心臓外科黎明期の思い出(釘宮敏定) - 長崎県医師会

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部長 (後の岡村記念病院理事長) に直接お願いし
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て同センタ ー で研修させて頂き、 氷水槽内浸漬 に
よる冷却 過程 で心 室細 動 を起こ さ ず、 体 温 20℃
< 長崎市 > 長崎大学名誉教授
釘宮 敏定
以下まで安全に冷却する独自の麻酔法 (閉鎖循環
式エー テル深麻酔法) を習得 して帰学、 麻酔科の
医療」 と いう 一文を寄稿 しておられる。 今日の心
後藤裕教授のお許しを得て私自身が岡村式麻酔を
かけ、 100 例近い乳幼児患者に低体温関心術を実
施して手術成績を向上させ得た。 術者の調亟治先
生が大分医大 に転 出された後は、 患児 の体温が
臓手術は、 心臓外科医だけでなく、 麻酔医、 集中
20℃ 以下 に低 下 した時点で麻酔科 医 師 に バ トン
治療医、 IC U ナ ース、 リハ ビリ ・ 栄養管理 ・感染
タッ チ し、 私が手洗い して執刀 した例も何例 かあ
制御 ・褥瘡予防 ・心理精神看護な ど、 多職種の専
る。
門スタ ッ フが 連携 して患者をサ ポートしていると
心筋保護法が未完成であった初期の心臓手術は、
術中の心筋虚血障害による重症心不全 (低心拍田
江石清行教授 (心臓血管外科学) が、 23 年 5
月の長崎新聞健康欄に 「心臓手術を支えるチーム
いう、 黎明期の心臓外科に携わっ たわれわれから
みて誠に羨ま しい話である。 こ の半世紀の心臓外
科の進歩を振り返りながら、 当時の思い出を述べ
量症候群、 L o s ) が多発 し、 その治療 が学会の重
要 テ ー マ で あ っ'た o L O S 治療 法の研 究 に は 実験
て み た い。
モデルが必須であり、 他施設では人工心肺潅流下
長崎大学第一外科 に心臓班が結成されたのは
に L O S モ デルを作成 していた が、 わ れわ れ は胸
1959 年 (昭和 34 年) である。 私はそ の前年 に九
壁通電による 人為 心室細動法を用 いた簡便な
州大学を卒業し、 長崎大学病院で 1 年間のイ ン
L O S モ デル 作 成 に成功 し、 上 野 昭 教 授 (第 一 薬
ターン研修を終えて、 研修仲間の伊福真澄君、 古
賀 保徳君と共に大学院生と して入局、 心臓班の一
理) の ご指導下に各種薬剤の L O S 治療効果を検
期生となっ た。 米国の J . H .ギボン博士 が自ら開
ノ キシベンザミン (p O B ) を併用する治療法 (ノ
発した人工心肺による世界最初の開心術に成功し
ルアドpo B 併用療法) の臨床的有用性を見出し
てか ら 6 年、 大阪大学による本邦第一例の成功か
ら 3 年目のことである。 田崎亟治講師 (後の調亟
て学会に報告 した。 致死 的 L O S に対する 有 効 な
治大分医大副学長) を班長とするわが心臓班は、
討 した結果、 ノ ルア ドレナリ ンと α 遮断薬 のフ ェ
治療法が皆無であった当時、 本法は多くの学会シ
3 年間 に 200 例の動物 実験を行 っ て 1962 年 に第
ンポジウムに採用さ れ、 他施設の追試も行われた。
難点は、 外国で市販さ れていた P O B が日 本 で は
1 例の開心術に成功 した。 当時の回転円板型人工
未認可 であり、 P O B 原 末を薬剤 部 で注 射 製剤 化
肺は容量 が 3 リ ッ トル以上もあり、 装置充填用 と
せねばならぬことであ っ た。 こ のため本法は、 イ
術中輸血用 の 40
50 人分の新鮮 ヘ パ リ ン血 が必
ン プロ テ レノ ー ル、 ドパ ミ ン、 ド ブタ ミ ン な ど、
要で、 術当日に献血者を集めるのに苦労 した。 肝
炎ウイ ルス はまだ発見されておらず、 大量輸血に
心拍出量増加と血管拡張作用を併せ持つ薬剤が開
伴う ウイ ルス 性肝炎の多 発 に悩 ま さ れ、 G PT 等
の肝機能を指標に供血者を選別するなど、 未知の
術自体が実験段階で、 r臨床で問題が生じたら実
験室に戻れ」 が心臓外科医の合言葉であり、 われ
肝炎ウイ ルス対策に苦闘 した毎日であ っ た。
われの研 究も、 開心術 の成 績向上 と いう 切 実 な
当時は人工心肺 そのものが開発途上であり、 長
時間関心術は呼吸不全、 腎不全など、 人工心肺使
発されるに及んでその役割を終えた。 当時は開心
ニー ズ から生ま れたもの ばかりであ っ た。
用 に伴う 合併症が発生しやすく、 とく にそれらの
当時、 関心術後の患者管理は、 一般の医師 ・ 看
護婦には未知の世界であり、 心臓手術患者 には、
合併症が致命的となる幼小児複雑心奇形の手術成
できるだけ関わりたくないという 雰囲気であ っ た。
績 が不良であ っ た。 その対策と して、 もう一つの
L O S 患者の術 後 管 理 を一 般外科 当 直医 にお 願 い
選択肢である超低体温法の導入 しかないと考えた
する な ども っ て の 外 で、 数少 ない 心臓 班 のメ ン
私は、 当時、 超低体温法による乳幼児関心術に好
バーが連日泊まり 込んで治療を行 っ ていた。 夜勤
成績を挙 げていた千葉県立心肺センターの岡村宏
ナース の仕事は医師が使用 した薬剤名を記録する
長崎県医師会報 第790号 平成23年 11月
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だけであり、 輸液瓶の薬液調整もすべて心臓外科
から厳 しい叱責を受けたこともあっ た。
医の仕事であ っ た。 ナ ース が判 読できるモニター
1960 年代 から 70 年代 にかけ、 わ れわ れは、 上
上の唯一の心電図変化は平坦化した心静止波形で
述のよう な困難な状況下に努力を重ねていた が、
あり、 深夜、 病棟から自宅にかかる 緊急電話の決
まり 文句 は 「 0 0 さ んの心臓 が止 ま っ ていま す
80 年代 に入る と 次第 に状況 が好転 してき た。 人
…」 であ っ た。 せめ て、 致死的不整脈だけでも早
期 に判 断して欲 しいと心電図の講義も行 っ たが効
て無輸血関心術が一般的になり、 乳幼児の低体温
工肺が、 生理的でかつ容量も小さい膜型肺 になっ
麻酔も不要となっ た。 心筋保護法もほぼ完成 し、
開 心術 の安全性もようやく 一般手術並 みといわれ
果はなく、 モニタ ーはほとん ど役に立たなかっ た。
深夜の心停止コ ール に叩き 起こさ れ、 なぜもう一
る時代になっ た。 チーム医療の体制も徐々 に整い、
晩泊らなかっ たかとの悔いに苛ま れながら深夜の
心臓外科医も昔ほど孤軍奮闘しなくてすむよう に
街を走っ たことが何回あっ たろう か。 呼吸管理も
なっ た。 心臓外科の将来性が見込めるよう になる
また難題であ っ た。 当時の人工呼吸器は、 現在の
ようなコン ピュ ータ制御 のす ぐれた機種でなく、
と、 それまで様子をみていた他施設の参入も増加
し、また、グローバル時代で外国留学も容易 となっ
患者 の 状態と無関係に、 セ ッ トさ れた 一 定量の換
気を気道に押 し込むだけの単純なもので、 重症呼
て、 国内外の 一流施 設で多数例を経験した多くの
心臓外科医が腕を競うよう になっ た。 第一外科心
吸不全にはま っ たく無力であっ た。 呼吸不全患者
臓班発足から 26 年目の 1985 年、 長崎大学に待望
に対して、 われわれはベ ッ ドサイ ドに麻酔器を持
ち込み、 患者の呼吸が回復するま で、 一晩も二晩
の心臓血管外科設置が認められ、 初代教授に選任
も、 眠気をこら えてひたすら麻酔バッ グを押 し続
された私は、 次世代 に仕事 を譲るべき時 が近 づい
たこ とを自 覚 し、 90 年代 後半か らは、 留 学帰り
け て い た。
の優秀な後輩 たち に手術 を任せることが多くなっ
開心術のリスク が高かっ た当時、 イ ンフ ォ ーム
ド ・ コ ン セ ン ト の 重 要 性 は 今 日 の 比 で は な か っ た。
すべての手術 患者の説明を任さ れた私は、 心臓病
の自然経過と手術の必要性、 人工心肺 ・体外循環
た。
・
創立 150 年を迎えた長崎大学および病院の合言
葉は 「歴史を創ろう 」 である。 心臓手術の安全性
の原理 な どを分かり やすく書いた パ ンフレッ トを
が確立された今では、 国内あるいは外国の一流施
設で修練 して多数例の経験を積むことで、 心臓外
作成 し、 その中に当科の手術例 数と成績をありの
科医に必要な知識 ・ 技術を効率的に身につけるこ
まま に 公開した。 内容 が複雑で、 リスク も高 い関
とができる。 しかし、 心臓外科の将来性がま っ た
く見えていなか っ た半世紀前、 連日、 深夜に及ぶ
心術の説明を、 多忙な外来診療の合間に行うのは
無理であり、 日曜 ・ 休日の昼間に、 ご本人 ・ ご家
族に揃っ て来院して頂き、 時間をかけて現状を丁
動物実験を繰り返し、 不完全な装置や機器を用い
寧に説明 し、 その上で、 手術を受けるか杏かの決
断をご本人、 ご家族にお任せ した。 多くの患者 ・
たして 「歴史を創 っ ていた」 と い える のだろう か。
私も喜寿を過ぎ、 あの頃の 「戦友たち」 の多くが
家族は私の説明に納得 して手術を受けられたが、
故人となっ た今、 過 ぎ去 っ た青春に限りない懐か
中には危険性を危惧して手術を断念された例もあ
しさ を 覚 え つ つ、 自 問 し て い る こ の 頃 で あ る。
て危 険性の高い手術 に挑んでいた われわれは、 果
り、 「せ っ かく 説得 して送 っ たの に」 と、 紹 介医
厚労省 (健康局総務課 生活 習慣病対策室) で、 禁煙支援マニ ュ アルがとりまとめられま した。
日常の禁煙指導にお役 立て下さい。
内容は厚労省ホームページ 「た ばこと健康 に関する情報ページ」 で閲覧可能です。
禁 煙 支 援 マ ニ ュ ア ル < h ttp :〃 w w w .m h l w .g o .jp /to p ic s/to b acco / m ain .h t m 1 >
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長崎県医師会報 第790号
平成23年11月