一 般 論 文 FEATURE ARTICLES 生産シミュレーション技術の健診サービスへの適用 Application of Production Simulation Technology to Medical Examination Services 杉山 尚美 名富 知 手島 文彰 ■ SUGIYAMA Naomi ■ NATOMI Tomo ■ TESHIMA Fumiaki 東芝グループが注力事業領域の一つと位置づけているヘルスケア事業は,従来の“診断・治療”を中心に“予防” , “予後・介護” , 及び“健康増進”までを含めたトータルソリューションの提供を目指しており,診断・治療用機器などの“モノ”から,それから 生まれる“こと”を真の価値と捉えた“モノ+こと”へとシフトして,新しい付加価値を創出することに取り組んでいる。 今回,予防領域では,人間ドックや定期健診などの検査待ち時間を短縮することを目的に,これまでモノづくりの生産設計や 業務改善に活用してきた生産シミュレーション技術を適用して,次検査を決定する健診順路の適正化手法を構築した。健診施設 の健診実績データを用いてその有効性と,生産ラインにおける課題解決ノウハウのサービス分野への活用可能性を確認した。 Toshiba is making efforts to create new business value in the healthcare field by not only supplying products but also providing enhanced user experiences,with the aim of offering total solutions in a broad range of spheres including preventive medicine,prognosis/nursing care,and health promotion in addition to the various types of medical systems that it is already providing for diagnosis and treatment. In the field of preventive medicine,we have now applied a production simulation technology used for production design and work efficiency improvement to medical examination services such as comprehensive medical examinations and periodic health examinations,in order to reduce the waiting time of examinees in medical examination facilities. We have established examination route management methods to reduce the waiting time of examinees by leveling workloads in bottlenecked inspection areas,and confirmed the effectiveness of these methods through the results of simulation tests using actual data. 1 まえがき 世界の人口増加と,先進国を中心とした少子高齢化を背景 に,東芝グループの注力事業領域の一つであるヘルスケア事業 2 生産シミュレーションの概要 2.1 シミュレーションの活用 国内や海外における消費者ニーズの多様化と,製品のライ は,従来の“診断・治療”だけでなく, “予防” , “予後・介護” , フサイクルの短期化に対応するため,当社は生産技術力の強 及び“健康増進”を含むトータルソリューションの提供を目指し 化を図ってきた。 ている。また, “モノ”としての製品やサービス単体のビジネス 生産シミュレーションとは,工程と設備や作業者などの能力を から,体験的価値や満足感など新たな付加価値としての“こと” 入力し,投入されたワークの工程進 を計算するシミュレーショ を提供するビジネスへの展開を推進している。 ンソフトウェアで,高効率な生産ラインの構築に活用している。 予防領域での“こと”の提供として,医療機関における受診 例えば,海外拠点の立上げでは 3D(3 次元)CAD データを活 者へのサービス改善,特に検査待ち時間の削減がある。サー 用し,製品設計段階から工程設計,レイアウト設計,生産能力 ビス窓口での待ち時間は,待ち行列問題として経営工学分野 評価までをシミュレーションツールで一貫して行うことは,ライン で扱われている。しかし,健診施設のように連続的に複数 立上げ後のロス削減に有効である⑴。一方,半導体の前工程で サービスを受ける場合は,一般的な数理モデルで表現できな は数百工程を数千台の装置を使い,同じ装置で異なる工程を繰 いため,健診ルートや,検査時間,窓口到着の分布などを仮想 り返し処理するリエントラントな生産が特徴で,ワーク投入や工 的に設定できるシミュレーションによる評価が適している。 程着工制御の適正化にシミュレーションツールは必須である⑵。 そこで東芝は,人間ドックや定期健診などのサービス向上と このように,生産シミュレーションは仮想ラインを用いて作業 して待ち時間を削減することを目的に,従来,工場の生産設計 者や設備の配置,モノの流し方,ボトルネックの解消など,生産 やリードタイム短縮などの現場改善に活用されてきた生産シ ラインや工場に関わる様々な課題解決に役だっている。 ミュレーションを適用して,次検査を決定する健診順路の適正 2.2 シミュレーションの適用手順 化手法を構築した。この手法は,受診者の検査待ち状況を分 シミュレーションの適用手順を図1に示し,以下に述べる。 析し予測して健診順路を適正化することで,待ち時間を削減で ⑴ 現状把握と要件定義 現状と課題をヒアリングし, きる。 32 実際のデータで現状能力やボトルネックを確認する。ここ 東芝レビュー Vol.70 No.12(2015) ているが検査順は特定の検査間で制約を守れば誘導次第で 現状把握 要件定義 変更可能である。しかし,待ち行列の中では基本的に並んだ モデル 構築 ・要求ヒアリング ・データ収集 ・現状分析 ・ロジック検討 ・モデル仕様 ・入出力データ 設計 シミュレーション ロジック評価 ・評価シナリオ策定 ・現状 ・ロジック案 ・評価指標 ・シナリオ結果分析 ・シナリオ追加検討 順で検査する。 このように健診施設はルールの中身が生産ラインと異なるた め,生産シミュレーションを健診施設へ適用するにあたっては 図1.シミュレーションの適用手順 ̶ 現状把握と要件定義からモデル仕 様を設計して,モデルを構築する。構築したモデルで評価シナリオをシミュ レーションし,シナリオ結果を分析する。これらを目標達成まで繰り返す。 新たにルールを作り出す必要がある。 3 健診サービスへの生産シミュレーションの適用 Production simulation application procedure 3.1 現状把握と要件定義 では,対象モデルの要件や目標値を設定し,必要なデータ 現状の課題として,検査待ち時間の問題が挙げられる。あ る健診施設では,受診者が施設内に滞在する時間のうち48 % の収集を行う。 ⑵ モデル構築 シミュレーションの制御ロジック, 及びモ デル詳細仕様の設計を経て,モデルを構築する。 は待ち時間が占めており,特に超音波検査や内視鏡検査など 。これは,検査項 画像検査系の待ち時間が多かった(図 2) 目により検査時間に大きな隔たりがあり,特に,超音波検査や を描き,構築したモデルでシナリオのシミュレーションを 内視鏡検査など画像検査の検査時間は他の検査に比べて圧 実施する。 倒的に長く,また複数の画像検査を実施することが多いため, ⑷ ロジック評価 シミュレーション結果を分析する。 画像検査に待ち行列ができやすいのが本質的な問題構造と これらの手順を繰り返しながら,目標達成の解を得る。 なっている。 2.3 生産ラインと健診施設の違い 3.2 モデル構築 シミュレーションを適用するため,健診施設での受診者の 構築するモデルでは,以下を定義した。 流れを決定するルールが必要である。そこで,モノを対象とし ⑴ 受診者到着分布 た生産ラインと人を対象とした健診施設について,待ち行列か ⑵ 受診コース(検査項目) 。 らの選択と次の行き先を決定するルールを比較した(表1) ⑶ 標準検査時間,標準検査準備時間 生産ラインでは投入したワークを決められた工程順で処理 ⑷ 検査間移動時間 していく。健診施設を生産ライン形態に当てはめると,流れ ⑸ 検査設備台数 作業のフローラインではなく,類似機能の設備をグループ配置 ⑹ 検査禁忌 しワークが設備を行き来するジョブショップと考えることがで ⑺ 順路決定ロジック きる。生産ラインのジョブショップの場合,工程前の仕掛りか ⒜ 検査待ち時間を考慮したロジック1 次検査の候 ら着工序列を決める選択ルールと次工程設備の決定ルールが 補リストから順路制約を加味したうえで,待ち時間が最 あり,目的に応じて選択している。 小となる検査を選択する。待ち時間は,対象検査エリ 一方,健診施設の場合,対象は人であり,検査項目は決まっ アの検査時間,待ち人数,設備台数,及び検査中受診 者の残りの検査時間から算出する。このロジックは簡 表1.生産ラインと健診施設のルールの違い 単ではあるが,施設内が混雑してボトルネックとなる検 Differences in control rules of production line and medical examination facility 査(以下,ボトルネック検査と略記)にいったん待ち行 項 目 生産ライン 健診施設 対象 ワーク(モノ) 人 対象の流れ 工程順は固定 検査順は変更可能 狙い ・生産性向上 ・納期遵守 ・仕掛り削減 待ち行列の 選択ルール ワークの選択 人の選択 ・FIFO:First In First Out(先入れ先出し) ・並び順(FIFO) ・EDD:Earliest Due Date(納期が早い) ・SPT:Shortest Processing Time (処理時間が短い) など 行き先の 決定ルール 次設備の決定 ・設備のワーク待ち時間 ・設備稼働率 ・処理可能な工程数 ・健診時間短縮 ・CS 向上 ・受入れ者数増加 次検査の決定 ・固定 ・施設のスタッフのスキル *CS:顧客満足 生産シミュレーション技術の健診サービスへの適用 列ができると,その検査は順路で後回しとなり,結局 移動時間 2 % 検査時間 50 % 待ち時間 48 % 超音波検査 24 % 内視鏡検査など 14 % 消化管 X 線検査 4% 図 2.待ち時間の割合 ̶ 施設内滞在時間の約1/2 が待ち時間であり,ボ トルネックは超音波検査や内視鏡検査などの画像検査である。 Breakdown of waiting time of examinees 33 一 般 論 文 ⑶ シミュレーション 目標達成に向けた評価シナリオ はその後ボトルネック検査に受診者が集中して長時間 の待ちが発生するリスクがある。 受診の健診順路は待ち状況に影響を与える。実際に受診 者が健診順路の何番目にボトルネック検査を受診したかを分 を考慮した 。ここでは図 2に示した画像検査系の三つのボ 析した(図 5) ロジック2 ロジック1に,更に当日計画されている トルネック検査を対象にした。実績順路では,ボトルネック検 ⒝ 検査待ち時間とボトルネック検査の進 度を加味し 査の受診は順路の半ばから後半に集中しており,早い段階に て次検査を決定するロジックである。待ち時間が最小 受診させることで待ちを分散できることがわかる(図 5 ⒜) 。ロ ボトルネック検査の所要時間に対する進 でない状況であっても,ある程度の待ち行列を容認し てボトルネック検査に誘導できることで,ボトルネック 10 9 ことができる。この際,最小待ち時間ではなくボトル 8 7 滞在者数(人) 検査での長時間待ちというロジック1のリスクを減らす ネック検査をどのような状況まで優先すべきかという, 最適条件は事前シミュレーションから設定しておく。こ 6 5 4 待ち人 0 人 3 2 のロジックは混雑する前にボトルネックとなる装置を有 待ち人なしの 滞在者 5 人 (設備 5 台) 1 効活用できるが,受付時刻が集中すると,ロジック1と 8:30 9:00 同様に受診者の集中は避けられない。 9:30 時刻 ⒜ ロジック 1 3.3 シミュレーション 10 9 入れる健診施設の検査エリアと,そこでの検査項目,設備台 8 滞在者数(人) シミュレーションデータは,1日当たり100人の受診者を受け 数,及び受診実績を用いる。 健診施設の健診実績データを用いて,次のシナリオで健診 順路を評価する。最初に個々の受診者が実績の受付時刻に 7 6 5 4 待ち人 1 人 3 2 健診を開始して,実績どおりの順路で検査を受ける実績シミュ 待ち人なしの 滞在者 5 人 (設備 5 台) 1 レーションを実施する。次に順路決定ロジック案と比較してロ 8:30 9:00 9:30 時刻 ジックの効果を見積もる。ロジック案としては,前述のロジック ⒝ ロジック 2 1とロジック2 の二つとする。更に,受付時刻の平準化により, 待ち時間削減のいっそうの効果が得られることを確認する。 3.4 ロジック評価 図 4.ボトルネック検査エリアの滞在者数 ̶ ロジック2 では,ボトルネッ ク検査の稼働率の立ち上がりが早い。 Numbers of examinees waiting in bottlenecked inspection area 3.4.1 実績順路と順路決定ロジックのシミュレーション結果 順路決定ロジックは,実績順路と比べて待ち時間をロジック1 で35 %,ロジック2 で40 % 削減できる結果となり,検査待ち時 受診番号 間を考慮したこれらのロジックは待ち時間削減に有効である 。 ことを確認した(図 3) ●, , ×:超音波や,消化管 X 線, 内視鏡などの ボトルネック検査 ロジック2 では,余裕のある時間帯に積極的にボトルネック の画像検査に受診者を誘導することで,検査が空くことなく稼 1 3 5 。 働できたため待ち時間の削減につながった(図 4) 7 9 11 13 15 受診順 ⒜ 実績順路 健診時間 待ち時間 検査時間 実績順路 受診番号 40 %減 受診番号 待ち時間 待ち時間 35 %減 1 ロジック 1 ロジック 2 3 5 7 9 11 13 15 1 3 5 7 9 11 13 15 受診順 受診順 ⒝ ロジック 1 ⒞ ロジック 2 図 3.待ち時間の削減効果 ̶ 順路決定ロジックでは,実績順路と比べ て待ち時間がそれぞれ 35 %,40 % 短縮している。 図 5.ボトルネック検査の受診タイミング ̶ 順路決定ロジックでは,ボ トルネック検査の受診者が分散化された。特にロジック2 で顕著である。 Reduction of waiting time Leveling of workloads in bottlenecked inspection areas 34 東芝レビュー Vol.70 No.12(2015) 健診時間 サービスをモデル化して生産シミュレーションを適用した結 待ち時間 82 %減 待ち時間 果,健診順路の適正化や受付時刻の平準化により,待ち時間 を大幅に削減できるめどが得られた。これは受診者をボトル ネック検査にバランスよく誘導する,つまり負荷を平準化する 検査時間 ことによって得られる効果であることが確かめられた。生産ラ 実績順路 ロジック 2+受付時刻平準化 図 6.受付時刻平準化の効果 ̶ 受付時刻の平準化は,待ち時間の削減 効果が高い。 Reduction of waiting time by examinee guidance インでの工程設計やリードタイム削減のための施策が,サービ ス分野でも有効であることを示す結果である。また,健診順 路の適正化は CS(顧客満足)向上の他,施設の業務効率の 向上にもつながり,生産シミュレーションを用いることで施設 の評価から運用の改善提案までできるようになる。 ジック1では健診順路に変化が生じてボトルネック検査は前半 通常,健診時の順路はあらかじめ決まっており,施設のス と後半に受診するケースが増え,負荷が分散されているがまだ タッフが混雑状況を見ながら受診者を誘導しているが,スタッ 後半には偏る傾向がある(図 5 ⒝) 。ロジック2 では狙いどおり フによる誘導は,経験に基づくノウハウに依存しており,必ず ボトルネック検査を前半に受診するケースが増え,ロジック1よ しも最適な誘導ができるとは限らない。施設側から見れば混 りも負荷が分散され,トータルの待ち時間が減った(図 5 ⒞) 。 雑している検査はわかっていても,受診者をどう誘導すれば 待ちを解消できるのかがわからないという悩みを抱えている。 そこで,検査が完了した受診者に対して,健診システムが次検 ライン内の仕掛りを削減する方法がある。一方で,ラインの最 査を指示することで,新人や経験の少ないスタッフでも常に適 大能力を保持するためにボトルネックとなる装置を空き状態に 切な誘導を行うことができるようになる。ここで,この生産シ しないだけの仕掛りを工程前に持たせることも必要であり,二 ミュレーションを活用して定期的に順路決定ロジックの効果を 律背反の関係にある。前述の結果は実績の受付時刻を厳守 検証することが可能である。 したものであるため,施設内に入る受診者の波を制御するこ 健診サービスの向上には,スタッフの教育や,検査エリアの とはできていない。これを制御するには,受診開始時刻の平 混雑状況の可視化,受付時刻の細分化など,他にもいろいろな 準化が必要となる。 施策がある。生産シミュレーションを用いた健診順路の適正化 ロジック2 に受付時刻平準化を組み合わせた場合のシミュ は,ICT(情報通信技術)を活用した“こと”の提供における差 レーション結果を図 6 に示す。この結果は,待ち時間を82 % 別化技術として,今後健診システムへの組込みを検討していく。 削減できており,健診時間の 48 %を占めていた待ち時間は 15 %まで低減している。順路適正化と受付時刻平準化を組 み合わせると,待ち時間の大半を解消できる効果がある。 3.4.3 ロバスト性検証 実際の健診施設では,交通 機関や受診者などによる外乱の影響や設備などの環境の変化 文 献 ⑴ 高田 淳 他.生産エンジニアリングツールを活用したライン設計.東芝レ ビュー.67,2,2012,p.23 − 26. ⑵ 小竹正弘 他.生産シミュレーション技術の製造ライン設計への適用と生産 予測への応用.東芝レビュー.69,9,2014,p.8 −11. で,受付時刻,検査間の移動時間,及び検査時間にばらつき が存在する。これらの不確定な変動に対する順路決定ロジッ クのロバスト性を,モンテカルロシミュレーションで評価した。 前述の三つ全てにばらつきを与えて繰り返し実行したシミュ レーションでは,平均すると健診時間は1 %,待ち時間は 3.7 % 増加する結果となり,ばらつきによる大きな影響は見られない。 しかし個別の結果では,ばらつきを与える前と比較して待ち時 間は 60 ∼ 175 % の範囲で分布した。個々の受診者の健診時 間はばらつきによる影響は受けるが,実績順路のシミュレー ション結果よりは待ち時間は短くなっており,ばらつきを考慮し ても健診順路決定ロジックは有効であると考えられる。 杉山 尚美 SUGIYAMA Naomi 生産技術統括部 生産技術センター 設計生産システム変革 推進部主任研究員。モノづくりの仕組み構築及び生産シミュ レーションの研究・開発に従事。技術士(経営工学部門) 。 Design & Manufacturing Innovation Dept. 名富 知 NATOMI Tomo 生産技術統括部 生産技術センター 設計生産システム変革推 進部。モノづくりの仕組み構築及び生産シミュレーションの 研究・開発に従事。 Design & Manufacturing Innovation Dept. 手島 文彰 TESHIMA Fumiaki 4 あとがき ヘルスケア社 ヘルスケアIT 推進部主幹。 健診システムの設計・開発に従事。 Healthcare IT Business Promotion Div. 健診施設における受診者の待ち時間削減を目的に,健診 生産シミュレーション技術の健診サービスへの適用 35 一 般 論 文 3.4.2 順路適正化と受付時刻平準化の効果 生産ラ インでは投入から完成までのリードタイムを短縮する施策に,
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