租税判例百選 6 版 2016.1.12 4600 字±1 割 1 14 借用概念の意義──武富士事件 立教大学教授 浅妻章如 あさつま あきゆき 最高裁平成 23 年 2 月 18 日第二小法廷判決(平成 20 年(行ヒ)第 139 号:贈与税決定処分取消等請求事件)(判時 2111 号 3 頁,判タ 1345 号 115 頁,金判 1368 号 22 頁) Ⅱ租税実体法──(4)租税法の解釈と適用 事実の概要 平成 12 年 3 月 31 日以前の贈与につき、受贈者が日本に住所を有さない場合、財産所在地が国外ならば日本の贈与税 は課せられなかった(当時の相続税法 1 条の 2。改正につき後述)。受贈者が日本に住所を有する場合,無制限納税義務者 として財産所在地を問わず贈与税が課せられていた。贈与税の課されない香港等に住所を移し国外財産を受贈することで 日本の贈与税を回避する方法が,当時一般に紹介されていた。 X(原告・被控訴人・上告人)は,消費者金融業を営むC社の代表取締役Aおよびその妻Bの間の長男である。Xは,平成 8 年 6 月,C社の取締役営業統轄本部長に就任した。平成 9 年 5 月,C社は,Aの提案に基づき香港子会社設立を決議した。 その後C社の方針は,香港子会社設立から現地法人買収に変わった。Xは,平成 9 年 6 月 29 日に香港に出国し,平成 12 年 12 月 17 日に業務を放棄して失踪した(この約 3 年半の期間を以下「本件期間」という)。本件期間中,XはC社のほか 2 つ の香港現地法人の取締役業務に従事し,うち,香港における業務従事日数は合計 168 日であった。Xは,月 1 回のC社取締 役会の多くに出席したほか,日本でのその他の業務にも出席した。本件期間中,Xの香港滞在日数割合は約 65.8%,日本 滞在日数割合は約 26.2%である。 Xは独身であり,本件期間中,香港においては,家財が備え付けられ,部屋の清掃やシーツの交換などのサービスが受け られるアパートメント(以下「本件香港居宅」という)に単身で滞在した。Xは,帰国時には,Aが賃借していた東京都杉並区所 在の居宅(以下「本件杉並居宅」という)で父母弟と共に起居していた。Xの資産の 99%は日本にあった。 AおよびBは,オランダの非公開有限責任会社であるD社の出資をすべて所有していた。平成 10 年 3 月 23 日,AおよびB は,C社株式 1569 万 8800 株をD社に譲渡した。平成 11 年 12 月,法改正の動きを知った公認会計士Sは,同年中に贈与を 行うようAに進言した。同月 27 日,Aから 560 口すべておよびBから 240 口中 160 口のD社出資の贈与(以下「本件贈与」と いう)がXに対しなされた。Xが平成 12 年 11 月頃国内に長く滞在していたところ,Sから早く香港に戻るよう指導された,といっ たこともあった。 平成 17 年 3 月 2 日,杉並税務署長は,本件贈与について,贈与税の課税価格 1653 億 0603 万 1200 円,贈与税額 1157 億 0290 万 1700 円,加算税額 173 億 5543 万 5000 円とする贈与税決定処分および無申告加算税賦課決定処分をした。 原々審(東京地判平成 19・5・23)は本件贈与時にXの住所が日本になかったと判断した。原審(東京高判平成 20・1・23)は Xの住所が日本にあったと判断した。Xが上告受理申立て。 判旨 破棄自判 (ⅰ)「〔相続税〕法 1 条の 2 によれば,贈与により取得した財産が国外にあるものである場合には,受贈者が当該贈与を受け た時において国内に住所を有することが,当該贈与についての贈与税の課税要件とされている(同条 1 号)ところ,ここにいう 住所とは,反対の解釈をすべき特段の事由はない以上,生活の本拠,すなわち,その者の生活に最も関係の深い一般的生 活,全生活の中心を指すものであり,一定の場所がある者の住所であるか否かは,客観的に生活の本拠たる実体を具備して いるか否かにより決すべきものと解するのが相当である」。 (ⅱ)「〔香港における諸事情を挙げて〕これが贈与税回避の目的で仮装された実体のないものとはうかがわれないのに対し て,国内においては,本件期間中の約 4 分の 1 の日数を本件杉並居宅に滞在して過ごし,その間に本件会社の業務に従事 していたにとどまるというのであるから,本件贈与を受けた時において,本件香港居宅は生活の本拠たる実体を有していたも のというべきであり,本件杉並居宅が生活の本拠たる実体を有していたということはできない。」 (ⅲ)「一定の場所が住所に当たるか否かは,客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かによって決すべきもので あり,主観的に贈与税回避の目的があったとしても,客観的な生活の実体が消滅するものではないから,上記の目的の下に 各滞在日数を調整していたことをもって,現に香港での滞在日数が本件期間中の約 3 分の 2(国内での滞在日数の約 2.5 倍) に及んでいるXについて前記事実関係等の下で本件香港居宅に生活の本拠たる実体があることを否定する理由とすることは できない。このことは,法が民法上の概念である『住所』を用いて課税要件を定めているため,本件の争点が上記『住所』概念 の解釈適用の問題となることから導かれる帰結であるといわざるを得ず,他方,贈与税回避を可能にする状況を整えるために あえて国外に長期の滞在をするという行為が課税実務上想定されていなかった事態であり,このような方法による贈与税回 避を容認することが適当でないというのであれば,法の解釈では限界があるので,そのような事態に対応できるような立法によ って対処すべきものである。」 須藤正彦補足意見は、「民法上の住所概念を前提にしても,疑問が残らないわけではない。通信手段,交通手段が著しく 発達した今日においては,国内と国外とのそれぞれに客観的な生活の本拠が認められる場合もあり得ると思われる。本件の 場合も,Xの上記に述べた国内での生活ぶりからすれば,Xの客観的な生活の本拠は,香港のほかに,いまだ国内にもあっ たように見えなくもないからである。とはいうものの,これまでの判例上,民法上の住所は単一であるとされている。しかも,住 所が複数あり得るとの考え方は一般的に熟しているとまではいえないから,住所を東京と香港とに一つずつ有するとの解釈 は採り得ない。結局,香港か東京かのいずれか一つに住所を決定せざるを得ない」などと論じている。 解説 1 本判決の意義と法改正 本判決は,相続税法上の「住所」が借用元の民法 22 条「住所」にいう「生活の本拠」を指すとし,贈与税回避目的があって 租税判例百選 6 版 2016.1.12 4600 字±1 割 2 も客観的な生活の本拠たる実体が消えるものではなく,贈与税回避については立法で対処すべきとした。 平成 12 年 4 月 1 日以降,日本国籍を有する者同士の間での国外財産の贈与につき贈与税を免れるためには,贈与者・ 受贈者共に 5 年以上日本から住所を移していなければならない(無制限納税義務者の範囲について髙橋祐介「相続税・贈 与税の租税回避と立法的対処の限界」岡村忠生編著『租税回避研究の展開と課題』ミネルヴァ書房、2015 年、158 頁以下参 照。贈与時期の判断につき東京高判平成 19・10・10 税資 257 号順号 10797 参照。当時複数の国において無制限納税義務 者の範囲が拡張されている。Guglielmo Maisto, ed., RESIDENCE OF INDIVIDUALS UNDER TAX TREATIES AND EC LAW, 90 (IBFD, 2010)参照)。 なお,D社資産の 84.2%をC社株式が占めるところ,D社出資口の贈与が直ちに国外財産(相続税法 10 条)の贈与にあた るかにつき,争点とされてない(後掲渕評釈参照。インド法人を支配する外国法人の株式売却についてインド最高裁 Vodafone 事件 No. 733 of 2012 はインドの課税権を認めなかった)。 2 住所に関する民法学説(複数説・単一説) 複数の法律問題について住所が複数認定されうるという考え方を複数説といい,住所は単一であるとする考え方を単一説 という。後者を採るフランスに対し,独日では複数説が有力である(後掲川島論文参照。ドイツでは,民法上の住所に関し意 思も参酌される一方,租税法上は客観的要素のみが考慮される。Maisto 前掲書 369 頁参照)。 須藤正彦補足意見は,一つの法律問題について複数の住所が認定されうるかを論じている。従来の複数説・単一説との違 いに留意されたい。 本件も含め判例は,複数説か単一説か決着させてない。一つの裁判で複数の法律問題につき複数の住所が問題となる例 は稀であろう。また,所得税法上の住所と相続税法上の住所とは同一とは限らないとの国の主張(反対説:後掲田中評釈 213 頁参照)につき本判決は触れていない。 3 原々審・原審との比較:「居住意思」の位置付け 原々審は,「租税法が多数人を相手方」とするため,住所につき「客観的事実に基づき,総合的に判定する」とし,「主観的 な居住意思は……補充的な考慮要素にとどまる」とした。 原審は「客観的事実に,居住者の言動等により外部から客観的に認識することができる居住者の居住意思を総合して判断 する」とし,客観と意思を並列に位置付けた。もっとも,「まとめ」として挙げた 7 つの考慮要素のうち居住意思は最後の 1 つで あるにすぎない。原審の結論は確かに滞在日数を軽視しているが,従来の判例の判断枠組みから逸脱したというわけではな く,客観的事実についての評価の違いが結論に影響しているにとどまる。 最高裁は,「居住意思」を考慮しないと明言したわけではないものの,贈与税回避の意図により「客観的な生活の実体が消 滅するものではない」と論じた。住所認定に関する民法学説のうち主観説ではなく客観説を採ったと解される。 4 複数説を前提とした借用概念論 相続税法・所得税法に関し住所が問題となった事案において,裁判所は租税法独自の住所認定基準を導きだそうとしない 傾向がある(納税者勝訴例として,ユニマット事件・東京高判平成 20・2・28 判タ 1278 号 163 頁等,敗訴例として東京高判平 成 17・9・21 税資 255 号順号 10139 等)。本件でも(原審も含め)この傾向からの逸脱はない。強いて言えば,原々審が「客観 的事実」を重視する理由として「租税法が多数人を相手方」とすることを挙げているが,他の法領域におけるのと異なる住所 認定基準に結びつくかまでは論じていない。 複数説を前提とすると,相続税法・所得税法が民法 22 条の「住所」を借用しているといっても,民法学説から【租税法の方 で住所は考えろ】とボールが投げ返されてしまう。本判決は選挙法上の住所に関する星嶺寮事件・最大判昭和 29・10・20 民 集 8 巻 10 号 1907 頁等を何の断りもなく引用しており、複数説に無頓着である。相続税法独自の住所の考慮要素は少なくと も本件では見いだせない、との考えが本判決の前提であろうか。民法 22 条の「住所」が一内容に固まらないとしても,社会通 念に即した住所観念から逸脱することは認められず(後掲中里評釈参照),個別の法領域ごとの基準の異同は将来の課題と して未だ審査されていないと考えられる。 ●検討事項 ①相続税法・所得税法・その他の法領域(例えば選挙)に関する住所につき判例は同一基準を採っているか。 ②租税法令中の借用概念の解釈に際し,借用元において複数の意味があると考えられている場合,租税法令は何を借用し ているのか。 ●参考文献 ○川島武宜「民法体系における『住所』規定の地位」法協 58 巻 8 号 1121 頁 ○田中治・同志社法学 64 巻 7 号 203 頁 ○中里実・税経通信 62 巻 14 号 17 頁 ○渕圭吾・ジュリ 1422 号 106 頁
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