その時期に先述の基礎工程が当たってしまいました。さえぎるものが何も無い更 地の環境下、過酷な状況の中で施工となりました。 凍える寒さの中、資材や重機の操縦や取り扱いにも、神経を集中し、体力の消耗も激しい中、 現場の担当者は、相当な苦労を強いられました。 この校舎は、沢山の OB の汗と情熱、そして OB 同士の絆やチームワークで完成した新校舎で あり、そして多くのものづくりに携わる人たちの心がつまった校舎です。 在校生には、その思いを是非汲み取って、校舎を大切に使い、3 年間の大切な高校生活を有意 義なものとしてほしいと思います。 ↑電車通学のお決まりルート・斎川沿いから校舎を望む(2013.12 Photo:小松大希) 【あとがき】 私自身も今、建築屋として、ものづくりに携わって感じることは、工業という分野は、一人では 完遂が出来ないということ。 沢山の人たちが集まって、意見を出し合い、時には知恵を出し合い、手を取り合って、素晴ら しいものを作り上げていきます。 この新校舎も、沢山の人が「良い建物を作り上げたい!」と、沢山の知恵を絞り、手を取り合 って完成したに違いありません。 そして、沢山の先輩方(卒業生)の、母校への想いが、さらに詰まった、2 つとない「学び舎」 であることを、インタビューを通じて、同じ卒業生として再認識しました。 これからも、多くの生徒の思い出を作り上げ、技術を伝承する場となるこの校舎。沢山のスペ シャリストが、この校舎でのたくさんの記憶とともに、育ち羽ばたいていくことが、とても楽し みです。 毛利支店長、ありがとうございました。
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