COLUMN COLUMN ● シリーズ 私 の 見 た 日本 Vol.153 日本で気づいた「住まい」について 韓国・ソウル 生まれ。 2008 年 4 月∼ 2012 年 3 月宇都宮大学建設学科建築学コース(日韓 共同理工系学部留学生 プログラム )、2012 年 4 月∼ 2014 年 3 月宇都宮大学大学院地球 環境工学科地球環境 デザイン学専門安森研 究室、2014 年 4 月∼株式会社 プランテック 金 知恩( キム・ジウン) 「家」についての 記憶 1. 記憶 にある 限り私 にとって の 最初 の 家 は 、 総合計画事務所 在職 2.日本 の「町」と言うと 日本 に 来 てから、しばらくは 大学 がある栃 板 をはった 反外部空間)があり、 さらに 庭 を 介して 外 に 開く開放的 な 構成 となって いる。 5.震災と住まい 、 そして 住まいのある町 う人々 が 居るという話 はもっと驚 きであった 。 が 、「家=住 まい 」は 単 なる 資産 そ れ 以上 の 3.11 東日本大震災 の 時、宇都宮 で 当時住 皆各々複雑 な 事情 はあっただろう。中には 残 意味 があるということだ 。 外壁 が 赤レンガのごく普通 の 一戸建 てで 、 そ 木県 の 宇都宮市 に 住 んでいた 。 中心市街地 現存 するほとんどの 民家 は 平屋 で 、平面構 ん で い た 築 30 年 RC 造 の 賃貸 ア パ ートが 震 りたい のではなく、残らざるを 得 なかった 人 の 半地下階 を 借りた 賃貸 だった 。家族 4 人 で には 大 きな 神社 があったり商店街 があって 比 成、屋根 の 形 や 素材… そ の 種類と形式 は 一 度 5 強 にも 全く壊 れず 耐 えてくれたことを 心 も 居 るかもしれない 。しかし、震災 があった 国民性・面積・人口・地理的条件・・、 さま 1DK の 小 さ い 空間 を 共有して い たが、 たっ 較的賑 わっていたが 、家 の 周りは 所々田 んぼ 般的に気候に起因 する。 から感謝しながら、学生 である私 たちに何 が からこそ 被災地 に 戻った 人々 もいることを 見 ざまな 理由 で 異 ならざるを 得 ないが 、近年、 た 1 つの 大 きな 部屋―決して 今 は 大 きいはず が あったり、地域商圏 を 握 る 大 きいショッピ できるか 悩 む日々を過ごした 。実家 が 被災地 ながら、このような 地元愛、住まいのある町 地域過疎化・高齢・少子化等 の 社会的問題を の な い ― には 私 の 大好 き なピアノがコンク ングモー ルがあって 、一戸建 てとアパートが は 内向 きに開く傾向にある。住まいをプライ に あって 家 が 流 れてしまった 友達 も い たし、 ( あるいは「有った 町」)に 対しての 愛着心 は 共 に 抱 えて いる 状況 で ある 中、共通 の 課題 リートで 固 まれた 庭側 に 開く高窓 の 下 にあっ ぼちぼちある、典型的 な 地方都市 だった 。 ベートの 空間として 認識 する度合 いが 高 いと 福島 の 原発 から半径 30 ㎞程 の 場所 に 実家 が 現代 の 韓国 では(少 なくとも 私 が 育った 環境 をどうすれば 解決 できるか 真剣 に 考 えていか それに比 べ 、日本 の 民家(住居部において ) 日本 と 韓 国。 両 国 の 普 遍 的 な 住 ま い は 、 た 。母親 が 国語教室として 使う昼間には 少し 住宅街を歩 いていると、今まで 私 が 見 てき も 言 えよう。気候に起因した 形式 が 存在 する あって 常に家族 や 地元 の 心配 をしている友達 では )、芽生 えにくい 感情 であることと思う。 なければならないし、韓国 に 限ると、住 まい 大 きめ の テ ーブ ルが 真 ん 中 に 置 か れ、夜 に た「家」と「町」とはかなり違った 風景 だった ことは 日本 も 同じだが 、 1 つ 不思議 に 思う点 もいた 。近くの 小学校には 他 の 県 から避難し その 時 の 状況に合うもっと便利 な 場所に、 た が 投機 の 手段 になってしまう風潮 を 避 けるた なるとテーブルの 代 わりに 布団 を 敷 いて 4 人 の で 、暇 が あ れば 散歩 をするようになった 。 がある。日本 の「町家」 「舟屋」のように、空 てきた 住民 のための 避難所 が 設置された 。 まには 金銭的価値 が 上 がりそうな 物件 を 狙っ め 、国家的 な 次元 で 市場 の 根本的 な 構造 を が 揃 いおしゃべりしながら眠った 。 別 の 時期に建 てられた 住宅 が 各々 の 形をして 間構成 において 住 まい 方 に 起因 する形式 は 、 て 、移る。住まいのある町に対 するこの 感覚 監理 する必要 がある。 小学 3 年生になる頃、片廊下タイプの 高層 並 び 、 スケ ー ル も ほ ん の 少しず つ ず れて い 韓国にはなぜか 存在しない 。 マンションに 引っ越した 。 3LDK の 分譲 マン る。敷地内に収まりきれない 物 が 道 の 脇に顔 ション! しかも 新築 だったので 、本物 の「自 を出していたりする。 4.住まいとは̶ その 2 古 そうな 家程、 まるでトランスフォーマー 戦後、経済成長 の ためさまざまな 政策 を て 、引っ越 す 前 から友達 に 毎日 のように自慢 のように色々 な 装置( ? )が 本体に付着されて 実施していた 韓国 は 、韓国とは 住まい 方 が 異 したことをよく覚 えている。たとえコンクリー いたりして 、家主と家 が 共有した 時間 の 流 れ なった 海外 の 住 まいを 取り急 ぎ 輸入してきて トの 床とは 言 え、町 の 子どもが 集まる宴会場 が 感じられた 。一方、本体 から何 かを 切断し 量産した 。 その 結果、確 かに速 いスピードで (?)でもある「庭」が 無くなったことはショック たような 痕跡 がある家 も 簡単に見 つけられた 町 の 形 を 形成 することは 可能 だったが 、住ま だったが 、幸 い 角部屋 だったので 共用廊下を が 、「減築」という考 え 方 が 世 の 中 に 存在 す い の バリエーションが 少 なく、 どこも 似 たよ 占領して 遊 ぶことができた 。 たまに友達 の 家 るということを 初 めて 知ったのはこの 時 だっ うな 風景 になってしまった 。 それに 比 べ 日本 に 遊 びに 行くの だが 、 どの 団地 に 行っても 、 た 。 形 を 変 える 家、 そして そ の 家 が 作 る 町 の 場合 は 、同じく海外 の 住まいを 取り入 れた 広 いか 狭 いかの 違 い 以外には 驚く程同じ「一 並 み 。 生 きているような 家と町 に 気 づくこと も の の 、自国 の 状況 に 合 わ せ た 住 まい 方 を 般的 な 」平面プランだった 。 は 新鮮 な 体験 だった 。 考察しながら、今 までうまく蓄積してきてい 日本 に 来 る 前 までは 日本 の「町」といった るように 感じる。 地震 や 台風等自然災害 から 集合体とも 見 える開発したての 計画都市 で 、 ら、古 い 町並 み が 奇麗 に 保存 されて いる 京 生 き 残るための 丈夫 な「建物」を 建 てる技術 ほぼ 団地 によって 町 が 区画 されていたといっ 都、 あるい は 首都 の 東京 を 取り上 げて い た は 当 たり前 で 、さらに、住まいという「環境」 ても 過言 では な かった 。 小学校 も 中学校 も のだが 、今 はとてもとても 平凡 な 、宇都宮を のあるべき姿についての 追求。 高 校 も 、 高 層 マンションに 囲 ま れ た 場 所 に 思 い 浮 かべる。 あって 、友達 のほとんどが 団地に住 んでいた 。 害 を 及 ぼしたし、数 えられない 程 の「誰 かの の 違 いは 、何 から来るのだろう。 居場所」を 奪ってしまった 。 今 もまだ 復興事 分 の 部屋」ができたことだけでもすごく嬉しく 引っ越した 町 は 、 ただの 高層 マンションの 4 年前 の 地震 は日本に考 えられない 程 の 被 業 が 続 いている状況 だが 、地震や 津波により 何 もかもが 失 われた 当時 の 風景 は 私 が 今 ま で 受 けたことのない 衝撃 だった 。 しかしその 町に、 だから「地元に残る」とい 韓国 で 住 んでいた 町。 高層 マンション 団地 が 数多く並 ぶ 理想的 な 住まいとは 、住まい 方 が 、 そして 住 まいがつくる町 が 見 えてくるようなものだ 6.住まいを考える と私 は 考 える。日々変化していく社会事情 を 無関係 そうな 話を長々と壮大 な 感じで 広 げ 直視し、住まいと町 のあり得る姿、 あるべき な がら 語ってしまった が 、話した い 要点 は 、 姿 から、我々にできる建築的答 えを常に考 え この 資本主義社会下 では 薄 れてしまいがちだ ていきたいと思う。 韓国 の 民家。 中央 に 反外部空間 のマルを 置 き 、庭 に 開く いよいよ建築家 の 存在価値 が 問 われるよう になった 今日にも 、日本 の 建築家 は日本 の 状 私 は 日本 に 来 る 直前 まで 10 年 ほどこの 町 の 3.住まいとは̶ その 1 況と生活に適切 な「住まい 」を考 え、「住まい この 家 に 暮らしていたのだが、同じ階 にある 日本 の 民家 と 韓国 の 民家 は 、 とても 似 て 方」を考 え、町を、社会を、国を考 える。彼 全 9 戸 の 内、入 れ替 えが 無 かったのは 私 の 家 いるように見 えるのだが 、 その 成立 ちから見 らにおいて 住まい(=住まい 方)とは 社会を見 族しかいなかった。 それから 4 年後 は 私 の 実 る 空間構成 の 特性 には 大 き い 違 い が あると るツー ルであるし、社会 を 作り上 げるツー ル 家もさらに新しい 計画都市に引っ越している。 考 える。 である。 韓国 の 民家 は 、庭 でさまざまな 社会的活 動 が 行 われるため、庭向 きに 開くマル(木 の 42 近所 の 小学校 にあった 避難所。 研究室 でパーテーションを 作 るボランティアを 行った 宇都宮 の 町並 み 43
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