インディアナ日本語学校 平成 25 年 学 校 だ よ り 10 月 12 日(土) No.62 -② 【教育目標】自ら学び正しく判断して行動する国際性豊かな児童生徒の育成 文責:川﨑 優衣 ) (渡邉 いち ば んす きなことば 裕吾) 柊羽 ) ぼ くの い ちばん すき なこ とばは 、 がんばるです。なぜかと言うと、ぼ くはうんどうとかを がんばるからです。 ぼくはサッカーを やっていて、いつも がんばる からす きなの です。 ぼく のもう 一つの すきなこ とばは 、 ありがとうです。なぜかと言うと、 たくさんつかうことばですし、いい ことばだからです。 ぼくは、もっ とすきなことばがあるけどこの二つ が一ばんすきです。ぼくは楽しいこ とばよりもだいじなことばとか、い い ことば がすきで す。 ぼ くのす きなことば 三年二組 (田中 ぼくのすきなことばは、ありがと うという ことば です。 ありがとうと言われたら、うれし いきも ちになり ます。 ぼくは人が困っていたりしたら、 たすけます。プレゼントをあげたり したら、かならずありがとうと言わ れます。そのときぼくは、すごくう れしいです。だからぼくは、ありが と うと言う ことば がすき です。 ぼくも 人に親 切にし てもらっ たり 、 何かプレゼントをも らったときは、あり がとうと言います。 (前田 三年二組 タイムマシーン 啓汰 ) 美瑠) ぼくがあったらいいなと思う物はタ イ ムマシー ンです。なぜかと いう と、むか し母がどのよう にぼくを そだてかを見たいか ら です。あと 、母と父がどん なこと をしていたのかを見た いからです。それに、むかしのことを いっぱい思いだしたいからす。どうや ってタイムマシーンをてにいれるかと いうと、いっぱいおしごとをしてお金 をためてぶひんを買って作るのです。 どうやって作り方を知るかというとい っぱいべんきょうをして、だいがくに 入って、いい会社に入って、作り方を 知るのです。タイムマシーンを作った らぼくの友だちに見せます。ぼくはた ぶんすごくタイムマシーンをじまんす ると思います。できあがったらもうす ぐにタイムマシーンにのってためして みたいです。ぼくはすごくいい気もち になる と思い ます。 できないとおもうけど作れたらいい なと 思いま す。 三年 二 組 ( 山 鹿 わ た し は、 ほ ん と う の ま ほ う のつ え が、あったらいいなと思います。なぜ かというとまほうのつ えがあったら、ひつよ うなときに、まほうの つえでだせるし、べん りだと思うからです。 (ド レスを まほうの つえで だした 。 ) 真佳) (田中 あま い いちご 。 う まい えがお 。 お いしい な。 勇輝 ) あかい リンゴ か りかりク ッキー さくさくっとしたビスケット た べたい よ。 なか まとい っしょに 。 (高蔵 あひる が い けで およ いでい たら うえか ら え びが おち てきた 。 涼花 ) あさ かった 、 さ けを たべ たら、 なかな か おいし かった 。 (鈴木 あ お空に いろ んな雲 が うかん でる。 え のぐで色 をぬっ たら 、 おおき な絵の かんせ いだ。 あま いキャ ンディと かりか りのこん ぺいと うを もって、 さあ、 た びに出 よう。 なにがおこるか たのしみだ。 わたしが、あったらいいなと、思う物はドラえもんのタケコプターです。い前はど こでもドアがあれば行きたい所へどこへでも行けるので、便利だと思いました。けど、 タケコプターで行けば時間はかかるけれど、鳥になった様で毎日が楽しくてとてもう れしいと思うのです。わたしが外へ遊びに行ったり、お買い物をしに行く度に鳥を見 ます。わたしは鳥を見る度に空を飛べたらなと思います。 3年2組(坪井 あったらいいな、ドラえもんのタケコプター 335名 全校生 ~ 一人一人が輝く子どもの姿をもとめて ~ 「運動会」前に集まった作文です。工夫が見られます。 悠矢) 豊かな言葉の使い手になるためには 五年二組 (澤本 ぼくが選んだ豊かな言葉の使い手 は落 語家 です 。 なぜ 落語 家を 選ん だか と 言 う と 、「 笑 点 」 と 言 う テ レ ビ 番 組 に 出て いて 落語 家の 人達 の話 が いつも すごく おもしろ いから です。 ぼ くは イン ター ネッ ト で落 語家の 人 達が 気を 付け て いる 事に つい て調 べま し た。 そ れは 、普 だん から おも しろ い ネ タを 探す よう 心が けて いま す 。でき るだ け相 手に わか りや すい 表 現を使 う よ うに して いる 。ま た 、話 し方 で気を 付 け る の は 、「 か つ 舌 」「 間 」「 相 手 の 反 応 を 見 る 」。 そ し て 、 口 を 大 き く 開 け て聞 き取 りや すく する 。ひ とこ きゅ う置いて 、話題をかえる 。 「リズム 」 「声 の 強弱 」に も気 を付 け る。 もり 上げる とこ ろは 大き な 声で テン ポよ く。 おど ろ かせ た いと ころ はゆ っく り、 声のト ー ンを 少し 落と して 興味 と理 解を 促す そうです 。 落 語家 の人 達は 、た だ 自分 たちが し ゃべ りた いこ と をし ゃべ るわ けで はな く 、人 を 楽し ませ るた めに 、地 道な努 力を していま した。 聞き 手の 気持 ちを 考え て、 あ きさせ ない ように もして いました 。 ぼく も「 豊か な 言葉 の使 い手 」にな る ため に 、し ゅ味 や知 識を 幅広 く持つ 努 力を した り、 相手 に何 か話 す時 は、 聞き 取り やす く、 わか りや す いよう に 意識 してい きたい と思いま す。 そして、いつか寄 席を見に行って落語 の世界を体験したい です。 (竹田 豊かな言葉の使い手にな るためには 五年二組 直生) ぼ くが 、豊 かな 言葉 の使 い手だ と思 う人 は、 父 です。そ の理由は、ぼくの父は、言葉をたくさん 知 っ て いる し 、相 手 に 分か り やす く伝 える 事がで きるから です。 さらに 、けい語がきちんと使えるし 、 言 葉も選ん で使え るから です。 父 は 、 人 と 話 を す る 時 に 、「 相 手 に 分 か り や す く 伝 え る 事 」「 な る べ く 簡 単 に 説 明 す る 事 」、「 相 手 が 知 っ て い そ う な言 葉 を 使 う 事 」 に 気 を つ け て いるそ うです。 ぼ く は 、 言 葉 の 豊か さ を 生 み 出 す も の は 、 知 識 がある 事と、 相手への 思いや りだと 思います 。 ぼ く が 自 分 な り に 出 来 る 事は 、 本 を た く さ ん 読 ん で 、 多 く の 言 葉 を知 る 事 、 け い 語 や け ん じ ょ う 語 を 学 ぶ 事 、 そ し て 、 相 手 に 分 か り や す く 伝 える よう にする 事です 。 戦争が起きないよう にするには 六年一組 (竹口 理子 ) 私 は戦争 につい て思った 時、昔 の戦争 は、 第二次世界大戦のように侵略戦争があると聞いた けれど、最近の戦争は同じ国の人同士が戦ってい る と い う ふ う に 聞 い た こ と が あ り ま す 。な ぜ そ の ような戦争が起こるかというと、一つの国に民族 や 宗教と いう考 え方のち がう人 たちが 一緒に住 み 、 それぞれの人たちが、おたがいに自分たちを守ろ うとするためだそうです。日本にいると、そんな こ と は ほ と ん ど 考 え る こ と は な い け れ ども 、 同 じ 国の人 たちが 戦争に よって殺 し合う という ことは 、 私 に と っ て 非 常 に 悲 し い こ と で す 。 戦 争 が 起き な いようにするには、その国の人達が安心して暮ら せる場所ができ、まわりの国、みんなが積極的に 支 えることが 大切だと 考えます 。【 工夫した点】最 後に「 ~と考 えます 」で終わ らせた ところ 私にとっての『平和』 六年一組 (倉橋 里奈 ) 私に とっ ての 平 和と は、 安全 で暴 力も 無 いこ とだと思 います。 例えば、 安全でない と事故に あったり 、最悪の 場合は死 んでし ま うからで す。私に とっての 安全とは 、人 々がル ールを守 り、思い やりの心 を持つこ とだと思 います。 私は、昔の ことはよ くわ か ら な い け ど 、「 平 和 の と り で を 築 く 」 を 読んで原 爆のこと を知りま した。も しとつ ぜ ん爆弾が 落とされ たら、私 だったら必 死 に走っ て逃げま す。でも 、たくさ んの人が 死んでい たら、怖く て走れま せん。も しそ んな ことがあ ったら、 生きてい くのもつら いと思い ます。実 際に原爆 を落とさ れた人 は、病気になって亡くなってしまいました 。 現在は 、核兵器 を使わな いという ルールが あるので 、各国がそ れを守る ことだと 思い ます 。次に、 暴力があ ると、人 々が傷つい たり、ぎ せいにな ったりし ます。最 近テレ ビ でよく聞 くのは「 いじめ」 という暴力で す。い じめは口 の暴力で もあり、 体の暴力 でもあり ます 。 もし私が いじめ られた ら 、 多分 だれにも 相談でき ないと思 います。自 分の中で 色々なこ とを考え て自殺し ている 人 もいると 思います 。そうなら ないために は、み んなが人 を思いや る心を持 って、い じめられて も誰かに 相談でき る強い心 を持 つこ とだと思 います。 たとえ、 思いやりの 心や強い 心を持っ ていても 、いじめ や暴力 は 続くと思 います。 それでも、 だれかがそ れに気 づいて助 けてあげ られるか もしれま せん 。だ から 、私 にと って も平 和 とは 、安 全で 暴力 もな い こと です。 【 工 夫 し た 点 】 暴力 の こ と の 例を 挙げたと ころ 大智 ) わたしたち の生活と平和 六年一組(鳥飼 ぼくにとって「わたし たち の 生 活と 平 和 」と は 、「 家 族で ご飯を食べたりすること」だ と考えます。なぜなら家族は 大事だと思うからです。ぼく はずっと昔に一人でご飯を食 べたことがあります。その時 はとてもさびしかったです。 会話をすることもなく、ただ 一人で食べました。その時家 族の大切さを知りました。も しかしたら「一人でも全然さ びしくないじゃないか」と思 う人がいるかもしれません。 もしそう質問されたら、絶対 に自分 はこう 言うと思 います 。 「家族がいなかったらどうす る」と。家族がいなければた だ一人で何かをするだけ、そ んな一人の生活で す。では家族がい た らどうで しょう 。 例えば、学校に行 っ て 帰 って き た 時 、「 今 日 はこ んなことがあった!」と言え るし、ご飯もみんなでしゃべ りながら食べることができま す。このように、家族がいる かいないかで大きなちがいが で ま す。 だ から 、「 わ たし た ち の生 活 と 平和 」 とは 、「家 族 で ご飯を食べたりすること」だ と考え ます 。 【工夫し た点 】 予想される反論に対して「自 分はこう言う」と書いたこと
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