ロータリーの創始者 ポール・ハリスの生い立ち 別府中央ロータリー・クラブ 鳴 海 淳 郎 はじめに 1896年、28歳という若さでシカゴに法律事務所を開いた青 年弁護士ポール・ハリスは、9年後の1905年2月23日、友愛 の心を求めて3人の友人と語らい、親睦と相互扶助を目的と するクラブをつくりました。 ついで、3年後には会員以外の人たちに対するサービスの 概念が導入されて世のため人のためのクラブということにな り、その後次々と志を同じくするクラブが各地につくられ、今 や世界の163か国に広がり、クラブ数3万以上、会員総数が 120万人に近い世界的規模の大きな奉仕組織に発展しまし た。 そして、2005年には愈々創立100周年を迎えることになっ ています。 ロータリーとは 会員一人一人が他人のことを思い、他人を 助けることにあり、これを自分の職業に生か して地域のために最善をつくすように努め、 更に、国際理解を深めて世界平和を推進 することを目指しています。 ポール・ハリスの誕生と その家庭環境 ~家族、とくに祖父母の愛と躾~ ポール・ハリスは1868年4月19日、米国ウィスコ ンシン州ラシーヌで生まれました。 父ジョージ・ハリスも母コーネリアも豊かな才能 のもち主でしたが、経済観念に乏しく、二人とも 大の浪費家でした。 ポールが3歳の時、父が事業に失敗したため、 兄のセシル(5歳)とともにウォリングフォード に住む父方の祖父母のもとに預けられ、そこ で育てられました。 ポール 3歳 セシル 5歳 2人が育った祖父の家 ポールの祖父は典型的なニューイングランド 人で当時72歳、祖母は非常に慈愛に満ちた 真直ぐなおばあさんで、当時60歳でした。祖 父は裕福ではありませんでしたが、農業や 牧畜で自ら働いて生計をたてていました。 ポール・ハリスの育った自然環境 ~自然の良さ、自然への親しみ~ ニューイングランドはアメリカ北東部のボストンを中 心とする地方で、1806年ごろ、宗教上の圧迫で英 国より逃れてきた人々が住みついた地方でした。 バーモント州はこの地方の最北部の一州で、ウォリ ングフォードはその高原地帯にある町です。 最近では、バーモント州(Vermont)はアメリカ随一 の紅葉の名所で、すばらしい紅葉を堪能できる時 期は、おおよそ例年9月第3週から10月第2週あた りとされています。アンドレ・ジェニーの写真は10月 はじめのバーモントを示し、メイプルの葉は深紅と オレンジ色に、白樺やポプラはオレンジ色、イチョ ウやブナは黄金色に姿を変え、その間に白い教会 が点在して見えます。 ポール・ハリスの幼少年時代 ~破目をはずした幼年時代・良き村人の見守り~ 幼年時代のポールは、泳いだり、魚釣りをしたり、遊んだ り、喧嘩をしたり、冒険を楽しんだりして、少年の気まぐれ な遊びに耽りました。また、学校に通い、教会にも行きま した。 子供が一通りかかるぐらいの病気にかかり、成長 する喜びを享受し、あまりにもつれない時には泣き叫ん だりしました。 3歳のポール 6歳のポール 14歳のポール ポールの通った小学校と教会 ポールがよく遊んだお気に入りの場所 エルフィン湖 オールド・スイミング・ホール ポール・ハリスの学生生活 ~自由を謳歌した学生時代・祖父の力、 よき師、よき先輩との出会い~ 学校自体はぞっとするほど嫌っていたにせよ、 学校にはその埋め合わせとなる友達仲間がい た。 例えば、 ・ 「耳が動かせる」 ジョージ・マーシュ ・ よくポールと遠くまで散歩に出かけた ジョージ・セイビン ・ まぶたを裏返す芸当で有名な カレブ・ぺ二ーパッカー ・ ピストルの銃声そっくりに関節をポキポキ鳴らせる 「インクまみれの」 バルー ・ ポールの初めての「ガールフレンド」 ジョージー・リリー (ポールは彼女に首ったけでした) 祖父の力 ・ウォリングフォードで汽車を降り、はじめて あった祖父の手の大きさと温かみはポールに 強烈な印象を与えた。 ・初老のハワード・ハリスは、再三再四、何時間もポールと机に向 かい、しっかりした教育の価値を孫に徐々に教え込もうと努めた。 ・ポールの祖父は忍耐強いのが取柄で、色々な失敗にもめげず、 孫にあらゆる教育の機会がもてるよう一所懸命であった。 ポールの高校時代 ・ ウォリングフォード高校1年の時 ポールの所業が原因で色々問題が起きたが、 ショー校長の励ましで事なきを得た。 ・ ラトランド高校の時 一時ウエスト・ラトランドにあるメリーおば、ジョー ジ・フォックス医師の家庭に世話になっる。週末と 休暇には、祖父母に会いにウォリングフォードま で9マイルの道を歩いて帰った。 ポールの大学生活 ・ ブラックリバー・アカデミー(バーモント州ラッドロウ) 悪ふざけにより、僅か1年間在籍しただけで放校処分を受ける。 ・ 陸軍士官学校バーモント・アカデミー 軍紀に服するようになったことが、奇跡的にも成功。 ・ バーモント大学入学(1885年) 入学後僅か18ヶ月(1887年)で、学則違反のかどで放校処分 (不当である旨を断固主張・・・これは何年も後に解かれた) ・ プリンストン大学入学(1887年・春)(19歳) 1883年3月、祖父危篤の報に接し、3月17日に死亡の通知。 ・ アイオワ大学法学部入学(1890年・秋) 入学のわずか数週間後に祖母の死を知らされた、悲しい気持ち で大学の勉強を続けた。 1891年6月、アイオワ大学卒業(23歳) ポールの学生生活 よき師・よき先輩 ・ ウォリングフォード高校時代: ショー校長のはげまし ・ 士官学校時代: スプナー陸軍少佐の指導 ・ プリンストン大学時代 ジェームス・マコッシュ博士(学長) ポール・ハリスが出会った教育者の中で一番感銘を受けた人 後に論理学と心理学を学んだ。 ・ アイオワ大学卒業時 卒業式行事としてのある講演で 、10年前に卒業した、 ある 弁護士の話に刺激された。 ま と め ウォリングフォードという非常に恵まれた大自然 の環境で、ひたすらなプロテスタントの信仰のもと、 厳しい反面、慈愛に満ちた祖父母に育てられ、野に 山に、または湖水に伸び伸びと大学に進学するまで 育ったポール・ハリスの崇高な人格とその精神は、 実にウォリングフォードのすべての感化によるものと 言えましょう。
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