HIA第7回国際俳句交流協会15周年記念講演

HIA第7回国際俳句交流協会15周年記念講演
元米国俳句協会会長・現『モダンハイク』編集長
リー・ガーガ
今日こうして皆様の前に立っています事は、私には分不相応の栄誉であります。
24 年間に亙り『モダンハイク』誌の編集発行を続けてきましたロバート・スピ
ース氏こそが今日のこの場に相応しい人物だと思います。2002 年2月のある晩
でした、電話口でロバートが「私はもうすぐ死ぬ。どうかこちらへ来て『モダ
ンハイク』誌を引き継いでくれないか。」とだけ告げました。翌日私は彼の住む
ウィスコンシンまで六時間車を走らせて不滅の『モダンハイク』の全てを積み
込んで戻りました。それがスピース氏と会った最後となりました。もし私の願
いが叶えられるならば今日の栄誉に相応しい彼にこの場にいて欲しかったと思
います。現在のアメリカのハイクを育てたのは私ではなく、30 年以上に亙り献
身的な仕事をしてきたスピース氏なのですから。
アメリカからよい知らせを持ってきました。アメリカのハイクは順調に成長を
続けています。アメリカの有力な詩集専門図書館館長の一人であるマイケル・
バシンスキ氏が「ハイクはアメリカにおけるもっとも有力な詩形である」と書
いていますが、考えるだけでも凄いことです!
更にもっと素晴しい知らせがあります。ハイクは人気があるばかりではなくセ
クシーなのです!大手の化粧品メーカーがHaikuという香水と部屋着の新
商品を発表しました。これが何を意味するかといいますと、全てのアメリカ女
性がHaikuを理解しハイクがエキゾチックで官能的であるという印象を持
っているということです。
アメリカでは著名人が日本の俳句に関心を持ってきました。その最初の世代と
なったジャック・ケロアックやアレン・ギンズバーグはすでに亡くなりましたが、
マイケル・マクルアーや昨年の正岡子規国際俳句大賞受賞者のゲアリー・スナイ
ダーらは引き続き俳句を理解し探求しようと務めています。
詩人の中では前の合衆国桂冠詩人ビリー・コリンズが筆頭でしょう。彼の「日本」
と題された詩は蕪村の俳句を深く考えるという形で展開していきます。その詩
は次のように書き出されています。
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日本
今日私の好きな
ある俳句の朗読をして時を過ごす
少しの言葉をくりかえしくりかえし唱えて。
それは粒のそろった小さな、完璧な葡萄を
食べるのに似ている
またひとつまたひとつ。
私はそれを暗誦しながら家中を歩き
全ての部屋の空気の中を落ちてゆく
文字をそのままにしておく。
私はピアノの大きな沈黙の側に立ちそれを唱える。
私は海の絵の前でそれを唱える。
私は空っぽの棚の上を指で軽く叩いてそのリズムをとる。
私は自分が唱えるのを聴く、
それから聴かずに唱える、
それから唱えずにそれを聴く。
コリンズはアメリカの朗読会では最も人気のある詩人です。アメリカにおける
ハイクの位置づけという問題に関しては彼ほど影響力をもつ人は他に見当たり
ません。お聞きになった通り、コリンズはその詩の中で、ハイクは重要である
と同時にまた感覚的な喜びの詩であるという彼の信念を伝えようとしています。
カウンターカルチャーの一部として始められたハイクは、最初からアメリカ詩
の主流から外れたところで盛んになりました。ハイクだけの、またはハイクを
主とした雑誌の登場、米国ハイク協会の誕生、現代の英語ハイクの最高のアン
ソロジーで 3 版を重ねている『ハイクアンソロジー』などがまさにこの現象の
証明となっています。
過去五十年にもわたる西洋における高い人気にも拘らず最近までハイクは西洋
詩の主流に加わることができませんでした。一方では郊外のガーデンパーティ
ーポエムとして、また他方では 17 音節のくだらない警句として片づけられてい
ました。ハイクはすこしも重要視されることがなかったかのようでした。
2
ハイクは二流の詩形であるという誤った認識を改めるために、ハイクの作者で
もあり編集者でもあるビル・ヒギンソン、コア・ヴァンデンフーヴェル、エリザ
ベス・ラム、ロバート・スピースらが尽力してきました。ヒギンソン著の『ハイ
ク・ハンドブック』、ヴァンデンフーヴェル編の『ハイク・アンソロジー』など
が示すようにいくらかの成功は収めてきましたが、ハイク作者の作品を紹介す
ることでハイクへの関心を高めようとする試みは大方失敗に終ったと言わざる
を得ません。ハイクを世に広めようとする40年間にわたる私達の努力の果て
に現在アメリカの書店で買えるのはジャック・ケロアックとリチャード・ライト
の二冊の句集のみであります。二冊ともハイク以外のジャンルで名声を得た作
者の余技ともいえる作品集でありハイクが短い詩だということ以外はよく理解
されていなかったことが露呈されました。
ハイクの詩としての重要性をハイク作者自らが証明することができなかったと
いうことは、合衆国においてハイクという芸術を発展させるためにはこれまで
とは違った方策が採られるべき時がきているということでしょう。もし私達が
ハイクを主流に引き上げられないのだとしたら、主流の方をハイクに引き寄せ
ることはできないだろうか。
そのための最も有効な手段は最高の詩人の才能をこのハイク形式を発展させる
方策に利用することであるという単純な考えに基づき、
『モダンハイク』詩では
現代の一流詩人らの関心をハイクに向けることに尽力しています。
一流詩人達が正しくハイクを理解しているとは限らないということを念頭にお
いて、彼らのハイクへの関心を促すこととそのハイク的な感性を鍛えることを
私達の使命だと考えています。私達はハイクをすでに芸術だとして作品を書い
てきた私のようなハイク作者の作品を出版する傍ら、一流のアメリカの詩の雑
誌である『ポエトリー』誌のようなところですでに名声を得ている詩人をハイ
クに引き込む努力をしています。
その甲斐があって、ここ数年間の『モダンハイク』誌の頁には、著名な詩人で
あるビリー・コリンズ、ピューリッツアー賞受賞詩人のゲアリー・スナイダーと
ポール・マルドゥーン、ビート派詩人であるマイケル・マクルアーやローレン
ス・ファーリンゲッティーなどが登場しています。また私達は一流の詩人のハイ
クを収めた上質な製本の小冊子シリーズも始め、2003 年にピューリッツアー賞
を受賞したアイルランド系アメリカ人の詩人ポール・マルドゥーンの句集を今
3
年出版いたしました。最近、もとアメリカ桂冠詩人のビリー・コリンズよりハ
イクの原稿が送られてきまして、こんな一文が添えてありました。
「勿論、貴社
からハイクの小冊子を出版してみたいですよ。」
西洋人にハイクは読むに値すると思わせるためには、ハイクに彼らの内側の何
かに訴える力がなくてはなりません。だとすれば、読者に何がしかの感動を与
えることのできる詩の全てがハイクであるとは限りませんので、何がハイクを
ハイクたらしめているのかという問いが起こります。今まで私が述べてきまし
たことはあらゆる詩形に当てはまることでした。しかしハイクは普通の詩とは
違う独特の詩なのです。ハイクを独特にしているのはその定型や簡潔さだとハ
イクを試みてきた西洋の詩人の多くが思ってきましたが、そうではありません
でした。ハイクが独特なのはハイクが詩の中に季節の感覚を取り入れているか
らなのです。
日本で生れた豊かな伝統文化である俳句の一助となることは西洋の詩人にとり
名誉なことでもありまた困難なことでもあります。一流の詩人のなかではとり
わけビリー・コリンズがハイクの可能性を深く探求した注目すべき作品を書い
ています。彼の最も優れたハイクを一句ご紹介します。
真冬の晩
独りで鮨屋にいる
私とこの鰻だけ
(寒き夜の鮨屋に我と鰻のみ)
昨年『モダンハイク』に載り、ささやかなモダンハイク賞を受賞した句です。
以来大勢の聴衆を集めるコリンズの朗読会での定番となっています。つまり今
日の最も人気のある詩人が機会あるごとにハイクを読みハイクを語っていると
いう状況が生れたのです。かくて「ハイクの福音」は広がっていくのでありま
す。
群を抜いて有名というわけではありませんが確かな技と感性に恵まれた安定し
た力のある他の詩人達もハイクに関心を持ちはじめています。全米で認められ
ている長い詩を書くバリー・スターンリーブ、アレクサ・セルフ、ウィリアム・
フォードらの詩人が、今やハイクに挑戦することを楽しんでいるのです。
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『モダンハイク』誌はアメリカのハイクの成長を見守るばかりではなく、現代
日本の俳人達が何をしているのかにも目を向けています。私達は定期的に20
世紀や今日の日本の俳人の作品を紹介しています。今日ここにいらっしゃる方
の中にも作品を紹介させて頂いた俳人がいらっしゃいます。
読者と共有する機会を得た最も興味深かった翻訳のひとつに、イタル・イナの
俳句があります。日系アメリカ人であった彼の太平洋戦争中の4年間に及ぶ抑
留キャンプでの生活は、アメリカ精神の影の部分への警笛となりました。また
目下のアメリカの行動を考え直す機会となるのではと期待しているのですが、
佐藤紘彰による日本の戦時俳句に関するエッセイも載せました。
『モダンハイク』は出版部門では、先にご紹介しましたアメリカの一流詩人の
小冊子の出版があります。また私事になりますが、私が書きました『ハイク作
家ガイド』は英語ハイクを書くための入門書で 2004 年の米国俳句協会の評論賞
を受賞しています。
『モダンハイク』誌上では現在の米国ハイク協会会長で『モ
ダンハイク』誌副編集長のチャールス・トランブル博士が学術的にまとめた英語
ハイクの歴史も連載しています。このように詩と学問的なことをバランスよく
配しながら私達は西洋における新しいハイクの時代を開こうとしています。
日本で論議されてきた問題の一つに日本語以外ではたして俳句が作れるかとい
う問題があったと思います。日本では英語で書かれたハイクをHAIKUと英
語で表すか、あるいはカタカナで「ハイク」と表記し、漢字で「俳句」とは書
かないと聞きましたが、このことからも答えは明らかです。正直に申し上げま
すと、このことを初めて知った時には、少々腹が立ちました。しかし時間の経
過とともに、この処置は適切であったとだんだん思える様になりました。結局、
私達は「俳句」を作っているのではなく、言語的にも文化的にも全く異なるも
のを書いているのですから。
では、今お話しています「ハイク」とは一体何なのでしょう?それはどのよう
に日本の「俳句」と似ていて、どのように異なっているのでしょうか?
西洋で俳句と言いますと、一方では伝統的な日本の俳句を指しますが、もう一
方では5−7−5音節で書かれるスュードーハイク(贋物ハイク)という二つ
の捉えかたがあります。有馬朗人先生がおっしゃるように「私達は雑俳の時代
に生きています。」そしてアメリカほどこの傾向の強いところは他にありません。
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英語でハイクを作る私達にとっては何世紀にも亙り俳句を特徴づけてきた日本
的美意識を尊重することと、私達自身の言語の可能性を探求することの両方が
大切な課題です。この二つ目の領域では日本の古今のマスターたちはお手本と
はなり得ません。英語ハイクを書いている詩人達にとって一番大切なことは脚
韻、頭韻、押韻、母音押韻、そして擬音などの私達が利用できる音の特殊表現
を活用することです。
初期のころのヘンダーソンやその他の人たちによる日本の俳句の翻訳や、この
ような人々の英語ハイクの手本となる作品では俳句が詩であることを強調する
ために一行目と三行目の終わりに脚韻が使われました。脚韻によって西洋の作
詩法・音韻学上はハイクを詩と見なすことができましたが、脚韻には余韻を残す
というよりは、詩を閉じてしまう傾向がありました。そこで殆どのハイク作者
は脚韻を完全に避けるようになり、ハイクの可能性を表現するのによりふさわ
しい方法を求めるようになりました。
強勢のある母音を繰り返し用いる頭韻は、脚韻よりは目立たないので俳句には
より効果的でした。メアリーアリス・ハーバートのこの句に使われた oo(ウー)
と ah(アー)の音は秋の様子に感動している作者の驚きを旨く伝えています。
万霊節の前夜祭
燕らが
月を輪でかこむ
音を効果的に用いると、このピーター・ヨヴの素晴しい句が示すように音と意味
の境を越えることができるのです。
蚊 彼女も
主張している 主張している 彼女
は、 は、 は、 は、 は、
俳句は耳で聴く詩というよりは目で鑑賞する詩であると考えるハイク作者がい
ますが、注意深く選ばれたリズムやイントネーションはハイクの芸術性を高め
るのに著しく役立ちます。このロバート・ギリランドの句にその例が見られます。
サルビアを植え替えている
蜂で一杯の手押し車
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裏庭から家の正面へ
このハイクの言葉の使い方について特に申し上げたいことが二つあります。一
番目は、各行を強勢のある音節セージ(サルビア)、ビーズ(蜂)、そしてフロ
ント(正面)で終っていることです。これによりハイク全体にも手押し車にも
前へ進む動きがでてきます。第二番目は、最初の行の transplanting the sage
(サルビアを植え替えている)と 3 行目の from backyard to front(裏庭から家
の正面へ)が同一の韻律パターンで書かれているということです。脚韻を用い
て同じ効果を狙った場合よりも目立たずに済み、句にまとまりが生まれていま
す。
言葉の流れの感覚に敏感なハイク作者は魅惑的な作品を書くことができるでし
ょう。ちょっと残念な気持ちで申し上げなくてはならないのですが、このよう
な芸術的探求は初期のアメリカハイクでは普通に見られたことでしたが今日で
はあまり見られなくなってしまいました。あの魔法のリズムをもった欽定訳聖
書が私達の日常から消えたことも一因かもしれません。私達が何を失ったのか
を知るのにはエイブラハム・リンカーンあるいはマーティン・ルーサー・キング
博士から今日のジョージ・W・ブッシュに至るまでの演説を比較してみれば明
らかです。
直喩や暗喩などの比喩的な言葉を使うことによって俳句を読み応えのあるもの
にできると考えている人々がいますが、なかなか旨くいかないようです。欽定
訳聖書がそうであったようにハイクでは具体的なイメージを用いて心の奥底へ
働きかけようとします。ハイクの先駆者であるジェームス・W・ハケットのこ
の俳句にみられるように。
小川の奥底に
巨大な魚が静止している
流れに逆らって
もちろん、ハイクのイメージが常にこのような深みを意識的に追究しているわ
けではありません。具体的なイメージを用いたリロイ・ゴーマンのこのハイク
では真夜中をすぎた時間帯の感覚を遊び心でうまく捉えています。
最後のスローダンス
冬の蝿
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カウンターの上で番(つが)う
このハイクでは、ポール・O・オニールが言うところの「未解決の暗喩」が効
果的に用いられています。表面上は具体的で興味深い景が提示されています。
しかしこの人生の一齣は、私達の連想が別の蝿の仲間、バーフライ(酒場の常
連)と踊り始めると豊かな多義性をおびてくるのです。
西洋の詩は比喩を多用するせいで重くなりがちです。T・S・エリオットが何
を考えたとしてもエーテル麻酔をかけられて無感覚になった患者にとって日没
には何の意味もありません。日本の俳句の技巧で比喩の代わりに私達西洋のも
のが使えるのはピボットライン(枢軸のように前後に付くことのできる一行)
です。故徳富喜代子の次の俳句では、二行目が前後に揺れる扉の役をして私達
を前と後ろの二つの世界へと誘っています。
化学療法
心地好い椅子の中で
二時間の冬
ここでは椅子が中心となって、薬品が注入されるのを見つめている椅子、また
そこに腰を下ろして文字通りのそして比喩的な冬のエッセンスを凝視する椅子
という二通りの解釈が可能になります。
アメリカは機械と安易な答えを好む文化です。このような文化の中で育った
人々にとって、季節のイメージがハイクや詩の重要な部分になるというのは理
解しがたいことです。私のワークショップでは、全ての野心的なハイク作者に
シゲヒサ・クリヤマの『講談社日本百科事典』の俳句における自然の役割の一
節を覚え役立てることを勧めています。
季題が本当の効果を表す俳句には、その幅を広げ景から起こる連想の元を創
る季節と、特徴はあるが忘れがちな季節の様子を教えてくれてそのことで私
たちの理解が深まってくる独特の景とのあいだにある相互作用が働いてい
るに違いない。(「ハイク」
、『講談社日本百科事典』講談社、1983、p.82)
1995 年のハイクシカゴ大会では、石原八束先生は「真実をあたかもフィクショ
ンのように提示しなさい」とハイク作者たちに述べました。これは勿論ハイク
に限定されるものではありませんし全ての偉大な小説にみられることです。直
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接伝えることが難しい真実を物語という衣装をまとわせて示すということです。
こうすることで読者は守勢にまわったり独りよがりに陥ったりすることなしに
困難な真実を許容することが可能になります。作者の側では読者に不快な思い
をさせずに、読者の側では勝手な解釈をすることなく、それぞれ真実を追究す
ることができます。フィクションは詩と同様に私達に何が真実かを告げるもの
ではなく、何が真実であるかを明らかにするものなのです。優れたハイクもま
たこの性質を持っています。優れたハイクはその幾重もの意味のレベルを通し
て私達が生きていかなければいけない真実を明らかにするのです。
ブライスは日本からの世界への最も偉大な贈り物は俳句であると述べました。
私にはこのように言い切れる資格があるかどうか自信がありませんが詩人とし
ての私にとって、季節を意識するハイクは、日本の俳句から世界の詩への偉大
な贈り物であると思います。
(訳:宮下恵美子、監修:木内徹)
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