平 成 二 十 七 年 一 月 ~ 一 二 月

平成二十七年一月~一二月
七
【目 次】
一 一年の計を立つる
八
(頁)
二 テレビ出演に地方議員の資質を思う
九
一一
考えすぎ
四 現代の太公望と文王
一二
三
五 議員控え室に今年の暦五
一三
無題
六
一四
一六
七 意中の人
永遠の少尉
一八
一五
謀り事
八 後生畏るべし
一〇
一九
九
一一 億兆の末
二一
二〇
組織論的地方議会考
一二 人生は湊川前夜
一三
-1-
一七 国会ごっこ
一六
侠客映画から学ぶ
一五 娘への言い聞かせ
一四 若い時の読書
二九
二七
二六
二四
二三
三〇
一八 無学にして
一九
三一
大衆の中の孤独
二〇 たとえ話
三三
三四
二一 宇宙駆逐艦「ユキカゼ」
二二
三五
感激の新型車
二三 永遠の孝
三六
三八
二四 凡老愚想
二五
三九
映画の名台詞
二六 映画から考える政治家と官吏
四一
四〇
殿軍と本土防衛
二七 我も生きたや仁吉のように
二八
-2-
三二 腐敗の種が付いてくる
三一
半島の美について
三〇 無能な議員の判断
二九 歴史の俯瞰:作戦の成功と失敗
四七
四五
四四
四二
五二
五一
四九
四八
三五 議会に代えて住民集会
五三
二本松
三六 うむとうなずきしこと
三四
森流読書の仕方
三三 嗚呼
三七
五四
紅旗征戎 我が事にあらず
三八 我が若きその未熟さを恥ず
五四
五六
三九 行く川の流れは大海にそそぎて終わる
四〇
五七
有権者を映す鏡
四一 至誠にして
五九
五八
凡夫 偶然を都合のいいように解釈するのこと
四二 福田恆存にみる我が文化論
四三
-3-
汝任務を果せしか
四五 議員選びは大事な組織人事
四四 陽光うららかな日
六三
六二
六〇
六六
四六
)
六四
現代翁問答 口(語訳
四七 剣士「伊庭八郎」に学ぶ
四八 【ショート・ショート】
六八
それを言っちゃあお終いだ
七三
四九
七五
七〇
七七
五〇 老母と幼子
五三 新任「教育委員」に我同意せず
七九
七一
五四 『あん・ぽ・はん・たい』
五二
優秀さも程々なり
五一 おもしろきかな人の世は 「地方議員の達成感」
五五
八〇
勝って兜の緒を締めよ
五六 衣食の足を知りて礼節を知る
八三
八二
如何に権限を行使せしか
五七 我議場を退出せず
五八
-4-
五九 宇佐美のおじいさん 小学生に向かって熱く語る
宗教改革:愚息とおおらかな老母との会話
真っ昼間風呂に入りて小悟を得るのこと
六〇 【ショート・ショート】
六一
八五
八六
八七
九三
九一
八九
九四
そもただならぬ響きあり
六五 老議員は消えゆくのみ
九五
六二 松陰先生の怒りの声か
六六 酔気偶成
六四
夢中偶成
九〇
六七
九七
六三 学問のない人にはかないません
六八 一気呵成
九八
寡黙と口舌の徒
六九 老少尉の妄想
一〇〇
守旧の精神とは死ぬこととみつけたり
七〇
一〇二
一〇四
七一 愚老の志
し(ゅしゅんすい)と私
一〇三
朱舜水
七二 誓うなかれ
七三
-5-
七八 郷土学と「郷土の豊かな文化環境」
七七 ふにゃふにゃするなかれ
七六
彼の印象
七五 時空をこえた邂逅
七四 愚老の境地
一一〇
一〇九
一〇七
一〇六
一〇五
一一一
一一五
老人の陽明学
一一六
七九
一一八
一一二
八三 現代の耶律楚材
一一九
八〇 武士は食わねど高楊枝
八四 意中人有り
八二
故事に曰く
一一四
八五
一二〇
八一 新学期祝辞
八六 乱世の奸雄
一二一
伊豆の翁問答
八七 野心と無心
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一 ●一年の計を立つる
自身の努力で達成が可能なことをせんとて元旦に計を立つる。
①食事の時は集中し二十回以上噛む
食事をしながら何事かを考えることが習慣になっており、これを直そうと思う。
②布団は起きたらすぐにたたむ
起床 すると まず朝 食の仕 度をし 、女房 を送 り出し 、一息 ついて から布団をたた むのだが、こ
の順序を逆にする方が効率的に思う。
(一月一日)
-7-
二 ●テレビ出演に地方議員の資質を思う
政治 家はテ レビに 出て視 聴者に 向か って 聞
( いて もらおうとし て 話
) しをする。 雑談、漫談は
と もかく として 、人に 向かっ て話す のだ から指 向性 メ
( ッセージ性 が
) なければチャンネル は変
えられる。政治家にとってテレビ出演のノウハウは大事となる。
過日、地元テレビの正月番組 事(前収録 で)市議会議員のインタビュー 一(人七分間 が)あった。
こ の番組 への出 演は自 由なの だが、 出演 するか らには 、その 話にメ ッセージ性がなければ なら
インフォメーション
IT(
ないと思う。テレビ画面の自分を見て、雑談でしかなかっただろうかと自省する。あらためて、
地方議員であってもテレビ出演のノウハウは大事だと思った。しかし、
・ テクノ ロジー )の発 達は著 しい。 今頃テ レビ 出演の ノウハ ウを言 うようでは、また、そ のノ
ウハウを会得していないようでは、結局昔の議員の域を出ていないかもしれない。
大方の地方議員は何でも自分でやらなくてはならない。そうであるが故に、
「徳」と「知性」
に加えて、ソフト、ハードの「情報伝達技術」を会得することが大事だと思う。
「情報伝達技術」
は、地方議員の資質の一つであると思う。
-8-
伊 東市で はこの 九月に 市議会 議員 選挙が ある。 色んな 方に立 候補してい ただきたいと思う。
●考えすぎ
(一月四日)
年齢には関係なく、
「徳」と「知性」と「情報伝達技術」を備えた方の登場を期待する。
三
今日から仕事始めという訳でもないのだが、母を病院に連れて行ったり、朝からあちこち(自
転車で)走り回った。道で顔見知りのおばさんたち(私も充分おじさんのだが)に会った。
「おめでとうございます」といつものように挨拶した。
いつものように「おめでとございます」と返ってきた。
追い越した後ろから「あ~ 今年は選挙だね」と声が聞こえてきた。注目していることがわか
-9-
る。注目されているのかとも思う。
すぐその後、別の顔見知りのおばさんに会った。
「おめでとうございます」というと「おめでとうございます」という。
「いい?」というから「いいですよ」という。
立ち止 まって 市政に 関する ご意見 をう かがっ た。普 段は道 で私を 止めてまでご意見をい う方
ではない。今年は選挙の年だからだろうか。注目されているのかとも思う。
日頃は 愛想が 悪い方 ではな い。し かし、 私が 選挙間 際にな って頭 を下げないことは知る 人ぞ
知る。そのための批判も聞く。
何だか普通に「こんにちは」がしづらくなった。
「自意識過剰だよ」と笑い声が聞こえたような気がした。
(一月五日)
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四 ●現代の太公望と文王
年末 に大量 の本を 処分し たが、 捨て 難い本 がいく つかあ った。 諸星大二郎の『 太公望伝』は
その内の一つだ。漫画と侮るなかれ。何度か読んでいるはずだがもう一度読みなおした。
太公望は七十歳で周の西伯(後の「文王」
)に見いだされたという。以後、政治の場に立ち、
歴史に登場する。やがて斉の始祖となる。史実かどうかは知らぬが興味深い人物だ。
文王は 「猶興 の士」 の語源 に関わ る人物 であ る。太 公望は 釣り糸 をたれつつ長年の精神 の遍
歴を経て文王と邂逅する。もう二千年も前のことである。
現代に 太公望 や文王 ほどの 人物が いない はず はない 。しか し、現 代政治家は選挙を経な けれ
ばな らない 。太公 望を見 いだす には、 文王ほ どの 人物が 有権者 に多く居な ければならないこと
になる。
政治の 場には 立つも のの釣 りの仕 方はな お未熟 。太 公望が 文王に 見いだされるまでには あと
- 11 -
数年ある。還暦をこした老人などとはいっていられない。
五 ●議員控え室に今年の暦
任期を全うし任務を果たすことが任につきたる者の定め。
自ら志願したのであれば尚更のこと。
覚悟を知るは暦のみかは。
(一月六日)
(一月七日)
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六 ●無題
『生きてるか~。
』と言うと
『生きてるよ~。
』と言う
母の部屋は二階にある。階下から毎朝母に声をかける。
これが我が家の老々親子の一日の会話の始まりとなる。声の調子で母の体調がわかる。
『生きてるか~。
』の声が止むことのないように健康に注意しようと思う。
(一月一〇日)
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七 ●意中の人
安岡 正篤師 の「六 中観」 の一つ に「 意中人 あり」 とある 。いく つかの場面が想 定できるが、
自治体経営の場面を考えてみる。
自治 体経営 は、市 長と市 の職員 と議員 によ って責 任を伴 って行 われる。住民は 主体ではある
が 、直接 経営の 責任を 問われ ること はな い。市 長は経 営の最 高責任 者として、一般的には 幹部
級に人材を任用する。一人でやるという人がいれば余程優秀なのかもしれない。
人の 長たる 者は、 常に意 中に人 を持た ねば ならぬ と言わ れる。 議員は選ばれた 者だから、任
用 される べき人 材の最 右翼と 考える ことも でき る。市 長にな りたい 議員は何人もいるかも しれ
ない。 しかし 、市長 をして 、幹部 に任用 した いと思 われる 程の議 員は果たして何 人いるだろう
かと 考える 。幹部 職員や 副市長 に迎え たいと 思わ れる程 の「意 中の人」た ることもまた議員の
評価の一つだと思う。
- 14 -
昔、 諸葛孔 明は劉 備玄徳 をして 三度 までも その門 をたた かせた という。おしい かな、我が家
(一月一一日)
) 伊東市 の成人 式に来 賓とし て出席した 。何のイベントがあ った訳ではな
の呼び鈴はまだ一度も鳴っていない。
八 ●後生畏るべし
本日 一
( 月十一 日
い。おもしろいものは何もない。淡々とした四十五分間だった。
はじま る前は 騒々し く、途 中でも 嬌声が 聞こ えたり した。 仮装行 列かと思わせる者もい た。
来賓の先生が自身の挨拶の中で注意したりもした。
し かし、 二十歳 の女性 実行委 員長の 挨拶は 素晴 らしか った。 二十歳の男 女の誓いの言葉には
気持ちがこもった。実行委員の面々は自身に満ちていた。
- 15 -
私 にはそ う見え た。後 生畏る べし と思っ た。畏 るべき 後生で あるが故に 、こう助言してやり
たいとも思った。
(一月一一日)
人の世は至るところでフィルターがかかる。二十歳ともなれば既にふるいにかけられている。
可能性は急速に狭まっていることに気づけ。一寸の光陰軽んずべからず。と。
九 ●永遠の少尉
二十 代の頃 、現場 監督と して工 事現場 に配属 にな った時 、予科 練だった上司から 「少尉」の
ニックネームをもらった。
「海軍少尉」というところだ。
気に入 っては いるが 、もは や「森 少尉」 と呼ぶ 人は いない 。あれ から数十年も経ってい るか
- 16 -
ら階級が上がっているかもしれない。
ふと、
「少尉」は精神階級だなと思った。稚拙、未熟は避け難いが、誠意、正心は少尉の心得
である。我に続けと言って真っ先駆けるこの少尉に戦闘を任せなければならない。
世の中には自分を大将だと思っている人が多い。しかし、
「よっ、大将」では、少尉の嘲笑を
誘う 。我が 内なる 軍隊に は、年 を経た 老獪 な大将 がいる 。大将 は気づかぬ ところで保身や栄達
に走りがちだ。
「森少尉参りました。これより出撃します。
」
大将は、生きては帰れぬ少尉を前に恥ずかしくはないかと省みる。
(一月一四日)
- 17 -
一〇 ●謀り事
謀り事にも質があるかも知れぬ。
誰にもわかる嘲笑を誘うような謀り事がある。これを下策とする。
なりふり構わぬ強引な謀り事がある。これを中策とする。
果たして謀り事なのかどうかもわからぬ謀り事がある。これを上策とする。
謀り事は密なるをもってよしとする。
関わる人が増えれば必ず漏れると覚悟せねばならぬ。一人で謀るを上策とする。
「謀り事」というと印象が悪い。しかし、謀る側、謀られる側の立場によっては必ずしも悪い
ものとは限らない。
「図り事」とすればよい。
何事かを図ろうとする時、いつも頭に浮かぶ言葉がある。
- 18 -
『豎子(じゅし)与(とも)に謀るに足らず』
「鴻門の会」で軍師范増(はんぞう)が項羽を評した言葉だ。
項羽 と比較 するつ もりは 毛頭な いが 、それ でも范 増をし て豎子 と呼ばれるよう な小人であっ
(一月一七日)
ては議員は務まらぬかも知れぬ。謀り事は、その質も密なるも上策をもってよしとする。
しかし、謀り事は、必ず成就するとは限らない。
一一 ●億兆の末
一人は億兆の命が集まった末に生まれてくる。
その末もやがて名さえわからぬ遠い億兆の一人となる。
- 19 -
(一月二五日)
数 日前に 予定よ り一週 間も早 く急 に産気 づいた 娘の身 一つを 病院に送り 届けしを今日は身二
つとなりて帰る。
一二 ●人生は湊川前夜
資 料を整 理して いると 「修己 録」と 名付け た随 筆集原 稿が出 てきた。十 年以上前のもので一
年間の 時々に 考えた ことを まとめ たもの だ。 ちょう ど開い た頁に 、湊川の戦い前 夜の正成、正
季兄 弟のこ とが書 いてあ った。 明日は 死ぬ身 の正 季が「 何を為 すべきかで はなく如何に在るか
が大事である」としみじみと兄に語る場面から自身の考えを述べたものだ。
- 20 -
常々 、この 正季の 言葉を 人生の 指針 の一つ にして いるつ もりだ が、今偶然この ページが開か
れたのは何かの啓示かもしれないと思った。
「何を為すべきか」と「如何に在るべきか」は、背
反する もので はなく 手段と 目的の よう なもの である 。そこ がうま く結合できない 究極の場面に
美が生まれる。
(一月二十七日)
正季の ように なりた いとは 思う。 しか し、老 正季は もはや 正季で はないかも知れない。 次の
●組織論的地方議会考
随筆集には「愚想録」とつけようと思う。
一三
世の中 には色 んな組 織があ るから 一概に は言え ない かも知 れない が、大概の組織は組織 防衛
- 21 -
のた めに自 己増殖 しよう とする 。自 己増殖 しよう とする 場合、 仕事の量を 増やすか、仕事の質
を上げるか 仕
、事の種類を増やすかする。そして、人を増やそうとする。それでうまくいかない
場合ももちろんあるのだが、単純に現状維持や縮小を考える組織は長くは保たない。
自 己増殖 をしよ うとす る性格 がある とい っても 人のや ること だから、そ こに無駄や打算や不
合理が生まれやすい。 放っておけば増殖どころか壊死する場合もある。しかし、この自己増殖
の性 格は組 織活性 化のエ ネルギ ー源で ある 。うま くエネ ルギー を発生させ 制御することが大事
となる。
自己 増殖と いって も難し いこと をいう ので はない 。仕事 を探し てこなければ組 織がつぶれる
よ という ことだ 。仕事 の量は 増やさ ず、仕 事の 質も改 善せず 、これ までと同じ種類の仕事 をし
て、それで人を減らしてしまっては組織は保たない。
組織 論的な 視点か ら地方 議会を 見てみ ると、 はじ めから 自己増 殖の性格を 抑制してしまってい
るように見える。それではエネルギーが出てこない。
- 22 -
(一月二七日)
仕事 の量を 増やし て、質 を高め て、 色んな 種類の 仕事を して、 だから人を 増やそうという発想
があってもいいのではないかと思う。
一四 ●若い時の読書
最近になって読む本はどうも頭 心( に)残らないことが多い。若い時に読んだ本のいくつかは、
詳 細な内 容は覚 えてい ない場 合もあ るが、 何か 大事な ことが 書いて あったなと頭に残って いる
ことがある。
年 末に本 の大量 整理を した時 、三十 年ほど 行方 不明に なって いた本が見 つかった。もう、ど
こかへ 行って しまっ たもの とあき らめて いた『 無門 関提唱 』とい う三島竜沢寺の山 本玄峰老師
- 23 -
の講義録もその一つだ。
表 紙が汚 れてる から、 何度も 読ん でいた かもし れない 。あら ためて読み 直しはじめているの
だが、 字が小 さくて なかな か先に 進ま ない。 また、 これま で思っ ていた解釈と違 っていたりす
る。
(一月三〇日)
今思う に、た ぶん若 い時は 何が書 いて あるの かよく わかっ ていな かったのだろうが、感 ずる
●娘への言い聞かせ
ことがあったのだろう。若い人には若い時の読書を是非すすめたい。
一五
娘のかわいがっている猫の様子がこの頃少し変だ。この猫も我が家で生まれた娘だ。
- 24 -
すり寄って来るので抱いてやろうとすると離れていく。
名前を呼べば後ろを見ながら逃げていく。
しばらくするとまたすり寄って来る。
何だかすねているようだ。
原因はわかっている。
娘に赤ん坊ができたのでこれまでの様には猫に注意が向かないのだ。
娘の布団にはもう入らせてもらえない。
部屋にも入れてもらえない。
しかたがないから娘に向かって言い聞かせている。
なあお前、おねえちゃんには子ができたんだ。
決してお前を嫌いになった訳じゃあないんだ。
そこのところをわかっておくれ。
- 25 -
お父ちゃんでよければいつでも布団の中にはいっておいで。
わかったんだかわからないんだかわからない。
●侠客映画から学ぶ
ニャーといってまた離れていった。
一六
(一月三一日)
好んで 見ると いう訳 でもな いが侠 客映画 は嫌 いでは ない。 色んな 板挟みの中で自分が死 んで
しまうとか、身を引くとかいうところがいい。(滅びの)美学なんだろうと思う。いわゆる「行
け行けドンドン」というところはあまり好きではない。
客映画といえるかどうかはわからないが、
「仁義なき戦い」を見た。
- 26 -
主人公がしみじみとこんなことを言う場面があった。
『つまらんもんが上に立つと下のもんが苦労するよ』
政治家と国民は上下の関係ではないかも知れないが、長たる者の資質の重大さを考える。
(二月一日)
『つまらんもんが議員になると市民が苦労するよ』と言われてはいないだろうかと自身を省み
る。侠客映画から学んでどうするんだと言われるかもしない。
一七 ●国会ごっこ
映 画の「 小説吉 田学校 」を見 た。国 会は「 権力 の争奪 」の場 なのだから は端から見ていると
おもしろい。しかし、一国の運命がかかっているのだから、おもしろいだけでは済まされない。
- 27 -
以前にある人からこんなようなことを聞いた。
地方議会が「国会ごっこ」をやっているようではそのまちに明日はない。
地 方議会 は国会 と違っ て議員 首長制 では ない。 地方議 会は権 力の争奪の 場ではない。それを
国会と 同じよ うに勘 違いし て、議 員は 何か直 接権力 と関わ りがあ るように思うこ とを「国会ご
っこ」というのだろうか。
地方議 員の任 務は首 長にと って変 わるこ とで はない 。そう いう人 は首長選挙に出なけれ ばな
らない。「国会ごっこ」と笑ってばかりはいられない。「国会ごっこ」をやっているような者に
本当の議員首長制を使いこなすことはできない。
(二月二日)
- 28 -
一八 ●無学にして
モン ゴルの ある歴 史書 現
( 代史 の
) 中に登 場人 物をまとめて 紹介するページがあ った。たぶん
も う存命 者はい ないと 思うが 、その 中の 一人を 簡潔に 『無学 にして 粗野』と紹介してあっ た。
実在の 人物 中
( 国 の軍司 令官 で
) 、つ いこの間ま で活躍 評
( 価はと もかくとして し
) ていた者でも
こう紹介されてしまうのかと思った。
ところ で、五 〇年の 後、伊 東の歴 史書 現
( 代史 が
) 上梓されること があるとすれば、私は どう
紹介されるだろうかと考えた。
『無学にして結局は無能』、
『俊英なれば議員の器にはおさまらず』
あるいは『森某という議員がいたと聞く』と書かれるのみか。
五〇 年後の 人が私 をどう 紹介す るか色 々考え ると 興味深 い。し かし、その歴史書 には私の名
さえ掲載されない可能性が極めて大きい。
- 29 -
●大衆の中の孤独
いっそ自分で書いてしまうのもおもしろい。
一九
「我 常に大衆と共にあり」
・・・政治家の決め台詞かもしれない。
そんな台詞を吐ける程の大政治家ではない。
田舎政治家なりに、市民の中で議員とは如何に在るべきかを常に考える。
有権者の代理人だけなら、あまり考えることはない。
見えるその利益の伸長をはかればいい。
選挙の得票は一層増えるかも知れない。
(二月三日)
- 30 -
(二月八日)
送られてきた会誌(「関西師友」)の中に「 略
( 絶
) えず大衆の中にあっ て孤独を持たねばなら
ぬ・・」とあった。
初めて聞く言葉ではないが、あらためて「うむ」と思った。
よく政治家は「常在戦場」などという。
しかし、本当の戦場は自身の内にありと思っている。
二〇 ●たとえ話
長 々と説 明する と返っ てよく わから なくな る事 も「た とえ話 」で言うと すっきり気持ちを表
すことができる。
- 31 -
そういう「たとえ話」を聞くと何だかよくわかった(ような)気になる。
「たとえ話」のうま
い人はすごい能力の持ち主だと思う。それが当意即妙であればなおいい。
しか し「た とえ話 」は、 言い手 と聞 き手の 間にそ の話の 共通理 解がなければ気 持ちを伝える
ことはできない。そうでなければ、何を言っているんだろうと思われるだけとなる。
「た とえ話 」には 言質を 与えな いとい う効 能もあ るかも しれな い。そこまで考 えて話すこと
ができれば大したものだと思う。
一方で 、稚拙 なたと え話で は、台 無しに して しまう ことも ある。 過日、あることで空母 艦載
機や 日本刀 の鯉口 を切る たとえ 話をし た。 稚拙な 「たと え」だ ったかもし れない。台無しにす
ることはなかっただろうかと省みる。
(二月一〇日)
- 32 -
二一 ●宇宙駆逐艦「ユキカゼ」
議員任期もあと六ヶ月余りとなった。一層気を引き締めて任務を遂行しようとパソコン画面
を船の絵に変更した。宇宙駆逐艦「ユキカゼ」 艦長は古代守。
「ヤマト」の楯となりて敵の一斉砲撃を浴び壮絶な最期を遂ぐ。」「ユキカゼ」古代艦長から
「ヤマト」沖田艦長に宛決別の辞を送る。
『我沖田艦長の指揮下にありて光栄なり。
「ヤマト」の武運長久を祈る』
軍人ではないが任務完遂のあかつきにはこんな辞を送りたい。
『我郷土のために働くことができて光栄なり。郷土の繁栄を祈る』
(二月二三日)
- 33 -
二二 ●感激の新型車
年を重ねるに従い足腰が弱くなると言う。
自分の運動不足を棚に上げてそう言われればそうかも知れないと思う。
最近愛車の調子が悪くなり車庫に入れたままにしてある。
仕方なく徒歩で移動しているが、毎日の買い物にはいささか不便を感じる。
この際と思い新車を購入した。電動機搭載の新型エコカーだ。
わずかの踏み込みで快適に走行する。
買い物かごは旧車よりも大きくていい。自転車保険にも入った。
大 人にな って初 めて車 を買っ た時は 、なん と便 利なん だと感 激したこと を覚えている。その
時に似た感激がある。
- 34 -
●永遠の孝
春になったら、海風をきってこの新型車で疾走してみようと思う。
二三
乳児なる孫を抱きてその寝顔をしげしげと見つつ自らを省みる。
(三月一日)
我も また今 は老た る人の 若かり しその 懐を 夢見床 となし 豊満な 乳房を吸いて育 ちしをその恩
に報ゆるに怠りなきかと。
『孝経』に孝の終わりを説いて曰く。
「身を立て道を行ひ、名を後世に揚げ、以て父母を顕はすは孝の終りなり」と。
- 35 -
我既 に齢六 十を過 ぐれど も道を 行う に中途 なれば 後世に 名を揚 げるは難し。故 に父母の名を
顕すも難しか。
今生まれ出しその人もまた孝の道を歩み始めたり。
(三月一日)
我 を反面 教師と なし、 やがて 身を立 て名 を後世 に揚げ 、以て 我が娘なる その母の名を顕かに
せんことを願う。
●凡老愚想
永遠なるか孝の道。
二四
この九 月に任 期満了 となる 議員の 職務を 振り返 り四 年間を 総括す ることは大事なり。合 わせ
- 36 -
て、この機にこれまでの六〇年を振り返って一旦総括をしてみることもまた意義ありか。
今更思 うこと でもな いが、 百点満 点を とれる のは学 校のテ ストだ けであり、多くはよく ても
合格ラインの六〇点をとれるか否かの辺りにありたり。
大 学入試 は浪人 の末目 指した ところ には 入れず 、公務 員試験 は不合格、 就職活動では何社も
不採用となりたり。
五回の議員選挙の得票は常に下位にして、内二回は落選となりたり。
客観的にみればとても優秀と言えぬは言うまでもなし。
負の項をあげればきりのなし。正の項をあげるもまたきりのなし。
今となっては正も負も次第に思い出の域に入りつつあり。やがては忘却の域に向かうは必定。
もとより、人の一生を数値や正負で表すのなじまぬは言うに及ばず。
汝何を為したるやと問われれば即答に窮する。
汝何に 成りた るやと 問われ れば子 となり 、夫と なり 、父と なり、 ついには爺となりたり とま
- 37 -
では言えても、その他にはと問われれば答える能わず。
(三月五日)
汝如何に在りたるやと問われれば、六〇年を振り返ればこそ、自信をもって何と答えるかに躊
躇する。
二五 ●映画の名台詞
映画には名言、名台詞がある。
ある歴史映画を見ていると某国某大統領がこんなことを言った。
『骨をくわえた犬はかんだり吠えたりしない。政治の世界も金次第だ。
』
(外国映画だから日本語の字幕の名言)
- 38 -
そう 言って 反乱軍 指導者 の懐柔 をは かろう とする のだ。 なるほ どうまいことを 言うなと思っ
た。
.
(三月七日)
田舎町 の政治 家にも 当ては まるか もし れない 。もっ とも、 くわえ させてもらう骨は小指 ほど
●映画から考える政治家と官吏
もないかも知れないが。
二六
映画は見ている人に色んなことを考えさせる。
ある歴史映画を見ていて、ふと考えが浮かんできた。
無能な政治家と有能な官吏の決定的な違いは何だろうかと。
政治家は無能でも一人親分だが、官吏は優秀でも誰かの手下である。
- 39 -
●我も生きたや仁吉のように
無能な政治家が誰かの手下だと最悪である。
二七
(三月七日)
過日熱海で「稲門会」
(早稲田大学校友会)の静岡県拡大役員会が開催され、伊東稲門会の末
席幹事として出席した。その席で、『「人生劇場」口上青島流』の初代御家元と親しくなった。
「人生劇場」
(歌)の中にこんな一節がある。
♪ ~ 俺も生きたや仁吉のように ~
仁吉とは「吉良の仁吉」のことで清水次郎長の舎弟分だという。仁吉は、
「荒神山の出入り」
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(三月九日)
「決戦荒神山」を注文した。
DVD
で若 くして 命を落 とす。 ああ、 あの 人のよ うに生 きたい なと歌 に歌われる ほどの若者は一体ど
んな人だったんだろうと思い、古書「吉良仁吉」と
「人生劇場」の作者「尾崎士郎」は、伊東に住んでいたことがある。
●殿軍と本土防衛
伊東の「青成瓢吉」の後輩には、御家元との出会いはよい刺激になった。
二八
世の中には似たような発想や表現をする人がいるものである。
ある本を読んでいると、人口減少への対処に関して、「殿軍」(でんぐん)を例にとって、撤
退時の殿軍の重要性を説いてあった。
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過日 、議場 での人 口減少 への対 処を テーマ にした 私の質 問で、 本土防衛を例に とって、余力
のある内に防衛ラインを下げることを提案した。
殿軍のいない敗走は、追われて一気に全軍壊滅となる。
防衛ラインを突破され、攻め込まれての本土決戦に勝利するのは難しい。
DVDを購入した。情勢と場面、人を従わせる
(三月九日)
人口減少の戦は、何年もの間秘術を尽くしての戦いとなる。生やさしいことではないと思う
●歴史の俯瞰:作戦の成功と失敗
のだが。
二九
「トラ・トラ・トラ」と「ミッドウェイ」の
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指揮 者と従 う者に ついて 考えよ うと 思った 。敗戦 七〇年 目だか らなどと考 えた訳ではない。今
朝の新聞を見たら、
「トラ・トラ・トラ」は製作四五周年との記事があった。
「歴史の俯瞰」と言う。遥か行く末を見、高いところから全体を見渡し、来し方を振り返る。
また、埋もれた地層をも見る。
言うは易し。
遠 くを見 るには 目がか すむ。 広く見 るに は視野 が狭い 。振り 返れば首が 痛い。地面を掘るに
は力が ない。 大概、 遠くに は霞が かかっ てい るもの だ。空 には雲 がかかっている ものだ。来た
道には雑草が生い茂るものだ。地面の下はそう簡単にはのぞけない。
生半可な指揮者では一党を率いるのは難しい。
(三月一〇日)
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三〇 ●無能な議員の判断
理解 ができ ないあ るいは 考え方 の違 う議案 には賛 成しな いとい うのは当然であ る。完全では
な くとも それな りに理 解でき る議案 には 賛成す ること はある 。理解 できるかできないかは 、個
々の議 員の資 質や能 力によ るとこ ろが 大きい 。だか ら、こ んな簡 単なことがわか らないのかと
言わ れても 困る場 合があ る。無 能な私 にも わかる ように 説明し てください と議案提案者(ほと
んどは当局)にお願いするしかない。
つ
3 の議案に反対した。はじめから反対を
議案 の決定 権を持 つのは 議員だ から、 議員 の賛成 を得る ように 丁寧かつ上手に 議案の説明、
答弁をするのは当然である。
この三月議会では、委員会審議が終わった段階で
決め ていた ものば かりで はなく 、審議 の過程 で当 局答弁 では理 解すること ができず賛成しなか
ったものもある。
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(三月一五日)
地方 議会は 国会と 違って 権力闘 争の 場では ない。 無能だ と思わ れても自身が理 解できない議
案には賛成しないようにしようと思う。
三一 ●半島の美について
過日見た映画「天心」
(岡倉天心)の中で、竹中直人扮する岡倉天心がこんなことを言った。
『生活だけなら美はいらねえよ。
』
『生きて生きて生き切れねえから美があるんだ。
』
半 島の七 市六町 の首長 が集ま ってこ の四月 から 「伊豆 半島グ ランドデザ イン」を具現化する
ための 「美し い伊豆 創造セ ンター 」を稼 働させ る。 そのた めの職 員も派遣するとい う。その組
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織の中に「観光部会」「ジオパーク部会」「道路部会」を置くという。各部会は商工会議所など
の団体等で構成するという。
一三 人の首 長に天 心さん を加え て「 半島の 美」を テーマ にパネ ルディスカショ ンをしてみる
のおもしろい。
『美しい伊豆ってのは景色のことかね。
』
『生活だけなら美はいらねえよ。
』
『伊豆の人たちゃあ、心底美しいもんを求めてるんだろうね。
』
天心さんはこんなことを言うかもしれねえよ。
(三月一六日)
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三二 ●腐敗の種が付いてくる
宮城 県大衡 村長の 話題が 喧しい 。大 なり小 なり権 力、権 限を持 つ者は腐敗する 。権力には腐
敗 の種が セット で付い てくる 。大き な権 力には 立派な 腐敗の 種が、 小さな権力にはそれな りの
腐敗の種が付いてくる。
それ はいり ません といっ てもセ ットだ から 付いて くる。 権力が 稼働すれば腐敗 の種は自動的
に育つ。やがて立派に咲いた醜悪な花が権力を覆う。
田舎 まちの 権力者 、権限 を持つ 者にも 微少 な腐敗 の種が 付いて くる。偉そうな ことを言って
もその種が付いてくるんだから仕方がない。
だから 、種の 成長を 抑制す るのが 権力者 の大 事な心 得とな る。古 今東西、心ある権力者 がこ
の種の成長を抑制することに如何に腐心したか想像に難くない。
(三月二一日)
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三三 ●嗚呼 二本松
ある 土地の 「風土 」とい うもの を自 然の他 にその 中で長 年培わ れた歴史的、文 化的な人の営
みまでも含めて捉えてみるのは興味深い。思うところがあって、
「二本松藩」の歴史を知ろうと
関係書を注文した。
幕末、薩長に抗して一藩玉砕の道を選んだ風土とは一体どういうものであっただろうか。
「二
本 松少年 隊」は 一二歳 から一 七歳ま での 少年二 五人で 編成さ れた世 界最年少の正規部隊だ とい
う。その名前くらいは知っているが詳しくは知らない。
ところで、田舎町の政治や世相を語るとき、その「風土」を否定的に扱うことがある。
『そう
いう風 土が地 域の発 展を阻 害する 』と。 他所 から移 り住ん だ英邁 な人たちは歴史 的、文化的な
「風土」に違和感をもつかも知れない。
『悪しき「風土」を体現する土着の民には辟易する』と。
確かにそういうことはあるかも知れない。かくいう私はこの土地の土着の民の末である。
父も祖 父もそ の祖父 もこの 土地の 生まれ だと聞 いて いる。 その悪 しき「風土」を体 現する者の
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●紅旗征戎 我が事にあらず
一人である。我らが土地に「二本松藩」の如き美しき風土はありやなしや。
三四
(三月二一日)
地方議 員の基 本的な 任務の 一つは 、権力 を監 視し、 そのた めに時 には抗することだと思 って
いる。監視し抗するのであって、同調しあるいは取って代わろうとすることではない。だから、
地 方議会 に求め られる のは権 威であ り品格 であ るとも 思って いる。 一方で、地方議員とも なれ
ば狭小矮小であっても権力につながっていたいと思うのは人情だとも思っている。
地 方権力 の争奪 は首長 選挙で 行わな けれな けれ ばなら ない。 地方議会が 権力の補完に成り下
がって しまえ ばその 存在意 義を失 う。議 員では なく 、市民 自身こ そが権力に同調し あるいは反
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抗し取って代わることができるのである。
か かる地 方議員 の任務 に照ら せば 、権力 抗争に 超然と するこ とは大事で ある。だいぶ使う場
面は違うかも知れぬが、議員である内に一度言ってみたい言葉がある。
『紅旗征戎(こうきせいじゅう)我が事にあらず』
藤原 定家の 有名な 言葉で ある。 文化の 程度 は定家 の足下 にさえ 遠く及ばず、そ の高貴さは比
すべくもない。滑稽のそしりは免れないとは思う。
この 九月で 地方議 員を一 二年務 めるこ とに なる。 必ずし もはじ めからそう思っ ていた訳では
な いが、 四〇代 、五〇 代、六 〇代と 議員を 経る 中で私 なりに 学んだ ことである。先輩議員 経験
者から 、常に 下位当 選にし て二度 も落選 した 貴君が 偉そう なこと を言うなと云わ れるかもしれ
ない。御意という他はない。
(三月二二日)
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三五 ●議会に代えて住民集会
今朝 の新聞 に、な り手の いない 地方 議員の 記事が あった 。町村 議会では二一% が無投票だっ
たという(二三年度)。記事によれば、なり手のいない大きな理由は報酬が少ないからだという。
だから仕事を辞めてまで立候補はしない(できない)という。
確かに収入を落としてまで議員になろうとする人は少ないかもしれない。しかし、
(仕事の内
容 にもよ るが) 仕事を もった まま議 員に 立候補 するこ とはで きるし 、仕事を引退した高齢 者で
もまっ たく問 題ない 。誰に でもで きそう に思 う。も っとも 、議員 のレベルはまた 別の話という
こと になる 。それ でも議 員のな り手が いな ければ 、いっ そ議会 を設けなけ ればいいのではない
か。住民集会を議会に代えればいい。町村ではそれが認められている。
「地方自治の危機」などと言われることがあるが、あまり深刻なことではないようにも思う。
住民集会の方が余程「地方自治」に貢献するのではないかと思う。
(三月二二日)
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三六 ●うむとうなずきしこと
福田恆存の『学生たちへの特別講義』を読みて思えること。
森信三はいう。
「真理は現実のただ中にあり」と。
福田恆存はいう。(現実ということについて)「日本人が過去に生きてきた生き方は、今存在
知行合一」と。
し目に見える現実と同じ現実である。目に見えないものでも生きている」と。
王陽明はいう。
「事上磨練
また、安岡正篤はいう。
「活学」と。
森信三 にも福 田恆存 にも王 陽明に も安岡 正篤 にも遠 く及ば ぬ一知 半解の凡夫なれば、う むと
うなずきつつもその浅学非才を省みる。
(三月二九日)
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三七 ●森流読書の仕方
一つ の本を 読んで いると よく知 らな い人の 名前が 出てく る。そ の人がどういう 人かわからな
を購入する。
DVD
い とその 本の意 味が不 明瞭と なるこ とが ある。 便利な もので ネット 検索でその人の大体の こと
はわかるが、場合によってはその人に関する本や
今ある本から次の人をたどっている。
「林忠崇」䢪「遊撃隊」䢪「伊庭八郎」
「林忠 崇」は 、鎮西 藩の大 名であ りなが ら、 自ら脱 藩し薩 長に抗 して闘い、一介の地方 公務
員を経て九三歳で昭和一六年に逝った。
「伊庭八郎」は、遊撃隊を率いて薩長と戦い函館戦争に
二六歳で闘死した。
歴史に名を残さずともよし、されど、後世のものずきの誰かが「○○」䢪「○○」䢪「森篤」
とたどってくれるのを想像するのもおもしろい。
(三月三〇日)
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三八 ●我が若きその未熟さを恥ず
嫁ぎ行きし一人娘を思ほて嫁ぎ来し妻の労苦を思う。
嫁ぎ行きし一人娘を思ほて義父母の気持ちを思う。
我が若かりし夫のその未熟さを恥ず。
三九 ●行く川の流れは大海にそそぎて終わる
(四月一日)
我 が家は 川の畔 に建つ 。古く はなっ たが幾 部屋 かあり 庵とい うほどには 簡素ではない。昔か
ら川の 流れを のぞき 込むの を日課 として いる。 だか らとい う訳で はないのだが、子 どもの頃に
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覚えた「方丈記」の冒頭はいつも頭の中にある。
『行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず・・・』
な るほど うまい ことを 言うな と思い つつ 、俺は 泡(あ ぶく) かと苦笑し たりもした。今朝川
の流れ をのぞ き込ん だ時、 はたと 思い 至った 。文字 で表す ほどま とまった思いで はない。何か
を感じたと言うべきかもしれない。
六〇代 はまだ 若い、 これか ら活躍 する年 代だ などと おだて られ自 分でもその気になった りも
する。しかし、自身何か肝心なことがおろそかになっているようにも思う。
我が家は海に近い。流れの末までほんのわずかである。
(四月二日)
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四〇 ●有権者を映す鏡
鑑と なる政 治家の ことは あまり 報道 されな い。一 方反面 教師と なる政治家の例 は枚挙にいと
まがない。
女性 代議士 (維新 の党) の会見 の様子 を今 朝のテ レビで 見た。 代議士の矜持は 微塵も見られ
な い。何 をした かのこ とでは ない。 うな だれる な前を 見よと いうこ とだ。謝るにも反省す るに
も前を 見よと いうこ とだ。 国家の 浮沈を 担う のが代 議士の 任務。 うなだれたらそ こで終わり。
無知 蒙昧な 田舎政 治家で もその くらい のこ とはわ かって いる。 あれで代議 士になれるなら俺に
も出来そうだと思ってしまう。
政治家はすべからく選挙で選ばれる。政治家は有権者の姿を映す鏡である。
(四月四日)
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四一 ●至誠にして
古今 東西の 碩学賢 人に接 する度 に、 一層我 が身の 浅学非 才、一 知半解を
痛感 する。還暦を
ところだが、この
越 したの だから もうあ きらめ よと言 われ るかも 知れな い。晩 成の時 は既に過ぎたりと言わ れる
かも知れない。そうかもしれない、いやそうだと思う。
松 陰先生 の「至 誠にし て・・ ・・」 は、 予て座 右の銘 の一つ にしている
ある。なるほど と思
肝 心とな る。そ こで「孟子 」をたどってみた。
語をあ らため て俯瞰 してみ ると( 私には )ど うも唐 突の観 がある 。松陰研究をす る訳ではない
ので 、私に とって この言 葉がど うであ るか が
こ の語の 前に文 がある 。何故 「至誠 」なの かと いう説 明(論 理立て )が
った。今までこんなことも知らずに何をしていたのだろうか思う。
「孟子」も読んではいるが、
読んだに過ぎないのである。 浅学非才、一知半解を絵に描いたようだ。
(四月五日)
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四二 ●福田恆存にみる我が文化論
時を 隔てて 自分が 考える ことと 同じ ことを 言って いる人 を発見 すると、俺も彼 の人と同じレ
ベ ルかと うれし くなる ことが ある。 福田 恆存が 学生に 講義し た内容 をおさめた本の一節に こん
な趣旨のことが書いてあった。
『文化とはその民族、その時代の“生きる様式”である』
常 々自身 が思っ ていた ことと ほとん ど同 じ言い 方であ る。私 の場合は、 若い時に三島由紀夫
の「文化防衛論」を読んでからそんな風に文化の根本を捉えている。
三島 がいう ところ の、シ ドニー 湾に浮 上し た特殊 潜行艇 から身 を乗り出し、日 本刀を振りか
ざした勇士が月明かりに照らされて突進する姿が文化そのものである。と理解している
俺も福 田恆存 と同じ レベル かとう れしく 思う 。しか し、考 えてみ れば、学生への講義な のだ
から、学生と同じレベルだと謂えなくもない。
(四月七日)
- 58 -
四三 ●凡夫 偶然を都合のいいように解釈するのこと
見る とはな しに本 棚を見 ると、 一冊 の本が 棚から 落ちそ うにな っている。もと に戻そうと手
にとると「全訳 為政三部書」(安岡正篤)とある。ページをめくると、多くの箇所にマーキン
グがある。政治の基本を勉強しようとしたことがわかる。
こ れは、 あらた めてこ れまで を振り 返り つつあ と数ヶ 月の任 務を全うせ よとの天の啓示かも
しれないと思った。偶然をいいように解釈するようでは議員は務まらぬかも知れない。
しか し、大 概のこ とには 因があ り果が ある 。偶然 にも因 果はあ る。凡夫には何 が因で何が果
であるかは判然としない。
そうではあるが、自身のことだからいいように解釈することにする。
ここまで書いて、この本の序を読んでいると、安岡師は、ある夜起き出でて書斎に入りし時、
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(四月一九日)
本棚からぱたりと落ちた本を手に取ると「三事忠告」
(張養浩著:為政三部書の原書)であった
という。
なんということだ。
四四 ●陽光うららかな日
昨日 は暖か く心地 よい日 だった 。はじ めて 孫をベ ビーカ ーに乗 せて海を見せに いった。宇佐
美の海は穏やかだった。
「陽光うららかな日」という言葉を思うといつも鶴田浩二の声が聞こえてくる。
陽光うららかな日
美しく立派に散るぞ
- 60 -
そう言って一番機に向かう友の胸に
俺は まだつぼみだった桜の一枝を 飾って贈った
明日は俺の番だ
きっと
桜の花も満開だろう
死ぬ時は別々になってしまったが 靖国神社で会える
その時は
陽光うららかな日
孫と一緒に宇佐美の海で遊ぶことができるのは幸福の極みかもしれない。
しかし、生まれ遅れたという感がしないでもない。
(四月二三日)
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四五 ●議員選びは大事な組織人事
組織 は人が 差配す る。だ から、 戦う 組織、 能動的 な組織 であろ うとすれば、特 にその人事が
大事になる。人事が全てだともいえる。
法により特別な権限が与えられている地方議会(議員)は自治体のヒエラルキーの一部を成す。
同時に権力者を牽制する役目を担っている(はずである)
。
さて、 伊東市 選挙管 理委員 会は、 こ九月 二〇 日に市 議会議 員選挙 を実施すると発表した 。議
員選 びは組 織の大 事な人 事であ る。関 心の ある方 で、現 職の議 員より自分 の方が優秀だと思う
方は、老若男女を問わず是非立候補してもらいたいと思う。
人事権 者の役 割は優 秀な者 をその ポジシ ョン につけ ること である 。議員選びはその人事 権者
の能力も試されることは言うまでもない。
(五月一六日)
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四六 ●汝任務を果せしか
伊東 市議会 は、こ の九月 二〇日 が任 期満了 に伴う 投票日 となっ た。四年の任務 を果たすこと
が できた か否か を考え る。議 員とい うも のは胸 を張っ て任務 を遂行 しましたとは言えない もの
である。
(私のこと)
「 いくら 優秀で も落選 すれば 意味は ない 」とい われる 。これ は候補者の 立場に立って候補者
自身が思うこと。
「い くら当 選して も無能 ならば 意味は ない 」とは 、有権 者の立 場にたって有権 者自身が思う
べきことだが、これはあまり言われない。
田舎 まちの 議員だ から無 能でも いいと いうこ とは ない。 県会議 員でも国会議員で も無能な議
員がいることはテレビが教えてくれる。
田舎ま ちの議 員は本 来の国 会議員 と同等 以上の 優秀 な人に なって もらいたい。選んでも らい
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たいと思う。
し かし、 誰が優 秀かど うかが わか るのは 、日常 接して いる同 僚議員と役 所の職員の皆さんだ
けである。本人だって自分のことはよくわからない。
実 際、数 ある議 員候補 者の中 から有 権者 が識別 するの は難し い。まあ世 の中はそんなものさ
(五月二一日)
と言われれば次の言葉は出てこない。当選した人に一所懸命やってもらうしかない。
四七 ●剣士「伊庭八郎」に学ぶ
子 供の時 にお腹 を少し 切って 盲腸の 手術を した ことは あるが 、まだ本格 的な開腹手術をした
ことがない。切腹してもその仕方を間違ったり、発見が早ければ、今の医療技術を以てすれば、
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上手 に縫合 されて 死ぬこ とはで きな いだろ うと言 われる 。確実 に死ぬ切腹 の仕方はあるが、文
字 の上で しか知 らない 。見た こと はない 。痛い だろな と思う 。痛い のはいやだなと思う 。身を
投げ捨 て市民 のため に尽く すのが 議員 の本分 だなど と思っ て見て も、切腹を痛が る様な輩では
その資格はないかもしれない。
最近読んだ本の中にこんな一説があった。
『人、我が骨を削る。昏睡して知らざるべきか』
自
( 分の 骨が削 られる という のに意 識不明で それを知らないでよい ものか:森訳)
箱根戊 辰戦争 で手首 を切ら れ、壊 死を防 ぐの に麻酔 なしで 自らの 骨を切断した時の一言 だと
いう 。薩長 に抗し た遊撃 隊隊長 、剣士 「伊 庭八郎 」その 人であ る。転戦し ついに函館に死す。
時に二六才。
痛さ故 腹を切 るのを いやが る還暦 をこし た爺 さんな どとは 比較に もならない偉丈夫であ る。
任期満了まで数ヶ月。覚悟を新たにしようと思う。
(五月二八日)
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四八 ●【ショート・ショート】 現代翁問答 口(語訳 )
) こ れから 勉強し ますん じゃあ 困るん だよ ね。勉強して から来てくれなくっ ちゃあ。ベテ
青(二才 )今度当選した青二才です。一所懸命勉強しますのでよろしくお願いします。
翁
(
ラン も新人 もおん なじ報 酬なん だよ議 員っ ていう のは。 そこん とこわかっ てるのかな。君、自
治 法くら い頭の 中に入 ってる んだろ うね 。伊東 市の例 規集に は大体 どこに何が書いてある か読
んでき てるん だろう ね。地 方議員 は秘書 なん か雇う 報酬は もらっ てないんだよ。 みんな自分で
やれなくちゃつとまらないんだよ。これから勉強しますだって。それだから素人は困るんだよ。
君 は自分 を青二 才って いうけ ど、年 なんか 関係 ないん だよ。 年くっ てたって、だめなやつ はダ
) はい、 わかり ました 。精進 します 。住民 の皆さんのご意 見をよく聞いて住民の 代弁
メなんだ。若くたっていいやつはイイんだ。
青
( 二才
者になりたいと思います。
- 66 -
翁
(
) おい おい、 君は何 様のつ もりな んだ 。国会 議員じゃないんだ よ。代弁者なんかつ くるよ
り、直 接住民 の意見 を反映 できる 仕組 みをつ くった 方がい いんじ ゃないのかね。 君自身充分に
普通 の住民 なんだ から、 代弁者 なん て滑稽 だよ。 何事に よらず 人の意見を 聞くことは大事なこ
と さ。別 に議員 に限っ たこと じゃあ ない 。第一 、大勢 の意見 を聞い てどうするの。足して 二で
割るつ もりか ね。一 つを選 択する つも りかね 。そう じゃあ ないだ ろう。人の話を 聞いて君の考
えが どう変 わるか 、ある いは変 わらな いか という ことだ よ。君 自身のしっ かりした考えをもつ
ことが大事なんだ。周旋屋や代理人になりたいんなら他の道を探した方がいいだろうな。
「こだわらない心、とらわれない心、
)昔、薬師寺の高田好胤さんがよく言ってたもんだ。
青(二才 )はい、わかりました。精進します。自分のしっかりした考えを持ちます。
翁(
かた よらな い心、 それが 般若心 経の空 の心な り」 ってね 。自分 のしっかり した考えをもつにつ
け ても、 謙虚で あるこ と、素 直であ ること が大 事じゃ よ。君 がいく つになっても、また、 偉い
人になってもこのことを忘れちゃあいかんよ。
- 67 -
(五月三一日)
) 我輩は 本当に 精進しただろうか。 青二才に物の理 こ
( とわり を
) 説く
青(二才 )はい、わかりました。精進します。
今
( は翁 となり し青二 才
ことができるほどに。
四九 ●それを言っちゃあお終いだ
ものには「言い方」というのがある。
「それを言っちゃあお終いだ」ということもある。お終
い になっ たら、 疎遠に なるか 喧嘩に なるし かな い。お 終りに しよう というつもりなら何も いう
ことはない。
- 68 -
言う 方にそ のつも りはな くとも 、聞 く方が そのつ もりに なって しまったのでは 、立てなくて
もいい波風をたてることにもなる。
常に 激しい 言い方 をする 議員が 優秀 である かのよ うに見 られる ことがある。正 論を正論のま
ま言う議員が優秀であるかのように見られることがある。 正論も言わず、激しくも言わぬは論
外だが 、「良い加減」 い
( い加減 ではな い)と いうこ ともある。良 い加減の話ができる議 員は優
秀なのかもしれない。
古今東 西、ウ ィット に富む 政治家 という のが 居るら しい。 時間が できたら議事録から「 伊東
市議会ウィット集」をつくってみようと思う。愚老はまず収録されないだろう。
「伊東市議会珍
問答集」の方がおもしろいなどというなかれ。
「言い方」というのは難しい。
人の世は面倒だ。
・・・それを言っちゃあお終いだ。
(六月四日)
- 69 -
五〇 ●老母と幼子
年の 初め一 人娘に 男児出 産あり 。八 十六な る我老 母は元 気にし て還暦を越した 一人息子に何
くれと気を遣いおり。我もまた娘の力にならんと元気で長生きをしたし。
老母の曾孫を抱きて言い聞かせて曰く
「いいかい。大きくなったらお母さんの力になるんだよ。お母さんを助けるんだよ」
それを聞き曾孫、ものは言わずににたりと笑いてうなずきたり。
幼子の成人するまであと二十年。老母の元気でいるだろうかと思う。
六(月五日
)
- 70 -
五一 ●おもしろきかな人の世は
「地方議員の達成感」
何か 仕事を してい て達成 感を感 じる 場面が あると 思う。 その時 は達成感を感じ ても後になっ
て みれば すっか り忘れ てしま ってい るこ ともあ るかも 知れな い。仕 事の内容により、また 、人
それぞれが感じることだから一様ではない。
会 社勤め をして いる時 、今で も達成 の感 激をは っきり 覚えて いる場面が 一度だけある。建設
度
1 の達成感ということになる。しかも、
省関連 の財団 に出向 し新設 される ある国 家資 格の試 験事務 に関わ った時のこと。 はじめての資
格者を発表した時だ。二四年間の会社勤めでたった
年余の出向中の仕事であり、本来の自分の仕事ではない。
世の中はおもしろいものだと思う。
さ て、地 方議員 に達成 感はあ るだろ うかと 考え る。地 方議員 の本務は、 首長の批判、監視を
旨とす るルー チンワ ークだ と見切 ってし まって いる から、 達成感 というものがなく とも当然だ
- 71 -
と思っている。
もうす ぐ、志 願して 入った 合計一 二年 間の議 員の任 務が終 了し除 隊する。この間に例外 的に
達成 感を感 じたこ とが一 度だけ ある 。それ は、同 志議員 の一員 として、時 間をかけて「伊東市
自 治基本 条例」 を日本 ではじ めて「 議員 発議」 したこ とだ。 議会で は否決はされたが、今 でも
達成感 を感じ たこと を覚え ている 。も う一〇 年以上 も前の 昔のこ とになった。達 成感と同時に
地方議員の限界も学び理解した。
今、六 月議会 に、市 長から 「伊東 市文化 振興 基本条 例」が 議会に 上程されている。同様 の基
本条 例を制 定しよ うと、 同志議 員の一 員と して、 時間を かけて 検討してき た。議員発議可能な
1度目とは少し違っ
ま での条 例案も 用意し たが、 できる だけ多 くの 議員の 皆さん と執行 権限をもつ市長の賛同 を得
ようと議員発議は見送った。
「伊東市文化振興基本条例」が制定されれば、
た意 味で二 度めの 達成感 を感じ るかも しれな い。 同時に 一段と 執行権限を 持たない地方議員の
限界を感じるかも知れない。
- 72 -
地方 議員の 達成感 は、議 員のも つ権 限を駆 使し、 主体的 、創造 的に自治体経営 に関わってい
く こと、 即ち「 政策条 例」を 制定 をする ことに あるの だろう と私は 思う。しかし、そう いう場
(六月二一日)
面は、 簡単に いつも つくり 出せる とい う訳で もない 。地方 議員の 達成感は、本務 たるルーチン
ワークの中からはなかなか出てこない。
世の中はおもしろいものだと思う。
五二 ●勝って兜の緒を締めよ
東郷平八郎司令長官 その聯合艦隊を解散するに当たり一文を起こしその結語に曰く。
「勝って兜の緒を締めよ」と。
- 73 -
今我が国の政権は一強多弱と云いて与党の権勢盤石との評あり。
その評 価はい ずれに せよ、 一党あ るい は二党 を以て 日本の 権力を 掌握したるに相違はな し。
愚夫ここに日本を憂いて、元帥の言を今に敷衍して一考を試みむ。
思うに 、勝っ て兜の 緒を締 めよと は、 元帥の 将官に 与えた る言の みには非ず。その末端 の兵
に与 えたり し言な り。幹 部級の 将官は 元帥 が直接 指揮す るもの なれば、日 々よろしく元帥の薫
陶 を受け 、その 思慮を 理解せ ざるは なし 。しか るに、 末端の 兵にあ っては元帥に直に接す るの
機会なかりせば、その思慮の理解は十分とは言い難し。
政 権与党 の幹部 に元帥 ほどの 人のあ るはも ちろ んなれ ば、権 勢盤石と言 えども傲慢を廃し謙
虚を旨 と思慮 するは 言うま でもな し。な れど 、昨日 今日に 政権の 末席に着きし少 壮の者の元帥
の言を知らざるかと憂慮す。
「三笠 」必ず しも浮 沈艦に はあら ず。聯 合艦隊 必ず しも無 敵艦隊 にはあらず。日本海に 露国
- 74 -
艦隊 を破り たるに 傲慢と なりて 謙虚 を忘却 せば、 次の戦 の帰趨 は定かなら ず。故に日本の運命
ま た定か ならず 。戦に 勝てば こそ 、緩み し兜の 緒を締 め、武 備を整 え、自重しつつなお 一剣を
磨き、百年の後に備えるべきなり。
(六月二七日)
権力は批判され、行く先々に落とし穴のあるは世のならい。政権党に特段の縁はなけれども、
愚夫日本を憂いてここに一考す。
五三 ●新任「教育委員」に我同意せず
昨 日閉会 した六 月議会 で、市 長は、 任期満 了に 伴う新任「教 育委員」 一
(人 の
) 同意を議会に
求めた。
- 75 -
我一人これに同意せず。
正式に 議場で 同意を 求める 数日前 に事 前に市 の幹部 が各会 派、議 員に説明に来るのが慣 習と
なっ ている 。いき なり議 場で言 われ ても困 るだろ うから 非公式 に、先に伝 えるということだろ
う。むべなるかな。しかし、説明といっても簡単な経歴が記載されている資料を持参するのみ。
同じものが追って議場で正式に配布される。
我、説いて曰く。
「教育 委員は 特に重 き任務 を負う が故、 人選 は大事 とぞ思 う。こ れでは、教育委員とな るべ
き人 の教育 に関す る見識 、抱負 がわか らぬ 。非公 式で構 わぬ故 、説明を乞 う。我これをはじめ
て言うに非ず。以前にも同じことを言いしをご存じのはず」
幹部答えて曰く。
「これ以上のことは申し上げる能わず」
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我、続けて曰く。
「ならば、我、任務上同意する能わず」
五四 ●『あん・ぽ・はん・たい』
(七月一日)
小学 校に上 がった 頃だっ たろう か、遊 ぼう と何人 かが集 まると 体を密着し歩幅 を狭くしてそ
の あたり を歩き 回った 思い出 がある 。その 時、 掛け声 のよう な呪文 のような言葉を発する のが
決まりだったように記憶している。
そ の行動 とその 言葉は 一体で あり、 そうい う行 動をと るとき はその言葉 を発するべきもので
あり、 その言 葉を発 すると きはそ ういう 行動を とる べきも のだと 思っていた。言葉 の意味も行
- 77 -
動の 意味の わから ない。 掛け声 であ り、呪 文であ から意 味など わかろうは ずがない。そもそも
お もしろ がって やる遊 びなの だか ら、そ の意味 を知ろ うなど と考え る子どもがいたらそ の子は
普通ではないのかもしれない。
やがて長じて、ああそういうことだったのかとその言葉と行動の意味がわかるのだが、何故、
田舎町 の田舎 小僧た ちはそ んなこ とを 覚える ことが 出来た のだろ うかと不思議に 思う。子ども
が新 聞を読 んでい た訳で もない 。まし て毎 日テレ ビを見 ていた 訳でもない 。きっと大人の世界
では大きなエネルギーが動いていて、それが子どもたちに伝わったのだろう。
大人 たちは 、技巧 を駆使 して政 治的な 運動 をしか ける。 それが 子どもの遊 びになるようになれ
ば、技巧を通り越して本物かもしれない。その政治的な評価はいずれにせよ。
(七月一七日)
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五五 ●優秀さも程々なり
人は 自分が 思うほ どには 優秀で はな いと言 われる 。自己 評価は 常に客観的な評 価を上回ると
いうことだろううか。
自己評 価のみ を以て 良しと するの は滑 稽な場 合があ る。さ りとて 他人の評価が常に正当 だと
は限らない。浅薄で情緒的で、評価の名に値しない評価も少なくない。
ならば 己を評 価する にはど うすれ ばよい か。 優秀さ の評価 とは視 点が違うかもしれぬが 、歴
史上 の先哲 碩学の 言動に 比較し て己を 評価 するこ ととし ている 。あの人な らこの場面でどうし
ただろうか、自分と同じように考えただろうか、自分と同じように行動しただろうかと考える。
人は 、一介 の凡夫 たる貴 君と歴 史上の 先哲碩 学と を比較 するの は滑稽の極みであ ると言うか
もしれぬ。
彼の先哲碩学の曰く。
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●衣食の足を知りて礼節を知る
『貴君の優秀さも程々なり。なお一層精進されよ』と。
五六
古人曰く『衣食足りて礼節を知る』と。
(七月二一日)
昨今、衣食の足るや古 い(にしえ)とは比較にもならねば、礼節の行わるるもまた比較にはな
らぬか。
礼節を知るとは、あまねくその行わるることをいい、一人二人のことを言うには非ず。
昨今、古に比べて礼節のあまねく行われると見るは難し。
衣食足りて礼節を知るには非ず。
- 80 -
衣食の足るを知りて礼節を知るなり。
衣食の足るを知るとは、欲望を抑制することなり。
昨今、経済発展の考察、施策は盛んなり。
金を使い回せば経済は発展するという。
これ即ち欲望の増幅をもくろむことなり。
経 済の発 展は一 国一郷 の安全 保障に 関わ ること なるも 、礼節 を知るを以 って、即ち足を知る
を以て安寧秩序をはかることもまた、一国一郷の安全保障なり。
経済 施策は 盛んに して、 政治の 多くは 経済 に割か れるの 感あり 。一国の事は我 知らず。一郷
の足を知るの施策、礼節を知るの施策は何処にありや。
(七月二五日)
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五七 ●我議場を退出せず
子どもの頃から不可 解に思っていたことがある。 国
...会の採決に際して賛成票も投ぜず、反
対票も投ぜずして議場を去る代議士が居るということを。
長じ て自身 が地方 議員に なりし 時、採 決に 際して 、決し て議場 を退席せざるこ とを誓う。何
と なれば 、議場 の「表 決」は 、議員 が有 権者か ら賜っ た破邪 顕正の 剣なればなり。議場退 席は
この剣を捨つるに等し。
採 決に際 してど うして も議場 を去ら ねばな らぬ 時、黙 って去 るは卑怯な り。議長席に向かっ
て投擲弾を投げ入れるべし。議場を混乱させ、一切の秩序を破壊せしむべし。
(七月二六日)
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五八 ●如何に権限を行使せしか
地方 議員の 評価は 、何に 基づい て為 されな ければ ならな いか。 地方議員に限っ たことではな
い が、公 人の公 人たる 所以は その与 えら れた権 限に基 づく。 その権 限を行使しなければそ の職
務を全うすることにはならない。議員の評価に当たっては、何か漠然とした「議員というもの」
という認識はできるだけ排除しなければならないと思っている。
人物よ し、 政
( 治 に向か う 姿
) 勢よし 、考え もよ しとしても、権限 を行使できねば前提条 件が
揃っ ている に止ま る。地 方議員 の主た る権 限は、 地方自 治法に 具体的に列 挙記載されている。
地 方議員 の評価 は如何 にして その権 限を行 使し たかに よる。 もっと も、実際に議員個人に 与え
られた権限はほとんどない。権限は「議会」に与えられている。
「 議会」 が権限 を行使 するに 当たっ て、そ のプ ロセス として 、その構成 員である個々の議員
がなにがしかの行為をするということになる。 議会は言論の府なれば、議員としての行為は、
- 83 -
議場 あ(るいは委員会室 と)いう公開の場における言論に帰結されなければならない。
だから 、議場 の発言 はしな くとも 、あ るいは 少なく とも、 市民や 団体の要望を行政にや らせ
たなどと声を大にして言う「議員」が居るとすれば、何を考えているのかと言わざるを得ない。
要望を行政に取り次ぐ必要があれば、それは町内の世話役の役目であり、それを実現するのは
行政執行権限をもつ市長の役目である。
また、議員はあるいは議員になろうとする人は、 た(ぶん 例)外なく「市民のために」と言う。
年
4 の議 員任期 は満了 となる 。議員 は今期 限り で卒業 すると 決めて いるが、
しかし 、それ は実際 には直 接評価 のしよ うが ない。 それぞ れみん なそのためにが んばっている
のである。
あと二 ヶ月で
年間 の自己 評価は しっか りしな ければ ならな いと 思って いる。 如何に権限 を行使できたか、正
確 にいえ ば、議 会の権 限行使 に如何 に関わ った かとい うこと を最大 の視点として評価すべ くレ
ポートを書き始めている。
4
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七(月二八日)
そんなレポートは市民受けはしないしだれも興味はない。という声も聞こえてきそうだ。
そんなことを言わずに読んでほしいと思う。
五九 ●宇佐美のおじいさん 小学生に向かって熱く語る
『諸君たちは「吉田松陰」という人の名前を知っているか。いや、知らなくともいい。諸君
たちが 今立っ ている その道 は、松 陰先生 が下 田のア メリカ 艦隊を 追って、生涯で たった一度だ
け駆 け抜け た道だ 。松陰 先生は やがて 幕府に よっ て首を きられ 処刑され、 若くしてその生涯を
閉 じる。 諸君た ちは今 、松陰 先生が 踏みし めた 同じ場 所に立 ってい るのだ。松陰先生がど うい
う人か は、諸 君たち がやが て大き くなっ た時に 学ん でほし い。そ の時、今日おじさ んが話した
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●【ショート・ショート】
「宗教改革」愚息とおおらかな老母との会話
ことを思い出してくれればおじさんはうれしい。
』
六〇
(八月八日)
この家 では、 もう何 十年と お盆に なると ナス とキュ ウリで 牛や馬 をつくるのは息子の役 目と
決まっている。
(愚息 )おば あちゃ ん、ど うして お盆に は牛 や馬を つくる の。そ りゃあ、ご先祖 がそれに乗っ
てやってくるのはわかってるさ。でも、どうして牛や馬なの。馬や牛に乗るのは昔のことだよ。
今 は自動 車があ るじゃ あない か。家 の目印 に松 明を燃 すって いうけ ど、それは昔のことだ よ。
今じゃカーナビがあるから明かりなんかなくても大丈夫だよ。
- 86 -
(老母)それもそうだね。
(愚息)それじゃあさ、今年はカーナビ付きのミニカーをそなえることにしようよ。
(老母 )お前 がそう いうな らそれ でも いいさ 。おじ いちゃ んには 車の運転気をつ けてねって私
から言っておくよ。
(八月一五日)
(愚息)・・・おじいちゃんは車の免許は持っていなかったはずだが。向こうの免許をとった
のかもしれない。
六一 ●真っ昼間風呂に入りて小悟を得るのこと
昼 間だが 一風呂 浴びよ うと浴 槽にお 湯を張 った 。我が 家は電 気給湯だが 、浴槽だけが混合栓
になっ ていな い。だ から、 熱湯の 蛇口と 水道の 蛇口 を別々 に調節 して浴槽の中でち ょうどよい
- 87 -
温度になるようにする。いつものことだから別に不便は感じない。
我が家 の浴槽 は比較 的広い のだろ うか 。座っ て足を 伸ばし 切ると 足首を湯の上に出すこ とが
できる。いつもそうして入っている。いい気持ちになって目をつむっていると、「熱いっ。」と
感 じ、そ の刹那 、足は 湯の中 に沈ん でい た。ど うした 拍子か 蛇口か ら熱湯が足の甲に落ち てき
たので ある。 水栓内 に溜ま ってい たも のだか ら大量 ではな い。大 量ではないが熱 湯である。や
けどをしても不思議ではない。
驚いた 。熱か ったこ とにで はない 。心の 動揺 が全く 無かっ たこと に驚いたのである。と っさ
の事態に対して、「全く」という言葉を使うほど心の動揺がなかったのである。不思議に思った
(八月一五日)
の でその 場で心 を確か めたほ どだ。 これが 人生 の極意 かと悟 った。 年のせいで鈍感になっ てい
●松陰先生の怒りの声か そもただならぬ響きあり
るのではない。そうなら大やけどをしているはずである。
六二
- 88 -
今朝、 議員控 え室に 入りい つもの 通り 机の前 に座り 、ふと 見上げ ると、ずっと壁 に貼ってあっ
た文字が傾いている。昨日帰るときはまっすぐだった。こういうことは初めてである。
『僕は忠義をする積もり 諸友は功業をなす積もり』
吉 田松陰 先生が 塾生に 当てた 手紙の 一説 である 。自身 の戒め のつもりで 四年前から掲げてい
る。それが傾いた。セロハンテープで止めてあるから、暑さのせいではがれたのだろうか。
『森君、僕は命をすてても忠義を尽くしましたよ』
『君は』
人 と比較 してど うだっ たかは 、功業 の部類 に入 る。議 員任期 終了を前に して松陰先生の怒り
の声なのだろうか。一旦元に戻したが、傾いたままにして固定した。
- 89 -
六三 ●学問のない人にはかないません
(八月二十日)
時
「伊東市総合戦略(案)
」については、
1 間前にメールで提出した。
昨夜、提出期限が迫っていた「伊東市人口ビジョン(案)」
「第十次基本計画(案)
」のパブリ
ックコメントを締め切りの
全部 やり直 せとい うこと になっ てしま いそ うなの で意見 の提出 はしなかっ た。いずれの(案)
も 政策論 文では ないの で、比 較的短 い言葉 で記 述され ている 。部分 的に修正すべしとする 意見
2015.07 )を読んでいるのだが、短い
なのだ が、修 正案を 言うに ついて は、当 局( 案)の 言葉を よく吟 味すると同時に 、自身の言葉
も選ばなければならない。
ところで、
『安岡正篤と終戦の詔勅』
(関西師友協会編
言葉に 込めら れた哲 学の重 さをあ らため て考え る。 詔勅の 作成過 程で、安岡師の言 う「義命ノ
- 90 -
存ス ル所」 が「時 運ノ趨 (おも む) ク所」 に修正 された 経緯を 後に聞くに 及んで、師は「学問
のない人にはかないません」と長大息したという。
よく 解らな いとい う理由 で言葉 を修 正する のは、 修正す る側の 教養の程度が知 れるというこ
と かもし れない 。詔勅 と自治 体の計 画書 では比 較にも ならぬ かもし れない。安岡師の遠く 足下
にさえ 及ばぬ 浅学非 才であ ること は言 うまで もない 。パブ リック コメントで修正 案を提出した
(八月三一日)
もの の、当 局の俊 英たち からは 「学問 のな い人に はかな いませ ん」といわ れるかもしれない。
六四 ●寡黙と口舌の徒
執行権限をもつ首長は徳を持すれば寡黙なりとも可なり。
議会議員は徳を持するは当然なりしも寡黙なるは不可なり。
- 91 -
何となれば、議会は言論の府なればなり。
寡黙なるは即ち任務放棄なり。
予 輩、初 めて言 論の府 に入り し時、 数名 の同志 と共に 「興志 会」なる会 派をつくりしは一六
年の昔なり。
「興志会」行動綱領の一に曰く。
「口舌の徒となるなかれ」と。
(九月一日)
今、 議会議 員とし てあま りに寡 黙では なか ったか を省み る。議 会議員として口 舌の徒の誹り
●老議員は消えゆくのみ
を受けなかったかを省みる。
六五
- 92 -
これま で市議 会議員 として の任期 満了 を三回 迎えて いる。 三回目 は正確に言うとこの九 月二
九日 が任期 満了と なる。 昨日、 九月 定例市 議会が 閉会し たので 、昨日の午 後と本日の午前中を
か けて、 四年間 使って いた議 員控え 室を 片付け て、パ ソコン 、プリ ンター、文具等の私物 を全
て撤収した。
九 月二十 日 日
( の
) 投開票 で新し い議員 の皆さ んが 決まり、翌日には当選 証書の交付がある。
その足 で議会 で新任 期の準 備に入 るはず だか らぐず ぐずし てはい られない。はや く控え室を空
けなければならない。
議員は 任期満 了を迎 えても 特別何 がある わけ でもな い。退 職辞令 の交付式などはない。 ご苦
労さ んでし たと花 束を渡 される 訳でも ない。 市長 と違っ て大勢 の拍手に送 られて市役所を後に
する訳でもない。
常々、議員は消耗品だと思っている。人知れずすっと消えゆくのみである。
- 93 -
六六 ●酔気偶成
政治家は何故大きな顔ができるのか。
悪い意味で言うのではない。
其は、権限が与えられるが故である。
予算編成権、執行権、議決権 決(定権 、)検閲権、調査権などがある。
権限の行使には、その切れ味の良さが求められる。
切れ味の良さが求められるが故に、権限を持つ者の質の高さが求められる。
(九月一日)
- 94 -
愚か者に切れ味のよい刃物を持たせるのは危険である。
もっとも、愚か者に名刀は使いこなせぬであろう。
名刀、大蛇の腹中より出でて我掌中に握ることなきにしもあらず。
老人の一振り、その切れ味や如何に。
六七 ●夢中偶成
(九月一五日)
戦闘機は爆弾を抱くと一機で一艦を屠るという。一方で、機体が重くなり操縦性能はおちる。
容易には当たらないとも聞く。
- 95 -
当選した時、自身を既に空中に上がった特攻機になぞらえて気を引き締めた。
爆弾の威力は大きい。公職そのものが爆弾なのだが、確かに操縦性能はおちる。
索敵は慎重にならざるを得ない。
機体を旋回するにも時間がかかる。
爆弾の重み故である。
操縦性能は落ちるが、被弾を恐れれば敵艦には近づけない。
燃料には限りがある。乗っていればいいと言うものではない。
(九月一九日)
志願して機上の人となったが、未熟だったかもしれない戦闘機パイロットの任務は終わった。
●一気呵成
突入して身は軽くなった。爆弾の重みをあらためて感じる。
六八
- 96 -
振り返るとこの六〇年はあっという間だった。
気がついた時には既にこの世に在ったが、いつ生まれ出たかは記憶にない。
自 分がい つ生ま れ出で たかは 知らぬ が、 やがて 子を産 み、そ の子がまた 子を産んで、紅顔の
美少年もついにおじいさんになってしまった。
あ と二~ 三十年 もすれ ば確実 に心臓 は止 まる。 あっと いう間 である。こ れまでのあっという
間とこれからのあっという間を足しても答えはあっという間である。
少年老いやすく学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
老いてなお学成らずんば一刻も猶予なし
一気呵成の四字あるのみ。
- 97 -
●老少尉の妄想
白髪まじりのおじいさんは、何度でも決意を新たにする。
六九
近頃小説などめったに読まないが、
『オールド・テロリスト』 村(上龍
(九月二五日)
を読んでいる。
2015.05)
題名 に興味 をもっ たから である 。若い 頃、 三島由 紀夫が テロの 有効性につ いて書いたものを読
の寄稿にコメントをいただいた。曰く「青年将校
facebook
んだ記憶がある。
「老テロリスト」は何を考えるのだろうか。
過.日、議員ホームページを閉じる
自ら去る」と。昭和のはじめの国家革新運動に興味があり、何冊かの本を読んだことがある。
「老
青年将校」は何だかうれしいような懐かしいような感じがした。 アンテナをあげて心の受信機
- 98 -
の感 度を高 くして おくと 、旧式 にも かかわ らず意 図せず して同 じような周 波数を拾うらしい。
若い頃 工事現 場で監 督員と して勤 務し ていた 時、予 科練出 の上司 に「少尉」というニッ クネ
ーム を付け られた 。これ が気に 入っ ている のだが 、還暦 を過ぎ て孫を抱く おじいさんを「森少
尉」と呼ぶ人は今はいない。
(一〇月二日)
「老少 尉」は 時代を 先駆け するだ ろう か。そ れとも 、妄想 の中で 日本刀を振りかざすの だろ
●守旧の精神とは死ぬこととみつけたり
うか。
七〇
- 99 -
杉浦日向子の「合葬」
(漫画)を読んだ。実写映画がこの九月に公開されているという。上野
戦争 の彰義 隊を題 材にし た作品 であ る。自 分が幕 臣だっ たら彰 義隊に参加 するだろうかと考え
る 。昨今 、いや いつの 時代で も「改 革」 は幅を きかす 。古い ものを 打ち捨てろ。しがらみ を捨
てろ。新しい発想が必要だ等々。自分でも結構そんな言葉を使ってきた。
初 めて議 員にな った頃 、新人 議員で つく った会 派の「 行動綱 領」を定め た。その中の一つを
「旧来 の陋習 を破り 云々」 とした 。する と、 元議員 の皆さ んから 「旧来の陋習」 とは俺たちの
ことか、説明しろと言ってきた。
そんな つもり で綱領 を定め たので はなか った のだが 、言わ れてみ ると、実はそういうこ とも
含ん でいる んだと いうこ とがわ かった 。新人 議員 よりも そこに 気がついた 長老の皆さんの感性
の 方が勝 ってい たのだ ろう。 時は過 ぎ、気 がつ けば守 るべき 色んな ものをまとってしまっ た。
自身が旧来の陋習になってしまったかもしれない。
- 100 -
卒業した大学では、その校歌に「進取の精神」というのがある。
「守旧の精神」は滅び行く定
めなのだろうか。
彰義隊は薩長に圧倒され一日で壊滅した。
徳川の雄たる会津は壮絶な抵抗の内に滅びた。
新撰組は誠の旗を血に染めて潰えた。
時代に抗した神風連の面々はその名さえ知る人は少ない。
「改革」や「進取の精神」は幅をきかすがその内実は空疎なことも多い。
「守旧の精神」だな
(一〇月七日)
ど と胸を 張るよ うなこ とでは ないか も知れ ぬが 、上野 の山に 登って みようと思わぬでもな い。
●愚老の志
名さえわからぬ屍と化せば誰かがまとめて葬ってくれるだろう。
七一
- 101 -
何をす るにも 何にな るにも 、志を 成就 するに は、金 だとか 権力だ とか人脈だとかも含め て、
およ そ世渡 りに必 要なも のは少 なか らず活 用しな ければ ならな い。おのれ 一人の才覚では、な
か らずし もこの 志は成 就でき るとは 限ら ない。 そのた めに、 世渡り 上手になろうとする者 は少
なからず居る。金も権力も持たぬ者が何かをしようとすれば、あるいは何かになろうとすれば、
そこそこのことしかできぬのは道理である。
し かし、 何をす るか、 何にな るかだ けが 志では ない。 その前 に如何に在 らむとするかこそが
(一〇月二二日)
大事な 志であ る。志 を立つ るとは 、如何 に在 らむと するか を決め ることに他なら ない。如何に
在らむとするかの前には、何をするかも何になるかも霞んで見える。
先哲は、年少の時に志を立てよというが一介の凡夫には難し。
●誓うなかれ
愚老金もなければ権力もなし。なお志を磨くに幸いなるか。
七二
- 102 -
六〇年 も生き てくる と、自 分なり に色 んなこ とを学 び教訓 を得る 。その一つに「むやみ に誓
うな かれ」 という のがあ る。誓 いを 破ろう として 破れな いから 困るのであ る。一人心の奥に立
てた誓いは、状況の変化如何に関わらず破ることができない。
新撰 組の局 中法度 に、局 を脱す るを許 さず という のがあ る。土 方は、将軍が引 っ込んだから
と いって 、決し て新撰 組を脱 退する こと ができ ない。 同じよ うに、 自分の中の土方も局を 脱す
ることができないのである。誓いを立てるとはそういうことだと思う。
六 〇年も 生きて くると 、自分 なりに 色んな こと を学び 教訓を 得る。その 一つに、好々爺とな
った土方さんを連れて来るというのがある。
土方さん曰く。
「色々事情があるんだろうさ。そんなに考え込まなくたっていいよ。新撰組抜けたかったら抜
けていいよ。君、よく頑張ってくれたもの。まあいいじゃあないか。そういうこともあるさ。
」
- 103 -
七三 ● 朱舜水
し(ゅしゅんすい)と私
(一〇月二四日)
吉川弘文館の人物叢書「朱舜水」 し(ゅしゅんすい)の古本を注文した。初めて明の亡命者「朱
舜水」に出会ったのは、二〇年以上も昔になる。
宇佐 美城山 には、 昔一高 第
( 一高等 学校 の
) 水泳 部の寮「詠 帰寮」があった。そ の関係で一高
の 映画の コピー をいた だいた のだが 、そこ に「 朱舜水 の碑」 という 場面がでてくる。どう して
朝鮮の水将の碑が一高にあるのだろうと不思議に思っていた。 その時は、
「朱舜水」 し(ゅしゅ
んすい)と「李舜臣」
(りしゅんしん)の区別がつかなかったのである。これが私と朱舜水のご
縁の始まりである。しかし、長らくご無沙汰している。
朱舜水 は水戸 学に影 響を与 えたと いう。 森家文 庫に は、関 係する 本もあると思うのだが 、分
- 104 -
(一〇月二七日)
類整 理が全 くでき ていな いので 朱舜 水を探 すこと は難し い。買 った方が早 い。あらためてどう
●愚老の境地
いう考え方をする人物か確認しておこうと思った。
七四
以前に 比べれ ば独り で居る ことが 多くな った 。瑣事 が瑣事 でなく なった様にも思う。落 ち着
いて 来し方 行く末 を考え る時間 もでき たよ うに思 う。五 〇を過 ぎる頃まで は、人は年をとると
そ れなり に人間 ができ ていく るもの だと思 って いた。 しかし 、次第 に年をとる己や世の中 をみ
ると、必ずしもそうではないことに気付いてくる。
閑 居して 不善を 為すは 小人だ という が、閑 居し て不善 を為す 老人も居る 。老人必ずしも君子
の素養を持つに非ず。愚老の人生があと何年あるかは知らぬが、
「我既に木鶏の境地にあり」と
- 105 -
●時空をこえた邂逅
いえるにはしばらく時間がかかるかもしれない。
七五
(一一月二日)
過日注 文して いた『 朱舜水 』の古 本が届 き、 パラパ ラとは しがき を読んだ。明の亡命儒 者で
徳川光圀の厚遇を得た『朱舜水』
(吉川弘文館)の著者は、石原道博茨城大学名誉教授(東洋史)
で五年前に九九歳で鬼籍に入っている
『朱舜水』のはしがきによれば、著者が朱舜水に初めて出会ったのは、一高(第一高等学校)
に入学した若かりし頃に、校内で「朱舜水先生終焉之地」の碑を見た時だという。
私が朱 舜水に 初めて 出会っ たのは 、その 一高の 記録 映画に あった 同じ碑を見た時だ。時 空を
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こえ て「朱 舜水先 生終焉 之地」 の碑 の前で 石原さ んと出 会った かのようで ある。そして、その
石原さんの『朱舜水』を今読もうとしている。
人は、 予定さ れてい たかの ように 、し かも、 時と場 所を違 えて、 見知らぬ人と邂逅する こと
(一一月三日)
があ る。世 の中の ことは 、必ず 因が あり果 がある とすれ ば、そ の邂逅も単 なる偶然ではないか
もしれない。
七六 ●彼の印象
元々身なりにはあまり気を使わない方だが、外に出かけて行くことが以前より少なくなると、
一 層その 傾向が 顕著に なる。 スーツ を着る 機会 が極め て少な くなっ たので、多少上等な野 良着
のよう な格好 をして る。髭 は剃ら ないし 、髪は 手櫛 で整え る。要 するに、むさくる しい格好な
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「ルートヴィヒ」(二〇一二
DVD
ドイツ 日本語字幕
のである。毎日鏡を見てはふふとおもしろがっている。
過日、
バイエルン国王の伝記)を見
た。その中で、ワーグナーに心酔するルートヴィヒが「印象は大事だ」
(日本語字幕)と語る場
面があった。
何を 理解し た訳で もない のだが 、ふむ と思 い至っ た。鏡 の中の 彼に、もう少し 身なりを整え
たら、印象は大事だよと助言してやった。
(一一月九日)
それか らとい うもの 、彼は 、毎日 カミソ リは 当てる し、ち ゃんと 櫛を使うようになった 。何
●ふにゃふにゃするなかれ
だか彼の印象が違って見えるような気がする。
七七
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政党の 主な人 たちが 政党再 編のた めに 自党を 「解党 」すべ きだと 主張したという。それ に対
して 別の主 な人た ちがと んでも ない と主張 してい るとい う。政 党内部の詳 しいことは知るよし
もないが、それぞれ色んな思惑があるのだろう。しかし、
「解党」は多数決に従うようなもので
はない。
一旦 口に出 した者 は、党 内論争 抗
(争 に
) 敗れ れば、放逐さ れる前に脱党するの を掟としなけ
れ ばなら ない。 このま まふに ゃふに ゃと 何もな かった かのよ うな顔 をして党内に止まるこ とを
しては ならな い。政 党間の 抗争も 党内の 抗争 も権力 を求め て行う ものだから、ふ にゃふにゃし
(一一月一四日)
てい たら、 彼らに よって やがて 握られ るか もしれ ない権 力もふ にゃふにゃ してしまう。それで
●郷土学と「郷土の豊かな文化環境」
は国家に害をなす。
七八
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~郷土の豊かな文化環境~」と
時
1 間の講演をした。居眠りをする人はいなかったから、多少の興味は引いたかもしれ
過日、地元団体からの依頼があって、
「宇佐美の歴史と自然
題する
ない。
「郷土 学」な どいう と大層 に聞こ える が、郷 土の中 で培わ れる学 問があってもいいと思 う。
郷土 のこと を知っ て終わ りなの ではな くて 、それ を土台 にして 新たに展開 する思索や行動が生
まれ、人生観や世のあり方にも影響を与えることになればおもしろい。
昔と 違って 、色ん な情報 や知識 は簡単 に手 に入る 。人の 移動も 自由にできる。 郷土などとい
う狭い範囲にこだわることはない。世はグローバル化だ。
「郷土学」など笑止と言われるかもし
れない。
世の 隅々ま でも照 らすこ とがで きる電 気仕掛 けの 探照灯 を持つ 人には、確かに笑 止かもしれ
な い。一 方、片 隅さえ も照ら すにお ぼつか ぬ一 本のロ ウソク の明か りしか持たない者は、 大風
に吹き消されぬように、揺れる炎を囲わなければならない。
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七九 ●老人の陽明学
(一一月一九日)
ある酒席で、中江藤樹先生のことが話題になり、
「陽明学」に話しが及んだ。その内、それで
は、一 緒に陽 明学を あらた めて学 ぼうと いう ことに なった 。酒の 勢いがあるかも しれないし、
老人 たちの 戯言か もしれ ない。 酔いが 覚め て、そ んなこ と言っ たっけ、わ っはっはということ
も ある。 こうい う時は 一呼吸 置くこ とにし てい る。一 呼吸お いて、 酒席の話を実践するこ とに
明徳
した。 と言っ ても、 今まで 何もな っかた とこ ろに新 しいこ とをし ようという訳で はない。弛緩
している精神をあらためて震えさせようといういことである。
酒席の陽明学は偶然に出た話しなのだが、本箱の前面に「公移」(王陽明著 日:本語訳
出版) が置い てある 。その 帯書き に「自 らの陽 明学 を身を もって 実践、証言した陽 明学の真骨
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頂」 とある 。たぶ ん読み かけの まま だと思 うが、 この日 の酒席 は、最後ま で読めという啓示か
もしれないと思った。
浅学非才は承知の上だが、凡夫は凡夫なりに、「致良知」と「知行合一」に心掛けてきたつも
(一一月二六日)
り だ。し かし、 論語読 みの論 語知ら ずと いうこ ともあ る。本 当にそ うだったのかという天 の問
い掛けかもしれないとも思った。
八〇 ●武士は食わねど高楊枝
今 年も残 すとこ ろあと 一ヶ月 余りと なった 。常 夏の伊 豆でも やはりその 季節になればそれな
りに寒 い。夜 には一 層寒く なる。 特段の 意味は ない のだが 、夏か らこの方、薄い夏 掛布団一枚
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でね ている 。エア コン( 暖房) はな いから 、ねる ときの 部屋は 寒い。寒い ががんばろうと思っ
てがんばってきた。
何を がんば ってい るのだ か自分 でも よくわ からな い。特 段の意 味はないのだ。 母からは、身
体に気をつけなさいよと言われ、女房からは、何を馬鹿なことをと言われる。
昨夜は 寒くて 夜中に 目が覚 めた。 これ しきの 寒さで 目が覚 めると は、きっと年をとった せい
なのだろう。
武士た る者は 、めし を食え ぬとも 、楊枝 をく わえ食 ったよ うな顔 をして我慢するという 。し
(一一月二九日)
かし、老人はこれ以上我慢すると風邪をひくかもしれない。まして、布団がないわけではなし、
●新学期祝辞
今夜は暖かくしてねようと思う。
八一
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思い出 したく もない よほど いやな 事が あった のなら 話は別 だが、 誰しも卒業した学校の 発展
を応 援した くなる のは人 情であ る。 学力で もスポ ーツで も極め て優秀な生 徒がいれば、世に出
て もらい たと思 う。大 勢はご く普通 の子 たちだ ろうが 、普通 の子こ そ一層がんばってもら い、
学校の名を上げてほしいと願う。
さ て、今 日から 伊東市 議会一 二月定 例会 が始ま る。改 選後初 めての定例 会だから、いわば新
学期で ある。 たった 二〇人 の議会 かもし れな いが、 これか ら色ん なことがあるだ ろうと思う。
議会 を学校 に例え ると叱 られる かもし れな いが、 卒業生 として は、優秀な 人も普通の人も大い
に がんば っても らい、 色んな ことの ある中 で、 切磋琢 磨しつ つ伊東 市議会の名を上げてほ しい
と願う。
学校 の名を 上げる のは、 在校生 だけで はない 。実 は卒業 生もが んばらなくてはな らない。な
ん だあい つが卒 業した 学校か と思わ れたの では 、在校 生に申 し訳な い。さすがあいつが卒 業し
た学校だけのことはあると思われなければならない。
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(一二月二日)
もし 、母校 の新学 期に呼 ばれて 祝辞 を述べ る機会 があれ ば、お じさんも皆さん に負けないよ
うになお一層がんばりますと挨拶しようと思う。
八二 ●伊豆の翁問答
伊豆の人、同郷の老人に向かいて曰く。
汝 、過日 世の乱 れを正 すのは 若者の みにあ らず と言い たり。 しかれども 、汝自身二十数年も
の間、 国策ゼ ネコン の先兵 たりし は、汝 自身 が世の 乱れの 一因に はあらざるや。 権力の中枢に
あらざりしはもとよりと言えども、汝は、世の乱れの客体にはあらざるなり。
また、この十数年、汝民衆の信を得て辺境の廟堂に立ちたれども、いまだ彼地に乱れあるを
もって 、汝自 身がそ の一因 にはあ らざる や。廟 堂に 立ちた るとい えどももとより郷 長にあらざ
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れば 権力を 掌握す るには あらざ るな り。し かれど も、汝 は廟堂 にありたり し故をもって世の乱
れの客体にはあらざるなり。
係る経歴をもつ汝は如何で世の乱れを正すことができようや。老人如何に。
老人曰く。
自覚足 らず、 力及ば ざれば 我自身 世の 乱れの 一因た るやも しれず 。如何ともし難し。我 常に
(一二月五日)
内省す。
「大學」に曰く。
「日に新たに、日々に新たに、また日にあらたなり」と。
八三 ●現代の耶律楚材
議 員でな くなる と、行 政情報 は極端 に目に も耳 にも入 りにく くなる。地 方議員は、いわゆる
一般市 民とは 違って 行政情 報を簡 単に入 手する こと ができ る。秘 密にすべき情報を 特に入手で
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きるという意味ではない。
まず、 議員は 、どう いう情 報があ るか その項 目を知 ること ができ る。市民はよほど常時 注目
して いない とその 項目さ えも知 るこ とはで きない 。項目 がわか らなければ 、関心も湧かないと
い うこと につな がる。 こんな 行政情 報が あると いうこ とがわ かれば 、詳細は情報公開請求 する
だけである。議員も同様に情報公開請求する。
次に 、議員 は、情 報を担 当して いる者 に話 を聞く ことが できる 。議員にそうい う直接的な権
限がある訳ではないが、法に定められた権限 議(決権、検閲権など)につながるプロセスと捉え
られる 。基本 的には 、市民 でも議 員でも 聞け ば教え てくれ るはず だし、議員であ っても教えら
れないものは教えてもらえない。
一昔も 前の話 だが、 議員は 公表さ れる前 に情 報を知 ること ができ るから、それを利用し て儲
けを たくら む不届 きなや つもい ると、 まこと しや かに言 われた こともある 。確かに、議員は職
務 故に行 政情報 を入手 しやす い立場 にある 。議 員だか らこそ 、一般 市民に比べて情報を入 手し
易い仕 組みに なって いる。 しかし 、情報 を提供 する ツール は昔と は比較にならない ほど発達し
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てい る。行 政情報 は、行 政側の 思惑 による 整理は 程々に して、 一層タイム リーに、しかも大量
に市民に向けて公開、提供した方がいい。
そこか ら情報 を選ぶ のが市 民なり 議員 であっ た方が いい。 そこか ら色んな有益なものが 生ま
●意中人有り
(一二月七日)
れてくる。行政が選んで必要な情報を公開、提供するのとは基本的に考え方が違う。
八四
「六中観」の一つに「意中人有り」というのがある。
然る べきポ ジショ ンにつ き、や がて何 事かを 為そ うとす る程の 人は、自分の片腕 となって働
く 人ある いは同 志たる べき人 を常に 頭の中 に思 ってお かねば 、機会 が巡ってきてもすぐに は仕
事ができないと言うほどの意味だと理解している。
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(一二月七日)
意中 に人を 思うせ よ、意 中の人 たる にせよ 、田舎 町の老 人は劉 備玄徳ほどの志 には遠く、諸
葛孔明ほどの才気には及ばない。しかも還暦を三歳も過ぎている。
君既に老人なりと言うなかれ。古来、老将の活躍したるは決して少なくない。
八五 ●故事に曰く
公の場から去って三月が過ぎようとしている。人と会う機会も以前に比べれば少なくなった。
「議員辞めたらなんだか年くっちゃったね」と見られる様では不覚と言わざるを得ない。
故事に曰く、
「男子三日会わざれば刮目せよ」と。
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昔に比べれば寿命が延びた。
故事に加えて曰く。
「老人三月会わざれば刮目せよ」と。
八六 ●乱世の奸雄
曹操の言う。
「烈士暮年 壮心已まず」と。
(一二月九日)
乱世の奸雄」というから、無能な野心家では奸雄にはなれない。詩人かつ
最近余り聞かなくなったが、
「乱世の奸雄」というのがある。政治好きは好んで使いそうな言
葉だ。「治世の能臣
政治家かつ軍人である曹操故にそう評されるのだろう。
元亀天 正の時 代でも なく、 まして 常夏の 田舎ま ちで は奸雄 の生ま れる素地はないかもし れな
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い。
自 身を振 り返り つつ、 田舎ま ちの ことを つらつ ら考え ている と、曹操の ことが気になりだし
(一二月一三日)
た。我 が「安 岡正篤 小文庫 」をあ らた めて探 ってみ ようと 思う。 彼の人の已まぬ 壮心の片鱗に
●野心と無心
触れることができるかもしれない。
八七
『大學』の三綱領の一つに「明明徳」という。
目標とするところは、私心、私欲を去るということだと理解している。
廟堂に立つ者の大事な心得の一つである。
野心を無心に転換することは難しい。
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野心を隠して無心を装うことはできるかもしれない。
野心を無心と錯覚する善人はほほえましくもある。
野心も無心もわからぬ野心家は度し難い。
凡夫は歳を経てもなお無心となる極意を会得できないでいる。
(一二月二〇日)
終わり
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発行
森
森
篤
篤
平成二七年一二月二二日
著者
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