David Bowieの表現者としての生きざま

西暦 2016 年 01 月 13 日
ダレナン博士の研究所
研究報告書 No.146
題名:David Bowie の表現者としての生きざま
報告者:ゴンベ
この 10 日に、イギリスのアーチストの一人である David Bowie が残念ながら他界した。享年 69 歳であ
った。死因は癌であった。この 69 歳という年齢が、アーチストにとって早い死であるのかは分からない。し
かしながら、この死を悔やむ人は多いに違いない。なぜなら、彼の 69 年間の人生は、間違いなく多くの人に
影響を与えたからである。著者もその影響を受けた一人である。
彼の偉大な点は、音楽に留まらず、俳優や舞台に渡る全ての活動がアートであり、その幅広さは類を見ない。
最も活動の中心であった音楽から、一般的にはミュージシャンとして位置付けられているが、その活動の根底
を覗くと、ミュージシャンというよりも実は表現者に近い。その起源は、かの名曲" Space Oddity"1)が発表
される 1969 年以前に遡ることができる。Bowie の多くのファンには周知のことであるが、彼は" Space
Oddity"で有名になる前は、パントマイマーである Lindsay Kemp 主催のリンゼイ・ケンプ・カンパニーに
1967 年から 1968 年に渡って所属している。
2 人が出会った当時は、
David Bowie ではなく、
David Jones
として活動していたが、鳴かず飛ばずの状態であり、Bowie は音楽業界をやめようと思っていた時期でもあ
った 2)。すなわち、Bowie が Kemp に出会っていなければ、偉大な表現者は生まれてはいなかったかもしれ
ない。そういう意味で、Bowie の真の師は、パントマイマーの Kemp であることが分かる。
その Kemp と共同で実施した「トルコ石のピエロ」という 20 分ほどの小さな芝居が、1972 年の「Rise
& Fall of Ziggy Stardust & Spiders From Mars」という Bowie の初期の黄金期となるアルバムを生み出
すきっかけともなる 2)。そこには、男性や女性と言った性を飛び越え、Bowie は異星から来た Ziggy へと変
身する。
Kemp 曰く、表現とは、
「いかに自分を気持ち良くするか、素敵に生きるか、
そしていかに自分を膨らませるか」
である
2)
。まさに Ziggy という表現をその当時の
Bowie は手にしていた。後年、Kemp は Bowie の
活動に対して、私の表現者としての大衆に問うた理想
の形が Bowie であるとの内容を告げている 3)。この
ことから、David Bowie はただの一ミュージシャン
ではなく、明らかに表現者と言えよう。彼が亡くなっ
たことは非常に悲しい事ではあるが、図に若かりし日
の Bowie の写真を示し、この報告書を天国にいる Bowie に捧げたいと思う。
図 若かりし日の Bowie4)
1) https://www.youtube.com/watch?v=iYYRH4apXDo (閲覧 2016.1.12)
2) 橋本ユキ, 北折智子: スピリット・ダンシング リンゼイ・ケンプの世界. 晶文社. 1988.
3) 出典不明
4) http://amass.jp/61246/ (閲覧 2016.1.12)