会見詳録 - 日本記者クラブ

日本記者クラブ昼食会
日本的民主主義と裁判員制度
但木敬一検事総長
2006年8月25日
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「変革」の本質を考える
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日本で革命が起きない理由
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バブル崩壊と治安の悪化
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「事前規制型社会」の限界
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「何でもかんでも司法」の時代
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裁判員制度について
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「実態的真実」と「訴訟的真実」
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「お上任せ」が変わってきている
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質疑応答
Ⓒ社団法人 日本記者クラブ
1
本日は、最も知的レベルも高くて見識にもあふれ、
です。
あるいは国民の意見形成に非常に重要な影響を与え
この話がなぜ始まるかということなのですけれど
る皆様方を前にしてお話しできる機会をいただきま
も、日本が現在変革期にあるというのは、一体何が
して、まことに感謝しております。感謝のあまり、
変革されているのだろうか、どうして変革しようと
何を話そうか、これも話したい、あれも話したいと
しているのだろうか。実は、それの検証というのは
いうことで、きのうの晩から頭の中をぐるぐる巡っ
なかなかなされていない。
ておりまして、いま、この場にありましても、さあ
これまでも、日本が事前チェック型から事後監視
何を話そうかなということがまだまとまらない状態
型の社会になるのだということは標榜されておりま
でございます。したがいまして、話はどうもとりと
すし、それはアプリオリに正しいというふうになっ
めなくなるんじゃないかなという悪い予感がしてい
ておるのですが、それがどういういきさつでそうな
るのですが、その辺は、司会者の方とご質問で何と
らざるを得ないのか、日本国民にとってそれが幸せ
か埋めていただければと思っております。
なのか、というような検証というのはほとんどなさ
本当は、話の流れとしては、6世紀ごろか160
れていないように思うわけであります。
0年あたりから始めた方がわかりやすいかなとも思
日本の国民のかなり長いDNAで、それこそ6世
ったのですが、時間の関係で、そこら辺からやって
紀とか、あるいは1600年かという話になるので
いると、どうも足りないなと思いまして、当面は戦
すが、日本の権力というものと、日本の国民という
後のあたりから始めたいと思います。
のは、実は長い信頼関係で来ているのです。160
皆さん、ご存じのとおり、1945年の8月に広
0年は「刀狩り」の年なのであります。秀吉が刀狩
島、長崎に原爆が落とされました。その年の暮れま
りをしました。それによって、いってみれば、一般
でに亡くなられた方の数が、恐らく合計20万を超
国民は、権力に対抗するすべを失ったわけでありま
えているだろうと思います。その圧倒的多数は非戦
す。
闘員である一般の市民でございました。世界史的に
ところが(これからが日本の特色なのであります
みても、これだけ短い間にこれだけの民族虐殺が行
が)皆さんはヨーロッパに行かれたり、ロシアに行
われたというのは、恐らく例をみないだろうと思っ
かれたり中国に行かれたりして、いろいろな宮殿を
ております。
ごらんになったと思います。その宮殿は、もう国中
の金銀財宝を全部ごちゃごちゃに集めているわけで
「変革」の本質を考える
す。それでは、そこの民が金銀財宝を宮殿に差しあ
ところが、終戦を迎えた後、それだけの虐殺をさ
げることができるほどみんな豊かだったかというと、
れた以上、アメリカに対して大々的なテロをすべき
そんなことはないのです。膨大な人数の、ものすご
である、あるいはアメリカの軍人を闇で殺そう、そ
く貧しい大衆のうえに、そういう金銀財宝が得られ
ういうような動きというのは、ほとんど日本ではみ
ているわけです。
られなかったのです。むしろ、おれたちは間違って
片や日本のお城に行くと、刀と鎧(よろい)があり
いた、民主主義こそが正しい、いってみればマッカ
ます。それから、土からつくったお茶碗などもある。
ーサーは解放軍だ、こういう話になったわけです。
しかし金銀財宝とかいう話はないのです。なぜか?
皆さん、世界のいろいろな地域の現象をごらんに
日本はもともと貧しいのです。もともと貧しいので
なって、いかに日本人というのがおもしろい反応を
すが、気候的には非常に恵まれた国なのです。そう
しているか。つまり、こんな民族は世界ではないの
いう中で、みんなが実はささやかにお互いに生活を
です。それを間違えた某国の大統領が、イラクで同
支え合ってここまで生きてきているのです。だから、
じことが起こると思ったのです。しかし、イラクで
武士道という全く変わった、権力サイドの倫理哲学
は、全くそのような反応は起きなかった。つまり、
ができあがったわけです。
それは日本人という全く特別の民族のありようなの
2
日本で革命が起きない理由
つくって外圧に対抗しようとしたのです。
武士道というのは何だったのかといえば、権力サ
日本の権力というのは、そのように非常に特殊な
イドがいかに自己抑制的に統治するかという倫理な
権力ですから、戦後――ようやく戦後に戻りました
のです。そこでは、酒池肉林なんていうのは認めな
けれども――の民主主義が導入されても、基本的な
いわけです。そこでは質実剛健、質素倹約を旨とす
権力と統治される側との信頼関係が続いてしまった
る。で、惻隠の情、つまり弱い者に対する哀れみの
のです。打ち破られていない。この権力サイドもい
情というのを持たなければいけない。領民に対して
いかげんでありまして、きのうまでは「討ちてしや
は、これを大事にしなければいけない、そういう哲
まん、1億火の玉」という話で、たしか全部玉砕す
学を権力者が持った。
るはずだったのですが、ある日を境にして、
「おれた
統治される方の人は、その統治の枠には全く触れ
ちは間違ったんだよ、実は民主主義こそが正しいの
ない。全然抵抗はしない。だけれども、自分たちは
だ」ということを権力サイドがいい始めたのです。
その枠の中で生活を享受し、あるいは文化を育てた
それで、国民は、また権力がその方向に行くこと
のです。例えば元禄文化なんていうのはその典型的
について拍手を送って、やっぱりお上に任せた。た
な文化現象であります。
だし、このときの権力の後ろにはGHQというさら
そういうふうに、統治する者とされる者が長い間
なる外圧というか、国の権威というのがあったので
分業をやってきたのです。その分業は、決してそん
すけれども、いずれにしても指導部がそっちを向い
なに苛酷な分業ではなかった。だから、日本では革
たのです。そうしたら、国民もそっちを向いてしま
命が起きないのです。権力と非権力の間の一定の信
ったのです。ですから、日本の民主主義は、やっぱ
頼関係ができ上がっている国に革命は起きない。
り民衆からの民主主義ではなくて、上からの民主主
ですから、明治維新のときだって、あれは決して
義になってしまったのです。
革命ではないのです。帝国主義列強が出てきて、日
裁判員制度は、日本の社会に合わない、あるいは
本に攻め入るかもしれない、みんな恐怖を持ったわ
日本人の文化や伝統に反するとか、たくさんの意見
けです。それは、国民も持ったし、藩主たちも持っ
をお持ちだろうと思うのですが、皆さんがいま考え
たのです。武士の頭領である各藩主がどういうふう
ているのは、実は、日本に民主主義を入れるときと
な行動をとったか。戦争といっても大したことない
同じ問題なのです。日本人のマインドに民主主義は
のです。大した大戦争が日本で起きたわけでもない
合わない。
のに、あらゆる藩主は自分の領地と領民をそっくり
日本の戦後の推移というのは何だったかというと、
国に返してしまったのです。全部明治政府のものに
まず、指導者吉田茂。この人の一番すごかったとこ
なったのです。これが廃藩置県ですね。では廃藩置
ろは、軍事には金を使わない、もっぱら経済を復興
県によって、領主が何を得たかというと、せいぜい
させようという基本的なレールをしいたことです。
県令になっただけです。つまり「役人」になったので
その方向で日本はずうっと動きましたけれども、そ
す。
の後は、やっぱり官僚がすべての情報を集約し、い
それでは、そういう例がそれまでなかったかとい
ま日本の経済にとって何が大事かということを見定
うと、実は、さっきいった6世紀、7世紀に同じよ
めて、そこに莫大な国の金を出して開発をして、そ
うな話があったんです。6世紀に、中国に隋という
れを民間の会社に払い下げ、そして日本の産業とい
国ができて、7世紀の初頭にこの隋が高句麗を攻め
うのはどんどん復興していったわけです。で、いつ
るわけです。それを見ていた日本の部族の長は、こ
の間にか世界第二位の経済大国にまでなった。
れは攻めてくると思ったのです。彼らは、一斉に土
この戦後の発展段階にも、日本的体質というのが
地と領民を大和朝廷に寄附してしまったわけです。
それなりに合っていたのです。ところが、これがあ
それで、彼らは郡司という官僚の地位を得て、それ
る時期からきしみを生じるようになってしまった。
でおさまってしまっているのです。で、統一国家を
現象的にいいますと、官僚が若干間違えていたので
3
すけれども――これは若干じゃないな――バブルに
そういう中で日本の社会というのは、もう一度再
ドーッと流れたのです。
生するためにどうするかという問題を抱えたわけで
そのときは、国民も「さあバブルだ」といってド
す。そこで考えられたのが、これまでの保護主義的
ンチャン騒ぎをしていたわけです。午前2時ごろま
な傾向というのを、そうではなくて、むしろ自立的
で、ずうっと酔っぱらいがいっぱい銀座にあふれて
な方向に変えようじゃないかという話になってきた
いました。タクシーに乗ろうとすると、タクシーが
わけです。
とまらない。
「もう都の境を越えないような、そんな
保護主義的傾向というのは、これは日本人のDN
短い距離じゃ行かねえよ」というので、タクシーの
Aの問題ですね。皆さん、江戸の捕り物というのは
争奪戦が行われるようなすさまじいバブルの時期と
テレビでみることがよくあると思うのですが、犯人
いうのが来てしまった。
の側が脇差しを持っていて、とらえる方は何を持っ
ているかというと、提灯と取り縄と十手と大八車で
バブル崩壊と治安の悪化
す。それは何をいっているかというと、犯人は殺さ
これがなぜ崩壊したかというのは、私は学者では
ないよ、生け捕りにするよということなのです。向
ないから何もわかりませんけれども、予測が狂って、
こうが凶器を持っていても、権力のサイドは凶器を
日本は大いに尾羽打ち枯らしてバブルが崩壊してし
持っていない。そのくらいに日本の権力というのは、
まった。これは、いままでは、偉い人に任せていれ
保護主義に徹していたのです。
ばよくなるはずだったのが、またまたここでお任せ
例えば、食品衛生法というのがあります。日本で
していたらば、やっぱりうまくいかなかった、とい
は、どの棚からどのものを選んでも、無害なものし
う現象が出てきたしまったわけです。
か食品の棚にはのっていないということになってい
例えば、いままで長年勤めていた大会社、それが
るのです。日本の食品衛生法の運用の仕方というの
「おまえ、やめてくれ」ということをいうわけです。
は、無害であることが立証されているもの以外は使
考えられないことです。長年勤めた会社は必ず温か
えないということなのです。つまり、疑いがあるや
く一生涯を守ってくれるはずだった。その人たちが
つ、グレーゾーンのやつは、食品衛生法では通さな
「おまえ、もうすぐ首だぞ」ということをいい出し
い。
た。
ところが、アメリカの考え方はそうではなくて、
あるいは、私たちの方面でいいますと、治安が急
有害であることが立証されたものは棚に置いてはい
激に悪化しました。これは昭和40年代の犯罪が、
けないという考え方なのです。同じようでありなが
道交法を除きますと大体120万件台ぐらいだった
ら非常に違うのです。発想が全然違うのです。
のですが、これが最近では大体260万から280
日本の国というのは「すべてをお守りしている」
万、つまり2倍以上になってしまっているのです。
というスタイルです。それが国民の意識に反映され
地方の大都市がシャッター通りになって、ずうっと
ておって、あらゆる訴訟のときに国も被告になって
シャッターがおりるようになってしまった。
います。いろんな企業災害があったり、あるいは食
それから一番大きな問題としては、世界第二位の
品で損害を受けたりする人がいる。アメリカ的にい
経済大国になったがために、今度は世界との間であ
えば、そこの企業が当然被告になるべきであります。
つれきを生じるようになってしまった。世界が入っ
日本では、それは国に対しても請求するという形に
てこようとすると、日本の中は非常に複雑な業者間
なる。なぜか。国が全部保護しなければいけないは
の談合があって、なかなかそのマーケットに参入で
ずなのに、保護できずに、自分の子供が死んだのだ
きない。で、諸外国からのイライラ感というのが日
から、それについては国が責任を負えという思想な
本に向けて、特に日米構造協議が盛んに行われたこ
のです。この思想は、実はメディアのサイドも非常
ろはアメリカの圧力がものすごくかかってきたわけ
にこの思想を受け入れているのです。だから、当た
です。
り前じゃないかというふうに思っていますが、本当
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はあまり当たり前ではない。
ずば抜けた処遇はしてやらない。いってみれば、全
そういう日本の現状からどういうことが起きたか。 国民の財産として配ってしまおうね、という社会で
行政サイドからいうと、ありとあらゆる危険を防が
す。
なければいけないということになるのです。ありと
そういう社会というのは、所得税が極めて高い累
あらゆる危険を防ごうとすれば、膨大な許認可とい
進課税というのをとるわけです。それによって、金
う事務をやらなければいけないわけです。皆さんが
持ちと貧乏人の差をできるだけ圧縮してきたわけで
安全な日々を、ゆりかごから墓場まで暮らせるため
す。そういう社会が悪いのかどうか、これは全然別
には、膨大な許認可審査をして、安全なものだけが
問題です。いい社会といえばこれほどいい社会はな
この世に流通するようにしたい、しなければいけな
いのかもしれない。ただ、世界の中では、極めて変
いというふうに考えたわけです。
わった社会であることは間違いない。そうすると、
いろんな現象が起きてきてしまうのです。
「事前規制型社会」の限界
例えば、日本の頭脳の人たち。この人たちは、い
ですから、日本は事前規制型社会、あるいは行政
まや世界のいろんな大学に研究に行っているわけで
指導型社会でありまして、何かやろうとすれば、必
す。そうすると、その研究室だと、
「おまえ、来年の
ず何かの許可をとらなければできないという社会が
報酬は 5000 万だぞ」といってくれるわけです。だけ
でき上がったのです。それが一つの限界を生んでき
ど、日本の研究機関にとどまって 5000 万も年俸を払
た。つまり、新しいことを考え出すと、実は許認可
ってくれるところはないのです。一千数百万しかな
から、基準から外れてしまうのです。そうすると、
い。そうすると、頭脳はどんどん世界に出ていって
そういう新しい考え方というのが、日本では活躍の
しまう。そうすると、社会の貢献度が高い人には高
場がないということになってしまう。それが、行政
い金を払わなければいけないではないか、そうでな
指導、事前規制型の社会の限界として、そろそろ露
いと頭脳がなくなってしまうぞ、ということになっ
呈してきたなという問題がある。
てくるのです。
もう一つは、役人の悪いところですが、どうして
あるいは、外国のある人で、非常に頭脳がよくて、
も先輩というか、自分が属している省庁の無謬論、
日本のある開発にとって、あの頭脳か来ればいいな
つまり、過去一回も過ちを犯していないのだという
と思ったときに、その人に対して莫大な金を払わな
ことに固執するために、前の政策を引きずってしま
いと、その人は来てくれないのです。そうすると、
うのです。新しい現象が起きて、変革しなければい
同じような研究をしている日本の人に対して、そん
けないという答えがわかっているのに、前のやって
なに低い給料でやっていけるのかというような問題
きたこととの整合性を求めるために、ラディカルな
が起きてくる。
改革ができないのです。それが世界全体からみれば、
つまり、国土が狭くて、資源もないかわりに、み
スピードが遅いという問題になってきたわけであり
んなが勤勉で知的レベルも均一で高いというような
ます。
風土を考えれば、鎖国ができるなら、日本的保護主
そういう護送船団方式でぬくぬくとやれた時代と
義も悪くはない。しかし、世界に開かれた国になる
いうのは、実はいい時代でもあった。それはどうい
ことはできないのです。
う時代だったかというと、日本の総中産階級化の時
日本が変わるときというのは、みんな外圧で変わ
代、つまり「格差のない社会」だった。その社会はど
っているわけで、自ら変わろうとしたことはないの
ういう社会だったかというと、頭がある人は頭を、
です。これは司馬遼太郎さんの受け売りであります
力がある人は力を、芸術的才能がある人は才能を、
が、まさに6世紀に隋ができて、7世紀に律令制度
全部社会にいったん持ってこい。それは社会全体の
が行われて大化の改新になった。あるいは帝国主義
共有物として国力全体の中にカウントするのです。
列強に抗するために廃藩置県をした。大きな変わり
しかし、そういうものを持っているからといって、
目というのは、必ず外圧との関係で起きている。今
5
度も結局、日本が世界第二位の経済大国になって、
とおり、DV法というのができまして、亭主は女房
もはや世界に対して窓を開かなければならない義務
に近づいてはいけないという命令を出しまして、そ
を負ってしまった。もっと地味なところで抑制して
れに違反すると刑事罰が行く。これは、だから、犬
おけばよかったのですけれども、ここまで来てしま
も食わないどころじゃなくて、お白州の問題になっ
うと、いまさら後戻りはできない。
てしまったのです。
そうすると、世界に通用する国になろうとすると、
日本の隅々まで変革の波にさらされざるを得ないと
「何でもかんでも司法」の時代
いう状態になってきたのだろうと思うのです。だか
昔は、リヤカーに荷物を積んで夜逃げをしていま
ら、政治の世界でも無意識的に変わってきた。この
したけれども、現在は、多重債務者の人たちは、き
世界は八つぁん、クマさんの床屋談義の世界でいま
ちんと自己破産手続をとるようになって、年間20
まで来たのです。投票行動は、地盤・看板・カバン、
万件ぐらいの自己破産手続きが行われている。つま
地縁・血縁で決めてきた。国民に聞くと、
「政治家な
り、これまでは法律の分野で片づくような話ではな
んてろくなものはいないのですね」というふうにみ
かったというか、それ以前で片づけていた話が、す
んながいう。床屋でいうわけです。だけど、床屋の
べて裁判所に持ち込まれるようになりました。
その人たちはみんな投票権を持っているじゃないか
この一連の株の騒動、どうごらんになっているか、
という問題がある。これは観客民主主義ですから、
それぞれの見方があると思いますけれども、株の騒
自分で本気で政治に参画していないのです。
動も最終的には法廷に持ち込まれるようになった。
ところが、この前の例の郵政改革のときの衆議院
恐らく、これからTOBとか、そういうものが多数
の総選挙というのは、様相が一変したわけです。国
に上ってくると、法廷闘争が相当行われるようにな
民が自分から、大統領制でも何でもないのに、首相
る。つまり、経済活動もまた法廷に持ち込まれるよ
を選んだのです。ある小選挙区で受かった某女が、
うになった。これは何を意味しているか?
「単独区で受かったのは私だけよ」といっていまし
いままでは、それを行政がやっていたのです。つ
たが、別にそれは彼女が受かったわけではない。あ
まり、どこかの会社とどこかの会社が合併するのが
そこでも小泉さんが勝ったのです。
いいか悪いかというのは役人が考えていて、それが
つまり、政治の世界でも、すでに国民のサイドが、
いいと思った方向でやっていた。それが、いまはそ
参画する政治へ豹変しようとしている。その意味で
うではない。公然とみんなの前で闘いをやって、そ
――あの選挙結果がいいとか悪いとかいっているの
れの決着は、透明な紛争解決である司法の場でやっ
ではないですよ――投票行動を冷静にみると、非常
てくれということ。そうでもやらないと、やがて株
に重要な変化が伏在しているのではないか。
主代表訴訟によって、取締役の人たちは責任をとら
来年の参議院選挙は、今度は政権がどちらに行く
されるという結果になる。そういうシステムができ
かという選挙だという。参議院選挙ですから、内閣
上がっているわけです。
そのものの話ではないのですが、その後の政権がど
だから、いまや司法というのは経済活動から家庭
っちに行くかということをめぐって、恐らく選挙が
生活まで、多種多様のニーズを引き受けなければな
行われるのではないか。そうなると、本格的に国民
らない羽目になってきている。それが行政指導型社
の参画的な選挙ということが、もしかしたらその方
会から、司法の事後チェック型社会に移行している
向になる可能性が出てきているな、と思っておりま
という実態なのです。すでに事実は移行し始めてい
す。
るということです。
司法の分野でいいますと、法は家庭に入らず、夫
この変革期において、経済金融犯罪について、検
婦げんかは犬も食わないといって、夫婦げんかなん
察がどのように取り組むのか、という問題もござい
か、絶対に刑事手続の対象なんかにしない、という
ます。自己責任をとらされて保護の傘をパッとどけ
のが日本だったのです。ところが、これはご存じの
られてしまって、いってみれば、ぽつんと広場に立
6
たされた自己責任を負っている「自立した国民」、そ
ら、ああいう事件が生じたということになると思う
の人たちに対してルール違反が行われて、そして、
のです。
その権利が侵害され、あるいは損害を生じさせるよ
この曲がり角の犯罪というのを、ついでに幾つか
うな事件というのは断固取り締まらない限り、自己
申しあげますと、例えば、この急激な社会の変化に
責任を負わせること自体が極めて苛酷だということ
ついていけない経済分野というのがあるわけです。
になると思うのです。ですから、この種の犯罪につ
そういう経済分野では、既得権益を確保するために、
いては、検察は今後とも非常に厳しく当たるだろう
談合というような犯罪が出てくるわけです。
ということはいえると思います。
それから逆に、規制緩和ということによって何が
同じような問題ですが、自己責任というものを問
起きたかというと、大量の大衆投資家がマーケット
う限り、自己責任を果たすためには、自分で判断す
にあらわれたわけです。このマーケットにあらわれ
る材料がなければいけない。したがって、虚偽の情
た大衆投資家に最後はババを引かせる、それを前提
報を作出したり、虚偽の情報を流すような犯罪につ
にして株価についていろんなことが行われる。ある
いては、あらゆる分野のものについて厳しく対処し
いは粉飾をしてみたり、虚偽報告をしてみたり、い
なければ、そうした社会は完成しないのだというふ
ろんな方法によって大衆投資家を動員する、それに
うに思っています。それは何も経済に限ったことで
よって値が上がる。値が上がったら売り抜ける。バ
はありません。
バを最後まで握っているのは大衆投資家、そういう
例えば、政治の世界だって、だれ、あるいはどこ
図式で犯罪というのが起きてくるわけです。そうい
の党に投票しようかということを正確に判断するた
う犯罪についても、検察としては厳正に対処しなけ
めに、例えば政治資金規正法上の届け出、記載等は
ればいけない、というところであります。
正確にしてもらわなければいけない。それに反して
いれば、それに対して厳正に対処しなければいけな
裁判員制度について
いという問題が起きてくるでしょう。それは経済で
裁判員制度の話をしたいと思います。実は、裁判
も、あるいは社会でも同じであります。
員制度の話をするについても、本当は6世紀とか7
官から民へという移行がセーフティーネットなし
世紀から始めないと、なかなか理解してもらえない
に行われたものですから、この間の耐震偽装事件と
ところがあるのでありますが、次のようなことを一
いうのが勃発しました。官であった時期は、いくら
つだけ申しあげて、ああ、発想が違うなということ
でも時間をかけて審査して、答えを出していたわけ
をおわかりいただけると思うのです。
です。これが足りないとか、あれが足りないとかや
リンカーンが若いころ弁護士をやっていたのです。
っていたわけです。それが民になりますと今度は、
彼がある殺人事件を受託したわけです。証人尋問で、
発注者の方が、いつから着手しなければ利息の支払
目撃証人に対する尋問なのですけれども、目撃者は、
いがたまらん、というような要求を審査機関に持ち
「あの被告人が、あの被害者をピストルで撃ったの
込むわけです。審査機関は幾つもありますから、早
をおれは見たよ」という証言を法廷でしたのです。
くやった方の審査機関にどんどん審査の注文が集ま
それについて、リンカーンは、
「おお、よく暗いとこ
るわけです。そうなれば、いかにして早くやるかと
ろで見えたな」という質問をしたのです。するとそ
いうのが、民間審査機関にとっては、お客さんが来
の証人が、
「いや、その日は月が明るくてさ、見えた
るか来ないか死活の問題になってしまいます。
んだよ」といった。そこでリンカーンは暦を取り出
だから、そういう競争があることをちゃんと予測
して、「その日は新月だよ、月は出てねえんだよね」
したうえで、そういう競争をしても国民の住生活に
といった。その一発で無罪になった。それはアメリ
安全が確保できるようなシステムをつくらなければ
カのローヤーたちの間では、月光の何とかといって
いけない。セーフティーネットをつくったうえで民
非常に有名な逸話でありまして、刑事弁護士はこう
に渡さなければいけない。その辺のところの間隙か
あるべし、というふうにいっているのです。
7
日本でそれを聞いたときに、あ、なるほどなと思
そういう確信を持っているのです。このような確信
うことはあると思うのですが、一方で、弁護士さん
をなぜ持ったかという説明をするのは、6世紀まで
がそういうことに気がつかないと、そいつは有罪だ
戻らなければいけない。
ったのか、ということもおわかりいただけると思う
しかし、我々がそう思っているのは間違いないの
のです。
ではないでしょうか。弁護士さんが有能だったり、
もう少し話が現代まで来ますと、何とかシンプソ
検事が有能だったりするのは大いに結構。だけれど
ンという人がいました。それから、この間はマイケ
も、有能な検事にかかったら有罪になってしまって、
ル・ジャクソンさんという人がいました。恐らくど
有能な弁護士になったら無罪になる、そんなのは困
っちも有罪だろうなとアメリカ人も思っているし、
るよね、真実が裁判で問われなければいけない、有
日本人も思っています。でも、彼らはすごい大金持
罪の人は制裁を受けるべきだ、無罪の人は絶対に制
ちだから、でかい弁護団をつくって、総力戦をやっ
裁を受けてはいけない、皆さん、本当はそう思って
て、結局、刑事的にはどっちも無罪になりました。
いるのではないですか?そうなると、この「当事者主
日本人はそれを受け入れますか?ということなので
義」というのはうまくいかないのです。
す。
戦後、実は日本の刑事訴訟法というのはアメリカ
から輸入して、当事者主義をとったわけです。弾劾
「実態的真実」と「訴訟的真実」
的捜査観とか、弾劾的訴訟構造論とか、学問的には
アメリカ人はあれでいいと。つまり「グッドラッ
いろいろいわれていたのですが、いわゆる当事者主
ク」なのです。それはそういうシステムをとっている
義で、検事側と被告側でドンパチなぐり合いをやっ
のだから、お金持ちが弁護士を選んで、弁護士と検
て、裁判官は壇の上からみていて、どっちが勝ちと。
事が闘って、検事が負けたのだから、無罪でいいじ
検察側はすべての挙証責任を負っていますから、す
ゃないか、どこが悪いんだ、と思うのです。これは
べての挙証ができなければ弁護側の勝ち(無罪)とい
訴訟的真実というのです。本当の真実というのは「実
うので本来はいいはずですが、日本はそうはなって
態的真実」というのですけれども、「訴訟的真実」でア
いない。現実には何が真実かというのを最後まで追
メリカ人は我慢できるのですが、日本人は「実態的真
求しようとする。それは皆さんが裁判の記事をお書
実」でないと満足しないのです。
きになるときに、恐らくそういう記事をお書きにな
麻原彰晃の控訴が棄却されたときに、多くのメデ
るのではないか。そういう日本の刑事裁判という特
ィアは「本件はこれで闇から闇へ」と書きました。
質というのがあるものですから、いろんな問題を生
オウム帝国をつくるために武器を準備して、さらに
じます。
サリンまでつくって、それで、そのサリンを試し、
それは、取調べ中心の捜査構造というのは非常に
かつ憎たらしいやつを殺し、あるいは騒ぎを起こす
変えにくいということ。例えば、日本の刑法では、
ためにそれをまいて多数の人を殺しました。世界の
殺人は懲役5年から死刑まであります。こんなに幅
どこの裁判所でも、それだけ事実がはっきりしてい
広い法定刑を持っているがために、一体どういう動
れば、刑事裁判としては十分なんです、しかし、メ
機に基づいて、どういう計画をして、どういう殺し
ディアのとらえ方は、これは「闇から闇」だったの
方をして、殺した後に埋めたか焼いたか、ありとあ
です。何故か?それは、麻原自身が何でそんなこと
らゆることを、正確に真実を突き詰めたうえで量刑
を思いついて、どういう気持ちでやったのか、彼は
というのは決めざるを得ないように、もともと法律
一つも語らなかった。それがわからない。だから、
もなっている。
この裁判は「闇から闇」だというのです。それほど日
だから、日本で時々、これは矛盾だよねと思うの
本人というのは、裁判において真実が――実態的真
は、自白中心の捜査はけしからんというふうに書く
実です――必ず出てくるはずだ、それが出てこない
ときもある。しかし、犯人がつかまって、「こちら、
ような裁判というのは、裁判として不十分だと思う、
何とか警察署前です」というふうにいったときには、
8
「いま、動機等について厳しく追求しております」
うがないなというのが20%ぐらい。あとの60∼
といって、そこに何も反省はない。
「優しく聞かなけ
70%は、制度はいいけど、私は行きたくないとい
ればいけないと思います」とか、そんなことはだれ
っているのです。それは当たり前なのです。驚くこ
もコメントしないのです。厳しく追求してほしいの
とはない。日本の文化に全く反していて、お上に任
です。それは国民が期待しているところ、やっぱり
せていて、結構うまくいってきた領域なのですから。
厳しく追求してほしいと思っているわけです。だか
ただ、いままでの裁判というのは、裁判官と検事
ら、そういう日本のいろいろな特質というのを忘れ
が、治安を維持するという観点から刑事裁判をやっ
るわけにはいかないわけです。
てきた。それはそれで皆さんの生活の平穏を守ると
いううえで貢献してきたと思うのです。しかし地下
「お上任せ」が変わってきている
鉄サリン事件を中心にして、被害者の人たちが皆さ
裁判員の話に戻りますけれども、先ほど「お上任
んの活字となり映像となり世の中に出てきた。それ
せのこの日本というのが大きく変質しようとしてい
で、いままでほとんど見えなかったものがみんな国
る」と言いましたが、多分その最先端を行くのがこ
民から見えるようになってきた。つまり、被害者と
の裁判員制度なのであります。お上というのは、基
裁判所との距離はそんなに遠いのか、というふうに
本的に謙抑的で、みんなの信頼をかち得てきたわけ
みんな思い出した。そうなると、やっぱり裁判とい
ですが、日本の司法というのは、お上の中のまたお
うのは国民の意識を入れたものにしなきゃいけない
上ですから、つまりこれは神聖にして侵すべからざ
じゃないか、と。
るものであって、清廉潔白な人は、生まれつき清廉
で、ここからが日本らしいのでありますが、それ
潔白であって、そのような人が検事や裁判官になっ
なら陪審をやればいいじゃないかというのに対して
て、自分の利益を全く度外視して公正な判断をして
は、陪審はちょっと行き過ぎだ。とどのつまり、プ
くれると、みんな思っているのです。現に99.9%
ロである裁判官と国民とが協議して決めてくれる、
そうしてきているのです。
その辺が一番妥当だというところに落ちついたので
これの中で、汚職でやられた人は一人ですか。裁
す、最終的に。変わっているのは人数の点でありま
判官で起訴されたのは。もっといたかな。一人ぐら
して、裁判官が3人、裁判員が6。ですから、1対
いですね。全世界をみてごらんなさい。そんなのは
2で、人数的にいえば圧倒的に国民の皆さんから選
いっぱいありますよ。裁判官が起訴されるなんて、
ばれた人が多い、こういうことであります。
いっぱいあるのです。数年前にイタリアでは裁判官
裁判員制度は日本には向かないだろうなと皆さん
と検事が根こそぎやられました。みんなマフィアか
思っていると思うのです。しかし、もともと日本が
ら金をもらっていた。今度、それをいおうと思った
戦争に負けて民主主義を入れるときに、これほど民
ら、日本では拘置所の職員が金をもらっていた。デ
主主義が合わない国はないのです。
「民主的」という
ィズニーランドへ行ったので弱ったなとは思うので
発想がおよそないのです。しかし、そこで民主主義
すけれども。しかし、裁判官、検事が人から金をも
を導入して、何十年かけて、日本的な民主主義とい
らって起訴を不起訴にしたり、有罪に目をつぶって
うのはだんだんそれなりに成熟してきているのです。
無罪にした、そんなことをやるだろうなんて皆さん
私は思っているのですが、アメリカの陪審をみる
は思わないでしょう。そのくらい日本の司法官憲と
と、民族的な対立、人種的な対立が裁判をゆがめる
いうのは清廉潔白。お上中のお上、あそこに任せて
ほどに亀裂が入っているのです。ところが、日本に
おけばいいんだという典型的な領域だったのです。
はそんなものはない。
これをやめようということを決断したわけですから、
相当な話なわけです。
もう一つ、選挙人名簿から無差別抽出で抽出しま
すけれども、アメリカの識字率と日本の識字率はま
だから、いま、アンケートをとれば、おれは裁判
るで違います。知的レベルの均一性といえば、日本
員になりたいというのは10%ぐらい。まあ、しよ
の方がはるかに上です。つまり、どなたを選んでも、
9
ある知的レベルは確保されている。それから3番目
めには、法が適正に、だれに対しても公平に適用さ
に、こういう狭い社会で、みんな肩を寄せ合って生
れていくということが大事です。検察が果たしてい
きてきたから、考えることがまじめなのです。こう
る役割の中で、非常に大きな役割は、やはり日本の
いう3つの条件を持っている日本人が、このような
法律は、政治であろうと、社会であろうと経済であ
制度を自分たちの社会の中でうまく同化できないは
ろうと、権力を有している人たちも、権力のない人
ずがない、というのが結論なのです。
たちも、みんな平等にきちんと扱っている。権力の
ある人たちも犯罪を犯せば処罰されるんだ、それを
質 疑 応 答
国民が理解するということは非常に大事なことで、
検察がその分野で果たすこともまた決して小さくは
菅沼堅吾企画委員(代表質問 東京新聞論説委員)
ないだろうと思っています。
きょうは総長就任後初の会見ですので、総長として
ただし、さっきも申しましたように、検察の限界
の心構えと裁判員制度の2つに分けて、1問ずつ聞
は「悪いやつだから」ということはできないというこ
こうと思います。
とです。法律と証拠に基づいて有罪になっていかな
まず「但木検察」の方向性なんですけれども、いま
ければならない。そこが検察の限界ではある。その
おっしゃったように、守備範囲が大きく広がって、
双方を申しあげておきたいと思います。
情報の罪とか、そういう方に向かっていかれるとい
うことで、それはよくわかったんですけれども、一
菅沼
裁判員制度について伺います。きのう、日本
方で、もともと変わらない分野といいますか、検察
記者クラブの記者研修会の一環として私も参加して、
というのは、ある意味、権力の中の権力といいます
東京高裁で模擬裁判を経験しました。それで、強盗
か、それをチェックするという意味で、政界へのメ
致傷罪で検察は起訴して、弁護側は傷害と脅迫だと
スを入れるというのが、ある意味、国民の期待にあ
いうことでした。結果は、強盗罪と傷害罪という形
ると思うんです。
で終わりました。その中で、被害者の言い分が正し
昨今は、日歯連事件とか、政界に行くんじゃない
いのか、被告の言い分が正しいのか、調書の信用性
かと思われつつ行かない。村岡さんが無罪になった
で意見が割れました。特にきのうやったプログラム
りして、何となく政界に対して甘いのではないか、
のシナリオが非常にうまくできていて、検察調書の
そういう国民の気持ちもあるんじゃないかと思うん
6回目の調書で、初めて被告が罪の核心部分を肯定
ですけれども、改めて但木検察は、その辺について
するという前提なんです。裁判員をやっていた記者
はどういうふうに、厳しく断固闘っていくのか、と
たちは、それに対しては信用性がないんじゃないか
いうようなことをお伺いしたいと思います。
ということで却下したという経過がありました。
私、個人的に強く感じたのは、やはり裁判員制度
法の下の平等
で、調書中心でやって、信用性をめぐっていろいろ
但木 検察と、皆さんの社会の決定的な違いは、我々
あると、短期間で一般の素人が判決を出すのは難し
は有罪のレベルまで持っていく証拠がない限り何も
いんじゃないかということです。その中で、日弁連
できない、という限界があると思います。それは理
はビデオの可視化をいっていますね。先日、ここに
解していただきたい。ただ、やはり法への確信とい
最高裁の長官が来たんですけれども、何となくビデ
う問題があって、国民が法律を信じるためには、的
オの可視化をした方がいいんじゃないかということ
確に、何者にも平等に法律が適用されているという
を裁判官は考えているんじゃないかというような印
ふうに国民が確信することが必要です。これが法の
象を持つような会見をされていました。総長は、取
支配の根源なのです。国民が法を信じない限り、法
り調べの可視化について、ある程度もっと踏み込ん
の支配なんてできるわけがないんです。
でいくべきだというふうにお考えなのでしょうか?
ですから、我が国において法の支配を貫徹するた
また2つ目は、では、今度やる、一部検察が選ん
10
だ取り調べのシーンをビデオに撮るとおっしゃって
ふうに思っています。
いますけれども、何らの原則もないと、いかにも恣
ただ、非常に難しいのは、任意性の立証ですから、
意的になってしまうので,たしか総長は一定のルー
もともと否認しているときはとらないのです。否認
ルをつくるようなお考えも示したと思うんですけれ
しているときは、任意性の問題なんか生じない。で
ども、その辺はどんなように運用していこうとお考
すから、ビデオをとるとすれば、認めるところから
えなのですか?
とるという話になるのですが、そうなると、客観的
には、何だ虫食いじゃないか、ご都合主義じゃない
取り調べの可視化
但木
かという批判というのは避けられないのです。
まだ試行の段階ですので、内容が流動してい
それで、そういう批判をそれなりに避けられて、
るので、こうだということをいえないのが申しわけ
裁判員の人たちに、任意性についての肯定的な判断
ないんですけれども、日弁連がいっている可視化、
をもらうための立証はどんなことをやれるかなとい
それから全取調過程のビデオ化という発想と、検察
うのがこれからの試行でありまして、試行がある程
がいっている調書の任意性を担保するための方法の
度進みましたら、また皆様方に、こんな方法でやっ
一つとしてビデオ化するというのとは、思想が全く
てみたいと思いますということは申しあげるときが
違います。
来るんじゃないかなと思っています。
可視化という議論は、捜査の適正を監視するため
にビデオをずうっと撮っておくべきだということで、
内藤茂(NHK出身)
最近子供が親を殺すとか、
いってみれば、捜査の適正化を担保するための提言
火をつけるとか、以前には考えられなかったような
であります。私たちは、これは受け入れるわけには
犯罪が起きていますね。そこの根底に、日本人のモ
いかないと思っています。これは捜査構造にかかわ
ラルの喪失という重大な問題があるわけですね。犯
ることであって、この点だけ導入してくれよといわ
罪を防止するという社会をどうやってつくるかとい
れても、それはできない。やるんだったら、それこ
うことの一つとして、例えば、終身刑というような
そアメリカのように、証人免責とか司法取引とか、
ものがほとんど聞いたことがない。無期懲役という
いろんな制度を踏まえて、しかもそれが日本の風土
のは、大体15年でしゃばに出られる。そのかわり
に合うかどうかも、きちんと国民的コンセンサスを
15年は税金で食べて終わるわけですね。そういう
得て、捜査構造そのものを転換しなければならない
意味で犯罪の抑止力がないということを思うんです
という問題だと思います。
が。そういうことからいうと、死刑ということをど
検察がいまいっているのは、そういうことではな
んどんやれということではなくて、終身刑のように
くて、裁判員が非常に短い間に任意性や信用性を判
「生涯おまえは監獄にいる」というふうな刑という
断しなければならないという立場に立つことはある
ものが考えられないのでしょうか?
だろう。そのときに、どういう方法によって立証し
それからもう一つは、犯罪をしてスカッとしたと
たら、一番裁判員の負担もなくて判断できるんだろ
いうふうなことをいっているんですが、実はその裏
うかということなのです。やり方はいろいろあって、
で、民事の責任というものは、報道ではほとんど行
いろいろなことを試行しています。調書のつくり方
われないんですね。一人の人を殺すと、若い坊やで
の工夫もたくさん試行を始めましたし、ビデオ化に
も、1億円なり2億円の生涯の損害賠償責任という
ついても、機械はすでに据えつけて試行の準備は整
ものがあるということを知らしめて、犯罪を抑止す
っていると思っております。
るという効果は必要だと思うんです。したがって、
ただ、発想はあくまでもそういうことであって、
刑事裁判と同時に民事の裁判も、連携あるいは同時
どうやったら裁判員の人たちに自信を持って、その
に行うというふうなことは考えられないのでしょう
調書の信用性なり任意性なりを判断してもらえるか
か?
という観点から、どういう立証がいいのかなという
11
終身刑は有効か?
に取材にかかわった者なんですけれども、2度の検
但木
察審査会での起訴相当議決というものを経たうえで、
どちらも非常に重要なご指摘でございます。
日本人のモラルが変わったんじゃないかという点に
また改めて処分をされたと思います。最高検とも協
ついては、確かに日本人のモラルも変動しているん
議されていると聞いています。この捜査についての
だろうと思っておりますが、少年犯罪なんかをみる
検事総長の思うところをお聞かせ願えたらと思って
と、日本の社会が目的意識を失っている、そういう
います。
意味での仲間意識を失っているということも、かな
り大きな根底的な影響を与えているんじゃないかな、
但木
正直に申しあげると、具体的な事件で総長が
というふうにも思っています。
答えるというのは、まあできないということだと思
お尋ね、2つございました。1つは、終身刑とい
うんですが、あの事件は、もちろん遺族の皆様方の
うのを、無期懲役のほかにつくったらどうか。これ
気持ちというのは痛いほどわかっていて、やれる捜
については、そういう考え方もありまして、現在、
査は本当に尽くしたんじゃないかなと思います。現
政治の世界でも、あるいは法務省でも、地味ではあ
地としては、それでもなお起訴はできなかった、と
りますけれども、かなり研究をしています。終身刑
いうことだろうと思います。過失犯というのは非常
の欠陥といわれているのは、出る楽しみが全くなく
に難しい。
なってしまうということ。刑務所の中でやりたい放
医療事故なんかでもそうです。つまり、被害者が
題、つまり何をやっても同じだという話になって、
いれば必ずだれかを処罰してもらいたいという気持
これの処遇が大変です。
ちはありましょうし、処罰する相手も、できるだけ
ただ、それでもなお、終身刑については、例えば
高い地位にいる人を処罰したいという気持ちになる
30年以上は出さないとか、40年以上は出さない
のは自然の理ではある。だけれども、あくまでも検
とか、そういうのもあるのかなと思います。いま、
察というのは法と証拠の限界の中でしか行動ができ
無期懲役については、かなり運用は厳しくしており
ない、ということだと思うんです。説明になってい
まして、現在、大体25年を経ないと、無期懲役者
ないかもしれませんが、一生懸命やった末の結論で
は仮釈しない、大体そのぐらいのところに行ってい
あります。
ます。
ただ、今度、検察審査会法も変わりまして、起訴
それから、2番目のお尋ねでありました、民事的
相当が2度続きますと、今度は起訴強制になってき
な損害を被っている被害者あるいは遺族の人たちに
て、弁護士が検察官になって訴えを提起するという
対して、刑事裁判に付随して民事請求を認めるべき
形になってきますので、今後は少し変わった対応と
ではないか。おっしゃるとおりのご意見が、かなり
いうか、変わったシステムになる。ですから、検察
有力にいわれておりまして、被害者対策法が次の国
審査会の意見は、さらに法的拘束力をますというこ
会で出るんじゃないかなと思っているんですが、そ
とになります。
の中には、そのものが出るか、あるいはそれの萌芽
状態が出るのか、いずれにしてもそれについての一
平賀
法改正の方、施行されるまでには2年ほどか
定の答えが出てくるのではないかというふうに思っ
かると思います。一つ考え方の転換としては、これ
ております。
までは99%、有罪にならないと起訴はしないとい
うようなスタンスがあったかと思うんですけれども、
平賀拓哉(朝日新聞大阪社会部)
関西では、200
この2年の間は、そのスタンスは検察としては変え
1年に花火大会の歩道橋事故というのが兵庫県の明
るつもりはないということになりますか?
石市でありました。この7月に、当時の明石署長、
警備責任が問われていたんですけれども、3度目の
自分の良心だけを大事にしろ・・・
不起訴という形になりました。私も神戸にいたとき
但木
12
非常に難しい質問です。やっぱり検察は、有
罪の確信を持たなければ起訴しないという、いまま
な額の接待費を使っていたわけです。そのときに、
でのやり方を続けると思います。基本的には。そう
民間がそういう状態にあるときに、官の側もかなり
いう確信でやってきて、国民もそういう確信で来た
それに相応する部分で裏金というようなものが起き
ものですから、検察が起訴すれば、皆様方も、検察
た可能性というのは否定できないだろうなと思って
は相当な確信を持ってやっているんだなという報道
おります。ただ、これはバブルの崩壊で、むしろ民
にならざるを得ないですし、それによってこうむる
間サイドの方が非常に締めてきた中で、役人だけが
ものというのも非常に大きなものがある。
残ってしまって、まだやっているのかという話にな
だから、そういう意味では、今度、システム的に
ってきて、最近、非常にそれが厳しくなってきてい
そういうものができたというのは非常に重要なこと
るように思われます。
で、つまり法律家からみると、これは有罪がとれる
飲み食いの社会というのは、日本の一つの文化み
確信はないなと思うけれども、国民の目からみれば、
たいにして引きずられてきているものでもあるんで
これは有罪をとれるよ、というような件については
すけれども、そこの関係も、女性が進出してきたこ
国民の意見で裁判所に持ち出すことができる、とい
とによって相当変貌を遂げております。
う制度になるわけです。裁判官とか検事は自己の良
例えば会社の幹部会の中に女性が非常に多くなる
心に反してはいけないという鉄則があって、自分に
と、飲み会の回数はガクンと減ります。それで、飲
その確信もないのに、自分の名前を署名して起訴す
み会で酒を飲まない人というのは非常にふえてきて
るというのは、検事は絶対やってはいけないことと
おります。これは、恐らくこれから女性が進出して
いわれているんです。上司からどういわれようと、
くると様変わりをする。もっともここにおられる女
自分の確信のない行動をしてはいけない。自分の良
性の方々は、お酒をいっぱい飲む方もおられるかも
心をそれだけ大事にしろというのを検察の教育でや
しれませんが、全体的には、酒を強要するとか、そ
っている。じゃ、踏み切れというんで、本当は無罪
ういうことがだんだん少なくなってきて、やること
だと思うけれども、署名しろよ、というのはなかな
自体が少なくなってくるだろう。ですから、文化は
か難しい。それならば、システム的にこういうふう
やっぱり変わってきているんですね。
にした方がずうっといい。それが司法改革であった
それともう一つ、どうしてもやらなければならな
と思うんです。
いのは、透明性の問題なんです。バブルのときに、
本当は官のサイドは、そういう金が必要ならば、必
花井喜六(中日・東京新聞出身)
:裏金のことで伺い
要だといって正々堂々と予算要求して予算で認めて
ます。総長は先ほど、日本の歴史的文化論、社会論
もらえばよかったんです。ところが、それをやらず
をおっしゃいまして、大変参考になりましたが、裏
にほかのものを流用するという形でやったわけです
金問題では、検察庁は2人の方が内部告発されてい
ね。これがいまになっていろんな問題の根源となり、
る。これだけ蔓延した裏金、これは一体日本の文化
指弾を受けているわけです。これは今後、絶対に許
でしょうか?社会文化といってもいいんでしょう
されない。ですから、公金をどう使用しようと、そ
か?これはあきらめるよりしようがないんでしょう
れは透明なルールの中できちっと検証可能になって
か?それとも、これを何とか根本的になくそうとい
いかなければならない。これがこれからの定めだと
うふうにお考えになっているんでしょうか。例えば、
思います。
具体策は何か、お気づきの点があるでしょうか。
それについて、そういうルールからみて、とんで
もない話というのが起きていて、かつそれが個人の
社会の透明性を高める
利得になっているようなものについては、刑事問題
但木
として扱うべきだと思っておりますが、一番大事な
日本の保護主義というのは、いろいろなとこ
ろにいろいろな文化現象として出てきているわけで、
ことは、もはやどの社会も透明性なしにはやれない
バブルが崩壊するまでの間は、会社においても大変
んだということに早く気づいて、切りかえるという
13
ことが大事だなというふうに思っています。
ているわけではありませんが、いまみたいに、こん
なに小さくて、だれもが司法を頼りにして生きてい
今静行
アメリカが日本に対して、法ビジネス、も
けるようにはなっていないというのは、やっぱりこ
っと有利に利潤を上げたいということで、大変圧力
れは直さないといけないと思っております。
をかけてきていると思います。例えば、日本の弁護
士が2万1000人に対して、アメリカは100万
文責・編集部
人を超えております。それから、検事とか判事も日
本の10倍以上いて、アメリカというのは力とマネ
ーの社会で、歴史も230年にもなる国だから、ど
うしてもそういうことになっていくと思いますけれ
ども、アメリカのいいなりではなくて、何か歯どめ
をかけるべきではないかと思うんですが、いかがで
しょうか。
訴訟社会、アメリカ
但木
アメリカは訴訟社会といわれている社会で、
ある集計によると、国民のGNPの約3%が法律家
の収入になっているんだそうです。言い方をかえる
と、アメリカの物価の3%は弁護士費用ですという
話になるわけですが、そういう社会というのは極端
な社会であることは間違いないと思います。
日本がそういう極端な社会になることを望んでい
るかといえば、全く望んでおるわけではありません。
判決の内容も、民事判決にしても、日本の裁判の判
決の方がずっとリーズナブルだと思っています。ア
メリカの懲罰的賠償を例にとれば、会社が支払い不
能であることがはっきりしているような額をドーン
と出して、結局だれが一体それによってそれなりの
利益を受けているのかというのがわからないような
ものがあるわけです。私は、日本の司法というのは、
時間を別にすれば、内容でいえば世界に冠たるもの
だろうなと思っております。
ですから、決してそんなことを思っているわけで
はないんですが、しかし、その容量があまりに小さ
いことも否定できない。一番官僚国家といわれてい
るフランスでさえ、日本の倍以上の人たちが司法に
従事している。あるいは法律扶助の額にしても、や
っぱりかけ離れている。日本はもっと国民が、自分
の権利を救済してもらうために司法を利用できるよ
うにならなければいけない。
だから、決してアメリカ型の社会になろうと思っ
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