112「てっぺん」

第112号
(H24.7.2)
「 てっぺん 」
いよいよこの11日に夏の高校野球の開幕を迎える。今年の大会スローガンは「駆けあがれ 夏
のてっぺん」。全国の高校数はいかほどか。その正確な数字は知らないが、多くの高校球児が憧れ
るのが甲子園。今年も各都道府県のてっぺんを目指し熱き戦いが繰り広げられる。そして多くの高
校野球ファンが球場に集まる。それは単に応援するチームの勝利を見るだけではない。高校球児の
真剣な眼差しの先にある「感動」を見たい。これも一つの理由だ。試合はトーナメント方式。プロ
のように負けても「また明日ね」はない。一回きりの真剣勝負。負ければ球場を去る。勝者のみが
黒土に立つことができる。だから、最後まで諦めないひたむきなプレーに心を動かされる。炎天下、
はじけ飛ぶ汗がきらりと光る。それは青春の光だ。魂の輝きだ。すばらしい試合になることを念じ
てやまない。私も球場で選手から元気をもらうつもりである。
今年は石川啄木生誕100年になる。私はこの詩人に強い思い入れがある。
〈やはらかに柳あおめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに〉
これは私が小学3年か4年のとき、父から教わった最初の一句。父の言葉を聞きながら、子供心
に想像したのは、ゆるやかに流れる北上川。その岸辺に立つ柳が青々と芽吹いている。その美しさ
は涙が出るほど美しい。そんな情景だった。実際は常光寺という寺を追われるように出たときの悲
しみだったらしい。
高校 にな って石 川啄木 を習っ た。彼の 俳句を口 ずさ
ん だと き、 これこ そ日本 人の歌 (短歌) だと思っ た。
す とん と体 に落ち て馴染 んだ。 ジグソウ パズルの 最後
の ピー スが 、パチ ンと音 を立て ておさま ったよう な感
じ 。こ んな に日本 人の心 を揺さ ぶる詩人 は、さぞ かし
穏 やか で思 慮分別 があっ て人間 的にも優 れている のだ
ろ うな と、 勝手に 彼の人 物像を 思い描い た。国語 の時
間には彼がどんな人物だったか教えてはくれなかった。
そこで図書館へ行って調べてみると、ええっ嘘だろう、
と 唸っ てし まった 。私の 中にあ った彼の 人物像は 瞬時
にして崩れ去ってしまった。
そこに書かれていたのは、自分を天才だと言ってはばからないうぬぼれの強い困り者。なんでこ
んなやつが、あんなに日本人の心を代弁するような言葉を紡ぐのか。はっきり言って腹が立った。
嘘っぱちを言うんじゃないぞ。人間が悪いくせして、言葉巧みに人を騙す。いい加減なやつめ。
人生はどこまでも試練を与える。彼の生活は次第に困窮していく。そして金田一京助ら知人を訪
ねては借金。一時は釧路新聞社に勤めることもあったが、東京での暮らしぶりは地に落ちたものだ
った。彼の妻、石川節子がその頃の様子を書き残している。
天才だった啄木は、最後本当に苦しみ目覚める。そしてあの石川啄木が生まれた。彼は26歳の
若さで逝去した。天才、これは一種の「てっぺん」。啄木はこのてっぺんから見事に転げ落ちた。
そして人生の辛酸を嘗め、再びてっぺんに立ったのではないか。
何事によらず、てっぺんに立つには「苦」なくしてはないということか。
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
砂山の砂に腹ばい 初恋の いたみを遠くおもひ出る日
たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 散歩あゆまず
こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思う
はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
石もて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし
石川啄木生誕100年。これを機にもう一度彼の作品を読んでみたい。小学校から今に至るまで
彼は私に住み続けている。今年の夏は高校野球と石川啄木。これで決まりだな。それによく冷えた
ビールと酎ハイとワインがあれば文句はない。本当にそれだけ? 欲は言うまいぞ。