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第 64 回模擬裁判『MIST ~真相心裏~』
主
文
被告人を懲役4年に処する。
未決勾留日数中30日をその刑に算入する。
押収してある包丁1本(平成24年押第123号の1)を没収する。
理
由
(罪となるべき事実)
被告人早川由梨恵は,交通事故によって下半身及び右上肢不随となっていた兄である被
害者早川健介(当時29歳)の介護を行ってきたが,平成24年2月19日,介護のため
休職中であった小川信用金庫より復職が難しいならば解雇するとほのめかされたうえ,交
際中であった元村孝平から介護の負担を理由に関係の解消を告げられたことで前途を悲観
し,自らの不幸の原因はすべて被害者にあると考え,同人の殺害を決意した。そして午後
4時ごろから4時27分にかけて,東京都足立区竹の塚8丁目11番3号都営竹の塚パー
クマンション301号室被告人方居宅寝室において,被害者にこれら一連の事情を話し,
殺害に対する同意を求めたものの,同意を得られないまま包丁(平成24年押第123号
の1)で殺意をもって被害者の左胸部を2回にわたって刺し,もって加療約1か月間の胸
部刺傷を負わせ,殺害するには至らなかった。
(証拠の標目)
被告人の当公判廷における供述
山本の当公判廷における供述
早川健介の当公判廷における供述
早川健介の司法警察員に対する供述調書
犯行現場の実況見分調書(抄本)
医師大石成夫作成の被害者の受傷状況に関する写真撮影報告書1通(抄本)
医師星野正子作成の被害者の受傷診断書1通(抄本)
押収してある包丁1本
押収してある被害者の日記1冊
(事実認定の補足説明)
第1 争点
本件の争点は,犯行当時,被害者が被告人によって殺害されることに対する同意をして
いたと認められるかどうかである。
第2 当裁判所の判断
1 関係各証拠により認定される事実
⑴ 被害者は,自動二輪車運転中の交通事故で重傷を負い,下半身及び
右上肢不随となったため,母である早川淳子及びホームヘルパーである山本牧子
(以下,「山本」とする)の介護を受けていた。しかし,平成23年7月3日に早
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川淳子が死亡したため,これ以降被告人が休職して山本と共に被害者の介護に当た
ることとなった。
⑵ 被害者は,日頃から山本に「人間死んだら終わりだから少しでも長く生きていた
い」と話していたほか,日記にも「この体で,精一杯生きていきたい」など前向き
な記述をしており,また入手困難なライブチケットを手配し,平成24年3月20
日の公演に行くことを心待ちにしていた。
⑶ 被害者は交通事故以前にギャンブルで多額の借金をつくり,依然として返済しき
れずにいた。
⑷ 平成24年2月19日,被告人は休職中の小川信用金庫より「今後の復職が難し
いと聞いたが,そうであれば解雇する可能性が高い」との内容の電話を受けた。被
告人は,同庫に自分の復職が難しいという情報を伝えたのは交際相手であった元村
孝平に違いないと考え,同人に会って事情を問い質したものの,明確な回答を得ら
れなかったばかりか,被害者の面倒を見きれないので結婚はできず交際も解消する
と一方的に伝えられた。そして午後4時ごろ帰宅した被告人は,介護を終えて帰途
につく山本と挨拶を交わした後,台所から包丁を持ち出して被害者のいる寝室に入
った。
⑸ 午後4時15分ごろ,山本が忘れた財布を取りに戻って来た時,被告人と被害者
は会話をしていた。その後被害者の「ちょっと待てよ」という大声とそれに続く両
者の言い争う声があり,その大声から約3,4分後,被害者のうめき声と台の上に
あったコップや電話の子機(以下,「子機」とする)が落ちる音が聞こえたため山
本が入室すると,既に左胸部を2回刺されていた被害者は山本の方に顔を向けて何
かを呟き,一方被告人は呆然と座り込んでいた。その直後,午後4時27分に山本
は119番通報をした。
2
上記事実からの判断
上記事実から,犯行当時,被害者の殺害に対する同意の不存在が推認できるかどうか
について検討する。
⑴ 被害者の「ちょっと待てよ」という発言が,言葉の意味内容及び声の大きさから
して,会話の相手である被告人の直前の発言に対する反対もしくは抵抗の意図でな
されたものであることに疑いの余地はない。よってこの発言が被告人による心中の
申し出に対するものであれば,この時点までに被害者が殺害されることに同意して
いたということは当然認められない。また,後述する被告人及び被害者の供述内容
を信用するとしても,被害者の「ちょっと待てよ」という発言は自殺しようとする
被告人を制止するためのものであるとしか考えられず,被害者のこの発言がなされ
た時点ではまだ殺害に対する同意はなかったものと推認できる。したがって,仮に
同意があったとするならば,被害者のこの発言からうめき声までの約3,4分間に
なされたのであり,以下その可能性を検討する。
被害者は,介護を必要とする程の障害や自らつくった借金といった事情を抱えて
はいたが,日記に「この体で,精一杯生きて行きたい」と記していたこと,ライブ
を楽しみにしていたこと及び山本に対して前向きな発言をしていたことに鑑みると,
普段から特に死を望んでいたとはいえない。そうした被害者が自らの死について同
意に至るには相当の時間を要するのが当然であり,加えて包丁を目の前に死を意識
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していた当時の状況下では,約3,4分という短時間で自らの死について同意に至
るとは到底考えられない。
⑵ また,普段から子機は被害者が意識的に手を伸ばさなければ届かない位置に置か
れており,子機の充電器が台の上に残っていたこととその形状を併せて考えると,
犯行当時子機は意識的に掴まれ,充電器から持ち上げられたことが推認される。し
たがって,子機のみが落下したのは被害者が苦しみのあまりもがいたためではなく,
包丁で刺された際に助けを求めて子機に手を伸ばしたためであると認められる。加
えて,山本は被害者が意識的に自分の方に顔を向け何かを呟いた旨供述しており,
その直前に被害者が助けを求めて子機に手を伸ばしたことも考慮すると,呟いた内
容は助けを求めるものであると解するのが妥当である。
⑶ さらに,相手の同意を得てから殺害する場合,相手のことを慮り,なるべく苦し
まないような手段を採るのが自然である。しかし,本件では包丁で左胸部を2回刺
すという残酷な手段が採られており,被告人が同意を得て被害者を刺したとは考え
にくい。
⑷ 以上のことから,犯行当時,被害者の殺害に対する同意の不存在が推認できる。
3
被告人及び被害者の供述について
⑴ 供述概要
犯行当時,被告人は被害者と話してから自殺するために寝室に入り,しばらく被害
者と話した後,自らの手首に包丁を当て「もう限界だから死にたい」と自殺の意思を
示したのに対し,被害者は被告人の自殺を思いとどまらせようと必死に説得したもの
の,被告人に「そんな簡単なことじゃないし,そもそもこうなったのは兄さんのせい
じゃない」などと非難されたことで被告人が強く思い詰めていることを認識し,自分
が死ぬ以外に妹が楽になる方法はないと考え「お前が死ぬくらいなら俺が死んだ方が
いい」と述べたところ,「兄さんだけを殺すことはできないから,二人で一緒に死に
ましょう」と被告人から心中をもちかけられたため「ああ」と応え,自らの死に同意
したうえで刺された旨被害者及び被告人は供述している。
⑵ 供述に対する当裁判所の評価
被告人及び被害者の供述の信憑性について検討する。
ア 上記2で示したように,被告人の心中の申し出に対する被害者の同意が約3,
4分という短時間でなされたとは考えられない。それどころか,上記供述を信用す
るならば,上記やりとりに加え,被告人が想定もしていなかった被害者自身による
自ら死ぬという内容の提案があり,さらにはこれに対する被告人の受諾及びこれに
基づく心中という新たな提案があったとされるのであるが,被害者だけでなく被告
人までもがその意思を大きく変えることが時間的に不可能であったことは明白であ
る。
イ また,寝室に入る際,単に被害者と話した後自殺するつもりであったという被
告人の供述についてだが,仮に被告人から自殺の意思を伝えられれば,妹想いの被
害者が自殺を制止するであろうことを被告人が予期できなかったはずはない。しか
しながら,被告人及び被害者の供述を信用するならば,被告人はあえて包丁を持っ
て被害者のいる寝室に行き,自らの手首に包丁を当て,自殺の意思を示したことに
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なる。これは被告人の供述するような意図のもとでの行動としては明らかに不自然
である。
ウ さらに,被害者が被告人の実兄でありそれまでの兄妹関係も良好であったこと
及び被告人の献身的な介護に感謝していたことに鑑みると,被害者が被告人をかば
う供述をする可能性も排除できない。この可能性は,当初山本の介護を受けて以降
のことは思い出せないと明言していた被害者が,公判では一転して同意があった旨
の被告人に有利な供述に徹していることからも示唆される。
エ 以上のことから,被告人及び被害者の供述は信憑性に欠ける。
第3
結論
以上より,関係各証拠により同意の不存在が推認され,それを否定する被告人及び被害
者の供述も信憑性に欠ける。よって,同意の不存在が推認されることに対して,合理的な
疑いが差し挟まれているとはいえない。
したがって,犯行当時,被害者が被告人によって殺害されることに対する同意をしてい
なかったと認められる。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法203条,199条に該当するところ,所定刑中有期懲役刑を
選択し,判示の罪は未遂であるから同法43条本文,68条3号を適用して法律上の減軽
をし,減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役4年の刑に処し,同法21条を適用して未
決勾留日数中30日をその刑に算入する。押収してある包丁1丁(平成24年押第123
号の1)は判示所為の用に供した物で被告人以外の者に属しないから,同法19条1項2
号,2項本文を適用してこれを没収する。訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書
を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件犯行の契機となった被告人の解雇をほのめかされたことや交際関係が破綻したこと
が被害者の介護に起因しているとはいえ,他の方法に思い至ることもなく殺害を決意した
ことは極めて短絡的であり,かつ,被害者を殺すことで楽になれると考えた被告人の動機
は身勝手と言わざるを得ない。
しかしながら,計画性を欠く犯行だったこと,被害者は被告人の犯行を宥恕しているこ
と,被害者が死亡には至らなかったことなど,被告人のために斟酌するべき有利な諸事情
も認められる。
そこで,以上のような情状に鑑み,主文の刑が相当である。
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