糸状菌を用いたイタコン酸の生産 - 中部大学

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生物機能開発研究所紀要 11:38-42(2011)
解 説
糸状菌を用いたイタコン酸の生産
金政 真1,2)
1)
中部大学応用生物学部,2)中部大学生物機能開発研究所
要
旨
イタコン酸は合成樹脂や合成繊維,印刷用インキなどの工業製品の原料として幅広く利用されている重
要な有機酸である.また,イタコン酸は酸味料,歯科用セメントなどの原料としても利用されるほどの安全性
を有する.これらの特徴から,米国エネルギー省(DOE)によってバイオマス由来の重要な物質12種類の
一つに指定されている.イタコン酸は工業的には糸状菌(カビ)の一種である Aspergillus terreus により生
産されているが,その生合成経路は近年まで未解明であった.
ここでは,イタコン酸高生産菌の育種やイタコン酸生合成経路に関する研究について,筆者らの研究に
よる知見も交えて解説する.
1.はじめに
Ustilago maydis (Tabuchi and Nakahara 1980),Candida
イタコン酸(メチレンコハク酸)は分子中に二つのカル
sp. (Tabuchi 1981),Rhodotorula sp. (Kawamura et al.
ボン酸を有する水溶性モノマーであり,このカルボン酸
1981),A. terreus(Kobayashi and Nakamura 1964)(図2)
を化学修飾することにより疎水性度を調節できることから,
などもイタコン酸を生産することが分かった.いずれの微
様々な乳化重合に用いることができる特殊な有機酸であ
生物においても,イタコン酸を過剰に生産する生理的な
る(図1).この化学特性と安全性により,イタコン酸やそ
意義は明確には分かっていないが,A. terreus につい
の誘導体は上記の用途以外にも,接着剤,ラテックス,
ては低 pH でも盛んに生育することができるため,イタコ
絶縁材,コート紙,セロファン,インク,界面活性剤,ボイ
ン酸の分泌によって周囲の pH を低下させて他の微生物
ラー錆取り剤,コンタクトレンズを含む樹脂製レンズ,シ
に対して自身の生存に有利な環境をつくっている可能
ャンプー,抗菌剤などの原料や添加剤として化学工業か
性がある.イタコン酸の工業生産においてはもっぱら生
ら医療分野まで幅広く利用されており,まさに Building
産性の観点から A. terreus が使用されており,我が国
block (建築用ブロック,すなわち合成における基本単
において生産されるイタコン酸も全てが本菌によるもの
位の物質)といえる(Pitzl 1951, Saitoh et al. 1993, Ellis et
である.
al. 1994, Kin et al. 1998, Sen and Yakar 2001).その生産
量は世界で年間8万トンを超えるが,価格は約 US$ 2/
kg と工業原料としては比較的高価であり,低価格化によ
る利用分野の拡大が待たれている.
2.イタコン酸を生産する微生物
1837 年, Baup はクエン酸を熱分解することによって
イタコン酸が生成することを示した.1932 年 Kinoshita
は,Aspergillus itaconicus の培養液にイタコン酸が存在
することを報告した.その 後,酵母 Ustilago zeae ,
図1.イタコン酸の構造
糸状菌を用いたイタコン酸の生産−39
保できるようになった(Okabe et al. 1993, Park et al. 1993,
Park et al. 1994).これにより,投入エネルギーをおよそ
六分の一にすることが可能となった.一方,微生物の固
定化法もまた物質生産法の常法であり,イタコン酸生産
においても様々な方法が多くの研究者により検討されて
きた.しかし,これまでに明確に優位性のある方法は開
発されていない(Horitsu et al. 1983, Ju and Wang 1986,
Welter 2000).
高生産菌の育種
イタコン酸高生産菌の育種には,他の醸造産業と同
図2.イタコン酸生産糸状菌 A. terreus IFO6365 株
様に,変異原性物質を用いたランダムな突然変異導入
法が用いられてきた.上述のように,本菌によるイタコン
3.製造効率化と低コスト化
酸生産では生産物阻害の問題がある.そこで,N-メチル
A. terreus を用いたイタコン酸生産の効率化は,次に
- N '-ニトロ- N -ニトロソグアニジン(NTG)を用いた変異
述べるように主に培養法の最適化と高生産菌育種の両
導入によりイタコン酸耐性のある菌株の育種が試みられ
面から試みられてきた.
た.比較的高いイタコン酸耐性を示した A. terreus
TN484-M1 株は,その後の培養条件の最適化すること
培養法の最適化
微生物を用いた物質生産において培養条件は生産
により,培養液 1 リットルあたり 82 g ものイタコン酸を生産
するに至った(Yahiro et al. 1995).
性に直接影響を与える要因である.A. terreus によるイタ
コン酸生産においても,培養温度や通気量,培地成分,
低価格原料の使用
植菌量などについて検討されてきた(Kobayashi 1967).
イタコン酸生産のための原料(培地に添加する炭素
また,A. terreus は培養が進行してイタコン酸濃度がお
源)は,直接代謝に使われるブドウ糖を用いた場合が最
よそ 20g/L になると生産物阻害により菌の生育が著し
も効率が良い.しかし,ブドウ糖は工業原料としてのイタ
く低下することがわかった(Yahiro et al. 1995).この原因
コン酸生産の原料とするには高価すぎるという問題があ
は解明されていないが,イタコン酸は生物の基本的な代
る.これまでに様々な安価な炭素源が検討されたが,コ
謝経路であるグリオキシル酸回路のイソクエン酸リアー
ーンスターチを炭素源に用いると,得られるイタコン酸の
ゼ(ICL)を阻害することが知られており,ICL または ICL
純度が高いことがわかった.しかし,コーンスターチは培
に加えてその他の代謝酵素を阻害することでイタコン酸
地作製時の高温滅菌処理により糊化してしまう問題があ
合成が阻害された可能性がある(McFadden and Purohit
った.そこで殺菌前にコーンスターチをグルコアミラーゼ
1977).これまでに培地中のイタコン酸による生産阻害対
や硝酸によって加水分解したところ,糊化を防ぐだけで
策として,培地を交換しながら培養を行う流加培養法が
なく,イタコン酸生産性もブドウ糖を原料とした場合と同
試みられた.また,微生物による物質生産では金属製の
等であった.酸による加水分解は硝酸でなくとも可能で
羽を回転させる攪拌培養装置が用いられるが,作動させ
あるが,硝酸は A. terreus を培養する際に窒素源にな
るための投入エネルギーが大きい,糸状菌では高速回
るため一石二鳥であった.また,硝酸処理時には pH2 に
転する羽によって菌糸が切断されるなどの問題がある.
なるが,A. terreus は低 pH でないとイタコン酸を生産し
そこで,通気のみ行うエアリフト式培養装置に適した培
ないため,むしろ好都合であった.硝酸処理したコーン
養条件が検討され,エアリフト式でも十分な生産性を確
スターチのみを含む培地を用いてエアリフト式培養装置
40−金政 真
にて A. terreus TN484-M1 株を培養したところ,約50%
terreus より高純度の CAD 標品の精製に成功し,精製酵
もの変換効率でイタコン酸を生産することができ,この培
素がシス・アコニット酸をイタコン酸に変換する鍵酵素で
養濾液を濃縮冷却するだけで純度の高いイタコン酸の
あることを明らかにした(Dwiarti et al. 2002).クエン酸回
結晶を得ることに成功した(Yahiro et al. 1997a, Yahiro et
路は生化学の講義で必ず習うが,その中でシス・アコニ
al. 1997b).
ット酸は全く目立たない存在である.簡易的な代謝マッ
プでは省略されていることもある.しかし,イタコン酸生
4.イタコン酸生合成経路と合成酵素遺伝子
合成においては極めて重要な物質である.
イタコン酸の生合成経路は古くから研究されてきた.
さらに筆者らは,今後イタコン酸高生産菌を分子育種
Bentley らは,クエン酸回路において生成するシス・アコ
するうえで不可欠な CAD をコードする CAD1 遺伝子を
ニット酸からシス・アコニット酸デカルボキシラーゼ
単離し,酵母にて異種発現させることにより CAD1 遺伝
(CAD; EC 4.1.1.6)によりイタコン酸が生合成するという
子産物が CAD 活性を持つことを確認した(Kanamasa et
説を提唱した(Bentley and Thiessen 1955, 1957a, 1957b,
al. 2008).推定アミノ酸から,CAD は 490 アミノ酸残基か
1957c)(図3).これ以降シス・アコニット酸デカルボキシ
らなる 52,720 Da のタンパク質であり,相同性からメチル
ラーゼが注目されたが,CAD は不安定な酵素であった
クエン酸代謝に関わる MmgE/PrpD ファミリーに属する
ため,長年精製はされないままであった.しかし,筆者の
ことがわかった.比較的同一性の高い遺伝子は近縁種
属した研究グループの Dwiarti らは 30%ものグリセリンを
である麹菌 Aspergillus oryzae に存在したが,麹菌はイ
精製過程の緩衝液に常に添加しておくことにより, A.
タコン酸を生産しないのは興味深いことである.また,
図3.A. terreus におけるイタコン酸の生合成経路
糸状菌を用いたイタコン酸の生産−41
CAD の基質となるシス・アコニット酸を生ずるクエン酸回
Bentley, R. and Thiessen, C.P. (1957c) Biosynthesis of
路はミトコンドリアに存在するが,アミノ酸配列から CAD
itaconic acid in Aspergillus terreus. III. The properties
は細胞質に局在すると推定された.このため,シス・アコ
and reaction mechanism of cis-aconitic acid
ニット酸はミトコンドリアから細胞質に移行すると考えられ
decarboxylase. J. Biol. Chem. 226, 703‐720.
た(図3).
CAD1 遺伝子の転写に関する解析からもいくつかの
Dwiarti, L., Yamane, K., Yamatani, H., Kahar, P., Okabe,
知見が得られた.酵素精製実験の段階から CAD 酵素の
M. (2002) Purification and characterization of
発現量が大きいことが分かっていたが,CAD1 遺伝子の
cis-aconitic acid decarboxylase from Aspergillus
5’非翻訳領域には,糸状菌において転写量の大きい遺
terreus TN484-M1. J. Biosci. Bioeng. 94, 29‐33.
伝子に存在することのある転写促進因子 HAP 複合体の
結合コンセンサス配列(Kato et al. 1998)が存在した.ま
Ellis, E.J., Olson, A.P., Bonafini, J.R. (1994) WO-Patent 9
た,イタコン酸が培養液中に蓄積するとイタコン酸生産
423 314 (to Polymer Technology Corp., MA),
性が低下することを上に述べたが,イタコン酸は CAD1
Improved itaconate copolymeric compositions for
遺伝子の転写量には野生株,TN484-M1 株ともに影響し
contact lenses.
なかった.この結果から,少なくとも CAD1 遺伝子転写レ
ベルでのフィードバック阻害は存在しないことがわかっ
た(Kanamasa et al. 2008).
現在,筆者らはこれらの知見をもとにイタコン酸高生
産菌の分子育種や,人間の食料(食糧)と競合しない炭
Horitsu, H., Takahashi, Y., Tsuda, J., Kawai, K., Kawano,
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