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沖縄の学力問題への再生産論的アプローチ
西本, 裕輝
琉球大学教育学部紀要 第一部・第二部(54): 359-371
1999-03
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/handle/123456789/1842
沖縄の学力問題への再生産論的アプローチ
AStudyofAcademicAchievementinOkinawa
FocusingonReproductionTheory
西本裕輝(NISInMOTO,Hiroki)
(琉球大学法文学部)
Thepurposeofthispaperistoinvestlgatetheinfluenceofculturalreproductiononacademic
achievementofstudentsinOkinawa・
Thefonowingresultswereobtained.
(1)Culturalcapital,suchasmanner8andfather,seducationalcredentials,haseffectontheaca‐
demicachievementsofstudents.
(2)ContemporaryJapanandOkinawaarenotasocietyofmeritocracy・
InSummary,thispaperclarifiedthatstudentsfromOkinawaandculturaUydisadvantagedfamilies
stillunderachieveinschools.
はじめに
ているのではなく、低学力を核としてリンクして
沖縄県における低学力が問題として指摘されて
いるとも考えられる。これは沖縄が長年抱えてき
久しい。しかしながら、県外との学力格差は、以
た大問題であると同時に、教育学や社会学におい
前より縮小してきているとはいえ、未だ存在する
ても重要な研究課題であると思われる。
と言わざるをえない。沖縄県で行われている学力
これまで、県外との学力格差を生じさせる要因
テストでは、いずれの学校段階においても県外に
は何かといった視点から、様々な仮説が提示され
比べて得点が軒並み低いという結果が報告されて
てきた。経済的要因説、収束力仮説、就職志向仮
いる。例えば、大学入試センター試験の結果は、
説、言語生活要因仮説などである(東江他1982,
平成9年度で全国平均565.4点に対し、県平均526.
大膳1991,芳澤1993など)。もちろん、これら
8点となっている(沖縄県教育委員会1997)。ま
たそうした状況に関連して、大学・短大への進学
すべての仮説を完全に否定するつもりはないが、
率が全国最下位(全国平均40.7%、県平均26.2%)、
きものを提起したい。文化的要因といった観点か
高校進学率も全国最下位、学業不振と関連すると
ら沖縄の学力問題を考察した研究はこれまでにな
思われる高校中退率が全国1位、低進学率がもた
く、本研究の独創的な点の一つである。
ここでは新たに「文化的要因仮説」とでも言うべ
らす低学歴の問題とも関連するであろうが、失業
率もまた全国1位(全国:全体4.3%、男性4.4%、
女性4.3%、県:全体9.2%、男性9.7%、女性8.5
後ほど詳しくふれるが、ここでいう文化的要因
仮説とは、社会学で「文化的不連続説」
(Bernstein,B、1971)や「文化的再生産論」
%)である。さらに、いじめ、不登校といった教
(Bourdieu,P、1979)などで知られる、いわゆる
育問題も、これらの問題と並列して議論すること
再生産論に依拠している。特にプルデューは近年、
ができよう。
我が国でも注目され、宮島・藤田他(1991)、片
こうしたことから、沖縄県の子どもたちは、単
岡(1992;1998)、Ishida,H・(1993)、宮島他
に学力の格差というだけではなく、それに関連す
(1995)、苅谷(1995)など、関連する研究も数多
る様々な問題を抱え、厳しい状況にあると言えよ
く発表されてきている。こうした研究は階層問題
う。こうした様々な問題はそれぞれ単独で存在し
やマイノリティー問題といった、いわゆる不平等
-359-
琉球大学教育学部紀要第54染
問題の文脈の中で論じられることが多いが、筆者
う幻想」があるように思われる。
はこうした研究と同様の枠組みを用いることによ
り、沖縄の学力問題を考察できるものと考える。
(2)メリトクラシーの社会という幻想
とするならば、これは何も沖縄のみの問題ではな
今日、日本はメリトクラシーの社会であると言
く、得られた成果は階層問題などにも還元できる
われている。メリトクラシーとは、社会学の用語
で「業績主義」のことであり、メリトクラシーの
ものであると言えよう。
以上のような問題関心から、本研究では、調査
社会とは、どのような家庭に生まれるかよりも、
結果や社会学の理論を用いて、学力格差を生み出
個人の「メリット(能力+努力)」によって成功
す要因について考察し、問題解決へ向けての方向
の機会が与えられる社会のことである。したがっ
性を見出すことを目的とする。
て、ある地位が世襲によって相続されたりするよ
うな、いわゆる封建社会や階級社会とは根本的に
1.学力問題への再作塵論的アプローチ
異なる。日本はメリトクラシーの社会を目指し、
教育の機会を均等にするため、学校を増やし、教
(1)なぜ学力差は生じるのか?
沖縄の学力問題について考察する前に、そもそ
育を広く行きわたらせることによってそうした社
もどうして学力に差が生じるのかについてふれて
会を実現し、学校教育はそれに大きく貢献してき
おきたい。なお、最近では「新しい学力観」など
たと言える。
学力の定義自体が変わりつつあるが、議論が拡散
しかしながら、もしメリトクラシーの社会が実
するのを避けるために、とりあえずここでは学力
現されているのであれば、例えば未だに我が国に
を「試験などによって測ることのできる能力(=
おいて同和地区の子どもの学力が地区外の子ども
に比べて低いのはなぜだろうか。沖縄の子どもの
学業成績)」と定義しておきたい。
以前筆者は、琉球大学の学生を対象として簡単
学力が県外に比べて低いのはなぜだろうか。我が
な調査を実施した。「学力にはどうして差が生じ
国とほぼ同様の教育システムを持つアメリカにお
ると思いますか?」という問に対して、IQ、遺
いて白人よりも黒人の学力が低いのはなぜか。イ
伝、能力、努力、適正、個性、やる気、興味、好
ギリスやフランスにおいて中産階級の子どもより
奇心、要領のよさ(ずる賢さ)、性格、環境(親、
も労働者階級の子どもの学力が低いのはなぜか。
家庭など)、経済力、運(テストのヤマが当たる、
能力が低いのか、努力が足りないのか。答えは否
よい教師にめぐり会うなど)、記憶力、自信、人
である。ここにメリトクラシー的視点の限界が浮
間関係、遺伝十環境(輻轄説)、以上様々なもの
き彫りになるのである。
が影響を及ぼすという複合的要因、などなど、回
答には実にばらつきがあった。これらが社会一般
(3)再牛塵論
にとらえられている学力格差の要因と言えるかも
我が国の学力問題を考える際、メリトクラシー
の視点だけでは不十分であると言ったが、ではそ
しれない。
しかしながら、本研究では、それらすべてを否
れを補いうるものは何か。それが再生産論である。
定するわけではないものの、極端に言えばどれも
ここではまずバーンステイン(Bernstein,B
採用しない。結論を先取りすればその要因は「文
1977)とプルデユー(Bourdieu,P、1979)の再
化」ないしは「文化資本」である。もちろん文化
生産論について簡単にふれておきたい。
以外のものがすべて無力であるということを述べ
イギリスの社会学者、バーンスティンは、限定
ているわけではない。ただこの要因がこれまで見
コード(restrictedcode)と精密コード(elabo‐
落とされがちであり、にもかかわらず非常に大き
ratedcode)からなるコード理論を用いて、中産
なウエイトを占めているものであるということか
階級の子どもと労働者階級の子どもとの間に存在
ら注目したいのである。
する学力格差について考察している。
いずれにしても、以上にあげられる様々な学生
それによると、労働者階級の子どもたちの用い
の回答の背景には、「メリトクラシーの社会とい
る言語が複雑な構文を用いず文よりも単語に近い
-360-
西本:沖縄の学力問題への再生産論的アプローチ
単純なものであり、状況に依存した限定コードで
い、基本的生活習`慣、趣味、教養、態度、学歴、
あるのに対して、中産階級の子どもは従属節や副
資格、書物、絵画などのことである。高学歴の親
詞節をふんだんに用いた複雑な構文を駆使し、形
を持つほど、伝達される文化資本は高度であり、
容詞や副詞の数も多く、状況から独立した精密コー
学校教育との共通性、親和性、親近性が高いと言
ドを用いている。そして、限定コードの使用は学
える。子どものころから文字文化になじみ、美術
校での成功に不利であり、コードの使用の違いが
や音楽の世界に親しんだ経験を持つ子どもたちは、
学校での能力の違いとして現れると指摘している。
学校でも高い学業成績をあげやすく、したがって
ちなみに「状況に依存している言語」とは、同
高い学歴を獲得する機会も多くなる。最近の社会
じ場面を体験していなければ意味が通じない言語
学では、経済的不平等を取り去った後にもなお残
のことであるのに対し、「状況から独立している
る要因として、文化的不平等に注目が集まってい
言語」とは、同じ場面を体験していなくても意味
る。
が通じる言語のことである。例えば、「僕はきつ
そしてそうした状況は我が国においても見られ
ねだ」という言葉は、状況から独立しているとは
る。日本においても再生産論に基づく実証研究が
言えない。「友達と二人でうどん屋さんに行って、
行われ、その結果、「社会階層と教育」の問題は
友達はたぬきうどんを、僕はきつねを注文した」
必ずしもすでに解決しているわけではないことが
となれば、状況から独立していると言える。
明らかになってきた(例えば、Ishidal993,片
要するに、労働者階級の子どもは家庭において
岡1992,宮島・藤田1991)。むしろ最近の社会学
親から伝達される言語コードが限定コードである
においては、問題が見えにくくなっているだけで、
ため、学校で成功するのが難しく、子どもの代に
依然として階層問題(不平等問題)は存在してい
なってもやはり労働者階級のままであるという親
るという見方が一般的である。例えば、苅谷
から子への再生産が半永久的に繰り返されるとい
(1995)では、東大生の保護者の職業が上層ノン
うことである。これではいくら学校教育を拡大し、
マニュアル(医師、弁護士など)に著しく偏って
教育機会を保障したとしても、結局は地位が世代
いることが指摘されている。また西本(1998a)
的に再生産されるだけであろう。
では、家庭の持つ文化と学校での成功が大きく結
もう一つ、ブルデューの再生産論について簡単
びついている可能性が示唆されている。
にふれておきたい。子どもは親から三つの資本を
これらの再生産論が明らかにしていることは、
相続する。「経済資本」「社会関係資本」「文化資
学校による教育の平等化の失敗である。学校は整
本」である。親から子どもへと再生産される資本
備されたものの、結局大きな階層移動はなく、家
は、子どもの学校における成功(特にアカデミッ
庭に蓄積された文化資本が学力に、また獲得する
クな成功)に大きく関わっている。
学歴に大きく寄与する事態が続く。同じ能力を持っ
「経済資本」とはいわゆる財産などのことであ
ていて同じ努力をしたとしても家庭にストックさ
り、金銭的なものはこれに含まれる。経済的に余
れている文化資本の差により、やはり学力差は生
裕のある親は子どもへの教育投資をより多く行う
じる。<能力+努力>によって学力や学歴が決ま
ことができる。子どもはそれだけ塾へ通ったり、
るとするメリトクラシーの視点だけでは不十分な
私立の中高一貫枚へ通ったりすることが可能とな
ことが容易に理解されるであろう。
また先ほど、経済的要因を取り去ってもなお残
り、学校の成績もよく、結果的には進学、学歴取
る要因が文化的要因であると言ったが、具体的に
得に有利となる。
「社会関係資本」とはいわゆるコネのことであ
は国の補助金制度や奨学金制度があげられる。例
り、特に社会へ出てから親の地位を引き継ぐ時に
えば、同和地区の子どもには教育に関する手だて
役立つ。国会議員の世代的再生産はこれに大きく
が欠如しているということで、その状態を是正す
るため同和対策事業特別措置法(1969)が制定さ
関わっていると言える。
ブルデューが最も重視しているのが「文化資本」
である。それは親から伝達されるマナー、言葉遺
れ補助金制度なども整備されたが、結局、事態を
打開するまでには至らなかった。教育に投資する
-361-
琉球大学教育学部紀要第54集
という文化的志向がないところでは、いくら金銭
問いに対しては、「自分が努力しなかったから」
的な援助をしたところで、学力向上には結びつか
「自分は頭が悪いから」などの回答が大部分であ
ないためである。例えば、10万円があったとして、
る。結局、成功しようが失敗しようが問題を自分
一方の家庭ではパチンコに費やし、一方は子ども
の能力や努力に帰依するのである。一昔前のよう
を塾に通わせる。経済的には同じ条件でも、家庭
に、家庭の経済的理由で断念する時代であれば、
の持つ文化が異なれば、その用途は異なるのであ
「経済的に裕福でありさえすれば自分は大学に進
る。こうした議論により、<能力+努力十経済>
学できた」という言い訳の余地があった。現在で
といった図式もまた不十分であるということがわ
はほとんどの親が、「お金なら何とかするから行
かる。したがってここで採択したいのはく能力+
けるものなら行きなさい」という考えを持ってい
努力十経済十文化>図式とでも言うべきものであ
るので、そうした言い訳もきかなくなる。そのこ
る。
とがメリトクラシーという幻想をますます増大さ
ちなみに、数々の文化的再生産論に依拠した研
せている可能性がある。
究では、家庭の持つ文化を測定する際、具体的に
いずれにせよ、文化的要因がかなり大きいとい
は「美術館に行く」「博物館に行く」「クラシック
う数々の調査結果が出ているにもかかわらず、依
のコンサートに行く」などの項目をよく用いる。
然として受験生や大学生はメリトクラシーの幻想
こうした項目からなる文化を「正統文化」と呼び、
に惑わされているのである。
文化的に高度であるとされている。一方、「パチ
ンコに行く」「マージャンをする」などの項目か
らなる文化は「大衆文化」と呼ばれる。
(4)にもかかわらず隠蔽された階層問題
ここではこれ以上詳しくはふれないが、階層問
題を隠蔽するシステムについては苅谷(1995)を
参照されたい。
2.沖縄の特殊事情~沖縄の学力はなぜ低い
我が国が不平等の存在する階層社会であり、そ
か?
れを生み出すのが文化的要因であることを指摘し
(1)沖縄は階層社会か?
てきたが、にもかかわらずそうした問題が一般に
日本が階層社会であるならば、沖縄県もその例
とりあげられることはあまりない。苅谷(1995)
外ではないのだろうか。県外の状況と同じように、
も指摘しているように、我が国では学歴を取得し
文化的要因(親の学歴や進学期待など)による不
た後の不平等については問題にされることが多い
平等が存在するのだろうか。筆者は以前、沖縄の
が、学歴を取得する前の不平等については不思議
高校生を対象とした調査のデータを統計的に分析
と問題とされないのである。「一億総中流意識」
することにより、そのあたりの問題を検証した
という言葉に象徴されるように、大多数の日本人
(西本1998b)。その結果、沖縄においては家庭
は自分自身の生活レベルを中流もしくはそれ以上
環境と高校生の進路選択は大きく関連しており、
とみなしている。欧米であればともかく、我が国
階層的な格差が存在する、その格差は学校により
には社会階層に由来する教育問題なるものは、も
平準化されるどころかより広げられている、とい
はや存在しないという意識があり、それが常識と
うことを受けて、沖縄も再生産の存在する階層社
なりつつある。
会である、という結論を導いた。
したがって、筆者が琉球大学の学生を対象とし
つまり、以上でふれてきた我が国における状況
た調査では、「あなたが大学に合格できたのはど
は、特別なものではなく、不平等、再生産といっ
うしてだと思いますか?」という問いに対して、
た事態は、我が沖縄県においても見受けられるも
返ってくる答えは「自分が努力したから」「自分
は頭がいいから」「一生懸命勉強したから」といっ
のなのである。
西本(1998b)で詳しく述べているので、これ
たものである。また、第一希望の大学に行けなかっ
以上はふれないが、参考までにバス解析の結果を
た学生に対して「あなたが希望の大学に合格でき
示しておく。
なかったのはどうしてだと思いますか?」という
-362-
西本:沖繩の学力問題への再生産論的アプローチ
、121**
性別
R=-60と
母進学期待
、6
兄弟姉妹数
母職業
、088*
ムュ3
進学先
(R=558**)
図1)進路選択の規定要因のパス・ダイアグラム
(2)沖縄県の現状
参考までに、沖縄の厳しい現状を具体的なデー
沖縄県内にも階層間の格差があるということを
タによりさらに確認しておきたい。経済企画庁が
確認したが、県外とも様々な格差は存在する。先
ほどもふれたが、大学・短大への進学率(全国最
毎年実施している調査がある。「住む」「働く」
「学ぶ」などの項目についてそれぞれ県別の順位
下位)、高校への進学率(全国最下位)、高校中退
が算出されるのであるが、新聞にも掲載されるの
率(全国1位)、失業率(全国1位)、県民平均所
で目にしている方も多いであろう。それが「新国
得(全国最下位)と、残念ながら県外との格差は
民生活指標」である。表1は、「学ぶ」に関する1
大きいと言わざるをえないのが現状である。後ほ
5の項目の標準化指数(全国平均が50.00になるよ
ど詳しく述べるが、文化の側面から述べるならば、
うに設定されており、人口による格差も標準化し
27年間の文化的断絶もまたそうした現状にさらに
たもの)を示したものである。
拍車をかけている要因の一つであると言える。
-363-
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(1996)
(1992)
欝座数
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(1993)
成人一段学蔵
社会教育関係
学習研究時HU
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※全国平均が50.00になるように算出
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(1995)
(1996)
(1997)
進学希望生徒散
定時制高校数 大学院進学率
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大学入学者数/
表1)[学ぶ]標準化指数(平成10年)
大学等進学率
学生数
啓籍・雑誌
図啓館数
図翻flfl者数
博物館数
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西本:沖縄の学力問題への再生産論的アプローチ
全国平均が50.00であるから、沖縄県は軒並み
である(琉球大学学生部1998など参照)。
全国水準を下回っていることがわかる。特に「大
学入学者数/進学希望生徒数」「大学等進学率」
また注目したいのは、「図書館数」「博物館数」
である。これらの数値が全国平均を下回っている
の項目の数値が低い(20.28,29.85,ともに最下
ということは、県民一人あたりに確保されている
位)。先ほど示した実際の進学率の差を見ると
図書館や博物館の数が県外に比べて少ないという
「大学等進学率」が低いのは頷けるであろう。
「大学入学者数/進学希望生徒数」の数値が低
ことである。先ほどもふれたが、図書館や博物館
といったものは文化的再生産論から見ると重要な
いのは、希望しても大学へ進学できない生徒(高
文化資本である。そうしたいわば地域の文化資本
校生)の割合が高いことを示している。進学を希
が不足していると、たとえ家庭に図書館や博物館
望するのに大学へ行けないというのはどういうこ
に行くという文化的素地があったとしても、それ
とであろうか。県内に大学が不足していて、定員
を実際に行動に移すことは困難である。行政側の
を満たしきれないということなのだろうか。いや、
課題と言えるかもしれない。
そうではない。県内には7つの大学・短大があり、
むしろ定員は十分用意されている。ではなぜか。
県外からの流入組に押されているのである。
沖縄は、学校施設の整備状況はほぼ全国水準に
達していると言える。校舎の達成率や屋内運動場
の設置率、水泳プールの設置率、パソコン設置率
高校入学の時は、いわば県内だけの競争ですむ。
等、ほぼ全国水準並みか、もしくは上回っている
ところが大学進学となると県内はもちろんのこと
ほどである(沖縄県教育委員会1997参照)。この
県外との競争も加わる。現状を考えた場合、沖縄
意味では、学校側のハード面は充実してきている
県の高校生が県外の高校生と互角に渡り合えるだ
と言えるであろう。しかしながら、学校の周辺部
けの学力は残念ながらまだない。琉球大学の場合
(地域)のハード面は、表1からすると残念なが
で言えば、国立になってから県内の出身者が5割
ら、まだまだ充実しているとは言えないようであ
を超えたのはつい最近のことで、平成4年度から
る。
-365-
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※全国平均が50.00になるように算出
費やす
働く
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住む
表2)PLI(豊かさ指標)試算結果一覧表(平成10年)
癒す
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西本:沖縄の学力問題への再生産論的アプローチ
次に表2は、表1の項目をさらにまとめたもの
さらに別の表現を用いて沖縄の現状をとらえて
である。表1の15項目〈サブ項目)の総合が表2
みたい。ここでは新たに沖縄の現状を示す用語と
の「学ぶ」の項目(43.76)と解釈してよい。も
ちろん、表2のその他の項目である「住む」や
「費やす」についても、それぞれ15前後のサブ項
して、「二重の階層性」という概念を提起したい。
とはすでに述べた。それは少数のトップが存在し、
目が存在するのであるが、便宜上それらの表に関
下に行けば行くほど多数になっていく、いわゆる
しては省略している。
ピラミッド構造(ヒエラルヒー)をなしている。
県内が格差の存在する階層社会であるというこ
表を見ると、やはり「学ぶ」の項目では全国最
ところが沖縄県自体は全国から見れば、経済的に
下位である。「働く」の項目も失業率の高さなど
も文化的にも学力的にも下位に位置していると思
の影響で最下位である。その他「癒す」の項目以
われる。次に示す図2はその概念図である。内側
外はどれも平均を大きく下回っており、あらゆる
のピラミッドが沖縄県、外側が県外を示している。
面から沖縄のかかえる問題の深刻さがうかがえる。
八
(3)経済的要因の存在
アメリカの社会学者、トロウ(Trow,M1971)
は、大学在学者が15%未満である社会を「エリー
ト型」、15%以上50%未満の社会を「マス型」、大
学在学者50%以上の社会を「ユニバーサル型」と
呼んでいる。社会が経済的に安定してくるにつれ
て、全体的な底上げがなされ、進学率も上がって
くるという指摘である。
図2)社会的階層性の概念図
この定義によると、現在の日本はどの段階にあ
ると言えるだろうか。おそらく「マス型」から
「ユニバーサル型」への移行段階と言えるだろう。
この図から明らかなように、沖縄から日本にお
そこでは経済的要因の影響は徐々に少なくなりつ
けるトップに立つためには、まず沖縄県内のヒエ
つあり、経済的要因が解消した後の文化的要因に
ラルヒーのトップに立ち、さらにその後、日本の
注目が集まる段階であり、いわば「文化的要因」
ヒエラルヒーのトップまで登らなければならない。
への移行段階である。
県内のヒエラルヒーのトップに立つことと、日本
それに対し、沖縄はどうであろうか。「エリー
のトップに立つこととの間にそれほど差のない県
ト型」から「マス型」への移行段階ではないだろ
外の状況と比べると、沖縄では二段階になってい
うか。経済的要因が未だ大きく効いている段階で
る分ハンディがあると言える。換言すれば、沖縄
ある。先ほど見たように、確かに沖縄の経済状況
からトップに登るためには二つの障壁を突き破る
は厳しいものと言わざるをえない。つまり、県外
必要がある。そうした状態をここでは「二重の階
では進学や学力を規定する経済的要因が解消され
層性」と呼びたい。
たうえでの新たな段階である文化的要因へと移行
なお、誤解のないよう断っておきたいのは、こ
しつつあるのに対し、沖縄ではく経済的要因十文
こでは沖縄の文化が劣っているということを述べ
化的要因>という段階を未だ脱していないという
ているわけでは決してないということである。そ
ことである。未だ経済的要因を解消できない段階
もそも文化に優劣をつけるということ自体ナンセ
にあるので、経済的要因を解消したとしても次に
ンスである。どこの文化であろうとそれぞれすば
は文化的要因が迫ってくるという、より深刻な状
らしいのであって、日本の文化よりも東南アジア
況なのである。
の文化の方が劣っているとか、日本の文化よりも
西欧の文化の方が優れているとかいう見方自体存
(4)「二重の階層性」の存在
在するものではない。たまたま中央(沖縄のこと
-367-
琉球大学教育学部紀要第54集
ぱで言えば「本土」)の基準で作られた今のカリ
の中で生き抜くためには、人々は互いを支え合い、
キュラムから見れば不利な状況におかれていると
助け合わなければならなかった。そこで生まれた
いうだけのことである。中央の基準で作られたカ
のが、処世の術としての「親和性」の文化である。
リキュラム、中央の基準で測られる文化、学力と
そしてそれは、学校の持つ競争主義的、業績主義
いう点から見れば、沖縄は下位に位置づけられて
的文化とは並存することが難しい。その結果、地
いるということを意味しているのである。
区の子どもは学校不適応になりやすく学力も伸び
ないという、文化的不連続説に依拠した指摘であ
(5)沖縄で培われた文化
る。
では、具体的に「沖縄の文化」とはどのように
沖縄にも助け合わなければ生きていけないとい
とらえることができるだろうか。それは一言で言
う、酷似した状況があったのではないか。質は大
えば「相互扶助」「相互協力」の精神の根ざした
きく異なるが、沖縄の歴史もまた厳しいものであっ
文化であると言えよう。「親和性の文化」とも言
たと言える。例えば、台風や干ばつにより作物も
えるかもしれない。沖縄に現在でも残る「ユイマー
育たなかった食糧難の歴史。薩摩、幕府、アメリ
ル」や「モアイ」という習慣は、そのよい例であ
カと引き継がれた長い占領の歴史。その中で培わ
る。
れたのが、互いに助け合い協調しようとする「親
また、そうした精神は、赤い羽根募金、阪神大
和性」の文化ではなかったか。そしてそれは現在
震災への義援金など、様々な募金活動にも表れて
の学校文化と相容れないものではないか。とすれ
いる。沖縄県の募金の総額は、赤い羽根募金の場
ば、現在の日本の学校システムの持つ問題も含め
合、九州地区では常にトップであり、全国でも5
て、検討する必要があると言えよう。
位以内に入るほどである。県民の所得が全国で最
下位ということを考えると、それは驚異的なこと
(6)沖縄の学力はなぜ低いか?
である。こうした背景にはやはり、他人が困って
今さら述べるまでもないかもしれないが、沖縄
いるのを放っておけない、助けなければ気がすま
の学力問題は文化的再生産論の立場から考察でき
ない、相互扶助の精神があると言えるのではない
ると筆者は考えている。ここでこれまでの議論を
だろうか。こうした沖縄で培われた文化は、大い
まとめる形で、文化をキー概念にして、沖縄の学
に誇りに思うべきものであって、当然ながら決し
力の低い理由について改めて述べておきたい。
て非難されるものではない。
第一に、やはり大きいのは「27年間の文化的断
ところが、現在の学校を支配している文化はど
絶」であろう。ただでさえ中央に比べ地方という
のようなものか。残念ながらそれは、極端に言え
のは不利になりやすい。標準語がグレードの高い
ば、他人を蹴落とすことにより自己の保身を図ろ
ものとみなされ、方言の評価が低いということも
うとする競争主義的、業績主義的なものではない
その一例である。カリキュラムも中央の基準で作
か。「地域に残る親和性の文化」対「学校を支配
られたものであるから、当然地方は不利となる○
する業績主義的文化」、それらは相容れないもの
そのうえのアメリカ占領下におかれた27年間であ
である。この対立構図により沖縄に学校というシ
る。中央対地方という状況もあいまって、県外と
ステムが馴染まず、それが学力が向上しない理由
の学力格差が生じるのは文化的不連続説の立場か
であるという見方も可能なのではないだろうか。
らも容易に理解される.
それでは、なぜ沖縄には相互扶助の精神、親和
第二に、それと関連するが、現在の学校制度が
性の文化が根づいたのであろうか。筆者は以前、
始まってから本土では50年余り、沖縄ではたかだ
同和問題を扱っていたことがあるが、そこからヒ
か四半世紀である。このことから沖縄には制度が
ントを得たアイディアを示しておきたい。
まだ馴染んでいないという可能性もある○
今津・浜野(1991)は、同和地区の低学力の要
因を、地区の持つ「親和性」の文化をキー概念と
第三に、沖縄で培われた「相互扶助の文化」
「親和性の文化」である。そうした地域に根ざし
して説明している。すなわち、厳しい差別の歴史
た文化は、競争主義的・業績主義的学校文化とは
-368-
西本:沖縄の学力問題への再生産論的アプローチ
相反するものである。これは理論的には文化衝突
ただし、-つだけ危倶していることがある。そ
(Willis,P、1977)という概念で説明がつくであ
れは学力向上を目指すあまりかえって沖縄のよさ
ろう。
が失われるのではないかということである。学校
第四に、「高度とされる文化資本の不足」であ
文化への迎合、競争主義的価値への同化、それは
ろう。これは家庭においても地域においても同様
すなわち沖縄が育んできた「相互扶助の文化」を
である。先ほども述べたが、それは沖縄の文化が
失うことにつながるように思うのである。
劣っているということを述べているわけではない。
学力の向上というただ一つの価値規準からする
地域の文化資本の不足では、先にあげたように図
と、文化資本を充実させるといったような対策は
書館や博物館の不足があげられる。これは沖縄が
正しい。しかしながら、それと引き替えに沖縄の
財政難であることに原因の一端があるわけであり、
よさが失われるのであれば本末転倒である。関係
経済的要因とも大きく関連している問題であると
者の方々には、どうかこの調子で学対を続けてい
も言える。例えば、公園ならば作ってしまえば維
ただきたいとエールを送る気持ちがある一方、そ
持費もかからないので作りやすいが、図書館や博
のあたりは十分留意いただきたいものである。現
物館になると作った後にも維持費でかなりのお金
在の文化資本の高低を設定しているのは本土の基
が必要であるので作るのが難しいという事情があ
準であるという、ある意味で冷静な態度もまた必
るようである。とにかく、中央の基準で作られた
要なのではないだろうか。
カリキュラムが続く以上、この悪循環は当分解消
3.現実的な処方菱
されそうもない。
第五に、その「経済的要因」である。現状では
(1)下からの改革の限界
教育投資にはどうしてもお金が必要である。しか
沖縄の学力が低いという事実やそれが生じる原
し県の所得は低い。その意味では沖縄は、県外に
因はわかったし、文化的にも経済的にもかなり厳
比べ経済的要因がまだ残っている社会であると言
しいことも理解できた。それでは今後どうするべ
える。
きなのか。
第六に、継承される文化資本により今もなお構
学対においても様々な取り組みがなされ、ある
築されている「二重の階層性の存在」である。日
程度効果を発揮してはいるが、格差を完全に解消
本も沖縄も階層社会であり、かつ日本の中で沖縄
するまでには至っていない。このことは一つには、
は下位に位置づけられている現状も、悪循環によ
個人レベルないしは県レベルでの対応、いわゆる
り当分続くと思われる。
下からの改革には限界があるということを示唆し
以上六つは互いに大きく関連し合っていると思
ていると思われる。これまで順調に格差を縮小し
われるが、文化という観点から沖縄の現状を解く
てきてはいるが、これが今後も続く保証はどこに
もない。沖縄のおかれている現状を見るとむしろ、
と、主にこれらの要因があげられる。
ある程度までは縮まるが壁にぶつかる時が来るよ
(7)「本土並み」は望ましいことか?
うに思えてならない。
これまでの沖縄の学力向上の取り組みを見てみ
ではどうするか。下からの改革だけではなく、
ると、その合い言葉としてよく出てくるのが「本
上からの改革(政府レベル、国レベルの改革)を
土並み」である。「本土並みの学力」を身につけ
行う必要があろう。
ることが当面の課題とされているのである。
(2)期待される教育改革ではあるが・・・
不平等の観点から言えばそれはそれで望ましい
ことであるし、県の施策としては悪いとは思わな
これまで上からの改革がまったくなされていな
い。むしろ、現場の取り組み、努力には頭の下が
かったわけではない。むしろ様々な改革がなされ
る思いである。もし学力向上対策(いわゆる「学
期待されてもいる。学校のスリム化を目指して
対」)を行っていなければ、今よりもはるかに格
「学校5日制」が導入されたり、受験教育からの
差が広がっていたことは容易に想像がつく。
脱却、個性重視の教育が叫ばれ「新しい学力観」
-369-
琉球大学教育学部紀要第54集
が生まれ、この度6月に出された中教審答申では
(3)入学定員の制限
「心の教育」が一つのテーマとして取りあげられ、
このように事態を打開するような抜本的な改革
7月の教課審答申では、カリキュラム改革と称し
はなかなか期待できない。今後も現状を変えるよ
て「総合的な学習の時間」「教育内容の厳選」が
うな改革は難しいように思われる。そこで今の制
提起されている。
度の中でも十分可能な対策、それを提起したい。
しかしながら、改革なので誰も悪くしようと思っ
教育社会学の分野でよく言われている(例えば
ているわけではないのだろうが、実際はいじれば
藤田英典氏によるもの)対策の一つが「入学定員
いじるほど悪くなっているようにも思える。学校
の制限」である。例えば、同じ高校から東大へ入
5日制が始まって、少しは学校の負担も減少する
学できる人数の上限(例えば10人)を設定する。
と期待されていたが、休みの土曜日に学校の校庭
それは開成、ラサール、灘といった難関校から東
を会場として催される地域の行事に、結局は教師
大へ入学できる定員を制限することにもつながる。
がかり出きれたりしている。
現状では東大はこうした難関校の寡占状態である
「教育内容の厳選」は、教育に投資する層とし
と言っても過言ではない。そしてそれらの難関校
ない層との間の格差をますます広げることになり
に入学するためにはかなり早い時期からの受験準
かねない。これは学校5日制の導入により、進学
備が必要であるし、中学校受験や小学校受験のた
校ではますます勉強時間が増え(たとえば土曜日
めの競争など、いわゆる競争の低年齢化を引き起
に塾に通う生徒が増えたり、私立の中高一貫校な
こす。経済的にも余裕がなければならないだろう
どは土曜日に休まなかったりして)、学力格差が
し、地方からそうした難関校に通うことは困難で
広がるという議論と多少似ている。学校で教えら
ある。
れる内容が減らされることと、入試に出題される
しかし定員が制限されれば、なにも無理してそ
内容が減らされることとは少し違うので、応用問
うした難関校に入学する必要はなくなる。そうな
題として入試に出された台形の問題(台形は今回
れば、早い時期からの競争は減少するだろうし、
の答申では、小学校でも中学校でも教えないこと
地域による格差も是正されるであろう。アメリカ
になっている)を、塾で習った子どもだけが解答
ではすでに行われていることであるので、我が国
できるという事態は当然考えられ、今までよりも
で不可能なはずはない。ただ、この改革もトップ
格差は広がるということである。
から行わなければ意味がない。具体的にはヒエラ
「新しい学力観」にも落とし穴はある。一見、
反論の余地を残していないようにも思われ、理念
ルヒーの頂点に位置する東大、京大、早稲田、慶
応といった大学から行わなければならないだろう。
としては確かに理解はできる。しかし、例えば今
その結果、全国的には、絶対的な学力は-時落
までの一元的な評価をやめ多元的な評価を取り入
ち込むことになるかもしれない。しかし定員の制
れようということで、入試で面接が今以上に重要
限により地域による格差が是正されれば、沖縄と
視されたとする。そうなれば、家庭でマナーや礼
しての相対的な学力は向上していくであろう。こ
儀作法を身につけている、いわゆる高度な文化資
のように、絶対的な学力の軸と相対的な学力の軸
本を家庭に持っている子どもの方がはるかに有利
は、別々に考える必要があることを付け加えてお
になる。そうなれば、これまでの「家庭環境を反
く。
映した学力」を評価していることと何ら変わらな
いではないか。いやむしろ、学力テストよりも逆
4今後の課題~調査へ向けて
転の余地ははるかに少なくなるかもしれない。
以上、沖縄の学力問題について再生産論を手が
このように、様々な改革が叫ばれているにもか
かりに論じてきたわけであるが、現段階ではデー
かわらず、不平等の問題は温存され続けているの
タや資料が不足しており、正直なところまだ確信
である。
が持てないでいる。仮説の部分もかなり多く、議
論も大ざっぱなものとなってしまった。そこで今
後必要な作業は、そうした仮説を理論まで高める
-370-
西本:沖縄の学力問題への再生産論的アプローチ
ために、足りない部分をデータや資料で埋め合わ
Bourdieu,Pl979,石井洋二郎訳「デイスタン
せることである。
クシオン」藤原香店。
そこでまず必要なのは、県内と県外に同様の学
Bourdieu,P.&Passeron,J、01970,宮島喬訳
「再生産」藤原書店。
力テスト、アンケート(特に文化の測定を目的と
する)を実施し、データを入手することである。
学力テストの結果分析により、県外との格差は今
なお存在するのか(おそらく存在する)、存在す
るとしたらどの程度なのかを明らかにする。また、
アンケートの結果から、県内と県外を比較した場
大膳司1991,「大学・短大進学率の規定要因
に関する実証的研究-1961~85年における沖縄
県を事例として-」「琉球大学法文学部紀要
(社会学篇)」第33号,91-113頁。
今津孝次郎・浜野隆1991,「「部落』のサプ
カルチャーと学校文化」「名古屋大学教育学部
合、文化的不連続や文化衝突の程度はどのように
異なるのか。さらに、学力テストとアンケート調
査の結果を総合的に分析することにより、そうし
た格差を生み出す要因は何か、どのような過程を
経てそうした格差が生じるのか、その解決策は何
か、を実証的に探っていく必要がある。
そのために今、大規模な調査を予定しており、
準備を進めているところである。その際は、関係
者各位にはぜひ協力頂きたいものである。
紀要」第38巻,419-431頁。
Ishida,H、1993,Socialmobilityincontempo‐
raryJapan,Macmillan・
苅谷剛彦1995,「大衆教育社会のゆくえ」中公
新書。
片岡栄美1992,「社会階層と文化的再生産」「理
論と方法」第11号,33-55頁。
片岡栄美編1998,「文化と社会階層」(1995年
SSM調査シリーズ18)SSM調査研究会。
宮島喬・藤田英典編1991,「文化と社会一差
<謝辞>
本稿は、琉球大学生涯学習教育研究センターリ
カレント講座(主催:沖縄県教育委員会)におい
て講演した内容に基づいている。したがって、本
稿が完成するにあたっては、当日のフロアーから
の質問等にも大いに刺激を受けている。講演の機
会を与えてくださった、芳澤毅先生(琉球大学法
文学部教授、琉球大学生涯学習教育研究センター
長)、大膳司先生(琉球大学生涯学習教育研究セ
異化・構造化・再生産」有信堂。
宮島喬編1995,「文化の社会学一実践と再生
産のメカニズム」有信堂。
西本裕蝿l998a,「学級におけるインフォーマ
ル地位と家庭環境の関連性に関する実証的研究」
日本グループ・ダイナミックス学会編「実験社
会心理学研究」第38巻,第1号,1-16頁。
西本裕蝉1998b,「沖縄県における高校生の進
路選択と家庭環境の関連性一学校の再生産機能
ンター教授)に改めてお礼申しあげたい。また講
に着目して-」「人間科学(琉球大学法文学部
人間科学科紀要)」第2号,59-74頁。
座に参加された沖縄県教育委員会の先生方、現場
の先生方にも感謝の意を表したい。
ただきたいという意図から、表現がやや教科書的
西本裕蝿1998c,「教師の資源と学級文化の関
連性」日本社会心理学会編「社会心理学研究」
第13巻,第3号,191-202頁。
ないしは冗長的になってしまった。お詫びしたい。
沖縄市教育委員会1997,「学力向上のあゆみ」。
主要参考文献
琉球大学学生部1998,「平成9年度学生生活実
態調査報告書」。
また本稿は、できるだけ多くの方々に読んでい
康治・詫摩武俊1981,「沖縄の児童の言語能
Trow,M、1971,天野郁夫・喜多村和之訳「高学
歴社会の大学」東京大学出版会。
力の分析的研究(7)~学習・読解における言語
Willis,P、1977,熊沢誠・山田潤訳『ハマータウ
東江平之・石川清治・本永守靖・大城宜武・東江
の役割~」「琉球大学法文学部紀要(社会学篇)』
第24号,167-190頁。
ンの野郎ども」筑摩書房。
芳澤毅1993,「沖縄の教育問題」琉球大学公
Bernstein,B、1977,Class,CodeandControL
VolumeaRoutledge&KeganPauL
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開講座委員会編「復帰20年、沖縄はどう変わっ
たか?」171-195頁。