実験 3 連続変化法による金属錯体の組成と安定度定数の決定

実験 3
連続変化法による金属錯体の組成と安定度定数の決定
1. 原 理
ここでは,希薄溶液中での化学平衡を解析する場合に有効な手段のひとつである分光学的方
法のなかから,とくに広く用いられている吸収スペクトルを利用する方法について解説する。
1-1
Lambert-Beer の法則
稀薄溶液の光吸収を定量的に取り扱う基礎となるのが Lambert-Beer の法則である。Lam-
bert の法則は,光の吸収と光路長に関する法則で,次のように表される。
D ≡ log10
I0
= kl
I
(3.1)
ここで,D は吸収強度 (absorbance),I0 は入射光の強度,I は透過光の強度,l は光路長 (普
通単位は cm) で,k は実験的に決まる定数である。
Beer の法則は k と光を吸収する化学種の濃度との関係を表す法則で,Lambert の法則と組
み合わせると次のようになる。
D = εcl
(3.2)
濃度 c は普通 mol dm−3 の単位で表され,このときの比例定数 ε をモル吸光係数と呼ぶ。ε
はそれぞれの化学種に固有の量で,波長に依存する。
1-2
吸収スペクトルと平衡定数
溶液中で次のような平衡があるとする。K は平衡定数である。
mA + nB
K=
Am Bn (C)
[C]
[C]
=
m
n
[A] [B]
(a − m[C])m (b − n[C])n
(3.3)
(3.4)
a, b はそれぞれ A, B の初期濃度である。
化学種に関して Beer の法則の加成性を仮定すると,単位光路長 (1 cm) あたりの吸収強度
d は次のように書くことが出来る。
d=
D
= εA (a − m[C]) + εB (b − n[C]) + εC [C]
l
(3.5)
m, n が既知で,モル吸光係数のうちの γ 個がわかっているとすれば,4 − γ 個 (4 個とは εA ,
εB , εC , [C]) の異なる a, b の組み合わせにおける d の測定から,原理的には平衡定数を求めら
れる。
連続変化法
1-3
1-3.1
m, n の決定
酸塩基平衡などでは m = n = 1 の場合が多いが,錯体生成平衡などの場合には,実験的に
m, n を決定したいことが多い。そのようなときによく用いられる方法に連続変化法がある。
この方法では,A, B の初期濃度の和 c0 (= a + b) を一定にしながら a, b を変化させる。
まず,da + db = 0 と平衡定数が初期濃度に依存しないことに気をつけながら,平衡定数の
定義式である式 (3.4) を a について微分する。
[
]
d[C]
d[C]
m−1
n−1
2
2
= K(a − m[C])
(b − n[C])
(mb − na) − {m (b − n[C]) + n (a − m[C])}
da
da
(3.6)
よって,d[C]/da = 0 のとき,右辺の [· · · ] 内がゼロでなければならないので mb − na = 0 つ
まり a/b = m/n である。
次に式 (3.5) を変形すると,α を定数として次の式が導かれる。
d′ = d − εA a − εB b = (εC − mεA − nεB )[C] ≡ α[C]
d=
(3.7)
D
l
(3.8)
ここで文字の意味を再確認しておく。D は吸光度(本実験で測定する)
,l は光路長(試料中を
光が通距離。本実験では l = 1.0 cm のセルを用いる),a は A(本実験では硝酸銅)の初期濃
度,b は B(本実験ではイミノ二酢酸)の初期濃度,εA は A のモル吸光係数,εB は B のモ
ル吸光係数である。εA は a = c0 , b = 0 のときの d の値から εA = d/c0 として,同様に εB
は a = 0, b = c0 のときの d の値から εB = d/c0 として求めることが出来る。
d′ を求めるために必要なデータはすべて実験から得られるので,これを x = a/c0 に対して
プロットし,極大を求める。
d(d′ )
d(d′ )
d(d′ )
d[C]
=
= c0
= c0 α
dx
d(a/c0 )
da
da
この式からわかるように,d′ が極大になる
(3.9)
d'C
とき d[C]/da = 0 となるので a/b = m/n で
i
ある。εA = εB あるいは εC ≫ εA , εB の条
件が成り立つときには,d′ の代わりに d を
ii
d'max
用いても差し支えない(本実験にはあてはま
らない)。このようにして m : n を求めるこ
とができる。ただし,この方法では m/n が
0
ない。
n
m
あまり大きな場合は正確に求めることは出来
a
b
x ( = a / c0 )
図 1. d′ vs. x のプロット
1
1-3.2
定数 α 及び平衡定数 K の決定
次に,定数 α 及び平衡定数の決定法についてのべる。a ≪ b の条件が成り立つとき,溶液中
に単独の A はほとんど存在せず,[C] = a/m である。反対に a ≫ b の場合には B が存在せ
ず [C] = b/n が成り立つ。これを利用すれば,α を見積もることができる。まず d′ vs. x 図
のプロットの両端から線にそって直線をひく。i の直線は溶液中に A が存在せず B と C のみ
である仮想的な状態の d′ の組成変化を表す。
d′ (i) = α[C] = α
c0 a
c0
a
=α ·
=α x
m
m c0
m
(3.10)
ii の直線は溶液中に B が存在せず A と C のみである仮想的状態の d′ の組成変化を表す。
d′ (ii) = α[C] = α
b
c0 c0 − a
c0
=α ·
= α (1 − x)
n
n
c0
n
(3.11)
i と ii との交点は,溶液中に A も B も存在せず C だけが存在するような仮想的状態であると
考えられる。このとき方程式 (3.10), (3.11) を解けば, 交点は x = a/c0 = m/(m + n), ゆえに
a = c0 m/(m + n), a/b = m/n であり,
[C] =
c0
a
=
m
m+n
(3.12)
交点の縦軸の読みを d′C とすれば,式 (3.7), (3.12) から α を求める式が得られる。
α=
d′C
(m + n)d′C
=
[C]
c0
(3.13)
α が求められれば,d′ の実測値を内挿して求めた縦軸の極大値 d′max から,a/b = m/n に
おける実際の [C] が計算できる。すなわち
[C] =
d′max
,
α
a=
m
c0 ,
m+n
b=
n
c0
m+n
(3.14)
これらを定義式である式 (3.4) に代入して平衡定数 K を求める。
2. 実 験
本実験では,銅イオンとイミノ二酢酸イオン [NH(CH2 CO2 )2−
2 ] との錯形成反応について,
錯体の組成と平衡定数(安定度定数)とを求める。
2-1
試薬等
硝酸銅 (II)・イミノ二酢酸・蒸留水・pH 標準溶液 (4, 7)・濃硝酸
2-2
実験装置
紫外-可視分光光度計・pH メーター・直示天秤
2-3
器
具
<溶液調製関係>
メスフラスコ (250 ml × 2, 100 ml × 1, 25 ml × 11)・ビーカー (200 ml × 2, 100 ml
× 2, 50 ml × 2, 20 ml × 13)・メスピペット (10 ml × 2, 5 ml × 2, 2 ml × 2)・ピ
ペッター (3)・スポイド (3)・ガラス棒 (1)・温度計 (1)・薬匙 (1)・洗瓶 (蒸留水用) (1)・
洗瓶 (アセトン用) (1)・ピペットスタンド (1)
<吸収測定関係>
廃液用ビーカー・スポイド・光学セル (2)
2-4
実験手順
<分光器>
(1) 別項の記載に従って UV-365 型分光器の状態をチェックし電源を入れる。分光器が安定
するまでには時間がかかるので,試料調製に取りかかる前に分光器の電源を投入する。
<試料の調製>
(2) 硝酸銅 (II) およびイミノ二酢酸 [IDA, NH3 (CH2 CO2 )2 ] の 0.25 M (M = mol dm−3 )
水溶液(一次原液)を 100 ml ずつ調製するために,それぞれ必要量の結晶を秤取する。
実験精度から考えて 100 ml ビーカーにはかりとればよい。それぞれ試薬ビンのラベル
に分子量と純度が記載されているので,濃度が正確に 0.25 M になるようにする。一次
原液は必要量が少量なので 2 班にひとつ調製すればよい。第 1 班が硝酸銅 (II) 水溶液,
第 2 班が IDA 水溶液を調製する。
(3) 100 ml のメスフラスコを用いて,一次原液を調製する。蒸留水は SC-210 号室の蒸留
水製造装置から補充すること。IDA は溶けにくいので湯せんで温める。湯は SC-210 号
室の電気ポットで沸かしている。なお,実験をやり直さなければならない場合があるの
で,一次原液は実験がすべて終了するまで捨てないこと。
(4) 硝酸銅 (II) および IDA の一次原液を希釈して,それぞれ 0.04 M の水溶液(二次原液)
を 250 ml ずつ調製する。ここからは各班ごとに硝酸銅 (II) と IDA の両方の溶液を調
製する。希釈時には攪拌が不十分になりがちである。溶液をよく攪拌する。
(5) 次に示す割合で硝酸銅 (II) および IDA の二次原液を混合して 12 種類の試料を 25 ml
ずつ調製する。なお,メスフラスコの目盛りとメスピペットの目盛りを併用すると誤差
が生じることがあるので,調製はすべてメスピペットの目盛りによって行う。メスピ
ペットの使用法に注意すること。目的とする目盛りまで液を出す。液を最後まで出して
はいけない。
No.
硝酸銅 (II)
IDA
No.
硝酸銅 (II)
IDA
1
25
0
7
12
13
2
23
2
8
10
15
3
20
5
9
8
17
4
17
8
10
5
20
5
15
10
11
2
23
6
13
12
12
0
25
(6) 各試料の pH を微量の濃硝酸を用いて 1.50 ± 0.01 に調整する。アルカリ溶液は用いな
いので,pH が小さくなりすぎないよう細心の注意をはらう。また,pH がすべての溶液
でそろっていないと正しい結果が得られないので,1.50 からのバラツキはできる限り小
さくすること。pH の測定には堀場製の pH メーターを用いる。pH メーターの操作法
は基礎化学実験 I のときと同様である。pH = 7 の標準液で STD を校正し,pH = 4
の標準液で SLOPE を校正する。電極のキャップを取り外してから使用すること。濃硝
酸を加えるごとに電極を一旦溶液からはずし,溶液を硝子棒でよく攪拌してから,再度
pH 測定を行うこと。濃硝酸は一旦 20 ml ビーカーに少量を分けとり,そこからスポイ
トを用いて試料に加えること。
<吸収測定>
(7) 波長を 700 nm に固定し,蒸留水をリファレンスに用いて,最初に No. 1 と No. 12 の
試料の absorbance を測定する。
(8) 引き続き No. 2 ∼ No. 11 の試料の absorbance を測定する。
2-5
データ解析
さきに述べた方法に従って解析を行い,錯体の組成と平衡定数(安定度定数)を求める。こ
こで,No. n の試料の硝酸銅 (II) 二次原液量が xn ml,IDA 二次原液量が yn ml,absorbance
が dn (= Dn /l) であるとする。すると,式 (3.7) で定義された d′ は次のように書くことがで
きる。
d′n = dn −
xn
yn
d1 −
d12
xn + yn
xn + yn
(3.15)
この式を見れば,まず No. 1 と No. 12 の試料の absorbance を測定した理由は明らかである。
さらに,先の考察では IDA の解離平衡を考慮していないので,真の安定度定数を得るため
には以下の取り扱いが必要である。
IDA を H2 X と書くと解離平衡は次のようになる。
H2 X
HX−
H+ + HX−
H+ + X2−
: K1
: K2
(3.16)
錯体の形成に関与するのは H2 X ではなく X2− である。例えば金属イオン M2+ が X2− と
1 : 1 の錯体をつくるとしたとき,実験で得た安定度定数 Kapp と真の安定度定数 Ktrue とは
次の式で与えられる。
Kapp =
[M2+ X]
,
[M2+ ][X]
Ktrue =
[M2+ X2− ]
[M2+ ][X2− ]
(3.17)
ただし [X] は次のような量である。
[X] = [H2 X] + [HX− ] + [X2− ]
(3.18)
H2 X の解離定数を用いて整理すると
[X2− ]
K1 K2
= +2
[X]
[H ] + [H+ ]K1 + K1 K2
(3.19)
となるが,水素イオン濃度が十分大きいときには以下の近似が使える。
[X2− ]
K1 K2
≃
[X]
[H+ ]2
(3.20)
これらの関係を用いて Ktrue を表すと次のようになる。
Ktrue = Kapp ·
[H+ ]2
K1 K2
(3.21)
以上の議論を参考にして,真の安定度定数を求める。ただし IDA の解離平衡について,
pK1 + pK2 = 11.68
(3.22)
を用いる。
3. 分光器
本実験では,島津製作所製 UV-365 型分光器を使用する。これは,ダブルビーム,自動記録
型の分光計で,常にリファレンスとサンプルの両方について透過光強度を測定する。波長が自
動的に走引され,チャート紙にスペクトルが記録される。現在最も一般的に使用されているタ
イプの分光器である。
<測定前の準備>
(1) 電源部および本体のシートをはずし,図に示されたチェックポイントが括弧内のよう
になっていることを確認してからコンセントをプラグにさし込み,POWER を ON に
する。
(2) POWER を ON にしてから 1 時間以上たったところで蒸留水の入った 2 つのセルをサ
ンプル室にセットする。スリになっていない面を光が透過するようにする。サンプル室
のふたをあけるときには SHUTTER が SHUT であることをいつも確認すること。
(3) 測定開始波長 λS を 700.0 nm に,測定終了波長 λE を 690.0 nm にセットし,Baseline
Memory のレバーを λS − λE 側に倒す。
(4) SHUTTER を OPEN にしてから RESET をおす。自動的にベースライン補正が始
まる。
(5) 補正が終了したら準備終了。
PEN HOLDER
PEN LIFT
(AUTO)
SAMPLE
(ࡈ࠲ࠍߔࠆ)
஥㕙ࡄࡀ࡞
(࿑ 4 ෳᾖ)
⸥㍳⚕ㅍࠅ
POWER
(࠴ࠚ࠶ࠢᓟON)
ๆశᐲ⴫␜⓹
SHUTTER MASK(ਅ஥)
ᠲ૞ࡄࡀ࡞ ᵄ㐳⴫␜⓹
START (OPEN)
(࿑ 3 ෳᾖ)
(OUT)
図 2. UV-365 全体図
LEVEL SHIFT
(0)
RESPONSE
(AUTO)
RESET
HV ADJ
(2.5)
SMOOTH
(OFF)
ZERO ADJ
CONTROL
(SLIT)
REC DUMP
(˜1)
CHECK
(MEASURE)
SOURCE
(AUTO)
BASELINE MEMORY
(UV-VIS)
SCAN MODE
(SINGLE)
PbS GAIN (ធ⛯⏕⹺)
(˜1)
N2 GAS
(CLOSE)
RANGE MODE
(ABS)
FUNCTION KEY
TEN KEY
図 3. UV-365 操作パネル
図 4. UV-365 側面パネル
<測 定>
(6) SHUTTER を SHUT にしてからサンプル室のふたを開き,サンプル側(手前)のセル
を取り出す。セルの中身を測定すべき試料に置き換えて,サンプル室にセットする。
(7) サンプル室のふたを閉じ,SHUTTER を OPEN にすると absorbance が表示されるの
でノートに記録する。小数第 3 位の表示が安定しないことがあるが,これは装置の性能
上仕方がない
(8) この二つの操作を繰り返してすべてのサンプルの absorbance を測定する。
<後片づけ>
(9) SHUTTER が SHUT であることを確認してから試料室のふたをあけ,光学セルを取り
出す。試料室のふたを閉じる。
(10) 準備と同様に図の通りであることを確認する。ただし,サンプル室は空でよい。Baseline
Memory のレバーは VU-VIS 側に倒しておく。チェックポイントに無い事項は測定終
了時のままでよい。
(11) コンセントからプラグを抜き,電源部および本体にシートをかぶせる。
(12) 光学セルは蒸留水で十分洗浄して乾燥した後,ガーゼにくるんで箱にいれる。
3-1
分光器全般および光学セルの取り扱いに関する注意
(1) 当然のことながら,精密機器なので丁寧に扱うこと。分光器・光学セルともよごれを嫌
うので,溶液調製後,分光器を使用する前にもう一度石鹸でよく手を洗うこと。
(2) 点灯してからランプの強度が安定するまでの時間は,普通 60 分程度が目安である。
(3) 点灯中にカバーをはずしてランプを直視してはいけない。
(4) 測定部は非常に微弱な光を検出するようにつくられているので,室内灯などの光が入ら
ないように注意する。とくに,シャッターがあいたままの状態で試料室のふたをあけて
はならない。
(5) 光学セルは見た目よりずっと高価なものである。2 つ一組になったセルをばらばらにし
てはいけない。
(6) セル中には試料を 3 分の 2 程度入れればよい。入れすぎはセルの外側を汚す元である。
試料を入れ替える際には,セルの内外を蒸留水で洗浄したあと,さらにアセトンで洗浄
し,ドライヤーの冷風で乾燥させる。
(7) セルの透明な面(光学面)を決して素手でさわらないこと。濡れた場合には柔らかい
ガーゼ,キムワイプ等で拭う。こすってはいけない。細かな傷が測定誤差の原因になる。
(8) ホルダーにセルをセットする場合には,必ず光学面を光が透過するようにする。そうし
なかった場合,光学面を傷つける。
(9) リファレンス側のセルに気泡が生じていないか,またセルの外側が汚れていないか時々
チェックすること。気泡や汚れがあるとベースラインがずれて誤差の原因になる。