2000年永契会総会

No61S
大阪大学理学部化学高分子教室永契会
***巻頭言***
2000年3月
せして、ここでは永契会にも関係の大きい理学懇
話会のことをご紹介をしましょう。大学を取り巻
2000年代最初の永契会ニユースレター
く昨今の環境の厳しさについてはお聞き及びのと
2000年代ということでひとしきD話題になっ
おりで、国立大学といえども社会の声に耳を傾け
るとともに、自らの活動を説明することが求めら
れています。理学研究科でも社会でご活躍の卒業
生の方々に近況をご紹介するとともに、よい意味
た今年の幕開けでしたが、幸いにコンピューター
での応援団として広い視野から率直なアドバイス
システムの大きな混乱もなく、もう-ヶ月になり
をいただくことを目的として、理学懇話会という
ます。厳しい寒さが続きますが、会員の皆様には
お元気にお過ごしのこととお慶び申し上げます。
多くの方はすでにご存じのことですが、昨年は
永契会にとって悲しい出来事がありました。1月
に音在漬輝先生(旧制5回)が、さらに4月には
懇談会が組織されました。森島洋太郎教授(新制
化10回)が実行委員長として実現に努力され、化
学・高分子関係では昭和36年以降ご卒業の7名
の方に参加していただいて、第1回の会合を昨年
長い間永契会会長をお務めくださった水野健次郎
大学は優れた元気な卒業生を社会に送り出し、
氏(旧制1回)が逝去されたことです。同期の大
卒業生の方々がそれぞれの立場からまた大学を育
庭成一氏にお願いした追悼文に、草創期の理学部
ててくださるという、よい関係が出来上がること
と水野氏のご様子が偲ばれます。また秋には佐治
を願っています。これからの新しい時代には大先
敬三氏(旧制8回)の計報を聞くことになりまし
輩だけでなく、新制二桁それも若い卒業生のお力
た。同氏は化学科の卒業生としては異色の活躍を
もぜひお借りしたいと思います。
永契会幹事長
楠本正一(化学専攻、新制化11回)
12月1日に開催しました。
された方で、この教室のため、あるいはもっと大
最後になりましたが、前号でお願いした化学系
きく日本化学会のためにも物心両面のご支援をい
ただきました。心からご冥福をお祈りしたいと思
建物新築・改修のためのご寄付には、別掲のご報
告のように大勢の方が賛同してくださいました。
います。
厚くお礼申し上げます。教室でよく検討した上で
化学系教室の近況紹介は専攻長・学科長にお任
大事に使わせていただきます。
2000年永契会総会
永契会総会を2000年3月15日(水)午後5時から大阪大学豊中地区福利セ
ンター(阪大生協)4階食堂にて開催します。
当日は、総会に先立ち、理学部5階大講義室において午後3時から本会会員、
古武弥英氏(三菱レイヨン株式会社、新制高1回)を講師に迎えて、『社会に旅
立つ諸君へ』と題して1999年度卒業記念講演会が行われます。また、永契会総
会に引き続いて化学系教室との共催で卒業記念パーティーも催される予定です。
***化学教室の近況報告***
渡會仁(化学科長・化学専攻長)
則末尚志(高分子科学専攻長、新制高4回)
永契会会員の皆様におかれましては、益々ご活
躍のこととお慶び申し上げます。
平成8年に化学科と高分子学科が理学部化学科
として-つにまとまりましたが、その4月に入学
した第一期生が、今年の3月には卒業を迎え、晴
れて永契会の会員に加わります。教養部改組、大
学院重点化と続いた大学改革でありますが、現在
は独立行政法人化という新たな課題に直面してお
ります。大学の理想が損なわれぬよう、慎重に対
応が議論されています。平成11年度は、化学学科
長・化学専攻長を渡會が、副学科長・高分子科学
専攻長を則末が担当し、化学教室の運営にあたっ
ております。
平成11年度から、新入生合宿研修が開始され
ました。5月に化学科1年生約80名、教官16名
が参加し、国立淡路青年の家において、大学生活
のオリエンテーションやグループ懇談が行われま
した。また、2年次、3年次の学生へのオリエン
テーションも新たに実施され、学生指導の充実が
図られております。5月のいちょう祭と11月の
まちかね祭では、一般の方に化学科の最新研究を
紹介するパネル展示が行われました。8月には、
高校生を対象とした化学科一日体験入学が開催さ
れ、約120名の高校生が実験に興じました。今後
もこのような企画は大学の社会活動の一環として
続けられるものと思われます。
平成12年3月には、いよいよ化学高分子科学
棟(G棟)が完成いたします。10月には記念式典
が行われる予定です。
今後とも、永契会の皆様の暖かいご支援とご協
力をお願い申し上げます。
平成11年1月に、中村晃先生の後任として、
上山憲一先生が高分子科学専攻高分子反応化学研
究室の教授に就任されました。4月には、井畑敏
一先生の後任に東京大学理学系研究科より村田道
*衆*新教授紹介***
雄先生が化学専攻教授に着任され、生体分子化学
研究室を開始されました。また、10月には、馬塲
教授就任にあたって
宏先生の後任に誕京都大学原子炉実験所より篠原
厚先生が放射化学研究室教授に就任されました。
上山憲一(高分子科学専攻、新制高3回)
平成11年3月に、蛋白質研究所の京極好正教授、
また、化学専攻の廣津順弘助教授(旧井畑研)、松
平成11年1
岡延子助手(梅崎研)が停年でご退官されました。
月より理学研究
そして、川口辰也助手(田代研)、石水敦助手
科高分子科学専
(長谷研)、中北慎一助手(長谷研)、松森信明助手
攻の高分子合
(村田研)が採用となりました。また、長東俊治助
成・反応化学大
手(長谷研)が京都工芸繊維大学繊維学部に、樋
上照男助手(渡會研)が信州大学理学部に、長尾
講座の高分子反
秀実助手(山口研)が金沢大学理学部に転出され
持ち、忙しい毎
ました。平成11年度より、ミクロ熱研究センター
曰を過ごしてい
(但侠研)が分子熱力学研究センターとして新た
ます。中村晃先
なスタートを切りました。大阪工業研究所の併任
教授が、児玉皓雄先生から福見俊夫先生に交替さ
生(現大阪大学
名誉教授)の研
れました。
究室を受け継い
化学専攻、高分子科学専攻の研究活動は諺平成
11年も活発に展開され、楠本正一教授が日本化学
会賞を、原田明教授が高分子学会賞を、佐藤尚
弘助教授が日本レオロジー学会有功賞を受賞され
ました。
応研究室を受け
だ形で、高分子金属錯体の合成をキーワードにし
た研究に集中しております.現在の私達の研究室
の研究課題は、カルシウム、鉄、モリブデン、タ
ングステンなどの金属錯体のための新規合成高分
子配位子あるいは合成ペプチド配位子を合成し、
高活性錯体触媒や新しい無機結晶一有機配位子
複合体の創製を行なっています。特に、金属酵素
やバイオミネラルの特異な反応性や物性の発現の
要因を解明すると共に、外部からどのように触媒
中間体の反応性や複合体の物性の変化を情報伝達
しているかを探索するために、配位原子への水素
結合というインターフェイスの詳細を研究してい
ます。
一方、ここ数年、分析機器委員として他の理学
研究科教官や技官の人達と共に、ラマン・遠赤、
MmR、質量分析、X-線構造解析、元素分析など
の共通機器の更新に努めてきました。この内容を
「先端研究のための分析機器(基礎と研究例)」に
まとめる程になりましたが、これも理学部、理学
研究科の卒業生や名誉教授を含めた教官の方々の
生体分子の分子認識機構を探る
村田道雄(化学専攻、生体分子化学研究室)
御蔭と感謝しております。特に、永契会の皆様に
は大学院生のための汎用超伝導M、装置の導入
に際し、企業からの委任経理などで御助言、御援
助して頂き大変お世話になりました。現在、大学
院生は自由な時間に、高級な測定技術を駆使し
て、研究および教育に成果をあげるなど有効に使
われております。
このように永契会の会則に詠っている相互扶
助を大学側は享受しておりますが、企業側の会員
の方々が相互扶助を享受できるよう努力をしなけ
ればと考えています。取りあえずできることは、
卒業していく新会員に永契会の名簿の重要性や先
輩と後輩の関係などを教えることと考えて、実行
しています。
物質の構造研究というテーマを頂きました。この
物質は、単細胞藻類の一種である渦鞭毛藻が作る
オカダ酸という化合物であり、食物連鎖を通じて
二枚貝に蓄積されることが分かりました。なお、
平成11年4月
オカダ酸はタンパク質脱リン酸化酵素の阻害作用
より、井畑敏一先
を示すので、現在、研究試薬として盛んに用いら
生の後任として
れています。この後、海の生物に含まれる有毒物
化学専攻に赴任
質や生物活性物質の化学構造を決定する仕事を主
いたしました。
にやってきました。そのなかには、二次代謝産物
東北大学大学院
としては最大の分子量を持つものや、ダイオキシ
農学研究科(安
ンより強い毒性を示す物質なども含まれており、
元健教授)を出
珍しい構造と生物作用を有する化合物と数多く出
会いました。その過程で、構造決定に必要なNMR
や質量分析などの分析法の開発を手がけてきまし
たが、最近、助手として一緒に大阪大学に来てく
てから、財団法
人サントリー生
物有機科学研究
できました。この度、永契会に加えて頂くことに
れました松森信明博士とともに有機化合物の立体
配置解析法を生み出すことができました。今後
は、化学構造の研究と平行して、これら生理活性
物質の作用機構を、低分子間の分子認識という側
面から解明してみたいと思っております。研究室
なりましたので、自己紹介を兼ねて今までの研究
は立ち上げ途上であり人材育成も始まったばかり
歴などを簡単に述べさせて頂きます。
ですので、研究体制が整うまでには少し時間がか
東北大学の安元研究室では食中毒の化学的研究
を行っていましたので、二枚貝による食中毒原因
かるかもしれませんが、ご支援とご鞭燵の程宜し
所(1983~1985)、東北大学農学部助手(1985~
1993)、東京大学大学院理学系研究科助教授
(1993~1999)と各地を転々としましたが、よ
うやく生まれ故郷の北摂の地に戻ってくることが
くお願い致します。
-2-
***後輩へ贈る言葉***
新しい原子の創造をめざして
篠原厚(化学専攻、新制化26回)
平成11年10
月から馬塲宏先
生の後任として
"金属錯体の研究に従事して,,
久司佳彦
(2000年停年退官、化学専攻、名誉会員)
放射化学研究室
を担当していま
す篠原です。阪
大を離れてか
ら、名古屋大学、
京都大学とお世
話になり、13年
ぶりに戻ってき
たことになりま
す。来年度には新校舎も完成し、環境のハード面
を一新できる機会に恵まれますので、それに負け
ないソフト面を創り上げるのが私の責任と考えて
います。
研究分野としてはいわゆる核・放射化学で、加
速器を使った重イオン核反応の基礎研究や原子炉
の化学利用を進めていますが、特にここ10年力
を入れてきたのは、エキゾチックアトム、特にパ
イ中間子原子の形成過程とその挙動に関する研究
です。新研究室では、主に、表題にある「新しい
原子の創造」を旗印に、エキゾチックアトムの研
究とその化学をさらに展開することと、重元素
(超アクチニド領域の)化学の開拓をしたく思っ
ています。前者は第2世代の物質系で新しい化学
種としての可能性が秘められており、後者はまだ
知らない電子系を持つ新しい化学の展開が期待で
きます。
このように21世紀での飛躍をめざし新しい研
究を始めようとしているこの時にも、大学は独立
行政法人化の話で揺れ動いています。私が学生の
頃は大学にはもっと自信があったように思えま
す。改革は必要にせよ、じっくりと未来を見据え
て、自信と責任を持って自ら変わるべきでしょ
う。私たち一人一人が責任ある教育と阪大らしい
独創的な研究を積み上げることが、ますます大事
になってくると考えています。
私は1960年に学部(和歌山大学)を卒業し大
学院(大阪市立大学)に進み、博士課程1年から
助手になりました(大阪市立大学理学部)。助教
授は広島大学です。そして、1986年に大阪大学
へ着任しました。私はこの間"金属錯体の結晶構
造からどのような情報が引き出せるか,,について
研究してきました。
40年前の構造解析は、X線装置を組立て、目で
強度を読み、手回し計算機で..と、実にのんび
りしていました。フェロセンの発見(1951年)か
らまだ10年たらずです。院生は量子化学の本な
どを回し読みしていました。大学紛争の頃はアメ
リカです(1969年)。51原子の構造が直接法でわ
ずか4分で解決してショックでした。新しい分子
構造が-つ決まれば仕事になりました。助教授と
なり講義を担当しはじめると実力不足を痛感しま
した。研究テーマは"キラル分子を見分ける光学
分割の機構”です。“五里霧中の中をひたむきに
試行錯誤を繰り返す,,という研究の面白さと怖さ
を実感しました。ギブアップの寸前に最新鋭の
ローター四軸回折計が設置され、JACSにも出せ
てほっとしました。しかし、こんな怖いテーマは
もうこりごりだと思いました。大阪大学にきたの
はこの頃です。フラーレンの発見(1985年)を
聞き炭素の同素体がと驚いて授業で紹介するのに
力を尽くしました。それから、分子科学研究所に
-3-
も行きました(1990-92年)。“最小のユニット
の結晶学会ではヒドロゲナーゼの活性中心をなす
に多様なキラル要素をできるだけ詰め込むには,,
金属周囲の構造がホットな話題でした。西播磨の
と考えました。ヘリカルキラリテイを持ち込むの
放射光施設が蛋白質のX線解析に革命をもたらし
が一番難しいと思いました。また、面不斉や軸不
たのです。金属錯体の研究もX線解析もこの40
年の間に長足の進歩を遂げました。そのほとんど
斉のことを考えフェロセンを組み込むことも考え
ました。そして川本君とともにダルトン誌などに
発表し流動から帰ってきました。それからの8
す.・・化学教室の発展と皆様のご研究の進展を
年、教養部から理学部へそして理学研究科へと環
心から願っています。
を第一線で実感できた自分は幸運だったと思いま
境は大きく変化しました。昨年(1999年11月)
ら、炭素の微粒がばらついているだけだった。し
***追悼***
かしその後、ユニオンカーバイト社はレーヨン糸
から炭素繊維を発表している。彼が日本経済新聞
に連載した「私の履歴」(1987年)の記事に、あ
水野健次郎会長を悼む
去る平成11
年5月8日の
お別れの会で、
水野君らしい
立派な写真に
対面できた。
この私は7年
制の甲南に入
学以来10年間
ともに勉学し
て今日に到っ
の時にせめて1000℃まで加熱していたらと残念
がっている。
彼は卒業後、親父さんの指示で尼崎の電線会社
に勤めて合成ゴムの研究を担当して、他人の飯を
ここで6年間も食ってからミズノに入社し、昭和
44年に社長となり、財界活動と共にスポーツ振
興会を起し、国際交流財団を設けて同社のグロー
バル化に努めた。平成元年に会長に就任し、独自
のスポーツ文化論「スポートロジ」を提唱してい
たが、平成11年4月15日85才で残念乍ら逝去
した。ここに心から御冥福をお祈りする。
(大庭成一、旧制1回)
ている。
昭和8年
(1933)、堂島
音在濱輝先生を悼む
に育った水野君につれられ、新設の理学部本部、
中之島の医学部構内の木造の二階建の一部屋に
行って、ここで入学願書を若い方に手渡して帰っ
大阪大学名
た。幸いに12名の合格者の中に入ったが、その
誉教授・神戸
後判ったことは、願書を受取って下さった方は数
女子大学名誉
学科の清水教授であった。
教授音在清輝
化学科の先生は、学部長の真島先生以外には小
竹先生が37才で、他の先生はさらにお若く、ま
先生は、平成
た理化学研究所などからの新任であって、学生を
珍しがって近くの大ビルなどの喫茶店によくつれ
肝不全のため
て頂き、先生方はクラスの湯川君から大阪の風習
た。享年80歳。
などの話に耳を傾けておられた。
先生は、昭和
11年1月2日
逝去されまし
水野君の卒業実験は、仁田先生(34才)より「炭
15年大阪帝国
素が繊維構造をとるかどうか、調べてごらん」と
指示されて、竹のヒゴを作り、ガラス管に入れて
大学理学部化
ニクロム線をまいて電流を流し500℃まで加熱し
昭和21年同学
民間会社の研究勤務と応召の後、昭和21年同学
副手に採用され、助手、助教授を経て昭和33年
た。このサンプルをX線を使って構造を調べた
学科を卒業、
-4-
教授に昇任し化学科放射化学講座を担当、昭和
***クラス会報告***
56年停年退官されました.この間、学生生活委員
会委員長、工作センター長、評議員、理学部長な
旧制11回生の集会
どを歴任されました。退官後、平成10年3月ま
で神戸女子大学家政学部教授として在職され、そ
松井邦夫(旧制11回)
の間学生部長諺学校法人行吉学園理事として私学
教育の振興に尽力されました。
先生は、当初物理化学の研究を始められ、分析
化学、放射化学講座を担当してからは核化学の研
究へと展開されました。活性化エネルギーについ
ての経験則、炎光分光分析、核反応の励起関数、
ガスクロマトグラフィー、そして電子遷移による
核励起などが主要な研究テーマとしてあげられま
す。原子の内殻イオン化の脱励起機構として、X
線、オージェ電子放出に続く第3の機構として注
目を集め、昭和56年曰本化学会賞を授与されま
した。その他に、プルトニウム242の核分裂、重
中性子の探索、パイ中間子誘起核反応などについ
ても研究されました。物理化学と放射化学を薬学
分野に応用された投与薬物の体内減衰方程式は、
斬界に新鮮な影響を与えました。先生はこれをご
自身のお好きなお酒に応用されてOtozai酪酊方
程式を考えられました。最終講義でもこの式を解
説され、お酒は楽しく飲みましょうと評判になり
ました。このように、先生は研究を大変愛され研
究中心の生活を送ってこられました。
先生は研究にも増して教育にもご熱心でした。
実に周到に講義の準備をされ、講義室ではやわら
かいお言葉で話されます。そのため神戸女子大学
でも女子学生の人気が高く、先生は17年間の長
期にわたって同大学において化学からドイツ語に
いたるまで講義されました。
先生は、平成5年4月に勲二等旭曰重光章を受
章されました。先生は“恩賜のたばこだよ”と教
え子に配られ、私は3本頂いてたばこ好きの親父
(1)平成11年5月22日午後0時40分より、大
阪駅GAREビヤホールで来曰中の中本一男君を
囲んで定例となった雑談会を開きました。出席者
は、今永勇二郎、片山佐一、中尾一宗、中田弘、
松井邦夫、桃谷政順、山崎太郎、吉川要三郎、計
9名。互いに健康を喜び、約2時間で来年の再会
を約して解散した。
(1999年6月受理)
(2)旧制11回生は11月9日-11曰と、2泊の
旅行を行った。参加者は今永勇二郎、中田弘、松
井邦夫の3名.最初予定した小竹宏、山崎太郎の
両君は共に2日前に奥様の不調によって残念なが
ら中止。
行き先は高知市と祖谷地方。往路は岡山より高
知までバス、帰路は大阪までJRで。9日午後市
内観光バス、c一コースを利用。竜河洞、西島農
園は興味あり。三翠園で一泊。10曰午前B-コー
スで観光。桂浜はさすがに雄大。午後JRで阿波
池田へ、タクシーでかずら橋を経て祖谷温泉ホテ
ル、-泊。午前タクシーで大歩危へ、舟で観光。
その後“石の博物館"、新しい設備を用いて最近
の知見も展示していて興味深いものがあった。午
後6時半新大阪着。天気よく(11日の午後より小
雨あるも)楽しい旅行であった。唯次第に参加者
が少なくなるのは年齢より見てやむを得ないが、
淋しいことである。
(1999年11月受理)
にやり感謝されました。先生は、ピースのチェイ
ンスモーカーで終生たばこを好まれました。大学
院の入学試験場でも、受験生に灰皿を持っていく
などの心遣いも、嫌煙権がいわれるようになった
現在では想像できないことです。しかし、先生の
たばこは周囲の人を不快にすることがなかったの
は不思議です。先生のご冥福をお祈りいたしま
す。
(荒川隆一、新制化17回)
旧制15回生卒業50周年記念同窓会
池中徳治(旧制15回)
昭和24年3月に卒業した私達化学科旧制15回
生は、今年、卒業50周年を迎えたので、久しぶ
りに同窓会を開いた。同窓生18名のうち、5名
の友(稲垣稔、松田春雄、渡辺春幸、阿波順一、藤
井克美)を失っているので、残る13名に連絡し
-5-
てアンケートを採り、できるだけ全員が出席出来
るように日時、場所等を選んで、4月13日午後
2時から新阪急ホテル2階「菫の間」で開催した。
出席したのは7名(鈴木啓介、長谷綱男、松浦輝
男、三角荘一、宮原和彦、中西正七、地中徳治)、
全員が集まった3時少し前に記念写真を撮り、物
故者の冥福を祈って黙祷、お互いの健康を祝して
乾杯後宴会に入った。食事をしながら、近況を話
し合った。午後6時解散。同窓生の近況は次の通
り。
中西君は、自身で設立、発展させた株式会社大
阪合成有機化学研究所の社長を現在も続け、数十
人の社員を抱えながら不景気知らずの様子、同窓
生中ただ一人現役で頑張っている。
地中は、平成元年阪大を退職後、平成10年3
月まで帝塚山学院短期大学に就職、平成S年から
9年まで学長、その間短大の4年制大学の新学部
(人間文化学部)ヘの改組に取り組み、平成10年
4月から新学部の発足となった。現在、健康で、
堺南ロータリークラブの会長として忙しい日々を
過ごしている。
欠席した6人のうち、桐山(射場本)秀子さん、
三輪(掛田)霞さん、栗林俊介君、古山晴久君は
体調がすぐ>れないため、同窓会に参加できず残念
だった。黒岩章晃君と松室博嗣君は開催通知を受
け取っている様子だが返事が無かった。
(1999年6月受理)
湯布院での“ばけだす”同人会
高橋政司(新制化6回)
鈴木君は、平成6年に関西学院大を退職後、
悠々自適、毎年夫人と海外旅行、その度に、その
国の言葉をマスターしているとか、現在スペイン
旅行を計画し、スペイン語を学習中、少し不整脈
がある様子だが元気そう。
長谷君は、平成3年鹿児島大学を定年退職後も
5年間同大学で非常勤講師として講義をしてい
た。2年前軽い脳出血があったが、現在殆ど正常
で車も運転している。
松浦君は、平成元年京大を退職後、-年間、京
都橘女子大学の非常勤講師をした後、平成2年か
ら平成8年まで龍谷大学教授漣それ以後は会社の
コンサルタントをしている。現在健康状態良好、
外国旅行を楽しんでいる。
三角君は、平成2年阪大を退職後、福井工大に
客員教授として今年3月まで勤務(週2日講義、
ゼミル、現在、非常勤講師として講義を受け持っ
ている。健康で、テニス、ガラスエ芸に各1日ず
つ楽しんでいたが、一昨年、自宅にガラスエ房を
建てガラス工芸を楽しみ、且つ毎年展示会に出品
している。
宮原君は東洋リノリュームKKを退職後、地域
の為に自治会長諺雲雀丘倶楽部の会長など忙しい
日々を送っている。
1999年10月15日、大分県の湯布院町で、同
窓会を開催いたしました。集合した湯布院ハイツ
の玄関の案内には、「xxx同窓会」などという
野暮つたい名前ではなく、「ばけだす同人会」と
出ていました。
私たち新制6回生は、卒業したとき38名、物
故された方もあり、現在連絡が取れる方々は33
名で、アメリカ在住の方も居られますが、関東と
関西とにほぼ半数ずつ居住しています。毎回交代
で関東側か関西側かが幹事を受け持って、もう十
数回以上、同窓会が続けられています。今回は、
関西側の一員である別府在住の野崎さんに幹事を
お願いし、大変骨折りいただき、湯布院での同窓
会が実現いたしました。
-6-
化学・高分子卒業30周年記念同窓会
しばらく前から、文集を発行しようと言う話が
持ち上がっていて、卒業旅行で行った新潟、山形
方面への、卒業4,周年を記念する昨年秋の同窓
会の際に、最終的に皆さんの同意を得て、今年3
月、その創刊号を発行いたしました。同窓会での
余剰金をもとに、20篇以上の原稿と何人かの労
力奉仕により、できあがったのです。
扉に「化け上手の化学屋が、新たに化けていく
曰々を、想いを、そしてまた回顧を、素朴な文集
に載せて、知的交流、情緒交流の土俵にしようで
岡村春樹(新制化17回)
学部の昭和仏年卒にとっては、平成11年〈昭
和74年)は卒業30周年になる。この機に日ごろ
疎遠となっていた同級生が旧交を暖めようと、記
念の同窓会を企画した。
鰯!i違迂111;獺
はありませんか」などと言う趣旨説明がでていま
す。もう少し直裁的にいうならば、定年も過ぎ大
半は第一線を退いた我々の、頭脳的老化進行を多
少でも抑止するために、各人好きなように原稿を
書き、それを持ち寄って文集をつくることにしよ
う、となるでしょうか。その文集には、“ばけだ
す,,という名が付けられました。したがって、我々
同窓生は、皆さんこの“ばけだす,,同人会のメン
バーなのです。
14日夕方、ふぐを食べたくて時間の都合のつく
人たちが、前夜祭と称し別府の料亭旅館に集まっ
てその目的を達し、そのまま泊まり込みました。
翌15日、夜行フェワーで関西方面から来た人た
ちも朝から加わって、マイクロバスにて国東半島
の史跡を巡り、宇佐神宮を参拝後、湯布院へ向か
いました。湯布院ハイツにて、後からきた人たち
と合流して、女性1名を含む18名が揃い、温泉
にゆっくり浸かり、例によって大いに飲み、かつ
語り合いました。ことに、“ばけだす"はカストリ
雑誌のように直ぐ消えることなく、せめて4号ま
では出そうと、皆さん原稿を書くことを申し合わ
,b11薑I蝋篝薑11I
昭和44年といえば、学園紛争が激しくなの、中
之島の大学本部や松下講堂はヘルメット軍若年兵
に占領されとうとう卒業式ができなかった年次
にあたる。このような、青春の忘才I物を残したま
まの30周年であれば、恩師も招いて、かの松下
講堂のかたわらにて、果たせなかった卒業式を復
旧してみることもアイデアとしてうかんだ。しか
し、巡り合わせとは不思議なもので、30周年を潮
笑うかのごとく、この中之島地区に残っていた旧
松下講堂は、旧蛋白研とともに、この平成11年
にきれいさっぱりと撤去されてしまい、先のアイ
デアは実現不可となった。
さて本題であるが、対象者は化学・高分子83名、
うち遠方者が41名もいるが、出席者30数名とな
せました。
り、8月の吉日に盛大に開くことができた。30年
翌朝、由布山が宿の窓からきれいに見えていま
した。この曰、湯布院の町を散策する人、近くを
ぶりにあった仲間は一瞬誰か分からず「たじろ
バスで回る人、ついでに九州のどこかへ寄る人、
久住山へ登る人等々で、一年後の再会を約して別
れました。いずれにせよ、すばらしい湯布院の秋
を、皆さん大いに楽しむことができたようです。
来年の“ばけだす,,同人会は、関東側が幹事を
担当し、信州で開催されることになりました。忙
しくて参加できないならよいのですが、同人の皆
様方におきましては、体調が悪くて参加できな
い、などと言うことになりませんよう祈念いたし
ぐ」場面がみられたが、身元が割れれば、「昔のま
まやな_」と感じてしまう、これが同窓会の醍醐
味である。特に印象深かったのは、皆、今がちょ
うど社会の現役のまっただなかにあり、過去の思
い出話などはなく、今のことと、これからのこと
を希望にあふれた会話でなされていたことであ
る。
集まって、青春の顔にもどわ、エネルギーを再
注入して、また次回までガンバロウ。そんな、気
概があふれた一日でありました。
(2000年1月受理)
ます。
(1999年11月受理)
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新制19回生一化学科同窓会
豊島正(新制化19回)
とたくさん残った料理の折を手に大阪駅前で"ま
た近いうちに会おう“と賑やかな50歳の団体に
なっていた。
今回は急な話で出席できなかった方には大変申
し訳無かったので、できるだけ多くの人が集まれ
る曰を設定して近いうちに集まる事を約束して散
会した。
出席者:稲葉,今西,岡田,工藤,沢田,高橋,辻,
豊島,豊田,中筋,中村,招波,守安,由利,吉
岡
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(2000年2月受理)
一月のある曰“明けましておめでとう”で始ま
るメールが沼波氏から入ってきた。以前からクラ
ス会をやろうやろうと言いながらなかなか出来ず
にいたのでとにかく数人でも良いから集まろうと
高分子学科18回生同窓会
佐藤尚弘(新制高18回)
いうものであった。
これまで長い間集まっていないのでどれだけの
人に連絡がつくか不安であったが、沼波氏、稲葉
氏、辻氏と小生が連絡のつく人に知らせ、連絡先
ならびに出欠の確認を行った。阪大に残っておら
れる稲葉氏が大変努力してくれメールで連絡をと
蝋
りながら見る見るうちに情報が集まった。急な話
であったにもかかわらず15名の参加があり賑や
かな会になった。
同窓会は大阪梅田の中華料理店で2000年2月
4曰金曜日の夕方行われた。会社の帰り、又は出
張をその曰に会わせ遠方からも集まった.ひとり
またひとりと会場に顔をだすたびに“おい誰だ”
で始まり、名前を名乗ると“お゛.・・君か....”
という具合に15名が揃い乾杯で会が始まった。
十数年ぶり、中には29年ぶりに会ったにもかか
わらず気分は一気に30年前の阪大の豊中キャン
パスヘ逆もどりし教養の頃のこと、学部へ行って
からのことなど話は尽きなかった。
、我々のクラスには女性が22名しかいなかったこ
と(今回は2名とも参加)
・教養での物理実験のこと
・学生実験を早めにやめて行った万国博'70
.勤務先での自慢話、失敗談
・子供の教育費のこと
等等
だんだん井戸端会議になり食事をするのも忘れて
あっという間にお開きの時間となった。気が付く
hD隆〆
…葦illi
早いもので、大学を卒業してから既に20年が
経過している.最後に同窓会を開いてからも既に
12年が過ぎており,久しぶりに集まろうではな
いかという声が挙がり,昨年の8月7日に,クラ
ス担任だった加藤俊二先生をお招きして,梅田近
くでささやかな同窓会を開いた.中年と呼ばれる
年代に突入して、日々忙しく過ごしているけれど
も,人生の行く先も次第に見えてきて'昔のよう
に夢を語るという世代ではなくなっている.しか
しながら日々の雑事を一時忘れ、昔の仲間と語
り合おうという企画に賛同してくれる方は多く’
約半数の13名の同窓生が,遠くは関東や東北か
ら参加していただいた.ただし,会を開いたのが
土曜日の午後からであったにも関わらず,仕事が
どうしても抜けられず,参加できなかった人もい
た.
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昔話に花をさかせ,各自の近況などを話してい
ると,あっという間に時間が過ぎてしまった.加
藤先生は,重い器材を背負いながら,山道をあち
らこちらと歩き回って,バードウォッチングを楽
しまれているとのこと,そのお元気さには一同驚
くばかりであった.我々のクラスは,高校の先生
になられた人が多く,教師の苦労話しを色々間か
<会計報告>
1998年度(1998.3.17-1999.3.19)の会計
決算は昨年3月19日の総会で下記のとおり承認
されましたのでご報告します。
記
[収入の部]
せていただいた.また,主婦の傍ら塾の先生を精
前年度からの繰越金5,311,713円
力的になさっていたり,研修として大学の研究室
で実験をされている高校の先生など,各自の特色
ある生活について楽しく語り合った.企業および
98年度終身会費(82名)410,000円
大学に就職された方の中には最近転勤された人が
名簿代10,000円
利息15,326円
合計5,747,039円
多くおられ,人生の一つの転機を迎える世代であ
ることを実感させられた.一次会,二次会,.。.,
総会費100,000円
と夜遅くまで語り合い,また近いうちに次回の同
NewsLetter(12号)費用638,192円
窓会を開こうと約束し合いながら各自家路につ
いた.
[支出の部]
名簿整理アルバイト費86,020円
弔電代3,696円
(2000年2月受理)
事務費・手数料など10,282円
合計838,190円
***逝去***
次年度への繰越金
前ニュースレターNo.12発行(1998年12月)
以降、永契会会員の皆様から次の方々の計報をお
知らせ頂きました。
水野健次郎(旧制1回、仁田)、音在清輝(旧制5
回、千谷)、佐治敬三(旧制8回、小竹)、藤田岩
男(新制化15回、広田)、松本順三(新制化18回、
金子)
慎んで御冥福をお祈りいたします。
4,908,849円
*前号のニュースレターで、化学系建物の新築
(G棟)・改修に当りまして会員諸兄姉にご支援を
お願い致しましたところ、多くの方々より多大な
ご寄付を頂きました。皆様方から頂きました寄付
金は有意義に使わせて頂きます.先ずは書面を
もってお礼に代えさせて頂きます。
2000年2月20日現在、405名の方々より273
万5千円ご寄付頂いています。
G棟
完成予想図
霧i鑿騨篝騒
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く人事>
大阪大学大学院理学研究科化学系教室における
1999年の人事異動についてお知らせ致します。
昇任
教授上山憲一(高分子反応研究室)
停年退官
助教授
広津順弘(複素環化学研究室)
(S35化)3月31曰付
助手
松岡延子(無機化学研究室)
3月31曰付
(S40高)1月16曰付
助教授
植村振作(高分子物理学研究室)
1月16曰付
講師
長野八久(分子熱力学研究センター)
併任解除
客員教授児玉皓雄(大阪工業技術研究所)
9月3日付
(S57修)8月1日付
採用
助手
川口辰也(高分子固体構造論研究室)
(H2高)1月16日付
助手
石水毅(有機生物化学研究室)
併任
客員教授福見俊夫(大阪工業技術研究所)
12月1日付
<協力講座(教授のみ)>
4月1曰付
助手
中北慎一(有機生物化学研究室)
(H6博)4月1日付
助手
停年退官
教授
京極好正(蛋白質研究所)
3月31曰付
松森信明(生体分子化学研究室)
4月1曰付
転入
教授
村田道雄(生体分子化学研究室)
4月1曰付
教授
篠原厚(放射化学研究室)
(S53化)10月1曰付
所属換
教授
祖棟道夫(分子熱力学研究センター)
(S37化)4月1曰付
助教授
齋藤一弥(〃)
(S56化)〃
助手
長野八久(〃)
(S57修)〃
助手
宮崎裕司(〃)
(S62化)〃
転出
助手
樋上照男(信州大学理学部助教授)
(S49化)4月1曰付
助手
長東俊治(京都工芸繊維大学講師)
(S61化)3月1日付
助手
長尾秀実(金沢大学理学部助教授)
12月1日付
<編集後記>
永契会会員の皆様におかれましては御健勝のこと
とお慶び申し上げます。
永契会Newsletter(Nol3)をお届けいたします。
これまでは2年に1回のペースで発行しておりま
したが、今期の幹事会において、毎年発行を目指
して努力することになりました。なんとか総会前
までに皆様のお手元にお届けできれればよかった
のですが、版下製作まで自前で行わなければなら
ず、総会当日(3月15曰)に新会員の卒業生に
配付するのが精一杯でした。
最近は、大学も社会に開かれた教育・研究機関
に変わるように要請されておりますが、そのよう
な時期にこそ、同窓会である永契会の先輩、後輩、
諸兄・姉からの化学教室へのアドバイスは、大学
自らが変革していくための貴重な指針となるもの
と確信しております。このNewsletterが双方向の
情報発信に少しでもお役にたてることを念願して
おります。
今期幹事会は、幹事長楠本正一、副幹事長
江口太郎、庶務幹事岡村高明、会計幹事福本
敬夫で運営しております。Bメールのアドレスも
取得しましたので、Newsletterへのご感想、ご寄
稿をお待ちしております。(江口記)
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永契会NEWSLETTER
2000年3月発行
〒560-OO43豊中市待兼山町1-1
大阪大学理学部化学科永契会
eikeikai@cbemsci、osaka員u、acjp
http:"Wwwchem・sci・osakaPMcjpノーeikeikai/mainhtml
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