50周年記念寄稿 市橋良浩さん - ヤンゴン日本人学校

ヤンゴン日本人学校創立50周年に寄せて
在ミャンマー日本国大使館附属
ヤンゴン日本人学校 教諭 市橋 良浩
【金色に光るパゴタとともに】
【戦後 69 年、日緬友好 60 年、開校 50 年】
🎶パゴタが光る 緑が映える 豊かな流れ ヤンゴン川
先日ある方から、パプアニューギニアで駐在していた時
ここに 学ぶ わたしたち 大事にしよう 小さな出会い
のお話を伺いました。現地の方々は「第二次大戦後、オ
ああ われらの ヤンゴン校🎶
ーストラリアの統治下に置かれたパプアニューギニアだけ
これは本校校歌の1番の歌詞になります。
ど、もし、日本が継続して統治してくれていたら今はもっと違
雨季も終わり、朝晩の涼しさが妙に清々しく感じる季節にな
りました。
う状況だったのに…。」
ミャンマーでもビルマ独立のための戦いや連合国軍との
去る11月2日、ナショナルシアター及び本校体育館にお
いてヤンゴン日本人学校50周年記念祭が多くの方々のご
協力のもと挙行することができました。
戦い、泰緬鉄道の建設、北ビルマ印緬国境を舞台に行
われたインパール作戦多くの悲惨な状況が見られました。
ただ戦争という状況で失ったもの、または得たものがありま
幼稚部はきらきら星の器楽演奏、小学部1,2年生はリズ
した。過去の惨禍を肯定や否定することはできませんが、
ム縄跳び、3,4年生は忍者に扮しての器械体操、5,6年生
その後もミャンマーの方
は力強いよさこいソーラン、中学部は日本の心「書道」のパ
々と日本との間で着実
フォーマンスを行いました。
に人と人とのつながりが
築かれてきたことは間
全校園児・児童‣
生徒
137 名で本校グラウ
ンドにて記念撮影
違いありません。
日本人学校がミャン
マーに根付いて 50 年。
小学部 3 年生‣ミャンマー教育省公開授業
ミャンマーへの恩返しの 1 児童‣生徒
つとして、ミャンマー教育省と連
137 名で
携しながら、初等教育のカリキュラム作成のお手伝いをさ
グラウンドにて記念撮影
せていただいております。日本の教育もかつては知識詰め
9月から本格的に練習が始まりましたが、1学期終了時に
込み一辺倒の教育から現在では「言語活動の充実を意
比べると学校全体で約20名の園児、児童、生徒が加わりま
識した授業」の展開と「思考力、判断力、表現力の育成」
した。日本の学校のように「いつもどおり」「去年と同じように」
を求められるカリキュラムに変わってきています。また道徳
が通用せず、常に新しい環境での練習にはかなりの根気強
教育の充実も求められる課題の一つになっています。
さが必要でしたが、こどもたち一人ひとりが、きらきらと光り輝け
るよう一生懸命練習を重ねてきました。
1000 人規模の会場で練習の成果を発揮する舞台を与え
ていただいた、ミャンマーの多くの方々、また本校の教育活動
民族や宗教等が違えども、自国が世界の中で継続的
に発展していくためには、教育制度の充実は欠かせない
課題の一つです。こどもたちの健やかな成長は国家の成
長につながることは間違いありません。
をご支援いただいている、日本人会及び JCCY そして本校
社会科の授業では地域教材を生かした授業展開、音
OB,OG、教職員の皆様、また日頃よりご理解、ご協力いただい
楽科では伝統楽器から学ぶミャンマーの音楽文化、また
ている保護者の皆様に感謝申し上げます。
保健体育科の創設など、我々教員も現地教員とのディス
海外で生活するこどもたちは常に新たな出会いへの期待
と不安の中で毎日を送っています。しかしながらこの50周年
カッションから、様々な気づきが見られ、今後の教育活動
の参考にしたいことがたくさんありました。
記念祭が仲間との出会いの場となり、ここで得たかけがえの
これからもよりよい本校の教育活動すすめるためにも、ミ
ない経験を活かし、今後日本や世界で活躍する人材に成
ャンマーへの協力を惜しまず、さらに深い絆で結ばれるよ
長してくれることを期待しております。
う、職員一丸となって頑張っていきたいと思います。