万葉歌の風景 軽皇子の阿騎の野に宿りましし時、 その最初の1首が次の歌です。 46 ▲昭和 15 年 頃 の 大 宇 陀 拾 生 ・ 中 庄 ・ 本 郷 まず、前回の第3 問の答えから。も 柿本朝臣人麻呂の作る歌 う一度、写真(左下)をご覧ください。 やすみし わご大王 高照らす 日の皇 ここには、現在の大宇陀拾生・中庄か 子 神ながら神さびせすと 太敷(ふと ら大宇陀本郷が写っています。写真中 し)かす 京(みやこ)を置きて 隱口(こ 央の細長く低い尾根は、今は万葉歌碑 もりく)の 泊瀬(はつせ)の山は 真 が 建 つ 万 葉 公 園 や 大 宇 陀 地 域 事 務 所・ 木( ま き ) 立 つ 荒 山 道 を 石 が 根( い 宇陀市中央公民館となっています。 はがね) 禁樹(さへき)おしなべ 坂鳥 の 朝越えまして玉かぎる 夕さりくれ また、写真中央の水田地帯には、中 之庄遺跡が広がっており、壬申の乱に ば み 雪 降 る 阿 騎 の 大 野 に 旗 薄( は も登場した「菟田の吾城(うだのあき)」 たすすき) 小竹(しの)をおしなべ 草 の一部と考えられているところでもあ 枕 旅宿りせす 古(いにしへ)思ひて ります。現在は、阿騎野・人麻呂公園 この歌の解説は、次回とさせていた に当時の建物が復元されています。今 だきます。 の風景と比べていかがでしょうか。 背後には、熊ヶ岳(標高約904m )、 経 ヶ 塚 山( 標 高 約 8 8 9m )、 音 羽 山 (標高約85 1m )等の山々が連なり、 ここを越えると現在の桜井市。古くか ら磯城と宇陀とを結ぶ主要道のひとつ 通っていたところでもあります。 「 菟 田 の 吾 城 」 を は じ め、 宇 陀 地 域 でも多くの万葉歌が詠まれました。な かでも7 世紀後半の万葉歌人(宮廷歌 人)万葉歌人である柿本人麻呂が詠ん だ歌は、よく知られているところです。 『万葉集』巻1 には、柿本人麻呂の歌、 5 首( ~ )が続けておさめられて います。 45 49 1月 日は 「防災・ボランティアの日」です 17 平成7 年1月 日午前5時 分、阪神淡路大震災が起こりま し た。 こ の 震 災 を き っ か け に、 ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 が 活 発 化 し、 「日本のボランティア元年」 と言われるようになりました。また、 災害への備えの充実強化を図るために「防災・ボランティアの 日」が制定されました。 海外でも支援の輪が広まり、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団所属 のワインスハイマーさんは、阪神淡路大震災の翌年、ベルリンフィルの チェロ奏者とともに来日し、震災復興支援チャリティコンサートを開催 しました。終了後に、神戸のアマチュアチェロ奏者:松本巧さんを訪れ、 「1000人のチェロ・コンサートができないか?」と提案しました。松 本さんは協力を約束し、神戸に1014 人のチェロ奏者を集め、犠牲者 追悼の第 回「1000人のチェロ・コンサート」を実現しました。 世界初のコンサートの癒しの響きにみんなが涙し、その後、数年おき に開催され、昨年は東日本大震災のあった仙台で復興を願い、開催され ました。被災地では、それぞれの人にそれぞれの震災があり、最愛の人 を失った痛みや悲しみは消えないかもしれませんが、被災者の心にひび きわたり、いやされたことでしょう。 宇陀市においても、旧守道小学校の保護者の方の呼びかけで、阪神淡 路大震災の被災者支援のためのチャリティコンサートが、たくさんの人々 の協力のもと、3 回にわたって開催されました。チャリティイベントに 参加することで、共感の輪ができ、被災者への支援につながりますので、 身近で機会がありましたら、参加してみてはいかがでしょうか。 また、防災の分野では、災害時にひとりでも多くの命を救うため、市 内でも、自主防災組織の構築や避難訓練など、地域で協力して実現でき る防災対策に取り組むコミュニティも増えてきています。 災害から大切な命を守り、少しでも災害に強い社会にす るには、普段から地域のつながりをつくって、いざという と き、 何 処 に 誰 が い る の か を 知 っ て お く こ と が 大 事 で す。 また、障がいのある方や一人暮らしの高齢者など、自分の 力で避難できない方を地域で支え合い、みんなが安心して 暮らせるシステムを地域社会全体で構築することも大切です。 1 17 46 2016 年 1 月号 34
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