図書紹介 中山英一『人間の誇りうるとき』 - 部落解放・人権研究所

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『人間の誇りうるとき』
187中山英
l図書紹介
中山英一『人間の誇りうるとき』
た」、そして「物の見方や考え方、感じ方
いうことである。西光萬吉ら奈良の青年
が変わった。価値観の転換がおこった」と
一九二一年七月)に出会ったときの衝撃と
が、佐野学の「特殊部落解放論」弓解放』
「差別・昔も今も」では、「差別された
の共通性をみる思いがした。
中山英一先生の『人間の誇りうるとき』
の大好きな「母やん」のことがつづられて
先生の生いたち、被差別体験、そして先生
本書は「生いたちの記」からはじまる。
別性」について取り上げている。「破戒』
い。まず、島崎藤村の「小説『破戒』の差
晃
が出版されて早-年以上になる。この書の
いる。現地学習会のとき、先生の生家にも
藤里
で差別の実例の数々をあげながら差別の不
人たちの闘い」、「命を奪い去る結婚差別」
紹介をして欲しいという依頼を受けた。今
がもたらした罪」として「信州の部落全体
当性を訴える。また「解放への課題と展
改めて読み返してみた。なるほどと納得の
あげてもらうことができた。そのとき、仏
い。……結果としては差別に加担し、多く
に害をおよぼしていることは否定できな
’一
いく本だということである。
「これが私の大好きな母やんです」と言っ
壇のうえの「母やん」の遺影をまえに、
日で、泉佐野市人権啓発指導者養成講座
協議会常任委員でもある。昨年七月一泊二
野学の『闘争によりて解放合が紹介され
もどろう。先生を変えた一冊の本として佐
生の顔が鮮明によみがえってくる。本書に
て、うれしそうにしかもニッコリされた先
え、元気を出させる力になったでしょう
生活する信州の人びとを励まし、自覚を与
きた」といい、弓破戒』は今なお、ここで
の読者に偏見による部落民観を定着させて
最後の「部落差別と文学・宗教」がい
望」についても述べられている。
著者の中山先生は、長野県同和教育推進
(中級)の「長野県佐久市現地学習会」の
かあ
協議会事務局長であり、全国同和教育研究
時に講演ならびに案内役を先生がしてくれ
査によれば、古いものは一六○五年、新し
か。また読者を楽しませたでしょうか。被
であって、「居士」「大姉」という戒名は
いものは一九四七年のものもあるというこ
ている。この本により、「差別される側に
の、たくましさ、やさしさ、賢さ、美しさ、
つけられる戒名であった。明治以降は、百
ないということである。「居士」は武士に
とである。でも、「差別戒名」とも知ら
た。その時のお礼の意味を含めて本書を紹
明るさ、怒り、連帯、闘いなどの姿は、ほ
姓も「居士」となる。このように、差別戒
からの逃避は書かれたが、部落の人たち
とんど書かれていませんでした」と。ここ
名は自分の問題でもある。自分のこととし
ち。また、「差別戒名」であるという事実
ず、一生懸命拝んでいた被差別部落の人た
差別部落の苦悩と悲惨、そして被差別部落
まで読んでくると、わたしたちは、いまま
て考えなくてはならないということであ
は何も悪いことはない。差別する側が一○
で無批判に『破戒』を読むことを奨めてき
る。「差別戒名の問題を通して、自分を深
○パーセント悪いんだということがわかつ
たことを反省してしまう。この節を読んで
を知ったときの怒りは、私の想像を絶する
介したい。
から『破戒』を読み直してみるのも意義あ
ものであっただろう。
部落解放同盟長野県連合会が行なった調
述べる。
ることだろう。
く見つめること、自分の生活を見つめ、そ
ケモノ同然の差別戒名をつけられたことに
について、一つは同じ人間でありながら、
は、文字数は少なくて、その意味は悪く、
る。被差別部落の人びとの戒名について
あるということである。一づめは字数が多
差別戒名は、簡単に言うと問題点が一一一つ
三つめは院号、居士があるかないかであ
る文字の意味がどうかということである。
いか少ないかである。二つめは刻まれてい
と。さらに、「昔から悪いことをすれば死
対する限りない屈辱感と怒りです。もう一
つは差別戒名は、つけられたけれども、つ
ける側ではなかったという誇りです。屈辱
感と誇りの両面があるということです」
と訴えている。さらに続けて、「差別戒名
況を問いつづけることこそ大切なのです」
して世の中のあり方を見つめる、文化の状
つぎに、臼井吉見の『事故のてんまつ』
についても、「明らかな差別小説」として
「この小説は、少なくとも部落解放に否定
的な立場のものであるとともに、ある意味
では文学そのものさえも冒涜する作品であ
ると思います」と述べている。
’’一
つぎに、差別戒名についてふれておこ
憤、腕陀羅、施陀羅、畜、革、鞍、草、
差別的な意味の文字としては、連寂、開
そして院号、居士がないということであ
にいるのはどんな人かというと、このよう
僕、卜、似、億、卑、蝉、非、庭、奴、
んでから地獄におとされるといわれてきま
差別戒名といえば、被差別部落の人の戒
名と思いがちであるが、「百姓の戒名にし
ても、部落の人より少しはいいが殿様から
な差別戒名をつけた僧侶こそ、地獄におち
ていると思います。ですから私たちの先祖
尾、賎…:.などが実存している。たとえ
る。
見れば大変屈辱的なものでした」と。江戸
時代の百姓の戒名は「信士」「信女」とつ
が地獄におちているはずはないのです」と
した。もしこのことが本当なら、いま地獄
けられる。あるいは「禅定門」「禅定尼」
シっ。
四